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2020年8月

2020年8月31日 (月)

総裁候補

自民党の次期総裁選びがかまびすしい。
世間ではいろいろいう人がいるけど、そのほとんどが客観的というより、自分の希望・期待を披露しているだけだ。
だからわたしもここで自分の希望を披露してイケナイことがあるだろうか。
ジャーン!

希望・期待は韓国でも同じで、なんとか石破クンにあとを継いでほしいと、これはひたすら願望のクチ。
韓国にとってメンツがからむから、どうしたって安倍クンに頭は下げられないけど、新しい首相が話のわかりそうな人物なら、尻尾をまるめてすり寄ろうというのだろう。
しかし石破クンだって、反安倍の立場から韓国に美味しい発言をしただけで、総理になっていきなり甘い顔はできないはず。
いまや嫌韓は日本の総意といっていいのだし、とにかく相手をバカにしたような韓国の態度が改まらないのがイケナイのだ。

だから石破クンでも心配はしてないけど、彼の場合、冷やメシが長かったからなあ。
その憎しみがたまりにたまって、とりまきの大臣に同じような冷やメシ族を優遇し、それでは米国や中国とたてまえ以上の交渉ができそうな感じがしないので、すぐに落ち目になって、ヤケになって、やっぱり韓国と仲良くしようなんて言い出さないかと心配だ。

現在の状況をながめると、本命の候補のまえにショートリリーフとして、令和おじさんの菅クンを立てるのもいい。
アメリカの大統領選挙が終わって、トランプさんの去就が決定するまでは、急いで本命を決めても仕方がない。
とりあえず無難な候補で中継ぎをというのは、これまでも自民党がやってきたことだ(中継ぎがやる気を出して大化けしてしまうこともあるけど)。

おとなしそうで女性に人気のありそうな岸田クンは、わたしには無難でありさえすればなんだっていいという、古いタイプの政治家にしか見えない。
けっして彼が政治家として失格というわけじゃないんだけど、現在のように国際情勢が激変している時代に、日本の舵取りをまかせようって気にはなれないのだ。

中国に対して強硬だから河野クンがイイという人もいるけど、そういう人は失望することになるだろう。
わたしは彼のどこが強硬なのかと、過去をふり返ってみた。
いちばん最初に思い出したのは、中国の華春瑩報道官と肩を組んでムフフと微笑んでいた彼の写真だ。
彼はこちらからケンカをふっかけることはないけど、そのかわり相手にふっかけられっぱなしでもないというコツを、安倍政治をま近に見ていて身につけたと思う。

ということで、わたしの本命は河野クンだなあ。
ただし上記した理由で、自民党の長老たちが、彼にもうすこし待てと言い聞かせるかもしれない。

わたしが河野クンを推すのは、やっぱりいくらか変人ぐらいでないと、これからの日本を引っ張っていけないと思うところもある。
進次郎クンは今回立候補せずに、河野クンを押すという。
まだ経験不足の彼としては、これは賢明なことだ。
もっと経験を積めば、同じ変人系列として、進次郎クンは確実に河野クンのあとを継げるだろう。

河野クンや進次郎クンらを眺めると、よその国から老人政治と揶揄される日本でも、若返りは着実に進んでいると思う。
古いタイプの極上見本のような二階じいさんも、この国の未来は若手にまかせるしかない、ただしいますぐ河野じゃ荷が重い、ひとまず菅にまかせて時間稼ぎをし、そのあとで河野、進次郎に引き継がせようと考えているなら、彼はなかなかの策士、いや国士といえるし、自民党はまだまだ見込みがある。 

以上はわたしの個人的希望なので、反対する人が百合子サンや聖子チャンを押しても、もちろん依存はありません。

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アオマツムシ

0971F1ベルギー戦の中継を見ていたら、部屋に飛び込んできた魑魅魍魎のひとつ。
アオマツムシというやつらしいけど、最近は虫もF1見るのか。
なんかまた俳句になりそう。

 爆音のあい間にリーと虫の声

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2020年8月30日 (日)

マストゥラちゃんねる

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またユーチューパーの話題だけど、今回はロシア人じゃない。
マレーシア人で、あっけらかんとして楽しい性格のマストゥラという娘がいる。
YouTubeを始めてまだ1年も経ってないらしいから、この世界では新人といっていい。

この娘が最近は、日露戦争のことや太平洋戦争中の日本軍のこと、また靖国神社を訪問したりして、いかに日本が素晴らしい国であるかを吹聴している。
わたしも日本人だから、自分の国をほめられて嬉しくないわけがないけど、あまり日本を持ち上げるものだから、それが気にくわない勢力から、余計なことをするなと脅迫めいたことをいわれたこともあるらしい。

それはべつにしても、彼女のような若い外国人の娘が、あまり政治的なことに首をつっこむのはどうかと思う。
もちろん彼女がしっかり勉強して、自分の判断でそうしたいならかまわないけど、彼女の話し方を聞いていると、ちょっとこころもとないところがあるのだ。

いちばん新しい映像では、戦争中にマレーのハリマオと呼ばれた日本人の谷豊(たにゆたか)を取り上げていた。
正直いって、わたしもウィキペディアに当たってみなければわからないほどめずらしい人物で、マストゥラも日本に来るまで知らなかったと言う。
いくら彼女がマレーシア人で、谷豊がマレーと関係のあった日本人だとしても、戦後半世紀もあとの生まれである若い娘が話題にするほど重要な人物とは思えない。

マレーシアにはマハティールという大の日本びいきの首相がいた。
彼は老練な政治家だし、歴史や各国の実情に詳しいおとなだから、政治的な発言も当然だけど、マストゥラはまだ若すぎる。
いまでも日本とマレーシアとの関係はわるくないんだし、彼女のような娘は、寿司が美味しいとか、治安がいい、イスラムを差別しないというような平凡なことを吹聴してくれるだけで、じゅうぶん日本とマレーシアの友好に寄与できるはず。

歴史に埋もれたようなことまでほじくりだして、無理にほめる必要があるだろうか。
人間ならどこかに欠点があるのが普通だと考えるべきで、ウンコもセックスもしない清廉潔癖な人間であるというようなほめ言葉は、かえって信用できないのといっしょ。
最近のマストゥラを見ていると、だれかに利用されているんじゃないかと心配になる。
本人が自分の意思でやってることだとしても、だとしたらまわりがひとこと言ってやるべきじゃないか。
やりすぎは逆効果の場合もありますよって。

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2020年8月29日 (土)

チューバ・スキニー

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深夜にYouTubeを閲覧していて、たまたま見つけた「チューバ・スキニー(Tuba Skinny)」というバンド。
むかしなつかしいディキシーみたいな演奏をする8人編成(メンバー数に変動あり)のバンドだけど、メンバーの年令もまちまちなら、服装もそのへんのおじさん、お姉さんみたいな垢抜けないファッションで、楽器もメッキのはげたコルネットや年季の入ったギターなど、貧乏な路上パフォーマーの集団みたい。
いちおうプロとしての活動もしてるみたいだけど、路上での演奏のあい間に自分たちのCDを売ったりしているから、音楽家もはたから見るほど儲からないのねと同情したくなる。

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むかしニューオーリンズあたりでは、葬式があるとそれっとばかりに素人の楽団が編成されて、威勢よく行進曲なんかを流して歩いたそうだけど、そういう伝統と雰囲気をよく感じさせるバンドだ。
メンバーのなかに紅二点の女性もまじっていて、ボーカルを受け持つ女の子はまあまあ美人だけど、太鼓に腰を下ろして、歌いながらドスンドスンとだらしなく太鼓を叩く。
コルネットを吹くころころした女の子は、モダンジャズ時代に知られたサックス奏者アル・コーンの孫娘で、なんと母親は日本人だそうだ。

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目下、このバンドにはまっている。
YouTube
には彼らの演奏がたくさんアップされているけど、ほとんどは路上演奏をファンが勝手に撮影したもので、見物人は自由に踊り出し、かたわらをどこかの赤犬がのそのそとうろつきまわる。
どうもやる気があるのかないのか、そのゆるい演奏がひじょうにおもしろい。

