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2020年5月

2020年5月31日 (日)

秋のささやき

メールのやりとりをしている中国人の知り合いは、ピアノを習っているそうで、自分の演奏を録音したファイルを送ってきた。
えっ、あの中国人がピアノ?って、わたしも古いステレオタイプな考えにとらわれているようだ。
現在は中国人もピアノを習う時代なのである。

なかなかすてきな曲で、西洋の曲らしく、Autumn Whisper というタイトルがつけられていた。
翻訳すると「秋のささやき」ということになる。
それはいいんだけど、これをさらに中国語になおすと「秋日私語」となるらしい。
ささやき = 私語
うーん。
間違いとはいえないけど、イメージとしてはねえ。
やっぱり表現の多彩さで、日本語にまさる言語はないんじゃないか。

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2020年5月30日 (土)

ポプラの綿毛

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いい天気なので散歩に出かけようとして、小さな公園のわきを通りかかった。
ここはいつも白い綿毛のようなものが飛び交っているところだ。

いまの季節だと、ひょっとするとアレじゃないか。
このあいだまで住んでいた大沢村の散歩コースのわきにハコヤナギ、これはようするにポプラのことだけど、それが生えていて、やはりいまの季節に、天使の鱗粉のような綿毛を盛大にふりまいていた。
ただしポプラには綿毛を生じるものと、そうでないものがあるみたいで、わたしがこの綿毛に気がついたのは、もうけっして若くないシルクロードを旅したころのことだった。

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中国の新疆ウイグル自治区にはこの木がひじょうに多く、あちらでは白楊と呼ばれる。
ほかに樹木のあまりない土地だから、この木の記憶はいまでも鮮やかだ。

そういうわけで、小さな公園のハコヤナギは、連想ゲームのようにわたしを、わたしの人生がいちばん輝いていたむかしにいざなう。

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最近のわたしって、仙人が霞を食べて生きているように、思い出ばかりを食べてるね。
いちおうコンビニのカツサンドも買ってはありますが。

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2020年5月29日 (金)

世界の不思議

世界の不思議。
コロナウイルスのおかげで、あのアメリカのトランプさんでさえ、支持率が上がっているのに、日本とブラジルだけがトップの支持率が下がっているんだそうだ。
ブラジルの大統領は極右で、経済をまわすためにウイルスへの対応をおろそかにしたって人だから、下がるのも当然だけど、日本の安倍首相はロックダウンもしないまま、なんとかウイルスの蔓延を食い止めたということで、世界から称賛されている。
彼の支持率がどうして下がるのか、説明できる人がいるだろうか。

つまり朝日新聞のような、他人の欠点ばかりを執拗につく扇動にのりやすい人が多かったってことだな。
労多くして実は少ない。
なんでもかんでも政治家に押しつけて、満足することを知らず、他人の努力を評価することもしない。
そのくせもらえるものはもちろんもらうって人ばかりだ。
え、わたし?
もちろん10万円もらって、その金でトイレをウォッシュレットに変えるのだ。
ええ、日本の政策にはすなおに感謝しています。

いったいなぜ首相の支持率が下がるのだろう。
もういっそのこと、こんな国民の面倒をみるのはやめちまえ。
わたしだったら机をひっくり返して出ていくところだけど、安倍クンはそんなことはすまい。
彼が死後に従一位と大勲位菊花章頸飾をもらうのは、こういう手前勝手な国民の面倒を最後まで見続けたっていう、その顕彰の意味もあるんだから。

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2020年5月28日 (木)

不安

散歩にでも行くかと思ったらまた雨だ。
出鼻をくじかれて部屋でごろりとひっくり返る。
4畳半に押し込んだベッドからは、ちよっと顔を上げるだけで、ベランダのすぐ外側の樹木も見えるし、通りを歩く人も見える。

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ごろりとなったまま、ぼんやりと考えるのは、すでに死んだ友人、知り合いたちのこと。
こんな時代が来ることをだれが想像しただろう。
彼らは幸せだったんじゃないか。
生き残っているわたしは幸せのはずなのに、このぼんやりとした不安はなんだろう。

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2020年5月26日 (火)

迷走

アベノマスクが届いた。
最近ではマスクのかたちも百花繚乱だし、小すぎると文句をいう人もいるけど、ひとむかし前にはこういうかたちのマスクしかありゃせんかったけどねえ。
わたしの家には中国人の知り合いが送ってくれたマスクがたくさんあるからどうでもいいんだけど、でもまあ、日本の首相が善意で送ってくれたものをとやかくいうつもりはないやね。

しかし、そんな金があるならもっとほかのことに使うべきだという人が、じっさいにわたしの知り合いにもいた。
わたしはヒトがわるいから、ほかのことって、たとえばどんなことなのさとからんでみた。
彼がいうには、コロナのおかげで苦境に陥っている中小企業や母子家庭など、支援を必要としているところはいくらでもある。
そういうところに使うべきだという。

でも、そういうところには別に、ちゃんと支援策は考えられているでしょ。
わたしの知り合いの個人タクシーの運転手さんなんか、不景気で減った収入を補填するために、国から百万円もらうそうだ。
ホントかいとにわかに信じられないけど、ホントらしい。
もらえないからくやしくていうわけじゃないけど、日本に個人タクシーの運転手さんてどのくらいいるんだろう。
収入の減ったあらゆる業種の人に補填するらしいけど、それっていったいどのくらいの金額になるんだろう。

日本の将来を考えると暗澹たる気持ちになる。
そんな大盤振る舞いの後始末はだれがみるのか。
けっきょく増税や年金の減額などで、わたしたちが負担するしかないんじゃないか。
最近のわたしはなぜかつきまくっているから、そういうものはみんなわたしが死んだあとに来そうな気がするけど。

