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2020年9月

2020年9月30日 (水)

訂正と期待

わたしは間違っていた。
といっても世界に影響を与えるような間違いであるはずは、もちろんない。

8月14日にこのブログで、2020年のF1レースはコロナのおかげで大幅に縮小され、全部で10戦、日本GPも中止と書いた。
だから先日のロシア戦で、今期のF1は終わったのか思ったら、つぎはニュルブルクリンク(ドイツ)だって。

どうもわたしはなにかカン違いをしていたみたいだ。
調べてみたら、コロナの影響でスケジュールが二転三転し、最終的な全日程が決まったのが8月25日だったんだって。
つまりわたしがF1のことを書いた時点では、まだすったもんだしていたわけだ。
その結果、今年も全部で17戦あることになったけど、残念ながらやっぱり日本のレースは中止らしい。
それでも残りが7戦もあるなら、まだホンダの優勝も可能性がゼロになったわけじゃない。
期待がすこし先まで延びた。

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あくまでテスト

このブログに動画が載るのは初めてだと思うけど、ヒマなもんで、なんかおもしろい映像をYouTubeに載せられないかと、いろいろテストしてる。
わたしもホント、退屈しないじいさんだこと。

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2020年9月29日 (火)

抽象絵画?

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どこの芸術家が描いたものか、はたまた抽象なのか、子供のイタズラなのか。
知らない人が見て誤解するといけないから、正直に告白するけど、これってわたしがお絵かきソフトを使って10分で仕上げた傑作だ。
告白したとたん、人の見る目が、撤去工事中の煙突のごとく、がらがらと崩壊したのが目に見えるようだ。
芸術なんてそんなもん。
価値あるものがかならず認められ、値上がりするものなら、批評家さんはみんな大金持ちになってるワ。

わたしの部屋にはパソコンで絵を描くために必要なものはみんな揃っている。
いまヒマつぶしに勉強しているんだけど、もはやお絵かきソフトに金をつぎこめる歳でもないから、もっぱら無料のソフトばかり使っている。
これで未来の大画家になろうってのはあつかましいかもねえ。

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2020年9月28日 (月)

またヒガンバナ

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いい天気になった。
ベランダで洗濯をしながらながめると、団地の花壇のヒガンバナも嬉しそう。

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今年の春まで住んでいた三鷹の野川公園や、有名な高麗(こま)の巾着田には及ばないけど、それは仕方がない。
あちらはヒガンバナ専門みたいなところがあるのにくらべ、こちらは年間を通してつぎからつぎへといろんな花が咲く。
いろんな花の種が、自分の出番になるまで、地中で場所を分け合っているのだから。

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2020年9月27日 (日)

パラドックス

女はウソばかりつくといった杉田水脈議員の発言が波紋を広げているけど、これってどこかで聞いた話だよな。
以前読んだ本のなかに「自己言及のパラドックス」という問題があった。
どういうことかというと

杉田議員は女である。
女はウソをつくというなら、杉田議員のいうこともウソ。
ということは女はウソをつかないことになり、女がウソをつかないなら、杉田議員は本当のことをいったことになる。
杉田議員のいうことが本当のことなら、やっぱり女はウソをつくことになり・・・・

こうやって話は永遠に堂々めぐりをする。
哲学のほうでは有名なエピソードらしいけど、杉田議員はこの話を知っていたのかしら。

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A Day in the Life

朝早く目がさめて、ベッドのなかでビートルズの「A Day in the Life」を聴く。
いつぽっくり逝ってもいいように、身のまわりの整理はしてあるつもりだけど、これを聴いて思ったのは、わたしの人生にもいろんなことがあったなあということ。
ジョン・レノンが死んでからどれだけ経っただろう。
初めてこの曲を聴いたのは、わたしがいくつのときだっただろう。
どうしてわたしの人生はビートルズと重なったのだろう。
と、さまざまな思いが去来するくらい、この1曲から受ける感銘は大きい。
じっと天井をながめる年寄りがひとり。

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2020年9月26日 (土)

バニー・レークは行方不明

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いっぺんに秋めいてきた夜はなにをするか。
昨夜は録画した映画を観ていた。
「バニー・レークは行方不明」という、かなり古い(1965)モノクロのミステリー映画だ。
最近のせせこましい映画に閉口している当方としては、コーヒーをわきに置いて、ミステリー映画をじっくりと鑑賞するのは、なかなか優雅な楽しみといえる。

この映画のあらすじを説明すると、英国に引っ越ししてきたばかりの、アメリカ人の若い母親の4歳の娘が行方不明になる。
母親は従兄弟の青年とともに、必死になって娘を探しまわる・・・・この先はネタバレだけど、いまどきわざわざ観ようという人がいるかしらという古い地味な映画だし、わたしはそのうち老衰で死んでしまうのだから、無責任にバラしてしまうのだ。
バラされたくない人は、このあと話がすこし脱線するから、そのあいだにこのブログを閉じたらいい。

例によって映画を観ながら、ああでもないこうでもないと雑念にふける。
2001年宇宙の旅」でボーマン船長を演じたキア・デュリアが重要な役で出ていたけど、おそらくこの映画あたりがキューブリック監督の目にとまって、抜擢されたんだろうと思う。
ちなみに「バニー・レーク」は英国映画であり、勘違いしている人もいるかもしれないけど、「
2001年」も大半は英国のスタジオで撮影されている。
だから監督が役者を知る機会はいくらでもあったわけで、デュリアには申し訳ないけど、ボーマン船長はそれほど演技や個性が必要という役柄ではないから、うん、こいつで間に合わせておくかと、
2001年の準備で大忙しのキューブリックは考えたのかも。

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さあ、ネタバレだ。
じつはデュリアの演じた従兄弟の若者は、ふだんはまともだけど、倒錯した意識をもつ異常性格者で、彼が娘を隠匿していたというのがオチ。
宇宙船の船長は健全な科学者だったけど、「バニー」のほうは病的な青年の役なのだ。

