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2020年5月17日 (日)

あきらめる

老化現象なのか、これも認知症なのか、わたしは最近ますます会話能力が減退しているようだ。
このブログを読んでいる人には信じられないかもしれないけど、言いたいことが言葉としてスムースに出てこないので、しょっちゅうもどかしい思いをしているのである。
買い物くらいなら問題はないけど、なにか理路整然と説明しなければいけないことになるともうダメ。
いっぺんで理解してもらえたためしがない。
もともと吃音ぎみだったけど、トシをとってひきこもりなんかしているせいで、それがますますひどくなってきたようだ。

昨日はまたインターネットを使ってテレビ会議というものをした。
いつものメンバーが集まって、いつも通りの会話をしただけなんだけど、わたしにはテレビ電話でいろいろ試したいことがあった。
たとえば会話だけではなく、状況説明のために、同時に画像を送れないか、端末がふたつあった場合、簡単な切り替えだけでその両方を活用できないか、会議のようすをそのままYouTubeに発信する方法はないかなど。

そういうことになると、わたしの探究心はいまだに子供みたいである。
それはすばらしいことだと思っているけれど、会議が終わってみると、わたしのやったことは、他のメンバーからはぜんぜん理解されてないことがわかった。
次回はいろいろ試してみたいなどという者までいたくらいだ。
わたしがこの日に試したことはなんだったのかとボヤきたくなるけど、これはやっぱりわたしの会話能力の不足、つまり他人にこちらの気持ちを理解してもらう能力の、深刻な欠陥にあるようだ。

世間には不思議な精神障害がある。
通常の生活では知恵遅れのようでありながら、記憶力だけは抜群である人、音感や味覚、臭覚等に並外れた能力を発揮する人などのことである。
スポーツなどのように訓練で得た能力ではなく、まったく生まれ持った能力で、これは精神医学の範疇に入るものだ。

これとは逆に、会話はふつうにできるのに、まったく文章が書けないという障害もあるらしい。
ほかに変わったところはなく、医学的にはどこにも異常がないのに、ただ文章だけが書けないのである。
まわりからみると、本人が話していることをそのまま書けばいいだけではないかと思うけど、紙に向かうと、とたんになにひとつ言葉が出てこなくなる。
これも精神障害のひとつだそうだ(ことわっておくけど、わたしは自分が文章を書けるということを自慢するつもりでこんなことを書いているわけじゃない)。

だからわたしはあきらめている。
わたしみたいな先のみじかいじいさんが、会話能力の不足を嘆いても仕方がない。
世間にはヘレン・ケラー女史のように、肉体的ハンデで生まれつき対話能力のなかった人もいるのだから、そういう人になったつもりで、まだ文章を書けるだけ幸せだと思えばいいではないか。
書物を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたりする能力に欠陥はないのだから、これって世間のわずらわしさから逃れるための天賦の才かもしれない。

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