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2019年11月 6日 (水)

今日の新聞

昨夜は古い仲間たちとの飲み会。
もっけのさいわいと、ブログ更新を休んでしまうわたしって、やっぱり認知症かしら。
どうも最近頭を使うのがおっくうになっているようだ。
でもそういう弛緩した態度こそ、認知症一直線なのだ。
勇気をふりしぼってまた新聞に目をやると、韓国問題をさておいても、ネタがふたつばかり。

ひとつは投書欄の「ひとりの最後」というもので、いま流行りの孤独死についての意見の特集。
流行りといっちゃなんだけど、現代では多くの人に、これは避けて通れない問題だ。
ただ、やむを得ないという事情があるにせよ、どちらかというと、来るならこいって人のほうが多いみたい。
わたしのようにこころないお世辞の大嫌いな人間には、やれやれ、うちのじいさんもようやく死んでくれたかなんてかげ口叩かれるくらいなら、ひとりで誰にも気づかれずに死ぬほうがよっぽどいい。
時代がまたわたしのほうに歩み寄ったみたいである。

もうひとつのネタは、今年のノーベル文学賞を受賞したペーター・ハントケについて、池澤夏樹さん(サンがさんに変わったのは、彼がわたしによく似たじいさんであることがわかってから)の、これに意を唱える意見に対するさらなる異論だ。
わたしはハントケという作家についてよく知らないし、ノーベル文学賞もロクなもんではないと心得ているので、あまり深く立ち入りたくないんだけどね。

ただ異論の内容を知ることには価値がある。
ハントケという作家は、ユーゴ紛争のおりに多国籍軍によるセルビア叩きに反対した人たそうで、それがケシカランというのが、彼の受賞に不満をもつ人々の主張だそうだ。
このへんのくわしい事情は知らないけど、わたしはNATO軍の空爆がこの紛争を終わらせるに効果があったと信じているので、うむむと考えてしまう。

爆弾の下にはふつうの人々がいる。
犠牲者が出るのは当然のことで、軍人と一般市民をピンポイントで区別する兵器などありようがない。
セルビアが悪いとか、クロアチアがけしからんとか、戦争にどっちが悪いということもない。
これもわかる。
しかしだらだらじりじりと長引かせるくらいなら、どっちかを悪人に仕立てて、強力な連合軍が紛争そのものに介入し、いっきにカタをつけてしまう方法もあるのではないか。
そしてユーゴ紛争の場合、それがうまくいったほうの例ではないか。
いまは風光明媚な観光立国として、わたしも行ってみたいクロアチアなんぞをみると、それはあきらかのように思えてしまうのだ。

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