この映画を観て思い出すのは、ヒッチコックの有名な「サイコ」という映画。
「サイコ」のほうは、大人になっても母親の呪縛から逃れられないノーマンという若者が主人公で、彼は母親と息子の二重人格者である。
息子にちょっかいを出す女は許せないと、息子のなかの母親が殺人を犯すのだ。
ややこしいけど「サイコ」は1960年の映画だから、このころは精神医学をテーマにした映画がブームだったのかも。

ノーマン君の場合はマザコンだけど、ほかにもロリコン、ファザコン、同性愛からナルシシズム、サディズム、マゾヒズム、異常に肥満した女が好きだとか、オシッコを飲みたがるとか、馬が好きとか犬がいいとか、最近ならフィギュアや二次元妻に凝ってみたり、倒錯にもいろんなタイプがあるそうである。
でもわたしは精神分析医ではないから、この映画に出てくる幼児性倒錯なんてものがあるかどうかは知らない。

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そういうことは抜きにして、ちょっと気になったのは、誘拐された少女が英国製の小さなスポーツカーのトランクの中で、そんなにいつまでおとなしく寝ているだろうかということ。
睡眠薬がさめたらぎゃあぎゃあ暴れて、人に気づかれてしまうんではないか。

ところがよく観ると、保育園にあずけた娘が行方不明になる、警察に届けて捜査が始まる、テレビがニュースにする、母親がいやらしい大家に迫られる、娘の存在を疑う警視と母親がパブで話し合う、母親が人形作りの家を訪問する、警視は米国から到着した客船の乗客を調べる、従兄弟が母親に暴行し、母親は病院に収容され、そこから逃げ出す、自宅にもどって従兄弟の正体を見抜く・・・・そんなふうにやたらにいろんな出来事を詰め込んであるけれど、これって行方不明から事件解決まで、すべて24時間以内の出来事なんだよね。
だったらいちおうつじつまは合う。
いちゃもんに目のないわたしだけど、監督はオットー・プレミンジャーで、こちらもまあまあ巨匠といっていい人だし、サー・ローレンス・オリビエも出ているし、このくらいはフィクションだからということで大目にみておこう。

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2020年9月25日 (金)

願望

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赤いヒガンバナの追加。
いつも同じような写真じゃつまらないので、今回は表現主義的というか、フォーヴィスム的というか。
ただのピンボケじゃねえかという人は無知な人。

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それにつけても。
もはや前途に夢も希望もなくなったじいさんだけど、それでもわたしはあと半年は生きていたいと思う。
なぜかというと、今年引っ越してきたこのあたりはなかなか自然の豊かなところで、サクラの名所になりそうな場所がたくさんあるから、来年の春にそれを見たいのだ。
ひょっとすると、この冬も1回か2回は雪が降るかもしれないし、そうなったら雪景色も写真に撮りたい。

以前住んでいた三鷹の大沢というところも、東京都は思えないくらい自然の豊かなところだったので、わたしは写真を撮りまくり、このブログをさまざまな動植物で飾ってきた。
いつぽっくり逝ってもおかしくないわたしだけど、せめて季節が一巡するまでは生きたいと思うのだ。

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2020年9月24日 (木)

生ポ

ダメだなあ。
今月は浪費がはげしい。
節約して乞食みたいな生活をすれば、年金と貯金であと20年は食いつなげるはずが、先日はステーキを食ったし、ついでにワインを2杯も飲んだし、このペースではそのうち生ポだよ。
“生ポ”というのは「生活保護」を意味するネット・スラングだそうだ。

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ところでうちの花壇にぼちぼち咲き始めたのはヒガンバナ。
まえに今年の本命がどうのこうのといったのはこれのことで、まず白い花が咲き、赤はすこし遅れるようだ。
赤が満開になったらまた写真を載せようと思っている。

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2020年9月23日 (水)

ベタ褒めの本

性懲りもなくまた図書館で本を借りてきた。
今度の本は「ロシア絵画の旅」という、まあ、硬いんだか軟らかいんだか、読んでみるまでわからないという本。
このブログを読んでいる人なら、わたしがロシアの絵画に愛着を持っている人間であることはご存知のはず。

この本ではトレチャコフ美術館の絵を、展示室ごとになぞるような解説がしてある。
それはいいんだけど、挿入されている写真の印刷がわるくて、肝心の絵の詳細がわかりにくい。
いい例が「ミヤマガラスの飛来」という絵だ。
実物は冬のロシアの過酷な環境のなかに、どこかしら春のいぶきを感じさせる、つまり前向きな未来を象徴する絵なんだけど、それがただもう暗いだけの陰鬱な絵にしか見えない。
絵を説明するのに絵がよくわからないというのが、この本の最大の欠点だ。

原著はロシア人のウラジミール・ポルドミンスキーという人で、1928年生まれというから、取り上げられている絵よりもずっと後世の人である。
ということは、この文章は著者が頭をひねってつむぎ出した想像の産物なんだろう。
それはいいとしても、ちょっと美辞麗句が多すぎるような気がする。

わたしはごますりやおべんちゃらが死ぬほど嫌いだから、ベタ褒めするような文章はたいていいちゃもんをつけたくなる。
肖像画についての解説で、画家は描かれる人物の内面性まで描き出したなんていわれると、またわたしのへそまがり(反骨精神といってもらいたいね)がむくむくと頭をもたげる。
世間にはコワそうな顔をしている人が意外と家族思いだったり、まじめそうな人が役場の金を使い込んだりする例がいくらである。
だから、結果がわかっているから褒めているんだろうと、つい余計なことを考えてしまう。