まっ暗な未来しか想像できないとしても、しかしどうにもならないのだ。
現実に収入がガタ減りで、生活が苦しい、家賃が払えない、なんとかしてえという声は社会に満ち満ちている。
将来がどうなろうと、ここでなんとかしてやらなければ、政治家は鼎の軽重を問われるってやつだ。
首相としては悩んだり、傍観しているわけにはいかない。
そういうあせりが小さすぎるマスクの配布になったとしたら、あまりけなすのも気のドクじゃん。

任期の終わりまであと1年とすこしになって、新型ウイルスという不運な災難に見舞われ、日本の首相もいささか足を踏み外したように見える。
検察庁の黒川なにがしが訓戒だけで済んだって事件も、こりゃ納得する国民は少ないだろうねえ。
まあ、このまま任期を終えたとしても、死後は歴史に残る名宰相だったってことで、従一位と大勲位菊花章頸飾をもらうことは間違いないのだから、もって瞑すべしだな。
え、安倍クン。

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2020年5月25日 (月)

韓国の内ゲバ

おとなりの国の内ゲバ。
今日はその一方の記者会見が開かれる日。
もう一方が出席するかどうかは不明だけど、夜にはNHKが関連番組を放送するらしい。
うん、ちゃんと録画設定はした。
戦後70年、延々と続いてきた怨嗟の声を、はたして断ち切れるかどうか。
コロナがどうしたとこうしたと、悪いことばかりじゃない、日本にとっては。

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2020年5月24日 (日)

悪ふざけ

新しい部屋に引っ越して1カ月以上がすぎた。
建物がボロで、部屋がせまいのはどうしようもないけど、わたしはそういうことにあまり文句をいわないタチだ。
ひとり者のわたしには、部屋の広さよりも、そこがいかに充実した部屋であるかのほうが問題なのだ。
旅行に行っても、WI-FIがあればほかに必要なものもないので、バストイレに、ベッドひとつでいっぱいのビジネスホテルで満足してしまう。

だから新しい部屋は天国だ。
新しい住まいは集合住宅の1室で、まわりに新しい1戸建ての住宅も建っている。
そういう家に住んでいる人をうらやましいとは、本気で、まったく思わない。
部屋に入ってしまえば、わたしの部屋も十分に充実したところだし、亭主にがみがみいう女房や、生意気をいう子供たちもいないのだ。

買い物に行くために自転車を引っ張り出した。
まだ早朝だけど、すでに太陽はさんさんと輝いている。
電動アシストでさっそうと走り出す。
バス停のわきをかすめると、そこに勤め人らしい数人が立っていた。
みなさん、これから仕事なんですね・・・・

ときどき不思議な気持ちにおそわれる。
わたしの人生って悪ふざけじゃないか。
いままでわたしがまじめに努力や苦労をしたことがあっただろうか。
唾棄すべき生き方だろうけど、それでもこんな調子のまま、終わりは近い。
わたしは自分の人生をだれかに記憶してもらおうとは思わない。
それどころかわたしの死後は、みんなからさっさと忘れられたいと思っているくらいだ。
けっきょくわたしは、わたしを軽蔑する人たちを尻目に、ひとりでさっさとこの世から消えるのだ。
やっぱり人生悪ふざけだなあ。

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2020年5月23日 (土)

野菜好きの天国

引っ越ししたばかりの新しい部屋の近所はやたらに便のいいところだ。
セブンイレブンは歩いて数分だし、自転車で5、6分のところにスーパーが5軒もあり、おまけにミニチュアの築地みたいな卸売市場もある。
まだまだ農家がたくさん残っているので、あちこちの畑のわきに野菜の無人販売所がある。

おかげでわたしみたいな野菜好きには、食材に不自由しないばかりか、スーパーの商品の値段を比較して、あ、こっちの店のほうが5円安いと、経済観念の発達した主婦みたいな生活が可能。
今朝もそのうちのひとつに行ってきたけど、ほんと、スーパーがわが家の食糧倉庫のようなものだ。
いくらお金持ちでも、わたしぐらいでっかい倉庫を備えた家はないだろう。

自炊するのがイヤという人のためには牛丼の吉野家や松屋も近いし、大きな家電量販店もあるので、パソコンの関連商品にも不自由はない。
さっきもふいと思い立って、ここへ電球を買いに行ってきた。
最近は抜け道をおぼえたから、5分でこの量販店のわきに出る。
自転車があるかないかでだいぶ条件が変わってくるけど、非活性的な年金老人にはじつに便利なところである。
どこへ行くにも自転車を使うクセがついて、足がますます弱脚化するのが悩みのタネ。

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2020年5月22日 (金)

憐みを

どうしようもないな。
定年延長の問題でいま渦中にあるはずの検察幹部が、賭け事をして辞職に追い込まれるという事件。
この時局に当の本人が、こともあろうに新聞記者と、それも朝日新聞の記者も含めたメンバーと賭けマージャンとは。

そもそも、そこまで賭け事の好きな人物が検察幹部だなんて、ちょっと理解しにくい。
豪快で太っ腹な人物だったのかもしれないけど、たれ込まれて、いっしゅん彼の顔は青ざめただろう。
同時にこればっかりは弁解の余地がないことも悟っただろう。
ゴルフや宴席ならまだしも、賭けマージャンなんて、法を施行する側の人間がやることじゃない。

でも、彼の弁護するわけじゃないけど、わたしは同情してしまう。
先日も営業自粛をしないパチンコ屋を、営業停止にしろという騒ぎがあった。
これだってパチンコ屋ばかりを責める気にはなれない。
わたしの周辺にもいるんだけど、世の中には休みになると、パチンコぐらいしかやることがないという人間がたくさんいる。
賭け事をいっさいやらない聖人君子ばかりで社会は成り立っているわけじゃない。

