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2020年11月24日 (火)

もうすこし

夏目漱石の「三四郎」のなかに、三四郎が野々宮先生の家の留守番を頼まれ、その晩に近所の線路で投身自殺に出くわす場面がある。
この線路というのは、いまの総武線の大久保駅あたりということになっていて、若いころのわたしもそのへんに住んだことがある。
「三四郎」は明治時代の小説だから、当時はまだ大久保あたりというと、現在のわたしが住んでいるところみたいに、あちこちに畑や森が残っていただろう。
そう考えると、すこし楽しくもある。

ところでこの小説のなかで自殺したのは若い女で、最後の言葉は「ああ、もうすこしだ」というものだった。
なにがもう少しなのか、女に聞いてみなければわからないけど、おそらく、つらい人生ももうすぐ終わるということだったろう。
唐突にこんなことを書いたのは、最近のわたしの生き方をふりかえって、しみじみと思うところがあるからなのだ。

わたしはもう仕事は辞めたし、毎日本を読んだり音楽を聴いたり、あい間にはパソコンで文章を書いたり絵を描いたり、これ以上ないくらいお気楽な生活をしている。
若いころからこんな人生が理想だったけど、現実には生きるのに精一杯で、人生の大半を、自分の理想とは正反対の生き方ばかりせざるを得なかった。
それはもちろん自分がだらしない性格で、理想に近づくための努力をしなかったせいだから文句はいわないけど、こういう人間がいったいいつまで今のような理想の生活ができるのだろうか。

正直いって忸怩たる気持ちもある。
しかし、仕事を辞めるとき考えた。
残りの人生ぐらい理想的な生き方をしてみたい。
世間ではこれを怠け者の論理だ、人間として生きる以上、最後の最後まで汗水たらして働くべきだというかもしれない。
おまえはそもそも人間としての義務を果たしたといえるのか。
そんな人間が理想の生き方だなんて、おへそがお茶を沸かすわ。
なんといわれてもかまわない。
いまが人生のスタート地点なら大変だけど、もうゴールが見えている。
最近では時間の過ぎるのがえらく速いから、わたしが辛抱するのもああ、もうすこしだなのだ。

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