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2020年3月

2020年3月31日 (火)

今日は・・・・

録画しておいた「日の名残り」という映画を観て、ひさしぶりにじっくりと観られるいい映画・・・・と感心していたら、ロシア語のメールが来た。
なんの、ロシア語だろうと中国語だろうと、最近のわたしが怖れるモンじゃないけど、さらに加えて、東南アジア最大の個人経営の独立系ホテル(わたしの親戚じゃない)というところから英文の案内も届いた。
ヒマだからそのすべてをGoogle翻訳で訳しているんだけど、おかげでブログの更新ができない。
明日は引っ越し先に電気・ガス・水道が開通する日なので、立ち会わなければいけないのに、天気はよくないらしい。
雨が降ったら電車バスを乗り継いで行くしかない。
今日は早く寝よう。

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2020年3月30日 (月)

金三胖さま

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北朝鮮と中国は血の同盟であるなんてことをいう (いってるのはもっぱら北だけで、それも困ったときだけみたいだけど)。

わたしはいま中国の知り合いとメールをやりとりしているところである。
メールの中で史記に登場する呂太后を引き合いに出して、中国の女性はコワイと書いてやった。
相手は反論してきて、北の金三胖のほうがコワイですという。
金三胖って聞いたことがないけど、機関銃で親族まで殺したという文脈からして、これは金正恩クンのことらしい。
胖というのはデブっていう意味だから、金王朝三代目のデブとでもいうのだろうか。

意味はともかく、親分同士は血の同盟のつもりでも、一般庶民のあいだでは、やっぱりあのデブが通用しているらしい。
やっぱりグローバル化だよな。
裸の王様だけがなにも知らないものなのだ。

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2020年3月29日 (日)

雪と桜

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わあー、雪だぁってわけで、カメラを持って飛び出す。
ウメに雪ならめずらしくないけど、サクラに雪はめずらしい。
この貴重な景色を、溶けてしまうまで、むなしく眺めてはいられない。
で、また写真をずらずらと並べる。
いまの部屋で見られる最後の春なのだ。

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気のドクな逃亡者

朝おきたら雪が降っていたよ。
そのわりには、部屋にいると体がほてって、あまり寒さを感じないね。
コロナかしら。
とすれば、潜伏期間が14日として、2週間後にはわたしもお陀仏か。

そんなことはどうでもいいけど、ついにアメリカのコロナ感染者が世界一になったそうだ。
考えてみればこれは当然のことだ。
ちょっとまえにアメリカの病院から患者が逃げ出したって事件があって、しようがねえなあ、アメリカはと思ったもんだけど、いやこれって、患者にとってはウイルスより切実な問題だったかもしれない。
日本とちがって国民健康保険のないあの国では、入院が長引けば、それこそ治療費だけで全財産を失いかねない。

アメリカには貧しくて病院にも行けない人たちがたくさんいる。
そういう人たちは、ギリギリになるまで病院に行こうとしないだろうから、これでは死者が増えるのは当然じゃないか。
このままいくと、貧乏人はウイルスで死に絶え、アメリカはほんとうに金持ちだけの国になってしまいそう。
金持ちばっかりじゃ国は成り立たない。
王様がいくら雁首をそろえても王国が成立するわけじゃない。
捕まって病院にひきもどされた哀れな患者が、国民皆保険を法制化するきっかけになってくれりゃいいんだけど。

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2020年3月28日 (土)

通信環境

近々引っ越しをするのでいろいろと多忙だ。
多忙の原因のひとつに、新しい住まいのネット環境を整えるってことかある。
引っ越し代が安くなりますというので、そのあたりは引っ越し屋を通じた代理店にまかせることにした。
するとこれまで利用していたケーブルテレビが割って入ってきて、新しい住まいでも契約を継続してほしいものだから、あれやこれやとオイシそうなことをいう。

わかりましたと聞き置いて、代理店にもういちど電話する。
アンタんところで紹介してくれる通信会社ってどんなところがあるのと訊くと、A社とB社とC社ですという。
どれも世間じゃよく知られた会社だから文句をいう理由はないけれど、このうちA社は社長がワンマンで、そのうちつぶれるかもしれないからペケ。

残りの2社のうち、どっちが有利だろう。
最近は通信会社も代理店も雨後の筍のように乱立して、そこにさらにケーブルテレビも加わって、そのどれもがオイシそうなことを並べる。
これでは研究すればするほどわからなくなる。
それでえいっと割り切った。