他人への思いやりがすこしでもあるなら、休日に日がな一日パチンコという人に対しても、同情が必要じゃないか。
思わぬ不覚をとったこの検察幹部さんも、せっかく最高学府を出ていながら、文学や芸術に関心がないという、気のドクな人物だったのではないか。

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2020年5月21日 (木)

床屋

ずうっとむかし、「床屋の経済学」というネタでブログを書いたことがある。
最近はどうだか知らないけど、その当時の床屋は高かった。
わたしが1回床屋に行くと4千円取られた。
そうそうしょっちゅう行くわけじゃないから、わたしの側からすればたいしたことなくても、床屋さんからすれば、しょっちゅうでない客が1日に10人も来れば、これはわたしなんかよりずっと高給取りだった。
ウラヤマシイと思ったものである。

今日は新しい部屋に引っ越しして初めて床屋に行ってきた。
最近あちこちにある格安の床屋で、ヒゲ剃りなどを省略した、貧乏人にはありがたい床屋だ。
だいたいわたしはネクラのオタクだから、床屋さんと長時間差し向かいで、へんにお世辞をいわれるのも好きではない。
だからさっさと仕事を終えてくれるこういう店が好きである。
わたしのような人間は多いようで、いつ行っても客が列をつくっているのが欠点だけど。

社会はますます厳しくなっている。
かって世渡りに有利とされた三把刀のうちの、仕立て屋と理髪業も先が怪しい。
こんなはずじゃなかったというのは床屋さんの言い分。
しかしじっとしていて客を待ち、のんびりした仕事で生活をまかなおうというシステムが、薄利多売で忙しく働く店に押されるのが世の風潮だ。
「床屋の経済学」も書き改めなければいけないようだ。

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2020年5月20日 (水)

あ、

わたしと似たようなじいさんから電話がかかってきた。
じいさん同士で話し込んで、あ、今日はブログ更新休みか。

ぎりぎりセーフでした。
ただいま0時1分すぎ。←バカ

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2020年5月19日 (火)

飢餓海峡

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日本映画の傑作(とされる)「飢餓海峡」がまた放映されたので、また録画してまた観てみた。
傑作であると断言しないのは、わたしはこの映画を映画館で観たことがないし、テレビで放映されたものは何度も録画しているのに、最後までいちども観とおしたことがないからだ。
なにしろ3時間もある映画なので、家ではほかにも雑用があって、とても最後までテレビのまえに座っていられない。

でも傑作だといわれているから興味はある。
公開されたのが1965年だから、わたしがまだ紅顔の美少年だったころで、当時の社会や風俗をふりかえるにも具合がいい。
で、今回もブログの更新をしたり、メシの支度をしたりしながら、ちらりちらりと観た。

見終わるとどこか釈然としないものが残る。
これはミステリーだそうだけど、それならなおさらのこと、ストーリーに納得しにくい部分があると、それだけで傑作とはみなされなくなってしまうのだ。

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いちゃもんをつけるところは多いけど、ひとつ挙げておこう。
戦後の混乱期に、三国連太郎扮する強盗殺人犯が、青森で娼婦を買い、彼女にほだされて、盗んだ大金を彼女に分け与えて去る。
殺人犯はこのあとそしらぬ顔で市井にまぎれ込み、まっとうな社会人になって、とある地方の有名人になっている。
そこへ新聞記事で偶然に彼のことを知った娼婦が訪ねてくると、前科を暴露されることを恐れた殺人犯は、今度は彼女を殺してしまう。

さて、お立ち会い。
ひと晩だけの行きづりの客の顔を、
10年後まで娼婦が覚えているだろうか。
まして相手はジャン・ヴァルジャンみたいに、服装もものごしも一変しているのだ。
そりゃ人違いだね、他人の空似だよといわれれば、そこでふつうはおしまいだ。

これは脚本がわるい。
だからわたしだったらこうすると、あ、また余計なお節介だ。

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殺人犯たちが金を独り占めしようと殺し合ったとき、三国扮する殺人犯は抵抗されて手の甲に傷を負ってしまう。
そのあとたまたま知り合った娼婦が傷の手当てをしてくれて、これがそもそもの馴れ初めで、ふたりはひと晩の契りをむすぶことになる。
女はこの傷のことを覚えていて、
10年後に再会したとき、男がしらを切ると、ちょっと手の甲を見せてという。
そこに動かぬ証拠が残っており、やっぱりあなたは愛しい
○○ちゃんじゃないのと、女は男にしなだれかかる。
正体がバレたことを知った男は、やむを得ず女を殺す決意をする、なんて脚本はどうだ。
うん、やっぱりわたしって天才ね。

ミステリーで大事なのはつじつまが合っていることだ。
完璧なつじつま合わせで感心させられたマーチン・リット監督の「寒い国から帰ったスパイ」は、同じ年の映画である。
「飢餓海峡」は、当時の日本人の映画鑑賞レベルはこんなものだったと、そっちのほうで感心すべき映画じゃないか。

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どうもわたしのいちゃもん好きにも困ったもんだけど、余計なお節介はさておいて、ある場面でふと画面に目が止まった。
殺人犯が青森県の大湊でバスを降りる、なんてことのないシーンだけど、背景に特徴のある山が見える。
これって3年まえに大湊でわたしが見た釜臥山じゃないか。
有名な恐山はこの山のすぐうら側だ。

それだけじゃない。
若いころ海上自衛隊にいたわたしは、ひとつ間違えば大湊に赴任させられて、朝な夕なにこの山を見ていた可能性があるのだ。
この映画の公開時とわたしの自衛隊時代は、時期的にそれほど変わるわけではないから、わたしもこの映画と同じような風俗を目の当たりにしたかも。
ああ、思えば遠く来たもんだ・・・・

