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2020年12月

2020年12月31日 (木)

わかりません

ああ、年末だよ、大晦日ですよ。
今年はわたしにとって大きな節目の年だった。
仕事をリタイヤして、20年以上なれ親しんだアパートを後にし、現在の団地に引っ越したのが今年の4月だった。
貧乏暮らしは相変わらずだけど、現在は読みたい本を読み、聴きたい音楽を聴き、録画したおびただしいテレビ番組を観て、そのあい間にデジカメを持って散歩をするという、わたしにとって理想的といえる生活をしている。
そんなわたしにひきかえ、世間はコロナ一色で揺れた年だった。
みんなひとしく貧しくなる時代なのに、なぜわたしだけが理想的?
ああ、わからない。
まわりをみれば、孤独に苦しむ年寄りばかりじゃないか。
このおおいなる矛盾と不思議について、大晦日の晩にしみじみと考える。
しみじみと・・・・

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2020年12月30日 (水)

見出しの変更

ああ、また見出しが変わったよ。
じつは先日知り合いに会ったとき、どうもわたしのブログって人気がイマイチなんだよなとこぼしたら、そりゃ見出しのタイトルがわるいんだよって。
「駘駘蕩蕩舎」なんて、どう読むのかわかりゃしねえやとのこと。
そうかねえ、漢文みたいで知的じゃないかと抵抗してみたけど、やっぱりいまはパッと目に飛び込むようなモノじゃなくちゃだめさ、それじゃアクセスなんか増えやしねえぜだって。
アクセスはともかく、せっかく手間ヒマかけて作っているものに、ぜんぜん反応がないとつまらない。

そういう理由でまた見出しを変えました。
「酔いどれ李白」というのは、わたしがニフティサーブでワープロ通信なんてものをしているころから、もう30年以上使っている由緒あるハンドルネームです。
あ、「春風駘蕩」はシュンプウタイトウと読むんですよ、トホホ。

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地中海/シチリアC

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タオルミーナのつぎにセローがやってきたのは、知る人ぞ知るの古代都市シラクーザ(シラクサ)だった。
そんな街のことは知らないと、普通の人はいうかもしれないけど、この街を有名にしたのはギリシャの数学者アルキメデスだ。
アルキメデスって知ってる?
キリストよりもずっと古い人なんだけど。
こんなわかりきったことをいちいち書くのは、最近の若い人のなかには、わたしらの世代にとって信じられないくらい無知な輩がいるからなのだ。
アルキメデスのことはあとでまた書く。

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最初のストリートビューはシラクーザの駅から。
駅からセローは旧市街をめざす。
旧市街はオルティージャという小さな島にあり、そこまで遠いというけど、グーグル・マップによるとせいぜい1キロぐらいだ。

彼は飛び込みで旧市街にあるひとつ星のホテルに泊まることにする。
朝食がついて1泊23ドルだというから、ドル相場がいくらだったか知らないけど、高級なホテルじゃなさそう。
ホテルの経営者は詩人で哲学者のなんとかいう博士で、哲学者がホテルを経営してわるいってことはないけど、こういう人物はセローのかっこうの風刺ネタにされてしまう。
この風変わりな経営者についてもまたあとで書くことにして、さっそくストリートビューでシラクーザの旧市街地をのぞいてみよう。

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これはシラクーザの地図と、旧市街地に通じる橋のあたりだけど、出島のようにふたつの橋でつながったオルティージャという島がわかるだろう。
どこでもそうだけど、旅人にとっていちばんおもしろいのが古い街だから、セローも旧市街を見てまわる。

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たとえばここには有名な「アレトゥーザの泉」という名所がある。
川の神にレイプされそうになったニンフ(妊婦ではない)が、泉に姿を変えたという伝説にちなむものだそうで、すぐ上の写真でまん中の一段低くなった場所がそれだ。
『それは現代のシラクーザ市民が子供を連れて、アヒルにピザのかけらを投げてやる場所である』

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アヒルが棲みついているらしいけど、じっさいの泉のかたちはこんな感じ。
どうもセローにとってあまりおもしろそうではない。
こんな調子であんまり気乗りしない調子で書いてあるので、わたしも最初はぼんやり見過ごしていた。

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ところが衛星写真で旧市街を上空から俯瞰してみたら、建物や路地がもうでたらめに、ごちゃごちゃと入り乱れていることがわかった。
わたしはこれまで、地中海地方の旧市街地というのは、スペインのバルセロナのように、碁盤の目のように整然としたものが多いと考えていたから、これはモロッコやアルジェのように迷路のような街かもしれない。

ストリートビューで地上から街をながめてみると、そこにあったのはわたしがぜったいに見たいと思う景色だった。

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言葉で説明するより写真を見てもらったほうが早い。
縦長の写真を並べたのは、そのほうがスペースが節約できるからだ。
旅好きのわたしにとっては、1日中うろついていたいという気持ちにさせる街である。

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アヒルのいる泉以外にも旧市街にはいろいろ見ものがあるそうで、周囲の建物が古風なままの市役所まえ広場、ギリシャ時代のアテネ神殿の建築材料を横流しした、ゴシック建築の大寺院なんて頭がこんがらかりそうなものもあるし、火災で焼け残った風呂屋の壁みたいなのはアポロン神殿の跡だそうだ。

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ちょっと郊外に出ると、これはディオニュシオスの耳とよばれる石灰岩採掘場(わたしには月の女神アルテミスの女陰に見える)。
アテネ神殿やアポロ神殿、ディオニュシオスなどという名前を聞くと、この街が大むかしからシチリアという郷土色のつよいイタリアの地方都市ではなく、コスモポリタンな街だったと思えてしまう。
セローがわたし以上に偏屈ぶりを発揮して、こういうものにすなおに感動しないのは、彼は旅行作家なのでこんな景色は見飽きているということなのだろう。

この街は数学者アルキメデスの終焉の地である。
アルキメデスの異能は当時交戦中だったローマでも知られており、ローマ軍の司令官がかならず生きたまま捕えろと厳命していたにもかかわらず、彼はたまたま地面に書いた計算式を解いているとき、無知なローマ軍の兵士に殺されたのだ。
彼の理論や計算式を説明するほどわたしは頭がよくないけど、それ以外の分野でもアルキメデスは、常人ではおよびもつかないSF的発想をした人だった。
たとえば太陽の光を集めて敵の軍船を焼くなんてのは、スターウォーズの光線銃のはしりといえるし、てこや滑車を応用して力を増幅させ、軍船をひっくり返すなんて機動戦士ガンダムみたいなものを発案したこともある。
レオナルド・ダ・ヴィンチもそうだけど、どうもイタリアには、ときどきタイムマシンで未来人がやってくるようだ。

セローはこの街の歴史について、かなり辛口の批評をしながらホテルにもどる。
哲学者であるホテルの主人は迷惑な人だった。
彼は自分の著作物で、値段が13ドルもする本を買え、買えとうるさい。
シチリアまで来てヘボ哲学者の本を買わされる義理はないので、セローはやんわりと拒絶するけど、彼はもちろん読書好きである。
この旅をしているあいだにもやたらに本を読んでいる。
本というのはがさばるし、けっこう重量もかさむから、旅先まで持ち運ぶのは大変なはずで、どうしているのだろうと思っていたら、彼は行く先々の街で本を買い、読み終わったものは棄てるを繰り返していた。
うらやましい話だ。
これは英語圏の人間だからできることで、フランスやイタリアに日本語の本なんか売ってるわけがない。

週末になると大勢のシチリア人が街にくりだす。
セローはそれを見ながらシチリア人の特徴について考察する。
でも机のまえで旅をしているわたしには、シラクーザとシチリアはちょっと異質すぎるので、シラクーザの住人をもってシチリア人全体を考察できるのかなと思ってしまう。

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わたしはこのブログ記事を書くまえに、シチリアを舞台にした「シシリーの黒い霧」、「誘惑されて棄てられて」、「山猫」という3本の映画を観たことを書いた。
そのさいに、三つともぜんぜんタイプの異なる映画だから、共通点が発見できるかねえとも書いた。
でも映画を観た結果、シチリアというのは家族意識というか、身内意識というか、そういうものがひじょうに強い土地であるということがわかった。
こういう土地は、わたしみたいな身勝手でつきあいのわるい人間には住みにくいところである。
でもこの3本の映画はみんな、もう半世紀以上まえの映画なのだ。
いまでも犯罪者を村全体でかくまっているのだろうか、いまでもいちどっきりの過ちを犯した少女が懺悔のため教会に行ってるんだろうか、バート・ランカスターの家父長のもとで家族全員が食事のまえにお祈りをしてるんだろうか、いまでもそんな風習が残っているんだろうか。
現代はすべてを平らにならすグローバル化の時代なのだ。
いいことかどうかわからないけど、わたしみたいなひきこもりにも、シチリアは住みやすい社会になりつつあるんじゃないか。

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マルタ島行きのフェリーに乗り遅れたセローは、時間つぶしに、シラクーザから西に10キロほどはなれたベルヴェデールという村まで散歩に行く。
ここには古い城の廃墟があるらしいけど、そのくらい歩けるというわけで、彼は徒歩で行くことにした。
わたしももちろん歩くのは好きだから、(10年まえだったら)おつきあいをした。
いまじゃそんなに歩くのイヤだぞ。
でも、とちゅうで 『オレンジの実がなり、バルコニーから洗濯物がぶら下がり、ヒラウチワサボテンが群生し、家の庭には十字架にかけられた案山子があった』 という素朴な田舎を通ったという。
これでまたわたしの好奇心がむらむら。

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これがベルヴェデール近くの農道だ。
日本と変わらないじゃないかという人がいるかもしれないけど、わたしはこんな素朴な村をいちにち歩きまわってみたい。

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2020年12月28日 (月)

地中海/シチリアB

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超自然的?な町チェファルーからセローは、列車でメッシーナという街に向かう。
列車の中でセローは、ひとのいいイタリア人音楽家と話し込んだ。
この音楽家はセローがもの書きであることを知ると、ここは1年中いいところだと書いてくださいよと頼む。
はあはあとセローもあいづちを打つけど、どこか不真面目だ。
いいところでしょう、海はきれいだしと音楽家がいうと、そうですねと返事するものの、腹のなかではきたない海だと思う。
「大地中海旅行」はシニカルな調子でつらぬかれているけど、このシチリア編ははじめから終わりまで、それがかなりきつい。
2時間も列車にゆられているんだから、こういう相手でもいないと退屈だ。

メッシーナの街は海峡をはさんで、いちばんせまいところはイタリア本土と4〜5キロしかはなれていない。
5キロとしたって、新宿からせいぜい中野までくらいだ。
とっくに橋かトンネルが出来ているんじゃないかと思ったけど、いまだに列車は、かっての青函連絡船のように船で運んでいるというから、そういうものはないようだ。

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ちなみにこちら側からあちら側はどう見えるかというと、はい、ストリートビュー。

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つぎは鉄道とフェリーをむすぶ駅のあたり。

メッシーナでは1908年に大地震が発生し、その直後の大津波でこの街は壊滅した。
これより10年ちょっとまえの1896年には日本で明治三陸大津波が起きている。
このふたつの災害に地質学的な関連があったというわけじゃないけど、シチリアも日本と同じ地震大国である。
地震で一掃されてしまったおかげで、メッシーナには古い建物がないという。
でも百年以上まえでしょ。
それだけあったら日本ではかなり古い建物ってことになるけど、やはり石造りの街と木造建築では考え方が違うのかねえ。

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これはストリートビューで見つけた、津波の直撃を受けたと思われるあたりのビルだけど、けっこう年期を積んだ汚い建物じゃないの。
街路樹だって百年あったらこのくらいはのびるぞと、なにがなんでも古い建物を見つけようとする意地悪なわたし。

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衛星写真で駅のまわりをながめていたら、駅の東側に古い城跡のようなものを見つけた(黄色い丸で囲ったあたり)。

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これはナンダということで地上に降り立ってみたら(まるで天使だね)、どうやら破壊された建物跡らしかった。
ということは大震災の廃墟なのか。
いやいや、この街は第二次世界大戦で、連合軍の猛烈な空爆を受けたというから、そっちの跡かもしれない。
ところで東日本大震災の日本の廃墟はもうぜんぶ片付けられちゃったか。

メッシーナはマフィアの巣窟だそうだ。
だいたいヤクザってのは港湾都市から勢力を広げることが多いからね。
日本の山口組もスタートは神戸でしたもんねと、これはセローとわたしの架空対談。
おそろしいのはシチリアでは坊さんまでマフィアをやっていて、いや、マフィアが坊さんをしていたというべきかもしれないけど、自分たちが殺した相手の葬儀で『荘厳なミサをとりおこない、敬虔な口調で説教をたれていた』そうである。

そもそもマフィアはどうして生まれたのか。
知らない人にまたわたしの知識をひけらかしてしまう。
中国にもマフィアに似た紅幇、青幇などという組織があったけど、これはもとをたどれば、国家権力が搾取の道具と化した国で生まれた庶民の互助組織だった。
映画「シシリーの黒い霧」では、マフィアの原型のようなものが見られる。
ひとつの村全体がとなり組みたいな共同体で、官憲の手入れがあると、顔見知りをかくまったり逃がしたり、助け合いの精神を発揮するのである。
それがやがては米国にまで根を張る強大な犯罪組織に発展するのだ。
そんなマフィアに対するセローの考えは、ちょっと教条的なところ、つまり警察のマニュアルみたいなところがある。