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おべんちゃらを並べた本ということが、はっきりわかる実例がこの本のなかにあった。
ロシア最大の画家レーピンに、「聖ニコライが無実の三人を死刑から救う」という絵があるんだけど、これが当時のロシアで禁止されていた同性愛者を処刑する場面であることはだれにでもわかる。
しかしこの本では処刑されるのがただの市民ということになっていた。
たしかに
聖ニコライがオカマを救うでは世間体が大ちがいだから、著者がそのへんをぼかしたかったのもわかるけど、美辞麗句にもほどがある。

そういうわけで、称賛の部分は大幅に割愛して、残りの部分だけから必要なエッセンスを拾い出すことにした。
そうやって読むかぎり、けっしてわるい本ではない。
わたしのいちゃもんは激しいけど、本というものは書かれたことをすなおに信じるだけではつまらない。
このくらい難癖をつけるとおもしろさも倍増するものだ。

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2020年9月22日 (火)

ステーキを食う

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世間は連休だというのに、いつもひきこもりばかりじゃいられない。
昨夜はステーキを食ってきた。
ここにその証拠をみせる。
だれもそんなものを見たくないと思うけど、見せてしまう。
サーロインとサイコロだ。
ガキじゃあるまいし、サイコロだなんてといわれそうだけど、ナイフとフォークが苦手なわたしは、落っことしたりしたらみっともないので、いつもサイコロだ。
いっしょに行った知り合いはでかい口をあけてサーロインを頬張っていた。
わたしもすこし食わせてもらったけど、サーロインとサイコロの違いなんてわからんかったワ。

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部屋のまえの花壇ではぼちぼち本命が咲き始めたけど、満開になるにはちと早いので、あまり可愛げのないケイトウ(鶏頭)で時間かせぎ。

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2020年9月20日 (日)

みてろ

連休だ。
今日は街に出るつもりが、雨で出遅れた。
みてろ、明日はきっと出かける。

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2020年9月19日 (土)

誤解

人間が誤解しやすいことのひとつに、歴史は現在も過去も同じだったということがある。
だから韓国人のように、現在の韓国は日本と同じくらい発展しているのだから、むかしもそうだったと信じてしまう。
これはとんでもない誤解だと、説明するためにこんなことを書いているわけじゃないので、ここではふれない。

もうひとつ誤解しやすいのは、自分がこうだから相手もそうに違いないと思ってしまうこと。
ふつうの人間なら世間との付き合いがあるのは当然だから、相手もそうであると考える。
しかしわたしは世間でもめずらしい特大のひきこもりだから、そういう常識が当てはまらない。
あいつはひとりぽっちで、きっとさみしいに違いないと思われるのは、わたしには迷惑なことなのだ。
いまのわたしは、残りの人生を、本を読んだり音楽を聴いたり、録画した映画やバレエを観たり、ヘタな写真を撮ってみたり、もうとにかく趣味の世界にどっぷりつかって、ああ、人生の終わりをこんな幸せに過ごせるなんとて感謝してるところなんだからね。
オネガイ、ほっといて。

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2020年9月18日 (金)

残照

録画してあったドキュメンタリー「残照・芸術家の家」を観ている。
フランスには芸術家だけが入れる国立の老人ホームがあるそうで、これはそうした家に住むもと芸術家たちを捉えたドキュメント。
もはや腰が曲がり、目はかすんで、創作活動もままならなくなった老人たちが、支え合って生きている家だそうだ。

いいなあと思ってしまう。
カン違いされちゃ困るけど、わたしもそんな老人ホームに入りたいわけじゃない。
この番組で観るかぎり、ホームに飾ってあるのは住人たちの絵であり、もとピアニストのおばあさんは、いまでも小さな女の子にピアノを教えている。
いくらフランスでも自称芸術家まで受け入れていたらきりがないので、芸術家として多少でも実績のある人でないと入居できないのである。
わたしがフランス人だとしても入れるわけがないのだ。

いいなあと思ったのはべつの理由で、たとえばフジ子・ヘミングみたいなおばあさんが、娯楽室でみんなにベートーベンを弾いて聴かせる場面がある。
演奏のあい間の会話に、さりげなくクラシックの曲名が出てくる。
わたしも老後はさりげなくそういう会話がしてみたい。
そういう会話のできる相手と暮らしたい。

部屋のなかでおばあさんが、もと彫刻家のおじいさんにCDを聴かせる。
足がへなへなになったおじいさんが、椅子にすわってそれを聴く。
おばあさんの杖が床に落ちる。
おじいさんがよろよろとしながら、それを拾い、よろよろとしながらおばあさんに渡すと、おばあさんはよろよろとしながら・・・・
笑いごとじゃない。

つい先日、わたしは脳梗塞で倒れた大先輩に会ってきたばかりだ。
先輩はまたみんなと酒が飲みたい一心で、リハビリに専念し、ようやく杖をついて歩けるていどに回復して、バスで街まで出てきたのだ。
しかし現実はきびしい。
かって大勢のとりまきを連れて、夜のちまたを闊歩した先輩だけど、この日に集まったのはわたしと、もうひとりの古馴染みだけだった。
考えてみれば彼の友人もどんどん衰えていて、いつでも好きなときに飲みに行ける仲間は少なくなっているのかもしれない。
かって野球部の部長までやった頑健な人が、杖なしでは歩けないほど老人化しているのを見るのは辛かった。

テレビのドキュメントにもどるけど、床に落ちた杖を一方がひろってもう一方に渡す場面の続き。
一本の杖に両側からふるえる手がのびる。
ふたりとももう歩くのさえ不自由している老人なので、これは感動的な場面だった。

さて、わたしの足が彼らほど衰えるのにあと何年かかるだろう。
さいわいわたしはまだ歩ける。
しかし彼らと同じようになる日は遠くない。
いまのわたしは深夜になると、
YouTubeで音楽三昧だけど、考えてみるとそれはとっても幸せなことだ。
最後の瞬間まで、この時間を大切にしようと思う。