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2020年5月18日 (月)

ロシア・バレエの闇

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昨夜のBSプレミアムシアターは、ミハイロフスキー劇場からの「ラ・バヤデール」。
ミハイロフスキー劇場って、アレじゃん。
わたしが3度目のロシアに行ったとき、バレエを観たくて、その入口をうろうろした劇場。
チケットが売り切れで、やっぱり高くても日本にいるあいだに買っとくべきだったと、後悔のほぞを噛まされた劇場だ。

でも劇場の内部は、最初のロシア訪問のときに見ていたから知っていた。
そのときはロシア人の知り合いに案内されて入ったんだけど、残念ながらやっていたのはバレエではなく、バイオリン演奏会だった。
でもロシアの伝統的な劇場の構造を、しっかり体験することができて感動した。

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さて「ラ・バヤデール」だけど、やはり本場のロシア・バレエだけあって、出演している踊り子はスタイル、容姿とも非の打ち所がない。
恋仇同士のふたりのダンサーはどちらもわたしの好みで、でも王女さま役の女の子は美人だけど、脊が高くて電信柱みたいだから、ヒロインのほうにわずかに分があるなと。

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そんなアホな感想を抱きつつ、ウィキペディアで経歴を調べてみたら、ヒロインのアンジェリーナ・ヴォロンツォーワさんは、かってボリショイ劇場で硫酸事件というものがあったとき、原因をつくった一方の関係者だった子だそうだ。
そういわれてみると、カーテンコールの場までなんとなく悲しそうな顔をしていて、まだあの悲劇をひきずっているのかと気になってしまう。

んなことないよね。
事件はすでに7年まえのことで、ヴォロンツォーワさんはその後もちゃくちゃくと実績を積み上げ、こうやってバレエの主役を勤めているのだから。
わたしも過去のことはさらりと忘れて、これからも彼女を応援したい。

どうも新聞の3面記事みたいなことだけで申し訳ないけど、このバレエの本格的な感想は、またヒマなときに書こう。
昨夜の放映には、マリウス・プティパというバレエ界の偉人のドキュメンタリーがついていて、これと併せて感想文を書いたほうがいいみたいだし、いま日本や韓国国内のゴタゴタから目がはなせないの、わたしって。

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2020年5月17日 (日)

ヘビふたつ

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自然の豊かさでは、新しい住まいは以前の大沢村にはかなわないと書いたことがあるけれど、なんの、新しい住まいも負けちゃいません。
今日見かけたのは、頭から尻尾の先まで2メートルぐらいありそうなでかいヘビで、これはおそらくアオダイショウ。
最近 YouTube でヘビがカエルを飲み込む映像にはまっているんだけど、わが家の近所でも日夜のバトルが続いているようだ。

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続いてもうひとつのヘビさんは、前記のヘビとは逆に、こんな小さいのは初めて見たというくらい小さなヘビ。
散歩コースのわきで死んでいたんだけど、最初は草木の破片か、ミミズかと思ったぐらいで、頭から尻尾の先までせいぜい15センチていど。
こんなに小さいと、わたしが思いつくのはヒバカリというヘビ(の子供)しかいないけど、わたしはこれまで本物のそれを見たことがないので、断定はしません。

いずれにしても近所の自然が豊かであることだけはよくわかった。

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あきらめる

老化現象なのか、これも認知症なのか、わたしは最近ますます会話能力が減退しているようだ。
このブログを読んでいる人には信じられないかもしれないけど、言いたいことが言葉としてスムースに出てこないので、しょっちゅうもどかしい思いをしているのである。
買い物くらいなら問題はないけど、なにか理路整然と説明しなければいけないことになるともうダメ。
いっぺんで理解してもらえたためしがない。
もともと吃音ぎみだったけど、トシをとってひきこもりなんかしているせいで、それがますますひどくなってきたようだ。

昨日はまたインターネットを使ってテレビ会議というものをした。
いつものメンバーが集まって、いつも通りの会話をしただけなんだけど、わたしにはテレビ電話でいろいろ試したいことがあった。
たとえば会話だけではなく、状況説明のために、同時に画像を送れないか、端末がふたつあった場合、簡単な切り替えだけでその両方を活用できないか、会議のようすをそのままYouTubeに発信する方法はないかなど。

そういうことになると、わたしの探究心はいまだに子供みたいである。
それはすばらしいことだと思っているけれど、会議が終わってみると、わたしのやったことは、他のメンバーからはぜんぜん理解されてないことがわかった。
次回はいろいろ試してみたいなどという者までいたくらいだ。
わたしがこの日に試したことはなんだったのかとボヤきたくなるけど、これはやっぱりわたしの会話能力の不足、つまり他人にこちらの気持ちを理解してもらう能力の、深刻な欠陥にあるようだ。

世間には不思議な精神障害がある。
通常の生活では知恵遅れのようでありながら、記憶力だけは抜群である人、音感や味覚、臭覚等に並外れた能力を発揮する人などのことである。
スポーツなどのように訓練で得た能力ではなく、まったく生まれ持った能力で、これは精神医学の範疇に入るものだ。

これとは逆に、会話はふつうにできるのに、まったく文章が書けないという障害もあるらしい。
ほかに変わったところはなく、医学的にはどこにも異常がないのに、ただ文章だけが書けないのである。
まわりからみると、本人が話していることをそのまま書けばいいだけではないかと思うけど、紙に向かうと、とたんになにひとつ言葉が出てこなくなる。
これも精神障害のひとつだそうだ(ことわっておくけど、わたしは自分が文章を書けるということを自慢するつもりでこんなことを書いているわけじゃない)。

