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2020年11月

2020年11月30日 (月)

冬の夜に

マイヤ・プリセツカヤの本を読んで、読み終えるのにこんな手間のかかる本はないと書いたばかりだけど、ポール・セローの「大地中海旅行」もそれにまさるとも劣らない本だ。
紀行記を読む場合肝心なことは、いま旅人(本の執筆者)がいるのはどこなのかを、きちんと把握しておくことである。
これがパリやローマのような、よく知られた場所なら問題はないけど、地中海をぐるりというと、かなり範囲が広い。
しかもこの本は、へそまがり的にローカルな土地ばかりをめぐるので、エタン・ドゥ・ルカートとかヴローラというような町の名前を聞いても、それがどこにあるのかわからないと、ここにはこんな風変わりな文化があるなどといわれてもピンと来ない。

だからやっぱりタブレットは必需品だ。
わたしはつねにGoogleマップを開けるようにしておき、作家とともに地中海の沿岸を歩いているつもりで、自分のいる場所をきっちり把握しておくことにした。

地名だけじゃない。
この本にはプリセツカヤのロシアとは比較にならないくらい、さまざまな固有名詞が出てくる。
小説なら作家の想像だろうですませてもいいが、紀行記となるとそのほとんどがじっさいに存在する名前で、しかも紀行記の読者というやつはひじょうに好奇心が旺盛なのだ。
セローはしょっちゅう古今の書物を引用するし、またあちこちで現地の作家や芸術家と語り合ったりする。
そういう相手は、日本ではほとんど知られてない場合が多いから、わたしは使いっ走りの店員みたいに、そのたびにネットをかけずりまわって調べることになるのだ。

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紀行記を読むにさいして、もうひとつ大切なことは、いったいいつの旅であるかということだ。
これを理解しておかないと、たとえばボスニアやアルバニアあたりを旅していても、ユーゴスラヴィア紛争のまえか、その最中か、あるいは紛争がとっくに終了した最近のことなのかで、旅の内容もまったく変わってくる。
これは本のあとがきにあるけど、セローのこの旅は、
1993年の秋から1995年の春までのことだそうだ。
まだ旧ユーゴでは、第二次世界大戦以降で最悪といわれた殺し合いが続行中だったから、セローはまかりまちがえれば戦争にまきこまれていた可能性もある。

いったい旅をしたのはいつだったのか。
それをきちんと把握しておくことで、作家が見た世界の現実と、時間の流れが正確に理解できるわけだ。
いろいろゴタクをならべてきたけど、ほんとうに、こんなにじっくり読めて楽しい本もない。
他人の旅に便乗したわたしの横着な紀行記も、まだまだ、ゆるゆると参ろう。
退屈な冬の夜は始まったばかりだ。

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2020年11月29日 (日)

新しい紀行文学

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ポール・セローの「大地中海旅行」という本を読んでいるけど、わたしはほかにもやることがあるので、700ページもある本をぜんぶ読み終わってから感想をまとめていたら、いつになるかわからない。
それだけ手間ひまをかけても、原稿料をもらえるわけじゃなし、認知症の予防以外に役には立ちそうにない。

そこでひとつ新機軸を。
わたしは写真でもよくやるんだけど、誰かか送ってきた写真を勝手にトリミングして、わたしなりの新しい写真にしてしまうことがよくある。
おかげでむかしは知り合いから文句をいわれたこともあった。
しかし、文句をいった知り合いが自分の写真をおおやけに公開したようすもないし、彼もわたしと同じように歳を重ねているから、その写真は墓場のなかまで持っていくことになるだろう。
わたしが手を加えたとしても、それだけがネットで公開された彼のゆいいつの写真になるわけだ。

わたしはトリミングをしたあとが、最終的な写真作品だとこころえているので、そのていどは許されてもいいと考える。
もちろん他人の写真を商業目的で使って利益を上げるというのは言語道断だけど、ネットに上げられたおびただしい情報を、本人だけのものにしておくのはもったいないと、いつも考えているのだ。

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またセローの「大地中海旅行」にもどるけど、全部読み終わるまで待つとしたら、いつになっても感想文なんて書けない。
そこで、勝手な言い分だけど、わたしのいう新機軸というのは、ここで紀行文学の新しいスタイルを披露してしまおうというのだ。
セローは地中海の沿岸を旅して、見たもの、聞いたもの、感じたことなどについて書いている。
わたしはセローとともに旅をして(つまりその本を読みながら)、そこから感じたことをまた文章にしていこうと思うのだ。
それじゃあ感想文と同じじゃないかという人がいるかもしれない。
その範疇におさまらないのがわたしの理想なんだけどね。

現在の世界はめまぐるしく変わっており、つぎからつぎへと新しいものがあらわれる。
自分でじっさいに現地に行ったわけでもないのに、グーグルのストリートビューと、ネットのさまざまな情報だけで、バーチャル旅行をしてみようというのは、紀行文学の新しい行き方かもしれない。
ずるいといわれるかもしれないけど、金をもらってやってる仕事じゃないのだから、まあ、ぼちぼちやってみよう。

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2020年11月28日 (土)

花のその後

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先日購入してきたオキザリスのその後。
買ってきて3、4日は元気がよかったのに、その後だんだん元気がなくなってきて、最近はほとんど花が開かない。
日当たりのいいところに置いて、せっせと水をやっているのに、これ以上なにをどうすればいいのか。

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わたしの部屋に置いといて、しおれるのを見るにしのびない。
そこで花壇に植え替えて、あとは自力で生きていくんだよと、これならしおれても、すくなくてもわたしの責任ではない。
わたしはこころやさしき男なのだ。
たまたま花壇に6号棟さん(ボランティアで花壇の手入れをしているおじさん)がいて、それは愛情が足りないんですねという。
花の名前がオキザリスだから、置き去りにしてるんじゃないですかと。

6号棟さんは現代の花咲じいさんといっていい人だから、こういう人にこうわれると面目がない。
あとの面倒をよろしくお願いしますといって、彼女を預けてきた。
うん、わたしって、ホントこころやさしき男。

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2020年11月27日 (金)

ワイン

Wine

わたしは酒を呑ませれば強いけど、けっして本物の呑兵衛じゃないらしく、なければないでたいていあきらめる。
ところが昨夜は、たまたまボール・セローの紀行記を読んでいて、そのなかにワインが出てきたせいで、もういてもたってもいられないくらいワインが飲みたくなってしまった。
お茶代わりの焼酎は買ってあったけど、それじゃダメ、ビールもウイスキーもとくに飲みたくならず、鼻の奥にワインの香りがただよっちゃって、ここはなにがなんでもワインでなけりゃという感じ。

