ベニスに死す
じつはこの文章は、いまブログに連載中の「地中海」の次回のネタに使うつもりだったんだけど、書いているうち長くなりそうな気がしてきたので、独立させることにした。
ポール・セローの地中海の旅はヴィネツィア(ベニス)まで来たけど、ここでトーマス・マンの「ベニスに死す」という本が引用されていた。
セローにいわせると“究極のオフ・シーズン小説”ということである。
オフ・シーズン小説ってどんなものなのか。
ふつうに考えると、ヒマなとき以外には読む価値がないというふうに受け取れるけど、確認するためにまた図書館で借りてみた。
まあ、つまらない本だった。
内容は煮え切らない五十男が、ベニスの海岸にある豪華ホテルで出会ったポーランド人家族の、その中の美少年に恋をする話である。
美少女ではなく美少年というのがミソで、ようするにホモや男色傾向のある男のための小説で、さればこそ、そっち方面でとかくの噂のあったイタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティによって映画化されたこともうなづける。
しかし、じっさいには男と美少年が最後にベッドをともにするわけでもなく、物語の大半は五十男の妄想で、観念的なものばかりだから、健全な男が読んでもぜんぜんおもしろくない。
ナボコフの「ロリータ」とちがって、主人公にもともと変態性癖があるということがはっきり書いてないから、ホテルで出会っていきなり恋をするという事情もわかりにくい。
この美少年を美少女に置き換えても問題なく成立する物語だし、そうすれば美しい失恋物語になって、わたしももっと早く読んだかもしれないのに。
おかしいと思うのは、これはわたしにも経験があるんだけど、ひとつ屋根の下で男がそんなにじろじろと、美少年でも美少女でもいいけど、ひとりの相手を見つめていたら、かならず相手に気づかれる。
ママ、あのおじさん変なんだよ、いつもボクを見てないふりをして、じっと見てるんだ。
んまぁと、母親というのは敏感なところがあるから、男が変態であることを察し、息子の貞操を守るためにさっさとホテルを引っ越ししてしまうかもしれない。
男が相手に気づかれないよう、目と目が合わないようにしらばっくれてもダメである。
そんなバカなという人がいるかもしれないけど、人間の視線というのはかなり強烈なもので、勘がいい子なら背中からでも視線を感じとるだろう。
思春期の少年少女たちの、見つめられているという行為に対する敏感度は、凡人の想像を絶しているものなのだ。
ウソだと思うなら自分の娘に訊いてみよ。
そのうちベニスにコレラが流行って、美少年に未練たらたら、逃げおくれた五十男は感染してころりと死んでしまう。
ポール・セローは短艇をこいだことのある健全な男であり、サムセット・モームやグレアム・グリーン、イヴリン・ウォーらの愛読者であるから、こういうねちねちした小説を好きにはなれなかったのだろう。
わたしは健全とはいえないけど、どっちかというと、体育会系の精神が好きな男である。
失恋なら若いころ、イヤっというほど経験したし、人間の苦悩を描くのが文学だなんて、いまさらカッコいいことはいわないのだ。
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