そんな野暮ったいバンドの彼らがフランスのジャズ祭で、別のバンドとコラボをしている映像があった。
別のバンドには、クラリネットやトランペットなど、スキニーとだぶる楽器があって、スキニーの奏者と共演をしたり、ふだんいないはずのベース奏者(これは本格的なプロ)がいて、スキニーのチューバと掛け合いをしたりする。
これぞジャズの醍醐味と、わたしは楽しければ見た目はどうでもいい主義だ。

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2020年8月28日 (金)

困ります

安倍クンが辞めることになった。
だれがあとを継ぐか知らないけど、だれもやりたがらないだろうなあ。
普通ならオレが、オレがとなるんだけど、突然の辞任だし、あまり前任者が実績をあげるとつぎはやりにくいものだ。
オレ、英語しゃべれないもんなという候補もいるかも。

だれがあとを継いでも、日本の総理はアメリカや韓国のような絶大な権力をにぎっているわけではないから、極端な進路変更はないだろうけど、しかしこれまで冷や飯を食わされていた人が総理に選ばれたりすると、オレはあいつとは違うんだということを示そうとして、徹底的に前任者の逆を行くことがある。
アメリカとも中国とも間合いを測れず、しゃあない、韓国と仲良くしようなんて、そういう人が出てきたら困るな。

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2020年8月27日 (木)

ラ・バヤデール

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たまにはバレエでもということで、昨夜は録画してあった「ラ・バヤデール(La Bayadere)」を観てみた。
深刻な全生園の話題から、あっという間にノーテンキな話題になっちゃうから、わたしのブログってアクセスが増えないんだよな。
それはともかく、その結果つまらない大発見をした。

このバレエについて、おおざっぱなあらすじを説明すると、インド(!)の王宮に美しい踊り子がいて、国王のせがれ、つまり王子さまといい仲だったんだけど、身分が違うっていうんで、王子さまには親父の見つけてきたべつの婚約者がいた。
踊り子との仲を絶ち切れない王子さまに業を煮やした婚約者は、結婚式の場で毒蛇を使って踊り子を暗殺しようとする。
踊り子には横恋慕する大司祭というのがいて、これが毒消しの秘薬を勧めるんだけど、踊り子は王子さまへの愛をつらぬいて敢然と死におもむく。
このあと「ジゼル」みたいに、死んだ踊り子が迷って出る場面もあるんだけど、それはあまりおもしろいエピソードではないから、わたしにはどうでもよかった。

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録画したのはミハイロフスキー・バレエのもので、ヒロインを演じるのは、ボリショイ劇場で硫酸事件というものがあったとき、一方の関係者とされたアンジェリーナ・ヴォロンツォーワさん。
せつなげな表情といい、ほどほどに脂肪のついたやわらかそうな肉体といい、飛び抜けていいわけでもないプロポーションといい、日本人好みのいいオンナ、と思うのはわたしだけかしら。

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このバレエはロシアのバレエだけど、有名なのでいろんなバレエ団によって演じられていて、YouTubeではいくつかの異なる舞台を観ることができる。
わたしの大発見というのは、ヒロインが暗殺される結婚式場の場面でのこと。
ここは王宮ということで、豪華絢爛たるセットのまえに、国王夫妻、せがれの王子さまと婚約者、大司祭や女官や衛兵が勢揃いして、はなやかな宴がくりひろげられる。
ボリショイ版なんかだと、舞台の背後に女官たち、さらにその後ろに槍をもった衛兵が控えているのがフツー。
録画したミハイロフスキー版では、女官たちの後ろにインドの民族服を着た男女が数人立ってるんだけと、サリーを着た八等身の女性たちが、彼女らはたんなる添えもの役にすぎないのに、じつに本物感がある(最後の写真)。
ほかの舞台が学芸会にしか見えないくらいだ。

これはわたしだけの感想かも知れないし、正直いってバレエの踊りそのものには関係ないことである。
だからこそわたしの大発見なのだ。
ええ、ホント、つまらないことなんですが。

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2020年8月26日 (水)

沈黙へ

お墓なんて子孫の負担になるだけだと思うのに、そんなもの要りませんといえる人がどのくらいいるだろう。

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じつは今日、暑いなかを自転車でふらついていて、近所にある「全生園」という医療施設に入ってみた。
知らない人には、樹木のよく保全された気持ちのよい環境のところだけど、知っている人は知っているだろう。
ここはかって国立のハンセン病療養所があったところで、各地から収容された患者さんたちが、偏見や差別にさらされながら、金網に囲まれたこの場所で、孤独と悲しみの人生を送ったところである。

で、今日は「全生園」について書こうと思ったけど、ここで春秋をすごした患者さんたちのことを考えたら、これはおいそれとは書けない。
明日なら書けるかというと、わからない。
いつか書けるかというと、ぜんぜんわからない。
何回か通ってみて、書けそうなことがあったら書くつもりだけど、園内をふらついているあいだに、冒頭のお墓についてという大命題に思い当たったことも事実。

とりあえず写真を1枚貼っておこう。
ベルイマンの映画に出てきそうな写真だけど、このスウェーデンの名監督も、終生神と人間の存在ということを考え続けた。

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2020年8月25日 (火)

冷やし中華

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今夜はこれから晩メシというか、夜食というか、時間の不規則なわたしにはなんでもいいけど、とりあえず手作りの冷やし中華を食べるところ。
これから文章をひねるゆとりがないので、今日の更新はその冷やし中華の写真でお茶をにごす。
暑い夏でも食欲に齟齬をきたさないという、ベジタリアンのわたしにふさわしい、トマトやキュウリなど野菜の具が満載の冷やし中華だ。
ふつうはこれにコーンや紅生姜を載せるんだけど、あいにく切らしていたので、柴漬けでごまかした。
カニのように見えるのは、ズワイガニもどきだ。

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2020年8月24日 (月)

満州のむかし

夜になるとYouTubeで音楽三昧だ。
昨夜はまた「満州の丘の上で」というロシアのワルツが聴きたくなって、
YouTubeを探してみたら、この曲を愛する人は多いとみえて、あるわあるわ。
全部聴いていたら朝までかかるんじゃないかと思えるくらい、いろんな歌手、楽団による演奏がアップされていた。

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そんな中に、演奏の背後になにかの映画から引っぱってきたような映像が流れるものがあった。
ロシアの戦争映画らしいけど、音楽のために制作したにしては手が混んでいるから、ちゃんとしたもとの映画があるらしい。
満州の丘といえばだれだって日露戦争を思い浮かべる。
ロシア側から見た日露戦争の映画があるなら見てみたい。

そこでネットのリレー検索機能を活用して、いろいろ調べてみたら、この映画はロシアのテレビ番組として制作された、2017年の「アンナ・カレーニナ」であることがわかった。
「アンナ・カレーニナ」といえばトルストイの、超有名な小説である(読んでないけど)。

YouTubeにはこの映画がそっくりアップされていた。
テレビシリーズだから5時間半もある。
しかしラブシーンをみたいわけじゃないから、いくら長くても早送りで見ればいい。
早くても遅くても、どうせ字幕がないから意味はわからんのだ。
それじゃあなんのために見るかと訊く人がいるかもしれぬ。
そりゃ好奇心だね。
満州の丘、つまり日露戦争が出てくるロシア映画があるなら、満州の部分だけでも見てみたいのだ。

それにしても「アンナ・カレーニナ」と満州の丘は結びつけにくい。
小説はまだ帝政時代のロシアが舞台で、浮気の好きなロシアのオンナの人が浮気をする話のはず。
時代的には合ってるけど、日露戦争なんか出てきたっけか。

ウィキペディアに当たってみた。
わかったことは、小説のほうは日本と戦った戦争ではなく、トルコとの戦争が背景になっているらしい。
それがどうして日露戦争になってしまったのか。
最近ロシアの若い娘がみんな日本に行きたがって困るから、ラブロフさんが釘を刺すために、日本はコワイ国だぞと国策映画のつもりで作ったのかしら。