もうワインならなんでもいいやと、目を血走らせて、夜中に近所のセブンに出かけ、600円ぐらいの安物の赤をゲット。
それを飲んでようやく禁断症状がおさまったアル中患者の心境だよ。
それにしても、あるんだねえ。
ワイン通でもなんでもないのに、ワインの味がしみじみわかるってことが。

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2020年11月26日 (木)

大地中海旅行

今度はポール・セローの「大地中海旅行」を読み始めた。
この本は地中海の入口である英領ジブラルタルから、海岸線だけをずっとたどって、最後はまたジブラルタルの向かいにあるモロッコまで、地中海をぐるっと一周する紀行記だ。
内陸には入らない。
スペインもフランスも地中海に接しているけど、マドリードもパリも内陸にあるから行かないし、イタリアなんか地中海にどっぷりつかった国だけど、ミラノもトリノもフィレンツェも、海岸にないという理由で無視だ。
ほんとに、徹底的に海岸線だけをたどった紀行記なのである。

これを読むまえに考えた。
わたしも旅行好きだけど、地中海に面した国をぜんぶいえるだろうか。
ひとつ自分の知識を試すつもりで、地図やネットに頼らないブラインドテストをしてみることにした。

まず地中海の入口にスペインがあるのはわかる。
ポルトガルも入口近くにあったけど、あれはたしか外海(大西洋)に面していて、地中海には面してなかったはず。
スペインのつぎにフランスがある。
カンヌやニースはフランスだよなと考えて、いや、イタリアだったかなと、もうこのへんで迷いが生じる。

フランスのつぎはイタリアと、このへんまではまあまあ。
問題はこの先だ。
イタリアのとなりにギリシャがあったはずだけど、イタリア半島はかなりほそ長いから、その長靴の背中にあたる入江の奥には、いくつかほかの国があったような。
ええと。
考えてもわかりそうにないから、すっとばしてギリシャに行く。

何年かまえにトルコに行って、そのさいトルコとギリシャが国境を接していることを知った。
とはいえ、この国境は海のうえの国境で、陸の国境がどうなっていたか知らない。
エーゲ海も奥のほうでは、どこかほかの国にも面していたような気がするし、トルコからギリシャまで列車で行ってみようかと考えたことがあるけど、とちゅうにどこかの国を経由していたような気がする。
これもわからないので、あとで地図を見ることにして、トルコへ行く。

トルコはけっこう大きな国だ。
トルコの先の地中海ってどうなっていたっけか。
このへんまで行くと地中海もとっつきという感じだけど、イスラエルがあのへんにあり、最近でっかい爆発事故があったレバノンなど、まわりにアラブの国がいくつかあったはず。
しかし具体的な地理関係はなにがどうなっていたかわからない。
考えてもわかりそうにないから、一足飛びにエジプトに行ってしまう。

エジプトまで行くと、もう地中海を半周したことになる。
でもエジプトについては、ナイル川の河口が三角州になって地中海にそそいでいるあたりしか知らないな。
あの国って、巾着みたいに、アフリカの内陸部に大きく広がっている国じゃなかったっけか。

エジプトのとなりかそのとなりに、虐殺されたカダフィ議長のリビアがあったはず。
あの動乱はよく注目していたので、リビアという国についてもかろうじて知っていたけれど、それまでこの国は、イランやイラクの近くの砂漠のなかにあると思っていた。
そしてもうひとつ、チュニジアという国も地中海に面していることを知っていた。
これは以前マルタ島に行ったとき、アフリカのチュニジアが、もう対岸のすぐ目のまえだということを聞いたから。

そういえばマルタ島も独立国家だったよな。
F1グランプリで有名なモナコ公国もそうだし、探せばまだ地中海に面した極小国家があるかもしれない。

エジプトの先の地中海に面したアフリカの国というと、正確な地理はよくわからない。
リビア、チュニジア、そして地中海の入口にあって、ジブラルタルと向かい合っているモロッコ以外に、地中海に面した国があっただろうか。
ありそうな気がするけど、それはなんという国なのか。

モロッコといえば映画「カサブランカ」の舞台だ。
恥ずかしながら以前は、両方とも都市の名前だと思っていた。
そして「カサブランカ」や「望郷」という映画のおかげで、迷路のようなゴミゴミした街だと思っていた・・・・
と書いているうち、「望郷」の舞台はモロッコじゃないなと思いつく。
同時に、ここは地の果てアルジェリアという、「カスバの女」の歌詞を思い出し、連想ゲームのように、アルジェリアも地中海に面した国じゃないかと思い出す。
そして、モロッコもアルジェリアも、日本よりずっと小さな国であると漠然と思っていた。

このくらいがブラインドテスト、つまりわたしの記憶だけで描ける地中海沿岸国家の限界だ。
フランス、イタリア、スペイン、ギリシャ、トルコ、エジプトあたりを例外とすれば、ほかは日本人にはあまり縁のない国だから仕方がない。
あとで地図で確認して、あらあと驚愕した事実がいくつか。
笑うんじゃない。
このていどでも、たぶんあんたよりマシだ。

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2020年11月25日 (水)

儲からない

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なんかネットで金儲けができないかなと、しょっちゅう考えることは考えているんだけど。
たとえばヘタクソな文章でも、もうすこしおもしろいものが書ければ、スポンサーをつけることも可能かもしれない。
ただ、ニフティのブログで金持ちになったという話をとんと聞かないから、こちら方面に期待してもダメだな。

それよりもYouTubeで映画評、読書評でもやってみたらどうだろう。
わたしの評論というのはひねくれていて、世間にたてつくことが多いから、けっこうおもしろくて、人気が出るんじゃないか。
と、よく考えるけど、なかなかそうはいかない。
無難なお世辞たらたらの世間にカツを入れるにはいいかもしれないけど、読者の大半をしめる(はずの)いまどきの若者と、どうしても断絶を感じてしまう。
断絶というのは、具体的にいうとこういうことだ。

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たとえば映画。
わたしの世代はフェリーニの「8
1/2」とか、ゴダールの「気狂いピエロ」、ワイダの「灰とダイヤモンド」という監督や映画名を知っている。
ところがいまどきの若者はそんな名前は聞いたことがない。
いま人気があるのは「鬼滅の刃」とか、「ワンピース」とか、「サイコパス」というもので、そんな作品はわたしのほうが知らん。
おたがいに相手のほめるものをアホらしいと思ってるんだから世話がない。

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愚劣な映画ばかり観てよろこんでいる若者たちに、過去の名画の良さを知らしめると、自己満足みたいな文章をひねるのは本人の勝手だけど、これじゃスポンサーはつきそうもない。
スポンサーのつかない文章をひたすら書くってのは、つまり、いまのわたしが実践していることじゃないか。
ホント、世の中平和だな。
とうぶん儲かりそうもないや。

