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2020年10月 3日 (土)

高麗郷古民家

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昨日、高麗(こま)にある巾着田のヒガンバナを見てきたけど、そのとき巾着の口に当たる部分の高台に、寺院かなと思えるほど豪壮な建物があるのに気がついた。
これは国の登録有形文化財にも指定されている「高麗郷古民家」というものだった。
これを見学しているうちに、わたしの頭のなかには、夏の入道雲のような、壮大なロマンがわき上がってきた。
わたしは高麗という地名が、朝鮮の人たちにゆかりのある地名だと知っていたから、そこから転じて、最初にここへやってきた人たちが、川の流れによって巾着状になったこの土地を見て、なにを思ったかと考えたのである。

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「高麗」というのは遠いむかしに存在した朝鮮王朝の名前であり、日本の各地にあった高麗という地名は、戦火に追われて日本に逃れてきた高麗人たちが住みついた土地であるという。
これについてウラを取ろうと、ウィキペディアを調べてみたら、朝鮮には高麗という王朝は過去にふたつあったことがわかった。
そりゃ想定外だなと、あわててよくよく読んでみると、巾着田のある高麗にかかわるのは高句麗(こうくり)とも呼ばれた、日本でいえば聖徳太子のころの王朝だった。
もうひとつの高麗王朝はずっと下って、日本の「源氏物語」の時代から、最終的には足利尊氏や新田義貞のころまで存続した王朝で、そのころにはもう日本には気前よく土地を他国の人間に与える余裕がなかったのか、とりあえずここでは問題外。

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この古民家について、朝鮮の様式も残っているという記述を見たけど、わたしは建築の専門家ではないから、どこがそうなのかわからない(オンドルでもあればわかりやすいのに)。
それよりも障子のある部屋、畳がびっしり敷かれた床、三和土(たたき)とよばれる土をかためた土間、ささやかながらも石を組んだ石庭などをみると、純粋すぎるくらい日本的な建物に見えてしまう。
かまどのある台所や、古井戸のある裏庭なんか、わたしが子供のころ見た親戚の農家にそっくりだ。
この家の主がどこから来たにせよ、日本人の精神をはっきりと把握した人であることはまちがいがない。

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聖徳太子のころはまだ日本は人口も少なく、土地はあまっていたから、亡命者たちにどしどし土地を分け与えた。
そんな渡来人の一派が埼玉くんだりまでやってきて、ほれ、ここがあんたらの土地だといわれる。
ながめると、川に囲まれた肥沃そうな土地で、開墾すれば立派な田地田畑になりそう。
これはありがたいと、ただちに鎌や鋤を持ち、汗水たらした人々がこの家の当主と眷属だったのだろう。
いま目のまえにある家そのものは、明治時代に建てられたものだそうだけど、はるかなむかしから、同じ場所に家が連綿と建てられ続けていたに違いない。

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古民家には終わったばかりの中秋の名月のために、ススキと団子が供えてあった。
「山川異域 風月同天」という漢詩をもういちど思い出してほしい。
場所が変わっても月は同じ天を照らすという意味である。
縄文や弥生のむかしから、日本人は大陸の人々と、わけへだてなく付き合ってきたのだという思いがわたしのロマンだ。

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