名の知れた通信会社にまかせておけば、基本的にはどれもいっしょ、最初が安ければあとの支払いが高い、あとの支払いが安ければ契約時の料金が高い。
よくこっちの代理店は通信会社からキックバックがあるから安いなんてことをいうけれど、キックバックはどこから湧いてくるのか。
その金だって、とうぜん利用者の月々の支払いに含まれており、つまり、最終的には費用のすべてを、利用者のわたしが負担させられることは目に見えている。

そう考えて、もうこまかいサービスなんぞにこだわらないことにした。
考えてみるとケーブルテレビとの契約も、最初はかなりずさんだったのに、文句もいわず、わたしは20年も無難に使いこなしてきたのだ。
しちめんどくさいけど、また新しい通信環境にゼロから取り組もう。

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2020年3月27日 (金)

スキゾイド

ネット掲示板に「スキゾイド」という言葉が出ていた。
なんぞや、それってことでよく読んでみたら、たとえば以下のような特徴をもつ人はスキゾイドであるという。
1・親密な関係を持たない
2・一貫した孤立
3・性への関心が薄い
4・平坦な感情、超然とした態度
5・喜びを感じることが少ない
6・信頼できる人がいない
7・称賛や批判に無関心に見える
要約すると、本心から人間関係に興味がないのがスキゾイドです、だって。

3だけ除けば、なんか全部わたしに当てはまりそうだねえ。
この掲示板のコメントを読むと、世界的にこういうタイプは増えているみたいだ。
しかしこれをひっくり返してみれば、ここに書かれたことは人間にとってぜったい必要なことだろうか。
他人との親密な関係を持たないことはイケナイことだろうか。
パソコンさえあれば、孤立したままでは生きられない理由があるだろうか。

いろいろ並べてあるけど、喜びを感じることが少ないとか、信頼できる人がいないって、そりゃ世間のほうがわるい。
映画にしても音楽にしても、アホらしいものばかりじゃ、喜びを感じろってほうが無理だ。
くだらないテレビのバラエティ番組や、なぜ人気があるのかさっぱりワカラン YouTube 映像を観て、喝采している人を信頼なんかできるものか。
だんだんこっちもエスカレートしてくるけど、高尚なわたしのブログがまったく人気がなく、カバにスイカを食わせるだけの映像が、なんでアクセスを稼ぐのか。

余計なことはさておいて、まわりが世間の慣習やしきたりに従順な常識人ばかりじゃ、そりゃスキゾイドにもなりますワ。
コロナにも動ぜず、自分だけは断じて世間のそういう悪習に染まらんとほざいていれば、わたしのように
平坦で超然としていて、まわりのこと一切に無関心という、筋金入りのスキゾイドになります。

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2020年3月26日 (木)

今日の景色

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オリンピックが延期になったとたんに、地から湧いたか外国から飛行機で来たか、じわじわと増え続けるコロナ、コロナの惨状だけど、ウチの近所の公園なんか普段にましてにぎやか。
会社から自宅待機を命ぜられても、おとなしく家にひっこんじゃいられない、さりとて街は危険だ、他人との距離を保てる公園なら文句はあるまい。
というわけで、平日だっていうのに今日の野川公園は日曜日みたいな人出だった。
若いお父さんお母さんと子供たち、それにいつも見かけないじいさんばあさんのなんと多いこと。
まあ、サクラの季節だし、わたしの近所は知られざるサクラの名所ではあるし、これでもわがままな国民を抱えるアメリカや欧州より控えめなほうだし。

2番目の写真は、タンポポにまじって芝の上に咲いていたスイセン(らしき花)。
庶民のあいだに紛れ込んだどこか高貴なお姫さまみたい。

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残念なのは最後の2枚の写真で、上は同じ場所における2年まえのサクラで、下は現在の同じサクラ。
最近の台風はハンパないというんで、被害が出るまえにばっさりと枝を落とされちゃった。
ここは頭上に枝をさしのべたサクラが、みごとな花のトンネルを作るところだったのに。

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2020年3月24日 (火)

冬の星座

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BSの「コズミック」という番組を録画してみた。
もともと自然科学は好きなほうなんだけど、これまでこの番組にあまり関心がなかったのは、宇宙というとボイジャーやニューホライズンの映像がピークで、わたしはそれを見てしまったし、この先はCGを多用した安っぽいSF映画のような映像を見せられるだけだろうと思っていたから。

それでもほかに観たい番組がないときは、たまには宇宙にも目をやってみようかという気になるものだ。
というわけで録画したこのシリーズの最初の番組が、以前このブログに書いた土星探査機カッシーニをめぐるドキュメント。
そのCGがわたしの想像を超える出来だったので、最近はこのシリーズにはまっている。

先日録画したのは「日本星空紀行」、「南半球の夜」というもので、高感度カメラをどかんとすえて、夜空の星を長時間撮っただけのもの。
背景に音楽が流れて、セリフもドラマもないから、癒し系の環境ビデオといっていいかも。