ここに挙げたのは「なぜか人気のある映画ベスト・スリー」

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2020年11月24日 (火)

もうすこし

夏目漱石の「三四郎」のなかに、三四郎が野々宮先生の家の留守番を頼まれ、その晩に近所の線路で投身自殺に出くわす場面がある。
この線路というのは、いまの総武線の大久保駅あたりということになっていて、若いころのわたしもそのへんに住んだことがある。
「三四郎」は明治時代の小説だから、当時はまだ大久保あたりというと、現在のわたしが住んでいるところみたいに、あちこちに畑や森が残っていただろう。
そう考えると、すこし楽しくもある。

ところでこの小説のなかで自殺したのは若い女で、最後の言葉は「ああ、もうすこしだ」というものだった。
なにがもう少しなのか、女に聞いてみなければわからないけど、おそらく、つらい人生ももうすぐ終わるということだったろう。
唐突にこんなことを書いたのは、最近のわたしの生き方をふりかえって、しみじみと思うところがあるからなのだ。

わたしはもう仕事は辞めたし、毎日本を読んだり音楽を聴いたり、あい間にはパソコンで文章を書いたり絵を描いたり、これ以上ないくらいお気楽な生活をしている。
若いころからこんな人生が理想だったけど、現実には生きるのに精一杯で、人生の大半を、自分の理想とは正反対の生き方ばかりせざるを得なかった。
それはもちろん自分がだらしない性格で、理想に近づくための努力をしなかったせいだから文句はいわないけど、こういう人間がいったいいつまで今のような理想の生活ができるのだろうか。

正直いって忸怩たる気持ちもある。
しかし、仕事を辞めるとき考えた。
残りの人生ぐらい理想的な生き方をしてみたい。
世間ではこれを怠け者の論理だ、人間として生きる以上、最後の最後まで汗水たらして働くべきだというかもしれない。
おまえはそもそも人間としての義務を果たしたといえるのか。
そんな人間が理想の生き方だなんて、おへそがお茶を沸かすわ。
なんといわれてもかまわない。
いまが人生のスタート地点なら大変だけど、もうゴールが見えている。
最近では時間の過ぎるのがえらく速いから、わたしが辛抱するのもああ、もうすこしだなのだ。

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2020年11月23日 (月)

闘う白鳥

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マイヤ・プリセツカヤの「闘う白鳥」、読み終わったから感想を、いちおう書いておこう。
バレエやプリセツカヤに関心のある人は、けっこう世間に多いらしく、この本の書評や個人に対する感想もたくさんあるから、へそまがりのわたしは別の視点からひっかいてやろうと思う。

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マイヤの人生についてはよく知られている。
彼女はまだ幼いころに、父親を悪名高いロシアの秘密警察に粛清された(皮肉なことにバレリーナとして天分を発揮しはじめたマイヤは、父親を逮捕した秘密警察員のまえでも踊ったことがあるという)。
こうした体験が、権力に対する不信と反逆精神をマイヤの脳裏に刻みこみ、彼女の前半生は非人間的なソ連の官僚主義との闘いに終始した。
とまあ、こういうことは彼女を知る人には常識である。

しかしもちろん、お上に逆らって無事でいられないのが、当時のロシアだ。
ソ連時代にもロシアのバレエ団が西側で公演することはよくあったけど、マイヤは徹底的に参加メンバーからはずされる。
ロシアのダンサーはヌレエフやバリシニコフのように、海外公演をもっけの幸いと亡命することが多かったから、ロシア文化省もそうそうかんたんには許可を出さないのだ。
外国で演じたい。
このへんは、本場の米国で勝負したいとねがったプロ野球の野茂英雄に似ている。
彼女の闘いは続くのである。

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16歳にしてボリショイの舞台に立ったマイヤは、すでに大器の片鱗をあらわしていた。
実力がついてくると、人間ハナっぱしらが強くなるのは洋の東西を問わない。
あるとき彼女は、新聞(もちろん国家の御用新聞だ)のバレエ批評欄に自分の名前がないと、ボリショイの総裁のところに怒鳴り込んだことがある。
これはひじょうに危険な行為のはずだけど、彼女が粛清や流刑をまぬがれたのは、ロシアでは芸術家に対する尊敬の念が、細々ながらあり続けたからかもしれない。

こんな反抗的な性格がたたって、あいかわらず仕事を干されたり、いやがらせが続いた。
彼女の闘いは続く。
しかしロシアの雪解けは着実に進んでおり、時代はしだいに彼女の有利に傾いていった。

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国内に幽囚状態だったマイヤだけど、苦労して状況を変えてゆき、ついに米国公演に参加するところまできた。
当時はケネディ大統領の時代で、つまりまだ冷戦のまっ最中で、アメリカ人は評判ばかりが先行していたこの希代のバレリーナを、ひと目見ようと大騒ぎだ。
これはソ連という国へのあてこすりもあったのだろうけど、大統領まで乗り出して、連日パーティーだ、晩餐会だとマイヤを歓待する。
とくにケネディの弟のロバートは、向こうから紹介してくれと頼み込んでマイヤにせまった。
ケネディ兄弟といえば女ぐせのわるさで有名だから、下ごころがあったことは間違いがない。
下ごころなしに花束を贈ったり、食事に誘う男はめったにいないものだ。

そういうわけですこし心配になるけど、わたしがマイヤの貞操について心配しても仕方がない。
ただ彼女も資本主義に毒されてない純情なロシア娘だったから、米国で歓迎されて、いささか舞い上がっちゃったようだ。
彼女はアメリカで、指揮者のレナード・バーンスタイン、俳優のイングリット・バーグマン、オードリー・ヘプバーン、シャーリー・マクレーンなど、そうそうたる顔ぶれのセレブと知り合ったことをうれしそうに書いている。
しかし芸能週刊誌じゃあるまいし、そんなものはわたしには別世界の話だから、さっさと読み飛ばして先に行こう。
屈折してやがんなといわれそう。

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彼女の米国公演は大成功だった。
しかし・・・・
ここで共産主義国の給料システムについて触れておくと、海外で公演しても劇場から演技者に支払われる出演料は、その大部分を国家がピンハネし、演技者にはスズメの涙ていどしか支払われない。
これは現代でも北朝鮮がいい例だ。
アメリカ公演でマイヤがもらった日当はたったの40ドルで、あとで「子犬を連れた貴婦人」に出演したイヌの出演料は700ドルだったそうだ。

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マイヤの本を読んでいると、ときどき彼女も女性だなと思わせられる箇所に出くわす。
人間に対する好ききらいがはっきりしていて、自分に好意的な人は持ち上げるけど、自分をいじめた人物についてはあとあとまでネにもつ。
これは女性にありがちな性格だ。
振付師のグリゴローウィチと仲がわるかったというのは、両方のファンであるわたしにはコマッタ、コマッタ。