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わたしが見たかったのは満州が出てくる場面だ。
映画ではサンクトペテルブルクの豪奢な貴族の生活と、満州に送り込まれた兵士たちの悲惨な生活が交互に描かれる。
あちらの映画は時代考証がしっかりしているから、ここに描かれた満州の田舎は、かっての農村風景が忠実に再現されているようだった。
じつはわたしの両親は満蒙開拓団のメンバーだった人で、わたしは母親に当時の生活について聞いたことがある。
この映画に描かれた風景は、でたらめでも誇張でもないようだ。
粗末なワラ葺き屋根や、土で固めてひび割れたた壁など、当時の日本人が見たって貧しいとしかいえない生活である。

この映画ではロシアの軍人と中国人の少女の交情も描かれていたけど、少女の衣服といったら、動物の皮をつなぎ合わせた粗末なコートに、腰にヒモを巻いただけという格好だった。
わたしには中国人をさげすもうという意識はないつもりだけど、自分たちより貧しい人間をバカにする人間はどこにでもいるものだから、こんな光景を見て、ひどい生活をしてやがんなと思った日本人は多かったのではないか。
しかし、現実は現実として、当時の中国や朝鮮の農村が、こういう状態であったことは銘記しておいてほしい。

この映画に日本軍は、最後にほんのすこし出てくるだけである。
軍旗である旭日旗を押し立てて襲撃してきて、ロシア人はあわてて退避するんだけど、史実どおりならここはロシアの機関銃が火を吹き、日本兵はばたばたとなぎ倒されなければいけない。
そういう点ではこの映画の満州の部分は、騎兵隊とインディアンの戦争を描いた荒唐無稽な西部劇とたいして変わらない。
でも、そんなことはどうでもいいのだ。
わたしに興味があったのは、あくまで満州の部分、その背景
だけなので。

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2020年8月23日 (日)

これだけ

前項で長ったらしい文章を書いたけど、どうせ読む人はひとにぎり。
2日も続けて長い文章を書くと、あいつは一日中なんか書いてるんじゃないかとバカにされる。
今日はこれだけにしとこ。

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2020年8月22日 (土)

韓国からの報告

図書館で「韓国・現地からの報告」という本を借りてきた。
前項で書いたように、ひじょうにイライラさせられる本である。
で、またいちゃもんをつけようと思ったんだけど、ヘタにつけると著者の順子サンから、なにさ、韓国に行ったこともないくせにとわめかれる可能性がある。
なにしろ彼女の売りが、韓国に住むジャーナリストの、現地からのナマの報告ということなのだ。
そしてわたしはもちろん韓国にいちども行ったことがない。
そのへんを突かれると困るので、いちゃもんをつけるというより、わたしが感じた、彼女への疑問を問いかけるかたちにしようと思う。
この文章の、とくに終わりのほうに疑問文が多いのはそういう理由である。

いちゃもんのまえに、韓国について書こうとというすべてのジャーナリストに、簡にして要を得た指針というものを伝授しておく。
まず韓国では、新しい大統領や政権が誕生しても、それが左右のどちらであるとに関わらず、その支持をむやみに明確にしてはいけないということだ。
就任当初こそカッコいいことをいうけど、あの国では大統領、もしくはその側近が腐敗することは、もう絶対に確実なことなのだから。

これは過去の政権を見れば一目瞭然だ。
李承晩から最近の文在寅サンに至るまで、本人、もしくは取り巻きが腐敗しなかった政権はひとつもない。
順子サンは、なぜか現在の文在寅大統領をひいきにしているようだけど、やっぱり裏切られて恥をかいているのである(本人はそう思ってないかも)。

この本にいちゃもんのタネは多い。
多いどころか、初めからお終いまで、朝日新聞やカルト宗教がよくやるような、自分に都合いい意見だけを並べ立てた本である。
とても全部あげつらってはいられないので、最初のほうでとくに目についた、前大統領の朴槿恵(クネ)ちゃんのことを取り上げてみよう。

韓国では大統領の権限は絶大だけど、これはか弱い女には手にあまる職権で、つい古くからの親友に相談してしまう。
すると相談されたほうは、大統領の親友という特権をふりまわして、当然のように利権を漁る。
ブレーンを作るというのは、歴代の大統領ならだれでもやっていることだけど、問題は、選ばれたブレーンかならず腐敗することなのだ。
そういう土壌があることが韓国の悲劇なのである。

日本で共産党の書記長(いまだれだっけ)が腸捻転かなんかでポックリ死ねば、昨日の敵は今日の友、自民党のお偉いさんが追悼の辞のひとつでも述べることはまちがいがない。
これは立場が違うだけで、どちらも国のために働いたのだというコンセンサスができているからである。

ではクネちゃんがそんなにひどい大統領だっただろうか。
立ち位置のむずかしい韓国で、彼女は彼女なりに精いっぱいそれを模索した。
それがどのくらいむずかしいかは、現職の文サンも、米国につくか独自路線で行くかでぐらぐら揺れていることでわかる。
日本との関係でも同じこと。
反日でいくか、親日にするか、移ろいやすい自国民の顔色をうかがいながら、適切な判断を下さなければいけないのだ。
フェミニストのわたしはクネちゃんに同情してしまう。

順子サンにいわせると、弾劾され、罷免されたクネちゃんが、支持者のもとへ笑顔で帰ったのがケシカランという。
自分の責任をどう考えているのかと、米国のニクソン大統領まで引き合いに出して叱責しているけど、しかしこの時点ではまだ彼女は闘うつもりでいた。
だとすれば、支持者のまえで弱気な顔を見せられないのは当然ではないか。
ましてお化粧をしていた、おしゃれをしていたと責めるようでは、順子サンてはたして女なのかと悩んでしまう。

途上国や独裁国家ならいざ知らず、わたしにはクネちゃんが、懲役20年とは信じられない。
順子サンにいわせると、この判決は裁判官の全員一致の結論だったそうだ。
だから文句はいえないということらしいけど、民主主義では、裁判官の全員一致はまず疑ってかかれというのが鉄則だ。
裁判のとちゅうでクネちゃんが、これは政略裁判だと叫んでいたけど、おそらく彼女の言い分に耳を貸す裁判官はひとりもいなかったのだろう。
どこが民主主義だ、なにが三権分立だ。

順子サンはしきりに現職の文在寅サンの肩を持つけど、彼の化けの皮も剥がれてきた。
だからわたしはいう。
韓国ではこれからも、間違いなく同じことが繰り返される。
大統領はともかくとしても、登用される政治家や役人は、右や左に関係なくことごとく腐敗する。
そしてまた弾劾だ、政権交代だが繰り返される。
ジャーナリストたる者は、早とちりをせずに、相手を慎重に見極めるべきである。

慰安婦問題に関して、順子サンが、50年もむかしに流行ったキーセン観光を持ち出したには驚いた。
良し悪しはべつにして、安く女を買える国があれば、男が大挙して押し寄せる。
これはいまでも世界中で見られる現象である。
だいたい韓国が禁止すればあり得るはずのないことだったのに、なんで日本の男だけが責められなけりゃいけないのか。
そんな男の本能に関わることを、しれっと慰安婦問題に結びつけるくらいなら、日本政府が戦地での暴力や強姦を防ぐために、慰安所を設置したということにどうして考えが至らないのだろう。

順子サンは韓国からのナマの報告をうたっているけど、現地に住んでいったいなにを見ていたのか。
韓国人と同化したいというならわかる。
彼女の思想はまったく韓国人そのものだから。
しかし、そんなことをいうと反発する韓国人もいるかもしれない。
わたしがよく読むネット記事には、べつの考えの韓国人もけっして少なくない。

このへんまで読み進んできて、わたしはわけがわからなくなった。
わたしみたいなしろうとでさえ疑問を持つ本を、頭脳明晰であるはずのジャーナリストがなんで書くのか。
ひょっとすると順子サンは、わかっていてやってるんじゃないのか。
これは韓国人の肩を持つようにみせて、じつはけなすという、逆転の発想で書かれた本じゃないのか。
だとしたらあの百田尚樹さんより、テクニックはそうとううわ手だ。

それとも、なんでもいいから話題をこしらえて、売れ行きのいい本をこしらえようという出版社の陰謀だろうか。
順子サンは筑摩書房におだてられて、ついつい調子に乗って書いてしまったのだろうか。
内容があまりむじゃきなので、読むさいは、そういうことに注意をしたほうがいいかもしれない。

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2020年8月21日 (金)