これを見ているうちに、堀内敬三の「冬の星座」という唱歌の歌詞が自然に思い浮かんできた。
もと歌は米国の曲だそうだけど、木枯しとだえてさゆる空よりという、古風な文体の日本語の歌詞は、宇宙の永遠を感じさせるすばらしい作品である(ということにあらためて気がついた)。
この歌を聴いて、宇宙への夢を抱いた小さな子供たちもきっと多いに違いない。

問題はそういう気持ちを、大半のおとなは忘れてしまうことだ。
ありがたいことにわたしは、まだ夜空の星を見上げていた子供のころのことをおぼえている。
「コズミック」という番組によって、なつかしい子供時代を思い出したおとなは、ほかにもたくさんいるんじゃないだろうか。

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2020年3月23日 (月)

引っ越し騒動

引っ越しってのはどのくらいかかるものと、ネットで検索したら、それ以来無数の引っ越し屋から、うちが安いです、うちにはこういうサービスがありますという電話やメールがわさわさ。

その中からひとつ選んだら、引っ越しのついでに、インターネット通信会社との契約も変更してくれるなら、引っ越し代がさらに安くなりますと。
それが、なんと最初の料金の半額だ。
安いにこしたことはないから、まあ、通信会社を変えるにはやぶさかじゃないけど、それを変えるとなると、現在のケーブルテレビとの契約を解約しなければならない。

ケーブルテレビに電話すると、これが例の、ただいま電話が混み合っておりますという録音メッセージで、短気なわたしはイライラ。
ようやくつながったケーブルテレビだって、みすみすわたしみたいな、無頓着で気前のいい顧客を逃したくないわさ。
契約を継続してくれれば、これこれしかじかのメリットかありますとぶちぶち。

ぐらぐらっときたわたしは、また引っ越し業者に電話する。
しかしネット契約の話は、引っ越し業者とタイアップしている代理店の管轄だ。
代理店の電話番号を聞いてかけ直すと、代理店は、そうなると引っ越し業者が提示した、半額になるサービスもチャラですという。
それじゃまたケーブルテレビと相談してみるか、いやいや、引っ越し業者と掛け合うほうがいいか。
いったい全体、なにをどうするのがいちばん安いのか。
なにもわからない年寄りはどこに電話しても丸め込まれてしまいそう。

とにかく早めに準備を始めたからいいようなもの、引っ越しというのはホントに手間がかかる。
上記の手配のあい間に、住所変更、電気・ガス・水道の契約解除、新規の契約と開通申請、金融機関では家賃等の自動振り込みの要請、さらにぼちぼち不用品の整理もしなけりゃならん。
日ごろ怠惰にどっぷりつかっているわたしとしては、今週は盆と正月がいっぺんに来たような忙しさだ。

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2020年3月22日 (日)

啓蟄?

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送別会

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おじさんたちの告別式、もとい送別会。
コロナにも負けずに頑張ってます。

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2020年3月20日 (金)

もう寝ます

知り合いに会うために出かけることにした。
家を出るまえに所用があって、通信会社に電話した。
通信会社では以前契約していた会社と、契約についてこれこれの確認してくれという。
いわれたとおり電話してみたものの、だいたいこういうところというのはいっぺんにつながった例しがない。
ただいま電話が混雑してますってアナウンスが流れて、イライラ。
やっとつながった電話で用件を話すと、それは別の部署の担当ですので、そっちから電話させますだって。
そんなことをいったって、こちとら、これから出かけるところだい。
電話を叩っ切ってあわてて外出する。

いま所用をすませてようやく帰宅したところ。
あちこち走りまわっていいかげんくたびれた。
明日はわたしの送別会だそうだ。
もう寝ます。
ええ、だれにも読んでもらわなくてかまいません。

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2020年3月19日 (木)

思案投げ首

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このご時世だってのに、欧米人てのはバカなのかノーテンキなのか、ウイルス対策のため自宅待機をしろっていうのに、ぜんぜん言うことをきかないらしい。
バーやコンサートホールがぎっしり埋まっているそうだ。
ということが、わたしのよく読む掲示板サイト「海外の万国反応記」に写真つきで出ていたワ。
いい覚悟じゃないか。
ソドムの市も享楽の果てに滅びていったのにね。

でもわたしんとこも他人のことをとやかくいえない。
わたしが仕事をリタイアして引っ越すことになったら、長らく会員だったパソコン同好会から、送別会をやりますだって。
それはまあ嬉しいけど、メンバーの中には過去に肺炎で死にかけたご老体もいるんだぜ。
彼なんか参加すべきかどうか思案なげ首じゃあるまいか。