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米国公演以降のマイヤは順風満帆というところだけど、芸術家としての創作本能がうずいたのか、つぎの境地をめざし始める。
それがキューバの振付師アルベルト・アロンソとのコラボである「カルメン組曲」だ。
あんなひわいな踊りは認めませんと、これはわたしではなく、ボリショイ劇場の総裁がいったことなんだけど、保守的な先輩ダンサーにはそうとうイヤらしい踊りに見えたらしい。
これでまたマイヤの反抗心に火がついた。

ひわいといわれるとすぐに気になる人もいるだろうけど、どうしてもその舞台を観たい人は、YouTubeでマイヤのカルメンを探してみればよい。
そんなこといったって、だいたいバレエって、短いスカートの美人が大股をひろげちゃって、みんなひわいじゃないのという人もいるかもしれない。
しかし白鳥の湖の清純なお姫さまが下着をチラ見させるのと、マイヤのカルメンが太ももをドン・ホセにすりつけるのとでは、やっぱりひわいの度合いがちがう。

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伝統と格式に固執する総裁とマイヤは、激しい口調で応酬する。
あんないやらしいバレエばかりになったらボリショイはどうなりますか!
どうにもなりません、いままでどおり腐敗するだけです!
こうなると売り言葉に買い言葉だけど、それでもマイヤが無事でいられたのはなぜか。
じつは彼女はこのすこしまえに、ソ連で最高の栄誉とされるレーニン賞を受賞していた。
名実ともにロシア最高のバレリーナというお墨付きをもらったようなもので、もはやちょっとやそっとわがままをいっても、ホームレスになる心配はないポジションである。

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けっきょくマイヤは勝利をおさめ、この後の彼女はおおっぴらに海外に飛躍していく。
彼女の進出先には日本も含まれ、この本では日本舞踊の井上八千代さんの踊りに感心したことや、熱心な日本人ファンのことも触れられている。
最近の YouTube なんか見ると、日本びいきのロシア娘がやたらに増えているけど、彼女はそういう面でも先駆者といっていい人だったのだ。

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マイヤ・プリセツカヤの偉大さは、最後までロシアに踏みとどまって、横暴な官僚主義に抵抗したことと、革新的なバレエ、カルメンを演じたことだろう。
彼女は鉄のカーテンをこじあけ、あとに続く者たちに自由世界への扉を開いたのである。
このあとロシアのダンサーたちは、ローラン・プティ、バランシン、ベジャール等の前衛バレエさえ踊ることになるのだ。

・・・・ひわいの度合いもいよいよ増したかもしれない。
YouTube にマイヤのカルメンを引き継いだスヴェトラーナ・ザハーロワの映像が上がっているけど、これを観てあなたはどう思う?

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2020年11月22日 (日)

ストーンズ・ライブ

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今夜はひたすらテレビにくぎ付けってトコ。
いま昨夜録画したストーンズのキューバにおけるライブを見てるんだけど、ひさしぶりに生きのいいロックを聴いたな。
番組の冒頭で、ナレーターが社会主義国のキューバでとうとう演奏にすることになったとごちゃごちゃいっている。
もともとキューバ人はのりやすい人たちだけど、音楽というのは国境もイデオロギーも関係ないってことを、これほどはっきり物語るグループはないね。

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ローリング・ストーンズといったら、わたしの青春とぴったしかさなるグループだぜ。
4人編成のビートルズが、すでに半分のメンバーが死んだのに比べると、こちらは4人から7人の、それも入れ替わりがあったのに、初期に死んだブライアン以外のメンバー全員がまだ健在というのには感心してしまう。
ビル・ワイマンはまだ生きているんだろうか。

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地震速報

おっ、すごいな。
たったいま緊急地震速報が出ましたってテレビがいってたよ。
へえ、ぜんぜん感じなかったけどと思ったら、揺れがきたのはその直後だった。
速報もこのくらい早ければたいしたものだ。
この速報をブログに書いたのも、わたしのブログがいちばん早かったかも。

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聞きたい

わたしのブログを読んでる人に聞きたいね。
今年は暖かいのか。
そろそろ冬の便りも聞こうかというこの季節、あまり寒さを感じないんだけど。
知り合いは、鉄筋コンクリートの家ってのは、夏涼しくて冬は暖っかいんだよっていうけど、そういわれてみると、わたしがボロ団地とはいえ、鉄コンの家に住まわったのは生まれて初めてだ。

そういう理由なら光熱費が節約できるんで大歓迎だね。
でも地球温暖化の影響かもしれないから、あまり喜ぶのもナンだしな。
モスクワ川は今年も凍らないかもしれない。
と、とつぜん話が飛躍するけど、え、どうなの、今年は暖かいの?

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2020年11月21日 (土)

戦争と平和

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またヒマつぶしのネタを見つけた。
ロシアの映画で「戦争と平和」という作品がある。
ロシアに攻め込んだナポレオンのフランス軍と、祖国防衛にあたったロシア軍の戦争を描いた、トルストイ原作の大河小説の映画化で、まだソ連邦が健在だったころ、ロシアが国威発揚と国のメンツをかけて製作した超大作だ。
ハリウッドにも超大作はたくさんあるけど、こればっかりは、本物の軍隊まで動員できたソ連にはかなわない。

封切り直後にこれを観たわたしは、西側の映画にはめったにない重厚な雰囲気、古典絵画を思わせる色調、そして人海戦術というべき戦争シーンの壮大さに、もうやたらに感動してしまった。
まだCGのない時代だったから、地平線の果てまで埋め尽くしたロシア軍、フランス軍の人馬は、すべて本物なのだ。

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最大の見ものはボロジノの会戦シーンだ。
初めて観たときはやたらに感動したけど、その後わたしもいくらかおとなになったのか、戦闘シーンはすこし冗長だなと思うようになってきた。
たしかにスケール自体はとてつもなく大きい。
しかしもうすこし要領よく編集できそうなものだ。

この映画はそっくり全体が YouTube に上がっている。
ということはパソコンに取り込める。
パソコンに取り込めれば、編集ソフトでバラバラにして、再編集することも可能ではないか。
いつも映画についてエラそうなことをいってるわたしのこと、ここはひとつ、わたし流の「戦争と平和」を作ってしまえ。
といっても戦争シーン以外は文句をつける必要のない映画なので、わたしがやるのはあくまでボロジノの会戦のシーンだけだ。