だからわたしはあきらめている。
わたしみたいな先のみじかいじいさんが、会話能力の不足を嘆いても仕方がない。
世間にはヘレン・ケラー女史のように、肉体的ハンデで生まれつき対話能力のなかった人もいるのだから、そういう人になったつもりで、まだ文章を書けるだけ幸せだと思えばいいではないか。
書物を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたりする能力に欠陥はないのだから、これって世間のわずらわしさから逃れるための天賦の才かもしれない。

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2020年5月16日 (土)

童話ひとつ

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太郎くんが田んぼのあぜを歩いていると、ヘビがカエルを飲みこんでいるところに出くわしました。
カエルはか細い声をあげて必死に草にしがみついていましたが、もうすでに下半身はヘビのお腹のなかです。
かわいそうに、こんなやつでも命をもった生きものなのだ。
助けてやろう。
そう考えた太郎くんは、近くにあった棒でヘビの頭を叩きました。
ヘビはたまらずカエルを吐き出してどこかへ逃げてしまいました。

その晩、太郎くんの枕もとに美しい女性が立ちました。
太郎さん、わたしはカエルの化身です。
今日は命を助けていただいて、どうもありがとうございました。
お礼にあなたに百万円をさし上げましょう。
そういって女性はかき消すようにいなくなりました。
女性がいたあたりに、ほんとうに百万円の札束が残されておりました。

やれ、うれしや。
このお金で海外旅行でもするか。
そんなことを空想している太郎くんの枕もとに、やせぎすの男が立ちました。
ばかやろう。
おれはヘビの化身だ。
おれの仕事はカエルを食うことだ。
邪魔をしやがって。
こういうと、男は棒で太郎くんの頭を叩き、百万円を持ってこつぜんとすがたを消してしまいました(とさ)。

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2020年5月15日 (金)

思案のしどころ

同じ日本の国内でありながら、緊急事態宣言を解除しようかすまいかと、都道府県単位で意見が分かれている。
これはひるがえって考えれば、いかに宣言が経済活動のさまたげになっているかということの証明じゃないか。
どこの知事さんも、店が閉まったままでは経済がまわらないから、早いところ宣言を解除してほしい。
かといって早急に解除して、ふたたび感染者が増加しても困る。
経済をとるか、安全をとるか、ここが思案のしどころだ。

大阪の若い知事さんがえらい人気があるけど、冷静に考えれば、さっさと宣言を解除して経済を軌道に乗せる決断をしただけ。
それで感染者がまた増加に転じたら、やっぱり早すぎました、また緊急事態宣言を続行しますでチョンだ。

国内の都道府県でさえ意見が割れるくらいだから、全国を束ねる首相にはそうかんたんには結論が出せない。
それが優柔不断に見えて、大阪との差になる。
大阪の知事さんが若くてイケメンなのは認めるけど、彼が仕事ができるというわけではなく、地方の首長さんだから、割り切るのも簡単だったというだけではないか。
あまり持ち上げるのは正しくないと思う。

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2020年5月14日 (木)

ウナギ

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今夜はウナギを食べている。
年金老人のおまえにしちゃ贅沢じゃないかという声が聞こえるけど、これにはいろいろと複雑な事情があるのだ。

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前から気になっていたけど、新しい部屋から自転車で10分もかからないところに、東久留米卸売市場というものがあって、ミニサイズの築地の市場のような景色が見られる。
今日は早起きしてその見学に行ってきた。

見学して写真を撮るだけじゃ申し訳ない。
みるとそのうちのひとつの店でウナギの蒲焼を売っていた。
ウナギまるごと1匹が千円だ。
まるごとなんか食えるはずがないから、2分割、いや、3分割すれば、うな丼1杯が333円・・・・
おお、これは安いと、今夜はウナギにすることにしたのだ。

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くだらない事情はさておいて、その卸売市場を紹介する。
ホント、わたしって便利なところに引っ越ししたもんだとしみじみ思う。

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2020年5月13日 (水)

カワセミ

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新しい住まいの近所を流れているのは黒目川という川で、見たところカワセミが生息していても不思議じゃない雰囲気をたたえている。
4月まで住んでいた大沢村の野川では、散歩していればかならずといっていいくらい、ひとつかふたつは見られたものである。
東京はカワセミの一大生息地なのだ。

新しい住まいでも、買い物や散歩に行くたびに注意していたんだけど、これまでのところ1羽も見たことがない。
いちばん多いのは水質汚染の監視員をつとめるコイで、これはうじゃうじゃいる。
サギもいるけど、数は少ない。
まだ散歩の回数が少ないせいもあるけど、大沢村に比べると野生動物は多くないようだ。
カワセミがいないのは両岸がコンクリートで固められているせいかなどと考えて、ほとんどあきらめていた。

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ところが今日の散歩の帰り道、川面をのぞき込んでいたら、そんなわたしの目の前を、青い小鳥がすいーっと飛翔していった。
わたしもいちおうバードウォッチャーのはしくれ、カワセミを見まちがえるはずはない。
今日のところはそれっきりだけど、生息していることがわかれば、またそのうちどこかで出会うことがあるだろう。
そのくらいの楽しみがないと散歩もつまらないから、いい傾向である。

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2020年5月12日 (火)

ああ、朝日新聞

おとなりの韓国では金にからんだ内ゲバが始まっているようだ。
慰安婦を自称するおばあさんが、正義記憶連帯という支援団体(NGO)が寄付金を勝手に使い込んで、肝心の慰安婦には入らないと訴えれば、訴えられた支援団体は、あのババアもうろくしていると逆襲して、かえって墓穴を掘っているらしい。

金儲けに手段を選ばないのは、日本人も他人のことをいえた義理ではないかもしれないけど、日本には泣く子もだまる朝日新聞のようなマスコミがある。
政治家が知人を花見に招待すれば、針小棒大に騒いで、どこまでも執拗に追求してやまないマムシのような新聞だ。
これでは政治家もあまり汚いことはできない。

