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2020年2月

2020年2月29日 (土)

反論

今日の朝刊の11面の下のほうに、参院議員の武見敬三サンという人が、朝日新聞の質問に応えている記事がある。
コロナ・ウイルスへの日本政府の対応に、なんとかいちゃもんをつけようとする朝日の質問を、ことごとくはねつける彼の答えがおもしろい。

朝日/日本は米国ほど厳しい入国規制をしてません。
武見/ぐちゃぐちゃぐちゃ。
朝日/ダイヤモンド・プリンセスの防止策について批判が起きてます。
武見/ぐちゃぐちゃぐちゃ。
朝日/米国などは自国の乗客を引き取りました。
武見/ぐちゃぐちゃぐちゃ。
朝日/日本政府の対応全般については?
武見/ぐちゃぐちゃぐちゃ。
※ぐちゃぐちゃぐちゃの部分は長いので省略。

こういう具合で徹底的に朝日に抵抗。
ウチの新聞にしてはめずらしい記事だなと思ったら、案の定、武見という人は日本医師会のもと会長の息子で、自民党の現職議員だそうだ。
質問する相手がわるかったけど、見出しだけは「専門家会議の初会合遅すぎた」という、発言の一部をかろうじて拾い出したもので、朝日もなんとか一矢を報いた感じ。

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2020年2月28日 (金)

明月何曾是両郷

いくらなんでも気のドクになってしまう。
あ、韓国のこと。
日本と同じように中国にマスクを送ったそうだけど、返ってきた返事は、日本には感謝し、韓国には感謝のかの字もない。
そればかりか本家本元の中国でさえ、韓国のコロナ・ウイルス蔓延を恐れて、入国する韓国人を隔離することにしたという。
さすがに韓国国内からも自国政府に対する怒りの声、自嘲ぎみのセリフがあふれていて、政権の土台までゆらぎかねない塩梅だそうだ。

どうしてこうなったのか。
ひよっとするとハングルのせいかもしれない。
中国の影響下にありながら、漢字を捨てた韓国と、いまだに漢字を使い続ける日本の差ではないか。
同じマスクを送るにしても、日本は
 青山一道同雲雨
 明月何曾是両郷
と書き添えて、さりげなく相手の琴線をくすぐることができるけど、ハングルじゃそうはいかない。
だいたい中国人のほとんどはハングルが読めない。

ただ不思議なのは、現政権のもとではいくらでも隠せそうな気がするのに、韓国の感染者が増え続けていること。
これって陰謀じゃないのか。
極東アジアは危険であるということを世界に印象づけて、東京オリンピックを妨害しようという・・・・
もっともいまのペースでは、文サンの弾劾請願も増え続けているから、あまり感染者を増やすと、オリンピックまで文サンの首がもたないけど。

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2020年2月27日 (木)

またとうぶんは

昼間はひさしぶりに籠城用の食料の買い出しに行って、ついでに図書館でいくつかの雑誌をのぞいてきた。
ニューズウィーク日本版の「上級国民論」と「男護ケ島のフェロー諸島」なんて記事がおもしろかった。
文藝春秋には「背高泡立草」という芥川賞作品が掲載されていて、けなすような作品ではなさそうだけど、じっくり読もうという気にもなれなかった。

帰宅してからちょいと芥川賞について調べてみたら、過去の受賞作品のうちベストセラーになったものの順位というものが出ていて、それによると上から安部公房の「壁」、石原慎太郎の「太陽の季節」、大江健三郎の「死者の奢り・飼育」となっていた。
慎太郎さんの作品を映画で観たことがあるだけで、わたしにはとんと興味のない本ばかり。
世間にもこれらの本のおかげで人生が変わったという人がいるような気がぜんぜんしない。
わたしが健全なのか、世間が不健康なのか(結論としては同じだけど)、つくづく考えさせられた。

買い出しでは、1週間分ぐらいの食料を仕入れてきたから、またとうぶんひきこもりに専念できそう。

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2020年2月26日 (水)

純子さん

今朝のウチの新聞に、また山尾志桜里、望月衣塑子と同類の原理主義者である高橋純子さんが書いていた。
彼女の記事だけ読んでいると、安倍クンもいよいよ絶体絶命かと思えるんだけど、今日はいままで国会中継をやっていた。
純子さんの記事とうらはらに、安倍クンも麻生クンも茂木クンも河野クンも、ニコニコして和気あいあいで、ぜんぜんそんな雰囲気じゃない。
これも捏造のひとつなのかしら。
そのうちわたしは新聞の購読を止めるかもしれないけど、こんな記事ばかり読まされたら、誤った認識をもってしまう人もいそうだ。
テレビを観ればすぐに確認できることで、いいかげんなことを書かないでほしい。

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2020年2月25日 (火)

パニック

コロナ・ウイルスについて、世界的規模でパニックが広がっているようだ。
イタリアやイランなど、中国から遠い国でもそうらしい。
感染者が増えた国は検疫体勢があまいからだなんて、当事国を責める意見もあるけど、こうなるとおかしいと思わなくちゃ。

だいたい韓国や日本で3ケタもの感染者が出ているのに、なんでタイやベトナムやフィリピン、カンボジア、インドなどでそんなに少ないのよ。
感染者数で1位と2位の中国と韓国にはさまれた北朝鮮はどうなんだ。
衛星写真で火葬場の煙の数はかぞえられないのかしら。

このへんをつらつら考えると、つまり感染者の多い国はきちんと検査をして、正直に申告をしている国で、少ない国は、そんなもんどうでもいいやというおおらかさが売りモノの国じゃないのか。
日本の感染者数は、多いか少ないか微妙なところだけど、つねに政府の足をひっぱろうというマスコミが健在だから、数をごまかすことはとても不可能だと思う。

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2020年2月24日 (月)

定年延長

検察官の定年なんてわたしにはおよそ関係ないことだから、どうでもいいことだけど、ネットニュースを見ていたら、それは憲法で定められている(だから変更はできない)という記事が出ていた。
わたしはなにごとも時代に合わせて変化すべしという立場だから、だれの定年であっても、ぜったいに変えられないというのはおかしいと思っている。
現にわたしだって、20年30年まえの労働者には考えられない歳まで働いてきたのだ。