わたしとしても、わたしの送別会でコロナをこじらせた、わたしが引導を渡したなんていわれたくない。
ここはひとつ、せっかく切磋琢磨してパソコンの勉強をしてきた仲間じゃないか。
スマホやタブレットを利用して、テレビ電話による遠隔送別会ってのは。
無理だよな。
飲みたい一心で集まるのがほとんどだから。

添付したのは今日の花。
ひねくれたわたしゆえ、最近はまともな写真じゃおもしろくないってんで、下から仰ぎみた写真だ。
相手が女子高生や若い娘だったら、痴漢とまちがえられかねないきわどいアングルだ。

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2020年3月18日 (水)

花みっつ

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今日の写真3枚。
どの花の写真を載せようかと迷う季節になってきた。
まずサクラだけど、これは最初の写真のようで、ウチの近所ではもういつつぼみがはじけてもおかしくない状態。

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自然観察園ではニリンソウが咲き始めた。
だれだ、花びらをかじったのは。

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アズマイチゲの花びらにはおしべの影が写っている。
わたしにとって、いまの部屋で見られる最後の花のシーズンだ。

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2020年3月17日 (火)

春のおしたし

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郵便局へ行ったついでに、近くにある地域密着型スーパーで、中トロの刺身を買っていこうと考えた。
ところが行ってみたらシャッターが下りていて、店そのものが無くなっていた。
やれやれ。
駅のまわりや郊外にある大型スーパーに押されて、こういう店が息も絶え絶えになっていたのは知っていたけど、この店にはしばらく立ち寄ってなかったので、廃業したことにぜんぜん気がつかなかった。
もうすぐ引っ越すわたしには、近所の店がつぶれようがどうでもいいことだけど、なんか世の中のすべてが、巨大な歯車に巻き込まれつつあるような気がするね。

刺身のかわり、今日はあらかじめ含むところがあって、剪定バサミを用意していたので、帰りに野川のほとりで菜の花をどっさり摘んできた。
日曜日に摘んでおしたしにした菜の花がけっこう美味しかったので、今度はもっとたくさん作って、冷蔵庫にストックしておこうというのだ。
そんなもの、勝手に摘んでいいのかという人がいるかも知れない。
いいんだ、どうせもうすぐ添付写真(これは去年の写真)のようになって、わたしが食べなきゃ最近は、絶滅危惧種のモンシロチョウの子供でさえ、あまり食べているのを見たことがない。

この季節の菜の花は春の香りがする。
春の香りってどんなものかと聞かれるとちょっと困るけど、つまり、よく刺身のつまについてくるキクの花、あれを食べるとちょっとほろ苦い。
あれよりも若干苦味が奥ゆかしいとでもいうか。

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2020年3月16日 (月)

静かな生活

コロナ騒ぎはいっこうに下火にならないな。
日本で20人、30人が死んだといっても、まだ交通事故の死者数より少なく、若い人の死亡率はさらに低いから、これでは宝くじに当たるようなものではないか。
そういうものにめったに当たったことのないわたしのような若者が、ビビるる必要はぜんぜんないわけだ。

おかげで誰はばかることもなくひきこもりに専念できるのはいいけど、ほかの連中は生きているのか死んでいるのかさっぱりわからない。
わたしの知り合いのなかには、以前肺炎で死にかけた老人もいるのだ。
彼だけじゃない。
わたしの知り合いというと、若い人のほうがめずらしいくらい。

わたしにかぎれば、毎日ブログを更新して安否情報を発信しているから問題ないものの、そういうじいさんたちはいったいどうしているのだろう。
電話でもしてみればいいんだけど、メンドくさいし、向こうからもぜんぜんかかってこないから、ホント、無我の境地。
世間の騒動は、部屋でひとりで焼酎をかたむけるわたしの頭の上を、静かに通り過ぎていくのだ。

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2020年3月15日 (日)

長ナス

今日はぶらぶらと、いつもと反対方向に散歩に行ってみた。
すると野川ぞいに20分も行ったところに、調布卸売センターというものがある。
そういうものがあることは、以前から知識としては知っていたけれど、この中にある農産物直売所に入ってみたのは今日が初めてだった。
店内に入ってみると地方でよく見かける「道の駅」みたいで、値段はけっして直売というほど安くなかったようだけど、いかにも近所の農家の手作りと思わせられる農産物が並んでいた。
もっと早く知っていれば、たまに野菜や漬け物を買いに来たものを。