セローの本で、メッシーナの港にはヨーヨーをしているような格好のマリア像があるという文章が気になった。
ヨーヨー?
見てみたいでしょ。
ストリートビューでようやく見つけたその像は、たしかにヨーヨーをしているようだった。

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わたしのブログは文章だけで説明されている文物を、想像力欠如の人たちのために、いちいち画像で見せてくれるじつに親切なブログなのだ。
それなのになんでアクセスが伸びないのかしら・・・・ 

ヨーヨーの女神以外に見るべきものはないと、つぎにセローはタオルミーナへ向かう。
衛星写真でま上から見たのではわからないけど、ストリートビューで見ると、この町は海岸ぎりぎりまで山がせまった日本の熱海みたいなところだった。

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だいたいタオルミーナ駅そのものが、道路をはさんでもう目のまえが急な斜面なのだ。
セローはホテルを見つけるために町の中心へ向かうけど、これもとんだ急坂で、文字どおり足もとを見てついてきたタクシーを利用するはめになる。
庭がきれいでしょうと運転手はいう。
たしかに足さえ丈夫なら、ランタナ、ブーゲンビリア、マリーゴールドなどの花が咲き乱れ、頭上にはまぶしい陽光がふりそそぐ、とてもすてきな町だった。

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セローが泊まったホテルはわからないけど、この町のホテルはおおむねこんな感じである。

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そんな急斜面の町のまん中に、ギリシャ時代の半円形劇場があるのが不思議。
この劇場はゲーテも美しさをほめているのに、第二次世界大戦のとき爆撃をくらったそうで、いまでも舞台の背後にその痕跡が残っている。
爆弾のムダ遣いじゃないか、連合軍もアホなことをして。

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セローがホテルでメモをとっているあいだに、わたしは海辺にある観光名所のベッラ島へ行ってみた。
ここはどこかで見たような干潮に陸続きになる島で、休憩所があって磯遊びができるくらいだから、日本なら千葉鴨川の仁右衛門島みたいな感じ。
冬に行ってもつまらないところである。

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タオルミーナ最大の見ものはエトナ火山だそうで、これはベッラ島の近くにある岬の突端から見たエトナ火山の遠景。
タオルミーナの町のどこからでも見えそうだけど、あいにく山の斜面に密集した町だから、どうしてもストリートビューでは遠景が見にくい。
それでまたセローの旅からはみだして、エトナ山トレッキングといこう。

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エトナ山の名前は知っていたけど、ブログに書くためにウィキペディアを調べてみた。
標高は3,326メートルというから富士山よりはいくらか低いけど、ヨーロッパ最大の活火山だそうだ。
ギリシャの哲学者エンペデクレスという人が、自分が神であることを証明しようとして、噴火口から飛び込んだことがあるらしい。
これもカルトのご本尊さまとたいして変わらないアホだな。
桜島みたいにしょっちゅう噴火してるから、いちばん最近のといわれると決めにくいけど、2017年の噴火ではBBCの記者が噴石に当たってケガをしたとか。

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それでもあまり危険な山とは思われておらず、富士山のように、あるていどのところまでは車で行ける。
さらに接近しようと思ったら四輪駆動車が必要だ。
そして火口までは、歩け、歩け。
噴火してなければ登山者はけっこう多いようで、ストリートビューにも登山者が写りこむことがある。

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エトナ山からもどってきて、ふたたびセローのおつきあいだけど、タオルミーナから移動するにあたって、ここには卑猥なみやげものがあるというので、手を尽くして探してみたけど見つけることはできなかった。
観光客が世界中にあふれるようになると、国民性を疑われるということで、セローの旅のあとで販売が禁止になったのかもしれない。
“卑猥”といわれると、きっと関心を持つ人がいると思うけど、わたしもそんな趣味があると思われたくないから、ないものはそれ以上追求しない。
あ、ここに載せた写真はそのみやげとは関係ありません。

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2020年12月27日 (日)

落ち目

わっ、出てくるわ、出てくるわ。
おとなりの韓国のこと。
レームダックに陥った文在寅サンを、けなす意見が韓国のマスコミから。
そんなにけなすなら最初からこの1/10でもけなせばいいのにと思うけど、こうなったらよっぽどのサプライズでもないかぎり、大統領の挽回の目はないな。
彼の場合、やったことは日本を怒らせて、二度と韓国の面倒はみないと決断させたことだし、そうなると彼がけなした前大統領のクネちゃんよりひどいから、弾劾されたら刑務所どころの騒ぎじゃないだろう。

それにしてもまたかという感じ。
落ち目になった者へ容赦のない攻撃ぶり。
それもこれも国内に右派、左派が拮抗しているせいだ。
だれが大統領になっても、いつひっくり返されるかわからないから、政治よりも自らの立場を守ることに汲々とせざるを得ない。
いっそのこと国をふたつに分けて、右派韓国と左派韓国に分裂してしまったらどうだろう。
これなら大統領の地位は安定して、まじめに政治に専念できるのではないか。
国が小さくなるのはイヤだというなら、左派韓国は北朝鮮と統一すればよい。
すばらしいアイディアだと思うけど、絶対反対というのはその左派韓国の住人だろうねえ。
そんならはじめから日本やアメリカにごたごたいわなければいいのに。

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2020年12月26日 (土)

地中海/シチリアA

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シチリアといったら何を思い浮かべる?
わたしならマフィアだね。
地中海の沿岸をめぐるポール・セローの旅は、サルディーニャからシチリアにたどり着いた。
わたしの知識というのは映画によるところが大きいんだけど、シチリアを舞台にした映画は、すぐにいくつか思い当たる。
わたしの大嫌いな「ゴッドファーザー」も、ドン・コルレオーネの出身地はシチリアだった。
ああいう人心をまどわす映画よりも、たとえば「シシリーの黒い霧」、「誘惑されて棄てられて」、ヴィスコンティの「山猫」などという映画のほうが、シチリアを知るためにはいいんじゃないか。
シシリーというのはシチリアの英語名で、この3本の映画はすべてシチリアが舞台になっており、さいわいなことに3本ともわたしの部屋の映画コレクションにある。
ただし、ひとつはシリアスな社会派映画、もう1本はペーソスを秘めた喜劇、もう1本は歴史大作という、タイプがまったく異なる映画だから、共通するものを発見するのはむずかしいかもしれない。
いずれにしても3本も映画を観るのは時間がかかるので、結論はあとにして、シチリアの旅を続けることにしよう。

シチリアは長靴のかたちをしたイタリア半島のつまさきにある三角形の島で、大きさは日本の四国より大きく、九州より小さい。
シチリア最大の都市が、セローが上陸したパレルモだ。
さっそくストリートビューで、どんな街なのか確認してみた。

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最初はフェリーが入港するときのパレルモ港だ。
海からながめると、パレルモはこんなふうに見える。

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高いビルがあるのは港の周辺だけで、すこしはなれると赤い瓦屋根の民家と、樹木の緑が豊富な美しい住宅地もあり、海辺の田園調布みたいである。

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目立つのは海のほうからフェリーで市街に近づいたとき、港の右のほうに見える岩山だ。
ここにならべたのは、古い絵ハガキの写真と最近の写真だけど、岩山のかたちはまったく変わっていない。
わたしは中国の西安で初めて見た始皇帝の陵を思い出した。
始皇帝の陵から南のほうに驪山(リザン)という山がそびえているんだけど、この山のかたちも2千年以上まえからほとんど変わってないから、わたしたちは始皇帝がながめた山をいまでもながめられるわけだ。
人間の営みなんてまことにはかない。

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ほかにストリートビューで適当に市内をのぞいてみた。
おもしろいのは旧市街地で、ランダムに適当な場所をつまみ食いしてみると、これまで見てきコルシカやサルディーニャのように、せまくてゴミゴミしたところが多い。
ピエトロ・ジェルミ監督の映画「誘惑されて棄てられて」は、パレルモから70キロほど南へ行った海辺の町シャッカで撮影されている。
1963年の映画だから、パレルモの旧市街地のようすは、こことそれほど変わっているわけではないだろう。
こういう映画をあわせて観ることで、どんな街なのかということを、わたしは横軸だけではなく縦軸からも理解することができるわけだ。

ところでこの映画では罪を犯した美少女であるステファニア・サンドレッリは、教会で懺悔をする。
シチリア人の信心深さを物語るようなエピソードだけど、現代なら男とたったいちどの過ちで懺悔する娘はいないだろうし、いたとしたら教会がパンデミックスだ。
そういうことはともかくとして、シチリア人はむかしから信心深いのかというと、セローの本によると、彼らは全員が無神論者、もしくはバチ当たりみたいである。
聖職者(坊さん)に会ったら縁起がワルイということで、自分のキンタマをにぎり、その指を知らんうちに相手におしつけて厄落としをするのだそうだ。
ケシカラン話だけど、彼らが疫病神扱いしているのは坊さんだけで、名所旧跡のほとんどが宗教に関連しているから、無神論者と決めつけるのは気のドクかも。
あ、女性はそんなはしたないことしないそうですよ。

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パレルモの観光ポイントというと、日本人には魅力的な石造りの寺院や王宮ばかりで、メンドくさいから、えいっとまとめて見せてしまう。
どれがなんという建物なのか、もうわからない。
興味のある人はグーグルやウィキペディアがアリマス。

観光ポイントのひとつに、美少女のミイラが安置してある「カプチン派のカタコンベ」というお墓があるそうで、そのミイラというのが、なんと生きているときのままの姿なんだそうだ。
ホントかよ!
中国の新疆ウイグル自治区で、わたしは有名な楼蘭の美女も見たことがあるけど、あちらの美女は自然の摂理のまま、虫に食われたゾンビみたいだったぞ。

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このお墓はモスクワのノボデヴィチ墓地のように、まわりを塀にかこまれている。
ただし観光名所にしては、手入れがされてなくてお粗末な土塀だ。
観光客のお布施はなにに使われているのだろう。
肝心のミイラまでストリートビューでは見ることができないから、やむを得ず観光客が撮影した写真を見せる。
ほれ。

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本物ならホラーだな。

パレルモは紀元前からある古い街で、こういう歴史のある街は、街のトップがギリシャ人だったり、ローマ人だったり、キリスト教徒やイスラム教徒であったこともあるから、そのたびに建物の様式がちがって、特色をひとことでいいあらわすのがむずかしい。
そのためかどうか、セローはこの街にあっさりとしか触れず、近くにあるペッレグリーノ山に登ったことを書いている。
ペッレグリーノ山というのが、港のすぐわきにそびえていた岩山だ。
バスで行くためには、タバコやポルノ雑誌を売っている売店で切符を買わなければイケナイとある。
ちょっとまえの日本のコンビニみたいなところでしか切符は買えないらしいから、これから行く予定の人は要注意だ。

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この山はハイキングコースになっていて、『パレルモの街と湾の眺めはすばらしく、2時間かけて歩いたかいがあった』そうである。
どんな眺めなのか、もちろんストリートビューの出番だ。

パレルモのあと、セローはチェファルーという町に行く。

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ここはアライスター・クローリーという人物が暮らしたところだという。
なにをした人なのかというと、麻原彰晃やチャールズ・マンソンと同じ種類の、つまりカルト宗教の教祖サマだった人である。
この教祖サマは、娘を病死させ、奥さんとは離婚し、本人も破産したり、薬物中毒になったりとトラブル続きだったそうだから、あまり御利益のある神様じゃなかったようだ。

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無神論者のわたしなら絶対に見学コースからはずしていたのに、わざわざその住居跡を見にいこうというセローの気持ちがわからない。
連中はつねに世界中のあらゆる文献から、自分たちの広報に利用できるものはないかと目を光らせているのだから、ヘタすればこの本のこの部分が、カルト宗教に利用されないともかぎらない。
『世界的作家のポール・セローは、教義をきわめるために尊師サマの家を訪れた』なんて。
わたしみたいな影響力のないモノ書きは、関係ないというかなんというか。

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チェファルーにはやはり大きな寺院があって、その正面に彫られたライオン像が、カルトにふさわしく超自然的だとセローはいう。
超自然的ってどんなものかと、ストリートビューの画像を拡大して探してみたけど、見つからなかった。

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2020年12月25日 (金)

探査機のおどろき

昨夜はまた小惑星探査機はやぶさの番組を観ていた。
計画の困難さはわたしの想像をこえていた。
小惑星リュウグウまで距離が何億キロあったとしても、それ自体ではおどろかない。
あらかじめセットしてあったプログラムが、しゅくしゅくと計画を遂行するのだろうぐらいに思っていた。
ところが番組を観ていたら、それだけじゃない。
あらかじめ予定してなかった問題がつぎつぎとあらわれる。

近くで観測してみたらどうも凸凹すぎるなというわけで、着陸地点が二転三転する。
着陸地点を詳しく調べるための、小型着陸機マスコットを発射してみろと、そんなものをあとから宅配で送るわけにはいくまいから、あらかじめ用意してあったらしい。
1億キロの空間を超えて、新しい指令が飛ぶ。
マスコットが撮影した地表の写真を分析して、新しい着陸地点を決める。
新しい着陸地点にターゲットマーカーを投下する。
マーカーがはずんで目標地点をはずれてしまう。
あらあというところだけど、仕方がないから、マーカーを基準にして着陸コースを微妙に変更する。
これも1億キロの空間を超える新しい指令である。