検察官の定年ていくつなのよと調べてみたら、現行は63歳だそうだ。
これは長すぎるとはいえないだろうから、いまゴタゴタしているのは、これがちょうどいいか、短いかということだろうけど、年金を払いたくないから一般サラリーマンの定年はどんどん遅らせようと画策する時代だ。
首相は自分の息のかかった検察官の定年を伸ばそうとしていると、また例によって野党が難癖をつけているみたいだけど、べつに特定の検察官だけの定年を伸ばそうとしているわけじゃあるまい。
大局的に考えれば、検察官だろうがその他の公務員であろうが、定年延長は時代の趨勢のように思えてしまう。

難癖をつけるのに、1980年(40年まえ)の文書を持ち出すなんて。
え、朝日、じゃない、毎日新聞、おまえのことだよ。
ここんところ朝日が萎縮しちゃって毎日新聞がゴネシェーターになっているみたいだ。

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2020年2月23日 (日)

詐欺師たち

わたしのところに通信会社から27万円の請求書が来た。
みじめな年金老人のわたしにそんな心当たりはないから、ふざけんなと一喝して、この件はチャラになったけど、どうやらサギ電話にひっかかったらしい。
こういうサギが横行するようでは、ほかにもひっかかって、中には知らずに払ってしまった人がいるかもしれない。
通信会社には迷惑かもしれないけど、サギ師連中の手の内を暴露したり、その後の対処方法を説明するのはわたしの義務だ。

そもそものきっかけは、わたしのところにおかしなメールが来たことである。
相手が若い娘らしかったから、ヒマ老人のわたしは、からかってやろうというスケベ心を起こした。
で、何度かメールをやりとりしたんだけど、話はここまで。
最初から不審な点を感じていたので、相手のいいなりになるようなことは、たとえばなにかの契約をしたとか、いわれるままにスマホのボタンをクリックしたというようなことはいっさいない。

それなのに、これだけで通信料金が27万円だ。
明細をながめると、わたしが自分の所属する団体の支部に、夜中に電話をしたことになっていた。
夜中に支部は無人のはずだから、電話なんかかけられるはずがないし、かけたおぼえもない。
どうもそれがIP電話になっているのが問題らしい。
IP電話について詳しいことは知らないけど、これはインターネットを利用した電話だそうだから、サギ師たちが割り込むなんらかの方法があるということなんだろう。

もちろんそんな法外なものをおとなしく払うようなわたしじゃない。
通信会社に文句をいって、この件はチャラになった。
このさい通信会社がつべこべいわず、わりあい簡単にチャラにしてくれたことを考えると、この手のサギは少なくないんじゃないか。
もちろん同じ手口が使えないように、通信会社のほうで対処してくれればいいんだけど、ほんの少数のサギ師のために、メールを使えなくするというのも現実的ではない。
特定のメールを禁止しても、相手はしょっちゅう発信元を変えてくるので、イタチごっこだ。

そういうわけでサギが横行しており、通信会社も一定数のそれは承知で見逃しているんじゃないか。
利用者としては、不審な料金請求は断固拒否するべきだ。
通信料金があまり高額だと、通信会社からあらかじめ問い合わせがあるので、その時点で拒否しておけば、サギ師にキックバックが行くことも防げるだろう。
サギ師をこらしめるのにこのていどの方法しかないというのも残念だけど。

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2020年2月22日 (土)

友あり遠方より

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わたしには僧侶になった友人がふたりいる。
ふたりとも遠方に住んでいるので、現在は新年の挨拶ていどの付き合いしかないものの、わたしにとって異色の友人ということになるだろう。
このうちのひとりから、つい最近、手紙と「観自在」というお寺の会報が送られてきた。
檀家でも信徒でもないわたしにとっては身にあまる光栄、ってことはないけど、彼がわたしを忘れてないというだけでウレシイ。

彼は若いころの一時期、わたしと同じ会社で働いていた。
なんでも実家の寺院は弟さんが継いでいたそうだけど、そのうち郷里から呼び戻されて、彼も同郷の、名刹といっていい寺院を継ぐことになった。
彼と最後に会ったのは、彼の結婚式に参列するため、その郷里にまで行ったときだから・・・・・なんと、35 年まえということになる。

その後、彼はつれあいをなくすような不幸にみまわれたりしたけど、もともと誰からも好かれるようなおおらかな性格の持ち主だったから、その地方の仏法界の重鎮として立派に活躍していたものと思う。
これも仏縁なのかどうか、わたしは彼と、それこそ年にいちどの文通だけど、年賀状でほそぼそと交流を保っていたのである。
今年の正月に、わたしもトシだし、いいかげん年賀状をやめるつもりの手紙を書いたら、彼のほうからもひさしぶりの近況報告が送られてきたというわけだ。

坊さんというと固い商売に思われるかもしれないけど、手紙ではけっこう本音でべらべら喋っているところがあり、仏法界のウラ話みたいなのが聞けておもしろい。
最近は家族葬がメインになり、直葬システムが身近にせまっていると、ネット通販に押される地方のデパートみたいな悩みも書いてある。
いずこも同じだねえ。

ほかにも新しい交際相手がいますなんて、坊さんがそんなことでいいのかということも書いてあった。
うん、いんでないの、楽しいほうが。
ろくに人生も知らない人間にご高説を垂れてもらいたくないし。
だんだん生臭管主の今東光さんみたくなるな。

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2020年2月21日 (金)

パンデミック

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とうとうパンデミックという言葉が出てきた。
あ、コロナ・ウイルスのこと
世界中に蔓延するってことらしいけど、最近では感染者と接触していない患者まで出ているらしい。
今回のウイルスが患者から患者ではなく、風に乗って遠方まで空気感染するものなら、これはコワイ、手に負えないぞ。
といっても食っちゃ寝食っちゃ寝のわたしが、つまり十分な栄養と休養をとっているわたしが、そんなものを怖れるはずがないのだ。

いちばん怖れているのはどこだろうと考えて、例の最高尊厳さまのおはします北朝鮮のことを思った。
なにしろ栄養失調で体力のない国民をおおぜい抱えた国だ。
いくら国境を閉鎖したって、風に乗ってただよってくるウイルスなら阻止しようがない。
どこかに穴があいて、ほんのわずかでもウイルスが侵入したら、あとはもう枯れ野に火を放つようなものだろう。