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2020年9月17日 (木)

トケイソウ

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買い物に行く。
特別な品物が欲しいわけじゃないけど、足の運動だと思って、わざわざ遠くのスーパーを選ぶ。
ぶらぶら歩いていたら、散歩道のかたわらにトケイソウの花が咲いてるのを発見した。
あわてて買い物をすませたあと、また自転車で写真を撮りに出かける。
それがこれだ。

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また一首添えようと思ったものの、上の句だけできて、なかなか下の句ができない。

  重たげにまわるやトケイソウの花
   (あとから追加)甲斐なき夏をまた告げるなり

わたしも忙しいので、もうこのまま上の句だけ載せておいて、あとはうまい句が浮かんだとき付け加えることにする。
夏の終わりのけだるさを表現するような、ものすごい下の句が浮かんだ人は、勝手につなげてもらってかまわない。

と書いて、置きっぱなしにしておいた下の句、そのうちなんとかひねり出したので、つなげておいた。
名歌か迷歌か知らないけど。

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2020年9月16日 (水)

アホらしい本

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図書館に行くと、当然なことだけど、本がたくさんある。
読書好きには胸がワクワクだけど、その中からほんとうにおもしろい本を見つけるのは至難の技だ。
先日も図書館をうろついて、「ナチスから逃れたユダヤ人少女の上海日記」という本を見つけ、わたしは歴史にも中国上海にも関心があるので、さっそく借りてみた。

帰宅して読んでみて、また頭に血が上った。
この本は、ナチスによって迫害され、ドイツから中国に避難してきたユダヤ人少女の日記をもとにして書かれた(ということになっている)。
しかし、そういう日記がほんとうにあったとしても、じっさいにはそれをもとにして、商魂たくましいおとなが、大衆の好奇心を満たすために書いたもののようだ。
著者に思想なんてものはまったくなく、それどころか自分たちがヨーロッパで差別されていたにもかかわらず、中国に来ると今度はアジア人を差別する側にまわるのである。

少女とその家族が欧州を脱出するまでのいきさつはともかくとして、上海に着いてからのその土地のことは、わたしはけっこう詳しい。
そもそも少女はどうして上海くんだりまで流れてきたのだろう。
うすうす見当はつくけど、その理由はこの本のはじめのほうに、「上海は日本軍が中国から勝ち取った場所で、この地域はユダヤ人の避難民を積極的に招き入れている」と、ほんの2行だけ書かれている。
日本はユダヤ人に対してわりあい寛大だったのだ。
同盟国のドイツがなにかいってきたとしても、なるほど、ごもっともごもっともと、相手をはぐらかす術をこころえていたことは、現在のアメリカのトランプさんを相手にするのといっしょ。

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少女の家族は上海の虹口地区に部屋を借りて住むことになる。
ここではその住まいの不潔さがが 欧米人には耐えられないものであったと、念入りに記述される。
これは欧米人から見た中国のステレオタイプな見方で、虹口地区といえば日本租界といわれるくらい、日本人がたくさん住んでいたところである。
だからこの本に書かれているほどひどいところとは思えないんだけど、彼女はほんとうに上海に住んだことがあるのだろうか。

これは租界時代の上海の写真で、おそらく虹口地区のあたりらしい。

この本の中に、虹口地区で日本人と交わったという記述はまったく出てこない。
日本人が出てくるのはもっとあとで、残忍な軍人であり、歯のあいだからシューシューと息が漏れていると、まったく欧米人が悪意で想像するとおりの日本人だ。
しかも上海に駐屯した日本軍が、あちこちでおいはぎのような行為をしたと書いている。
これはそれ以前の南京事件で、日本の軍隊というのはこういうものだという考えが、頭に刷り込まれてしまっているのだろう。
上海に駐屯した日本軍が、租界内で強盗のような行為をしたという事実が、ひとつでもあるなら教えてほしい。

やがて第二次世界大戦が始まる。
この本のなかで結果はもうわかっているような書き方だ。
ドイツがロシアに宣戦布告をして、その機甲師団がウクライナの平原を快調に疾駆しているころ、どうせそのうち冬将軍が来て、ドイツはナポレオンの二の舞になると父親が発言する場面がある。
この時点ではそんなことはわからないはず。
ひょっとするとロシアが降伏するか、シベリアにでも追いやられるかして、ヒトラーの目論みどおりになった可能性だってないとはいえない。

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少女の父親に収入があるようになると、家族はフランス租界に引っ越して、ようやくヨーロッパなみにきれいな家に住めるようになったと安堵している。
わたしが初めて上海へ行ったころ、フランス租界のあったあたりには、まだ東京の青山・六本木にあるような、瀟洒な住宅がたくさん残っていた。
フランス人は特権階級として中国に乗り込んできて、豪華な屋敷を造り、中国人の召使を置き、中国人の美人をめかけにしていたのだ。

これはフランス租界にあった租界時代の建物で、現在はホテルとして使用されている瑞金賓館。
わたしも泊まったことがある。

日本人にも特権意識がなかったとはいわないけど、あくまで生活の場として住まいをかまえた人が多かった。
虹口地区の一画に本屋をかまえた内山完造のように、魯迅や郭沫若のような、中国の知識人とわけへだてなく付き合った日本人もいたのである。
この本の著者が公平客観的というものの見方のできる人なら、内容はちがっていただろう。

日本が真珠湾を攻撃し、アジアを席巻し、上海をも占領すると、少女は絶望し、いつかアメリカが反撃してくれると信じている。
冷静に考えれば、日本はヨーロッパを追われたユダヤ人を受け入れた数少ない国のひとつなのだから、日本がアジアから欧米列強を駆逐したとき、むしろ多少の期待感があってもよかったのではないか。
ユダヤ人を積極的にかくまった杉原千畝の例もある。
ユダヤ人亡命者を迫害しろというドイツの要求にも、日本がはっきり応じた事実はないのである。

