地中海/ニース
マルセイユから、ポール・セローはリヴィエラまでやってきた。
リヴィエラという地名はファッション誌などの影響で日本でも知られているけど、じつはこれは都市の名前ではなく、トゥーロンからニース、カンヌ、モンテカルロあたりまで、およそ160キロの海岸線をさす言葉だそうだ。
なんとなくはなやかで、世界中のお金持ち、賭博師、水着の美女などが、年がら年じゅうお祭り騒ぎをしているところというイメージである。
しかしセローが旅をしたのは冬だから、ホテルはどこでも泊まれたけど、水着の美女はいない。
ぶっちゃけた話、ニースは汚ない街である。
え、あこがれのニースが、と驚いた人がいるかもしれないけど、これはセローの本にそう書いてあるのだから仕方がない。
原因は犬のウンチだそうだ。
カンヌやニースというと、とりすましたセレブたちが、高そうな犬を連れて散歩している街と思えてしまうけど、日本のように飼い犬がそそうした場合の始末をする人は少ないらしい。
セローは駅へ行くのに、ウンチを踏んづけないよう爪先立ちで歩いたとある。
わたしのテレビ番組コレクションのうちの「世界ふれあい街歩き」にニースの回もあったから、ほんとうにそんなに汚い街なのか、じっくり検証してみた。
ストリートビューも路面をよく観察した。
犬のウンチを探すために、こういう映像や写真を凝視する人ってのもめずらしいかも。
ニースの名誉のためにいっておくけど、じっさいにはそれほどひどくはなかった。
セローの旅のあとで行政が効果的な掃除方法を考えたか、きらびやかな都会というものに反撥を感じるセローがオーバーに書いたのか。
ストリートビューというと陸上の景色だけと思っている人がいるかもしれない。
しかしこれを見ればわかるとおり、海のうえから見た景色もちゃんとながめられるのである。
ニースには「プロムナード・デザングレ」という、海岸にそった遊歩道がある。
ストリートビューで見ると、きれいで、ハワイかマルタ島みたいなところだけど、極東アジアから来た不健全なじいさんにはあまりふさわしくない。
この海岸の一方のとっつきをながめると、樹木の茂ったちょっとした小山が見える。
ああいうところからの眺めはきっといいに違いないし、たいてい展望台があるものだ。
そこまでぶらぶらと行ってみた。
ここに並べた2枚のうちの下の写真が展望台からの景色で、ニースの海岸の全景が写っている写真はぜんぶここから撮られたといって過言ではない。
カンヌ、ニースの風景写真はネット上にいくらでも見つかるけど、たいていは世界中からやってきた田舎者がうれしがって撮った写真に決まっているから、わたしはストリートビューであまり人が行かないような裏通りを重点的にのぞいてみた。
ここに載せた画像がそうだけど、建物が密集しているようなところは旧市街である場合が多く、わたしがニースに行くことがあったら、海岸よりそういうところを見て歩くことはまちがいない。
街のなかに観光ポイントになるような古い寺院がないかと探してみた。
「ニース・ノートルダム寺院」と「サン・ニコラ・ロシア正教会」という寺院があったけど、ノートルダムのほうはまだ新しそうだし、サン・ニコラのほうも御利益が生じるほど古い寺院には見えない。
美術館もあるけど、「マティス美術館」、「シャガール美術館」、「近代現代美術館」などが、冬はみん休業中だった。
リゾートの真実は冬の閑散期にこそわかるという、セローの信念に付き合わされるほうも大変だ。
さらに山の手ものぞいてみた
散策するにはにぎやかな海岸よりよっぽどいいところで、閑静な住宅街である。
ニースでセローはクラシック・コンサートに行こうとする。
ところが予約してなかったからチケットがない。
がっかりしているとミンクのコートを着た女性が、うちの旦那が用事で来られなくなったので、券を買ってくれないかと持ちかけてきた。
そうか、そういうこともあるのか。
わたしもサンクトペテルブルクに行ったとき、バレエを観に行こうとして、日本で予約していかなかったものだから、チケットが買えずあきらめたことがある。
そういうときはとりあえず劇場まで行って、もの欲しそうな顔をしてたたずんでいればよかったのだ。
うまくいけばセローのように、どこかの貴婦人とお近づきになれたかもしれない。
ニースを出るとセローの文章はにわかにロマンチックなものになる。
『岩壁のなかにそっと置かれた小さな宝石、ヴィルフランシュ・シュメール・メール。その美しい湾の向こうにサン・ジャン・カプ・フェラが見えた』
これはサムセット・モームのことを持ち出すための布石かもしれない。
サン・ジャン・カプ・フェラというのはニースの近くに張り出した岬で、このあたりにはモームが買った家があり、その家というのは、『この司祭の館だったヴィラ・モーレスク(名前はモロッコの室内装飾に由来する)』だそうである。
この部分を読んでむかし読んだなつかしい本の一節がよみがえってきた。
新潮文庫のモームの本は変わった文様が印刷された緑色のカバーで統一してあるけど、この文様についてはモーム自身が「要約すると=The Summing Up」のなかで説明している。
父はシュレーヌの丘の上に土地を買った。
平野を見晴らす眺望はすばらしく、はるかにパリを望見できた。
わたしはよく父親に連れられて、家の工事の模様を見に行ったものであった。
屋根がふかれると父はたくさんのガラスを注文し、それにモロッコで見てきた悪魔払いの呪いを彫りつけた。
そして家が完成すると、父は死んだ。
この窓ガラスの悪魔払いの呪いというのがこの文様である。
セローがモームの名前を出すとき、セローにしてはめずらしく揶揄する調子はみられないから、彼もモームを敬愛していたのだろう。
彼はわざわざモームの家を見にいこうとするけど、残念ながらいまではホテルになってしまっていると聞いて断念する。
家はともかく、そのモームが晩年を過ごした土地がどんなところだったのか、わたしもとくに興味があるので、またストリートビューでのぞいてみた。
半島全体が横浜の山の手みたいな、高級そうな住宅地になっていた。
リヴィエラのはなやかな都市の最後が、モナコ公国のモンテカルロだ。
この街については、年にいちどのF1レースやラリーが開催されることで知られており、最近ではF1カーがカメラを積み込んで、レースのたびに街の実況中継をしてくれる。
ここではモナコのコースでいちばんきつい、フェアモント・ヘアピンカーヴを、ストリートビューでながめてみよう。
レースのない日はこんな感じ。
モナコはちっぽけな国だけどいちおう独立国で、レーニエ大公と米国女優のグレース・ケリーの恋物語で有名だ(わたしも古いねえ)。
日本の天皇に苗字はないけど、モナコの国王にはある。
グリマルディというのだそうだ。
権威や虚飾のきらいな米国人であるセローの書きようはかなりきつい。
レーニエ大公には、グレース・ケリーとのあいだに一男二女がいた。
長女のカロリーヌはハリウッド女優顔負けの美人だったけれど、手のつけられない奔放な娘で、おっぱい丸出しでヨットに乗ったりして、パパラッチたちのいい追っかけ目標になっていた。
ふつうこういう姉貴や兄貴がいると、弟や妹はまじめな場合が多いけど、この家では弟も妹も姉貴に負けてたまるかと奔放だった。
そんな放蕩息子だったアルベールも頭の禿げたいいおじさんになって、最近は道楽はやめたらしい。
危険をおかして海をわたる貧しい難民の子もいれば、セレブ中のセレブという、これ以上ない幸運の星のもとに生まれた子供もいる。
これが地中海というものである。
と、わたしもセローと同じような結論を書いて、この項終わり。
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