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そんな農産物のなかに、60センチもある細長いナスがあった。
熊本産とあるから、これってアレじゃないか。
「試してガッテン」かなんかでやっていた、スライスしてそのままサラダのように食べられるナスじゃないか。
野菜ならなんでも好きなわたしのこと、いつか食べてみたいと思っていて、まだ味わったことのない野菜だったのだ(扱いにくいので、写真のものはふたつに切断してある)。

そこでこれをゲット。
帰宅してさっそく生で食べてみた。
ネットにはこのナスを使ったレシピがたくさん出ていたけど、メンドくさい調理はしないのだ。
皮の部分がちと固いものの、身の部分はナスの香りこそすれ、無色透明な味わいで、お醤油をかけるとなかなか美味しい。

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これ以外に、散歩コースのわきに伸び始めた菜の花も摘んできて、家でおひたしにした。
菊を採る東離のもとの陶淵明みたいに、優雅かつ清貧な隠遁生活ではないか。
残念なことは、わたしはあと1カ月もすると、現在のアパートから引っ越してしまうのである。
新しい家でもこんな禅坊主みたいな生活が可能かしら。

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2020年3月14日 (土)

皮肉

朝日新聞が叩かれている。
ある編集委員が今回のウイルス騒動で
「(略)戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」と書いたのがケシカランとのこと。

どうも朝日新聞だから、叩かれているというのが本当のところらしい。
この文章には(略)の部分に、たしか「個人的にいわせると」という文がついていたはず。
こういうのを皮肉というのであって、この程度ならわたしの文章でもしょっちゅうやっている。
わたしも反朝日の急先鋒だけど、皮肉やエスプリを効かせた文章はイケナイといわれているようで困惑してしまう。
どうして皮肉に対して皮肉で返さないのか。
いちいち相手の言葉尻をとらえてストレートに反応してるようじゃ、国会におけるどこかの野党みたいで、表現の自由というもっと大きな問題に抵触するぞ。

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2020年3月13日 (金)

おちつけ

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漬け物を買うために街へ出た。
駅まえのイトーヨーカドーに入ったら、1階フロアになにやら行列だ。
いったいナンダナンダと、くねくね曲がっている行列の先頭で尋ねてみたら、トイレットペーパーの販売だそうだ。
まだやってんのか。
わたしは土曜日に田無のホームセンターに行って、山積みの中からひとパック買ってきたばかりだ。
そんなもの、田無まで行けばいくらでもといいかけて、ふと考えた。
田無のホームセンターは郊外にあって、自家用車がないとちょっと行きにくい。
そして世間には自家用車を持たないじいさんばあさんや、寡婦や独身女性も多いのだ。
並んでいたのはそういう人たちにちがいない。
うーむと考えて、わたしは漬け物と、床屋だけすませて帰ってきた。

それでも日本はましなほうだ。
ネット上の掲示板「海外の万国反応記」には、外国の買いだめ写真が特集してある。
この問題はもう世界中に波及していて、アメリカなんか食料、水、トイレットペーパー以外に、拳銃やライフルも必需品なのだ。
わたしはのんびりしていて、いつも出遅れるし、武力にモノをいわせるのもキライなほうだから、そういう国に生まれなくてホントよかった。

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株が大暴落だそうだけど、そんなものダイコンの親戚だろうってぐらいにしか興味のないわたしには、あまり痛痒が感じられない。
今日も自主的隔離だと、そのつもりでいたら、漬け物を切らしたことに気がついた。
仕方がない。
街へ出て、デパートで野沢菜と白菜の漬け物を仕入れてこよう。
カブの漬け物も好物なので、新しい住まいに引っ越したらまたぬか漬けを始めるつもりだ。

ところでどこまで行ったらストップするのか、このウイルス。
細菌兵器が漏れ出したという説もあるらしいけど、だとしたらまた強力なものを開発してくれたもんだ。
どっこいしょと部屋を出たら、世界が絶滅していたということはないだろうね。

でもいわんこっちゃない。
わたしの知り合いにも年寄りでひとり住まいという人がいるけど、ブログでもしていれば、それだけで安否確認になるのに。

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2020年3月12日 (木)

隔離中

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俳優のトム・ハンクス夫婦がコロナだそうだ。
で、2人そろって旅行先のオーストラリアで隔離されちゃっているらしい。
隔離といっても彼らは金持ちだから、しばらくホテルの別室で過ごせというようなものだろう。

格差社会のアメリカでも、いまのところコロナはえこひいきしてないみたいだけど、なにしろあの国は、貧乏人は保険にも入れない国だ。
うじゃうじゃいるホームレスがこの先どうなるか、国の存亡がかかるのは北朝鮮だけじゃないね。
つい最近まで大統領選挙だって、また大口をたたいていたトランプさんも、ここんとこ影がうすいや。

