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2020年9月16日 (水)

アホらしい本

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図書館に行くと、当然なことだけど、本がたくさんある。
読書好きには胸がワクワクだけど、その中からほんとうにおもしろい本を見つけるのは至難の技だ。
先日も図書館をうろついて、「ナチスから逃れたユダヤ人少女の上海日記」という本を見つけ、わたしは歴史にも中国上海にも関心があるので、さっそく借りてみた。

帰宅して読んでみて、また頭に血が上った。
この本は、ナチスによって迫害され、ドイツから中国に避難してきたユダヤ人少女の日記をもとにして書かれた(ということになっている)。
しかし、そういう日記がほんとうにあったとしても、じっさいにはそれをもとにして、商魂たくましいおとなが、大衆の好奇心を満たすために書いたもののようだ。
著者に思想なんてものはまったくなく、それどころか自分たちがヨーロッパで差別されていたにもかかわらず、中国に来ると今度はアジア人を差別する側にまわるのである。

少女とその家族が欧州を脱出するまでのいきさつはともかくとして、上海に着いてからのその土地のことは、わたしはけっこう詳しい。
そもそも少女はどうして上海くんだりまで流れてきたのだろう。
うすうす見当はつくけど、その理由はこの本のはじめのほうに、「上海は日本軍が中国から勝ち取った場所で、この地域はユダヤ人の避難民を積極的に招き入れている」と、ほんの2行だけ書かれている。
日本はユダヤ人に対してわりあい寛大だったのだ。
同盟国のドイツがなにかいってきたとしても、なるほど、ごもっともごもっともと、相手をはぐらかす術をこころえていたことは、現在のアメリカのトランプさんを相手にするのといっしょ。

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少女の家族は上海の虹口地区に部屋を借りて住むことになる。
ここではその住まいの不潔さがが 欧米人には耐えられないものであったと、念入りに記述される。
これは欧米人から見た中国のステレオタイプな見方で、虹口地区といえば日本租界といわれるくらい、日本人がたくさん住んでいたところである。
だからこの本に書かれているほどひどいところとは思えないんだけど、彼女はほんとうに上海に住んだことがあるのだろうか。

これは租界時代の上海の写真で、おそらく虹口地区のあたりらしい。

この本の中に、虹口地区で日本人と交わったという記述はまったく出てこない。
日本人が出てくるのはもっとあとで、残忍な軍人であり、歯のあいだからシューシューと息が漏れていると、まったく欧米人が悪意で想像するとおりの日本人だ。
しかも上海に駐屯した日本軍が、あちこちでおいはぎのような行為をしたと書いている。
これはそれ以前の南京事件で、日本の軍隊というのはこういうものだという考えが、頭に刷り込まれてしまっているのだろう。
上海に駐屯した日本軍が、租界内で強盗のような行為をしたという事実が、ひとつでもあるなら教えてほしい。

やがて第二次世界大戦が始まる。
この本のなかで結果はもうわかっているような書き方だ。
ドイツがロシアに宣戦布告をして、その機甲師団がウクライナの平原を快調に疾駆しているころ、どうせそのうち冬将軍が来て、ドイツはナポレオンの二の舞になると父親が発言する場面がある。
この時点ではそんなことはわからないはず。
ひょっとするとロシアが降伏するか、シベリアにでも追いやられるかして、ヒトラーの目論みどおりになった可能性だってないとはいえない。

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少女の父親に収入があるようになると、家族はフランス租界に引っ越して、ようやくヨーロッパなみにきれいな家に住めるようになったと安堵している。
わたしが初めて上海へ行ったころ、フランス租界のあったあたりには、まだ東京の青山・六本木にあるような、瀟洒な住宅がたくさん残っていた。
フランス人は特権階級として中国に乗り込んできて、豪華な屋敷を造り、中国人の召使を置き、中国人の美人をめかけにしていたのだ。

これはフランス租界にあった租界時代の建物で、現在はホテルとして使用されている瑞金賓館。
わたしも泊まったことがある。

日本人にも特権意識がなかったとはいわないけど、あくまで生活の場として住まいをかまえた人が多かった。
虹口地区の一画に本屋をかまえた内山完造のように、魯迅や郭沫若のような、中国の知識人とわけへだてなく付き合った日本人もいたのである。
この本の著者が公平客観的というものの見方のできる人なら、内容はちがっていただろう。

日本が真珠湾を攻撃し、アジアを席巻し、上海をも占領すると、少女は絶望し、いつかアメリカが反撃してくれると信じている。
冷静に考えれば、日本はヨーロッパを追われたユダヤ人を受け入れた数少ない国のひとつなのだから、日本がアジアから欧米列強を駆逐したとき、むしろ多少の期待感があってもよかったのではないか。
ユダヤ人を積極的にかくまった杉原千畝の例もある。
ユダヤ人亡命者を迫害しろというドイツの要求にも、日本がはっきり応じた事実はないのである。

散々なことを書いておきながら、その一方で少女と家族は、たまに租界内でオペラやバレエを楽しんだとも書いている。
ドイツ国内でユダヤ人がそんなことをできたはずはないから、これは日本軍の統治がナチスほど厳しくなかったことの証明ではないか。
それなのにこの著者は、住まいや生活の不便なところだけは全部日本のせいにしているように思える。
これではいわれなき風評で日本を攻撃するデタラメな本と思われても仕方がない。

少女とその家族は終戦まえに、ふたたび虹口地区にもどることになる。
わたしはこのあたりまで読んで、とうとう本を放り出した。
ようするにこの本には読む価値がないということだ。
しかしアメリカには、いや、これは最近の世界的傾向だけど、レベルの低い人が多いから、その内容をまともに信じてしまう輩も多いだろう。
いったいこの本は、だれがだれのために書いたのかと、わたしは絶望的な気持ちになる。
歴史は放っておくと、どんどん勝手な方向に進んでしまう場合もあるのだ。
日本の未来のためにというとオーバーだけど、わたしはこの本に、ほんのストローの水でもいいからぶっかけたくなってしまう。

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