散々なことを書いておきながら、その一方で少女と家族は、たまに租界内でオペラやバレエを楽しんだとも書いている。
ドイツ国内でユダヤ人がそんなことをできたはずはないから、これは日本軍の統治がナチスほど厳しくなかったことの証明ではないか。
それなのにこの著者は、住まいや生活の不便なところだけは全部日本のせいにしているように思える。
これではいわれなき風評で日本を攻撃するデタラメな本と思われても仕方がない。

少女とその家族は終戦まえに、ふたたび虹口地区にもどることになる。
わたしはこのあたりまで読んで、とうとう本を放り出した。
ようするにこの本には読む価値がないということだ。
しかしアメリカには、いや、これは最近の世界的傾向だけど、レベルの低い人が多いから、その内容をまともに信じてしまう輩も多いだろう。
いったいこの本は、だれがだれのために書いたのかと、わたしは絶望的な気持ちになる。
歴史は放っておくと、どんどん勝手な方向に進んでしまう場合もあるのだ。
日本の未来のためにというとオーバーだけど、わたしはこの本に、ほんのストローの水でもいいからぶっかけたくなってしまう。

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2020年9月15日 (火)

あらかじめの予告

今日はブログの更新ができないかもしれない。
ってなことを書いて更新したことにしてしまう。

脳梗塞で倒れた先輩が、てっきり再起不能だと思っていた大先輩が、いったいどんな執念がそうさせるのかわからないけど、飲みに行くから来いといいだして、最近はどこへ行くのもおっくうなわたしだけど、やむを得ずこれからお付き合いだ。
飲んで帰宅するとバッタリの可能性が高いので、そうなると、とうぜんながらブログの更新はできない。

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2020年9月14日 (月)

多摩湖

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今日は自転車で多摩湖まで往復してきた。
地図をみると、多摩湖ってのはわたしの住まいから意外と近い。
時間を測ってみたら、のんびり走っても片道が40分ぐらいだった。

じつはわたしが多摩湖に行くのは初めてだ。
東京人が東京タワーに登ったことがあるとはかぎらない、という格言はここでも通用してしまうのだ。

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なかなか素敵なところだった。
最初の写真は天国への階段に見える。
この階段を上ると、広がっている天国が2番目と3番目の写真。
あまりおもしろいジョークじゃないけど、これからは四季おりおりに訪ねようと思う。

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2020年9月13日 (日)

またスキニー

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また米国の路上パフォーマー集団である「チューバ・スキニー」の話題で、できれば前回の記事と通して読んでもらえるとうれしい。

このグループにはまって、いませっせと彼らの映像を集めているんだけど、2009年ごろから始まって、YouTubeにアップされているその数はそうとうなものになるから、きちんと整理するのも大変だ。
そんな中にユニークな演奏があった。

例によって路上で自分たちのCDを売りながら、聴衆の投げ銭頼りの貧乏くさい演奏をしてるんだけど、たまたま通りかかったメキシコ人の楽団と、即興でコラボをするのだ。
日ごろディキシー風の演奏をしている、半分日本人のシェイ・コーンが、ここではスローなマリアッチを演奏して、聴衆からやんやの喝采をあびると、恥ずかしそうに顔をかくしている。
テクニックがどうのというまえに、こういう行き当たりばったりでも演奏してしまえるのが、ジャズ本来の楽しさなんだよね。
あらためてコーンの実力と、女の子っぽいしぐさ
を見た感じ。

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2020年9月12日 (土)

花壇のいま

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しばらく端境期で、花のとぼしかった我が団地の花壇、いまはマツバボタンが花盛りだ。

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こうやって身近に四季の花がながめられるのは、じつはボランティアで花壇の手入れをしてくれる人がいるからである。
控えめな人なのであまり世間に顔をさらすのは好きではないようだけど、現代の花咲爺さんを全世界に紹介しようと、昨日はとうとう強引に写真を撮ってしまった。
この人の名は・・・・団地の6号棟に住む人なので、とりあえず6号棟さんと呼ぶことにする。

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2020年9月11日 (金)

どこが歴史観?

わたしは司馬遼太郎の「街道をゆく」の熱烈なファンである。
先日図書館に行ったら「司馬遼太郎の歴史観」という本が目についた。
なんかわたしの知らない新事実でも書いてあるかと思い、例によってヒマつぶしに読んでみようと、それを書架からひっこ抜いてきた。
ことわっておくけど、わたしはこの本をいちども読んだことがないし、その存在すら知らなかった。

帰宅してさっそく目を通してみたけど、読んでいるうちしだいに頭に血がのぼってきて、これはストレスが溜まる、溜まる。
血圧も上昇したかもしれないから、最近これほど健康によくない本に出会ったのはひさしぶりだ。

最初に気がついたのは、著者の中塚明サンが、作家の司馬遼太郎を呼び捨てにしていること。
全般的に敬語を省いた文章なのかと思ったら、自分と考えの一致する文章を引用するときは、書いた相手をさんづけだ。
しかもそんな態度で、司馬作品の無知や誤りをあばくとたいそうな剣幕である。
やれやれ。

中塚サンの論理は、とにかく徹底して自分の考えが正しいということである。
まるでこの世界に自分ひとりしかいないような調子で、だれかの主張が自分と異なれば、もうそれだけで、そっちが間違っていると決めつけ、そこから一歩も引かないのだ。
こういう文章はカルト宗教の出版物によく見られるけど、とにかく異常と思えるくらい、中塚サンの因縁のつけ方は激しい。