韓国関連の本2冊

とくに読みたい本もないくせに図書館をうろついて、引っこ抜いてきたのが韓国関連の本2冊。
池上彰の「世界の見方・朝鮮半島」と、〇〇順子というオンナの人の「韓国・現地からの報告」って本。
池上さんの本はこじれた日韓関係をわかりやすく解説してくれるもので、あらためておさらいさせられる部分も多い。
順子サンの本は、ちらりと見たかぎりでは、あちら側を擁護する感じだったけど、わたしは相手の言い分にも耳を傾けようという殊勝な男なのだ。

この本のなかで順子サンは、池上さんの本を読むとイライラすると書いている。
でもそんな順子サンの本を読んでイライラしているわたしみたいな男もいるんだけど。

ただ「現地からの報告」の内容が、あの朝日新聞でも書かないようなむじゃきなものなので、これはひょっとすると、順子サンと筑摩書房が組んだ謀略の本かもしれない。
そのへんを詳しく書こうか、それともあんまりアホらしいので放っておこうか、いま思案中。

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2020年8月20日 (木)

セミ

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昨夜はいくらかしのぎやすかったので、ベランダを開け放して寝ていたら、部屋のなかにアブラゼミが飛び込んできた。
まあ、セミだからな。
蛾やゴキブリよりはましだというんで、ひっつかんでおもてに放り出した。
子供のころは網を持って、よくこいつを捕まえに行ったもんだ。
失敗してオシッコをひっかけられたこともある。

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セミは夏の終わりの季語だ。
むかしの人もうるさく鳴いていたセミが、そのへんにポトリと落ちるころには、もう夏の終わりが近いことを知っていたのだろう。
わたしの新しい部屋で初めての夏も、そろそろ終わりの気配らしい。

  キチキチと握れる手よりセミの声
          夏の終わりと告ぐる声かも

うん、一首ひねくり出したぞ。
俳句にしたかったけど、むずかしいので短歌にしました。

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2020年8月19日 (水)

ジンバル

夜になって買い物に行くために外へ出たら、おお、風がさわやか。
とうとうエアコンなしで過ごせる夜がもどってきたか。

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知り合いがジンバルを貸してくれた。
ビデオで自撮りをする場合の緩衝装置である。
やってみればわかるけど、ビデオカメラで移動しながら自分を撮影する場合、カメラのぶれは無視できないくらい大きい。
かってのプロカメラマンたちは、ぶれを抑えるために、大きく重い緩衝装置を使っていた。
それが最近では YouTube の隆盛もあってか、個人でも気軽に使える、軽くて便利な緩衝装置(ジンバル)が普及してきた。

知り合いは家族から禁治産者に指定されかねないくらい、新しい電子機器にやたらに飛びつく人である。
しかも買うときは、つねに最高の品を買いたがる。
だから貸してくれたジンバルもなかなか高性能で、ためしに使ってみたわたしは吃驚した。
これとドローンがあれば、また新しい人生の目標が見つかるんじゃないかと、創作本能がうずうずしてきたくらいだ。

でもやっぱりわたしっておじさんなんだよね。
他人がいるところで、ひとりでカメラに向かってつぶやくのは恥ずかしいのだ。
機材はどんどん進化て、値段も手の届くところに来たってのに、やっぱしわたしって早すぎた世代なのか。
知り合いがそのうちようすを見に来るらしいから、そのとき彼にお付き合いしてもらって、もっとあっちこっちで使ってみよう。

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2020年8月18日 (火)

河豚タワー

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中国人の知り合いに、メールで、日本人は猛毒のフグだって食べるんだぜと自慢したら、中国だって食べます、揚中の河豚は有名です、海安では養殖もされてますと書いてきた。
ホントかよ。
中国人は雑だから、フグを食べたら年間に数百人の死者が出てんじゃないか。

わたしは中国へ何度も行っていて、市場は重点的に見ることにしていたけど、河豚なんていちども見たことがない。
むかしのあちらの市場は淡水魚がほとんどだった。
上海のような海から近い都市でもそうだったから、中国人は海の魚が好きじゃないのかと思ったくらいだ。
それがいまでは輸送網の発達もあって、内陸の蘭州でも海鮮に不自由はないらしい。

河豚は日本の影響かもしれないと思ったら、知り合いにいわせると、河豚蒸しはかなり古くからの伝統料理だという。
毒があることはもちろん知られているけど、なにしろコウモリでさえ食べる中国人だ。
吃河豚那是小菜一碟,什么叫小菜一碟就是指值得大肆宣扬
そんなに大騒ぎするものではないということのよう。

揚中、海安とも、上海のとなりの江蘇省の町で、海から遠くないし、揚中には河豚タワーなんてものまであるそうだ。
いまでもあるかどうか知らないけど、制作費が7千万元もかかって、あちらでもいろいろ揉めたそうである。

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2020年8月17日 (月)

終わった

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ああ、F1の6戦目、スペインGPが終わったよ。
ホンダのM・フェルステッペンは今年3回目の2位だ(ほかに1位と3位が1回づつ)。
メルセデスの牙城は今回もゆるがなかったけど、正直いって今シーズン最速のドライバーはフェルステッペンだろう。

今回出場したメーカーはメルセデスとホンダが4台づつ。
そのうち5位までにメルセデスが4台入っているから、メルセデスが圧倒的に速いことは間違いがない。
しかしその4台のなかに割って入って、しかも2位というのだから、これはパワーの差をテクニックで補っているとしか考えられない。
パワーが互角なら、ホンダの黄金期はとっくに再来していたのにねと、すこし残念。

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2020年8月16日 (日)

落合川のビックリ

昨日は自転車で多聞寺方面へ出かけた。
いい運動のつもりだけど、電動アシスト自転車だと30分もかからないから、これで脚力をつけようというのはムリである。

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多聞寺のわきの落合川をながめておどろいた。
このクソ暑いのに、この川辺にはテント村ができていた。
コロナのせいで学校のプールも使えず、旅行も禁止で、安・近・短を強いられたお父さんたちが、もっけの幸いと、家族をつれて水遊びに押し寄せていたのだ。
多聞寺のまえから500メートルほどの区間に、絶好の水浴場ができていて、場所によってはコンクリートの堰を利用したウォーター・スライダーまで。

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ああ、わたしの子供時代によく見た夏の風物詩だなあとしみじみ。
どうじゃ、たまげたか。

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2020年8月15日 (土)

落合川のほとり

暑い。
けれど、家に引っ込んでばかりもいられない。
冷蔵庫にあった梅干しひとつをパクリと食べ、冷やした水道水をがぶりと飲んで、今日は落合川の下流にある水辺公園や多聞寺の方面へ。
行ってみて、思わずあっとおどろいた。
どうしておどろいたかというまえに、このあたりについて説明しなくちゃ。

じつはこのあたりはもっと以前に紹介するつもりで、写真に撮っておいたんだけど、過去ログを調べてみたら、ヤボ用にまぎれて紹介するのを忘れていたらしい。
で、まずこのあたりを紹介して、なんでおどろいたかということはあとまわしだ。
ことわっておくけど、ここに載せた写真はすべて五月の末に撮ったものである。

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我が家から自転車で20分ぐらいのところに多聞寺という古刹がある。
門は古そうだし、東大寺に負けないようなカッコいいい鴟尾もついているけど、本殿はコンクリートだからありがたみを感じない。
また近くに氷川神社もあり、こちらはうっそうとした森に囲まれて、境内のクスの大木もなかなか古そうだから、ちっとはご利益がありそう。

でもお寺も神社もどうでもいいのだ。
わたしが紹介したいのは、氷川神社の裏手を流れる落合川で、この岸辺は都会の川の例にもれず、きれいに整備されて散歩コースになっているけど、そこかしこに、わたしが育った北関東の農村風景を彷彿とさせる景色が残っている。

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まず紹介するのは落合川のほとりにある「水生公園」。
小さな公園だけど、5月にはハスとナガバミズアオイが咲いていた。
そしてその近くで見たカワセミの墓。
日本の子供たちのやさしさはこういうところにも見出せる。
カワセミさんが亡くなったのは1年以上まえなのに、お盆のたびにいまでも供養がされているようなのである。

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上の写真のこのあたりは、開発されるまえは、おそらく「河童ケ淵」とでも呼ばれていたのだろう。
わたしが子供のころ、こんな景色はいたるところにあった。

