今日の巾着田
ウチの花壇のヒガンバナはいまが見ごろのピーク。
ヒガンバナといえば埼玉県高麗(こま)の巾着田が有名だ。
調べてみたら高麗というのはわたしの部屋から遠くない。
ひとつ出かけてみるかと思い立ったけど、聞くところでは、今年はコロナの影響で、恒例の曼珠沙華祭りが中止だそうだ。
すばらしい!
祭りがなければ観光客も少なく、満開のヒガンバナをわたしが独占できるではないか。
というわけで、混雑のキライなわたしは、わざわざ平日の金曜日に出かけたんだけどね。
カメラを持って。
秋の日の晴天で、絶好の行楽日和に。
西武線の列車でたどりついたわたしが巾着田で見たものは、ああ、累々と、果てしなく続くヒガンバナのしかばねだった。
祭りが中止だけではなく、自然に生えているだけの、罪のないヒガンバナまで徹底的に刈り取られていたのだ。
虐殺の徹底ぶりは、ナチスのユダヤ人絶滅作戦や、カンボジアのクメールルージュの殺戮もかくやというくらい。
まったくもう、屈折してやがんな。
コロナなんかで大騒ぎせずに、見物人の自己責任で見せてくれればいいじゃねえか。
腹が立ったので、もとい腹が減ったので、巾着田の近くの、川にせり出した「阿里山」という小粋なレストランでメシを食ってきた。
“高麗 ”が韓国の古い国名だから、これも韓国の山名のような気がしたけど、ベジタブル丼なるものを食いながらググッてみたら、“阿里山”は台湾の山だった。
ひさしぶりに飲んだ黒ビールが美味しかったワ。
ここに載せた写真は、巾着田の近くで、かろうじて生き残っていた花の写真と、殺戮の現場のもの。
それでもいい足の運動になったと負け惜しみをいおうと思ったら、帰りに駅から乗ったバスの路線をまちがえて、余分に歩かされたというおまけがついて、ホント、腹の立つことばかりの一日でありました。
| 固定リンク | 0
« 常識のむずかしさ | トップページ | 高麗郷古民家 »
コメント