この本でやり玉に上がっているのは、「坂の上の雲」と「街道をゆく・韓の国紀行」である。
「坂の上の」については、わたしもこのブログに書いたことがあって、あまり感心しないという見方をした。
しかし「街道をゆく」までけなされると話は別だ。
わたしはこの本を、カルト信者が教祖さまを崇めたてまつるように信奉しているのである。

中塚サンの本の中に「韓の国紀行」から引用した文章がある。
韓国の田舎を訪問した作家が、まだ電灯もついていない景色をながめて、韓国は遅れているとつぶやくシーンである。
似たような景色を、わたしは中国の田舎で見た。
わたしが初めて中国の西安を訪れた
1995年のこと。
上海から列車にひと晩ゆられて行ったんだけど、夜中に列車の窓から眺めたら、月明かりの下に、ひっそりと寝静まった集落が見えた。
集落はまっ暗で、明かりなんかひとつも見えない。
当時はまだ西安の近郊でも、電気が通じてなかったのか、あるいは電気代が高いから消灯していたのか知らないけど、日本人のわたしには、その暗さがしみじみと、貧しいところに来たなという印象だった。

司馬遼太郎が韓国の田舎を見て感じたのも同じことだろう。
この場合、遅れているという実感は自然なもので、誇張しているわけでもないし、韓国をさげすむ意図があったわけでもない。
しかし中塚サンは気に入らない。
わざわざ田舎を見て、日本と比較するのはけしからんという。
比較するなら、日本と同じように発展しているソウルと比較すべしというんだけど、これって論理がおかしくないか。

司馬遼太郎は日本と韓国を比べるために韓国の田舎に行ったわけではない。
外国に行った場合、田舎のほうがその国の原点のようなものを見られる可能性が高いのだ。
「街道をゆく」には、日本人のルーツというものをたどってみたいという期待があると、これは第一巻の冒頭で著者が述べている。
わたしもそうだけど、わざわざ都会を見ても仕方がないという人もいるのである。

中塚サンはなにがなんでも韓国が、日本と同等に発展してなければ気に入らないのだ。
ことわっておくけど、「韓の国紀行」が書かれたのは
1974年のことである。
中塚サンは時代なんか関係ない、新羅・百済・高句麗の時代から、韓国は堂々とした文明国だったという。
そしてそれは李朝
500年のあいだもずっと変わらなかったという。
変わっているという人がいたら、それはその人のほうが間違っているのだという。
歴史も現実も無視して、韓国は日本とずっと同等か、もしくはそれ以上の国でなければいけないのだ。

そもそも「街道をゆく」は、韓国のひいきばかりしているということで、日本の右翼から攻撃の的にされている朝日新聞社の刊行物である。
それでも気に入らないというのだから、不平不満にも上には上があるものだ。
ほかにもあまりに強引すぎる文章が目立つけど、とても全部をあげつらうわけにはいかない。
ただ、あまりに常軌を逸した文章だから反論してみたくなったんだけど、ちょっと反省するところあり。

中塚サンの本が書かれたのは2002年である。
こういう人が書くのだから、慰安婦問題についても推してはかるべしだけど、朝日新聞の慰安婦捏造がバレたのは、これよりあとである。
慰安婦が特定の人間の金儲けだったことがわかったのもつい最近だ。
だから中塚サンは、日韓問題の原因の大半は韓国側にあるということを知らずに書いたのかも知れない。
だとすれば、あんまり責めるのも気のドクだ。

ありがたいことにこの本を支持する人は、人口1億2千万の日本にもほとんどいないらしく、影響力は皆無といっていいから、こんなものに文句をいって仕方がない。
中塚サンもわたしといっしょで、自説でもって世間になにかを訴えるというより、認知症防止のために書いたんじゃなかろうか。

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2020年9月10日 (木)

ご注意なすって

au-peyからスマホに、なんとか銀行が利用可能になりましたというお知らせが来ていた。
ばっかやろう。
わたしはスマホがauというだけで、au-peyなんか使ったことがないし、ちょっとまえにもNTTドコモが不祥事を起こしたばかりじゃないか。

怒り狂って画面の表示を消そうとしたら、「続行」と「管理」のボタンしかないばかりか、消去ボタンがどこにもない。
なにがなんでも自分の領域に引っ張り込む気とみえる。
こっちも意地になって、ぜったいに相手の手の内に入らないぞと、もうそのまま放置して買い物に行く。
店に着いたらサイフを忘れていた。
なんの、どうせ運動のつもりだいと、部屋まで引き返して、今日もいい運動になった。

NTTドコモの件もそうだけど、マスコミが大きく騒ぐのは、ネットを利用するさいは気をつけなさいと、警告を広報する意味合いが大きい。
気をつけたほうがいいですよと知り合いにいうと、オレはドコモ口座なんか利用してないから大丈夫という返事。
そういう特定の事案にかぎった問題じゃないんだけどね。
ドコモにかぎらず、あらゆる場面に危険がいっぱいなのだ、ネットを利用するということは。
現代がネットをぜんぜん利用しないでは生きられない時代であることはよくわかっているけど。

そういえば先日返品したアマゾンの買い物、ようやく返金の手続きが済みましたって。
ウィキペディアのキャサリン嬢からは、
300円の寄付ありがとうございましたって。
注意はしてるつもりだけど、わたしもけっこう利用しちゃってるんだよね。

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2020年9月 9日 (水)

運動

運動に行く。
といってもにわかに殊勝にになったわけじゃない。
歩くのがメンドくさいので、自転車で買い物に行き、それが運動代わりだ。
運動だからあまり短時間ではマズイ。
どこにでも売ってる品物でもできるだけ遠方に買いにいく。
今日はもよりの駅までふらふらと出かけ、買ってきたのがキッチンの三角コーナー用ネット。
100円ショップで売ってる品だから安いけど、それでも今日は往復40~50分の運動をした。

