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2020年2月16日 (日)

中国の娘

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この子はだーれ、だれでしょね。
なんなんなつめの花の下・・・・

いつのまにかわたしのもうひとつのブログが見られなくなっちゃって、原因は最近絶不調の孫正義サンが、ヤフーのブログを廃止しちゃったせいだけど、ま、そちらに載せていた中国紀行記はもう役割を終えたようなもので、最近はぜんぜん更新をしてないから、わたしもあまり未練はない。
でもそちらの紀行記に載せていた、たとえばこの女の子の写真が見られなくなるのは悲しい(でしょ・・・・ ですといって!)。

仕事をリタイヤしたすぐあと、ブログのひとつが整理だなんて、これもなにかの縁かもしれないから、今度は現在進行形のこっちのブログで、たまに中国の思い出をなぞっていくことにする。
わたしの人生に、もし輝いた瞬間があるとしたら、若いころの中国の旅しかないのだから。

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ところでこの女の子は、中国の西域、新彊ウイグル自治区にあるクチャという街で、遺跡の説明係をしていた漢族の娘だ。
遺跡というのは砂漠のまん中にあるキジル千仏洞のことで、漢族というのはいま世界中からきらわれているきっすいの中国人のこと。
漢族の娘がどうしてこんな辺境で仕事してんのとおどろいたけど、出身地を尋ねたら、なんと東北の黒竜江省(かっての満州)だというので、さらにおどろいた。

その後、だんだんにわかってくるけど、新疆で働く漢族の数はひじょうに多い。
これは占領した土地に自国民を送り込んで、占領を確固たるものにしようという国の方針かもしれず、だとしたら侵略だなんて騒ぐ人がいるかもしれないけれど、列車のなかでは逆に、北京に出稼ぎに行ってきたというウイグル人の踊り子に出会ったこともある。
わたしは大陸の人たちの行動範囲の広さに、どぎもを抜かれたというのが正直なところだった。

思い出をなぞるといっても、そのままでは内容がいちど書いたものと重複してしまうだけだから、可能なかぎり、わたしが行った土地の現在の状況を交えよう。
わたしがクチャという街に行ったのは西暦2000年のことだから、それからすでに20年が経過した。
発展いちじるしい中国のこと、新疆も大幅に景色が変わったのではないか。

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気になるのは、わたしがクチャを訪問したあと、2007年に新疆でウイグル人の大規模な暴動があったこと。
あの娘もゴタゴタにまきこまれて、首でも切断されていやしないかと心配になり、その後のキジル千仏洞について調べてみた。
ネットで見つけたこの写真は
2010815日のもので、日本人の坊さんをまじえて、ウイグル人たちも笑顔を浮かべているから、それほどひどい事件はなかったようだ。
安心して、ときどき思い出をなぞることにする。

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