墨東綺譚
この8月に図書館から永井荷風の「墨東綺譚」を借りてきたことは、このブログに書いたことがある。
ブログのネタにするつもりで、いちおう批評みたいなものをまとめたんだけど、完成直前でメンドくさくなって、そのまま書斎のかたすみ、つまりタブレットの中に埋もれさせてしまった。
それがひょんなことから出てきたから、ホコリを払ってブログに載せることにする。
じっさいに書いたのは3カ月もまえだから、ちょっとピントのずれたところがあるけど、もともと流行に関係ない古い小説だからかまわない。
じつはわたしは、この本をずうっとむかしに読んだことがある。
ただ右から左に抜けたみたいで、あまり内容をおぼえていない。
おもしろければおぼえているはずだから、たぶんおもしろくなかったのだろう。
ただし前回読んだのはまだ青春時代だったから、ここに描かれたおとなの男女の情愛というものが理解できなかったのかもしれない。
そういうわけで今回はじっくり腰をすえて読んでみた。
この小説は小説家らしい主人公が、創作中の小説のストーリーをああ展開しようか、こう発展させようかと悩みつつ、墨東の青線地帯を徘徊するという内容で、最初のほうでは、現実の話と創作中の話が並行して描かれる。
だからそういう物語なのかなと思ったら、後半になると、創作中の話のほうはいつのまにか雲散霧消してしまった。
創作中の話というのは、現実の自分の体験をもとにしているので、つまり同じような話が並行して描かれるわけだから、よけいつまらない。
ほかにも墨東綺譚は、作者の “小説” を書こうという意識が強すぎるような気がする。
やたらに地名の固有名詞が多く、これは物語の背景を詳細に語ろうというつもりかも知れないけど、いささかわずらわしい。
森鴎外の歴史小説にも、冒頭に丹念すぎる背景描写があるけど、それとは効果がだいぶ異なるのである。
ヒロインについても、娼婦に身を落としながら、まだ汚れていないけなげな娘というつもりのようだけど、言葉づかいなんかみると、もうそうとうにベテランみたいに思えてしまう。
読み終えたあとで、ええとこの女性はけっきょくどうなったのかと考えてしまった。
結末がなにがなんだかわからない、川端康成の「雪国」のお駒さんと比べても、とくべつに印象の残る女性ではないのである。
「墨東綺譚」というと名作のほまれが高いけど、そういうわけでわたしはあまり感心しない。
ただ戦前の墨東、つまり向島、玉ノ井あたりにあった赤線・青線のようすを知りたい人には、なかなか参考になる本だ(もっと直感的に知りたい人は滝田ゆうというマンガ家の作品のほうがいい)。
この本には作後ぜい言というあとがきみたいな文章があって、むしろ本文よりこっちのほうがおもしろかった。
この部分は墨東綺譚を書くに至った動機や、街で見かけた当時の風俗や、三面記事にふさわしい些細な事件、花電車、東京音頭、銀座の服部時計店、円タクのことなどが、見たとおりに語られているので、往年の東京を知る資料としても価値がありそう。
文中に知識人のおじいさんが、森鴎外の小説の末節を引用するところがあり、その部分がいつまでも印象に残っている。
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