そんなもんで運動になるのかと聞く人がいるかもしれぬ。
べらぼうめ。
部屋でごろごろしているよりはマシに決まってんだろ。

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2020年9月 8日 (火)

絶望的

あああーっ
いま話好き老人に拉致されてプリンタの設定に付き合わされている。
今日のブログ更新は絶望的だ。

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2020年9月 7日 (月)

老婆心

すこしは知られたユーチューバーに「かねこあや」という女の子がいる。
若い美人のくせにだらしない性格らしく、部屋のなかではしたない格好でごろごろしてるから、若い女の子の私生活に縁のない当方としては、のぞき見感覚でいちじはよく閲覧したものだ。
彼女の友人に「てんちむ」という、これも可愛い娘がいて、ふたりはYouTubeでよく共演したりしていた。

そのうちけろりと忘れていたけど、最近になってこのふたりがケンカ別れをしたという情報を見つけた。
ケンカぐらいよくある話だし、まして若い娘同士じゃ犬も食わないと放っておいたら、
YouTubeにはユーチューバー同士の揉め事をシンセツに解説してくれるユーチューバーまでいて、ことの詳細がわかった。
ケンカの原因は、かねこあやの飼っていたネコをてんちむが死なせたとかなんとか。
いまどきにわかに信じにくい原因だけど、それとは別にして、わたしにも似たようなイヤな思い出がある。

まえのアパートに住んでいたころ、階下にロシア人の金髪クンという若者が住んでいて、毛の長いロシア産みたいなネコを飼っていた。
高いんだろうねと訊くと、そんなことはありません、グランドのわきに捨てられていたのを拾ってきたんですという。
だいぶ態度のでかいネコだったけど、事実は意外とお粗末なものだ。

ある朝、まだ早朝に、わたしがゴミ出しに行こうと部屋のドアを開けたら、駐車場の先の道路っぱたになにやら動物の毛皮のようなものが。
じつはこのことは
2016年6月27日の、このブログに書いたことがある。
この朝、金髪クンの家のネコは、車にはねられて昇天しちゃっていたのだ。

わたしがそれを発見したのは早朝の4時半ごろだった。
まだ金髪クンは寝ているだろう。
朝からネコぐらいで叩き起こすのも気のドクだ。
そう考えて、とりあえずネコの遺骸を、道路っぱたに転がしておくにしのびないから、金髪クンの部屋のまえまで移し、5時になってから電話をした。
わたしの行為には、ペット愛好家からすると理解に苦しむ点があったようだけど、そのときはぜんぜんそんなことに考えが及ばなかった。

金髪クンはパンツひとつで飛び出してきた。
死んだネコを抱きしめて茫然自失である。
どこで死んでたんですかと訊くから、あそこだよと場所を教えてやる。
どんなふうに死んでましたかと訊くから、頭をこっちにして、こんな具合に、すぐに電話すると迷惑だから、5時になってから連絡したんだと事情を説明した。
車にはねられたといっても外傷はないから、おそらく走ってくる車に飛び出して、はじかれて、脳挫傷かなんかで死んだものだろう。
こういうことはよくあるから、ネコはけっして屋外に放し飼いにしちゃいけないと、わたしは彼にお説教まで垂れておいた。

、3日すると金髪クンがやってきて、ほんとうはあなたが車で轢いたんでしょうという。
なにバカなことをいってるんだと否定すると、それじゃなぜ発見してすぐに電話をしなかったんですかという。
なるほど、それがペット愛好家の心理か。
わたしは動物好きだけど、ペットに服を着せたり、死んだら立派な葬式をするような、いわゆる猫っ可愛がりする人間じゃない。
ペットにはペットの分際があると考え、最近の過激なペットブームを苦々しく眺める人間なのだ。
たかが飼い猫が死んだくらいで朝から叩き起こされてたまるかと、話がだんだん世間の常識からかけ離れてくるけど、これがわたしのペットに対する一貫したスタンスである。

その後、金髪クンは証拠をつかもうと、わたしの車の下を覗き込んだりしたようだけど、そんなものがあるはずがない。
疑惑はあっても、わたしの説明に矛盾はないということで、この件はそのうちうやむやになった。
ネコは庭のケヤキの大木の下に葬られ、さらにその後大木は切り倒され、庭そのものが更地になって、この件は記憶の彼方に消え失せた。

なんらかのわだかまりは残ったかもしれないけど、わたしと金髪クンはケンカしたわけでもなく、もっとあとで、彼は女の子と富士山に登るといって、わたしから登山用具を借りていったことがある。
彼はわたしの忠告を聞かず、薄着のまま富士山頂まで登り、あまり寒かったものだから、サイズの合わないわたしのレインコートを無理やり着込み、高価なゴアテックスを台無しにしてしまった。
恨むとしたらわたしのほうだ。

ところでかねこあやのネコだけど、ここに書いたとおり、ネコは不測の事故で死ぬこともある。
漱石さんちのネコだって、最後は溺死だった。
つまんないことで(この発言が炎上しないよう祈る)こころの安定を失わないよう、老婆心ながら忠告申し上げる。

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2020年9月 6日 (日)

化け物

わたしの大先輩、わたしが新しい部屋に引っ越すすこしまえに脳梗塞で倒れたよ。
見舞いに行って、こりゃもう再起不能だなと思ったから、早くよくなってまたいっしょに旅行に行きましょうと安請け合いしてきたけど、その先輩からメールがきた。
今月中に吉祥寺まで飲みに行くから付き合えだって。
化け物だな。
そのうち旅行に行くぞと誘われるに決まっている。
ま、こっちも旅行に飢えているからいいけどさあ。

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2020年9月 5日 (土)

小さな黄色い花

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近所の小さい公園で見かけた花。
地面から茎だけがひょろひょろと出ているところはヒガンバナに似てるけど、名前がわからない。
苦労して調べてみたら、どうもゼフィランサス・シトリナという花らしい。
中南米原産の花で、夏の暑い日の、雨が降ったあとに茎をのばして花を咲かせるから、イエローレインリリーともいうそうだ。
なるほど、昨夜は雨が降ったよな。

