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2021年1月16日 (土)

地中海/旧ユーゴの国々へ

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ポール・セローが「大地中海旅行」で、イタリアから旧ユーゴスラビアの国スロべニアの国境を越えたのは、日付がはっきり書いてないのでわかりにくいけど、1994年の春ごろと思われる。
この約15年まえに、その剛腕とカリスマ性でユーゴ(ユーゴスラビア)を統治してきたチトー大統領が亡くなった。
おもりのなくなった他民族国家のユーゴでは、たちまち民族主義が雨後のタケノコのように勃発して、それはやがて第二次世界大戦以降最悪といわれたジェノサイド(民族撲滅)に発展してまう。
遠くはなれた日本人には内容がよくわからないけど、この紛争終了後に、この紛争を6回のシリーズにまとめた「ユーゴスラビアの崩壊」というドキュメンタリーがあるので、これを横に置いて話を進めよう。
これはNHKが放映したものだけど、わたしはきっちり録画しておいたのだ。

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スロベニアへ入国したとき、セローはビザを持っていなかった。
彼は国境の列車のなかで取得するんだけど、へえ、そういうこともできるんだというのはわたし。
わたしはいつも旅行会社におまかせだったというのはさておいて、まだ国内が混乱していた時期に、スロベニアの入国審査はちゃんと機能していたらしい。

紛争まえのユーゴスラビアには、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェコビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアという6つの共和国が存在し、さらにそのなかに正教会、カトリック、イスラム教という異なる宗教を信じる人たちがいて、古い時代から摩擦が絶えなかった。

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ここに載せたのは紛争が終了して国境が確定したあとの地図だけど、各共和国の配置はこれを見てもらうとわかりやすい。
摩擦の原因はひじょうに複雑で、第一次世界大戦の引き金になったのがユーゴの民族主義だったというのも、けっして不思議じゃないという気がする。
こういう国をまとめるには強圧的な独裁しかないというのも、ケシカラン話だけど事実のようなのだ。

ユーゴ紛争というのは、ボスニア・ヘルツェゴビナというかよわい女性をあいだに置いて、やくざのセルビアとクロアチアが殴り合った戦争といったらいいかもしれない。

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この紛争の火をつけたのは、セルビアの民族主義者で、その後大統領になったスロボダン・ミロシェヴィッチであるというのが、西側の共通認識になっており、ポール・セローもその考えを踏襲しているようである。
ただ先にいったように、過去をほじくり出すときりがないので、ここではあくまでチトー亡き後の、ユーゴの内戦だけに的をしぼって話を進める。

セローがスロベニアで、とりあえず列車から下りたのは、ピヴカという小さな駅だった。
そんな小さな駅がストリートビューに出ているか心配だったけど、わたしがそれをのぞいたのが、もうユーゴでの紛争が終了して20年も経っていたころなので、問題はなかった。

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これがピヴカ駅だ。
セローは駅のバーで、いあわせた女給相手に安いコーヒーを飲む。
このへんはうらぶれた労働者が、街道ぞいのしみったれたドライブインにあらわれる、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」みたいである。
『流行遅れの格好をした人間たちが無意味な殺人をおかすという、陰鬱な東欧映画に出てくる田舎の駅』に似ていたというのが、セローのこの駅の描写だ。
『彼女はだるそうに薄汚い布で濡れたグラスをふきながら、垂れた髪を耳の後ろへまわした』
これから亭主殺しでも始まりそうな雰囲気だけど、もちろんそんなことは起こらない。

この殺伐とした雰囲気は、それほど遠くない場所で戦争をしているからだろうと、セローはときおりヒステリックに走りまわる子供たちを見て考える。
1994年の春というと、内戦はピークに達しており、セルビア民兵がいたるところでイスラム教徒を虐殺していて、見かねた国連やNATOが仲裁に乗り出していた。
しかし世界の警察たる米国は、ヨーロッパの紛争はヨーロッパで解決すべしと仲裁に本気ではなかったので、なめきったセルビア民兵は国連の保護軍兵士まで人質にする始末。
アメリカの我慢も限界に近づきつつあったころである。