ここから先はあらかじめセットしてあったプログラム通りで、探査機のコンピューターにおまかせってことになるけど、地表の爆破、資料の採取を第三者の目線で撮影するため、本体から切り離される小型カメラまで搭載してあったことにおどろいた。
しかしいちばんおどろいたのは、これらがすべて順調に機能したこと。
アメリカの巡行ミサイル、トマホークの誘導システムに感心したこともあったけど、もうそんなもの目じゃないね。

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2020年12月24日 (木)

体験できない時代

BSの「コズミック」というシリーズが好きでよく観ているけど、昨夜録画がした「国際宇宙ステーション20年」には感心した。
初期のころの宇宙ステーションでは、船内はわたしの部屋のパソコンの背後みたいにコードが入り乱れ、宇宙服にしてもドテラをひっかぶった関取みたいな不格好なものだった。
昨夜の番組では、CGの場面を除外しても、いよいよ「2001年宇宙の旅」に近づいたなという感じ。
番組のほうでも意識してこの映画に似せたような気がするけど、けっしてわるいことではない。
こういう進化を積み上げることが、若い人たちに宇宙旅行がま近にせまっていることを知らしめてくれるだろう。
残念ながら、わたしのけっして体験することのできない新時代がまたひとつ。

となりの韓国では駐韓米大使までかつぎだして、キムチの元祖は韓国だって。
いいの? そんなことしていて。
ほんと心配してるんだけどねえ。

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2020年12月23日 (水)

二木紘三のうた物語の2

最近ぜんぜんコメントがつかないので気がつかなかったけど、今年の7月に、ずうっとまえに書いた「二木紘三のうた物語」というブログ記事に、なんと「うた物語」運営者の二木紘三さんからコメントがついていた。
二木さんのブログでは歌謡曲からフォーク、映画音楽に至るまで、たくさんの音楽が無償で聴けるので、いったい著作権はどうなっているのかという素朴な疑問が記事の内容だったけど、それに対する懇切丁寧な説明である。
ほかにも疑問を感じている人がいるかもしれないから、そのページにリンクを張っておく。
どうもありがとうこざいましたと、アンタもお礼をいわんかい!

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2020年12月22日 (火)

地中海/サルデーニャ

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セローは大金を持って旅行をしているわけではない。
コルシカからサルディーニャ島にやってきた彼が、最初に上陸したサンタ・テレサでは、ここはもうイタリアだから、フランしか持ってなかったセローはバスにも乗れなかった。
米国人だから1993年ごろでもカードを持っていたはずだけど、どうもコルシカやサルディーニャの田舎では、それが使えたという確証がない。
しかし彼は世界的な作家で、その本は多くの国で翻訳され、出版されている。
だからお金に困ったら、ちょいとその国の出版社や銀行に顔を出して、オレの印税を5万円ばかりおろしてくれる?という手があるわけだ。
じっさいに彼は「大地中海旅行」よりもまえに出版された「中国鉄道大旅行」で、ワルシャワに寄ったとき、冷戦のあおりで引き出せないでいた印税を引き出していた。
こうなると世界中の銀行に預金があるみたいなものだから、どこに行っても困らない。
もっとも東欧の国々では、現金の国外持ち出しが禁止されていたから、その国にいるあいだに使い切ってしまわなければならず、だいぶムチャな大判ぶるまいをしたようだ。

現金を持ち歩かないのは、地中海地方の田舎では、まだ山賊などに出くわさないともかぎらないからである。
この本のなかにも書いてあるけど、サルディーニャにはすこしまえまで、金を持った外国人が誘拐されて身代金を要求される、誘拐ビジネスというものが流行っていたそうだ。
その後イラクやソマリアでもお馴染みになったビジネスで、日本も大枚を払って人質を取り返したのではないかと噂された事件があった。
セローの旅が沿岸部にかぎられるというのも、どちらかといえば山奥よりも海岸地方のほうが治安はいいものだから、安全を優先させたのかもしれない。
コワイ国だねえ、ここはとセローがいうと、バスの運転手は、アメリカのほうがよっぽどコワイよと返事する。
作家はぐうの音も出ない。

地図を見れはわかるように、サルディーニャはコルシカの3倍くらいある島である。
このふたつの島は10キロちょいしか離れていない。
これは東京湾アクアラインとそれほど変わらない距離だけど、それでもコルシカはフランス領、サルディーニャはイタリア領である。

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これがフェリーの到着するサンタ・テレサの港だ。
細長い入り江の奥にあって、まわりの景色はおだやかで、冬でも天気が良ければ釣りぐらいには好適な場所だ。
桟橋から町の中心までかなりの距離を歩いたというけど、ストリートビューで見るかぎりせいぜい6、700メートルくらいしかなかった。

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町の中心部は西部劇のセットみたいで、あっさりしているけど空が広くて気持ちがよい。
セローは到着してそのままバスでべつの町に移動をするつもりだったのに、前記したようにフランしか持ってなかったので、やむを得ずこの町に一泊することにする。
夕食をとろうとしたら、ここはイノシシ肉が名物だと教えてくれる人がいた。
彼は肉はむやみに食べないが、魚は食べるという嫌肉主義者で、そういう点はわたしに似ている。
この町はベジタリアンにはいい町だそうだ。
日本のように農業まで先進国化されると、野菜はたいていまずくなるから、このへんはまだ素朴な有機農業が行われているのだろう。

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セローがメシを食ってるあいだ、わたしはほかに行くところもないからビーチに行ってみた。
冬なので浜辺に水着なんかいるわけがなかったけど、ストリートビューは夏に撮影したものだった。

翌日、セローはサンタ・テレサから、島の東部にある港街オルビアへ移動する。
オルビアには立派なフェリー埠頭があるのに、イタリヤ行きのフェリーが出るのは15キロほど離れたアランチという町だそうだ。
彼は列車でその町へ行くけど、そこからフェリーに乗るつもりはなかった。
わたしにも経験があるけど、こんなふうに旅人が、行かなくてもいいところに行くとき、見なくてもいい景色を見るとき、ネタにならないことを書くときは、たいていどうしょうもなくヒマなときなのだ。

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ふたたびオルビアにもどり、街をぶらぶらする。
やみくもに歩いてもつまらないので、わたしは衛星写真で上空から街をながめてみた。
すると街が東西ではっきりわかるくらい、白と褐色に色分けされているではないか。
褐色は古くからある市街地だろうけど、白はいったいなんなのか。
ストリートビューで確認してみたら、白い部分はまだ造成中の工場地帯のようで、散策しようって気にもなれないところだった。

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褐色の旧市街地におもしろそうなものはないかとうろうろしてみたら、古い(かもしれない)寺院が見つかった。
聖シンプリチョ教会といって、見た目は地味で貧乏ったらしい寺院だけど、わたしはけばけばしいものよりこういうのが好きだねえ。

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ほかに金物店や人材センター、携帯電話ショップまじって、駅の近くに「KyooSushi」と「Yume」という、ふたつの寿司レストランがあるのを見つけた。
日本レストランがどこにでもあるのは昨今の和食ブームのせいで、セローが旅をしたころはなかっただろう。
「Yume」はテイクアウトもできるらしいけど、これはコロナのせいかしら。

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オルビアから列車でキリヴァニへ(ストリートビューには車での写真しかなかった)。
まじめに観光をしようという人には、ここがサルディーニャ島でいちばん興味のあるところかもしれない。
ここには「ヌラーゲ」という、クラゲなすただよえる(ような)名前の遺跡がある。
遺跡の住人は、かってローマ人からバーバリアン(野蛮人)と呼ばれて、その不屈の反抗精神から、あるていどの畏敬を勝ち得た民族だという。
これもまたコルシカの遺跡のように、ギリシャ神話以前からあったもので、これを見のがしたらサルディーニャに書くものはなにもないから、セローはもちろん見学に行く。
わたしも写真をぞろぞろ並べる。

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おおむかしの村落対抗ていどの争いの時代には、なかなか有効な城塞だったようである。
岩の遺跡に興味のないわたしだけど、ストリートビューが岩室のなかまで案内してくれるのに感心した。

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つぎに移動したオリスターノの町は、駅の東側の郊外に出ると、夏の北海道を思わせる広大な農地がひろがっていた。
セローはこのあたりは農業に適さない土地だと書いているけど、ストリートビューで見るだけでも、耕作地や牧草地、果樹園のわきにキョウチクトウやサボテンが植えられていて、けっして貧しい土地には見えない。
刈り入れのすんだ麦畑の向こうに高速道路が走っていた。

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この街の観光ポイントは「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂」だ。
でっかい塔が建っている割には外観は地味だから、サルディーニャにはサンクトペテルブルクやイスタンブールや、日本の善光寺とは異なる建築ポリシーがあるのかもしれない。
ほかにはとくに観光の目玉もないようである。
わたしはセローをおいて海岸に行ってみたけど、このあたりはヨシの茂る干拓地のような景色が多かった。

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もうヤケになって衛星写真をにらんだら、駅の近くに自動車学校、エステテックサロン、健康食品専門店やペット用品店にまじって「SUSHI MISS」という寿司屋があった。
経営しているのは中国人か韓国人かもしれないし、ストリートビューで発見したものだから、ヌラーゲとちがっていつまであるかわからない。

サルデーニァはそれなり大きな島だから、ほかに探せばこのページのトップにかかげたような景勝地があるかもしれない。
しかし、わたしの旅はセローの旅から大きくはみだすわけにいかないのだ。
あまりネタのない島なので、困惑した作家は移民に出会ったことなどを書いているけど、けっして今日の肥大化した移民問題を掘り下げようってことでもないようだし、けっきょく彼を途方にくれさせるしかない島だった。
このあとセローはカリアリという街から、フェリーに乗ってシチリアへ移動する。
そっちのほうがおもしろそうである。
少なくても映画の舞台としては、サルディーニャよりシチリアのほうがひんぱんに出てくるのだ。

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2020年12月21日 (月)

ジェニーの肖像

ディジー・ガレスピーという人がいた。
あ、知ってる、知ってるという人がいたら、その人もわたしといっしょで、棺桶に片足つっこんだ人だ、気のドクな。
パーカー、ミンガス、モンク、ブレイキー、マイルスなどと同様、バップと呼ばれた英雄たちの時代をしょって立っていた伝説的なジャズメンのひとりなのだ。
木の実をいっぱいにほおばったリスみたいに、ほっぺをまん丸くふくらませで、あさっての方向を向いたトランペットを、豪快に吹き鳴らす彼のことを覚えている人も、ん、もうだいぶあの世行きになっただろうな。

ただ、どっちかというと陽気でネアカなタイプ。
深刻な顔をしたジャズメンが好きな日本では、マイルスやモンクのうしろに隠れがち。
わたしもそうで、ウツの状態のときには聴く気がしなかったって人だ。

2、3日まえにYouTubeを聴いていたら、なんの因果か、たぶんほかの関連項目からたどって来たんだろうけど、「ジェニーの肖像」という彼のアルバムが引っかかった。
その冒頭の演奏が、彼にしてはえらいスローテンポで、叙情的な曲で、目のまえのウロコが落ちたよう。
ああ、またひとつ、生きているあいだに聴けてよかったという曲を発見。
今夜もこれから朝までパソコン三昧だから、またそういう曲を知ることになるかも。
しみじみと、生きていてよかった。

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2020年12月20日 (日)

柚子と湯豆腐

ユズ(柚子)の季節になった。
冬になると湯豆腐は毎晩のように食べているけど、この季節にはポン酢にユズを加えるとおいしい。
スーパーに行ったらチューブ入りのユズというものを売っていた。
味は本物に比べるとイマイチ。

わが家の近所には、農家が自分の家のまえに出している野菜の無人販売所がやたらに多いのだ。
そこでユズも売っているのを、先日なにかの用事のさいに通りかかって確認してあった。
そこで自転車でひとっ走り。
2、3分で販売所に着いたら、ちょうど農家のおばさんが品物をならべているところだった。
ちゃんとお金を払いますからねと、おばさんに百円玉1個を渡す。
黄色いユズが5個入ってワンコインだ。
近くのスーパーでは3個で115円だった(消費税がつくからもうちょい高い)。

今夜はいまから湯豆腐でイッパイやるところ。

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地中海/コルシカ島B

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自転車で思い切りコルシカの自然を満喫したセローは、ふたたび列車で、島の西海岸にある都市アジャクシオにやってきた。
ここはコルシカ最大の都市だというけど、駅のまわりは殺風景で、ストリートビューで見てもどれが駅舎かわからない。
コルシカ当局はもっと列車を利用してほしいのに、ここでは鉄道はあまり人気がないようで、のんびりもの想いに耽りながらの旅を愛するわたしはもったいないと思う。

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アジャクシオでセローは「ナポレオン」というホテルに泊まった。
彼の泊まったホテルがいまでもあるかどうか不安だったけど、ストリートビューで探してみたら、わたしがトルコのイスタンブールで泊まった「イギタルプ」と同じような感じのホテルだった。
世界的な作家にしてはしょぼいホテルだけど、彼のこの旅は贅沢をするものてはないし、彼自身が “豪華なホテルではないが、まあ上等なほうだった” と書いているから、間違いないだろう。
部屋の明かりが消えてしまったので、セローが懐中電灯を持ち出して支配人に苦情をいいにいくと、彼は作家のセローさんですよねと話しかけ、土地のことを説明するのにギリシャ神話を持ち出すという、なかなか気の利いた応対をした。

