舞踏会の手帖
VHSビデオが全盛のころ、名画であるといううわさを聞いてレンタル店で借りたことのある「舞踏会の手帖」という映画。
あまりおもしろいと思えず、最後まで観なかった記憶があるんだけど、それがデジタル修復版で再放映されたので、今度はじっくり腰をすえて観てみた。
名画であることは始まってすぐにわかった。
いちばん最初に「修復とデジタル化、協力:国立映画センター」という字幕がでる。
名画でなければこんな扱いはしてもらえない。
おかげで戦前(1937年)の映画であるにもかかわらず、古いフィルムにありがちな雨降りもなく、画質はすこぶるいい。
映画の内容は、亭主に死なれた大富豪の妻が、若いころ参加した舞踏会で、彼女にいい寄った男たちを訪ねる(手帳に彼らの住所が記してあった)というもの。
もっか終活中のわたしも、むかしの友人や知人と会っておきたいと考えているところだから、まことに時宜にかなった映画ではないか。
若いときに観ておもしろいと思わなかったのは、わたしがまだ終活なんて心境にほど遠かったせいだろう。
あのころは楽しかったわーという気持ちは誰でも持っている。
現実はキビシイというのも相場である。
未亡人の彼女が訪ねた最初の男はとっくに亡くなっていて、家には息子のおもかげを追う、気のふれたマザコンみたいな母親がいただけだった。
つぎに訪ねた男は悪徳弁護士になっていて、彼女の目のまえで警察にしょっぴかれていった。
つぎの男は、かって音楽家をこころざしていたはずが、どうやらこの未亡人にふられたのが原因らしいけど、いまでは教会の神父になって、子供たちに神の福音と聖歌を教えるのが生きがいという、世俗を超越した男になっていた。
つぎの男はもと詩人だったけど、いまでは山岳ガイドになって、雄大な山ふところで山小屋を経営していた。
これなら再婚してもいいかしらと思ったものの、男は遭難救助に駆り出され、彼女をほっぽり出してさっさと出動していってしまった。
ヤケになった未亡人がつぎに訪ねた男は、田舎で町長になっていたけど、召使いに手を出して、その召使いとちょうど結婚式を挙げるところだった。
夢もロマンもありやしないわと彼女がつぎに訪ねた男は、落ちぶれた堕胎医になっていて、秘密は守りますからさっさと服を脱いでくださいという。
わたしよ、わたし、むかしあなたに口説かれたでしょと、ようやく自分のことを思い出させたものの、前途有望だった彼は、戦場で片目を失い、同棲相手に暴力をふるう男だった。
くじけそうな未亡人が最後に訪ねたのは、美容師になったちょっとお調子者の男で、彼女をもういちど舞踏会に誘ってくれた。
ただし彼女の思い出にある上流階級のハイソな舞踏会ではなく、そのへんの商店の旦那やおかみさんが集う庶民的な舞踏会だった。
みんなが楽しければなんだっていいのよね、ええ、はい、トホホ
こんなことを書くと、なんだ、コメディかという人がいるかもしれない。
とんでもない、これは立派な文芸作品である。
むかしの舞踏会のあと、男たちにはそれぞれの人生があったはずだけど、それが具体的に描かれることはほとんどなく、たいていの場合、男の告白と、あとはそのまま現在のすがたを見せるだけである。
派手なドンパチがあるわけでもないこんな映画を、いまどき観たがる人がいるとは思わない。
しかしわたしはすてきだと思う。
この映画のヒロインのように、わたしも若いころの思い出のなかをしょっちゅうさまよっているロマンチックな男なのだ。
思い出は甘美なものだけど、冷静に考え、現実に立ち返れば、この映画と同じ結末になることはよくわかる。
もう若くはない男性なら、われとわが身をふりかえって、苦い感慨をいだくか、あるいは苦笑するだろう。
人のこころのうちをのぞかせるもの、それは立派な芸術である。
最近は体の外側の装飾品だけを見せるような映画が多くて困る(とわたしは思ってんのだ)。
未亡人が幻滅して屋敷に帰ってくると、手帳の最後に書かれていて、消息不明と思っていた男は、じつは近所に住んでいることがわかった。
あまり気がすすまないまま未亡人は彼に会いに行く。
ところが男は亡くなったばかりで、家には彼のおもかげを残す息子がいただけだった。
その息子もまもなく家をたたんで去るという。
この結末がわかりにくい。
ここまでだけでも名画に値することは認めるけど、最後のオチが不明瞭で未練が残る。
「舞踏会の手帖」はそういう映画だった。
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