暴虐の正恩クンなら、かまわねえ、ちょっとでも怪しい患者が出たら、生きていようが死んでいようが、みんな火炎放射器で焼いちまえというかもしれない。
それは無理だ。
火炎放射器で焼く役目の兵士がいちばん感染の危険があるわけだから、もしも感染したら生きたまま焼かれると知れば、だれがそんな仕事を引き受けるか。
オレのいうことが聞けねえのか。
いや、部下がぜったいイヤだっていってますんで。
やっかましい、子分がやらねえならてめえが行ってこい。
いえ、その、あの。
こうなると地獄絵図だな。

わたしのほうはいま自撮りに凝っている。
ロシア娘ばかりに儲けさせることはない。
わたしも YouTube に参加して、年金の足しになるていどに儲けようというのだ。
そんなうまく行くかどうかわからんけど、添付写真は今年も咲いたオオキバナカタバミと、そのまえに自撮りのために備えたカメラだ。
W
I-FIを使って遠隔操作をし、わたしと花を同時に撮るのだ。

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2020年2月20日 (木)

フキノトウ

わたしって影響されやすい人だからね。
いま散歩からもどったところだけど、なんか頭がくらくらする(ような気がする)。
なんとなく熱がある(ような気がする)。
肺のあたりにしこりがある(ような気がする)。
咳が、出ないけど、出そうな気がする。
コロナかしら。
みんなが騒ぐとよけい気になる。
わたしが女だったら、想像だけで妊娠してるな、きっと。

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自然観察園にフキノトウが顔を出していた。
思い出す。
むかし同僚たちと野沢温泉に行って、宿屋のまわりに生えていたフキノトウをかってに摘み、生のまま刻んで、甘みそをからめて食べたっけ。
あの苦味が忘れられない。

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2020年2月19日 (水)

映画のハナシ

Corona

今朝もあいかわらず胸くそのわるくなる記事がいっぱいのウチの新聞。
世間がコロナで大騒ぎしているとき、1面、2面のいちばん目立つところが、ウイルスをさておいて、桜のネタだ。
これではウチの新聞を読んでいると、コロナなんてたいしたことがない、桜に知人を招待した (のではないか) というネタのほうが重要であると、誤解してしまう人が出そう。

ほかにも朝日新聞が誤解のもとをほじくり出しているような話題が多い。
おんどりゃ、どの記事からいちゃもんをつけてやろうかと迷っていたら、ふと6面の下のほうの週刊新潮の広告に目がとまった。
今週は大感染列島日本ということで、コロナの特集らしいけど、見出しの中に 「子どもの死者が出ない謎」 とある。
そういえば本家の中国でも、小さい子供が死んだって話はあまりないようだ。

うーむ。
あったよな、あったあった、同じような話が。
むかし 「アンドロメダ」 という映画があって、これは宇宙空間から舞い込んだウイルスが人類を絶滅させかかるという内容だった。
この冒頭に、住人が絶滅した村に防護服の科学者が調査に行ってみたら、老人と赤ん坊だけが生き残っていたというシーンがある。
ほかの人間がすべて死んでしまったのに、なぜというのがこの映画の謎解きテーマでもあった。

ウイルスと災害は忘れたころにやってくる。
加藤勝信クンはこの映画のことを知らないかもしれないから、厚生労働省に電話して教えてやろうかしら。

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2020年2月18日 (火)

疲れる

今日の新聞に、シャープが5Gスマホを発売という記事があったな。
するとまたわたしの知り合いが浮き足たつことは必至。
このあいだのパソコン同好会でも、iPhoneの新機種に関心を持つメンバーがいたけど、5Gでも4Kテレビでも、どうしてもそれでなければ困るならともかく、くだらない映画やバラエティー番組しか観ない人に必要ないの!
疲れる・・・・

ゴメン。
いいすぎでした。
好きなもの、じゃんじゃん買って。
あなたもわたしも先のみじかいヒト。

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2020年2月17日 (月)

日本の食事

なんか今日はブログのネタがないねと思ったのは、夕刊の購読をやめたせいかもしれない。
あらためてネタの宝庫だったウチの新聞のありがたみをしみじみ。

でもネットにだってネタはごろごろしているものだ。
世はあげてコロナ一色だけど、クルーズ船の米国人乗客が、チャーター機で本国に帰らず、日本で治療するという話題があった。
ときを同じくして、わたしのよく見る海外掲示板の翻訳サイトに、これが日本の隔離病棟の食事だなんて記事が出ていたっけが。
アメリカに帰りたくないという乗客は、日本の食事にひかれたのかもしれない。

クルーズ船に乗るのは金持ちばかりだから、食事ぐらいでという人がいるかもしれないけど、彼らだって帰国すれば、しばらくは隔離病棟に押し込まれて、食事に贅沢いえなくなる。
このさいモノをいうのは、あくまで病院の食事だ。
同じ隔離されるなら、治るまで食事の上等な日本のほうがいいし、なんならサクラの季節まで入院して、花見をして帰ろうというアメリカ人がいても不思議じゃない。
と、わたしが考えることも不思議じゃない。

やっぱり和食がミシュランを獲得しているのはダテじゃないようだ。

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2020年2月16日 (日)

中国の娘

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この子はだーれ、だれでしょね。
なんなんなつめの花の下・・・・

いつのまにかわたしのもうひとつのブログが見られなくなっちゃって、原因は最近絶不調の孫正義サンが、ヤフーのブログを廃止しちゃったせいだけど、ま、そちらに載せていた中国紀行記はもう役割を終えたようなもので、最近はぜんぜん更新をしてないから、わたしもあまり未練はない。
でもそちらの紀行記に載せていた、たとえばこの女の子の写真が見られなくなるのは悲しい(でしょ・・・・ ですといって!)。

仕事をリタイヤしたすぐあと、ブログのひとつが整理だなんて、これもなにかの縁かもしれないから、今度は現在進行形のこっちのブログで、たまに中国の思い出をなぞっていくことにする。
わたしの人生に、もし輝いた瞬間があるとしたら、若いころの中国の旅しかないのだから。

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ところでこの女の子は、中国の西域、新彊ウイグル自治区にあるクチャという街で、遺跡の説明係をしていた漢族の娘だ。
遺跡というのは砂漠のまん中にあるキジル千仏洞のことで、漢族というのはいま世界中からきらわれているきっすいの中国人のこと。
漢族の娘がどうしてこんな辺境で仕事してんのとおどろいたけど、出身地を尋ねたら、なんと東北の黒竜江省(かっての満州)だというので、さらにおどろいた。