韓国で金にからむ事件が絶えないのは、日本の朝日新聞に相当する新聞がないせいではないか。
韓国には朝鮮日報や中央日報という新聞があって、これは日本からは韓国の御用新聞と、韓国からは日本からいくらかもらっているんだろうとののしられているから、それなりの中立性は保っているようだけど、日ごろ朝日新聞を読みなれている当方には、どうしても詰めが甘い。
韓国では左翼を支持する勢力が強力で、新聞社もうかつなことを書くと、ヘタすれば発行停止だ。
これでは自浄能力は働かない。
つまり韓国をながめれば、日本における朝日新聞の必要性も理解できないことはないというわけだ。

わたしが朝日新聞の購読をやめてもう1カ月ちかくなる。
ブログネタにも不自由するし、ぼちぼち購読を再開しようかしらと思うこのごろ。

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2020年5月11日 (月)

新しい風呂場

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昨夜は新しい部屋で、初めて風呂に入った。
今度の風呂は見るからに入りにくそうな風呂である。
見たところ、イロ気もなにもない鋼鉄製の湯船みたいだけど、アルミ製で、よく見ると表面にきれいな模様がついている。
だから文句ばかりいう必要もないんだけど、湯船がほぼま四角で、深さはまあまあ。
全体にそれほど大きくないから、お湯にどっぷりつかると、むかし棺桶の中に正座させられた仏さんみたいな姿勢をとらざるを得ない。
風呂に入って本を読もうと、風呂場にはLEDのワット数の大きいやつをつけたんだけど、この姿勢で長く座っているのはツライ。

わたしは外国を旅行していて、いろいろな風呂に入った。
日本人は格安ホテルに泊まっても、お湯が出ない、暖房が効かないと文句をいう人種らしいけど、わたしはこういう設備に対して文句をいうような人間じゃない。
外国では湯船があったらかなり幸運と思わなくちゃ。
だから目下の悩みは、風呂の中でどうやって長時間本を読むかだ。

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2020年5月10日 (日)

ウラノワさん

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「バフチサライの泉」というバレエを観たことは、つい先日このブログに書いた。
そのとき追記として、ウラノワとプリセツカヤというふたりの有名ダンサーが共演した、このバレエの(YouTube上にある)映画化作品を観たことも書いた。

マイヤ・プリセツカヤについては、彼女が大の日本びいきで、来日して日本舞踊の人間国宝である井上八千代さんと共演したことなどを、リアルタイムで知っていた。
ガリーナ・ウラノワについては、彼女の活躍した時期が、わたしがバレエに関心を持つ以前だったので、まるっきり知らない。
しかしウラノワの名前は聞いたおぼえがある。

この人って、わたしがモスクワに行って、有名なノボデヴィチ墓地を見学したとき、目立つ場所に墓石があった人じゃないか。
その後バレエに興味を持つようになったわたしとしては、奇縁というべきかもしれない。

モスクワにもういちど行く予定はないけど、彼女のこの映画だけはパソコンにダウンロードしたから、いつでもじっくり見ることができる。

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この映画はバレエの舞台を映画に置き換えただけなので、出演者の動きはバレエそのものだ。
ナイフで刺されたウラノワさんが、柱にもたれるように倒れるシーンは、あらかじめ計算されたバレエの型どおりで、ひじょうに優雅。
いったん確立された型は、舞台後方の背景画みたいにそのまま繰り返し使われるようで、まだ最近のバレエであるヴィクトリア・テリショーキナさんの「バフチサライ」でも、基本的な型は変わっていない。
ようするに、バレエって伝統に固執する日本の歌舞伎みたいなもん(演技者の魅力で歯が立たないけど)。

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ウラノワさんは1910年生まれだから、1953年の映画「バフチサライ」でプリセツカヤと共演したとき、おん年43歳ということになる。
しかし、さすがはバレリーナで、スタイルなんかまったく年齢を感じさせない。
むしろ円熟したうば桜という感じで、女性としての魅力ははいよいよ増したように見える。
ロシア女性というのは年をとると太るのが欠点といわれるけど、バレリーナはその例外だし、映画を観て、わたしはすでにこの世にないバレリーナに恋をしてしまったようだ。
もうすこし早く彼女のことを知っていれば、墓にバラの花でも手向けてきたものを。

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2020年5月 9日 (土)

よくやっている

コロナ・ウイルスについて、橋下徹サンやホリエモンなども含めて、無数の無責任な野次馬が、好き勝手なことをいっている。
日本は表現の自由が認められた国だから、だれがなにをいおうと放っておこうと思ったけど、最近のネット世論などを見ていて我慢できなくなった。

我慢できないというのは、日本は検査をしないから感染者が少ないのだという意見。
外国などではこれは通説になっているようだ。
日本政府の代弁をするわけじゃないけど、これは日本の既定方針だ。
日本は医療崩壊を防ぐことを優先させており、感染者を炙り出して頭数をそろえるような政策はとっていない。
この点では韓国などと対照的だけど、そもそも感染者の数を正確に把握することになんの意味があるのか。

やたらに検査数を増やせば、わたしみたいに、オレってコロナかなあ、念のため病院に行っておくかという程度の人間まで病院に殺到し、検査能力も収容能力もパンクして、ほんとうに治療の必要な年寄りや重症者が治療できないということになってしまう。
感染したって病院に行かずに治ってしまう人や、通院だけですむ人もいるのだから、あるていどの潜在感染者は無視するというのが日本の行き方だ。
それが正しかったかどうか、現時点で結果はわからないものの、世界のほかの国と比較しても特に失策だったとは思えない。

