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2021年1月 2日 (土)

地中海/アリアーノ

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ジブラルタルをスタートして、バルセロナやマジョルカや、ニース、コルシカ、シチリアなどをめぐったポール・セローの旅は、イタリア半島にもどってきた。
つぎの目的地はと、本を読んでしばし考えこんでしまった。
これまではなじみがないにせよ、どこかで名前ぐらい聞いたことのある土地が多かったのに、この先は長靴のかたちをしたイタリア半島の靴底から背中にかけてで、ぜんぜん聞いたこともない場所ばかりをめぐる。
レッジョ、ブランカレオーネ、ボヴァ、ロクリ、アルビキオラ、ソヴェラート、スキラーチェ、カタンツァーロ、クロトーネ、シバリ、メタポントだって、あなたこんな町の名前知ってますか? 聞いたことがあります?
それでもセローはちゃんとページを埋めるだけの文章を書くのだから、さすがは作家だ。
困るのはわたしだけ。

わたしの心配は、はたしてそんな無名の町や村を、ストリートビューがカバーしているかどうかということ。
世の中にはいろんな国があって、なかには北朝鮮のように、独裁者が自分の国を見られるのをイヤがっている場合もあって、そういう国で全方位カメラを積んだ車なんか走らせてもらえるわけがない。
すると上空からとらえた衛星写真しかないわけで、これではわたしはこれまでのような、現地の写真入りの旅の報告ができない。
さて、どうなるか。

この章では「アリアーノ」という村に注目しよう。
ここはかってカルロ・レーヴィという反ファシスト運動をした医師が、ムッソリーニの政権ににらまれて遠流に遭ったところだという。
セローの文章ではイタリアのシベリアと記述されるくらい僻地らしいので、あんまり見込みがないけど、いちおうその村を探してみた。
グーグル恐るべしというか、「イタリア」と「アリアーノ」というキーワードで、村はかんたんに見つかった。

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長靴のかたちをしたイタリア半島の、土ふまずの部分にあるメタポンテという街から、西に50~60キロ行ったところで、地図を見ただけでは僻地なのかどうかわからない。
あんまりかんたんに見つかったので、これがほんとうにセローの本に出てくる村なのかと不安になってしまった。
もういちど本の記述をにらんでみる。
『アリアーノはまさに丘のてっぺんにあった』
『てっぺんにあると見えた村は、じつは二つの険しい峡谷をつなぐ尾根の上にひろがっていた』
『家々は切り立った丘の崖っぷちに建っていた』
これがセローによって書かれたアリアーノ村の描写だ。
ストリートビューで接近してみるまえに、もうすこしカルロ・レーヴィについて知っておく。

カルロ・レーヴィがここに幽囚状態に置かれたのは、1935年から1年間ほどだけど、彼はそのあいだに、まだ困窮をきわめていたアリアーノをつぶさに見た。
彼は画家でもあったので、マリアーノの村民の悲惨な生活も絵にしている。

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そして村を去ったあとで『キリストはエボリで止まった』という本(ひとつの分野に収まりきれないくらい示唆に富んだ作品とセローはいう)を書いた。
この本は東村山の図書館に置いてあるらしいので、わたしも読んでみようと思ったけど、ちょうど図書館が正月休みにあたって読めんかった。
セローはこの医師がすごした村を、自分の目で見たいと思ったのである。

さて、車でアリアーノの村に接近したわたしだけど。

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ストリートビューで見ると、村は絶壁の上にあって、セローの描写通りだから、ここがアリアーノ村にほぼまちがいがない。
地図をどんどん拡大すると、それはもう決定的になった。
この地図に青い文字で Fosso del Bersagliere と Casa di Carlo Devi と書かれているけど、これはセローの本にも出てくる地名で、前者は、むかしここからベルサッリエーリ(歩兵)が山賊に捕まって谷底に投げ込まれた絶壁だそうだ。

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ストリートビューで見ると絶壁はこんな感じ。
後者の青文字はそのものズバリ、カルロ・レーヴィの家という意味である。

ここがアリアーノ村にまちがいないことがわかったから、ストリートビューでもうすこし細部を見てみよう。
衛星写真を目いっぱい拡大し、そこからストリートビューに切り替えると、まるで低空を飛ぶドローンのような視線になる。

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村のなかのある場所に「農村生活博物館」と「Casa Confino di Carlo Levi=カルロ・レーヴィの閉じ込められていた家」という親切な案内板が出ていた(白い◯印が案内板)。
案内板の先を見ると白い家があるから、てっきりこれがレーヴィのブタ箱だろうと思ったら、ネットで検索するとぜんぜんべつの家がヒットする。

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ヒットした家の外壁に銅板パネルが貼ってあって(白い◯印が銅板パネル)、なにやら書いてあったので、手掛かりにでもなるんじゃないかと、グーグル翻訳で訳してみた。
どうやらレーヴィの著作の一節らしいから、こっちの家が閉じ込められていた家らしいけど、見晴らしはいいし、これで駅まで5分なら、貧乏人にはうらやましい一軒家だ。

じつは家はどうでもいいのである。
肝心なのは、ストリートビューを使えば、日本にいたまま、部屋の机のまえで、これだけのことが調べられるということなのだ。

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この近くの道路わきにだれかの胸像があった。
セローの本にはそんな胸像があるとは書いてないけど、そもそも胸像にしたくなるような有名人がたくさんいる村には見えないし、だれかポール・セローの本を読んで、おっ、おれんちの村にもこんなエライ人がいたのかと気づき、村興しのために建てたものかもしれない。
こういうことは日本でもよくあることである。

最後にレーヴィの墓を見ていこう。
墓は『村のてっぺんの裏手のほうに、ビャクシンの木立に囲まれてあった』というのが、セローが書く墓の描写である。

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ここに載せた写真は、村のはずれから墓地までの景色を、連続した分解写真にしてみたもので、墓はまだ最近になって作り直されたもののようである。
彼がマリアーノにいたのは1年ていどだけど、村を歴史に残したという功績のためにこの村に葬られているとしたら、彼も本望だろう。

アリアーノを去ったポール・セローは、ふたたび列車に乗り、ターラントという街でひとり旅の日本人娘と出会った。
どこへ行くのと訊くと、アルベロべッロですという。
ようやくわたしにもなじみのある地名が出てきた。
アルベロベッロというのは、海外旅行の好きな日本人ならたいてい知っている地名で、キノコのかたちをした、童話に出てくる小人の家みたいな住居がたくさんあるところである。
しかしセローはそんな月並みな観光名所には見向きもしない。
もったいないから、わたしはストリートビューで寄り道してみた。
こういう不思議な住居がこの地方独特のものなら、ほかにもあるんじゃないか。

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するとアルベロベッロの近くに、ロコロトンドという、こんなすてきな街を発見してしまった。
ここはまだ日本の旅行会社も紹介してないようだから、イタリアの、とくに南部にはまだまだ日本人の知らない魅力的な町や村がたくさんありそうである。

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