その後、だんだんにわかってくるけど、新疆で働く漢族の数はひじょうに多い。
これは占領した土地に自国民を送り込んで、占領を確固たるものにしようという国の方針かもしれず、だとしたら侵略だなんて騒ぐ人がいるかもしれないけれど、列車のなかでは逆に、北京に出稼ぎに行ってきたというウイグル人の踊り子に出会ったこともある。
わたしは大陸の人たちの行動範囲の広さに、どぎもを抜かれたというのが正直なところだった。

思い出をなぞるといっても、そのままでは内容がいちど書いたものと重複してしまうだけだから、可能なかぎり、わたしが行った土地の現在の状況を交えよう。
わたしがクチャという街に行ったのは西暦2000年のことだから、それからすでに20年が経過した。
発展いちじるしい中国のこと、新疆も大幅に景色が変わったのではないか。

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気になるのは、わたしがクチャを訪問したあと、2007年に新疆でウイグル人の大規模な暴動があったこと。
あの娘もゴタゴタにまきこまれて、首でも切断されていやしないかと心配になり、その後のキジル千仏洞について調べてみた。
ネットで見つけたこの写真は
2010815日のもので、日本人の坊さんをまじえて、ウイグル人たちも笑顔を浮かべているから、それほどひどい事件はなかったようだ。
安心して、ときどき思い出をなぞることにする。

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2020年2月15日 (土)

憶測

コロナウイルスに隠れてあまり話題にならないけど、北朝鮮の正恩クンがここしばらく消息不明というニュースがあったな。
彼は太っているから、成人病で入院しちゃっているとか、もう死んでいるんじゃないかとか、いろいろ憶測を呼んでいるらしい。

わたしはいま風呂場で「史記」を読んでいたところ。
秦の始皇帝が死んだとき、部下たちはその死を秘匿したそうだ。
つまり偉大すぎる親分にいきなり死なれると、あとつぎやらをめぐって国が大混乱に陥ってしまう。
それを防ぐためにとりあえず時間を稼ごうというわけ。

考えてみると、いまの北にも同じ事情がありそう。
経済制裁にコロナのダブルパンチをくらって、息も絶え絶えのとき、いきなり(偉大すぎるかどうかわからんけど)親分が死んだということになると、あの国はいっきに崩壊するかもしれない。
それを防ぐために子分たちが、後継選びやソフトランディングに、ガン首そろえて対応を練っていてもおかしくない。

生きてるのか死んでるのか、やるならやるで早くやってくれないと、こっちもあとがないんだけどねえ。
始皇帝の時代から連綿と続く古式ゆかしい易姓改革を、生きているうちにぜひ見たいと念願してるんだけど。

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2020年2月14日 (金)

原因は

世間はコロナ一色で、これは政府のせいではないし、おかげでほかの問題がぜんぶはじっこに押しやられ、ウチの新聞(朝日)を読んでも胸クソがわるくなることもない。
コロナについても、ひきこもり状態で、十分な休憩と栄養をとっているわたしには縁がなさそう。
おかげで今日の話題も他人行儀で無責任なものだ。

カンボジアではクルーズ船が寄港を認められ、乗客は解放されてそれぞれの国に帰ったそうである。
ベトナムやタイでも患者が出てるってのに、これはまた鷹揚な。
ネットをみてもこの件を危惧する意見があふれている。
ようするにカンボジアに患者が出ていないのは、あの国の医療設備がコロナを検出するのに不十分なものなんじゃないのか。
世界中が不安に駆られているクルーズ船を解放したというのは、世界中にコロナをばらまいているってことじゃないのか。
この先、コロナが燎原の火のごとく地球を覆うとしたら、原因は中国ではなくカンボジアじゃないのかって。

そういうことだけど、最近のわたしはまた生きるのがメンドくさくなっているところなので、コロナよ、くるなら来いって感じ。
年金老人はさっさと死んだほうが、世のため人のためみたいだし。

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2020年2月13日 (木)

暖かい日

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あったかいねえ。
今年はクマも冬眠しないのがいるらしい。
おきていると腹がへるから寝ていたほうがいいと思うんだけど。
わたしみたいに。

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福寿草はこの時期の恒例の写真だ。
ウメももう満開になっちゃうし、ウレしいようなコワイような。

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2020年2月12日 (水)

田舎の京劇

コロナのおかげで自室に幽囚状態の、中国人の知り合いが不憫である。
そこでヒマつぶしに観たらどうだと、わたしの知っている中国映画を何本か紹介してやった。
中国ではわりあい気前よくネットで映画が観られ、紹介した映画もほとんどネットで公開されているのである。
日本からでも観られるけど、日本語の字幕はついてないから、それなりの覚悟は必要だ。

中国人に中国の映画を紹介するってのもいい根性である。
じつはわたしがいかに中国映画にも造詣が深いかという、わたしの知識をひけらかす意味もあったというのが本音。

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そんな一本に、陳凱歌監督の「覇王別姫(ハオウベッキ)」があった。
ついでというかなんというか、わたしの中国旅行をつづったヤフー・ブログが、孫正義サンの都合で勝手に終了して見られなくなってしまったので、公開できずにいたちょっと変わった写真も紹介してしまおうと思う。

「覇王別姫」が製作されたのは1993年で、これは改革開放政策が軌道に乗ったころだ。
ということは、わたしが中国へ通い始めたばかりのころである。
映画は3時間ちかい大作で、傑作といっていいものだけど、内容は男同士の愛情(友情ではない)を描いたものなので、そういう世界に興味のないわたしにはなんとも批評しにくい映画だ。
最近、世間ではこういうのもブームらしくって、いつだったか、夜中にテレビを点けたら、NHKでも男同士が濃厚なキッスシーンを繰り広げていた。
え、おい、天下の公器が。

映画のはじめのほうに指が6本ある男の子が出てくる。
めずらしくない。
むかし、わたしが乗った香港のタクシー運転手にもそういう人がいた。
公害や枯葉剤の影響かもしれないけど、戦乱や内乱に明け暮れた中国では、彼もまたあたふたと大陸を脱出するのに忙しく、手術する機会もないまま大人になってしまったのだろう。

じつは日本でも病院で出産があると、医師はまず新生児の指の数をかぞえるそうである。
余計な指や、お尻に尻尾がはえていた場合、生まれてすぐに切断してしまうから公けにならないだけで、そういう子供は一定数いるらしい。

