風と笹の葉
先日、野川公園の自然観察園に行ったとき、たまたまクマザサのひとむらに風がさらさらと渡っていくのを見た。
それだけでたちまちむかしのことを思い出してしまった。
若いころ奥多摩の最深部にある酉谷山(トリタニヤマ)という山に登ったときのこと。
そのときは、べつにどこだっていいんだけど、とにかく人里からはなれた、誰にも会わない山に登りたいという切羽詰まった感情におそわれていて、地図をながめ、奥多摩のいちばん奥のほうにある酉谷山を選んだのである。
この山なら山頂からまったく人里と隔絶した景色が眺められるのではないか。
それはとっても素晴らしいことだ。
いろいろ屈折した思いをかかえていたころだったから、そのときはそう考えた。
愛用のジムニーを運転して、登山口にたどりついたのはまだ暗いころ。
車のなかで仮眠をして、夜明けとともに登山開始。
登り始めてすぐ、登山道にそってクマザサ(じつはスズタケという笹であることは帰宅してからわかった)の茂みを見た。
もちろん登山者はわたしだけで、その笹の上をさらさらと風が渡っていたのをおぼえている。
まだ若いころだから順調に高度を稼いで、やがて尾根にたどりついた。
そこでびっくりしたというか、がっかりしたというか。
尾根から反対側に秩父市の街並みが見下ろせたのである。
考えてみれば当然で、こちらからは奥多摩の最深部のつもりだったけど、あちら側からはいちばん手前の山だったというわけだ。
人里はなれた孤独な山というのは、わたしが勝手にいだいた妄想にすぎなかったのだ。
がっかりして降りてくるとちゅう、クマザサのあたりでイヌを連れた登山者に出会った。
クマはいませんでしたかとおだやかでないことをいう。
ここにはクマザサが生えているからというんだけど、そもそもクマザサのクマは歌舞伎のクマどりから来ているので、獣のクマとは関係ないんだけど(そのくらいのことは知っていた)。
その上をさらさらと風が渡っていく笹の葉を見て、ついつい若いころを思い出した。
孤独というのはほんとうに素敵なものである。
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