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最後の2枚の写真は、そのあたりの農道と農家のたたずまい。
いまどきの若い家族にはわかってもらえないかもしれないけど、わたしのこころの琴線にふれる景色である。

ところでおどろいたのは何におどろいたのか。
それは次項で。

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あれま

記事を更新しようとしたら画像が取り込めなくなってしまった。
ハードディスクがいっぱいになったらしいけど、これはわたしのパソコンではなく、ブログサービスをしているニフティのほうのものらしい。
お金はかかるけど容量を増やしてもらえばいいのか、過去の画像を削除すればいいのか、ただいま調査中なので、とりあえずブログの更新はストップ。

追伸/その後ニフティとの契約を変更した。
月に450円のアップで、これまで2GBまで使えたものを、5GBまでOKというものにした。
2GBで13年間使えたのだから、5GBならもう死ぬまで使えるんじゃないか。
というわけで、先ほど出来なかった更新をもういちどやってみる。

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2020年8月14日 (金)

今年のF1

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やたらにいろんなものに興味があるところは分裂症みたいだけど、今度はF1(フォーミュラ1)の話題です。
今年はコロナの影響でF1サーカスも大幅に縮小されちゃって、レースがヨーロッパにおける10試合だけ、とうぜんながら日本グランプリもありません。
ひじょうに残念。
残念に輪をかけて残念。

どうしてそんなに残念かというと、つい先週も英国でレースがあったばかりで、そこでついにホンダのマシンが優勝した。
それまでの4戦ではメルセデスが圧倒的に強かったんだけど、ホンダも3位、2位、2位と尻上がりに調子を上げ、5戦目にして優勝ということは、残り5戦から目がはなせなくなった。
ホンダというと、ついアイルトン・セナを擁していたころの黄金時代を期待してしまう。
いや、メルセデスの巻き返しもあるかもしれない。
いったいどうなるのか、つぎのレースが楽しみ、と書こうとしたら、それは今週の週末で、もうあさっての日曜日が決勝なんだよね。

どうせわたしの知り合いはF1なんぞに興味はないから、いまこんなおもしろいレースをしていますと、広報しておく。
目立たないけど、今年のグランプリはおもしろくなりそうです。

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2020年8月13日 (木)

アイスコーヒー

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同類相憐れむのおじさん同士で語りあってきました。
もちろん前向きの話題があるはずがありません。
おじさんが飲んでいるのはドリンクバーのアイスコーヒー。

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2020年8月12日 (水)

女神のその後

おお、民主化の女神・周庭ちゃんがもう釈放されちゃったよ。
わたしのいったとおりじゃないか。
中国はトランプさんのアメリカとは違うのだ、グローバル化されたおとなの国だかんねということを世界に広報したいのだ。
女神がふくれっつらをしていたかどうかまでは、マスクをしているのでわからんけど。

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2020年8月11日 (火)

民主の女神

香港で民主の女神(周庭さん)が逮捕された。
美人だから気になるけど、彼女は日本人にも支援を求めている。
日本政府は例によってたてまえに終始し、あまり深くは関わらないスタンス。
それでいいんじゃないか。
ネットには、これで彼女は強制収容所だ、拷問だ、洗脳だという声があふれているけど、いまの中国政府がそこまでやるだろうか。
これだけ大騒ぎになって、世界の注目を集めている事件だ。
グローバル国家として認めてもらいたい中国が、わざわざ抑圧的国家であることを宣伝するとは思えない。
ケンカ腰のトランプさんとだって、まだ交渉の余地を残しておきたいだろうし。

日本としては、彼女を見守っているという意思表示だけ示しておけばいい。
わたしの予想では、女神はそれほど遠くないうち、ふくれっつらをしたまま釈放されると思う。
妥協の余地のないほど中国を硬化させると、かえって彼女の身に危険がおよぶ可能性がある。

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2020年8月10日 (月)

また暑い

ビールと枝豆でイッパイやろうとして、何気なくテレビを見たら、BSでクラゲの番組をやってたよ。
わたし、クラゲにかぎらず、海のなかの野生動物を扱った番組が大好きで、録画をもらさないよう、番組表は欠かさずチェックしてるのに、おかしいねえ。
暑いのでどこか精神が弛緩しちゃってるみたい。
なんとかこの夏を乗り切らなくちゃ。

今夜はこれだけ。
人のこと笑ってないで、アンタも気をつけたほうがいいです。

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2020年8月 9日 (日)

ポスターの比較

しつこいけど、守鍬刈雄(スグワカルオ)クンのYouTubeチャンネルについて、もう1回だけ書かせてもらう。
彼は「
2001年」の映画ポスターについても考察しているんだけど、これを見てわたしはますます迷った。
この人はほんとうにふざけているだけなんじゃないか。
じつは彼はひじょうに優秀な地球外生物で、いまだヒトザルの状態にある人類をからかっているだけじゃないかと、そう思える節があるのだ。

とにかくその考察というのが、ヘタな漫画よりずっとおもしろく、ヒマなときに読むとおおいに楽しめる。
こんなおもしろいものを知らない人がいたらもったいない。
で、わたしは彼のサイトをユーモアチャンネルとみなして、おおいにプッシュしてしまうのだ。

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2001年」のポスターは、米国版と日本版では構図が異なる。
まずアメリカ版のポスター(右側)の考察だけど、守鍬クンのそれは微にいり細をうがつというくらいで、考察するまでもないようなことまで考察しているのがもう抱腹絶倒。

でも、やっぱり最初にことわっておくけど、ここで彼は映画タイトルの Odysseyという言葉に触れている。
とうぜんギリシア神話が出てくるかと思ったら、ただ冒険とか旅とかしか訳さないのは物足りなかった。
しかしそれはわたしの知能が特別に優秀というわけじゃない。
わたしは彼より(たぶん)数十年以上は、余分に本を読む時間があったのだ。

ポスターに描かれている宇宙ステーションは、これはたぶん映画の初めのほうに出てくるものじゃないかと守鍬クンはいう。
じゃないかって、アノネ。
そのかたちや、スペースシャトルが出入りしているのを見て、そうではないという人がひとりでもいるだろうか。
宇宙ステーションの背後に描かれている巨大な半円形の星については、これはおそらく地球でしょうともいう。
おそらくじゃないでしょう、アンタ。
この映画を観れば、だれだって地球以外の星であるとは思わないはず。

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映画を見ればわかるけど、この宇宙ステーションはまだ部分的に建造中である。
ポスターでは建設中のステーションの一部も見えるんだけど、それについても、これはなんだろうと考える。
車輪がふたつ並んだかたちをべつな方向から眺めれば、ステーションの一部があんなふうに見えることもあるって、これは子供の知能テストだな。

宇宙では反射の要素がないから、光は直線的になるので、宇宙ステーションにこれこれこういう影ができなければおかしいと科学的なことをいう。
まちがいとはいえないけど、地球がこれだけ近ければ、その反射光は満月とは比較にならないくらい大きい。
こうなると光が一方向から来るとはいえないし、宇宙ステーションの乗客は、地球の反射光だけで、新聞ぐらい読めるんじゃないか。

いちばんおかしかったのはアメリカ版と日本版のポスターの比較だ。
ご丁寧にモニターに二つのポスターを同時に表示させて、比較しながら彼はうーんと考える。
ちょっと絵を見慣れた人なら、両方とも同じ原画を好きにトリミングして、構図を変えただけということがすぐわかるのに、彼は反転させたのかな、でも色がすこし違うな、べつにまた描いたのかしらと悩む。
ようやく日本版は米国版を、90度傾けただけという結論を出すころには、宇宙船なら行程の半分くらい行ってしまってるワ。
このへんはチャプリン映画顔負けにおかしくて、ほんとうに冗談でやっているのかと思ったけど、考察しながらいちいち小さな声でつぶやいているところをみると、本気で悩んでいるらしい。