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さいわいなことにこの映画は古風な大作らしく、ひとつひとつのカットがすごく長い。
短いカットを積み重ねて、アップテンポでありさえすれば迫力とカン違いしている最近のせせこましい映画とは大違いだ。
しかもじっくり撮られた映画らしく、ひとつひとつのカットは、それだけでほれぼれするような絵画的映像ばかりなのだ。
わたしは従軍記者になったつもりで、ボロジノの会戦の実況中継映像を作ってみよう。
せっかくソ連が大枚を投じ、軍隊まで動員してくれた映像を、一回しか使わないのはもったいないではないか。

残念ながら著作権がうるさいから、これは公開するわけにはいかない、あくまで年寄りのヒマつぶしである。
あいかわらず金にならないことに凝っているけど、仕方がない。
わたしが詩人や画家だったとしても、金に縁のないことをひたすら続けていただろう。

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2020年11月20日 (金)

本の予約

おかしな天気の一日だったな。
灰色の雲におおわれた空のすきまからかろうじて青空が見える。
ときおり一陣の風が木の葉をばらばらと散らし、これだけ見ていると木枯らし日和だけど、やけに暖かい。
昨日の夜なんか暑くて寝られないくらいだった。
地球温暖化のせいでなけりゃいいけど。

今日は図書館に本を予約した。
いつも行き当たりばったりで借りてるくせに、今回ばかりは特別だ。
なんでかというと、いまひじょうに話題になっている本なので、予約をしないかぎり、いつになっても読めないと思うからなのだ。

本のタイトルは「ボルトン回顧録」。
そう、あのトランプさんのもとで国家安全保障問題担当大統領補佐官という長ったらしいポストについた、ヒゲの超強硬派おじさんが書いた本だ。
最後は任命したトランプさんから解任され、んならみんな暴露してやると、回顧録を書いてトランプさんをあわてさせた男なのだ。
トランプさんはなにをやらかしてもおもしろいというので、いまでも、日本にさえ、辞めないでーというファンが多いくらいだから、回顧録にどんなことが書いてあるか、興味を持つのはわたしだけじゃあるまい。
問い合わせてみたら、わたしのまえに9人が予約待ちだそうだ。

図書館の本はひとりが2週間まで借りられる。
ということは最大でも18週後には、わたしもこれを読めるわけだ。
自分で買ってしまう手もあり、若いころならきっとそうしていたと思うけど、読み終われば捨ててしまう本を、いまのわたしが買うわけにはいかない。
ま、気長に待とう。

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2020年11月19日 (木)

ビジョン

朝、なにげなくテレビを点けたら、初の南北首脳会談、知られざる舞台裏という番組をやっていた。
金正日サンと金大中サンが揃い踏みをした朝鮮半島のことらしいけど、もうふたりともあの世だし、彼らがノーベル賞をもらったからといってなにか好転したわけでもない。
この番組のなかで、“豊田” 大中サンがクリントン大統領にいっていた。
ベトナムを見よ、力で屈服させようとして、けっきょくアメリカは敗北した。
しかし戦争が終わると、いまやベトナムも親米国家だ。
北朝鮮の場合も、支援をして、宥和政策でこちら側に引きずり込んだほうがよい・・・・
うん、まんざら説得力がないわけでもないな。

金大中サンは世界の常識の逆をいって、北朝鮮に支援物資の米を与え、おかげでひと息ついた北朝鮮が核兵器の製造を押し進めたものだから、米を核に変えた錬金術師とか、偉大な核物理学者なんてからかわれているけど、恩を与えれば恩で報いてくれるだろうと考える理想主義者だったようだ。
まあ、悪い人じゃなかっただろう。
しかしかってのソ連をみればわかるように、現実の政治は欲得のからんだ人間がとりおこなうものだから、そうそう理想どおりにはいかない。

失敗した金大中サンの意思を、バカのひとつおぼえのようになぞっているのがいまの文在寅サンだ。
彼も平和裏の統一が悲願のようだけど、これって明白なビジョンがあるんだろうか。
たとえば統一した場合、だれが統一朝鮮のトップに座るのか。
そりゃ経済的に進んでいる韓国の大統領がといったのでは、北の正恩クンが納得するわけがない。
いやまあ、トップはいちおう正恩クンにやってもらって、実務は韓国がといっても、やっぱり納得しそうにない。
まともな選挙でもした日には、正恩クンは落選確実、あとは縛り首ぐらいが関の山。
正恩クンのほうは、みずからの王朝を死守することに、文字通り、自分の命がかかっているのだ(韓国も同じか)。

先に統一した東西ドイツを参考にしたいかもしれないけど、ドイツの場合は西ドイツが東を飲み込むような統一だったから問題がなかった。
現在の韓国と北朝鮮の場合、韓国が思い切り譲歩して、北の思い通りにでもさせないかぎり統一は無理だろう。
バラ色の夢ばかり見ていないで、統一するならきちんとそのための道順を考えておかないと、すぐにまた分裂でござんすよ。
南北統一なんて、美味しいことをいって、国民をあざむいて、ようするに自分の首をつなぐための方便ですってか。
それがいちばん可能性が高いけど。

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2020年11月18日 (水)

逃した魚

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逃した魚は大きい。
これはネットで見つけた写真だけど、どこの景色だと思う?
アメリカ中西部の大規模農場、あるいはロシア、ウクライナの広大な穀倉地帯?
どっこい、これはじつは中国の東北地方、かって日本の一部だった満州だそうだ。

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衛星写真で中国をながめると、たとえばわたしの知り合いが写真を送ってきた新疆北部でも、広大な農地が開発されているのがわかる。
それまでなにもない砂漠のようなところだったから、開発の規模もハンパじゃない。
ちょうど発見されたばかりのアメリカ大陸にむらがったヨーロッパ人のようなものかもしれない。
14億の国民を食わせなけりゃいけない中国も必死だ。

満州は酷寒の地だから一毛作かもしれないけど、この土地がいまでも日本のものであれば、太陽光パネルをしきつめたハウスを作り、現代の科学と技術でもって、このあたり一帯を汲めども尽きぬ肥沃な農地にすることも可能な気がする。
ああ、逃した魚は大きい・・・・

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2020年11月17日 (火)

パソコンと文学

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いませっせとマイヤ・プリセツカヤの自伝「闘う白鳥」を読んでいるところ。
おもしろいので読むのもはかどる、といいたいけど、そうはいかない。
なかなか手間のかかる本だ。
原因はロシアの人名にある。
ロシア人の名前というのは、名前と名字のほかに父称というものがあって、一例をあげると、たとえばこの本にリーリャ・ユーリエヴァナ・ブリックという人名が出てくる。
まん中のユーリエヴァナというのが父称だ。
ただでさえ聞き慣れない名前なのに、本のなかでは父称が省略されたり、名字だけということがしょっちゅうある。
そのたびにこれだれだっけと、まえにもどって確認しなければならない。