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しかしまあ、つまらない街だった。
港には大きなフェリーが停まっているし、艇泊中のヨットをみれば夏はいちおうリゾートの役割を果たしているようだけど、セローが行ったのは冬だったから、目の保養になる水着美人が歩いているわけでもなかった。
わたしのほうはストリートビューで港をうろうろしているうちに、どこかのレストランに引っ張り込まれてしまった。

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そこまでやるかとグーグルに悪態をつきながら、街の郊外まで足をのばしてみると、岬の先端のほうに古い城壁のようなものがあり、湾の反対側には打ち捨てられた難破船があって、これは東北大震災のとき石巻で見た景色に似ていた。

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アジャクシオでセローは、“コルシカについて英語で書かれた最高の本である『花崗岩の島』”の著者ドロシー・キャリントンにインタビューを申し込む。
この写真が彼女だけど、きれいな人だ。
といって、みだらなことを想像してはいけない。
セローと会ったとき彼女は、椎間板をわずらったことのある80代のおばあさんだった。
彼らはアジャクシオの南にある5つ星ホテルのレストランで食事をする。
なんというホテルだろうと、また余計なことを調べてみたけど、4つ星ホテルはあったけど、星の数が該当するホテルは見つからなかった。

彼女はなんの因果でか、コルシカにいすわった英国貴族の末裔で、セローに会うなり、最初になにを聞きたいのという。
こういう相手だとインタビューするほうも楽だ。
セローは彼女の生い立ちや、たどってきた人生について聞く。
もの書き同士の会話だから、さぞかし含蓄に富んだ、内容の濃いものかと期待すると、ちょっと肩すかし。
権威というもののきらいなセローにとって、貴族上がりというのはそれだけで、すなおな賛辞には値しないものかもしれない。
彼女へのインタビューは、親に反発して結婚し、南アフリカに渡り、離婚して英国にもどり、ホモの芸術家と再婚し、ピカソや多くの芸術家と交わり、共産主義者になり、それと決別してコルシカにいすわるという、波乱の人生をおくった知性が、かならずしも深遠な思想を生み出すわけではないということの証明だったようだ。

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キャリントンさんの2番目の旦那で、ホモだったフランシス・ローズ卿の絵を載せておく。
ピカソやクレーを思わせる前衛的な絵だけど、セローは彼の絵について、好きになれないとにべもない。

研究のためにいちおう彼女の本も読んでみようと、図書館に当たってみたものの、東村山の図書館には置いてなく、清瀬にもなく、ヤケになって古巣の武蔵野市にも当たってみたけど、ない。
そんならヤフーのオークションに出品されてないかと思ったら、そこにもなかった。
こうなると彼女の本は日本では翻訳されてないのかもしれない。

ここで僭越ながら、作家になりたい人に必要な能力をあげておこう。
それは記憶力である。
旅先で出会った他人との会話をそっくり記述するだけで、おもしろいドキュメントになる場合もあるのだ。
ポール・セローという人は記憶力が抜群らしい。
キャリントンさんとの会話はコルシカのハイライトといっていいくらい分量が多い。
それはいいけど、わたしならとても内容を全部は覚えていられない。
どうもわたしは特別に記憶力がよわいみたいで、中国旅行に何度も行っていたころ、他人との会話などを記録するのに苦労した。
乱筆のせいで文字を書くのはキライだから、メモをとるのはめんどくさい。
そのためにわざわざIC録音機や、ミニノート・パソコンなどを用意したものの、肝心なのはさりげない会話だから、そんなものを持ち出すのも気がひける。
つくづくニワトリなみの記憶力を残念に思ったものだ。

もしもあなたがマージャンをする人なら、座卓をかこむ連中の雑談をそっくり録音しておきなさい。
ああいう連中の話ぐらいおもしろくて、人生訓に富んだものはないのだから、それを文章に起こすだけで、あなたも芥川賞がもらえること確実だ。

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セローはキャリントンさんと別れたあと、古代の遺跡のあるフィリトーサへ行くことにする。
ここはギリシャ時代よりもさらにまえの文明の痕跡が残っていて、学問的に貴重なところらしいけど、あいにくわたしはマルタ島に行ったときも、遺跡より市場を見物するほうを優先させた男である。
しぶしぶセローにつきあってこの石の村まで出かけてみた、もちろんストリートビューで。
散策するだけなら気持ちのよい草原だったけど、すでに風化した、日本の苔むした石垣や、道祖神みたいな大岩がごろごろしているだけだった。
考古学に無関心なわたしは、セローの文章のなかに出てきたアスフォルデという草原の花のほうが気になった。
どんな花だっけ?
さっそくググッてみた。
ツルボランという別名があるらしいから、ああ、これかとすぐ思い出したのは、以前にわが家の近所でも見かけて、さっそくググッてみて、ルツボという花だってよと知り合いに教えてやったら、ルツボじゃなくてツルボでしょと訂正された花だったからだ。

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ということで、ツルボの写真だけは、以前の住まいの近所でわたしが撮ったもの。
わが家の近くに咲いていたのはピンクだったけど、セローが見たものは白だったという。

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草原の遺跡のあとは奇勝で知られたコルシカ島南端のボニファシオに行くけど、このころにはセローもくたびれちゃったのか、いささか投げやり。
ボニファシオは、ギリシャ神話の「オデッセウス」の物語で、巨人が大岩を投げつけたところだそうだ。
ホントかよというのはわたしのわるいクセである。
これが事実なら、オデッセウスはトルコにあるトロイの戦場から、自分の故国のイタケーへもどるとちゅう、ギリシャを飛び越え、イタリアを飛び越え、コルシカの南岸まで流れ着いたってことになる。
でも、じつはそういうことがあってもおかしくないのだ。
おおむかしの地中海は、その全域がギリシャ人やフェニキア人の庭みたいなもので、ヘラクレスだってジブラルタルまで行っている(ポール・セローの「大地中海旅行」の原題は「ヘラクレスの柱」で、これはギリシャ神話にちなんでいる)。

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ここは疑わずにポニファシオの海岸にある奇勝や、白亜の絶壁で知られる「アラゴン王の階段」でもながめよう。
絶壁のとちゅうには遊歩道があり、まかりまちがって落ちても、細長い岬の上にはきれいな墓地があるから、あの世への近道だ。

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2020年12月19日 (土)

地中海/コルシカ島A

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ポール・セローの「大地中海旅行」は、リヴィエラからフェリーでコルシカ島にやってきた。
わたしはもちろん、コルシカ島なんて知らないと書こうとしたけど、いやいや、ここは世界的に知られた歴史上の大人物の出身地だった。
わたしはつい最近、ロシア映画「戦争と平和」の戦争シーンが気に入らないと、勝手にその戦争の部分を編集しなおしてしまった男だ。
この映画では敵将であり、侵略者であるはずのナポレオンも、なかなかカッコよく描かれていた。
だからこそ、最後に冬将軍に敗れて敗走する彼の挫折感、みじめさがよくわかった。
このナポレオン・ポナパルトが生まれたのがコルシカ島である。

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ほかにコルシカについて知ってることはほとんどない。
まず、例によってどのくらいの大きさの島なのか。
マジョルカ島では、たまたまネット上に群馬県と重ねた地図を発見したので、それを拝借したけど、今度は自分でやってみた。
これは岩手県の地図(青)に重ねたコルシカ島(赤)だから、おおざっぱにいうと、岩手県の半分よりいくらか大きいくらい。

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セローが上陸したコルシカ北部の都市バスティアはこんな感じ。
ここで注目すべきは街の背後に見える山脈である。
コルシカは山ばかりの島なのだ。

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セローはコルシカに上陸して、島の領域はフランスだけど、建物はイタリアに似ていると看破する。
そんなことをいわれたって、自慢するわけじゃないけど、コルシカとフランスとイタリアの、相違点、共通点なんかわたしにわかるわけがない。
わからないといえば、コルシカ人の性格がどうのこうのといわれても、パソコンのまえでだらしなくくつろぎながら、ストリートビューによる旅をしているわたしにはわかりっこないのである。
このことを了解してもらったうえで、また例によって街の郊外に行ってみよう。
閑静でいいところだけど、地中海の周辺の郊外はどこも似ているとしかいいようがない。

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この島にもマジョルカ島と同じように鉄道がある。
ひとつのレールの上をいろんなかたちの列車が走っているらしく、カッコいい車体もあれば、セローにトロッコと変わりないといわれる車両もある。
セローは列車でまず島の北西にあるカルヴィをめざした。
列車は途中のカザモッツァから内陸に入り、ポンテ・レッシャで分岐して、ふたたび海辺にある終着駅をめざす(鉄道図を参照のこと)。
彼の文章によると、列車は発車してまもなく、うっそうと茂った灌木地帯に入っていき、まわりから灌木地帯独特の芳香がただよってきたとある。
さすがは世界的紀行作家だ。
わたしがはじめてJR小海線の野辺山駅から列車に乗ったときみたい。

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セローは列車に乗りっぱなしだったけど、わたしはポンテ・レッシャで下車して、村のなかを自由に歩きまわった。
そして発見したのが石橋のあるこんなすてきな景色だ。
この橋の上からながめると、山のあなたに、セローも見たモンテ・アスト山が頭をのぞかせている。

山間部を抜けて、イル・ルースという場所でふたたび海岸に出た。
セローがこのあたりの海がきれいだとほめているので、ここで列車を降りてみる。
じつはセローは列車を降りてないから、これもわたしの独断サービスである。

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ここには陸続きのピエトロ島という小さな島がある。
陸続きの島というのもおかしいけど、橋のように細長い陸地でつながった島で、コルシカの観光ポイントのひとつだ。
その島までぶらぶら歩いてみた。

わたしがピエトロ島を見物しているあいだに、セローは終着駅のガルヴィに到着し、ここにホテルを見つけてメシを食っていた。
食事のあと出会った女性にコンニチワと声をかけたら、お節介なイスラエル人が、コルシカでそんなことをしたら殺されるぜと教えてくれたそうである。
わたしは日本の若者に、コルシカのようなめずらしい土地に旅をして、映像をどんどんYouTubeに上げるべきだといおうとしたけど、これでは危険すぎて勧められない。
コルシカ人は嫉妬ぶかく、激しやすい性格らしい。

あやうく命拾いしたセローは、翌朝、ふたたび列車に乗って、コルシカ中央部の山あいの街コルテをめざす。
ここは長野県の松本市のような登山者のメッカである。
先にコルシカは山ばかりの島であると書いたけど、古くはこの自然環境が外敵の侵入をさまたげ、コルシカ人の孤塁を頑固に守るような特性をはぐくんだという(事実かどうかは、もちろんわたしには確認しようがない)。
セローはここで自転車を借り、嬉々としてあたりを走りまわる。

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コルシカの自然については、英国人の画家エドワード・リアによって、早くから紹介されていた。
この画家は鳥類を写実的に描いた、博物学のさし絵画家として知られているけど、日本ではそれより、子供のための童話のさし絵師としてのほうが有名らしく、図書館を検索したらその手の本がぞろぞろ。
試しにそのうちの1冊を借りてみたけれど、書かれていたのはリメリック(五行詩)という形式の詩で、こりゃわたしの手にあまる。
ようするにどこがおもしろいのか、サッパリ。
訳がわからないものを芸術的だなんて尊ぶ趣味は、わたしにはないもので(ここに載せたのは彼の自筆の絵に、わたしがちょっと手を加えたもの)。

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セローの自然をほめちぎることは尋常ではないので、コルシカでそれを確認するために、ひとつトレッカーになって山に登ってみることにした。
最初は出発点である清明かつ殺風景なコルテの町だけど、まわりをながめただけで山好きにはコタえられない景色だ。

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とりあえずコルテから渓谷づたいに西方の山脈をめざすことにする。
このトレッキングコースは、山奥であるにもかかわらず、ところどころのポイントでストリートビューが利用できるのがうれしい。
とちゅうの森のなかの景色はこんな感じ。
コルシカは花崗岩の島といわれていて、ナメ沢と呼ばれる、大きな一枚岩の上を水が流れる地形が多いようだ。
最近は世界的に健康志向なので、登山やハイキングに精を出す人が多く、どこででも裸になって水浴びをしようという女の人(セローにいわせるとドイツ人が多いらしい)がいるのはケシカラン、いや、アリガタイというべきか。

セローは言葉を尽くしてコルシカの自然を讃えている。
『我々に旅の真実に触れる瞬間を与えてくれるのは、身のひきしまるような孤独やひそやかなささやき声、偶然目にした光景であることを思い出した』
『割れ目のある灰色の岩、張り出した岩棚、雪のショールにおおわれたクレパス、花崗岩の島全体の上に、冬の青空がひろがっていた』
これはセローの本からの抜粋だけど、深田久弥にひけをとらない名文だ。

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歩き続けると、やがて尾瀬ヶ原か苗場山にあるような広々とした高層湿原に出た。
水をたたえるのは「二ノ湖」と呼ばれる湖で、その周囲は登山者を魅了してやまない、まさに天上の楽園といったおもむき。

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コルシカの最高峰はチント山といって、標高は2706m。
日本に来れば中堅の高さにすぎないけど、欧米の登山家にとってよく知られた山らしく、ネット上にたくさんの写真が上がっている。
トップの写真と最後の写真がコルシカの最高峰だ。
あー、疲れた。

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2020年12月18日 (金)

