地中海/アルバニアA
北朝鮮という国がある。
ということは日本人ならだれでも知っている。
そこがインターネットで情報が飛び交う時代に、いまなお中国の古代王朝のような時代錯誤の政治体制をもった、ユネスコの世界遺産に登録されてもおかしくない国であることも。
こんな北朝鮮と同じような国が、アドリア海の沿岸にもあった。
クロアチアのつぎにポール・セローがめざしたアルバニアである。
アルバニアへはドブロブニクから、途中のモンテネグロを経由すれば100キロぐらいしかないんだけど、あいにくクロアチアとモンテネグロは紛争中で、国境が閉ざされていたから、やむを得ずセローはいったんフェリーでイタリアへもどり、船を乗り換えてアルバニアをめざすという面倒な方法をとった。
イタリアでセローが聞いたのは、貧しい国だよ、きったねえ国だぞという噂。
さてどんな国だろうと、まったくはじめて体験する異常な国に、セローの期待は高まる。
セローの旅をなぞっているわたしも好奇心まんまん。
ドゥラスという街に上陸したセローは、たちまち貧しい人たちに取り囲まれてしまった。
こういう経験はわたしにもある。
わたしが初めて中国に行ったのは1992年のことで、まだ改革開放がようやく軌道に乗ったばかり、紙幣のかわりに兌換券というものが通用していて、まだ人民服を着たおじさんが街中をうろうろしていたころだ。
街を歩けば子供たちや、赤ん坊をかかえた母親たちが群がってきて、ギブミーと手を差し出す。
いくらなさけ深いわたしでも行く先々でそんなに応じちゃいられないけど、そのうちあらかじめ小銭を用意しておけばいいということを知った。
日本円で十円ていどの硬貨でも与えれば、彼らはあっという間にいなくなる。
中国の場合、貧しいというより伝統的な職業じゃないかという気がしたけど、セローの本を読むとアルバニアの物乞いは本物で、というのもおかしいけど、それは惨憺たるものだった。
彼の目に映ったこの国は
『フェリーから降りて最初に目にしたのは、ぼろを着た人の群れだった』
『温まった糞の臭い、腐敗物と埃の臭い、そして地面までが悪臭を放っていた』
『駅前に停まっている三台のおんぼろバスはどう見ても粗大ゴミにしか見えず、そのせいで停留所全体がゴミ捨て場に見えた』
セローのこうした記述はえんえんと続く。
第三世界だってここよりマシだとも。
もちろんセローがこの街を見てから、すでに30年ちかい年月が経っているから、ストリートビューで見るドゥラスはそんなに悲惨な街ではない。
街の中心部を見ているかぎり、最近の先進国のどこかといわれてもわからない。
これは中心の公園のそばにあった古い城壁で、この近くにはアルバニア大学もある。
ドゥラスはいちどはアルバニアの首都にもなったことのある由緒正しき街なのだ。
ただ全体の雰囲気として、どこか先進国というにはあか抜けないところがあり、これは近代のあるところで発展が停滞してしまったせいだろう。
目についたのは海岸から近い丘のうえにあったこの邸宅だ。
これはアルバニア国王を名乗ったものの、10年で国外逃亡をしたアフメト・ゾーダさんという人の宮殿で、現在は迎賓館として使われている建物らしいけど、そんなものを見ても仕方がない。
この丘の下の海岸にローマ時代の遺跡があるとセローが書いているから、それを探してみた。
そして発見したのが歴史博物館だけど、裏庭に石柱や彫刻が無造作に積まれ、なんかそのへんの遺跡から石材をくすねてきた建材屋さんみたいである。
いじわるなわたしは、貧困のおもかげばっかり重点的に探してみた。
ちょっと街のはずれや郊外の農村に出ると、まだ舗装されてない道路がいたるところにあって、かえって郷愁をさそわれる景色になっていた。
海岸には海水浴場があったものの、まだまだカンヌやニースにはほど遠く、まわりに施設のなにもない日本の日本海側の海水浴場みたい。
ゾンビのようにまとわりついてくる人々をふり払って、セローはおんぼろバスに乗り、30キロほど離れた首都ティナレに向かう。
バスの中から農作業をしている人が見えるけど、彼らが使っている農機具は、たとえば柄のまがった草刈り鎌は、もろに中世の死神さんが使っていたものだった。
トラクターのような動力を使った機械はいっさい見えず、馬に引かせた荷車の上に欲し草を積んだりしていた。
あるあるとわたしも思う。
はじめての中国では、畑で女の人が牛の代わりに鋤を引っ張っているのを見て、この国は遅れているなあと感心したことがある。
現在のアルバニアには高速道路と快適なバスがある。
とちゅうの景色はこんな感じで、どこか日本の東北の田舎を思わせる。
道路のわきに車の解体業者があった。
セローがフェリーでアルバニアに乗り込んだとき、船内は盗品の車が満載で、ヨーロッパ中から盗まれた車が、アルバニアで偽造書類と新しいナンバーが用意され、中古車として売られていたらしい。
現在でもそういうことがあるのかどうか知らないけど、ここにならんだ廃車ももとは盗難車だったかも。
バスの中でセローが見たものは、おびただしいトーチカだった。
戦争のさいに使われるコンクリート製の防御陣地で、どんなものかはこのページのトップの写真を見ればわかるけど、どこに行ってもこれの見えない場所はなく、国内に60万個もあったというから、それこそ一家に一台というくらいあったわけだ。
たまげたわたしはストリートビューで探してみた。
そんなにあるならすぐに見つかるだろうと思ったら、ない、ない。
海岸とか平原とか、ありそうな場所をしらみつぶしに探したけど、見つかったのはようやく二つか三つ。
トーチカというのは性格上、壊すのは簡単ではないはずだけと、独裁者が死んで無用の長物になったあと、みっともないというのでひとつづつ丹念に破壊されたらしい。
これだけのコンクリートを住宅建設に使えば、そうとうたくさんの住まいを提供できたのにと、本のどこかに書いてあった。
もちろんそういうこともあったらしく、海岸に建設されたこの施設、足場を固めるのにありあわせのコンクリートを使ったようで、これ(〇印)ってトーチカの残骸じゃないか。
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