【すぐわかる2001年】
わたしのパソコンは優秀というのかアホというのか、わたしの興味あることをいち早く悟って、わたしの気に入りそうなものを優先的に提示してくれる機能をそなえている。
こないだYouTubeでヘビがカエルを呑む映像にはまったら、それからはのべつまくなしにヘビばっかりだ。
呑まれるカエルが気のドクだから、またバレエにでもせっせと観て、ほんとうに好きなのは美女であることを学習させなくちゃ。
昨日はYouTube上に「2001年宇宙の旅」の新しい解説が出たらしくて、守鍬刈雄(スグワカルオと読むらしい)なる人のサイトが表示された。
わたしがこの映画の盲目的信者であることを知っているパソコンが、また気を利かせたらしい。
むろん、のぞいてみた。
なんだなんだなんだ、この解説は、と書こうとして思いとどまったのは、これを見ればあの難解なストーリーがすべてわかりますという、えらい自信たっぷりなセリフを聞いて、ひょっとすると守鍬サンという人は、わたしと同じように世間の常識に反抗して、わざと有名な作品をコケにしているのてはないかと思ったからだ。
それなら、手前味噌になっちゃうけど、彼はそうとうに優秀な知的生命体といっていいから、ヘタに文句をつけるのはキケンである。
だからまず、守鍬サンがどんな人なのか推測してみた。
文章よりも話し言葉優先で進行するところをみるとと、かなり若い人らしい。
彼の言い分はかなり理屈っぽいところがあるので、わたしの年代なら、これだけの理屈を叙述するのに、普通は文章を使う。
そうしないということは、まだ20代の若者ではないか。
若い人が「2001年」に関心を持ってくれるなら歓迎すべきだけど、ちょっと聞くにたえない部分もある。
わたしはキューブリックという監督を尊敬することでは人後に落ちない人間なので、あまり暴言を吐いてほしくない。
“神の目を持つキューブリック監督は”なんて、揶揄するような言い方をされると気にさわる。
編集のヘタクソな監督が完成まえに公開してしまった映画とは、いくらなんでも言い過ぎだ。
そこで例によっていちゃもんということになるけど、あらかじめ断っておこう。
守鍬クンのこの「2001年」の解説は、調べてみたらもう3年もまえに公開されたものだった。
だからそれ以降に、誰かがわたしと同じいちゃもんをすでにつけたかもしれない。
すると二番煎じの可能性もあるけど、しかし彼のサイトはいまでもだれでも読むことができるのだから、それについて読者が異論をはさむ権利はまだ持続中と考えられる。
このサイトについては、なかなか興味深い点も見出せるのだ。
重箱のすみをつっつくようなことはしたくないけど、守鍬クンの説明にはおかしなところがある。
彼は「2001年」をドキュメンタリーのような映画と決めつけており、だからナレーションが入らなければおかしいという。
このへんはちと納得しかねる説明だ。
わたしはBSでよくドローンによる空撮紀行や、トラムに乗って移動するだけという番組を観るけど、セリフもナレーションもほとんどないにもかかわらず、あれだって立派にドキュメンタリーである。
だいたい世間にはやたらにナレーションの入った映画が多すぎる。
ということは、わたしの世代ならだれでも感じていることだ。
そういうものを徹底的に排除して、観る人に勝手に想像させようというのが「2001年」で、最後の結末はさておいて、そこまでのストーリーはちょっとしたSFファンなら誰にでもわかる。
子供じゃあるまいし、余計な説明はないほうがいい。
この映画の傑作たる所以は、だからこそ、なんだけどね。
最初のほうで、フロイド博士が月の表面で発見された物体を秘密にしておくのは、守鍬クンにいわせると、いきなり発表すると人々がパニックになるからということである。
そうではなくて、この映画の制作当時はまだ米ソ冷戦の時代だったということを考えなければいけない。
米国が先に発見したものを、ソ連の科学者にべらべらしゃべるわけにはいかなかったのだ。
いまどきの若者には、米ソ冷戦といっても理解しにくいだろうけど、現在ではボイジャーやニューホライゾンズの発見した外惑星の情報も、早いうちに公開されているではないか。
いま月で謎のモノリスが発見されれば、世界中の科学者が即座にその情報を手にすることは間違いがない。
ずいぶん科学に詳しいつもりらしいけど、逆に無知をさらけ出している部分もある。
映画は惑星直列から始まるというんだけど、これは月と地球がならんだその向こうから、太陽が登ってくるタイトルバックのことをいっているのだろう。
しかしこれは月食のシーンであって、惑星が直列しているかどうかは、このシーンだけではわからない。
しいていえばボーマン船長が木星に到達して、探査機で異次元空間に迷い込む直前に、木製の衛星とモノリスが十字架状にならぶシーンがあり、それを神秘的な意味にとりたくなるけど、あそこもそれだけでは惑星が直列してるかどうかはわからないのである。
さらに大きなカン違いもある。
彼はこの映画は小説と併せて読むべきだというんだけど、アーサー・C・クラークの原作は「前哨」という短編だけで、月を見るモノという名前のサル、あるいはビッグブラザーというモノリス、そこに異次元空間への入口があるなんて設定は、これすべて映画が完成したあとで、世間の要望に応じてクラークが新たに執筆した「2001年」なのである。
映画と同時に読むわけにはいかない小説だし、これを参照しながら話を進めるというのがそもそもおかしいのだ。
もうこのくらいにしておこう。
彼のYouTubeサイトは、手描きのイラストを動画にするというおもしろい試みがされており、いいアイディアだなと感心した。
むかしはわたしもマンガ青年だったので、もっと若ければぜひこういうことをしてみたかった。
だからこういう映画の解説があってもいいと思うけど、しかしキューブリック作品の解説は、彼の手にはあまるようだ。
わたしのブログは月のモノリスのように巨力な磁場を発生させているわけじゃないから、彼がこのブログを、ネット砂漠から首尾よく発見するかどうかわからない。
発見したとしても、わたしはご高説を垂れようってわけじゃない。
わたしは彼より、おそらく40年は長く生きているだろう。
つまり歳の功というやつで、じいさんがなんか言ってらあでケッコウ、気をわるくしないでこれからも精進してほしい。
彼はほんとうに若いころのわたしによく似ているようだ。
その理由を次項で述べる。
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