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2020年12月22日 (火)

地中海/サルデーニャ

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セローは大金を持って旅行をしているわけではない。
コルシカからサルディーニャ島にやってきた彼が、最初に上陸したサンタ・テレサでは、ここはもうイタリアだから、フランしか持ってなかったセローはバスにも乗れなかった。
米国人だから1993年ごろでもカードを持っていたはずだけど、どうもコルシカやサルディーニャの田舎では、それが使えたという確証がない。
しかし彼は世界的な作家で、その本は多くの国で翻訳され、出版されている。
だからお金に困ったら、ちょいとその国の出版社や銀行に顔を出して、オレの印税を5万円ばかりおろしてくれる?という手があるわけだ。
じっさいに彼は「大地中海旅行」よりもまえに出版された「中国鉄道大旅行」で、ワルシャワに寄ったとき、冷戦のあおりで引き出せないでいた印税を引き出していた。
こうなると世界中の銀行に預金があるみたいなものだから、どこに行っても困らない。
もっとも東欧の国々では、現金の国外持ち出しが禁止されていたから、その国にいるあいだに使い切ってしまわなければならず、だいぶムチャな大判ぶるまいをしたようだ。

現金を持ち歩かないのは、地中海地方の田舎では、まだ山賊などに出くわさないともかぎらないからである。
この本のなかにも書いてあるけど、サルディーニャにはすこしまえまで、金を持った外国人が誘拐されて身代金を要求される、誘拐ビジネスというものが流行っていたそうだ。
その後イラクやソマリアでもお馴染みになったビジネスで、日本も大枚を払って人質を取り返したのではないかと噂された事件があった。
セローの旅が沿岸部にかぎられるというのも、どちらかといえば山奥よりも海岸地方のほうが治安はいいものだから、安全を優先させたのかもしれない。
コワイ国だねえ、ここはとセローがいうと、バスの運転手は、アメリカのほうがよっぽどコワイよと返事する。
作家はぐうの音も出ない。

地図を見れはわかるように、サルディーニャはコルシカの3倍くらいある島である。
このふたつの島は10キロちょいしか離れていない。
これは東京湾アクアラインとそれほど変わらない距離だけど、それでもコルシカはフランス領、サルディーニャはイタリア領である。

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これがフェリーの到着するサンタ・テレサの港だ。
細長い入り江の奥にあって、まわりの景色はおだやかで、冬でも天気が良ければ釣りぐらいには好適な場所だ。
桟橋から町の中心までかなりの距離を歩いたというけど、ストリートビューで見るかぎりせいぜい6、700メートルくらいしかなかった。

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町の中心部は西部劇のセットみたいで、あっさりしているけど空が広くて気持ちがよい。
セローは到着してそのままバスでべつの町に移動をするつもりだったのに、前記したようにフランしか持ってなかったので、やむを得ずこの町に一泊することにする。
夕食をとろうとしたら、ここはイノシシ肉が名物だと教えてくれる人がいた。
彼は肉はむやみに食べないが、魚は食べるという嫌肉主義者で、そういう点はわたしに似ている。
この町はベジタリアンにはいい町だそうだ。
日本のように農業まで先進国化されると、野菜はたいていまずくなるから、このへんはまだ素朴な有機農業が行われているのだろう。

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セローがメシを食ってるあいだ、わたしはほかに行くところもないからビーチに行ってみた。
冬なので浜辺に水着なんかいるわけがなかったけど、ストリートビューは夏に撮影したものだった。

翌日、セローはサンタ・テレサから、島の東部にある港街オルビアへ移動する。
オルビアには立派なフェリー埠頭があるのに、イタリヤ行きのフェリーが出るのは15キロほど離れたアランチという町だそうだ。
彼は列車でその町へ行くけど、そこからフェリーに乗るつもりはなかった。
わたしにも経験があるけど、こんなふうに旅人が、行かなくてもいいところに行くとき、見なくてもいい景色を見るとき、ネタにならないことを書くときは、たいていどうしょうもなくヒマなときなのだ。

