地中海/コルシカ島B
自転車で思い切りコルシカの自然を満喫したセローは、ふたたび列車で、島の西海岸にある都市アジャクシオにやってきた。
ここはコルシカ最大の都市だというけど、駅のまわりは殺風景で、ストリートビューで見てもどれが駅舎かわからない。
コルシカ当局はもっと列車を利用してほしいのに、ここでは鉄道はあまり人気がないようで、のんびりもの想いに耽りながらの旅を愛するわたしはもったいないと思う。
アジャクシオでセローは「ナポレオン」というホテルに泊まった。
彼の泊まったホテルがいまでもあるかどうか不安だったけど、ストリートビューで探してみたら、わたしがトルコのイスタンブールで泊まった「イギタルプ」と同じような感じのホテルだった。
世界的な作家にしてはしょぼいホテルだけど、彼のこの旅は贅沢をするものではないし、彼自身が “豪華なホテルではないが、まあ上等なほうだった” と書いているから、間違いないだろう。
部屋の明かりが消えてしまったので、セローが懐中電灯を持ち出して支配人に苦情をいいにいくと、彼は作家のセローさんですよねと話しかけ、土地のことを説明するのにギリシャ神話を持ち出すという、なかなか気の利いた応対をした。
しかしまあ、つまらない街だった。
港には大きなフェリーが停まっているし、艇泊中のヨットをみれば夏はいちおうリゾートの役割を果たしているようだけど、セローが行ったのは冬だったから、目の保養になる水着美人が歩いているわけでもなかった。
わたしのほうはストリートビューで港をうろうろしているうちに、どこかのレストランに引っ張り込まれてしまった。
そこまでやるかとグーグルに悪態をつきながら、街の郊外まで足をのばしてみると、岬の先端のほうに古い城壁のようなものがあり、湾の反対側には打ち捨てられた難破船があって、これは東北大震災のとき石巻で見た景色に似ていた。
アジャクシオでセローは、“コルシカについて英語で書かれた最高の本である『花崗岩の島』”の著者ドロシー・キャリントンにインタビューを申し込む。
この写真が彼女だけど、きれいな人だ。
といって、みだらなことを想像してはいけない。
セローと会ったとき彼女は、椎間板をわずらったことのある80代のおばあさんだった。
彼らはアジャクシオの南にある5つ星ホテルのレストランで食事をする。
なんというホテルだろうと、また余計なことを調べてみたけど、4つ星ホテルはあったけど、星の数が該当するホテルは見つからなかった。
彼女はなんの因果でか、コルシカにいすわった英国貴族の末裔で、セローに会うなり、最初になにを聞きたいのという。
こういう相手だとインタビューするほうも楽だ。
セローは彼女の生い立ちや、たどってきた人生について聞く。
もの書き同士の会話だから、さぞかし含蓄に富んだ、内容の濃いものかと期待すると、ちょっと肩すかし。
権威というもののきらいなセローにとって、貴族上がりというのはそれだけで、すなおな賛辞には値しないものかもしれない。
彼女へのインタビューは、親に反発して結婚し、南アフリカに渡り、離婚して英国にもどり、ホモの芸術家と再婚し、ピカソや多くの芸術家と交わり、共産主義者になり、それと決別してコルシカにいすわるという、波乱の人生をおくった知性が、かならずしも深遠な思想を生み出すわけではないということの証明だったようだ。
キャリントンさんの2番目の旦那で、ホモだったフランシス・ローズ卿の絵を載せておく。
ピカソやクレーを思わせる前衛的な絵だけど、セローは彼の絵について、好きになれないとにべもない。
研究のためにいちおう彼女の本も読んでみようと、図書館に当たってみたものの、東村山の図書館には置いてなく、清瀬にもなく、ヤケになって古巣の武蔵野市にも当たってみたけど、ない。
そんならヤフーのオークションに出品されてないかと思ったら、そこにもなかった。
こうなると彼女の本は日本では翻訳されてないのかもしれない。
ここで僭越ながら、作家になりたい人に必要な能力をあげておこう。
それは記憶力である。
旅先で出会った他人との会話をそっくり記述するだけで、おもしろいドキュメントになる場合もあるのだ。
ポール・セローという人は記憶力が抜群らしい。
キャリントンさんとの会話はコルシカのハイライトといっていいくらい分量が多い。
それはいいけど、わたしならとても内容を全部は覚えていられない。
どうもわたしは特別に記憶力がよわいみたいで、中国旅行に何度も行っていたころ、他人との会話などを記録するのに苦労した。
乱筆のせいで文字を書くのはキライだから、メモをとるのはめんどくさい。
そのためにわざわざIC録音機や、ミニノート・パソコンなどを用意したものの、肝心なのはさりげない会話だから、そんなものを持ち出すのも気がひける。
つくづくニワトリなみの記憶力を残念に思ったものだ。
もしもあなたがマージャンをする人なら、座卓をかこむ連中の雑談をそっくり録音しておきなさい。
ああいう連中の話ぐらいおもしろくて、人生訓に富んだものはないのだから、それを文章に起こすだけで、あなたも芥川賞がもらえること確実だ。
セローはキャリントンさんと別れたあと、古代の遺跡のあるフィリトーサへ行くことにする。
ここはギリシャ時代よりもさらにまえの文明の痕跡が残っていて、学問的に貴重なところらしいけど、あいにくわたしはマルタ島に行ったときも、遺跡より市場を見物するほうを優先させた男である。
しぶしぶセローにつきあってこの石の村まで出かけてみた、もちろんストリートビューで。
散策するだけなら気持ちのよい草原だったけど、すでに風化した、日本の苔むした石垣や、道祖神みたいな大岩がごろごろしているだけだった。
考古学に無関心なわたしは、セローの文章のなかに出てきたアスフォルデという草原の花のほうが気になった。
どんな花だっけ?
さっそくググッてみた。
ツルボランという別名があるらしいから、ああ、これかとすぐ思い出したのは、以前にわが家の近所でも見かけて、さっそくググッてみて、ルツボという花だってよと知り合いに教えてやったら、ルツボじゃなくてツルボでしょと訂正された花だったからだ。
ということで、ツルボの写真だけは、以前の住まいの近所でわたしが撮ったもの。
わが家の近くに咲いていたのはピンクだったけど、セローが見たものは白だったという。
草原の遺跡のあとは奇勝で知られたコルシカ島南端のボニファシオに行くけど、このころにはセローもくたびれちゃったのか、いささか投げやり。
ボニファシオは、ギリシャ神話の「オデッセウス」の物語で、巨人が大岩を投げつけたところだそうだ。
ホントかよというのはわたしのわるいクセである。
これが事実なら、オデッセウスはトルコにあるトロイの戦場から、自分の故国のイタケーへもどるとちゅう、ギリシャを飛び越え、イタリアを飛び越え、コルシカの南岸まで流れ着いたってことになる。
でも、じつはそういうことがあってもおかしくないのだ。
おおむかしの地中海は、その全域がギリシャ人やフェニキア人の庭みたいなもので、ヘラクレスだってジブラルタルまで行っている(ポール・セローの「大地中海旅行」の原題は「ヘラクレスの柱」で、これはギリシャ神話にちなんでいる)。
ここは疑わずにポニファシオの海岸にある奇勝や、白亜の絶壁で知られる「アラゴン王の階段」でもながめよう。
絶壁のとちゅうには遊歩道があり、まかりまちがって落ちても、細長い岬の上にはきれいな墓地があるから、あの世への近道だ。
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