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ここでわたしは思った。
守鍬クンというのは若いころのわたしそのものじゃないか。
自分の趣味の範囲内にはめっぽう強いところがあるくせに、余計なことばかりに頭を使って、どこか抜けている。
自分の描いたイラストを動画として活用するのはいいアイディアだけど、これをひんぱんに
YouTubeに上げるのはけっこう大変だ。
そんな大変な仕事をひとりでこつこつやるというのも、わたしの若いころにそっくりだ。
ただ、いくら凝ってもわたしの時代には、それが出版社にでも売れないかぎり、お金を稼ぐ方法がなかった。
守鍬クンが
YouTubeでいくらかでも稼いでいるとしたら、彼は幸運な男である。

ということで、彼のYouTube映像に対するいちゃもんは終わり。
これはいちゃもんというより、補足説明と思ってほしい。
つまり漫才のボケとつっこみ役の分担だな。
わたしは彼とコラボをしたつもりで、それはとっても楽しいことだった。

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2020年8月 8日 (土)

【すぐわかる2001年】

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わたしのパソコンは優秀というのかアホというのか、わたしの興味あることをいち早く悟って、わたしの気に入りそうなものを優先的に提示してくれる機能をそなえている。
こないだYouTubeでヘビがカエルを呑む映像にはまったら、それからはのべつまくなしにヘビばっかりだ。
呑まれるカエルが気のドクだから、またバレエにでもせっせと観て、ほんとうに好きなのは美女であることを学習させなくちゃ。

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昨日はYouTube上に「2001年宇宙の旅」の新しい解説が出たらしくて、守鍬刈雄(スグワカルオと読むらしい)なる人のサイトが表示された。
わたしがこの映画の盲目的信者であることを知っているパソコンが、また気を利かせたらしい。
むろん、のぞいてみた。

なんだなんだなんだ、この解説は、と書こうとして思いとどまったのは、これを見ればあの難解なストーリーがすべてわかりますという、えらい自信たっぷりなセリフを聞いて、ひょっとすると守鍬サンという人は、わたしと同じように世間の常識に反抗して、わざと有名な作品をコケにしているのてはないかと思ったからだ。
それなら、手前味噌になっちゃうけど、彼はそうとうに優秀な知的生命体といっていいから、ヘタに文句をつけるのはキケンである。

2001c

だからまず、守鍬サンがどんな人なのか推測してみた。
文章よりも話し言葉優先で進行するところをみるとと、かなり若い人らしい。
彼の言い分はかなり理屈っぽいところがあるので、わたしの年代なら、これだけの理屈を叙述するのに、普通は文章を使う。
そうしないということは、まだ
20代の若者ではないか。
若い人が「
2001年」に関心を持ってくれるなら歓迎すべきだけど、ちょっと聞くにたえない部分もある。

わたしはキューブリックという監督を尊敬することでは人後に落ちない人間なので、あまり暴言を吐いてほしくない。
神の目を持つキューブリック監督はなんて、揶揄するような言い方をされると気にさわる。
編集のヘタクソな監督が完成まえに公開してしまった映画とは、いくらなんでも言い過ぎだ。

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そこで例によっていちゃもんということになるけど、あらかじめ断っておこう。
守鍬クンのこの「
2001年」の解説は、調べてみたらもう3年もまえに公開されたものだった。
だからそれ以降に、誰かがわたしと同じいちゃもんをすでにつけたかもしれない。
すると二番煎じの可能性もあるけど、しかし彼のサイトはいまでもだれでも読むことができるのだから、それについて読者が異論をはさむ権利はまだ持続中と考えられる。
このサイトについては、なかなか興味深い点も見出せるのだ。

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重箱のすみをつっつくようなことはしたくないけど、守鍬クンの説明にはおかしなところがある。
彼は「
2001年」をドキュメンタリーのような映画と決めつけており、だからナレーションが入らなければおかしいという。
このへんはちと納得しかねる説明だ。
わたしはBSでよくドローンによる空撮紀行や、トラムに乗って移動するだけという番組を観るけど、セリフもナレーションもほとんどないにもかかわらず、あれだって立派にドキュメンタリーである。

だいたい世間にはやたらにナレーションの入った映画が多すぎる。
ということは、わたしの世代ならだれでも感じていることだ。
そういうものを徹底的に排除して、観る人に勝手に想像させようというのが「
2001年」で、最後の結末はさておいて、そこまでのストーリーはちょっとしたSFファンなら誰にでもわかる。
子供じゃあるまいし、余計な説明はないほうがいい。
この映画の傑作たる所以は、だからこそ、なんだけどね。

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最初のほうで、フロイド博士が月の表面で発見された物体を秘密にしておくのは、守鍬クンにいわせると、いきなり発表すると人々がパニックになるからということである。
そうではなくて、この映画の制作当時はまだ米ソ冷戦の時代だったということを考えなければいけない。
米国が先に発見したものを、ソ連の科学者にべらべらしゃべるわけにはいかなかったのだ。
いまどきの若者には、米ソ冷戦といっても理解しにくいだろうけど、現在ではボイジャーやニューホライゾンズの発見した外惑星の情報も、早いうちに公開されているではないか。
いま月で謎のモノリスが発見されれば、世界中の科学者が即座にその情報を手にすることは間違いがない。

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ずいぶん科学に詳しいつもりらしいけど、逆に無知をさらけ出している部分もある。
映画は惑星直列から始まるというんだけど、これは月と地球がならんだその向こうから、太陽が登ってくるタイトルバックのことをいっているのだろう。
しかしこれは月食のシーンであって、惑星が直列しているかどうかは、このシーンだけではわからない。
しいていえばボーマン船長が木星に到達して、探査機で異次元空間に迷い込む直前に、木製の衛星とモノリスが十字架状にならぶシーンがあり、それを神秘的な意味にとりたくなるけど、あそこもそれだけでは惑星が直列してるかどうかはわからないのである。

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さらに大きなカン違いもある。
彼はこの映画は小説と併せて読むべきだというんだけど、アーサー・C・クラークの原作は「前哨」という短編だけで、月を見るモノという名前のサル、あるいはビッグブラザーというモノリス、そこに異次元空間への入口があるなんて設定は、これすべて映画が完成したあとで、世間の要望に応じてクラークが新たに執筆した「
2001年」なのである。
映画と同時に読むわけにはいかない小説だし、これを参照しながら話を進めるというのがそもそもおかしいのだ。

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もうこのくらいにしておこう。
彼の
YouTubeサイトは、手描きのイラストを動画にするというおもしろい試みがされており、いいアイディアだなと感心した。
むかしはわたしもマンガ青年だったので、もっと若ければぜひこういうことをしてみたかった。
だからこういう映画の解説があってもいいと思うけど、しかしキューブリック作品の解説は、彼の手にはあまるようだ。

2001k

わたしのブログは月のモノリスのように巨力な磁場を発生させているわけじゃないから、彼がこのブログを、ネット砂漠から首尾よく発見するかどうかわからない。
発見したとしても、わたしはご高説を垂れようってわけじゃない。
わたしは彼より、おそらく
40年は長く生きているだろう。
つまり歳の功というやつで、じいさんがなんか言ってらあでケッコウ、気をわるくしないでこれからも精進してほしい。
彼はほんとうに若いころのわたしによく似ているようだ。
その理由を次項で述べる。

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2020年8月 7日 (金)

猛暑の日

暑いねー。
窓際のレースのカーテンの下部がほつれたので、今日はそれを修理することにした。
レースだから糸で縫うのもおかしいし、だいたい裁縫なんかできそうもないし、調べたら接着剤でくっつける方法があるという。
というわけでホームセンターに行って、リップスティック型の接着剤を買ってきた。

これなら指が汚れなくていい。
と思ったけど、残量が見えないのが欠点だ。
仕事の2/5ぐらいをこなしたあとで、あら、もう薬剤がなくなった。
また明日もホームセンターに行かなくちゃならん。
安いから文句はいわんけど、こういうのも商取引法に抵触せんのかい。

暑いのはアフリカのサバンナも同じらしく、いま録画したテレビ番組を観ていたら、ようやく見つけた木陰で休んでいたライオン一家が、水牛に追っ払われていた。
だらしがないというか、気のドクというか、野生の世界も生きていくのは大変なんだねえ。
こういうだらしないことを書いているからといって、わたしもノンキだと思われたくないけど。

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2020年8月 6日 (木)