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映画の話にもどるけど、この男の子は母親によぶんな指を切断されたあと、京劇の劇団に役者のたまごとして売られてしまう。
いまでこそ役者といえば花形だけど、当時の中国では食い扶持を減らすための方便にしかすぎず、同じような悲惨な境遇の子供を描いた映画では、「變臉 この櫂に手をそえて」という秀作があった。
今はそんなことはないと思うけど、こういう映画で過去にさかのぼってみるかぎり、芸をしこまれる子供の境遇は、サルやイヌとたいして変わらなかったようだ。

わたしは上海で雑技団のサーカスを見たことがある。
小さな子供が椅子を
7つも8つも重ねたうえで逆立ちするのに度肝を抜かれたけど、あれも、できなきゃ晩メシは食わせないという、非人間的な訓練のたまものだったかもしれない。
そういう子供が日本の、ピアノやバレエを習わせられるような、幸せな家庭の子供だったとは思えないのである。

1999年にわたしが鄭州という街に行ったとき、郊外で野原に天幕をはったお粗末な京劇の舞台を見た。
めずらしい写真というのはこれで、日本の田舎芝居みたいにおおらかで、けっこう人気のあるもののようだった。
急速に発展する中国では、田舎芝居も廃れゆく運命だろうけど、それでもこっちからは上記のような悲劇性を感じないのはよかった。

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2020年2月11日 (火)

死に方

野球の、そして毒舌が楽しかった野村監督が亡くなったそうだ。
野球に興味のない当方ゆえ、そんなことはいちいちブログに取り上げたくないけど、死因が虚血性心不全というものらしい。
これってわたしの希望する理想の死に方じゃないか。
お風呂に入っているとき、頭がぼうっとなって、あれれと思っているうちもう三途の川だ。

うん、これで行こう、これで。
と思うけど、どうやったらそういう死に方ができるのか。
わたしの場合、大震災にでも遭遇して、落ちてきた梁に足を挟まれて、生きたまま火事で丸焼けになるような予感もします。
なんせバチあたりでは人後に落ちないわたしゆえ。

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2020年2月10日 (月)

アラバマ・ソング

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昨夜のBSプレミアムシアターは「マホゴニー市の興亡」というオペラ。
録画するべきかどうか迷ったので、放映まえにいささか調べてみた。
なんでも娼婦やアル中が入り乱れる、まるっきり現代アメリカみたいな架空の都市を舞台にしたオペラだそうだ。
アメリカが舞台の古典オペラというだけでめずらしいけど、ソドムの市みたいに堕落した人間たちを描いたものらしいので、ある種の期待をいだいて早送りで観た。
なんで早送りかというと、ある種の期待の部分をとりあえず確認したかったから。

たまげたのは出てくる女に美人がいないこと。
男の裸が二ヶ所くらい出てきたけど、いずれも肉のたるんだおっさんであったこと。
そういう登場人物に、カメラをかかえたテレビクルーまで右往左往して、もうなにがなんだかわからないコンテンポラリー・オペラの一種。
あまりのおぞましさに視聴を放棄しようかと思ったけど、じつはもうひとつ確認したいことがあったのだ。

すでに団塊の世代にとって伝説になってしまったロック・グループのドアーズ。
早世したジム・モリソンのことを思うといまでも無念に思うけど、いや、おかげで彼はわたしのこころのうちで神格化されたから、それでもいいかなと思うけど、彼の歌に「アラバマ・ソング」というものがある。
月夜の晩にお月さんを見上げながら独唱すると、なかなかいい調子の歌なので、わたしはカリマンタンに行ったとき、夜のボートの中でひとり口ずさんだことがある。

これってじつはドアーズの歌ではなく、クルト・ワイルというオペラ畑の有名な作曲家が作曲したものだ。
どんな歌か、いちいちオペラを通さずに聴きたければ、ロッテ・レーニヤが歌っている単独のこの歌が YouTube で聴ける(もちろんドアーズの歌も)。
レーニヤさんはクルト・ワイルの奥さんだった人で、どんな顔をしてるかというと、「
007ロシアより愛をこめて」の、靴に匕首をしのばせたコワイおばさんだ。
うん、わたしの知識はとどまるところを知らないな。

「マホゴニー市」こそ、オリジナルのこの「アラバマ・ソング」がうたわれるオペラなのだ。
このオペラとドアーズの歌ではだいぶ雰囲気がちがうけど、おかげでひさしぶりにジム・モリソンを思い出したのはよかった。

あとから追記/正直いってドアーズの歌をじかに聴いたのでは、意味がよくわからなかったけど、アラバマ・ソングは新開地に集結した娼婦たちが、新たに商売を始める場面でうたわれる歌だった。
どおりで女たちが卑猥ですさんだ風体なのも納得。
反体制を売り物にし、反社会的行動をいとわなかったドアーズが、この歌を取り上げたのも当然かもしれない。

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2020年2月 9日 (日)

寒い。

寒い・・・・
体感的には今夜が今年いちばんの寒さかも。
ほかの人はどうなんだろう。
背すじがゾクゾクっとするけど風邪をひいたか。
もしかするとコロナかしら。
くわばらくわばら。

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2020年2月 8日 (土)

ネコの手も

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中国の知り合いとメールのやり取りをしている。
中国でもわたしのブログが見られるのかと訊いてみたら、見られるそうだ。
ただし日本語表記のままだから、日本語がわからなければ意味がわからない。
わたしが相手のメールを翻訳するように、相手もGoogle翻訳を使えばいいんだけど、これがどうも完璧じゃない。
いちいち頭を使って翻訳の補正をしなくちゃいけないとなったら、それでも読みたいと思うかどうか。

最新のメールで、(いまウイルス騒動で外出禁止をくらっているもんだから)退屈をまぎらわすために部屋で映画ばかり見ていると書いてきた。
わたしのブログを読んで、わたしが古い映画に関心があると思ったのか、相手も古いモノクロ映画の「烈火中永生」という映画を持ち出してきた。
戦争映画だから、また日本軍をこてんこてんにやっつける抗日映画かと思ったけど、これは共産軍が国民党から重慶を奪還するというプロパガンダ映画だった。
なんでそういうことがわかるかっていうと、この映画は日本でも
YouTubeで観られるから。
ただし、ぜんぶ中国語で字幕がついてない。
会話のおっかけ翻訳はまだむりということは、このブログで書いたことがある。

