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2020年12月26日 (土)

地中海/シチリアA

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シチリアといったら何を思い浮かべる?
わたしならマフィアだね。
地中海の沿岸をめぐるポール・セローの旅は、サルディーニャからシチリアにたどり着いた。
わたしの知識というのは映画によるところが大きいんだけど、シチリアを舞台にした映画は、すぐにいくつか思い当たる。
わたしの大嫌いな「ゴッドファーザー」も、ドン・コルレオーネの出身地はシチリアだった。
ああいう人心をまどわす映画よりも、たとえば「シシリーの黒い霧」、「誘惑されて棄てられて」、ヴィスコンティの「山猫」などという映画のほうが、シチリアを知るためにはいいんじゃないか。
シシリーというのはシチリアの英語名で、この3本の映画はすべてシチリアが舞台になっており、さいわいなことに3本ともわたしの部屋の映画コレクションにある。
ただし、ひとつはシリアスな社会派映画、もう1本はペーソスを秘めた喜劇、もう1本は歴史大作という、タイプがまったく異なる映画だから、共通するものを発見するのはむずかしいかもしれない。
いずれにしても3本も映画を観るのは時間がかかるので、結論はあとにして、シチリアの旅を続けることにしよう。

シチリアは長靴のかたちをしたイタリア半島のつまさきにある三角形の島で、大きさは日本の四国より大きく、九州より小さい。
シチリア最大の都市が、セローが上陸したパレルモだ。
さっそくストリートビューで、どんな街なのか確認してみた。

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最初はフェリーが入港するときのパレルモ港だ。
海からながめると、パレルモはこんなふうに見える。

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高いビルがあるのは港の周辺だけで、すこしはなれると赤い瓦屋根の民家と、樹木の緑が豊富な美しい住宅地もあり、海辺の田園調布みたいである。

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目立つのは海のほうからフェリーで市街に近づいたとき、港の右のほうに見える岩山だ。
ここにならべたのは、古い絵ハガキの写真と最近の写真だけど、岩山のかたちはまったく変わっていない。
わたしは中国の西安で初めて見た始皇帝の陵を思い出した。
始皇帝の陵から南のほうに驪山(リザン)という山がそびえているんだけど、この山のかたちも2千年以上まえからほとんど変わってないから、わたしたちは始皇帝がながめた山をいまでもながめられるわけだ。
人間の営みなんてまことにはかない。

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ほかにストリートビューで適当に市内をのぞいてみた。
おもしろいのは旧市街地で、ランダムに適当な場所をつまみ食いしてみると、これまで見てきコルシカやサルディーニャのように、せまくてゴミゴミしたところが多い。
ピエトロ・ジェルミ監督の映画「誘惑されて棄てられて」は、パレルモから70キロほど南へ行った海辺の町シャッカで撮影されている。
1963年の映画だから、パレルモの旧市街地のようすは、こことそれほど変わっているわけではないだろう。
こういう映画をあわせて観ることで、どんな街なのかということを、わたしは横軸だけではなく縦軸からも理解することができるわけだ。

ところでこの映画では罪を犯した美少女であるステファニア・サンドレッリは、教会で懺悔をする。
シチリア人の信心深さを物語るようなエピソードだけど、現代なら男とたったいちどの過ちで懺悔する娘はいないだろうし、いたとしたら教会がパンデミックスだ。
そういうことはともかくとして、シチリア人はむかしから信心深いのかというと、セローの本によると、彼らは全員が無神論者、もしくはバチ当たりみたいである。
聖職者(坊さん)に会ったら縁起がワルイということで、自分のキンタマをにぎり、その指を知らんうちに相手におしつけて厄落としをするのだそうだ。
ケシカラン話だけど、彼らが疫病神扱いしているのは坊さんだけで、名所旧跡のほとんどが宗教に関連しているから、無神論者と決めつけるのは気のドクかも。
あ、女性はそんなはしたないことしないそうですよ。

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パレルモの観光ポイントというと、日本人には魅力的な石造りの寺院や王宮ばかりで、メンドくさいから、えいっとまとめて見せてしまう。
どれがなんという建物なのか、もうわからない。
興味のある人はグーグルやウィキペディアがアリマス。

観光ポイントのひとつに、美少女のミイラが安置してある「カプチン派のカタコンベ」というお墓があるそうで、そのミイラというのが、なんと生きているときのままの姿なんだそうだ。
ホントかよ!
中国の新疆ウイグル自治区で、わたしは有名な楼蘭の美女も見たことがあるけど、あちらの美女は自然の摂理のまま、虫に食われたゾンビみたいだったぞ。

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このお墓はモスクワのノボデヴィチ墓地のように、まわりを塀にかこまれている。
ただし観光名所にしては、手入れがされてなくてお粗末な土塀だ。
観光客のお布施はなにに使われているのだろう。
肝心のミイラまでストリートビューでは見ることができないから、やむを得ず観光客が撮影した写真を見せる。
ほれ。

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本物ならホラーだな。

パレルモは紀元前からある古い街で、こういう歴史のある街は、街のトップがギリシャ人だったり、ローマ人だったり、キリスト教徒やイスラム教徒であったこともあるから、そのたびに建物の様式がちがって、特色をひとことでいいあらわすのがむずかしい。
そのためかどうか、セローはこの街にあっさりとしか触れず、近くにあるペッレグリーノ山に登ったことを書いている。
ペッレグリーノ山というのが、港のすぐわきにそびえていた岩山だ。
バスで行くためには、タバコやポルノ雑誌を売っている売店で切符を買わなければイケナイとある。
ちょっとまえの日本のコンビニみたいなところでしか切符は買えないらしいから、これから行く予定の人は要注意だ。

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この山はハイキングコースになっていて、『パレルモの街と湾の眺めはすばらしく、2時間かけて歩いたかいがあった』そうである。
どんな眺めなのか、もちろんストリートビューの出番だ。

パレルモのあと、セローはチェファルーという町に行く。

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ここはアライスター・クローリーという人物が暮らしたところだという。
なにをした人なのかというと、麻原彰晃やチャールズ・マンソンと同じ種類の、つまりカルト宗教の教祖サマだった人である。
この教祖サマは、娘を病死させ、奥さんとは離婚し、本人も破産したり、薬物中毒になったりとトラブル続きだったそうだから、あまり御利益のある神様じゃなかったようだ。

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無神論者のわたしなら絶対に見学コースからはずしていたのに、わざわざその住居跡を見にいこうというセローの気持ちがわからない。
連中はつねに世界中のあらゆる文献から、自分たちの広報に利用できるものはないかと目を光らせているのだから、ヘタすればこの本のこの部分が、カルト宗教に利用されないともかぎらない。
『世界的作家のポール・セローは、教義をきわめるために尊師サマの家を訪れた』なんて。
わたしみたいな影響力のないモノ書きは、関係ないというかなんというか。

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チェファルーにはやはり大きな寺院があって、その正面に彫られたライオン像が、カルトにふさわしく超自然的だとセローはいう。
超自然的ってどんなものかと、ストリートビューの画像を拡大して探してみたけど、見つからなかった。

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