歯医者

今日は4回目の歯医者。
4回も行ってるおかげで、虫歯はだいぶ退治した。
わたしの歳ではもう神経が退化しているのか、これまで2本治療したのに痛みはなかった。
次回はこいつをやっつけようと医師がいう虫歯は、右上の犬歯で、ときどき水がしみるから麻酔が必要になるかもしれない。
痛い思いをして治療しなくても、そのうち人間のほうは老衰で死んでしまうかもしれないのに。
モッタイナイ。

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2020年12月17日 (木)

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冬になると鍋が恋しくなる。
そいうわけで、今夜はひさしぶりにダイコンと牡蠣の鍋料理だ。
そんな取り合わせかあるかどうか知らないけど、ようするに自分の好きなものをみんな放り込んだ“ごった煮”と思えばよい。

いったい材料費はいくらぐらいだろう。
最近シビアな生活を強いられているわたしは、また原価計算をしてみた。
ダイコンがいくら、調理用の生牡蠣がいくら、白菜とコンニャクがいくら、だしの素がいくら、うまみ向上のためにそそいだ日本酒がいくらと、細かいところまで計算してみたのだ。

その結果、いくらか大雑把になるけど、原価は500円ぐらい。
これでも2食分はあるだろうから、1回の鍋は250円。
今夜は鍋でイッパイやるんだけど、ライスや味噌汁、おしんこを足しても、食事の全費用は350円にもなるまい。
しかも煮物をしたあとは、かならず残り物の汁で雑炊を作るのが楽しみだから、明日もおかずはいらないね。
ホント、こんな経済的な鍋はないや。

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2020年12月16日 (水)

地中海/ニース

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マルセイユから、ポール・セローはリヴィエラまでやってきた。 
リヴィエラという地名はファッション誌などの影響で日本でも知られているけど、じつはこれは都市の名前ではなく、トゥーロンからニース、カンヌ、モンテカルロあたりまで、およそ160キロの海岸線をさす言葉だそうだ。
なんとなくはなやかで、世界中のお金持ち、賭博師、水着の美女などが、年がら年じゅうお祭り騒ぎをしているところみたいに思えてしまう。
セローが旅をしたのは冬だから、ホテルはどこでも泊まれたけど、水着の美女はいない。

ぶっちゃけた話、ニースは汚ない街である。
え、あこがれのニースが、と驚いた人がいるかもしれないけど、これはセローの本にそう書いてあるのだから仕方がない。
原因は犬のウンチだそうだ。
カンヌやニースというと、とりすましたセレブたちが、高そうな犬を連れて散歩している街というイメージだけど、日本のように飼い犬がそそうした場合の始末をする人は少ないらしい。
セローは駅へ行くのに、ウンチを踏んづけないよう爪先立ちで歩いたとある。
「世界ふれあい街歩き」にニースの回もあったから、ほんとうにそんなに汚い街なのか、じっくり検証してみた。
ストリートビューも路面をよく観察した。
犬のウンチを探すために、こういう映像や写真を凝視する人ってのもめずらしいかも。
ニースの名誉のためにいっておくけど、じっさいにはそれほどひどくはなかった。
セローの旅のあとで行政が効果的な掃除方法を考えたか、きらびやかな都会というものに反撥を感じるセローがオーバーに書いたのか。

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ストリートビューというと陸上の景色だけと思っている人がいるかもしれない。
しかしこれを見ればわかるとおり、海のうえから見た景色もちゃんとながめられるのである。
ニースには「プロムナード・デザングレ」という、海岸にそった遊歩道がある。
ストリートビューで見ると、きれいで、ハワイかマルタ島みたいなところだけど、極東アジアから来たネクラなじいさんにはあまりふさわしくない。

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この海岸の反対方向のとっつきをながめると、樹木の茂ったちょっとした小山が見える。
ああいうところからの眺めはきっといいに違いないし、たいてい展望台があるものだ。
そこまでぶらぶらと行ってみた。
これが展望台からの景色で、ニースの海岸の全景が写っている写真はぜんぶここから撮られたといって過言ではないだろう。

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カンヌ、ニースの風景写真はネット上にいくらでも見つかるけど、たいていは世界中からやってきた田舎者がうれしがって撮った写真に決まっているから、わたしはストリートビューであまり人が行かないような裏通りを重点的にのぞいてみた。
ここに載せた画像がそうだけど、建物が密集しているようなところは旧市街である場合が多く、わたしがニースに行くことがあったら、海岸よりそういうところを見て歩くことはまちがいない。

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それでも街のなかに観光ポイントになるような古い寺院がないかと探してみた。
「ニース・ノートルダム寺院」と「サン・ニコラ・ロシア正教会」という寺院があったけど、ノートルダムのほうはまだ新しそうだし、サン・ニコラのほうも御利益が生じるほど古い寺院には見えない。
美術館もあるけど、「マティス美術館」、「シャガール美術館」、「近代現代美術館」などが、冬はみん休業中だった。

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リゾートの真実は冬の閑散期にこそわかるという、セローの信念に付き合わされるほうも大変だ。
さらに山の手ものぞいてみた
散策するにはにぎやかな海岸よりよっぽどいいところで、閑静な住宅街である。

ニースでセローはクラシック・コンサートに行こうとする。
ところが予約してなかったからチケットがない。
がっかりしているとミンクのコートを着た女性が、うちの旦那が用事で来られなくなったので、券を買ってくれないかと持ちかけてきた。
そうか、そういうこともあるのか。
わたしもサンクトペテルブルクに行ったとき、バレエを観に行こうとして、日本で予約していかなかったものだから、チケットが買えずあきらめたことがある。
そういうときはとりあえず劇場まで行って、もの欲しそうな顔をしてたたずんでいればよかったのだ。
うまくいけばセローのように、どこかの貴婦人とお近づきになれたかもしれない。

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ニースを出るとセローの文章はにわかにロマンチックなものになる。
『岩壁のなかにそっと置かれた小さな宝石、ヴィルフランシュ・シュメール・メール。その美しい湾の向こうにサン・ジャン・カプ・フェラが見えた』
これはサムセット・モームのことを持ち出すための布石かもしれない。
サン・ジャン・カプ・フェラというのはニースの近くに張り出した岬で、このあたりにはモームが買った家があり、その家というのは、『この司祭の館だったヴィラ・モーレスク(名前はモロッコの室内装飾に由来する)』だそうである。
この部分を読んでむかし読んだなつかしい本の一節がよみがえってきた。
新潮文庫のモームの本は変わった文様が印刷された緑色のカバーで統一してあるけど、この文様についてはモーム自身が「要約すると=The Summing Up」のなかで説明している。
父はシュレーヌの丘の上に土地を買った。
平野を見晴らす眺望はすばらしく、はるかにパリを望見できた。
わたしはよく父親に連れられて、家の工事の模様を見に行ったものであった。
屋根がふかれると父はたくさんのガラスを注文し、それにモロッコで見てきた悪魔払いの呪いを彫りつけた。
そして家が完成すると、父は死んだ。
この窓ガラスの悪魔払いの呪いというのがこの文様である。
セローがモームの名前を出すとき、セローにしてはめずらしく揶揄する調子はみられないから、彼もモームを敬愛していたのだろう。
彼はわざわざモームの家を見にいこうとするけど、残念ながらいまではホテルになってしまっていると聞いて断念する。
家はともかく、そのモームが晩年を過ごした土地がどんなところだったのか、わたしもとくに興味があるので、またストリートビューでのぞいてみた。

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半島全体が横浜の山の手みたいな、高級そうな住宅地になっていた。

リヴィエラのはなやかな都市の最後が、モナコ公国のモンテカルロだ。

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この街については、年にいちどのF1レースやラリーが開催されることで知られており、最近ではF1カーがカメラを積み込んで、レースのたびに街の実況中継をしてくれる。
ここではモナコのコースでいちばんきつい、フェアモント・ヘアピンカーヴを、ストリートビューでながめてみよう。
レースのない日はこんな感じ。

モナコはちっぽけな国だけどいちおう独立国で、レーニエ大公と米国女優のグレース・ケリーの恋物語で有名だ(わたしも古いねえ)。
日本の天皇に苗字はないけど、モナコの国王にはある。
グリマルディというのだそうだ。
権威や虚飾のきらいな米国人であるセローの書きようはかなりきつい。
レーニエ大公には、グレース・ケリーとのあいだに一男二女がいた。
長女のカロリーヌはハリウッド女優顔負けの美人だったけれど、手のつけられない奔放な娘で、おっぱい丸出しでヨットに乗ったりして、パパラッチたちのいい追っかけ目標になっていた。
ふつうこういう姉貴や兄貴がいると、弟や妹はまじめな場合が多いけど、この家では弟も妹も姉貴に負けてたまるかと奔放だった。
そんな放蕩息子だったアルベールも頭の禿げたいいおじさんになって、最近は道楽はやめたらしい。
危険をおかして海をわたる貧しい難民の子もいれば、セレブ中のセレブという、これ以上ない幸運の星のもとに生まれた子供もいる。
これが地中海というものである。
と、わたしもセローと同じような結論を書いて、この項終わり。

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2020年12月15日 (火)

オキザリスのその後

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あまり元気がないので、庭の花壇に植え替えたオキザリスの花。
その後見てみたら、わたしの部屋にいたころよりぐんと元気になっちゃって。
やっぱりわたしの愛情が足りなかったのかと落ち込んでしまったけど、つらつら考えたら、これは愛情をそそぎすぎたんだな。
買ってすぐに説明書を読んでみたら、日当たりのいいところに置いて、土が乾いたら水をやってくださいとあった。
翌日見たらもう土が乾いているではないか。
それっとばかりに霧吹きで水をシュッシュッ。
と、やりすぎたようだ。
花壇に植え替えてから、雨も降らないのに元気であることがその証明だ。

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もう同じ失敗はしないぞとこころに言い聞かせて、今日買ってきたのはサクラソウ。

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2020年12月14日 (月)

ネリネ

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近所で見かけた謎の花。
謎っていうほどのものじゃなく、調べたら名前はすぐにわかった。
ネリネ = ダイヤモンドリリーともいうそうだ。
彼岸花に似てると思ったら彼岸花の仲間だった。
けっこう種類が多いようで、これは巾着田の彼岸花よりひとまわり小さいタイプ。

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2020年12月13日 (日)

地中海/マルセイユ

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そもそも地中海はなんで「地中海」というのか。
わたしは言語学者ではないから詳しい語源は知らないけど、英語で書くと Mediterranean で、これはそのものズバリ、地球のまん中という意味だそうだ。
これが和製漢字だとしたら、律儀な日本人はうまい訳をしたものである。
漢製漢字である「中華」という言葉と似ているけど、中国に文句をいう人で、地中海に文句をいう人を聞いたことがない。
まあ、相手が海じゃのれんに腕押しということもあるか。

ポール・セローの地中海旅行は、とうとうフランスまでやってきた。
列車の旅というのはバスよりも揺れは少ないし、どうでもいい連中がとなりに座って話しかけてくることも少ないから、のんびり旅行には最適だ。
ただ、通り過ぎる景色がほんとうに一過性のもので、そこで下車して何か体験するわけでもないから、なんか幻燈を見ているようで(読んでいる人間には)さっぱり記憶に残らない。

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列車は海辺を走り、エタン・ルカートやラパルムという大きな潟湖のわきを抜けていく。
潟湖ってどんなところなのという人のために、またストリートビューでそのへんの景色を見てみよう。
これは車から見た景色だけど鉄道もこの近くを走っている。
潟湖のあたりでさらにわき道に入り込んで、海辺の景色をながめてみた。
殺風景なところだけど、素朴なリゾートといった感じで、わたしならぜひ寄り道をしたいところだ。

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このあたりでセローはフラミンゴが湖面を飛んでいくのを見た。
自称ナチュラリストのわたしにはこういう話がおもしろい。
フラミンゴはアフリカにもいるし、中南米にもいるけど、フランスにいるとは思わなかったようで、セローも興味津々である。
だいたいフラミンゴってなにを食べているのか、知ってる人イマスカ?
水辺に棲んでいるんだから魚だろうと思うのは間違いだ。
カモなら水草や、たまに人が投げてくれるパンを食べるけど、フラミンゴの生息地はたいてい人間社会とは隔絶した場所で、水草なんか生えてない場合が多い。
答えはウィキペディアを読めばわかるけど、あまり腹の足しにならないようなものを食べて、タンチョウヅルと変わらない体格を維持してるんだからコスパのいい鳥である。

博物学は楽しいけど、あまり深く立ち入ると科学記事になってしまう。
セローはアルルに寄ってみた。
ここでは市長さんが、闘牛が出てくるビゼーの「アルルの女」を町おこしに利用しようと、何年かまえに闘牛を復活させたそうで、動物愛護協会の名誉会員であるセローは怒り狂う。
わたしも闘牛なんかこの世から絶滅させたいほうだから、それはまあいいことだけど、「アルルの女」ってどんな曲だっけ?
わたしはタブレットをつねにかたわらに置いているので、ただちにYouTubeで聴いてみた。
ああ、あれかと、わたしみたいに年期を積んだ人間なら、だれでもいちどは聴いたことのある曲だった。

冬の旅であるにもかかわらず、このあたりではアーモンドの花が満開だった。
アーモンドはわたしもマルタ島で、果樹園にさかんに咲いているのを見たことがある。
知らない人が見たら、ウメやアンズとまちがえそうな花で、アルルでは駅のホームにも咲いていた。
それをフランスの高速鉄道TGVが無情に蹴散らかしていく。
これに対するセローの反応をみると、彼は新幹線の旅が好きではないらしい。