情婦

暑い。
暑くなくても一日ひきこもりだから、あまり変わらないけど。
今日はいいネタがない(考えてる時間がない)ので、ずっとまえに書いた文章でお茶をにごしとく。

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ミステリーの結果を語るのはモラル違反という説がある。
へそ曲がりのわたしは、もちろんそんなものは無視してしまう。
というのは、これから触れようとする映画は1957年の古い映画で、わたしがモラル違反だからとあいまいな説明をしておいたほうがいいか、いや、この映画のトリックは素晴らしいと、こまかい種明かしをしたほうがいいか。
はたしてどっちがいまどきの若い人たちに関心を持ってもらえるだろうということである。
うん、どうしても結末を聞きたくないという人は、この先を読まなければいいだけの話だ。

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映画というのはアガサ・クリスティーの原作を、ビリー・ワイルダーが監督した「情婦」という作品である。
わたしは原作を読んでないけど、これについてはたぶん映画のほうがおもしろいのではないか。
なぜなら映画のなかにヒロインのひとり二役があって、ここはいかに映画を観ている観衆をだますかという、役者の変装ぶりにポイントがあるからである。
つまり視覚的なトリックで、文章からではこれほどみごとに引っかかったかどうか。
じっさいに種明かしをされるまで、わたしも見事に引っかかった。

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しかしトリックだけで傑作というのでは監督に失礼だ。
この映画のおもしろさは、事件の裁判にとりかかるまえの、登場人物の気のきいた会話などにある。
たとえば冒頭に、いかにもたくさんの成人病をかかえたような太った弁護士が出てくるんだけど、皮肉屋の彼と、世話を焼きすぎる女性看護師のやりとりがおもしろい。
いい映画というのは背景も念入りに考えられているもので、最近のせせこましい映画ではそのへんを飛ばしてしまうものが多くて困る。
どうでもいいけど、この映画のタイトルなんとかならんかね。

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2020年8月 5日 (水)

橋立鍾乳洞

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列車でもバスでも船でもそうだけど、自分はどっかと椅子に座り、景色のほうが流れていくという状態が好きである。
むかしシルクロードを旅したときは、長距離列車にいすわって、それこそ6時間でも12時間でも飽きずに景色を眺めていた。
ときどき別の乗客がやってきて、日本人とわかるとうるさく話しかけてくる。
せっかく景色を楽しんでいるのに、クソがあと思ったものである。

最近はひきこもりが多く、精神的にも内向するばかりだから、昨日はひさしぶりに西武線で秩父まで往復してきた。
もよりの駅から秩父まで片道
780円なので、リフレッシュするための費用だと思えば高くない。
とちゅうに景色のいいところがあったら、気のむくままに下車して散策してもいいんだけど、この沿線に詳しくないので、乗り鉄、もしくは撮り鉄専門で終わっても、部屋にいるよりは気分転換になるはず。

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というつもりで出かけたものの、やはりぜんぜん目的がないのもつまらない。
調べてみたら、秩父からすこし先にに浦山ダムというものがあり、その近くに鍾乳洞があるという。
ついでに歩くていどなら問題ない距離らしいので、そこへ行ってみることにした。

秩父市内で秩父線に乗り換え、浦山口というローカル色いっぱいの駅で列車を降りる。
秩父は
34ケ所の札所めぐりでも知られているところだから、この近くにもいくつかの札所があるらしかったけど、この駅から歩き出したのはわたしひとりだ。
これならステキに孤独な山歩きが楽しめるかもしれない。

集落をはずれると墓地があって、お墓分譲中の看板が出ていた。
墓なんか欲しいと思ってないくせに、あたりの環境が静かな点が気にいって、こういうところに葬られるなら悪くないと思う。

墓地を過ぎるとほんとうにひとりぼっちの林道歩きになる。
右下に渓流が流れているのが見える。
そういえば駅を出てすぐに◯◯キャンプ場という看板も出ていたから、休日ならこのあたりは混雑するのかも。
しかし平日では人っこひとりいるでもなし、鍾乳洞までは近いらしいけど、このようすじゃ飲み物の自動販売機もないかもしれない。
水筒も用意してないからしくじったかなと思った。

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しかしまもなく車も通れる道路に出て、なんと道ばたに、営業中というカフェの看板まで出ていた。
到着してわかったけど、目的地は秩父
28番札所の「石龍山橋立堂」というお堂になっていて、平日でも参拝者がけっこう多く、茶屋やカフェまであるところだった。
お堂の背後は見上げるような絶壁になっていて、なかなかご利益がありそうである。
鍾乳洞にも入ってみたけど、ただのせまい洞窟で、天井からぶら下がった石筍もあるわけでなし、腰をまげて登ったり降りたりするのは、運動不足のじいさんにはちと辛かった。

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洞内の撮影は禁止である。
ここに載せたのは、たまたまつまづいて、ショックでシャッターが切れてしまったのだと言い訳しておく。
幸いなことにストロボは点灯しない設定にしてあったから、光をきらう生き物に影響はないと思う。
よい子のみなさんは、むやみにつまづいてはいけませんですよ。

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腹が減っていたので、堂のまえの広場にある茶屋で手打ちソバを食った。
店は古民家のような建物で、ススぼけた茅葺きの天井を、内側から見上げられるユニークな造りだった。
客もけっこういたけど、車で来られるのだから、歩いてきたのはヒマ人のわたしだけのようだった。
お堂のまえにはほかにも数軒の茶屋があり、なかには「JURIN`s GEO」という、名物コーヒーや、美味しそうなアイスクリームを出す店もある。

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ふたたびローカル線の駅にもどる。
列車は1時間に1本だから注意すること。
最後の写真はローカル線駅のすぐ裏にあった祠で、最新こんなふうに鳥居のならんだ景色は外国人に人気があるのだから、もうちっと手入れをすればいいのにと思う。

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2020年8月 4日 (火)

春の祭典

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最近のわたしは、家のでっかいテレビ(といっても32インチの液晶)でYouTube 映像を観るのにはまっている。
YouTube
というと、ひと昔まえは画質がわるくて、でかいテレビで観るにはイマイチな映像が多かった。
しかし最近は、
32インチていどなら画質がまったく劣化しない映像も多い。
ただし、
YouTube に上梓されている映像というのは、ほとんどが字幕なしだから、映画なんかだと意味がわからない。
ではなにを観るか。
当然ながら音楽や、そうバレエだね。
あるていど勉強しておけば、バレエの場合、意味はわかるのである。
コンテンポラリー・バレエだと、勉強しても意味がわからないけど、それは字幕の有無のせいではない。

St01b

今夜はマリインスキー・バレエの「春の祭典(The Rite of Spring」を観ていた。
これはバレエ・リュスのニジンスキーによる作品だけど、わたしはこういう前衛的なバレエや音楽がニガ手である。
しかし大きい画面で、ヘッドフォンをつけて観ると、その迫力はひとケタちがう。
つい興の乗るままにお終いまで観てしまった。
だけではなく、せいぜい
3040分ほどのバレエだから、くり返して観てしまった。

見つけたのはうまいぐあいにかなり画質の良い映像だった。
2008
年のマリインスキーの舞台で、タイトル・クレジットにNHKの文字が見えるから、映像の制作に日本も関わり、過去に日本でも放映されたことがある作品かもしれない。
しかしわたしがこの映像を観るのは初めてだ。
このバレエは、ベジャールを始めとする先進的な振付師によって、現代化されたものもたくさんあるけれど、さいわいなことにわたしが見つけたのは、美術・衣装もほぼオリジナルといっていい舞台だった。

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ただ意外だったのは、このバレエの、ニジンスキーによるオリジナルの振付けはとっくに失われてしまっていて、いまオリジナルといわれているものは、米国のジェフリー・バレエ団が復元させたものだそうだ。
YouTube
にはこのバレエ団による復元のてんまつも記録映像として上がっており、その映像と、彼らの「春の祭典」も観ることができる。
観てみたけど、そう、字幕がないので詳しいことはわからんかった。
踊りはマリインスキーよりジェフリーのほうがいいんだけど、いかんせん
30年以上まえの映像なので、画質がよくないのが残念だ。