紛争の初期に、ミロシェヴィッチと民族主義の台頭に危機感を抱いたスロベニアは、連邦から離脱しようとした。
連邦を弱体化させかねないスロベニアに、上等じゃねえかと、セルビアが連邦軍を派遣しようとすると、セルビアに対抗意識を燃やすクロアチアが割って入る。
割って入らなくても、もとからクロアチアはセルビアとスロベニアの中間にあったわけだから、これはべつに正義感からではない。
セルビアは正教会で、クロアチアはカトリック教徒が多く、ずっとむかしからこの両国は相手に対して含むところがあり、クロアチアにも領土拡張という下ごころがあったのだ。
ユーゴ連邦の強豪国同士がつっぱりあっているうち、スロベニアはさっさと連邦離脱、独立までしてしまい、セルビアの横暴をみかねた他の共和国も独立にかたむいてゆく。

他民族国家がてんでんばらばらに独立すると、国境が増えて入国審査ばかりだとぼやきつつ、セローはピヴカで列車を乗り換えて、クロアチアの海辺の街リエカをめざす。
国境のあたりで東方にヴェリーキー・スネズニクという、標高1,796mの山が見えるというから、山の好きなわたしはちょっとストリートビューで山頂をのぞいてみた。

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こんな感じで、山頂に山小屋もあり、平和な現在はトレッキング・ポイントになっているらしかった。

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国境の駅はサピャーヌだけど、駅舎にしちゃあ悲惨じゃないかといわれそう。
しかしほかを探してみても、ワンちゃんのいるこんな建物しか見つからず、どれが肝心の駅舎なのかわからなかった。
まあ、車内でパスポートをチェックするだけだから、立派な駅舎は必要ないのかもしれない。

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リエカは海辺にある街で、上の写真はリエカ駅。
まだ独立して間もないクロアチアでは物価がかなり安かったから、ドルを両替したセローは、たちまち現地通貨のディナールで百万長者になってしまう。

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セローにいわせると、この街は見捨てられたような雰囲気ということである。
それほど離れていない場所で、セルビア人勢力がまだ戦争継続中だったから、あまり景気のよさそうな顔もできなかったのだろう。
わたしは例によってストリートビューで、街のいちばんごちゃごちゃしたあたりをのぞいてみたけど、緑の多い、きわめて健全な街に見えた。
そのへんに砲弾の跡でも残ってやしないかと探してみたけど、むしろ落書きが多かった。
砲弾と落書き、これが戦時と平時の違いだな。

おもしろそうな場所はないかと衛星写真を調べてみると、旧市街地と思われるところに、トルサット要塞というものがあることがわかった。

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これがその要塞だけど、もちろんこのあたりの都市の例にもれず、城内に教会があり、教会があればきらびやかな礼拝堂があるのも当然という、リエカはそういう街だった。

このあとセローは、ウラジミール・ナボコフにちなむというので、ふた駅ばかり離れたアバツィアという街まで出かける。
ナボコフというのは「ロリータ」という小説で、つまり“ロリコン”という、日本でもすっかり有名になった言葉で知られる作家だ。
アドリア海沿岸は、むかしからロシアの避暑地という側面を持っていて、ロシア人であるナボコフも、子供のころこの街に遊びにきた思い出を持っていたのである。

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これがアパツィアの駅だ。
街は、セローの目にはちょっとさびれた普通のリゾートに見えたらしい。
ずっとあとになってストリートビューで見物しているわたしにも、ありふれたリゾートにしか見えなかった。

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週末になればもっと大勢の観光客が来るわというのは、ホテルの女性の話。
彼女のアドバイスで、セローはフェリーに乗る。
つぎの目的地はクロアチアのザダールだけど、目下のところ列車は不通で、これ以外に行く方法がなかったのである。

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