読書がはかどらないのはそれだけじゃない。
いま名前の出たリーリャ・ブリックという女性に興味がわいて、彼女の経歴を調べてみる。
現代はパソコンさえあればたいていのことは調べられる時代なのだ。
ネット上には、透け透けのネグリジェ姿というリーリャさんの写真があり、そうとうにぶっ飛んだ女性であることがわかる。
そして詩人マヤコフスキーと関わりのあった女性であることがわかり、今度はマヤコフスキーについて調べる。
ロシアでは有名だけど、わたしのぜんぜん知らなかった、自殺したイケメン詩人だそうだ。

そんなこんなでプリセツカヤのことがどうでもよくなってしまい、しばらくしてからハッと我に返って、また本にもどる。
これではいつになってもはかどらない。
でもパソコンと首っぴきで本を読むと便利な点もある。

プリセツカヤが有名になり、国外公演も許可されるようになって、フランスで画家のシャガールの家に遊びに行ったときのこと。
たまたまラジオから流れてきた、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲が話題になる。
どんな曲だっけ。
と疑問に思ったときは、パソコンがそばにあれば、世界中のどんな曲でもYouTubeでたちどころに聴いてみることができるのだ。
わたしもすぐに聴いてみた。
あまりいいとは思わなかったので、バイオリンから連想して、映画の主題歌「サンライズ・サンセット」に飛んでしまった。
うん、こちらはいい曲だ。
こんな具合に脱線ばかりしているからやっぱりはかどらない。

そういうことはともかくとして、ほんとうにわたしのようなタイプの読書好きには便利な時代になったものだ。
パソコンが普及するまえは、読書中になにか調べたいことがあったら、図書館にでも行くしかなかった。
いまはタブレットをとなりに置いておけば、ヘタな図書館よりずっと多くのことを調べられる。
読み終えるのにいくら時間がかかっても、こっちは時間がありあまっているじいさんなのだ。
まあ、ゆるゆると続きを読もう。

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2020年11月16日 (月)

江戸数学

BSの Cool Japan という番組が好きでよく観ているけど、これは外国人を数名スタジオに招いて、日本のいいとこ悪いとこを議論してもらう番組だ。
昨日のテーマは「日本の江戸文化」というもの。
江戸文化といえば、たいてい浮世絵や歌舞伎、または寿司やテンプラや蕎麦などの食べものがくるのは当然だ。
しかし、そういうものはよく知られすぎて、この番組でも過去に何度も取り上げられており、なにをいまさらという感じである。

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江戸文化のひとつに「江戸数学」というものがあった。
日本人もあまり知らないと思うけど、これは方程式、関数、幾何などの数学の問題とその答えを、絵馬として神社や寺院に奉納したものだそうだ。
江戸時代に絵馬を使った、頭の体操ゲームのようなものまであったのである。

ある人がこの問題が解けるかという挑戦的な絵馬をかける。
それを見た人々は答えを考えて、わかれば、その答えをまた絵馬にしてかける。
おどろくのはこれが庶民の流行だったということだ。
田畑の面積を割り出したり、年貢米の容器の体積を測ったり、庶民にも数学が必要だったこともあるけど、ギリシャ時代の哲学者の問答のようなことを、江戸時代の日本では農民までがしていたことになる。

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これじゃあ日本人の頭がよくなるのは当然だ、というと手前ミソになってしまうからいわないけど、庶民のあいだでこんなことが流行した国は、世界的にもほとんど例がない。
庶民はだまって税金だけ払っていればいい、勉強なんてケシカランというのが中国やおとなりの国の伝統で、日本の浮世絵が絵画の歴史に果たした役割を、ぜったいに教えない国がいまでもあるそうだ。

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知識を求めるのは人間にとって自然な欲求かもしれないのに、頭がいいとうるさくて仕方がないと、政府による愚民化政策がいまでも続いているとしたら、その国の国民は悲劇である。
朝鮮半島の人たちは抑圧されるのが当然なのだろうか。
北を見ても南を見ても。

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2020年11月15日 (日)

美少女を弄ぶ

美少女を弄ぶ。
正確にいうと、美少女(の写真)をもてあそぶということである。
ネット上には美少女の写真がいくらでもあるのて、そんなもののひとつをイタズラしてしまおうということなのだ。
肖像権の問題がどうのこうのという人がいるかもしれないけど、最近の女の子は、自分の写真をイタズラするのが大好きで、自分の写真が拡散されると、スターになったような気がしてよろこんでしまう。
そういうわけだから、わたしが知らないよその女の子をもてあそんでも文句はいわれないのではないか。

サーバーがパンクするので、あまり動画は載せたくないんだけど、またおもしろい動画が出来たら載せるかも。

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2020年11月14日 (土)

オキザリスのその後

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咲きました。
最初からこういう状態だったらカタバミの仲間だってすぐわかったのに。

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2020年11月13日 (金)

オキザリス

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用事があってホームセンターに行ったついでに花屋をのぞいたら、小さな変わったかたちの花が目についた。
ピンク色の、つぼみのようなかたちをした花がたくさんついている。
オキザリスという名前らしいけど、つぼみがひとつも開花してないから、こういうかたちをした花なのかもしれない。

買って、帰宅して調べてみたら、これはカタバミの仲間だそうだ。
それでわかった。
カタバミは陽がさすとが開花する。
逆にいえば日が沈むと花が閉じてしまう。
マルタ島にたくさん咲いていたオオキバナカタバミも、陽がかげるとみんな花を閉じてしまっていた。
わたしが買ったのは午後3時ごろで、すでにこの日の開花は終わっていたのだろう。

寒さには強いらしいからベランダに出した。
明日の朝、どんなふうに開花するか楽しみだ。

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2020年11月12日 (木)

たてまえ

まだマスコミは、どの国がバイデン詣での一番乗りかということにうつつを抜かしている。
バカバカしい。
試しに日本が、いま忙しいもんでと、挨拶をあとまわしにしてみたらどうか。
日本からいつになっても挨拶がなければ、心配したバイデンさんのほうからなにか言ってくるに決まっている。
いや、彼にもメンツがあるから、言ってこないかもしれない。
しかしアメリカにとって、日本が中国と組んで、大東亜共栄圏結成なんてことになったら、もうメンツもへったくれもない。
いきなり日本に制裁をくらわすわけにもいかないから、え、日米同盟をどうする気だ、相思相愛のわたしたちの関係はウソだったのと泣きついてくるに決まっている、向こうから。

日本は、まあ、いつまでもお宅の核の傘ってわけにもいかないし、ステルスの開発もこちらだけでできますしと、のほほんと構えていればいいのだが、それじゃあバイデンさんが気のドクだ。
やっぱり、おもてむきは日本から先に挨拶ってことでいいんじゃないか。
国際関係ではたてまえを重視しなければいけない場合もある。