感染の実態を知りたければ死者の数に注目するほうがよい。
こんなことをいうと、日本は死者の数もごまかしているときっといわれる。
ほんとうにそうか。
ちなみにわたしはすこしまえまでサービス業に従事していて、当時の同僚でまだ現役で働いている人間が200人以上いるんだけど、そのなかにコロナで死んだ人間がひとりもいない。
わたしの同僚ってじいさんも多いんだけどね。

中国ではウイルス初期の段階で、病院の廊下にまで死者があふれている写真を見たことがあるし、ホントかガセか、ニューヨークの無人島で集団埋葬されている死者の写真も見たことがある。
日本でそういう写真を見たことのある人が、イマスカ?
死者の数をごまかしているなら、朝日新聞や赤旗のようなマスコミは、なぜ国会で追及しないのだろう。

今回のような新型の極悪ウイルスの場合、死者ゼロということはあり得ないだろうし、じっさいに今日の時点で601人の死者が出ている。
それでも日本の死者の数は、ごまかしていると非難されるほどのものではないと思う。
しかもスーパーなどはふつうに営業していて、わたしみたいな横着者にもなにも不便はない。
わたしは、日本はよくやっているという立場だ。

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2020年5月 8日 (金)

通院

今日は病院に行ってきた。
引越し騒ぎで中断していた高血圧の薬をもらいに。
2カ月ぐらい病院に行ってないのにどこも異常はないんだから、現代医学の欺瞞を証明するのに・・・・とまた大言壮語するのはよそう。
いまは元気でも、わたしだっていつ重症患者にならないという保証はないのだ。

新しい病院は徒歩で通院できるところがいいというんで、自転車で5、6分、歩いても15分ほどの、畑のわきにあるローカルな病院を選んだ。
なんかお手軽すぎる気がしないでもないけど、たかが血圧の薬をもらうのに、名医だとか専門がどうのと騒いでも仕方がない。

時間的に大の男が通院する時間帯ではなかったみたいで、患者は女性ばかりという女護ケ島みたいな病院だった。
出てきた医師は、マスクをしているので顔がわからないけど、休みの日にはフィギュアにでも凝っていそうなオタクっぼい人。
むずかしそうな英語の単語がならんだ厚い辞書を引っ張り出して、それを見ながらあれやこれやと説明する。
これでヤブ医者の予感がありあり。

ここで血液検査、心電図、尿検査などをして、心電図については不静脈がありますねと、印刷した長い波形を見せてくれた。
なるほど、一部にほかとちがう乱れがある。
でも、あれって検査のときに、マスクをしていたので顔がわからないけど、若くてかわいい感じの娘が出てきたから、それで心電も乱れたのかもしれない。
比較するものがないのだから、それがどのくらい深刻なものかわからない。

帰りに待合室で健康そうな欧米人男性の患者を見た。
本人ではなくだれかの付き添いだったのかもしれないけど、こういうのがいると、やっぱり信頼できる病院のように思えてしまう。
なんだかんだで、新しい住まいでも通院が日常生活のひとコマになったようだから、まずひと安心。

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2020年5月 7日 (木)

OK

文字の色を変えて、「駘駘蕩蕩舎(たいたいとうとうしゃ)より」という字がはっきり見えるようになったので、ブログ・タイトルはこれで決まり(とうぶんは)。
意味はとくにないんだけど、新しい部屋がわたしの臨終の地になりそうで、そこまでなんとか春風駘蕩と生きたいと念願して。
まだまだ煩悩の鬼にときどき精神をかき乱されるわたしとしては、なかなか春風のようにのーんびりとはいきそうにないけど、でも洗濯をする美女の太ももに動揺して、雲から落ちた久米の仙人は幸せだった。
人間やっぱり色気や欲望を失っちゃおしめえよ。

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好きにして

「過激派老人日記」というタイトルの評判がよくないので、いまいろいろ試しているところ。
こんどは「駘駘蕩蕩舎より」というタイトルにしてみたけど、これもまだ最終決定ではありません。
これで行くと決まったらOKを出しますので、それまで暖かく見守るか、まったく無視するか、ええ、どうぞ好きにしてください。

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2020年5月 6日 (水)

廃墟とピアノ

SNSに悲鳴が飛び交っているという。
コロナで仕事もできず、出かけることもできず、パチンコ屋も休み、学校も幼稚園も休業じゃ、暗い家のなかで、家族全員でにらめっこをしてろというようなものだ。
困っているのはみんな同じだといったって、ハイ、そうですかと、かんたんに納得できない奥さんたちもたくさんいるだろう。
わたしみたいに普段から人付き合いのよくない人間だけが我が世の春だな。

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そういうわたしでも、テレビは再放送ばかりだし、YouTubeもさすがに見飽きた。
で、今日は部屋にクラシック音楽を流して、やらなくてもいい整理や飾り付けをしていた。
そんな状態で気がついたこと。
ベートーベンの好きでないわたしだけど、なぜか録画しておいたアレクサンドル・タローさんの、廃墟のなかで弾くピアノ演奏があって、こういうどうしようもなくヒマなときに聴くのに最適。
こんなご時世に、廃墟のなかってのがじつにいいねえ。

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2020年5月 5日 (火)

パン屋

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ふつうわたしぐらいの歳になると、仕事をリタイアして、部屋で悠々自適であってもおかしくない。
ところがわたしの場合、昼間は黒のTシャツにチノパンという若作りで、さっそうと自転車に乗っていたりする。
すると近所の人が不審がる。
あの家のお兄さん(とはいわないだろうけど)はなんで昼間からぶらぶらしてるのかしら。
気をつけたほうがいいわよ、ああいうのが小さい女の子にいたずらしたりするのよ。
オイオイ。