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ふたたびオルビアにもどり、街をぶらぶらする。
やみくもに歩いてもつまらないので、わたしは衛星写真で上空から街をながめてみた。
すると街が東西ではっきりわかるくらい、白と褐色に色分けされているではないか。
褐色は古くからある市街地だろうけど、白はいったいなんなのか。
ストリートビューで確認してみたら、白い部分はまだ造成中の工場地帯のようで、散策しようって気にもなれないところだった。

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褐色の旧市街地におもしろそうなものはないかとうろうろしてみたら、古い(かもしれない)寺院が見つかった。
聖シンプリチョ教会といって、見た目は地味で貧乏ったらしい寺院だけど、わたしはけばけばしいものよりこういうのが好きだねえ。

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ほかに金物店や人材センター、携帯電話ショップまじって、駅の近くに「KyooSushi」と「Yume」という、ふたつの寿司レストランがあるのを見つけた。
日本レストランがどこにでもあるのは昨今の和食ブームのせいで、セローが旅をしたころはなかっただろう。
「Yume」はテイクアウトもできるらしいけど、これはコロナのせいかしら。

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オルビアから列車でキリヴァニへ(ストリートビューには車での写真しかなかった)。
まじめに観光をしようという人には、ここがサルディーニャ島でいちばん興味のあるところかもしれない。
ここには「ヌラーゲ」という、クラゲなすただよえる(ような)名前の遺跡がある。
遺跡の住人は、かってローマ人からバーバリアン(野蛮人)と呼ばれて、その不屈の反抗精神から、あるていどの畏敬を勝ち得た民族だという。
これもまたコルシカの遺跡のように、ギリシャ神話以前からあったもので、これを見のがしたらサルディーニャに書くものはなにもないから、セローはもちろん見学に行く。
わたしも写真をぞろぞろ並べる。

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おおむかしの村落対抗ていどの争いの時代には、なかなか有効な城塞だったようである。
岩の遺跡に興味のないわたしだけど、ストリートビューが岩室のなかまで案内してくれるのに感心した。

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つぎに移動したオリスターノの町は、駅の東側の郊外に出ると、夏の北海道を思わせる広大な農地がひろがっていた。
セローはこのあたりは農業に適さない土地だと書いているけど、ストリートビューで見るだけでも、耕作地や牧草地、果樹園のわきにキョウチクトウやサボテンが植えられていて、けっして貧しい土地には見えない。
刈り入れのすんだ麦畑の向こうに高速道路が走っていた。

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この街の観光ポイントは「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂」だ。
でっかい塔が建っている割には外観は地味だから、サルディーニャにはサンクトペテルブルクやイスタンブールや、日本の善光寺とは異なる建築ポリシーがあるのかもしれない。
ほかにはとくに観光の目玉もないようである。
わたしはセローをおいて海岸に行ってみたけど、このあたりはヨシの茂る干拓地のような景色が多かった。

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もうヤケになって衛星写真をにらんだら、駅の近くに自動車学校、エステテックサロン、健康食品専門店やペット用品店にまじって「SUSHI MISS」という寿司屋があった。
経営しているのは中国人か韓国人かもしれないし、ストリートビューで発見したものだから、ヌラーゲとちがっていつまであるかわからない。

サルデーニァはそれなり大きな島だから、ほかに探せばこのページのトップにかかげたような景勝地があるかもしれない。
しかし、わたしの旅はセローの旅から大きくはみだすわけにいかないのだ。
あまりネタのない島なので、困惑した作家は移民に出会ったことなどを書いているけど、けっして今日の肥大化した移民問題を掘り下げようってことでもないようだし、けっきょく彼を途方にくれさせるしかない島だった。
このあとセローはカリアリという街から、フェリーに乗ってシチリアへ移動する。
そっちのほうがおもしろそうである。
少なくても映画の舞台としては、サルディーニャよりシチリアのほうがひんぱんに出てくるのだ。

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