ところで、わたしも現在隔離中だ。
いや、コロナのせいじゃない。
たとえば、今日もほとんどひきこもりで、これではいかんと散歩をしてきたものの、花の写真を撮るくらいで他人との接触がほとんどない。
公園でベンチに座ったら、どこかのおばさんがとなりに座ったけど、赤の他人だから口を利くのもおっくうで、手をにぎったとかキッスをしたということもない。
彼女とは最接近時でも2メートルははなれていた。
こんな具合で、散歩の往復でだれかと濃密に接触したことはない。

そんな散歩がおもしろいかといわれると、iPod で好きな音楽を聴きながら、ときどき双眼鏡でカワセミなんかを追っかけていたんだから、まんざらつまらなくもない。
散歩を終えて帰宅しても、だれも訪ねてくるわけでもないし、ひとりでもそもそとメシを食い、いまこうやってブログの更新をしている。
おとといからこっち、わたしってずっと自主的隔離中です。

添付したのは、今日のスミレ。

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2020年3月11日 (水)

花の幕開け

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めっちゃ暖かい日。
これじゃ沖縄の初夏並みじゃないか。
3月が沖縄の初夏並みとすると、今年の夏は赤道直下並みか。
ユニクロのヒートテックを脱ぎ捨てたおじさんは、いつものとおり散歩に出る。
この暖かさではたまらない。
あちこちで満を持していた花のつぼみがポンポンとはじけている。
自然観察園ではもうスミレがむらさきの絨毯のようだ。

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こうなると、いつも同じような写真じゃつまらない。
今日はロマンチック・モードでいこう。
上から炸裂する一歩てまえのコブシのつぼみ。
もうこのブログではめずらしくないオオキバナカタバミもソフトフォーカスだ。
最後は、たまたま出会った未成年と、彼におもちゃにされていたイシガメ(侵略的外来種のほうかもしれない)。

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2020年3月10日 (火)

コロナ狂想曲

マスクやトイレットペーパーの買いだめ狂想曲は、とうとう世界中に伝播したみたいで、米国やヨーロッパ、オーストラリアでもスーパーの棚が空っぽだそうだ。
あちらの人は乱暴だから、そのうち取り合いで血を見ることになるな、キット。
アメリカなんか弾薬まで売れ行き好調だっていうし。

マスクがなくても困らないわたしだけど、トイレットペーパーがなくては困る。
でも日本ではその不足は解消されつつあるようだ。

先日の土曜日、たまたま田無の先にあるホームセンターに行ったら、店内にトイペが山積みになっていた。
ふとどきな扇動や、根も葉もないフェイクに動じないつもりのわたしだけど、目の前にあるんだからというわけで、ロール12個入りのパックをひとつ買ってしまった。
これだけあれば、わたしの部屋では半年以上持つのではないか。
まわりを見てもあわてて買いだめしている人もいなかったし、さすが日本は文明国だ。

それはいいけど、マスク不要論のわたしは、どういうわけかバスに乗ると、発車10分後ぐらいにかならず鼻がむずむずして、くしゃみが出たくなる。
それがコロナの咳と間違われそうで、いつも周囲の目が気になるのよね。
我慢しようとするとよけいのどがイガラっぽくなって、水でのどを湿らせればいいんだけど、バスに乗るのにいちいちペットボトルも買えないし。
こういうのも老化現象かしら。
やっぱりマスクしたほうがいいかしら。

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2020年3月 9日 (月)

タフなやつら

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ベランダから見下ろしたら、庭のかたすみに黄色いスイセンと、ピンク色のヒヤシンスが咲いているのが見えた。
スイセンのほうは、階下に住んでいたロシア人の金髪クンが残していったもので、ヒヤシンスはわたしが買ってきて、しばらく部屋のなかに飾っておいたものの、花が終わってしまったので、球根だけを庭に植え替えておいたものだ。
両方とも庭に移されてからもう2年以上経つんだけど、なかなかしぶとく毎年花をつける。

そういえば東日本大震災の起きた日がもうすぐだ。
わたしは震災後の5月に被災地を見てまわったけど、あちこちで瓦礫のなかに咲きほこる黄色いタンポポを見た。
自然というのはタフなものだ。
しかしわが家のスイセンとヒヤシンスの将来はわからない。
今年中にわが家のまわりには新築の住宅が建ち並び、彼らの頭上に、さんさんと陽のあたる春はもう来ないと思われるからである。

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2020年3月 8日 (日)