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2020年11月11日 (水)

札所

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今日はまた秩父まで行ってきた。
足の運動といいたいけど、たいして歩きもしないうちにへたれて、これじゃ運動にもなりゃしない。
わたしの足は順調に衰えているようだ。

秩父神社のわきにある蕎麦屋でメシを食うことにした。
この店はタイマイの甲羅なんかが飾ってある俗っぽい店なんだけど、料理は手がかかっていて、値段もそこそこ、なかなかすみに置けないと、以前来たとき高評価をつけた店である。

どうぞと座敷式の席に案内された。
あいよと、そこにあぐらをかこうとしたら、アイテッテ、足が曲がらない。
だいぶしばらく正座したことがないのて、筋肉が固まっちゃったらしい。
おかげで美味しい定食を、座禅苦行をしなから食べるはめになった。

帰宅してぐったり疲れて、いまひと眠りして起きたところ。
ヨガでも始めようかと、考えることは考えている(実行はしない)。

写真は市内にある13番札所・慈眼寺。
駅の目のまえだから、足の運動にはなりません。

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2020年11月10日 (火)

騒ぐな

アメリカの大統領が変わって、新しい大統領は、日本に対してキビシイとか、融和的じゃないとかいう声がかまびすしい。
日本をみくびっちゃ困る。
日本はアメリカに頼りっぱなしじゃない。
日本がなければアメリカだって困るのだ。
とくにアジア方面の戦略に関しては、EUなんかあてにならないし、日本ぐらい頼りになって信頼できる国はない。
バイデン詣で一番乗りをめざすどこかの国もあるけど、バイデンさんがまっ先に会談をしたいのは日本に決まっている。
そしてその席で、おとなりの国の大統領がこんなことをいってるんだけど、アンタはどう思うと相談する相手も日本しかいない。

つまらんことに一喜一憂するんじゃないぞ。

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2020年11月 9日 (月)

コジ・ファン・トゥッテ

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昨夜のBSプレミアムシアターは、オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」という作品。
もちろんぜんぜん観たことも聞いたこともない舞台だから、観るまえにいろいろ調べてみた。
タイトルの意味は、女がみんなすること、もしくは女の学校” というらしい。
することというのはなにをどうするのか、ひじょうに気になったけど、内容が不道徳というということで、ワーグナーなどもケシカランと非難したそうである。
ワーグナーといえば堅物のドイツ人というイメージだから、これではよけいに期待がふくらんでしまう。

同時に放映されたドキュメンタリーによると、2020年7月というから、ちょうどコロナのまっ最中に上演されたオペラで、主催者もこの時期に上演するべきかどうかと悩んだ舞台らしい。
しかし伝統あるザルツブルク音楽祭を、ウイルスごときで中断してなるものかと、最後は意地になったか、ヤケになったか。
でもテレビで観るぶんには伝染するおそれはないから、わたしはやっぱり得した気分だ。

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舞台は白を基調とした、病院のように清潔さを感じさせるもので、マスクをかけた看護婦さんも登場する。
そこまではいいんだけど、登場人物のふたりの女性(姉妹ということらしい)が、べたべたと抱き合って濃厚接触はするし、カーテンコールでは主役と指揮者も抱き合うし、オーケストラボックスの楽団員たちも、ソーシャルディスタンスを守っているとはとてもいえない。
これでは舞台終了後にまたパンデミックスが起きたのではないかと心配だ。
ええ、録画しただけで、まだ中身は早送りでしか観てません。

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2020年11月 8日 (日)

幕引き

NHKは注意してないと、ときどき意図的なことをするから油断できない。
録画しておいた「独裁者ヒトラー/演説の魔力」というドキュメンタリーを観たけど、これも現在のアメリカがナチス勃興時代のドイツに似ているというので、意図的に再放送したにちがいない。

どこが似てるのか。
あの大統領選挙の混乱ぶり。
自分のことしか考えず、このグローバル化の時代に、よその国の残忍な独裁者を称えたり、国民の目をそらすために他国にケンカをふっかける。
不景気に青息吐息の国民は、こいつならなにかやってくれるんじゃないかと、まったく根拠のない、漠然とした将来をあてにして彼を支持する。

このままいったらトランプさんは、ドイツの不景気に乗じて、まわり中にケンカをふっかけることでのし上がったヒトラーになるんじゃないかと、今日はそれについてブログに書くつもりでいたら、朝になってみるともう混乱は収まっていた。
トランプさんはまだ未練たらしくなんかいってるけど、もはや挽回の目はないだろう。

おかげでせっかくの下書きがボツだ。
まあ、いいか。
トランプさんばかりが役者じゃない。
日本人にとってはバイデンさんも、北朝鮮などに対して、どんな手を打つかという興味のつきない役者なのだ。

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2020年11月 7日 (土)

食費

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いったい自炊したほうが安いのか高いのか、自分の晩メシについて細かい部分まで分析してみた。

昨夜は野菜炒めライスを作ったんだけど、細かい部分というのは、たとえば材料がタマネギ1個がいくら、野菜のパックがいくら、細切れ肉がいくら、それにオリーブオイルと塩コショウ、ライスとインスタントの味噌汁、漬け物がたぶんこのくらいと細かいところまで計算して、夕飯の制作費はぜんぶで462円ということになった。
ずいぶん悲惨な食事じゃねえかという人がいるかもしれないけど、もともと食事にはあまり興味がないほうだし、マグロの刺身やウナギのかば焼きだって月に2、3回は食ってるのだ。
ひきこもりのじいさんにはこれでエネルギーの補給は十分。
このていどならコンビニの弁当とあまり変わらないので、今夜はひさしぶりにセブンイレブンのから揚げ弁当にした。
調理の手間ひまとコンビニまでの往復についやすエネルギーはそれほど変わらないだろう。

なんか無為に時間が過ぎていくような気がするけど、年金頼りのじいさんで有為に過ごしてる人っているのかしら。

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2020年11月 6日 (金)

似たもの同士

ネットニュースを読んでいたら、バイデンさんが、わたしと韓国人は似ているといったそうだ。
わたしもそんなことを思ったことがあるから、読んでみた。
ソースは韓国の中央日報で、どこが似ているかというと、家族や人間関係を大切にするところだそうだ。
なんだ、手前味噌じゃないか。
もしくはたんなるお世辞じゃないか。
わたしの考えとちがうね。
わたしの考えでは、韓国人は政治をめぐって国がまっ二つだ。
新しい大統領はそれまでの政策の逆を行こうとするから、国の進路が右に左に大きく蛇行する。
これからのアメリカはますます韓国に似てきますワ。
それでもアメリカは文明国だから、敗者が刑務所に入ったり、自殺に追い込まれることはないだろうけど。

