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2021年3月

2021年3月31日 (水)

翻訳

わたしの中国の知り合いは日本語がわからない。
それでもたまにはわたしのブログを読みなさいよ、それが続いているかぎり、わたしも元気だという証拠だからとメールに書いてやったら、うん、そうしてるよ、このあいだの「花見」は翻訳ソフトで訳したからね、列車で40分の東京郊外の農村まで行ったんでしょと返事を寄こした。
あちらが使っている翻訳ソフト(たぶんGoogle翻訳)もなかなかのもんじやないか。

わたしも中国語が流暢ってわけではないから、相手からのメールは、翻訳ソフトを2種類ならべて、ひとつだけでは意味がよくわからない場合は、両方で訳してみて、どんな意味であるかウーンと推察することがよくある。
なかなか完璧な翻訳ソフトはないものだ。

ところでかんたんな文章ならまだしも、先日ブログに書いた短歌のようなものはちゃんと翻訳できるんだろうか。
わたしの短歌は翻訳ソフトでどう翻訳されるのか、興味があったのでやってみた。
「らんまんと屍人の霊気吐くがごと 墓地の桜のただただ白き」というやつだけど、これがGoogle翻訳で中国語に翻訳すると
「兰曼与尸体的精神呕吐 墓地里的樱花是白色的」というようになる。
これをまた翻訳ソフトで日本語にもどしてみると
「ランマンと死体の精神的な嘔吐 墓地の桜は白い」ということになった。
これじゃもと歌の作者のわたしにも意味がわからない。
中国人にはひらがなは理解不能だから、“
らんまんという言葉は漢字で書けばわかってもらえたかもしれないけど、短歌の場合、字づらも大切な要素だしねえ。

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中国の古民家

明日になればわが街の中央図書館が新装なってオープンする。
そうなったらさっそく出かけていって、どんな図書館なのかレポするつもりだけど、願わくば以前住んでいた武蔵野市の新しい図書館のように充実したものであってほしい。

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それはともかくとして、今日はなにかネタを考えなくちゃいけないと思ったら、うまい具合に中国の知り合いがメールで写真を送ってきた。
なんでも安徽省黄山の近くにあって、世界遺産にも登録されている、宏村(コウソン)という古民家集落のものだそうだ。

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詳しいことはウィキペディアにも出ていて、なんでも10世紀ごろ、中国のエライさんがつくった集落だそうで、山すそにある牛のかたちをした村だという。
知り合いにいわせると、近くにある山が牛の頭、樹木は牛の角、沼が牛の胃で湖が牛の肝、谷川にかかる橋が牛の足、民家のかたわらを流れる水路は腸なんだそうだ。
世界遺産に登録されたおかげでテーマパークみたいになってしまったけど、こういうことは日本でもよくあることである。

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有名な雲南省の麗江や、このブログでも取り上げた中国のユーチューバー李子柒のように、古い建物や人間の生活には、どこか人のこころを癒すものがある。
日本に来る外国人にも日本の神社仏閣や、合掌造りの白川郷に感動する人は多いのだから、これは世界共通の心理のようだ。
個人的にもわたしは、シックイと黒瓦の民家は、古ければ古いほど、煤ぼけていればいるほど、美しくなると考えているのだ。

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2021年3月30日 (火)

間をもたせる

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ポール・セローの「大地中海旅行」という本をなぞり、わたしもストリートビューで行った先を見て歩こうという試みをしているところだけど、この紀行記にはあちこちで他の本からの文章が引用されている。
参考のために、そういうものも可能なかぎり読んでみようと思う。
旅はイスラエルまで来て、ここではパレスチナ人の作家エミール・ハビビの「悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事」という、長ったらしいタイトルの本が引用されていた。

この本はわたしの住む市内の図書館に置いてあるんだけど、あいにくその図書館がいま改修工事で閉鎖中だ。
図書館はひとつだけじゃないから、本をべつの図書館に回送してもらえないかと問い合わせてみたら、まもなく改修工事を終えて新装オープンなので、本を倉庫から出して並べるのに忙しく、そういうことは承っておりませんときた。
新装オープンはあさってだという。
急ぐんだけどとわがままいっても仕方がない。
とりあえずその本を読むのはあさって以降、ブログで地中海旅行の続きを書くのはさらにそのあとになりますとことわっておき、そのあいだまた歌で間を持たせておく。