それでも映画のおおすじがわかるのは、「烈火中永生」という映画について解説した中国語のサイトがあるからだ。
これならおっかけ翻訳ではないから、そっくり
Googleで翻訳できるのである。
なんだかえらくややこしいことをしているみたいだけど、つまり、わたしがいいたいのは、こんなことをしていると退屈するどころか、わたしの老後はネコの手も借りたいくらい忙しいということなのだ。

ps.プロパガンダばかりでつまらないけど、古い映画だから、背景になっている風物はどこか郷愁を誘われるものがある(添付画像)。

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2020年2月 7日 (金)

舞踏会の手帖

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VHSビデオが全盛のころ、名画であるといううわさを聞いてレンタル店で借りたことのある「舞踏会の手帖」という映画。
あまりおもしろいと思えず、最後まで観なかった記憶があるんだけど、それがデジタル修復版で再放映されたので、今度はじっくり腰をすえて観てみた。
名画であることは始まってすぐにわかった。
いちばん最初に「修復とデジタル化、協力:国立映画センター」という字幕がでる。
名画でなければこんな扱いはしてもらえない。
おかげで戦前(1937年)の映画であるにもかかわらず、古いフィルムにありがちな雨降りもなく、画質はすこぶるいい。

映画の内容は、亭主に死なれた大富豪の妻が、若いころ参加した舞踏会で、彼女にいい寄った男たちを訪ねる(手帳に彼らの住所が記してあった)というもの。
もっか終活中のわたしも、むかしの友人や知人と会っておきたいと考えているところだから、まことに時宜にかなった映画ではないか。
若いときに観ておもしろいと思わなかったのは、わたしがまだ終活なんて心境にほど遠かったせいだろう。

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あのころは楽しかったわーという気持ちは誰でも持っている。
現実はキビシイというのも相場である。
未亡人の彼女が訪ねた最初の男はとっくに亡くなっていて、家には息子のおもかげを追う、気のふれたマザコンみたいな母親がいただけだった。
つぎに訪ねた男は悪徳弁護士になっていて、彼女の目のまえで警察にしょっぴかれていった。
つぎの男は、かって音楽家をこころざしていたはずが、どうやらこの未亡人にふられたのが原因らしいけど、いまでは教会の神父になって、子供たちに神の福音と聖歌を教えるのが生きがいという、世俗を超越した男になっていた。

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つぎの男はもと詩人だったけど、いまでは山岳ガイドになって、雄大な山ふところで山小屋を経営していた。
これなら再婚してもいいかしらと思ったものの、男は遭難救助に駆り出され、彼女をほっぽり出してさっさと出動していってしまった。
ヤケになった未亡人がつぎに訪ねた男は、田舎で町長になっていたけど、召使いに手を出して、その召使いとちょうど結婚式を挙げるところだった。

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夢もロマンもありやしないわと彼女がつぎに訪ねた男は、落ちぶれた堕胎医になっていて、秘密は守りますからさっさと服を脱いでくださいという。
わたしよ、わたし、むかしあなたに口説かれたでしょと、ようやく自分のことを思い出させたものの、前途有望だった彼は、戦場で片目を失い、同棲相手に暴力をふるう男だった。

くじけそうな未亡人が最後に訪ねたのは、美容師になったちょっとお調子者の男で、彼女をもういちど舞踏会に誘ってくれた。
ただし彼女の思い出にある上流階級のハイソな舞踏会ではなく、そのへんの商店の旦那やおかみさんが集う庶民的な舞踏会だった。
みんなが楽しければなんだっていいのよね、ええ、はい、トホホ

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こんなことを書くと、なんだ、コメディかという人がいるかもしれない。
とんでもない、これは立派な文芸作品である。
むかしの舞踏会のあと、男たちにはそれぞれの人生があったはずだけど、それが具体的に描かれることはほとんどなく、たいていの場合、男の告白と、あとはそのまま現在のすがたを見せるだけである。
派手なドンパチがあるわけでもないこんな映画を、いまどき観たがる人がいるとは思わない。
しかしわたしはすてきだと思う。
この映画のヒロインのように、わたしも若いころの思い出のなかをしょっちゅうさまよっているロマンチックな男なのだ。

思い出は甘美なものだけど、冷静に考え、現実に立ち返れば、この映画と同じ結末になることはよくわかる。
もう若くはない男性なら、われとわが身をふりかえって、苦い感慨をいだくか、あるいは苦笑するだろう。
人のこころのうちをのぞかせるもの、それは立派な芸術である。
最近は体の外側の装飾品だけを見せるような映画が多くて困る(とわたしは思ってんのだ)。

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未亡人が幻滅して屋敷に帰ってくると、手帳の最後に書かれていて、消息不明と思っていた男は、じつは近所に住んでいることがわかった。
あまり気がすすまないまま未亡人は彼に会いに行く。
ところが男は亡くなったばかりで、家には彼のおもかげを残す息子がいただけだった。
その息子もまもなく家をたたんで去るという。
この結末がわかりにくい。
ここまでだけでも名画に値することは認めるけど、最後のオチが不明瞭で未練が残る。
「舞踏会の手帖」はそういう映画だった。

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2020年2月 6日 (木)

保守寄りサイト

ヒマなときはネット三昧ということが多い。
わたしが政治や国際情勢を知るためによく観るWebサイトは、「海外の万国反応記」、「カイカイ反応通信」、「パンドラの憂鬱」、「News U.S.」なんてところで、考えてみるとみんな保守寄りのサイトばかりだ。

保守寄りという表現が正しいかどうかわからないけど、どっちかというと政府自民党を支持し、野党に反感を持つところばかりなのである。
べつに保守寄りのサイトだけを探しているわけじゃない。
ネットを閲覧していてたまたま見つけ、これはおもしろいとか、ためになるというので見続けているものが、たまたま右寄りということだ。

ところで、リベラルという言い方が正しいかどうか、これもちょっと疑問だけど、朝日新聞や赤旗の肩をもつ日本のサイトを見たことがない。
もちろんその新聞社のサイトであれば、当然リベラル系のサイトであるけれど、一般のサイトで左寄りというのがあまりないのである。

