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2021年1月20日 (水)

地中海/ドブロブニク

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スプリットからセローはクロアチアのドブロブニクをめざす。
ドブロブニクは「アドリア海の真珠」と呼ばれるくらい、日本人にもよく知られた美しい観光都市だ。
このあたりの国境はちょっと変わっていて、海岸づたいにスプリットからドブロブニクに行こうとすると、とちゅうでほんの少しだけボスニア・ヘルツェゴビナの領土を通ることになる。
国境の検問がめんどくさいなとセローはまたぼやくけど、日本からながめると、まだ戦争中の国できちんと入国審査をしていただけでも不思議に思える。

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このボスニア領からすこし内陸に入ったところにモスタールという古い都市があり、そこには歴史的な橋があったけど、この戦争で砲撃され、崩れて川に落下してしまった。
『428年間、侵略者からも地元民からも讃えられ、二つの世界大戦を無傷のまま生き延びたオスマントルコ建築の傑作』
というこの橋の惨状を知って、セローはこの戦争は「文化的蛮行」という言葉がぴったりだという。
ようするに、ずっとあとになって登場するイスラム過激派のタリバンやISISと同じで、低俗なイデオロギーに染まった指揮官、兵士たちは、文化財という“高慢ちきなもの”を破壊するのになんのためらいもなかったのだろう。
橋は現在は復旧されているけど、そこに染み込んだ歴史は永久にもどらない。

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この戦争でセルビア軍は、ユーゴ連邦軍は各共和国の寄せ集めだから、共和国同士の戦争には使うのはマズイというので、セルビア人だけの民兵組織をつくって戦争をやらせた。
民兵というと、イメージからして傭兵のようなならず者集団という感じで、きちんと統率がとれていたのか心配になってしまう。
この組織のトップはカラジッチやムラジッチという軍人で、セルビア政府のコントロールがきいていたわけではなく、ときどき暴走することがあった。
むかしから軍人というのはおのれの力を過信しやすいし、連邦軍の兵器の大半がセルビアに引き継がれたので、こうなるとキチガイに刃物だ。

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彼らはどんどん増長し、破壊とジェノサイドもエスカレートし、なんとか殺戮をやめさせようという国連の努力も馬耳東風で、しまいにはミロシェヴィッチ大統領のいうことも聞かなくなった。
まるで戦前の日本軍だけど、紛争の原因は彼らではなかったとしても、他民族虐殺の原因は、止めようと思えば止られたのにそうしなかったのだから、まちがいなく彼らにある。

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セローはドブロブニクに着いた。
ホテルの名前がわかれば、また探してみる手もあるけど、セローが泊まったホテルの名はわからなかった。
ただ、ここもまだ戦争中で、彼はホテルで居あわせたクロアチア人と話をする。
どうしてアメリカは助けてくれないんだと相手はいう。
なぜアメリカ人がヨーロッパの戦争に加担しなければいけないんですかと、逆にセローは問いかける。
セローが民主党支持の中道左派であるという根拠は、文章に極端な偏向がないことと、ここでクリントン大統領を非難されるとむっとすると書いているからだ。

この戦争はやくざのセルビアとクロアチアが、かよわいボスニアをあいだにはさんで殴り合ったようなものとまえに書いたけど、このふたつの国はおたがいにボスニアから領土をむしり取るのに熱心で、内緒で分割の密約を結んだこともあった。
しかしやくざの手打ちみたいなものだから、状況が変わればまたケンカになる。
セローがドブロブニクに行くすこしまえには、セルビアとクロアチアはまたケンカになっており、セルビアとそのパシリであるモンテネグロの同盟軍は、ドブロブニクの背後にある山から街に大砲を撃ち込んでいた。

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セルビアがあまり無法なことばかりするので、米国や欧州は、牽制するためにクロアチアに肩入れした。
すると今度はクロアチアが元気づいて、セルビアに反撃し、セルビア人をその居住地から追い出そうとして、またべつの民族浄化が起きる。
さまざまな民族がさまざまなところで暮らしていた土地を、特定の民族が独占しようとすれば、トラブルになるのは当たり前なのだ。
セルビアは被害者づらして窮状を訴え、民兵組織のリーダーたちは防衛のための戦争だと、侵略・暴行・殺戮を正当化する。
殺されるほうだってむざむざ殺されやしない。
これではいつになっても戦争は終わらない。

セローがドブロブニクに着いたとき、セルビア軍は包囲を解いて撤退し、街の修復もかなり進んでいた。
ということは、街のようすは現在わたしたちが見るものとたいして変わらなかったわけだ。
現在のドブロブニクは30年まえまで激しい戦争があったとは思えないくらい美しい街である。
ここでまたストリートビューで見つけた市内のようすをどさどさと。

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この城壁を歩くにはひとり2,670円がかかるそうである。

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1995年の夏、サラエボでふたたびイスラム教徒への殺戮が始まり、米軍はついに空爆に踏み切った。
これはセローがこの地を離れてまもなくだから、ひょっとすると彼は状況偵察のために送り込まれた米国のスパイだったかも。
というのはミステリーの読みすぎだけど、米軍の参戦は決定的で、この空爆が紛争の分岐点になったことはまちがいない。

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現在、世界は米国のイラク侵攻やソマリアでの失敗もあって、紛争への介入に慎重だけど、ユーゴ紛争は多国籍軍の介入が和平に貢献した数少ない実例となった。
なぜもっと早くやらなかったのかという問題は歴史の判断におまかせして、その後のユーゴの復旧はめざましい。
これはわたしたちにひとつの希望を与えてくれる。
いま戦争をしている中東やアフリカでも、いつか人々が平和にめざめ、地球全体が融和と協調でまとまる日が来るんじゃないか、そういうことは可能じゃないかという・・・・

わたしのテレビ番組コレクションのなかに、ドブロブニクが出てくるものはないかと調べてみたら、古い「世界ふれあい街歩き」以外に、「二度目の〇〇」シリーズがあって、モデルの仲川希良ちゃんがこの街を案内するものがあった。
これはデジタルになってからの番組だから、まだ最近の映像だし、画質も文句なしである。

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もちろん戦争の話は出てこないで、希良ちゃんはアドリア海のサンゴの耳飾りなんかつけてうれしがったあと、ケーブルカーで街の背後にそびえるスルジ山まで登る。
かってセルビア軍が陣取った山からドブロブニクの街を見下ろしたわけだ。
大砲をかまえた軍隊と、かわいい観光客とのちがいは大きい。

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戦争なんかしなければ、クロアチアは風光は明媚で、娘たちは美しく、希良ちゃんも食べていたけど、シーフードが美味しそう。
カンヌやニースのような、リゾートになりうる魅力を持った街ばかりなのに、いったいどうして人々は戦争なんかしたのだろう。
ジェノサイドを陣頭で指揮したセルビア大統領ミロシェヴィッチや、カラジッチ、ムラジッチといった軍人たちをみると、彼らはいったいなんのためにこの世に存在したのだろうとさえ思ってしまう。

セローはこのあと、独裁政権が倒れて間もないアルバニアに向かう。
ほんとうはそのまえに、地中海の沿岸をめぐるという旅の主旨からして、モンテグロに寄りたかったのだけど、しかし彼が旅をしたころ国境はふさがれていた。
やむを得ず大まわりをして、アルバニアに向かうんだけど、この国はすこし前まで、現在の北朝鮮のような閉ざされた国だった。
そんな国ではたしてなにが見られるだろう。
ストリートビューはあるかしら。

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