デジタル化

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YouTube で音楽映像を漁っているうち、たまたま以前このブログでも取り上げたことのある、レイ・チャールズのライブ映像に行き当たった。
スタジオでテレビ番組のために収録された
What'd I Say で、わたしは以前のときには画質は最悪だけどと書いた。
ところが同じ映像をまた観て、いっしゅん目を疑った。
画質がはっきりわかるくらい鮮明になっているのである。

これはダビングを何度も繰り返して劣化した映像と、オリジナル映像の差だろうという人がいるかもしれない。
そういうことを否定はしないけど、それよりもわたしは最新のデジタル技術で加工復元された映像なんじゃないかと思う。
オリジナルといっても、もともとは
1960年代半ばごろの、未熟なテレビカメラで撮影された映像のようだし、きれいな映像が存在するなら、もっと早くわたしの目にとまっていただろう。

現在のデジタル技術というのは、もはやわたしの世代をおいてけぼりにするほどめざましい。
それが映画の世界で初めて活用されはじめたころ、これでは俳優は失業するという悲鳴が聞こえたけど、もうすでにCGで描かれた俳優が、ぜんぜん違和感なしに活躍する映画もあるくらいだ。
ぼけた映像をシャープにするくらいお手のものにちがいない。

まあ、デジタルかアナログかの問題はどうでもよくて、過去の不鮮明な映像を現在の技術でよみがえらすというのはいいことだ。
それが歴史的な映像であれば、個人的アーカイブスとして、だれでも自分のパソコンに保存できるというのもうれしい。

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2020年3月 7日 (土)

悩む

オリンピックや中国のトップを迎える予定の日本としては、コロナ・ウイルスが流行ったからといって、いきなり厳戒態勢をしいて、日本は危険な国だという印象を与えたくない。
すぐにクルーズ船を拒絶することもできないし、小中学校を閉鎖することもできない。
周囲に気を配らないわけにいかない日本政府としては、対応がひじょうにむずかしかった。

それに対して新聞社の立場はかんたんなものだ。
厳しすぎる対応をすればやりすぎだ、人権問題だ、甘すぎる対応をとれば、だから蔓延した、マスクが品切れになったと言いたい放題。
とにかく相手と反対のことをいってればいいのだから、これなら学級新聞の編集者にでも務まる。

今日もまた、どうせ読んでる人なんかいないんだからというような無責任なウチの新聞に、イライラをつのらせているわたしだけど、もうすぐ転居するのでそれを機会に新聞をやめようかと思う。
とは思うけど、ウチの新聞をやめるということは、ブログの絶好のネタ供給元を失うことでもある。
わたしのブログでは「朝日新聞より」というのがカテゴリーのひとつになっているくらい、ウチの新聞のネタが占める割合は大きいのだ。

うーんだな。
わたしが購読をやめると朝日新聞は、多少でもリベラルに理解があり、日曜にたまについてくるGLOBE紙の愛読者でもあるわたし、という貴重な読者を失うわけだ。
だいたいイライラがつのらなくなるのと、イライラをブログにぶちまけてすかっとするのと、どっちが健康にいいのかしら。
いっそのこと、わたしの転居のまえにウチの新聞が廃刊になってくれれば、もう悩むこともないのだが。

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2020年3月 6日 (金)

神々しいわたし

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今日は朝から明治神宮にお参りして、心身共に洗われたような気分。
じつは渋谷まで用事があって出かけたおり、時間が早かったので代々木から神宮の森のなかを、ぶらぶら散歩をかねて歩いただけなんだけど、なんかひさしぶりに人間にもどったような気がするな。
車も手放したし、ホント、すっきりさっぱり、無一文だったわたしの原点にもどったみたいで、すがすがしいわあ。

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2020年3月 5日 (木)

思えば遠く

今朝のウチの新聞に、「あのころの東京」という企画記事があって、1947年の新宿の写真が載っている。
まだ戦後まもないころで、焼け跡で野菜の自家栽培をするモンペ姿のお母さんの向こうに、伊勢丹ビルが見えるという写真だ。
この年はわたしにとって思い入れの多い年なので、ついなつかしい気分で見た。
といっても、わたしは東京生まれじゃないから、写真と同じ時期の新宿の景色を知っているはずがない。

わたしが知っているいちばん古い新宿というと、若松町にあった税務大学まで、進学した友人を訪ねて行ったときのことになるか。
歌舞伎町から路面電車に乗って行ったことをおぼえているから、まだそれが廃止されていなかったころだ。

その後、わたし自身も東京に出て生活を始めることになり、それからはやたらに新宿、代々木あたりを徘徊することとなった。
新宿駅の西口には浄水場の跡が残っていて、だだっ広い空き地になっており、その中にしばらくは京王プラザホテルがぽつんと建っていた。
わたしの青春の舞台はほとんどが新宿がらみで、映画「初恋地獄篇」や、マンガ「赤色エレジー」みたいな貧しい恋を経験したのもそのあたりだったのだ。