日本は自由な表現の許されている国で、少なくともネットの規制については、まだ政府の方針もはっきり定まっていない。
定まらないうちに、いいたいことがあれば、左右の肩をもつサイト同士が伯仲した議論を闘わせてほしいものだ。

今日のウチの新聞を見ると、とっくに冬だというのに、まだあいかわらず桜を見る会がどうしたこうしたと騒いでいる。
リベラルってのはその程度の話題にしがみつくしか脳がないのか。
これじゃあ最初から戦意消失ってのも納得できてしまいます。

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2020年2月 5日 (水)

今日の新聞

今朝のウチの新聞のオピニオン面に、ハンセン病、医師の悔恨という記事。
多摩全生園という、ハンセン病患者の収容施設で働いていた医師の、どうしてもっと早くこの病気の迷信を打破するために活動しなかったかという反省の弁である。

わたしはむかしこの施設のまえを車で何度も通ったことがある。
塀ごしに見る施設は、存在自体がなにやら怖ろしさを感じさせるところだった。
わたしもこの病気が迷信におおわれていた時代、それに毒されていた罪深い人間のひとりだったのである。

この医師らの、おそまきながらの活動で、今では迷信は完全に払拭された。
ところが記事中にもあるけど、ほんとうは施設がなくなるのがコワかったんでしょうと、朝日新聞の記者が医師を責めたそうである。
ひとりの医師の力には限界がある。
迷信やフェイクの打破こそ、本来ならマスコミが先頭に立ってやらねばならぬ仕事だったはず。
あいかわらず新聞社というのは、世間を騒がすのが商売の、気楽な仕事だなと思ってしまう。

いまだからこそ、いろんな人がいろんなことをいう。
患者さんたちのことを思うと、わたしもいたたまれない気分になるけど、少なくとも事態は好転した。
強制的に施設に押し込められた人たちが、同じ病気でまた同じ目に遭うことはもうないだろう。
ハンセン病は過去に押しやって、歴史の教訓はさっさとべつの方向に向けられるべきだ。

こんなことを考えたのは、今日の1面トップが「武漢の病院、ベッドない」というのが大見出しだからだ。
そんなに大騒ぎするような状況なのかと記事を読んでみたら、ベッドがないせいで、武漢の女性が病院から入院を断られたという。
うーむ、年寄りにそんなことをするなんてひどいじゃないかと、さらに見たら、この女性は30代だった。
ふざけるな!
30
代の女性がコロナで死ぬか。
この女性の場合も、死んだのかと思ったら、文句をいいつつ、まだ生きているらしい。

いま中国で死者は425人だそうだ。
多いとか少ないとかいう問題じゃないかもしれないけど、14億の国民のうちの
425人といわれると、これはおそらく体の衰弱している年寄りか、日ごろロクなものを食ってない貧乏人にちがいない。
ふつうに健康な人間がコロナコロナと騒ぐのは、無知から生ずるプラセボ効果じゃないか。
つまりまわりが騒ぐと、つい自分もほんとうに病気だと思ってしまうやつ。
こういう人間に薬はもったいない。
ご飯ツブでも丸めて飲ましとけ。

こんなときこそ、日本のマスコミは総力をあげて、交通事故のほうが大変だと思ってますと、かの国の混乱に水をさし、かの国の人民を啓蒙する発言をしてもらいたい。
そうしないと朝日新聞は、全生園の轍を踏むことになります。

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2020年2月 4日 (火)

読後感バレエ・リュス

「バレエ・リュス/その魅力のすべて」という本、いちおう読み終わって返却したけど、わたしの関心をひくことがらが多く、なかなかおもしろい本だった。
とはいうものの、登場する人物については、ニジンスキーと彼の恋人だったディアギレフ以外には、アンナ・パブロワとジョージ・バランシンを知っていたくらい。
なにしろバレエ・リュスが活動したのが戦前の話で、わたしの両親すら生まれていたかどうかというむかしのことなのだ。

そういうわけでまたタブレットを手元に置き、わからないことはグーグルやウィキペディアを参考にしながら読んだ。
調べながら読むのは楽しい。
本のなかにアリシア・マルコワというダンサーの名前が出てきた。
聞いたことがない名前だけど、試しにウィキペディアに当たってみたら、彼女は英国ロイヤルバレエ団の創始者であることがわかった。
バレエ・リュスに参加していたころはまだ15歳の新進バレリーナだったそうだ。
彼女はじつは、リリアン・マークスという名前の英国人なんだけど、それがどうしてロシアふうな名前を持つに至ったのか、ウィキペディアを併せて読むとちゃんとわかるのだ。

しかしこの本でいちばん肝心な人物は、バレエ・リュスの主催者であり、プロデューサーでもあったセルゲイ・ディアギレフだろう。
彼が革新的なバレエ団をとどこおりなく運営したこと、才能ある新人を発掘するのに異常な才能を示したこと、また金策に駆けまわったことなどを知ると、この小太りのプロデューサーがいなかったら、バレエ団そのものの存在もなかったであろうこともよくわかるのである。

バレエ・リュスの活動も興味深いものだったけど、こういう裏の事情を知るのがまた楽しい。
しかしすでに世間から十二分に評価されているものについて、わたしに書けるのはこのくらい。
それより読んでいてふと感じたことを。

バレエ・リュスの舞台は、音楽や舞台美術、批評や宣伝ポスターなどにしても、新進気鋭の作曲家や振付師、文人、画家を動員した斬新なものだった。
関わった画家だけでも、ルオー、マティス、ピカソ、ブラック、ミロ、キリコ、ローランサン、ユトリロ、そして前に書いたように、わたしがロシアで知ったばかりのナタリヤ・ゴンチャロワさんなど、そうそうとした顔ぶれがならぶ。

ルネッサンスや印象派革命のように、芸術というものは、いろんな分野を巻き込んで大きなムーヴメントになることがよくある。
わたしが体験したものでは、ビートルズが登場したあとの70年代がそうだった。
あのころも音楽だけではなく、文学や絵画、映画、マンガから出版業界まで、新しいものがつぎつぎと現れた時代だった。
歴史というほど古くないから気がつかないかもしれないけど、ホント、わたしは不思議な時代に遭遇したものだなとしみじみ思ってしまう。
波乱のないおだやかな時代のように見えても、わたしが生きたのはけっして平凡な時代ではなかったのである。

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2020年2月 3日 (月)