  らんまんと屍人の霊気吐くがごと
          墓地の桜のただただ白き

あいかわらずヒトがわるいね。

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2021年3月29日 (月)

地中海/アレキサンドリア

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アレキサンドリアという都市がある。
ローマの執政官をくどき落とし、その庇護によって政権を維持してきたクレオパトラが、最後に頼りにしたアントニウスがローマに敗戦したことによって、もはやこれまでと、毒をあおいで死んだのがこの街である。
ということで、歴史好きのわたしはこの街の名前をよく知っていた。
ところがポール・セローの「大地中海旅行」を、アレキサンドリアまで読み進んできて、ちょっと頭が混乱した。
歴史に目がいって、ついエジプトの首都はアレキサンドリアであると漠然と思ってしまい、すぐに、いや、カイロだったよなと思い出したのである。
カイロもアレキサンドリアもナイル河の河口にある大都市のはずだけど、この両者の位置関係はどうなっていたっけ?

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わからないときはネットで調べる。
これがその位置関係で、緑色に見えるのがナイル・デルタ、つまりナイル河が運んだ土によってできた扇状地で、ひじょうに肥沃な土地とされる。
アレキサンドリアは海に面しているけど、カイロはすこし内陸に引っ込んでいて、ナイルのデルタが始まる部分、ちょうど扇のかなめの位置にあった。
飛行機で行く場合はカイロまで直通で行けるけど、セローのように船で行く場合は、やはり最初にアレキサンドリアに入港することになる。

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近づいてくる街をながめると、ここはオランダよりも低地にあって、海面と同じ高さにあるように見えるとセローは書いている。
なにしろ街の背後には、延々三千キロ彼方まで山らしい山がないというから、山ばかりの国に住む日本人にはめずらしい景色ではないか。
どこか具体的に、それがはっきりわかる場所はないかと思ったけど、そんなものを探すより、ギゼーのピラミッドを見物に行けばいいだけということに気がついた。
たしかあそこはいちめんの砂漠で、ピラミッドとスフィンクスがなければ、起伏というものがまったくなさそうである。

クレオパトラは映画で見ればいいとして、アレキサンドリアで有名なのはギリシャ時代からローマ時代にかけて存在した図書館だ。
ここへ来るまえにセローがのぞいてみたエフェソスでも、いちばん立派な遺跡は図書館の建物だったから、このころの人たちの知識への欲求はハンパじゃなかったようだ。

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ここに載せたのは古い時代のアレキサンドリアの地図だけど、かっての図書館は○印のあたりにあったものと思われる。
日本人も、そして代表的日本人のわたしも、図書館や古本屋が好きだ。
そんなことはどうでもいいけど、アレキサンドリア図書館の蔵書は50万巻もしくは70万巻といわれており、まだ紙が発明されていない時代だから、これはぜんぶパピルスだ(パピルスについてはウィキペディアを読め)。

この図書館で働く美しい女性がいた。
彼女はヒュパティといって、よく知られた科学者でもあったから、才色兼備の滝川クリステルのような人だったらしい。
しかし科学を信じないカルト宗教の信者たちに襲われて、貝の殻で肉をはがされて惨殺されたそうで、彼女の死がこの図書館の衰退の始まりだった、ということをなにかの本で読んだけど、とにかくアレキサンドリアに当時の知識の集大成のような偉大な図書館があったことだけは事実のようである。

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この図書館の伝統を受け継ぐべく、最近になってユネスコ公認のもと、現代のアレキサンドリア図書館が復活されたそうである。
むかしのそれに比べれば、中身はたいしたことがないだろうけど、いちおう話のタネに見ていくことにした。
図書館のあたりはかんぜんに近代化され、その建物もなかなかモダーンである。