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これは当時付き合っていた彼女の写真だけど、いったいどんなおばあさんになっているやら。

わたしが東京で最初に住んだのは高円寺で、つぎに東中野、そのつぎが調布、さらに府中、三鷹と転居を繰り返した。
独身で家を持たない決意だから気楽なものだったけど、そんなわたしもいま最後(になるかもしれない)の引越しを目前にしている。
思えば遠く来たもんだという詩人のこころ持ちは、いまのわたしにはじつに切実に感じられる。

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2020年3月 4日 (水)

極端な選択

アメリカでは民主党の大統領候補選びで、社会主義者のサンダースさんが健闘しているという。
いいことではないか。
トランプさんがはみ出し者の共和党候補なら、サンダースさんはその対極にいる民主党候補ということで。
アメリカ人は社会主義に拒絶反応があるらしいけど、過激なトランプさんに対抗するのに、中道なんて寝ぼけたことを言っていたら、世の中変わりゃしないよ。
トランプさんの時代、その身勝手な発言や言動に多くのアメリカ人が涙を飲んできたんだから、今度は逆の立場の人たちが涙を飲めばいい。
そうやって右に左に大きく船首をふるアメリカ、それこそ資本主義が行きつくところまでいくとどうなるかという、壮大な実験国家アメリカのあるべき姿さ。
つぎの大統領選挙はひとつ、極端な者同士の争いってことにしてもらえると、アメリカもまだまだ捨てたもんじゃないなと思えるし、野次馬にとってもおもしろい。

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2020年3月 3日 (火)

動じるなかれ

世間ではマスクが品切れだそうだ。
今日用事があって郵便局に行った帰り、コンビニをのぞいてみたら、ほんとにマスクがすっからかんだった。
マスク不要論のわたしは、そんなものどうでもいいけど、見たらトイレットペーパーも品切れだった。
これは困る。
マスクはなくてもいいが、ウンチの始末はしなければならない。
フェイクに踊らされない自信のあるわたしも、こうやって知らず知らずのうちに買いだめ狂想曲にまきこまれていくのだな。

ロシア人ユーチューバーのあしやさんもボヤいていた。
これじゃ生活できないじゃん。
国にいるお母さんに頼んで、ロシアから送ってもらおうかしらだって。
ロシアでは騒動になっていないらしい。
わたしもそうとうにのんびりしているけど、ロシア人はそれに輪をかけてのんびりしているから、モノ不足ぐらいじゃ動じないんだね。
日本の一般大衆もロシア人の爪のアカでも煎じて飲めばいいのに。

うーんと考えた。
そうだ、うちには新聞の景品でもらったペーパータオルがたくさん溜まっている。
トイレはウォッシュレットだから、とりあえず水でお尻を洗浄して、あとはそれで水を吸い取ればいいではないか。
もちろんペーパータオルを流すわけにいかないけど、丸めてひんぱんに可燃ゴミとして出せばいいだろう。
おとなりの韓国もそうらしいし、現在でもそんな途上国はたくさんある。
おネガイだから動じることなかれ、日本人のみなさま。

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2020年3月 2日 (月)

わたしの日常

あややや。
昨日は入院していた先輩の退院祝いの集まりに行ってきたけど、先輩というのは体育会系の代表みたいな人だから、わたしみたいなひきこもりにはちと荷が重い集まりだったねえ。
集まったメンバーをながめると、いずれも雄弁で、闊達で、若いころから仕事ひとすじ、羨ましいくらい当たり前の人生を送ってきた人間ばかりだ。
飛び交う話題も、明日から韓国のカジノでひと勝負だとか、今日はパチンコに行きそびれたとか、こんど先輩を囲んでリハビリ麻雀をやりましょうよとか、わたしの頭の上を飛び越えるものばかり。
バカやろう、人生というのは悩みだよ、悩みのない人生なんてと、三流小説家みたいなたわごとをほざいても仕方がない。
わたし自身がそういう生き方にあこがれている部分もあるのだから。

おつき合いに疲れて、がっくりして帰宅してベッドに転がり込んで、目を覚ましたらもう日にちが改まっていたよ。
ヤケクソで二度寝して、いまもうろうと起き上がったところ。
ああ、早くわたしの日常にもどりたいねえ。
できるだけ世間の目に触れず、アパートにひきこもって、パソコンを相手にぐだぐだといきまいている独居老人の日々に。
でも、その夢ももうすぐ完璧なものになりそう。
いまわたしは孤独にふさわしい新居に引っ越すべく、ばたばたと準備をしているところだ。

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