地中海/ポンペイ
ニースから出航した「海の精霊」号の最初の寄港地はソレントだった。
「帰れ、ソレントへ」のソレントで、この近くにはポンペイの遺跡という有名な観光名所があるけど、前編の旅ではここはまるっきり無視だったから、今回のセローはおとなしくバス・ツアーに参加した。
海のうえばかりではストリートビューが使えないから、わたしもほっとした。
しかもこのブログ・ネタをひねくっている最中、NHKのBSで「よみがえるポンペイ」という番組が放映された。
これは火山の噴火で埋まるポンペイを、CGを使ってリアルに再現したもので、このブログを書くためのいい参考になった。
ずらずらと並べたのはストリートビューでながめたポンペイの遺跡。
この遺跡はだれでも知っているように、近くのヴェスヴィオ火山の噴火で火山灰に埋もれた古代都市のものである(噴火は紀元79年)。
この遺跡は発見された直後に政府が保護管理しなかったものだから盗掘団のえじきになって、相当数の遺物が研究以前に失われたそうである。
この2枚の写真は、模型のジオラマみたいに見えるけど、テレビ番組をキャプチャーしたポンペイの遺跡の全体像と、石膏の人型。
石膏の人型というのは、灰に埋もれて死んだ人間の遺体が、腐敗して空洞になった部分に石膏を流し込んだものだから、デスマスクならぬデスボディで、その瞬間の人間たちのようすをありありと見せてくれる。
なんか墓場を見物しているような気分である。
ツアーの参加者は年寄りばかりだから、そのうちだれかが、こんなに歩くとは思わなかったとぼやく。
ガイドがこのつぎは本物の売春宿を見せましょうという。
みんな急いで彼のあとに従った。
といういいまわしはセローの文章にならったものだけど、そこはかとなくおかしい。
それにしてもギリシャ人、ローマ人は人間の性についてよくわかっていた。
わたしは以前トルコの旅でエフェスの遺跡を見物したことがあるけど、あそこにも浴場やトイレとならんで、たしか売春宿の跡というものがあった。
石の床に足のかたちの絵が描いてあって、それが娼館のマークですとガイドがいう。
最古の職業が売春であることは有名だし、男女の営みは人間にとってぜったいに必要なものであると、当時の人たちにはちゃんとわかっていたのだ。
戦争中の日本軍もそういうことに理解があったおかげで、いまもとなりの国と揉めているけど、理解のない人ってのはどこにでもいるもんだ。
ポンペイの真実を知るために、郊外もストリートビューでのぞいてみた。
遠くにヴェスヴィオ火山をのぞむすてきな田舎景色もあれば、イタリア人のモラルを示すひどい景色もあった。
ヴェスヴィオ火山は標高1300メートル足らずで、現在のこの山は危険ではなくなっているからトレッキング・ルートがある。
セローは登ってないけど、わたしのブログは登ってしまうのだ。
これがストリートビューで見たヴェスヴィオ火山の噴火口。
まだ火口の底からわずかに湯気が出ているようで、わたしが見たことのある景色では阿蘇の火口に似ている。
これだけでは味気ないない話だから、ひとつ想像のつばさをふくらませてみよう。
ポンペイからヴェスヴィオ火山の火口まで、距離はおおよそ10キロで、日本では富士山の火口からいちばん近い人口密集地である富士吉田市が15キロぐらい。
ヴェスヴィオ級の噴火があれば、富士吉田市は日本のポンペイになりかねない。
富士山は活火山で、最後の噴火からもう300年以上が経過しているから、そろそろ人間たちの油断をうかがっているころだし、災害は忘れたころにやってくるので注意するに越したことはない。
もっともポンペイの破滅のころと現代では、噴火予知科学がはるかに発達しているから、津波とちがって人的災害だけはまぬがれるのではないか。
ポンペイについて調べているうち、この近くにあるヘルクラネウムという町のことを知った。
ポンペイと同じ噴火で埋没した町で、市の広報サイトによると、こっちのほうが規模が小さいけど盗掘も少ないし、範囲がせまいから見物も楽ですよとのこと。
わたしがポンペイに行くことが、もしもあったら、わたしはヘルクラネウムのほうに行こう。
船が出るまで時間があったので、このあとセローはタクシーでボジターノという村までひとっ走りする。
なんかめずらしいものでもある村かと思って、わたしもさっそくストリートビューをのぞいてみた。
これがその村だ。
海岸の近くまで山が迫っており、斜面にびっしり張り付いた民家は、なにかのゲームに出てくる魔界の村みたいである。
そのうち日本でもよく知られたイタリアの観光地であるアマルフィという街が、ここから遠くないことに気がついた。
アマルフィやポジターノを含んで30キロほど続く海岸線をアマルフィ海岸というそうで、このあたりを紹介する映像がわたしのテレビ番組コレクションのうちに2本ある。
その「二度目の〇〇」シリーズと「世界で一番美しい瞬間」シリーズを参考にしてみた。
セローにいわせると、ここは急斜面をくねくねと下る道しかなくて、車で来るのは大変だそうで、ほとんどの観光客はべつの場所から船で来るようだ。
町全体が旧市街といってよく、個性的な家ばかりで、ホテルまで古い修道院の建物を使っていた。
「2度目の」も「美しい瞬間」も、レモンやブドウにキノコ、そしてコラトゥーラ・アリーチという魚醤(日本の醤油みたいなもの)など、やたらに美味しいところを紹介していたので、わたしもメシを食いに行きたくなってしまった。
ソレントのあと、「海の精霊」号は、セローが半年ばかりまえに陸上の旅をしたシチリア島のタオルミーナに寄港して、彼にすこしばかり感傷的な気分をもよおさせたあと、さらに地中海の小さな独立国マルタに向かう。
ここはセローの船旅より17年後の2011年に、わたしはじっさいに行ったことがあるところだ。
マルタ島のよさはその小ささである。
ポール・セローもいってるけど、幅8キロ、長さが18キロというのは、自転車があればぐるりとまわるのに最適なくらいだ。
この小さな島に、パリやローマのような石造りの都市、古城、名画の飾られた教会の大聖堂、ごみごみと建て込んだ街並み、ブドウ畑のある田園など、ヨーロッパのエキスが詰まっているから、ゆとりをもって外国を観たいという人にお薦めなのだ。
さっそくストリートビューでといいたいけど、この島はわたしのブログでとっくに紀行記を公開済みなので、二番煎じになるのもナンだから、そのページにリンクを張っておく。
興味のある人は、このマルタ島の写真のうえでクリックすること。
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