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セローはマルセイユまでやってきた。
マルセイユに到着する旅人は列車で到着するのがよいと彼はいう。
なんでもサン・シャルル駅は崖の上にあって、駅の階段から眺める街の景色がすばらしいんだそうだ。
すばらしいってのはどんなものか。
さっそくわたしもストリートビューで駅のまわりをながめてみた。
ただ、ストリートビューで駅前のようすはわかるけど、テラスになっている駅の正面の広場がせまいので、精いっぱいうしろに下がっても画面からあふれてしまい、ストリートビューから駅の全体像の写真を切り取るには不向きだ。
これはストリートビューの欠点で、360度カメラで撮っているのだから、あるていどの視線は変えられるけど、カメラの位置はつねにわたし以外のだれかが決めたもので、わたしの好きなポジションに勝手に移動したり、レンズを交換するわけにはいかないのである。
しかしネット上にはこの駅の写真もたくさんあるから、無理にストリートビューから切り取る必要はないわけで、駅からの展望はそういう他人の写真にまかせよう。
遠くに「良き母」と称される、女神像をつけたノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院が見えて、駅の階段からの眺めはたしかにすばらしい。

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このよく目立つ寺院まで行ってみよう。
坂の多い街だから根性が必要だけど、寺院の中庭からもマルセイユの街が一望だ。

マルセイユでいちばん目立つのは移民だという。
彼が旅をしたころでさえそうだとしたら、現在はどうなっているだろう。
日本人の娘がパリに行って、ここはアフリカかってとまどっている映像を見たことがあるけど、ドイツのメルケルさんが博愛主義を発揮して、移民でも難民でも無条件に受け入れる、もちろんEUに属する国は右へならえだなんて言い出したものだから、アルジェリア人はうれしがって、かっての宗主国さまのところに押しかける。
これはフランス人にとっては自業自得ともいえる。
アルジェリア人がフランス語を話せるのは、フランスが自ら仕込んだせいなのだ。
有無をいわせず地中海の対岸にあるよその国を植民地にし、ここはオレたちの国だよと宣言したフランスが、いまさらその国からの移民を断るわけにはいくまい。
マルセイユは犯罪多発都市らしいけど、アルジェリア人はここぞとばかりに、植民地時代の恨みをはらしているんじゃあるまいか。

じつはわたしはNHKが放映している「世界ふれあい街歩き」という番組のファンで、これがデジタル放送になるよりずっとまえから、録画しては保存するということを続けてきた。
その2009年放送分にマルセイユがあったから、それを観て参考にすることにした。
マルセイユは港町で、フランス第2の都市だそうだ。
フランスの国歌が「ラ・マルセイエーズ」であるとおり、フランス革命でもここは重要な役割を果たしたところだという。
マルセイユの名物料理はブイヤベースで、これは安ホテルしか泊まらないセローも味わっていて、この部分は開高健さんの紀行記なみ。
わたしも食いたくなったけど、さすがにブログでは味わうわけにいかないから、せめて写真でも載せておこう。

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たっぷりダシをとった海鮮のごった煮という感じで、おいしそう。

「ふれあい街歩き」を見ていたら、移民が国に電話をかけるための店というのが出てきて、トルコやアルジェリア、ナイジェリアなど、さまざまな国の国旗が貼ってあった。
移民が原因かどうかは知らないけど、マルセイユはひじょうに危険な街だそうだ。
セローも街をぶらつくとき、カメラやよけいな金銭を持たないよう、最大限の注意をはらっている。

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あまりよけいなことを書いて、わたしまでレイシスト呼ばわりされたくない。
マルセイユにはアレクサンドル・デュマの「巌窟王」に出てくる監獄島がある。
セローの本ではイフ島という名前で出てくるので、わたしも、べつに無理に行きたいわけじゃないけど、ストリートビューで探してみた。
イフ島という名前では見つからなかったけど、マルセイユの沖合にシャトー・ディフという島があり、かって監獄のあった島だというから、これがそうらしい。

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2020年12月12日 (土)

うーむ

ここんところあっちこっに引っ張りまわされているな。
モームの「要約すると」という本、そちらの図書館にありますか。
ああ、それはいま八坂の富士見図書館に行ってますね、取り寄せましょうか。
いえ、今日すぐに読みたいんで、自分で行きます。
てな具合で、本を一冊借りるために自転車でぐるぐる。
先日の「マヨルカの冬」のときも、中央図書館に行ったら、いま秋津のほうに行ってますって。
ま、自転車があるから、いい運動のつもりでこいでまわっても苦にならんけどネ。

月曜日あたり雪になるんじゃないかといわれてるけど、本さえあれば、そしてパソコンもあれぱ(近くにコンビニもあるし)、1カ月ぐら籠城しても大丈夫。
ほんと、読書っていうのは年寄りの友。
こういう趣味があったおかげで、若いころはネクラで陰険と思われて、まったく女の子に相手にされなかったけど、いまようやく人生の帳尻が合ったような気がする。
これで肉体が若いころのまんまだったらねえ。
ヤカンをぶら下げるとか、障子をつき破れた青春がなつかしい。

おまけ。
というか、こっちが本題というか。
韓国では朝鮮日報が大統領にかなりきびしいことをいっている。
最初からこうすればよかったのに、マスコミが風向きを敏感に感じとってきたということか。

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2020年12月11日 (金)

ツライ

怒れる韓国人の康京和サン、最近は影がうすいねえ。
そりゃそうだ。
昨日まで日本を徹底的にけなせ、おとしめろといわれていたのが、今日から180度転換して、なんとか日本と仲良くしろじゃ彼女だって面食らう。
恥ずかしくってそんなわけにはいかないわと、おそらく彼女は信念の人なのであろう。

韓国の大統領って恥の概念を知らないのだろうか。
京和サンが恥ずかしがっていうことをきかないから、日本へはべつの人間に行かせる。
日本が徴用工への補償を、たてまえだけでもしてくれれば、じっさいは韓国がそれを用立てるニダという、裏取り引きの提案にだ。
それに対して日本がとりつくシマもないとわかると、今度は韓国政府が全額負担してもいいニダ、日本は謝罪だけしてくれたらいいニダと、新しい提案を持ち出したそうである(あっという間に消えちゃったけど、今朝のネットニュースによると)。

バイデンさんに文句をいわれるまえに、なんとか日本と手打ちをしようってことだろうけど、そんな提案に日本が乗るか、韓国の国民が許すか。
どっちの国民も納得しないものをまじめに提案すんな!
ここで苦笑したりすると向こうに失礼だから、日本人はあくまでしかめっつらをしなければいけない。
これってけっこうツライのだ。

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2020年12月10日 (木)

地中海/バルセロナとダリ

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ポール・セローは無神論者である。
彼の「大地中海旅行」を読み始めてそう思い、マジョルカ島からバレンシアに至ってそれは確信になった。
あるていど以上の知性にとって、無神論は必然なのかもしれない。
現代はインターネットの時代であり、あらゆる情報が瞬時に世界をかけめぐる。
たとえばこの瞬間にも、テロリストに後頭部を撃ち抜かれている人がいるかもしれないし、賎民としてさげすまれ、泥濘のなかでのたうちまわっている人たちがいるかもしれない。
そうかと思えばお坊さんが投資信託に励んでいるとか、かってなら足もとにも寄れなかった高位の聖職者が、幼い子供にイタズラしていたなんてこともある。
いったい神さまはなにをしてるんだ、というようなことが世界には多すぎるのだ。

セローはマジョルカからスペイン本土にもどり、バレンシアまでやってきた。
ここには水族館や近代建築もあるって話だけど、水族館大国で、近代建築もたくさんある日本人がそんなものを見ても仕方ない。
こういう古い街に行ったときは、旧市街地を見てまわるのがいちばんおもしろい。
旧市街は大きな寺院を中心にまとまったところが多いから、そこで最大の観光ポイントはたいてい古い教会ということになる。
セローが旅をしたのはいまから30年ぐらいまえだから、まだ教会のまわりには物乞いやトランプを売る老婆や、3人の子供をかかえて仕事がないというプラカードを持ったおじさんなどがいた。
考えてみれば不遇な人々はたいてい教会のまわりに集まるものだ。
しかし最近ではどこの国も外国からの観光客が集まる場所を、そういう人たちのフリースペースにしておかないから、ストリートビューで広場をのぞいても、神さまをもっとも頼りたい人々は一掃されてしまったようである(冒頭の写真はサンタ・マリア聖堂まえの広場)。
これでは、たとえば「ノートルダムのせむし男」のような小説は成り立たない。
スペイン政府も余計なことをしたものだ。

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大都会というやつがきらいなセローだけど、バレンシアのあとバルセロナに移動する。
このあたりまで来ると鉄道がある。
のんびり景色をなかめるなら、バスより列車のほうが適しているから、こんどは列車である。
この途中に、以前このブログで取り上げた映画「エル・シド」の舞台になったペニスコラ城がある。
これはストリートビューで見た現在の城のようすだけど、チャールトン・ヘストンの英雄っぷりをおぼえているかな。
いまでもよく覚えている映画だから、わたしならとうぜん寄ったはずだけど、セローは完全無視だから、やむを得ずわたしもセローについていくほうを優先しよう。

バルセロナはどんな街だろう。
ググッてみたらスペイン第二の都会だそうだ。
スペインのツアーに参加すればかならず寄るし、オリンピックが開かれたこともあるから、日本人にもよく知られた街だ。
このオリンピックについては、まだ中学生の岩崎恭子が競泳で、彼女自身が予想もしてなかった金メダルを取ったのが記憶に鮮やかだ。
しかしわたしがいちばんおぼえているのは、フィナーレでビクトリア・デ・ロス・アンヘレスがうたった、カザルスの「鳥の歌」だ。
聖火の消滅とともに消えていった彼女の歌声は、いつまでもいつまでもわたしの耳に残っている。

セローがめずらしく大都会のバルセロナに長居することにしたのは、本屋に行ってみたら翻訳された自分の本が売られていたからだそうだ。
ちなみにポール・セローという人は、映画化された「モスキート・コースト」や、その他もろもろの作品で知られる小説家でもある。
お、オレの本が売られているな、この街の人たちは知性的であるに違いないと決めつけるのは、なかなか正直な思考だ。
彼だってムズカシイ哲学や複雑な思想ばかりを追求する旅をしているわけじゃないのである。

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バルセロナの写真をネットで漁っているとき見つけたのがこの写真だ。
まるで碁盤の目のようにきっちりとした街並みが続いている。
なんじゃこれはと思ったけど、四方(もしくは三方)を建物で囲まれた真ん中に庭があるという建築様式は、外国の古い街ではめずらしくない景色かも。
わたしがサンクトペテルブルクで泊まったホテルもそうだった。
かっては中国の街にもあったけど、あの国では壊して新しくするのも早いから、いまでもあるかどうかわからない。

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こういう街の構造は、上空から見ればよくわかるけど地上からでは見えない。
だから素通りするだけの観光客は気がつかないかもしれない。
永遠に完成しないことで有名なサグラダファミリアも、地上からでは広々とした場所にあるように見えるけど、これは広角レンズで誇張されているからで、上空からながめるとみごとなくらい碁盤の目のなかにある。
近くに寄りすぎると盲目になるというのは、これはまあ、哲学的な真理のひとつといえる。

じつはスペインは、中国、ロシアに次いで、わたしが行きたかった国なのだ。
スペインという国はわたしの好きなゴヤやエル・グレコ、あまり好きではないけどベラスケス、ピカソを始めとして、音楽家のカザルスやファリャなど、芸術に関心のある人にとっては宝島みたいなところなのである。

大都会がニガ手なセローだけど、前述した理由でバルセロナに居座り、御馳走を食べたあと、列車でフィゲラスという町に行く。
ここはシュルレアリスムの画家サルバドール・ダリの生まれ故郷だ。

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ダリというと、「記憶の固執」というぐんにゃりと流れ落ちる時計や、「大自慰者」という、どう見てもわけがわからないくせに、よく見るとイヤらしいという絵で知られる画家だ。
わたしはこの画家の作品が特別に好きってわけじゃないけど、「内乱の予感」という絵なんか、せまりくる不気味で残虐なものをよく象徴していて、傑作だと思う。
もっともこの作品には「茹でたインゲン豆のある柔らかい構造」という、いかにも世間を茶化したようなべつのタイトルがあり、描かれたあとで画商が、内乱を予感しているようだと別の名前をつけたのかもしれない。

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ダリもすでに伝説になった。
どんな想像を絶する伝説をでっち上げても、ま、奇人だからなで通ってしまうので、奇人は伝説になるのが速い。
だからあまり極端な伝説は話半分で聞いたほうがいい。
わたし自身は、ヒゲをぴんと伸ばしたダリは、ことさら奇人を売りものにしていたようで、ちょっとあざとい感じがする。
奇人の典型みたいなダリだけど、若いころは同性愛者の友人にくどかれたことがあるくらいハンサムだったそうだ。
おれはホモじゃないといって友人の誘いは断ったそうである。
しかしどんなものか試してみたことはあるらしく、あれは痛いからなといっていたらしい。
オカマを掘られると痛いかどうか、わたしは試したことがないから知らないけど、なにごとも経験してみるという、その探究心はさすがだ。