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評価

あああ、アマゾンから脅迫だ。
品物を購入したらその評価をしろって。
わたしゃ品物が買えればなんだっていいんだけど。
まして今回は自分のミスで、品物は返品した。
だからいいもわるいもないし、出品者に罪はないので、いちおう星五つをつけたけどね。
それだけじゃ気に入らないらしく、感想を書けって。
無視して送信しようとしたら、文章が短すぎるって。

ふざけるな、ばかやろう。
オレは泣く子もだまる消費者だ。
そんなことよりアマゾンの電話番号を、わかりやすいところに載せろお。
困ったときの対応に不満があるって、これはアマゾンに対する評価。

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2020年9月 4日 (金)

朝日の世論調査

アノ朝日新聞の世論調査で、「安倍政権を評価する」が71パーセントだそうだ。
どうせ辞めるんだから、もう捏造や粉飾をしても仕方ないって、今回は正直に数字を出したのかしら。
いままでさんざんけなしていたポピュリストたちも、世界中から寄せられる賛辞に、ええ、うちらの首相ってそんなにエライ人だったのとびっくりして、あわてて安倍クンを見直したってことかもしれない。
やれやれ。
だれがなってもつぎの首相は大変だぞー。

関係ないけど、右翼の百田尚樹さんて、モモタかと思ったらヒャクタって読むのね。
はじめて知ったワ・・・・

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2020年9月 3日 (木)

老害

アマゾンで買い物をした。
めったに利用しないものだから、つまらない買い物にえらい手間がかかった。
ところが買った商品の型式がちがっていて、わたしの部屋では使えないことがわかった。
こうなると返品しなければならない。
めったに返品もしたことがないから、これまたじいさんには敷居が高い。
ああでもない、こうでもないとジタバタしたあげく、ようやく向こうから返品用のバーコードを送ってもらうまでに24時間かかった。
クソがあ!

だいたい、どこを探してもアマゾンの電話番号が出ていない。
返品手順を電話で尋ねたくてもそうはいかないのだ。
世界規模の通販会社が電話係りを置くのが大変なのはわかるけど、わたしゃやっぱり電話でほいと用事を済ませたい。
ほんと、クソがあ!

もう二度とネット通販は利用しないと決意して、今日は吉祥寺まで買い物に行ってきた。
慣れればネット通販が便利だということはわかるけど、慣れるほど買い物をする予定はないワ。
以上、棺桶に片足突っ込んだじいさんより。

そういえば押し入れに頭を突っ込んだ熊本のKさん、ぜんぜんフェイスブックの更新がないけど、もう死んだのかしら。

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2020年9月 2日 (水)

科学の話

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自然科学の番組が好きで、「ダーウィンが来た!」や「ワイルドライフ」なんて番組をよく観る。
すこしまえの海外ドキュメンタリーで、進化論がどうのこうのといっていたから、それも観た。
この番組は「都会の中の進化論」というもので、なんでも、進化というものはひじょうにゆっくりしたものなので、ふつうの人間には動物が進化するさまをその目で見ることはできないということだった。
つまりいくら熱心に動物園に通っても、昨日はチンパンジーだったものが、今日は人間になっていたということを、目撃することはできないってことらしい。

それだけではべつにおもしろくもなんともない。
この番組では例外として、都会に棲む野生動物を取り上げていた。
たとえばニューョークの公園に棲む野ネズミは、ここ数十年のあいだに環境の変化に適応した、また化学物質に汚染された湖でも平気で生存できる魚も出現しているとか、ほんの短期間のうちに進化してしまった動物がいるということである。

いつか観た「ワイルドライフ」には、単独で暮らすはずのチータが、必要にせまられてライオンのように徒党を組むようになったという映像もあった。
進化というのはわたしたちが生きているあいだに見られる場合もあるらしい。
これなら昨日のチンパンジーが今日の人間というのも、あながち、と書こうとして思いとどまった。

わたしは最近、時間の経つのが早いなあとぼやいているんだけど、これは進化よりむしろ絶滅が近づいているということだろう。
人間の場合、これ以上進化するよりも、三葉虫や恐竜のあとを追うほうがふさわしく思われる。
いまより進化した人間て、どんなふうになるのか想像できる人います?

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2020年9月 1日 (火)

あれはきっと

いまどきエレベーターもない5階建て住宅なんてというのが、わたしの部屋のある団地だ。
歳をとると5階まで上るのはツライ。
1回ぐらいならまだしも、毎日4階や5階を何回も往復していたら、これは心臓にわるいに決まっている。
わたしの場合、運がよかったのか、引越し先を探し始めてすぐに2階部屋が見つかったけど、管理人さんに聞いた話では、1階、2階は競争が激しくて、なかなか空き部屋が見つからないんですよとのこと。
いままで上のほうにいた住人が、歳をとって階段の上り下りがきつくなって、階下の空き部屋を優先的に予約しているんだそうだ。

しかし団地のなかをうろちょろしてみると、けっこう1階2階に空き部屋らしきものが目につく。
わたしの知り合いにも部屋を探しているじいさんがいるから、教えてあげようかしら。
いや待て。
競争が激しいはずの部屋が空いているなんて、これはなにかわけがあるにちがいない。
それまで住んでいた年寄りが孤独死して、死後1カ月ぐらいで発見されて、その腐臭が抜けるまで貸せないってことじゃないか。

うーん、なるほどね。
そういえばわたしの住んでいる団地って、年寄りの掃き溜めみたいなところがあるな。
わたしの部屋も大丈夫かねえ。
いまんところ化けて出る年寄りもいないから、そんなことないよねえ。

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