2月3日

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テレビがついに壊れた。
でもこれはすでに書いたのでブログネタにはなりそうもないし、修理屋さんも迅速に来てくれるそうなので、あしたのいまごろはまた問題なく観られているようだ。
サービスセンターに電話したとき、修理代は、最高の場合4万なんぼの覚悟をしておいて下さいだって。
このテレビって、新品で買ったときの値段が4万なんぼだったんだけど。

どうも年寄りになるとめちゃくちゃムシられるみたいだな。

ひさしぶりにわたしのもうひとつのブログをのぞいてみたら、ヤフーブログは廃止になりましただって。
知らなかったわたしがわるいけど、渾身の力をこめて書いた中国紀行が、添付した写真もろともどこかへ消滅したらしい。
ひょっとすると、最近失敗続きの孫(正義)さんかヤケになってしまったとか。
んなことないだろうけど、来月からもう請求書も止めてくれるんだろうなあ。

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あんまり暖かいので、もう満開になっている梅もある、2月3日の午後。

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医療費

ロシア人のユーチューバー、ユーリャさんが日本の医療システムについて文句を言っている。
本人は必要ないと思っているのに、日本の医者は薬をあまりにもたくさん出しすぎるというのだ。
これは日本人のあいだでもよく問題になることなので、わたしが代わって美しいユーリャさんに説明してあげよう。

じつはわたしも血圧が高いそうで、仕方がないから月にいちどは病院に行く。
わたし自身は、もう10年以上も血圧の高止まりが続いていて、それでも最近まで薬とまったく無縁な生活を続けていたのだから、近代医療のいいかげんさの生き証人みたいなものだ。

病院に行くと、わたしの場合血圧だけだからそれほどもないけど、1カ月分の薬をくれる。
もちろんタダではなく、個人負担である。
年金生活者としては安くない。
でも、考えてみよう。

医者というものは、その気になればいくらでも稼げるものである。
なにしろ人間の命をにぎっているわけだから、命の惜しい人間にいくらふっかけようが相手は逆らうわけにいかない。
現にアメリカあたりでは、医者が保険会社、製薬業界などと結託して思いきり儲けている。
日本ではそういうことができないように、法律が医者をがんじがらめに縛っている。
縛られた医者としては、合法的に儲けようと思ったら薬を乱発するのがいちばん手っ取り早い。

ケシカランという人もいるだろう。
しかし医者だって商売なのだから儲けがなければやっていけない。
ましてその地位にのぼりつめるためには、出費も大きいのだ。
そういう点を理解したうえで、うーんと考えてみよう。

病院や医者がこの世に存在しなかったら、困るのはだれだろう。
腹が立つだろうけど、国民皆保険や高度の医療設備のある日本の医療費はまだ安いほうだ。
どうしても要らないという人は、わたしみたいにもらった薬の大半を捨ててしまえばいいだけだ。
一見ムダに見えても、みんなが幸福になるための必要経費だと思えばよろしい。
お寺の坊さんなども不合理のきわみといっていい職業だけど、それを必要とする人は確実にいる。
だいたい、墓なんかいらねえといえる人はいても、医者なんかいらねえといえる人が、イマスカ?

だから美しくて聡明なユーリャさんも、日本のそういう事情を察してほしかった。
ま、あまり極端な場合は、医者を選ぶ権利は患者のほうにあるわけだしね。

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2020年2月 2日 (日)

コウモリ

Kk

中国の知り合いと連絡がとれた。
てっきり中国政府がウイルスの拡散を怖れて、ネットを遮断したのではないかと思ったけど、いくらなんでもメールでコロナウイルスは伝染しないよな。

知り合いが住んでいるのは蘭州というところで、武漢からは東京〜鹿児島以上に離れているのに、それでも外出禁止令が出て、娯楽施設やプールまで閉鎖だそうだ。
中国政府もウイルス撲滅のために血まなこになっているらしい。
あちらでも原因は中国人の食生活にあると考えられているようで、市場で売られているコウモリが原因だろうという。

蝙蝠这道菜叫华菊头蝠是武汉海鲜市场的招牌菜叫《福寿汤》而这个就是瘟疫的源头。
知り合いにいわせると、武漢の市場ではキクガシラコウモリが「福寿スープ」という名物料理になっているそうだ。
検索してみたら美女がコウモリにかぶりついている写真がぞろぞろ。
おえっ(画像はキクガシラコウモリだぞお)。

沖縄に行くと、市場で並べてある海鮮のなかから、好きなものをその場で調理してもらえる。
しかし日本ではベテランの調理師がさばくのに対し、中国ではしろうとに毛の生えたような調理師がたくさんいるし、調理場もあまり清潔でない場合が多い。
今回の事件に懲りて、これから中国政府は生鮮市場の大改革を目指すかもしれないけど、人間の食文化は一朝一夕に変わらないからなあ。
相手が哺乳類の場合は、せめてカワイソウという気持ちを持ってくれるといいんだけど。
コウモリってえげつない顔をしていても、きわめておとなしいマジメな動物なんですヨ。

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2020年2月 1日 (土)

コロナ・ウイルス

なんだ、いったい。
ネットを閲覧していると、どこもかしこもコロナ・ウイルス一色だ。
日本がそれほどの騒ぎになってないのは、日本人にはむかしから、お上に任せておけば間違いがないという信頼関係があるせいだろう。
そういうものが欠如している中国や韓国では、民衆が役人や医師のむなぐらをつかむという騒ぎになっているらしい。

海外の万国反応記」に、無知がもたらすその狂騒曲の滑稽なありさまが載っている。

日本でひきこもりなんかしていると実態がよくわからないんだけど、この騒動のおかげで中国の知り合いとの連絡がとれなくなってしまった。
中国では国外との連絡をいっさい遮断する気でいるらしいから、これだけみても事態はそうとう深刻らしい。
メールも届かないって迷惑だよな。
コロナ・ウイルスってネットを通じても伝染するのかしら。

それはともかく、これはひとつの壮大な実験になるかも。
現在は人々の交流が活発で、地球はかってないほどせまくなり、ウイルスも容易に拡散する時代だけど、はたして人類はそれを最初に発生した国だけで抑え込めるのかどうか。
インターネットが普及して、ろくでもない噂があっという間に拡散する反面、国境を超えた協力体制のもとで、押さえ込みが成功すれば、人類もまだまだ見どころがある。

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