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で、肝心のバレエのことになりますが。
これは意表をつかれるバレエである。
「白鳥の湖」や「ジゼル」や、最近観ていいなあと思った「ラ・
.バヤデール」のようなバレエじゃない。
かといって、とんがったコンテンポラリー・バレエともちがう。
わたしがこのブログで、バレエのことを書き始めてから、初めて観るスタイルのバレエだ。
ロシアの民族色を前面に出したバレエなんだそうだけど、そんなことをいってもぱっと理解するのはむずかしいから、わかりやすく説明すると、アメリカ・インディアンが焚き火のまわりで円陣を組んで踊っている、そういう踊りを想像すればよい。
ダンサーの衣装やメーキャップも、まったく西部劇でおなじみの、アパッチやシャイアンのものである。

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「春の祭典」の音楽はストラヴィンスキーで、わたしはこのオーケストラ演奏をCDで聴いたことがある。
美しい旋律も調子のよいリズムも出てこないし、音楽までがインディアンの太鼓ふうで、ぜんぜんいいとは思わなかった。
初めて聴いてステキだと思う人がいたら、その人は病院で診てもらったほうがいいんじゃないか。

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バレエしろうとのわたしが、なんの予備知識もなくこのバレエの発表会に立ち会ったとしよう。
なんだなんだなんだ、このバレエは。
バレエでお馴染みの、つま先立ちでくるくるまわる場面がひとつもないじゃないか。
女の子はロングスカートでなにも見えないし。
これじゃ登美丘高校ダンス部の、「バブリーダンス」のほうがよっぽどマシだと、逆上してわめいたかもしれない。

わたしが逆上しないでいられるのは、わたしがずっと後世の人間で、「春の祭典」について、いろいろ物議をかもした革新的なバレエだということを知っているからだ。
つまり博物学者が水族館で、めずらしい生きものを見るのと変わらない楽しみがあるからだ。
こういう見方がいいかどうかわからないけど、たぶん世間の大半も同じような見方をしてるんじゃないか。
ニジンスキーがパリではじめてこれを上演したときは、観客席から罵詈雑言やモノが飛ぶ騒ぎになって、その騒ぎそのものまでが映画化され、それも
YouTube に上がっている。
映画のタイトルは「
Riot at the Rite」で、Riotというのは暴動という意味である。
バリジャンにとっても、これは常識はずれの舞台だったのだ。

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でもこのバレエの評価はすでに定まっている。
いまさらわたしがゴチャゴチャいってもと書いて、ついゴンチャロワさんのことを思い出した。
以前このブログで紹介したロシアの画家、ナターリャ・ゴンチャロワさんのことである。
そのおり顔にべたべたペイントで落書きした、この画家の写真を紹介した(もういちど紹介してしまう)。
このバレエが発表されたころ、彼女も美術や衣装デザインでバレエ・リュスに関わっていたらしいから、あれはひょっとすると「春の祭典」のアイディアを、自分の顔を使ってプレゼンテーションしていたものかもしれない。

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2020年8月 3日 (月)

明日は

日本としてはことを荒だてたいわけじゃない。
つねにケンカを仕掛けてくるのは韓国のほうだ。
そんなことをいうと、経済制裁を仕掛けてきたのはどっちだと、向こうさんは必ずいうだろうけど、制裁にはその前段があったことはけろりと忘れているらしい。
そのへんを追求すると、けっきょく日本が謝罪しないからと、話はまたいつもの堂々巡りにもどるだけ。

日本がことを荒だてたくなくても、落ち目の文サンには、もはやとことんまで突っ張るしか起死回生の目がない。
ということで、明日にはいよいよ日本企業の差し押さえ資産現金化が効力を発揮する。
発揮するだけなら、まだ日本はいちいち騒がないだろうけど、じっさいに企業に損害が出ることになると、日本も黙認するわけにはいかない。
金融制裁で韓国の銀行を締め上げる方法もあるらしいけど、日本としてはそんな荒っぽいことをしたくはないだろう。

しかし大人げないのは承知の上でも、対抗措置はとらないわけにいかないのだ。
韓国では対抗措置に対する対抗措置もちゃくちゃく準備中だそうだけど、とにかく向こうがなにもしなければ、日本がなにかをするわけないのにね。
日本は韓国に必要資材を輸出して儲け、韓国は輸入資材に付加価値をつけて世界から儲ける。
こういうウインウインの関係をわざわざぶっ壊したのはだれだ。

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2020年8月 2日 (日)

謎の種子

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8月になったとたんに梅雨が明けた。
わたしの部屋の強力なエアコンも腕を撫しておりますからね。
本格的に使ったら電気代がいくらになるのか、所有者は戦々恐々としてますんですが。

部屋のまえの花壇はオニユリが一段落して、いま端境期でちょっと寂しいトコ。
そんなおりもおり、中国から得体の知れない植物の種が、日本のあちこちに送られてきているそうだ。
どうやって日本人の住所を知ったのかわからないけど、なんで中国人とメールのやりとりをしているわたしのところには送られて来ないのだろう。
その気になればわたしの住所をかぎつけることぐらい簡単に思えるのに。

もしもわたしのところに送られてきた場合、ナチュラリスト(自称だけど)のわたしならどうするか。
どんな花が咲くのかしらという好奇心には勝てそうもないので、とうぜん部屋のまえの花壇に植えてみるんじゃないか。
政府は植えないようにとのお達しらしいけど、それは人間の好奇心を軽んじる行為だ。
好奇心を持たない人間に進歩はないし、禁止といわれて素直にしたがう人間も同列である。

やみくもに禁止のお触れを出すくらいなら、政府が率先して、どこかの温室に植えてみて、正体は・・・・たとえば大麻でしたとか、明らかにすればよい。
大喜びで庭に植える不届き者もいるかもしれないけど、少なくても好奇心で植えてみようって人間はいなくなるだろう。

生態系を乱すなんて声もあるらしいけど、いまさら遅いやね。
危険なヒアリでさえ日本で繁殖する時代だ。
植物の種ぐらい、観光客の靴の裏にくっついて訪日する可能性がいくらでもある。
ひょっとするとコロナで味をしめた中国が開発した、戦略的遺伝子改造植物ではないかという説もあるらしい。
でもまさか映画「リトルショップ・オブ・ホラーズ」に出てきたような、女好きの吸血植物でもあるまい。
危険とわかったら、それが種を持つまえに刈りとってしまえばよい。

くりかえすけど、禁止だけじゃ片手落ちだ。
わたしは、どんな花が咲くのか見てみたいんだけど。

この事件では(おそらく)こういうことだろうとネットで解説してくれる人がいて、つまり通販会社のレビュー値を上げるための不正工作ではないかとのこと。
説明を読んでみると、なるほど、その可能性が高い。
ネット通販は便利だけど、インチキ商品も数多く出まわっているから要注意ということだ。

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2020年8月 1日 (土)

戦争の遺品

戦争の遺品が行き場を失っているというニュースがあった。
戦争体験世代のなかには、戦争を風化させないために個人的に遺品や資料を蒐集した人も多いそうだけど、戦後70年も経っているものだから、当人が遺品の仲間入りしてしまうケースが増えているんだとか。
個人で保管できないなら行政にということになるけど、行政だって忙しいし、予算にもかぎりがあって、なかなか応じられない。
なにかいい方法はないだろうか。

いちばんいいのは、これだけコンピューターが発達している時代なのだから、遺物や資料の保存は、保管している本人が自分でやってしまうことだ。
遺物は写真に撮り、書類などはスキャナーでデジタル化すれば、みんなDVDやSDカードに保存できて、場所もとらない。
そういうデータをコンピューターで一括管理をすれば、あとの検索や照会も便利だ。
問題があるとすれば、当然だけど、自分でそういう作業ができるほど、コンピュータに精通している年寄りが多くないということ。
パソコンに詳しい年寄りならとっくに実践しているだろうし。

わたしは過去に、親しい知り合いの、一生に及ぶような写真をスキャンしたことがあるし、「戦跡の栞(しおり)」という戦争中の書籍を自炊(デジタル化)したことがある。
これはけっこう手間のかかる大変な仕事だけど、どうせ老人というのはヒマな人が多いのだ。
国から小遣い程度でも支給してくれれば、趣味と実益をかねて、わたしがやってもいいんだけど、どうじゃ。
わたし、年金以外の収入がなくて困ってんのよ。

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