冬の夜に
マイヤ・プリセツカヤの本を読んで、読み終えるのにこんな手間のかかる本はないと書いたばかりだけど、ポール・セローの「大地中海旅行」もそれにまさるとも劣らない本だ。
紀行記を読む場合肝心なことは、いま旅人(本の執筆者)がいるのはどこなのかを、きちんと把握しておくことである。
これがパリやローマのような、よく知られた場所なら問題はないけど、地中海をぐるりというと、かなり範囲が広い。
しかもこの本は、へそまがり的にローカルな土地ばかりをめぐるので、エタン・ドゥ・ルカートとかヴローラというような町の名前を聞いても、それがどこにあるのかわからないと、ここにはこんな風変わりな文化があるなどといわれてもピンと来ない。
だからやっぱりタブレットは必需品だ。
わたしはつねにGoogleマップを開けるようにしておき、作家とともに地中海の沿岸を歩いているつもりで、自分のいる場所をきっちり把握しておくことにした。
地名だけじゃない。
この本にはプリセツカヤのロシアとは比較にならないくらい、さまざまな固有名詞が出てくる。
小説なら作家の想像だろうですませてもいいが、紀行記となるとそのほとんどがじっさいに存在する名前で、しかも紀行記の読者というやつはひじょうに好奇心が旺盛なのだ。
セローはしょっちゅう古今の書物を引用するし、またあちこちで現地の作家や芸術家と語り合ったりする。
そういう相手は、日本ではほとんど知られてない場合が多いから、わたしは使いっ走りの店員みたいに、そのたびにネットをかけずりまわって調べることになるのだ。
紀行記を読むにさいして、もうひとつ大切なことは、いったいいつの旅であるかということだ。
これを理解しておかないと、たとえばボスニアやアルバニアあたりを旅していても、ユーゴスラヴィア紛争のまえか、その最中か、あるいは紛争がとっくに終了した最近のことなのかで、旅の内容もまったく変わってくる。
これは本のあとがきにあるけど、セローのこの旅は、1993年の秋から1995年の春までのことだそうだ。
まだ旧ユーゴでは、第二次世界大戦以降で最悪といわれた殺し合いが続行中だったから、セローはまかりまちがえれば戦争にまきこまれていた可能性もある。
いったい旅をしたのはいつだったのか。
それをきちんと把握しておくことで、作家が見た世界の現実と、時間の流れが正確に理解できるわけだ。
いろいろゴタクをならべてきたけど、ほんとうに、こんなにじっくり読めて楽しい本もない。
他人の旅に便乗したわたしの横着な紀行記も、まだまだ、ゆるゆると参ろう。
退屈な冬の夜は始まったばかりだ。
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