ここでセローはアレキサンドリアについて、さすがに世界的作家だなと思わせる華麗な文章で、長々と解説をする。
そこにロレンス・ダレルの「アレキサンドリア四重奏」が引用されていたけど、あまり読みたくなる本ではなかったから、わたしは触れない。
とにかく街を見て歩こう。
こういう歴史のある街でおもしろいのは、古い街並み、つまりこれまでさんざん見てきた旧市街というところである。
それは市内のどのへんにあるのか。

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セローの本に「列車まで時間があるから街の西にある旧市外を見ていこう」という文章があるので、たぶんこの地図上の◯で囲ったあたりではないか。

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これが旧市街の景色だけど、ボロい、くすんだビルを観て、真っ先にキューバの古都ハバナを思い浮かべた。
古いキャデラックやオールズモービル、ビュイック、ポンティアックなどを配置すれば、もろに映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」だ。
もっともキューバに似てるといわれて喜ぶ市民はあまりいないだろう。

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残念ながら古い建物は残っていても、街全体は区画整理が進んで、ゴミゴミした場所は少なくなっているようで、ここに載せたのはストリートビューでようやく発見した旧市街らしき景色。

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期待はずれだったけど、セローにはもうひとつエジプトに行く理由があった。
彼がアレキサンドリアに行くちょっとまえに、テロにあって瀕死の重傷を負ったエジプト人の作家ナギーブ・マフフーズを見舞うというのがその理由だけど、彼の本についてはとくべつに別項をもうけて、すでに書いたからここでは触れない。
それでもマフフーズが入院していたのはカイロの病院だから、そこまでは行かなくてはならない。

カイロに行くのはいいけど問題もあった。
セローが旅をしたころ、エジプトではイスラムの過激派が暴れていて、手当たり次第に欧米からの観光客を襲っていた。
駅で列車の切符を買うのにセローはうーむと考える。
一等車は観光客や金持が多いから真っ先に狙われるだろう。
三等車は、テロリストというのは貧乏人が多いから、やつらはそこに乗り、たまたま同じ車両に外国人がいることがわかれば、ついでにこいつを殺していこうと考えないともかぎらない。
思案したセローは二等車で行くことにした。

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これはアレキサンドリア駅だ。

わたしはエジプトに行ったことがないけど、セローの紀行記では、このあとアレキサンドリアからカイロまでののどかな鉄道沿線の描写が続く。
<綿花畑、ブドウ畑、小麦畑、水田、デルタは隅々まで耕され、平たんな土地はすべて区画に分けられ、菜園や畑になっていた>
<運河は舟が往来しているとは思えないほどヒヤシンスやパピルスで埋まっていた>
これ、これこそがわたしの見たい風景だったのだ。
ところが実際にはそうはいかなかった。

エジプトのあたりで米国の看板をぶら下げたストリートビュー車を走らせるには危険すぎるということなのか、それがカバーしているのは大都市の近辺だけで、肝心のデルタ地帯の画像がほとんど出てこないのである。
中国の江南地方やベトナムのメコン・デルタのような、牧歌的ともいえる田園地帯を期待していた当方には残念だけど、何かこのあたりをながめる方法はないだろうか。

わたしのテレビ番組の録画コレクションを調べてみたけど、「世界ふれあい街歩き」シリーズにエジプトを取り上げたものはひとつもなく、「アフリカ縦断114日」という番組があったけと、これはカイロをスタートしてアフリカ大陸を南下するもので、ナイル・デルタはぜんぜん出てこない。
「コメ食う人々」というシリーズにアフリカの大河を扱ったものがあったけど、これは方角違いのニジェール川だった。

どこかにナイル・デルタの映像、画像がないかなと探していたら、ちょうどこれを書いているときテレビで「妹を憎んだクレオパトラ」という番組が放映されて、そのなかにほんのちょっとだけデルタの農村風景が出てきた。

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ここに載せたのはテレビからキャプチャーした画像だけど、たぶんこんな感じだと思う。

セローもカイロについはマフフーズを見舞っただけで、街の見物もしてないから、わたしの紀行記もカイロは紹介しない。
観光の見ものとしては郊外にあるピラミッドが有名だけど、それはネット上に写真があふれているし、カイロがつまらない大都会のようなので。

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2021年3月28日 (日)

