地中海/闘牛
ジブラルタルから国境を越えて、セローはスペインに行く。
地続きだし、紛争をかかえていたわけでもないから、徒歩で30分歩くだけでもうスペインだ。
スペイン南端のこの地方はアンダルシアと呼ばれる。
とりあえず海岸ぞいに、鉄道がないから、彼は路線バスで移動することにした。
彼の旅のスタイルは、無理に金はかけない、しかし徹底的な貧乏旅行もしないというやつで、わたしの旅によく似ている。
わたしの場合は、かけたくても先立つものがないというのが大違いだけど。
バスの車窓からながめると、へんぴな寒村ばかりの土地に不動産屋が入って、あちらこちらで観光開発をしており、田舎景色を愛するセローを残念がらせる。
ただ、彼が旅をしていたころでさえ、すでにバブルがはじけた気配があったというから、その後この開発がどうなったかわからない。
わからないときは調べようというのがこのブログだから、またグーグルマップやストリートビューをのぞいてみた。
まず国境を越えてほどなくの、マルベーリャという町のあたりを調べてみた。
グーグルマップでこの町を上空からながめると、町のはずれを東西に高速道路がはしっている。
高速道路の山側はこんな感じで、海側は1キロほど行くと海岸である。
セローはこの高速道路についてなにも書いてないけど、たぶん当時はまだそんなものはなかったのだろう。
彼がこの紀行記を書いたのは1993年ごろだから、それから30年ちかい歳月が流れており、新しい高速道路ができるには十分な時間があった。
わたしが西暦2000年に、シルクロードの武威から蘭州までバスで走ったときは、まだ一般道路をよたよた行ったのに、5年後に同じ区間を走ったときはもう高速道路ができていた。
できたのは高速道路だけじゃない。
衛星写真でながめると、おどろいたのはスペインの海岸にはプールつきの家がものすごく多いこと。
スペイン人がみんなそんな豪邸に住めるとは思えないから、これはペンションや貸し別荘なのだろう。
どうやらセローが移動したあとも観光開発は続けられ、現在はこの地方の海岸は、ハワイやバリ島のような一大リゾートになっているようだ。
観光客はヨーロッパ中から集まってくるけど、いくらなんでもプールが多すぎるような気もする。
どうやら絶好の投資先ということで、アラブの石油資本が流れ込んでいるらしい。
セローはこの景色を見て、新しい植民地じゃないかという。
ただし、ヨーロッパ人が目の色を変えて世界中を漁っていたころとは攻守が変わって、かっての植民される側がヨーロッパを侵食しているわけだ。
残念ながら地中海に面したアンダルシアの海岸は、どこまで行ってもプール、プールである。
セローが旅をしたころ、まだ存在した《白い小屋、草を食べている山羊、オリーヴの木立、石を積み上げた家、ブドウの木のある家、松の木やエニシダの群生のある家、青いスーツを着て山羊の見張り番をしている老人たち》、《農夫がコルクガシの肌をむいていた村、たまにマカロニ・ウエスタンの撮影隊がやってきた村》 などは、もう完膚なきまでに開発され尽くしていたのだ(ベージュ色の文章はセローの本より)。
セローは地中海にそって、バスでひたすらアンダルシアの地方都市マラガをめざす。
鉄道はマラガまで行かないとないのである。
スペインの名物といったら闘牛だ。
名物はほかにフラメンコもあるし、こっちのほうがイロ気があっていいけど、セローはそれには触れてないので、わたしもあまり脱線したくない。
このへんでヘミングウェイのことが出てくる。
この偉大とされている米国の作家は、キューバに行って魚釣りをしたり、スペインに来て内戦に鼻を突っ込んだりした。
スペインでは闘牛がおおいに気にいったようで、彼の「日はまた昇る」には闘牛のシーンが描かれているらしい。
らしいというのは、わたしは彼の本を読んだことがないからだ。
本の中身は知らないけど、ヘミングウェイが闘牛を称賛しているなら、いくら自由と博愛をうたってフランコに抵抗したとしても、思想が矛盾しているとしかわたしには思えない。
わたしがヘミングウェイを好きでないのは、彼がきわめて健全な、米国のマッチョマン・スタイルの作家で、とてもいじけた男の気持ちがわかる作家とは思えないからだ。
セローもあまり好きではないらしいけど、彼は短艇をこいだことのある健全な男だから、わたしとはべつの理由があるのだろう。
そんなことを書いたあとでちょっと気になった。
闘牛っていまでもやっているんだろうか。
セローがスペインに行ったころはまだまだそれは隆盛で、テレビは毎晩のように闘牛の中継をし、新聞には闘牛欄なんてものもあったらしい。
しかし最近は動物愛護協会がうるさいし、2007年以降はテレビの中継もないという。
そのへんを確認するために、ネットを調べてみた。
まだ1年ほどまえに闘牛を見てきた人のブログが見つかった。
ということはいまでもやっているらしい。
ま、闘牛はスペインで国技なみの扱いを受け、サッカーと同じくらいスペイン人のアドレナリンを高めてきたことを思えば、そう簡単には廃止できないってことはわかる。
セローは闘牛には反対の立場で、それでもスペイン人たちの反応が知りたいと、いちおうは闘牛場まで行く。
そして闘牛をけちょんけちょんにけなし、闘牛士がウシに突き殺されてしまえばいいとさえ書く。
どうもこのへんは、クジラを殺すなとか、過剰なまでに環境保護を力説する、身勝手な西洋人の視線のようで気になるけど、わたしは彼の本を読んだおかげもあって、たとえスペインに行く機会があっても、絶対に闘牛見物に行かないことにした。
HISのスペインツアーを参照してみたら、「とっておきスペインの休日8日間」というのがあって、ミハスという町で闘牛見物がスケジュールに組まれていた。
セローの旅でもマラガに行くまえにミハスに立ち寄るから、わたしも闘牛場をのぞいてみた。
ドローンよりもずっと高い宇宙からながめるのだから、闘牛場はかんたんに見つかった(赤いマークが闘牛場)。
この写真がミハスの闘牛場だけど、そんなものを見る時間があるなら、町を散策する時間を増やすほうがよっぽどマシではないか。
ミハスはギリシャのサントリーニ島のように、白壁の民家が美しい町なのである。
セローはマラガについては、当時からかなり発展した街で、彼のがまんの限界を超えていたらしく、通りいっぺんのことしか書いてない。
しかし発展しすきて便利すぎるなどと騒がなければ、古い街並みと近代的な市街地が一体となった、なかなか見ごたえのある街のようである。
だからおしまいにマラガの写真を6枚ばかり。
最初の3枚は旧市街地にあるエンカルナシオン大聖堂だけど、新市街のほうは完全にグローバル化されてスペインらしさはまったくなし。
市場の写真はわたしが撮ったものじゃないけど、その場にいれば当然撮ったと思えるもの。
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