わたしは人並みに仕事を勤め上げた年寄りで、しかもいまは日本政府からして、国民に家でじっとしてろと要請しているところじゃないか。
昼間からぶらぶらしていてどこが悪い。
ま、トシのわりに若くて元気なのがイケナイのだよなあ。

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今日は、べつに行くところもないんだけど、パンを買いに行くことにした。
わたしの部屋から自転車で、のんびり走っても15分ぐらいのところに、石窯パン工房という、おもてにオープンテラスまでそなえた、いかにも本格的みたいな店構えのパン屋がある。
初夏の風に乗って、自転車にフランスパンを乗せて走る、これってパリジャンみたいでカッコいいじゃん。

おじさんがそんな真似をしたって笑われるのがオチだってことはわかってるけど、コロナのせいでどうせヒマなんだし、YouTubeも見飽きたワ。

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2020年5月 4日 (月)

バフチサライの泉

自転車でミゾに落ちて、ただいま軽度のギックリ腰。
べつにそれで困ることはなにもないじいさんだから、よろこんでひきこもりしてますけどね。

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知り合いのO君(彼はこのブログでは有名な財閥の御曹司だ)に録画を依頼していた「バフチサライの泉」が届いた。
これはNHKのBSで放映されたロシアのバレエだけど、ちょうどわたしの引っ越しとかち合って録画できなかったのだ。
それで彼に、録画しといてよ、ついでにブルーレイに焼いといてと頼んでおいたものである。
O君はバレエに興味はないはずだから、なんでわざわざわたしが依頼してきたのか不思議に思ったんじゃないか。
いまからその理由を述べるから、耳の穴かっぽじってよく聞けえ。

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わたしがバレエの権威になろうと無謀な大望を抱いたとき、参考のために「これがロシア・バレエだ!」という本を読んだことは、このブログに書いたことがある。
その本のなかで、ロシア・バレエの重要なレパートリーとして名前の上がっていたのが、この「バフチサライ」なのだ。
本の内容はほとんど忘れていたけど、このタイトルだけはずっとおぼえていたので、わたしはそれをぜひ観たかった。

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最近のBSプレミアムシアターで放映されたバレエは、「メリー・ウイドー」、「ヴィクトリア」など、わたしの好みじゃない作品が多かった。
「バフチサライ」はひさしぶりの本格的なロシア(マリインスキー)バレエなのだ。
予想にたがわず、恋のさやあてで殺し合いまでするふたりの美女が、容貌といい、スタイルといい、ふるいつきたくなるようなイイ女。
背景を彩るコール・ド・バレエ(その他大勢組)にしても、絶世の美女ばかりなので、わたしはロシアのバレエ団では、容姿も入団の絶対条件になっていると確信してしまったくらい。

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ここに載せたのはネットで集めた「バフチサライ」の写真だけど、かならずしもマリインスキーの舞台ではありません。

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ところでこの舞台で一方のヒロインを演じたのは、霊長類最強女子といわれた吉田沙保里選手似のヴィクトリア・テリショーキナさんだ。
以前のこのブログで、彼女はお姫さま役よりも、男をたぶらかす魔女のような役柄が似合うと書いたけど、「バフチサライ」はおへそ丸出しのハーレム・ファッションで、王様の寵愛をめぐり、嫉妬にかられて、新参の愛妾を刺し殺してしまう勝気な第一夫人の役。
どっちかというと「石の花」の銅山の女王と同じ系統のヒロインなので、彼女も水を得た魚のようである。

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恋仇を刺殺したあと、彼女も塔の上から突き落とされて処刑されてしまう。
あとに残った王様は、自分が愛したふたりの女を想って、はらはらと落涙するという話なんだけど、ヒロインふたりが舞台から消滅してしまっては、なんか最後がちともの足りない。
しかしストーリーなんかあまり重要視されず、ひたすら美女たちの踊りに陶酔していればいいのがバレエなんだから、つべこべいうのはよそう。

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というわけで、O君に録画してもらったブルーレイ・ディスクは、めでたくわたしのコレクションに収まったのでありました。

追記
このバレエはウラノワとプリセツカヤという、ふたりの有名ダンサーが共演した珍しい映像があるというので、それっとYouTubeに当たってみた。
バレエの舞台をとらえたものではなかったけど、物語を
25分ほどに要領よくまとめた1953年の映画が見つかった。
ここでは新しい女に気をひかれる王様から、あの手この手で愛を取り戻そうとするのに、ぜんぜん相手にしてもらえない第一夫人のプリセツカヤが哀れである。

このバレエはロシアではよく知られた古典作品らしく、部分的なものを含めれば、YouTubeにはほかにもいくつかの「バフチサライ」が見つかる。
ただしこうやってべつの映像を見ていくと、相対的にテリショーキナさんの評価が下降してしまうのは困ったもの。
ロシアに美人の種は尽きないし、わたしもまだまだ気の多い男だもんで。

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2020年5月 1日 (金)

川の上流

わたしの部屋からいちばん近い黒目川にかかる橋は平安橋。
前項ではその橋より下流を紹介したけど、今日は上流を紹介する。

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平安橋のひとつ上に都大橋という名前負けする橋があって、黒目川はそのあたりで暗渠に姿を消してしまう。
どこに潜っていたのか、滝山団地という大きな団地のなかで、川はふたたび姿を現し、団地の人々に清流と遊歩道のある公園を提供することとなった。

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今日は天気がよかったせいか、あるいは連休が始まったせいか、それともコロナのせいで出勤も通学も停止のせいか、公園で遊ぶ人は多かった。
小さな流れであっても、川がもたらす風景上の利点は大きい。
もっともわたしは必要以上に写真をきれいに撮りすぎたかもしれない。
あとで文句をいわれないように、いくらか割り引いてほしいとお断りしておく。

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