人間の運命

人間の運命というものは予測不可能だ。
そうでない場合もある。
韓国の文在寅サンの運命なんか、あるていど予測可能かもしれない。
彼は歴史に名を残す名大統領になるはずだ。
日本と韓国のいまわしい腐れ縁を断ち切ったという・・・・

文サンが現職である今年あたりを境にして、もはや韓国人が泣こうが叫ぼうが、日本人はいっさい謝罪や賠償には応じないだろう。
この功績の偉大さは、韓国の歴代大統領のだれにも、それをなんとかしようと努力した安倍クンでさえ足元にもおよばない。
たとえ文サンが大統領を辞めて、自殺か刑務所送りになったとしても、日韓の友好に尽くしたということで、将来日韓トンネルでも掘られたあかつきには、その入り口に、アノ像の代わりに長く顕彰される立派な像を建ててもらえるんじゃないか。
惜しい人を亡くしましたねと、まあ、これはもっぱら日本側からの言い分かもしれないけど、そういう声が湧き上がることは必至なのだ(とわたしは思うのだ)。

ああ、また時間不足でへんなこと書いちゃったな。

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2021年3月27日 (土)

花見

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今日は花見に行ってきた。
3密は避けるべく、わたしが行ったのは列車で40分ほど行った郊外の田舎である。
秘密にしても仕方がない。
行ったのは、秋に彼岸花が有名な埼玉県日高市の高麗(こま)の里だ。
ここにある巾着田が、広々として散策にいい場所だと知っていたから、足の運動をかねて。
近くにあるレストランで本格的なベジタリアン料理を食わせるので、ひさしぶりにそれを食うために。

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最後の写真が店の名物「ベシタブル丼」。
肉食動物であるわたしの知り合いにはお気に召さないと思う。

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2021年3月26日 (金)

桜の木の下で

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3月12日にコブシの花の下で撮った写真を載せたけど、花の下シリーズの第2弾。
今回はもちろんサクラで、このつぎはフジの花の予定だけど、それ、まだ咲いてないからね。

  蒼穹に サクラ開花を 告げる朝

また午後かいといわれそうだけど、もうすこしマシな句を思いついたら、あとで直しときます。

直しました(午後 → 朝)
こっちのほうが写真のイメージに合っていそうなので。

また直しました(花の開化 → サクラ開花)
意味がダブっていたのと、文字が間違っていたので。
ああ、恥ずかしい。

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2021年3月25日 (木)

地中海/ふたたび船で

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ポール・セローが乗った「海の精霊」号がイスタンブールに着くよりすこしまえ、グランバザールやアメリカ大使館がテロリストに襲撃された。
1994年ごろというと、すぐに首を切るISISはまだ登場してないものの、トルコを襲撃したいというテロ組織は、クルド労働者党やイスラムの原理主義者など、いくつもあったのだ。
こんな不穏な状況下でもセローはシリアに行くつもりでいた。
ジブラルタルからスペイン、イタリア、クロアチア、アルバニア、ギリシャ、トルコと、地中海沿岸をたどってくると、つぎはどうしてもシリア、ヨルダン、イスラエルあたりが目標となる。

ところがシリアのビザがなかなか交付されず、そのあいだセローはイスタンブールをうろつきまわる。
彼は世界的作家だから行き先々で友人に不自由せず、たとえば日本では村上春樹に秋葉原を案内してもらったように、ここでもトルコの大富豪のコチ氏を訪ねて、その大邸宅で語り合う。
うらやましがっても仕方がない。
わたしのようなひきこもりは、せめてこの旅でセローが、宿や乗り物に贅沢をしないのをみて留飲を下げるしかない。

友人の邸宅にくつろいで、ここは究極のカントリー・ハウスだなとセローはつぶやく。
つまり自然と建物が一致して、こころを慰めてくれる田舎の家のようだということである。
この邸宅はボスポラス海峡のアジア側で、海峡がいちばんせまくなったあたりにあるというから、わたしはイスタンブールに行ったとき、そのへんを眺めたことがあるのを思い出した。

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これはわたしが撮った写真だけど、たぶんこんな感じのところだ。