そんな奇人ぶりのほうに関心があるので、セローも取り上げているダリの伝説の代表的なものについて書いておこう。
彼には異常な趣味があり、奥さんと他の男の浮気現場をのぞくのが趣味だったという。
でもこれは変態というようなものではないかもしれない。
歳をとってモノが役に立たなくなった男には、けっしてめずらしくない趣味のように思えるし、日本でも江戸川乱歩や、川端康成の晩年の小説にそんなのがあったような。

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ダリの奥さんはガラといって、写真でみると品のいい上流階級の貴婦人みたい、映画女優でいえばキム・ハンターかオリビア・デ・ハビランドみたいな人である。
あまり男に狂うタイプには見えないんだけど、もともとはロシアの血をひく人だそうで、それならば美人であることは保証つきだし、奔放な性格というのもうなずける。
彼女は乱行がたたって早死にしたのではないかとセローはいう。
しかし死んだのが88のときだから、意味がよくわからない。
彼女とダリの関係は、マジョルカ島のジョルジュ・サンドとショパンの関係に似ている。
男のほうは世間知らずのわがまま坊やで、女のほうは母親のように彼を庇護していたのだろう。
こういう性格は“母性愛”と言い換えることも可能だ。

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人工島

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この奇妙な文様のように見える画像は、中東ドバイにある人工島だ。
砂漠の国ドバイは、石油に頼らない観光立国として生きていこうと、世界一のノッポビルや、贅を尽くしたレジャーランドを建設したりして、世界中の富を一手に集めようと試行錯誤しているのだ。
なお現在はグローバル時代であり、1国だけで経済がまわるわけではないから、紆余曲折があったもよう。

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一方、つぎの画像は、中国は海南島に出現した人工島だ。
儲かることなら先のことは考えない中国は、ドバイを見習って世界中の富を・・・・そんなうまい具合いにいくかどうか知らないけど、大型土木工事は利権の巣窟だから、計画が頓挫してもだれかしら儲けるやつはいるわけだ。

こんなことは不動産屋はとっくに知っていることかもしれないけど、中国人の知り合いがメールで、海南島で大規模なレジャー施設が建設中という情報を送ってきたのだ。
わたしはこの事実をそのメールではじめて知ったのである。
天然の島ならまだしも、人工の島なんかわたしが行くわけがないし、まあ、日本には関係ないからなんだっていいけど。

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2020年12月 9日 (水)

季節はずれの眼福

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今年はまたロシアも暖冬らしい。
ユーチューバーの安涼奈(アリョーナ)さんが、もうすぐに12月という日に黒海で泳いでいた。
なんでもやけに暑い日だったらしいけど、黒海は北海道と同じ緯度にあって、例年ならとっても泳げるはずがなく、彼女はこの前日には黒海の近くのスキー場で雪とたわむれていた。

・・・・やっぱり地球温暖化かねえ。
まだあと40年も50年も生きようという人には気のドクなことだ。

じつはそんなことはどうでもよく、感心したのはロシア人というのは裸になるのが大好きなんだなということ。
ほかに泳ぐ人もいないのに、彼女は裸同然のビキニを堂々と人目にさらす。
日本でモデルもやっている人だから、日本人と比べるとケタ違いに魅力的な水着姿は、思わぬ季節外れの眼福だ。

こんなことを書くと、よっぽどヒマなんだな、あいかわらず好きモノだなと思われるかもしれないけど、けっこうやることはやってるんですよ。
いまもメシのあい間にサルバドール・ダリについて調べている。
これは「地中海紀行」のブログ・ネタだから。

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2020年12月 8日 (火)

地中海/マジョルカ島

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地中海のほとりをたどってスペインのアリカンタまで来たポール・セローは、フェリーに乗ってマジョルカ島をめざす。
マジョルカ島?
名前は聞いたことがあるけど、どんな島なのか、なにがあるのかということになると、わたしはまったく、さっぱり、ぜんぜん知らなかった。
バレアレス諸島のひとつですといわれると余計わからなくなってしまう。
ところがフェリーがイビサ島に寄ると知って、こっちの島の名前はどこかで聞いたなと思った。

青春のころ、観て、ちょいと感動した映画に「モア」という作品があって(どんな映画かということはこのブログに書いたことがあるから、それを読んでチョーダイ)、その舞台がイビサ島だった。
ボーイッシュな魅力のミムジ・ファーマーがすっぼんぽんになって、麻薬をやったり桃色遊戯に耽ったりする物語で、夜明けの海岸が美しくとらえられていた。
美貌で知られた日本の女優さんが麻薬に狂ったのは、この島を訪問したのがきっかけだそうだ。
この映画は1969年の映画だから、この島はすでにそのころから、ハシシありLSDありの、ヒッピーたちの聖地であったらしい。
あんな感じの島かということはわかったけれど、これを読んでる人の大半にはわからないだろうなあ。

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マジョルカはマヨルカとも表記される。
これはスペイン語表記か英語表記かってことだけど、このブログではポール・セローの本を話題にしているのだから、その表記にならうことにする。
ところでマジョリカ島って、どのくらい大きな島なのか。
たとえば四国くらいあるのか、いや淡路島ていどか。
日本のどこかに同じくらいの面積の土地があれば説明しやすいんだけど、あいにく似たような大きさで、ふさわしい土地がない。
ググッてみたら、沖縄の3倍くらいということがわかった。
ものさしで測ってみようとしたけど、沖縄は尺取り虫みたいにたてに細長いので比べにくい。
うまい具合に日本の群馬県(わたしの出身地だ)と重ねた図を、自分のブログに載せている人がいたから、それをコピーしておこう。
これならわたしは実感としてわかりやすいけど、これを読んでる人の大半にはわからないだろうなあ。

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セローはフェリーでマジョルカ島最大の都市パルマに上陸し、レンタカーを借りる。
ここで意外だったのが、この島には鉄道があって、誰でも乗ってみたくなる木造車体のユニークな列車と、そして新幹線もどきまで走っていたことだ。
セローは鉄道にはほとんどふれてないけど、じつはマジョルカは、小さい島としては身分不相応なくらい、むかしから鉄道がたくさんあったらしい。
それがモータリゼーションの波に押しまくられ、御多分にもれず大半は廃線になっていたものが、本格的に復活したのは1994年ごろだという。
つまりセローのこの旅とはすれ違いだったわけだ。

考えてみると、群馬県より小さな島で路線もかぎられているのだから、列車で島めぐりというのは現実的ではない。
免許証があるならレンタカーのほうが便利である。
セローもレンタカーを借りて、この島でいちじひきこもりをしていた詩人ロバート・グレーブスの屋敷に行ってみた。
この詩人はマジョルカのデヤという村で隠遁生活をおくったという。

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デヤという村はパルマの北に20キロほど行ったところにある。
グーグルマップでは、さすがにその屋敷までは探すことはできなかったけれど、たぶんこのへんだろうという地点の景色を見せる。
詩人の隠遁先にふさわしいすてきなところだ。

ここでロバート・グレーブスは、最初は女神、あとはがみがみとうるさい女になる愛人と暮らす。
セローという人は女性に対してなにか恨むところがあったのか、このあと登場するジョルジュ・サンドに対してもろくなことを書かない。
わたしといっしょで、女性を崇めたてまつることでは人後におちないくせに、そんなものは幻想にすぎないと、すぐに現実を直視してしまうのかもしれない。

さて、マジョルカ島といえば、ここに滞在した有名人がもうひとり、いや、2人いる。
作曲家のショパンと愛人のジョルジュ・サンドだ。
こう書いて迷った。
というのは、この2人の場合、ジョルジュ・サンドとその愛人ショパンと書くべきかもしれない。
どっちだっていいようなものだけど、サンドが生きていればきっと文句をいう。
彼女は男をとっかえひっかえしたフェミニストの大先輩であり、ショパンよりずっと長生きして、晩年の肖像画なんかコワイくらいなのだ。

セローがマジョルカで買った本に「マヨルカの冬」というのがあって、これはジョルジュ・サンドがマジョルカをさんざんこきおろした本だそうだ。
このブログで参考にするために、わたしも読んでみた。
こきおろしていることは間違いではないけど、だいぶ予想とちがったねえ。
日本の新婚のペアがマジョルカを訪問したとする。
男/ほら、これがショパンとジョルジュ・サンドがいっしょに暮した島だよ。
女/ああ、素敵ねえ。あの夕日をきっとふたりで眺めたのね。
そういうもんじゃないねえ。
まずのっけからおそろしく男性的な文体でびっくり。
この本のなかにショパンは“病人の知り合い”として出てくるだけで、べたべたしたロマンスなんかこれっぽっちも出てこない。
サンドとショパンとの関係を想像するとしたら、羽根の下にヒヨコをかかえこむ強いメンドリぐらいしか思いつかないや。
いずれにしてもこれ以上紀行記から脱線するのはよそう。

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この2人の画像を載せようと思ったけど、美男美女なのにいい写真がない。
ドラクロワがピアノのまえのショパンと、そのかたわらでもの思いにふけるサンドを描いているけど、ちょっとわたしのイメージからはずれている。
この画像は可能なかぎり理想に近づけた2人だ。
本物の本人たちに似ているかどうかは定かじゃない。

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セローもひきこもりのタチなのか、マジョルカ最大の都市パルマには目もくれない。
わたしもひきこもりだけど、外国に行けば街でも村でも見て歩く。
だからパルマの写真も載せておこう。
最初の2枚はパルマ市内にある「パルマ大聖堂」という古い寺院である。
あとの3枚は典型的な南欧ふうの海岸だ。
わたしもこんな島にこもって、本を読んだり、ひまなときはハイキングでもしてみたい。

お終いに、どうでもいいことだけど、セローがマジョルカでポルノについてうんちくを述べていることを書いておこう。
彼はそっち方面にも興味があるらしく、日本に来たときは村上春樹の案内で、秋葉原あたりのポルノショップをのぞいていたような・・・・

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2020年12月 7日 (月)

虫歯

前歯の1/3がぽろりと折れた。
同じころ、奥歯にかぶせてあったクラウンがぱかっとはずれた。
両方とも虫歯のせいである。
しばらく放っておいたけど、さすがにがまんできなくなって、修理をすることにした。
歯医者で希望アンケートの、とにかく保険で安上がりにという項目に◯をつける。
インプラントやセラミックの高級な歯は求めない。
なに、あと5年ももてば上々。
それまで寿命がもつかどうかのほうが怪しい。
そのせいかどうか、今日修理を終えた前歯は、あまり硬いものを噛まないようにと注意書きつき。

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2020年12月 6日 (日)

地中海/闘牛

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ジブラルタルから国境を越えて、セローはスペインに行く。
地続きだし、紛争をかかえていたわけでもないから、徒歩で30分歩くだけでもうスペインだ。
スペイン南端のこの地方はアンダルシアと呼ばれる。
とりあえず海岸ぞいに、鉄道がないから、彼は路線バスで移動することにした。
彼の旅のスタイルは、無理に金はかけない、しかし徹底的な貧乏旅行もしないというやつで、わたしの旅によく似ている。
わたしの場合は、かけたくても先立つものがないというのが大違いだけど。

バスの車窓からながめると、へんぴな寒村ばかりの土地に不動産屋が入って、あちらこちらで観光開発をしており、田舎景色を愛するセローを残念がらせる。
ただ、彼が旅をしていたころでさえ、すでにバブルがはじけた気配があったというから、その後この開発がどうなったかわからない。
わからないときは調べようというのがこのブログだから、またグーグルマップやストリートビューをのぞいてみた。

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まず国境を越えてほどなくの、マルベーリャという町のあたりを調べてみた。
グーグルマップでこの町を上空からながめると、町のはずれを東西に高速道路がはしっている。
高速道路の山側はこんな感じで、海側は1キロほど行くと海岸である。
セローはこの高速道路についてなにも書いてないけど、たぶん当時はまだそんなものはなかったのだろう。
彼がこの紀行記を書いたのは1993年ごろだから、それから30年ちかい歳月が流れており、新しい高速道路ができるには十分な時間があった。
わたしが西暦2000年に、シルクロードの武威から蘭州までバスで走ったときは、まだ一般道路をよたよた行ったのに、5年後に同じ区間を走ったときはもう高速道路ができていた。

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できたのは高速道路だけじゃない。
衛星写真でながめると、おどろいたのはスペインの海岸にはプールつきの家がものすごく多いこと。
スペイン人がみんなそんな豪邸に住めるとは思えないから、これはペンションや貸し別荘なのだろう。
どうやらセローが移動したあとも観光開発は続けられ、現在はこの地方の海岸は、ハワイやバリ島のような一大リゾートになっているようだ。
観光客はヨーロッパ中から集まってくるけど、いくらなんでもプールが多すぎるような気もする。
どうやら絶好の投資先ということで、アラブの石油資本が流れ込んでいるらしい。
セローはこの景色を見て、新しい植民地じゃないかという。
ただし、ヨーロッパ人が目の色を変えて世界中を漁っていたころとは攻守が変わって、かっての植民される側がヨーロッパを侵食しているわけだ。

残念ながら地中海に面したアンダルシアの海岸は、どこまで行ってもプール、プールである。
セローが旅をしたころ、まだ存在した《白い小屋、草を食べている山羊、オリーヴの木立、石を積み上げた家、ブドウの木のある家、松の木やエニシダの群生のある家、青いスーツを着て山羊の見張り番をしている老人たち》、《農夫がコルクガシの肌をむいていた村、たまにマカロニ・ウエスタンの撮影隊がやってきた村》 などは、もう完膚なきまでに開発され尽くしていたのだ(ベージュ色の文章はセローの本より)。
セローは地中海にそって、バスでひたすらアンダルシアの地方都市マラガをめざす。
鉄道はマラガまで行かないとないのである。

