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2020年9月18日 (金)

残照

録画してあったドキュメンタリー「残照・芸術家の家」を観ている。
フランスには芸術家だけが入れる国立の老人ホームがあるそうで、これはそうした家に住むもと芸術家たちを捉えたドキュメント。
もはや腰が曲がり、目はかすんで、創作活動もままならなくなった老人たちが、支え合って生きている家だそうだ。

いいなあと思ってしまう。
カン違いされちゃ困るけど、わたしもそんな老人ホームに入りたいわけじゃない。
この番組で観るかぎり、ホームに飾ってあるのは住人たちの絵であり、もとピアニストのおばあさんは、いまでも小さな女の子にピアノを教えている。
いくらフランスでも自称芸術家まで受け入れていたらきりがないので、芸術家として多少でも実績のある人でないと入居できないのである。
わたしがフランス人だとしても入れるわけがないのだ。

いいなあと思ったのはべつの理由で、たとえばフジ子・ヘミングみたいなおばあさんが、娯楽室でみんなにベートーベンを弾いて聴かせる場面がある。
演奏のあい間の会話に、さりげなくクラシックの曲名が出てくる。
わたしも老後はさりげなくそういう会話がしてみたい。
そういう会話のできる相手と暮らしたい。

部屋のなかでおばあさんが、もと彫刻家のおじいさんにCDを聴かせる。
足がへなへなになったおじいさんが、椅子にすわってそれを聴く。
おばあさんの杖が床に落ちる。
おじいさんがよろよろとしながら、それを拾い、よろよろとしながらおばあさんに渡すと、おばあさんはよろよろとしながら・・・・
笑いごとじゃない。

つい先日、わたしは脳梗塞で倒れた大先輩に会ってきたばかりだ。
先輩はまたみんなと酒が飲みたい一心で、リハビリに専念し、ようやく杖をついて歩けるていどに回復して、バスで街まで出てきたのだ。
しかし現実はきびしい。
かって大勢のとりまきを連れて、夜のちまたを闊歩した先輩だけど、この日に集まったのはわたしと、もうひとりの古馴染みだけだった。
考えてみれば彼の友人もどんどん衰えていて、いつでも好きなときに飲みに行ける仲間は少なくなっているのかもしれない。
かって野球部の部長までやった頑健な人が、杖なしでは歩けないほど老人化しているのを見るのは辛かった。

テレビのドキュメントにもどるけど、床に落ちた杖を一方がひろってもう一方に渡す場面の続き。
一本の杖に両側からふるえる手がのびる。
ふたりとももう歩くのさえ不自由している老人なので、これは感動的な場面だった。

さて、わたしの足が彼らほど衰えるのにあと何年かかるだろう。
さいわいわたしはまだ歩ける。
しかし彼らと同じようになる日は遠くない。
いまのわたしは深夜になると、
YouTubeで音楽三昧だけど、考えてみるとそれはとっても幸せなことだ。
最後の瞬間まで、この時間を大切にしようと思う。

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