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2020年11月 5日 (木)

大統領選挙

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アメリカの大統領選挙、どっちが勝っても日本にそれほど影響はないと思われるのに、ネットは騒々しい。
やれ、インチキがあった、ごまかしがあったと、見てきたわけでもない輩まで。
そういえばトランブさんが大統領になったときも、ロシアが手助けしたなんてうわさがあったな。
こんどはどっちだ。
ネットに政治的サイトは山ほどあるけど、こういうときにそのサイトがどっち寄りかってことがわかるもんだ。

トランプさんが落選したからって、アンタの株が上がるわけでもないし、かりに当選したってわたしが儲かるあてもない。
どっちでもいいやというのがわたしのスタンスだけど、地球温暖化の問題だけはトランプさんにまかせようって気にはなれんよ。

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2020年11月 4日 (水)

またサイクリング

また多摩湖に来てます。
これからトトロの森に向かうところ。
帰宅してからまたあらためて報告します。

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やっと狭山湖まで来ました。

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やっと帰宅しました。
最後の写真は、前方に見える森がトトロの森らしいけど、べつになんてことのないところだったねえ。
わたしは奥多摩、奥秩父のもっとすてきな森をたくさん知っているのだ。

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2020年11月 3日 (火)

お風呂

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風呂をわかす。
しょっちゅうシャワーを浴びるから、無理に風呂に入らなくてもいいんだけど、ここんところ風呂をわかさずにいられない。
なんでかというと、図書館から借りた本が3冊もあるから。
本が3冊あるとなんで風呂をわかすのか。
つまり、どっしりかまえて本を読めるのは、風呂につかっているときしかないんだよな。

パソコンのまえにいるときはなにかしらヤボ用がある。
録画しておいたテレビ番組も観なくちゃいかんし、その日の日記もつける、ブログのネタもひねくらなくちゃいけない、わかんないことや気になることが出たらネットで調べる、録画番組やYouTubeから収集した映像など、いろんなデータベースを作っているので、それも更新しなくちゃいけない、お絵描きアプリの勉強もする、中国からメールがくればその翻訳と、その返事も中国語に直さなくちゃいけない、あい間にメシをつくって食う、冷蔵庫が小さいのでひんぱんに買い出しにも行かなくちゃならん、寝るのもわたしぐらい好きな人間はいないから、睡眠時間も必要だ、ウンコもするし、顔も洗うし歯もみがく。

これではとても本を読む時間がない。
入浴はわたしにとって貴重な読書の時間なのだ。
風呂に入れば、ほかにやることはないから1時間半はねばる。
汗がじっとりにじんで、これではサウナに入っているようなものだ。
わたしの読書は健康にもいいにちがいない。

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2020年11月 2日 (月)

クララ・ペタッチ

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クララ・ぺタッチという女性を知っているだろうか。
おそらくいちばんよく知られている彼女の写真がこれだ。

彼女は第二次世界大戦のときの、イタリアの独裁者ムッソリーニの愛人だった人で、戦争の末期にムッソリーニとともに逮捕されて処刑され、ミラノの広場で逆さ吊りにされた。
残忍な写真だけど、このときムッソリーニも彼女もとっくに死んでいたから、死んだあとの肉体なんかどうでもいい主義のわたしには、まあ、それほど悲劇性は感じられない・・・・

どうして急に彼女のことが気になったのかわかんないけど、昨夜はペタッチさんについて、その死にぎわを考えてみた。
じつは彼女は、助かろうと思えば助かる可能性があったのだ。
彼女はムッソリーニの愛人だっただけで、政治に加担したわけではない一般人だったから、処刑されるいわれがなかった。
ムッソリーニ自身も、おれといっしょじゃ危険だ、おまえは実家に帰れといったらしいし、親戚たちもムッソリーニと別れてあとに残るよう勧めたらしい。

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しかし彼女はその言葉に従わなかった。
愛する人と最後まで行動をともにしますといって、言葉どおり最後までムッソリーニに従った。
ムッソリーニが処刑されることになったときも、彼を殺すならわたしもいっしょに殺せと・・・・このへんはわたしの想像だけど、多分そんな事情があったと思われる。

ムッソリーニという人は、現代のわたしからみると、そこまでモテるかと疑問を感じるところがあるけど、日本にだってぜんぜんモテるタイプではないのに、その御威光でもって信者の娘をはらませた尊師という人物もいた。
タデ食う虫も好き好きってこともあるし、いちどは国家権力をにぎった男でもある。
女性がそういう男を好きになるのは当然として、ペタッチさんが貞女の鑑であったことも間違いないようだ。

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ネット上には逆さ吊りにされるまえに、ミラノの広場に無造作に積まれたファシストたちの死体の写真もあり、彼女の死体のうえに、死をともにするほど愛したムッソリーニの死体が重なっている。
もはや痛みも苦しみもない世界で、彼女はうしろを振り返っただろうか。
彼らを吊るせと熱狂する群衆は、すこしまえにはムッソリーニとその政党を支持する人々でもあったのだ。

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2020年11月 1日 (日)

本3冊

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東久留米市の中央図書館が改装中で、だいぶ先まで営業休止だというから、わたしは東村山市の図書館に行くことにした。
東久留米の図書館で作った会員カードは東村山でも使えるのである。
わが家からは清瀬市の図書館も近い。
先日、清瀬市の探索に行ったさい、もしかするとと思って尋ねてみたら、同じカードが清瀬の図書館でも使えるという。
まだほかにも使える図書館があるかもしれないけど、わたしという人間はひとりしかいないので、これだけ使えれば十分。

いま図書館から借りた本が部屋に3冊ある。
清瀬市から借りてきたのが、マイヤ・プリセツカヤ(バレリーナ)の自伝「闘う白鳥」。
まだ最初の80ページを読み終えたていどだけど(全部で443ページある)、バレエのみならずソ連時代のロシアを描いた部分が、歴史好きにも興味のあるところだ。

東村山から借りてきたのが旅行作家ポール・セローの「中国鉄道大旅行」と、「大地中海旅行」という本。
「中国」のほうはほかに借りる人がいないのを幸い、延長延長で、もう1カ月ぐらいわたしの部屋にある。
「地中海」は「中国」があまりおもしろいので、同じ作家の紀行記をほかにもと、借りてきたもの。
今日借りてきたばりだから、まだ冒頭の
30ページぐらいだけど(小さい活字で708ページある)、こちらも期待にたがわずというところ。

おもしろい本を発見すると、秋の夜長も退屈しないばかりか、どれもぶ厚い本なので、生きているうちに読み切るだろうかと、そっちのほうが心配。
ま、感想はおいおいと。

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あとの画像は図書館の途中で見かけた民家だけど、うん、いい趣味してんねえ。

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