スペインの名物といったら闘牛だ。
名物はほかにフラメンコもあるし、こっちのほうがイロ気があっていいけど、セローはそれには触れてないので、わたしもあまり脱線したくない。
このへんでヘミングウェイのことが出てくる。
この偉大とされている米国の作家は、キューバに行って魚釣りをしたり、スペインに来て内戦に鼻を突っ込んだりした。
スペインでは闘牛がおおいに気にいったようで、彼の「日はまた昇る」には闘牛のシーンが描かれているらしい。
らしいというのは、わたしは彼の本を読んだことがないからだ。
本の中身は知らないけど、ヘミングウェイが闘牛を称賛しているなら、いくら自由と博愛をうたってフランコに抵抗したとしても、思想が矛盾しているとしかわたしには思えない。
わたしがヘミングウェイを好きでないのは、彼がきわめて健全な、米国のマッチョマン・スタイルの作家で、とてもいじけた男の気持ちがわかる作家とは思えないからだ。
セローもあまり好きではないらしいけど、彼は短艇をこいだことのある健全な男だから、わたしとはべつの理由があるのだろう。

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そんなことを書いたあとでちょっと気になった。
闘牛っていまでもやっているんだろうか。
セローがスペインに行ったころはまだまだそれは隆盛で、テレビは毎晩のように闘牛の中継をし、新聞には闘牛欄なんてものもあったらしい。
しかし最近は動物愛護協会がうるさいし、2007年以降はテレビの中継もないという。
そのへんを確認するために、ネットを調べてみた。

まだ1年ほどまえに闘牛を見てきた人のブログが見つかった。
ということはいまでもやっているらしい。
ま、闘牛はスペインで国技なみの扱いを受け、サッカーと同じくらいスペイン人のアドレナリンを高めてきたことを思えば、そう簡単には廃止できないってことはわかる。
セローは闘牛には反対の立場で、それでもスペイン人たちの反応が知りたいと、いちおうは闘牛場まで行く。
そして闘牛をけちょんけちょんにけなし、闘牛士がウシに突き殺されてしまえばいいとさえ書く。
どうもこのへんは、クジラを殺すなとか、過剰なまでに環境保護を力説する、身勝手な西洋人の視線のようで気になるけど、わたしは彼の本を読んだおかげもあって、たとえスペインに行く機会があっても、絶対に闘牛見物に行かないことにした。

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HISのスペインツアーを参照してみたら、「とっておきスペインの休日8日間」というのがあって、ミハスという町で闘牛見物がスケジュールに組まれていた。
セローの旅でもマラガに行くまえにミハスに立ち寄るから、わたしも闘牛場をのぞいてみた。
ドローンよりもずっと高い宇宙からながめるのだから、闘牛場はかんたんに見つかった(赤いマークが闘牛場)。
この写真がミハスの闘牛場だけど、そんなものを見る時間があるなら、町を散策する時間を増やすほうがよっぽどマシではないか。
ミハスはギリシャのサントリーニ島のように、白壁の民家が美しい町なのである。

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セローはマラガについては、当時からかなり発展した街で、彼のがまんの限界を超えていたらしく、通りいっぺんのことしか書いてない。
しかし発展しすきて便利すぎるなどと騒がなければ、古い街並みと近代的な市街地が一体となった、なかなか見ごたえのある街のようである。
だからおしまいにマラガの写真を6枚ばかり。
最初の3枚は旧市街地にあるエンカルナシオン大聖堂だけど、新市街のほうは完全にグローバル化されてスペインらしさはまったくなし。
市場の写真はわたしが撮ったものじゃないけど、その場にいれば当然撮ったと思えるもの。

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2020年12月 5日 (土)

かの国に告ぐ

韓国で文在寅サンの支持率が最低だそうだ。
朝鮮日報やマスコミの記事も辛辣になりつつあるけど、どうして最初からそうしなかったのだろう。
韓国にも日本の朝日新聞のように、つねに、徹底的に反体制をつらぬくマスコミが必要だ。
それでこそ国民が左右を読み比べることで、客観的な見方で政権を監視することができる。
ま、そんなことをした日にゃ、大統領の権限が絶大なあの国では、新聞社がいくつあっても足りないけど。

人気が下落でも与党にとってまだ余裕があるのは、たとえ現政権が落ち目になって交代しても、まるっきり反対政権ができないかぎり、刑務所にまで入ることはないからだ。
だから文サンも野党たたきに熱を上げる。
自分たちの人気が落ちたら、似たような政権と交代して、いちおうのみそぎをしたことにする。
これでは本当の政権交代とはいえない。

韓国の国民に告ぐ。
公平と平等を保ちたいなら、総選挙のたびに政権を、まるっきり反対政党に変えるべきだ。
そうすればそれまでの大統領ととりまきは、みんな刑務所かあの世に送られて、定期的に青瓦台の大掃除ができるわけだ。
政治家たちもすこしはえりを正して政治をしようって気になるのではないか。

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2020年12月 4日 (金)

ハイキング

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今日はハイキングに行ってきて、腰がイタイ。
たいした山でもないけど、わたしにはいわくつきの山。
もしかすると祟りで骨折か、そうでなくても捻挫ぐらいするんじゃないかと思ったけど、まあまあ無事。
わたしの強運のほうが、彼の念力より強かったようだ。

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2020年12月 3日 (木)

地中海/ジブラルタル

ポール・セローの「大地中海旅行」はジブラルタルからスタートする。
芭蕉に同行した曽良のように、わたしも彼にくっついて行こう。

ジブラルタルは小さい国だという。
小さいというのはどのくらい小さいのか。
文章でこう書かれても、たとえばポルトガルだって小さい国だし、香港やマルタ島も小さかったから、部外者には見当がつけにくい。
タブレットで調べてみた。
なんと6.8平方キロだそうだ。
わたしが住んでいる東久留米市だって12平方キロあるから、その半分だ。

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地図を見てみよう。
縦にほそ長い国だけど、長いほうのはじからはじまでが5キロぐらいだ。
そしてまん中にどかんと岩山がそびえている。
海の上からながめるとこんな感じ。

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写真をもっと見てみよう。
これがジブラルタルの全景であり、岩山のすぐ近くに飛行場の滑走路がある。
滑走路のてまえはもう、すぐにスペインとの国境だ。
空港は、セローが紀行記を書いた時点ではまだなかった。
扱った輸送量のグラフに2008年以前のものがないから、空港がオープンしたのはそのころらしい。
ちなみにこの空港はヨーロッパでいちばん危険な空港といわれているという。

英国の海外領土であるジブラルタルは、将来はスペインに返還されることになっているそうである。
こういう点では香港に似ているけど、ただし2020年現在まだ返還されたって話はないみたい。
スペインは独裁者のフランコに統治された期間が長かったから、セローにいわせると、ジブラルタルも香港も独裁国家の下にあったということになる。
そのためかどうか、香港人と同じように、ジブラルタル人は変な誇りのようなものを持っていて、スペインを馬鹿にし、できることならいつまでも英連邦のままであってほしいと望んでいるらしい。
かっての香港も、ちょっと離れたまわりの中国の町や村とは別世界だった。
ジブラルタルも、セローがこのあと訪ねるスペインやイタリアの寒村とはあきらかに違っているから、ちょいと出世すると他人と差をつけたがる人間の習性は変わってないようだ。

香港の場合は最初から返還期限が決まっていて、約束どおりに99年後に中国に返還された。
中国はじっと我慢して、正式の手続きのもとに返してもらったわけだけど、ジブラルタルの場合は、どうも返還期限が曖昧だったようで、いまでもスペインは返せ返せというのに、英国はまあまああでごまかしているらしい。

このへんの事情を知ろうと、セローはジブラルタルの前首席閣僚であるエライさんを呼び出す。
呼び出すというとイバっているように聞こえるけど、じっさいに世界的作家であるポール・セローのほうが、ジブラルタルごときの首席より偉そうである。

前首席閣僚との会話のなかに「ユトレヒト条約」という言葉が出てきた。
日本人のわたしは、とうぜん知らなかった。
なんだっけ? マーストリヒト条約ってのもあったけど。
またタブレットで調べてみた。
マーストリヒト条約のほうはいまのEUにつながるもので、発効したのが1993年というからまだ最近だけど、ユトレヒトのほうは300年もまえの条約で、スペインの奴隷売買に英国も加わらせろとかいうものらしい。
どうもろくなものではないようだけど、こんな古びた条約がいまでも存続していることにおどろく。

『そばに丘のある町ではたいていそうだが、ジブラルタルも上に行くほど家の造りが豪華になり、ケーブルカーでのぼっていくと、プールや温泉風呂、泡風呂をそなえた贅沢な家のそばを通りすぎた』
これはセローの本からの抜粋だけど、なんだか香港のビクトリア・パークに登っていくケーブルカーの描写みたいである。

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具体的にジブラルタルの景色を見てみよう。
これはグーグルのストリートビューで見たジブラルタルだ。
町のまん中に、ヘラクレスの柱と称される岩山がそびえていて、これは威圧的に町のどこからでも見える。

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左側の建物は空港の附属施設らしい。

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つぎの写真はジブラルタルでいちばんひらけた場所あたりだけど、いちばんでこの程度というのがカナシイ。

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これはジブラルタルのレンタカーで、半島の南端をまわりこんだあたりから見た岩山。

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岩山の上まで道路が通じており、最初は登っていく途中の景色で、路傍にサルがいるのが見える。
つぎは山頂の展望台で、歩いていくとだいぶくたびれるけど、景色はこんな感じ。

ジブラルタルはヨーロッパからアフリカが見えるという地理上の特異点があるだけで、観光客にはつまらないところである。
産業のないところだからめぼしい土産ものもないし、夜遊びに行くような歓楽街もなく、英国の領地にあまんじているということは、おいしいレストランもないに決まっている。
セローの本には、これからジブラルタルで中国料理のレストランを開くというウォンさんが出てくるけど、この店がいまでもあったとしても、まわりに競合するようなレストランのないところでは、味はどんどん下落するものだ。
セローのあとにくっついていくわたしにも、カリマンタン(ボルネオ)のバンジェルマシンや、タイのチェンマイのほうがよっぽどマシなところである。

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ジブラルタルの岩山にはニホンザルによく似たバーバリーマカクというサルがいる。
サルなんてみんな似てるだろうというのは認識不足で、ニホンザルに似たサルというのは世界的に見てもけっして多くない。

このサルについては、以前NHKの「ワイルドライフ」という番組で取り上げられていて、変わった習性をもつと解説があった。
なにが変わっているかというと、グループで生活する動物というのは、ふつういちばん強いオスがメスを独占することが多いのに、このサルは例外的に平和を維持する方法をこころえているのだそうだ。
その方法というのがフリーセックスで、メスはどんなオスでも受け入れる平等の精神をもっているという。
これはわたしのブログの格好のネタだというわけで、わたしは2017年の3月に、このサルについて書いたことがある。

セローはこのサルと人間を見比べて、サルのほうがマナーがいいなと、冒頭から人間たちに皮肉をちくりちくり。
彼のこういう性向は、世間の常識にいちゃもんばかりつけているわたしとよく似ているから、わたしがこの本をおもしろがるのも不思議じゃない。

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2020年12月 2日 (水)

グローバル化

香港の自由の女神周庭ちゃんが禁錮10ヶ月だそうだ。
ケシカランというべきか、あの中国にしちゃあ穏やかなというべきか。
それもこれも日本を始めとした国際社会の監視のせいだ。
グローバル社会であることを世界に認めてもらいたい中国としては、あまり非常識な判決は出せないもので。
これからも周庭ちゃんが、収容所で拷問を受けたり、ロボトミー化されないように、禁錮明けまで国際社会は監視を続ける必要がある。

中国に比べれば非常識なのが、おとなりの韓国だ。
ドイツにまで慰安婦像を立てて、市長さんが撤去するといえば、裁判に訴えるとゴネる。
裁判に訴えるといわれれば、やはりグローバル化されたドイツとしては、その結果を見守るしかない。
日本としてもドイツがはたして、よその国にまで慰安婦像を立てるのを容認するかどうか、裁判の結果を待つしかない。

わたしの考えでは、裁判の結果は韓国にとって、おもしろくないものになると思うんだけどね。
でも先は長いか。
とうぶん韓国にとって、気持ちイイ状態が続くんだろうなあ。
あの国にとってはいやがらせにすぎないし、ダメになったらまたつぎの手を考えればいいものだし、グローバルな考えより国民総出の気持ちイイが優先するあの国は、もうそれだけが生きがいなんだから。

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2020年12月 1日 (火)

お気楽

ああ、今日は特別に書くこともないね。
トランプさんもあきらめちゃったようだし、韓国もどうやら国内問題だけで手いっぱいみたいだし、朝日新聞もまたおかしなことをいって、よそのいちゃもん居士から文句を言われていたし、わたしがなにかいうべき案件がないよ。
今夜も湯豆腐でひとり酒。

昼間、団地のまわりで植木屋さんが枯れ枝の剪定をしていたな。
夏になると定期的に雑草も刈ってくれるし、もうちっと果たすべき義務もあるかと思っていたけど、団地住まいってはけっこう気楽なのね。
市民税も自治会費もムダじゃなかったか。

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