昨日の新聞
今日の新聞にと書きかけて、よく考えたら今日は新聞が休みだった。
夕刊は購読をやめたから、こうなると明日の朝まで、市井の動向、世界の動きを知るためにはネットしかない。
それでもいいんだけど、なんかもの足りないね。
仕方がないから昨日の新聞を読み返す。
昨日から朝刊に「老後レス時代」というシリーズが始まった。
現代は定年のない時代で、多くの人々が70を過ぎても働かざるを得ないという。
うーんと自らをふりかえって考える。
仕事をやめて極楽とんぼのわたしも、ちっとは働かなければいけないのではないか。
耳が遠くなったほかは、べつにどこも悪くないんだし。
でもわたしの周辺をながめても、わたしより若くてリタイヤした人もたくさんいるし、さいわいひとり者で、いますぐお金に困るほどではないから、切り詰めて生活すればなんとかなりそうだし、仕事をやめた年齢を考えると、ま、わたしは世間の人の平均ぐらいじゃないか。
新聞には悲惨な例がいくつか取り上げられている。
乏しいパート仕事で食いつなぐAさんは、71歳で奥さんと二人暮らし、月7万円の年金と奥さんのパートでの稼ぎが頼り。
68歳で警備員として働くBさんの年金は、夫婦で月6万円ほどで、これでは雨の日に下着まで濡れながら交通整理をする(しかない)。
ささやかながらも将来の目標を立てていた71歳のCさんは、くも膜下出血で倒れてすべてがパー、生活保護を申請するしかなかった。
それでもCさんの場合は、倒れたときに会社が健康保険に入っていたので助かったという。
だから社会保険は大切だよなんていうつもりで、こんなことを書いているわけじゃない。
どっちかというとロクなもんではないことが多かったけど、わたしは人生の喜怒哀楽はもうほとんど体験して、あとはお迎えが来るのを開き直って待つだけだ。
頭上にさしかかった不幸な時代は、わたしに関わることなしに頭の上を通り過ぎていくのだ。
わたしってどうしてこんなに幸運なのだろう。
わたしは不運な人たちを背後に置いて散歩に出る。
途中で屹立するセイヨウハコヤナギの木を見上げる。
この木はシルクロードに多く見られる白楊のことである。
わたしはサクラはもう見飽きた。
来年の春に、白楊のこずえからまい落ちる綿毛だけはもういちど見たい。
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