イスタンブールの港をうろついているとき、セローはたまたまエジプトやイスラエルをめぐるクルーズ船に出会ってしまう。
地中海をめぐるという大義は動かしようのないものだったので、これはちょうどいいやと、セローはシリア訪問を後まわしにすることにした。
この船は「アクデニズ」といって、まえに乗った「海の精霊」号に比べると庶民向けのボロっちい船だったけど、今度は自費で乗るのだから安いほうがいい。
もう出航まであまり時間がなかったものの、シリア大使館でパスポートを取り返し、ホテルをチェクアウトし、両替屋でドルをトルコの金に交換し(船は現金まえ払い)、警察や税関や旅行代理店から文句をいわれ、タラップが上がる寸前に船にかけこんだ。

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この船について調べてみた。
どこにでもあるボロっちい船らしいからあまり期待してなかったけど、ネットで MV Akdeniz という船が見つかった。
イスタンブールを母港にしていたこと、船の製造されたのが1955年で、これは40年まえに建造されたというセローの記述と合致するし、イスタンブールの港では見逃せないくらいの大きさであることなどからして、これが彼の乗った船に間違いないと思われる。
総トン数は8,809トン、最高速は16ノット、乗員158人で、廃船になるまで残り12年という船だった。
避難訓練なんかぜんぜんされないだらしない船で、タバコを吸う客ばかりなのに、火事になったらどうなるのかとセローは心配する。

急いで乗りこんだので、最初は他の客と相部屋に押しこまれた。
相客のでっかい荷物が船室に放り出してあるのを見て、セローはうーむと思案する。
ひょっとするとこの荷物の持ち主は邪悪な目をした聖職者かもしれない(セローは聖職者が大キライなのだ)。
あるいはこいつが頭はモヒカン刈り、全身タトゥーで、革ジャンを着ていて、ハーレーなんかに乗っているやつだったらどうしよう。
プルルっと身震いした彼は、ボーイに袖の下をつかませて個室に移ることにした。
彼は金持ちだからこういうことができるけど、貧乏なわたしは中国で列車に乗って、いろんな客と同室になったことがある。
カシュガルからの帰りの列車では、漢族の娘、朝鮮族の若者、ウイグル人のおじさんと同室になり、ごたまぜの民族を乗せた国際列車を体験したけど、あれは楽しかったねえ。

アクデニズ号にも乗客名簿というものがあって、客はほかにどんな客が乗っているのか知ることができた。
客のほとんどがトルコ人で、母親を連れた建築家、もと撃墜王という将軍、子供連れの家族、聖書の熱心な愛読者、中にはクルド人もいた。
船名のアクデニズというのは、トルコ語の「白い海」であると、これは同乗していた博識の建築家が教えてくれたもの。
船の名前はどうでもいいけど、食事がキャビア満載だった「海の精霊」号にくらべると、学校の給食みたいだとセローはぼやく。
しかし船賃が14日間2万8千ドルだった船と、12日間で千ドル以下の船では比較になるわけがないのである。

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無事に個室におさまったセローを載せたアクデニズ号は、イスタンブールを出航すると、まずトルコのイズミールに立ち寄る。
この街は定番のトルコツアーに参加するとかならず通るところで、近くに有名なエフェソス(エフェス)の遺跡がある。
これはギリシャの遺跡だけど、この都市が盛んだったころは、トルコのエーゲ海沿岸はギリシャの勢力圏で、ホメロスの叙事詩にうたわれたトロイアも、じつは現在のトルコにあるのだ(ということはもう何度も書いた)。

セローは船がイズミールに停泊しているあいだに、タクシーでエフェソスや、もうひとつの名所である「マリアの家」まで往復することにした。

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エフェソスの遺跡についてはわたしのトルコ紀行で報告してあるので、そのページにリンクを張っておいてすませよう。
見たい人は下の写真をクリックのこと。

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わたしのトルコ旅行では、エフェソスの見学を終えたところで、3個持参したカメラのバッテリーがすべて上がってしまった。
おかげてマリアの家の写真がない。
トルコにはめずらしい針葉樹のまじった森のなかにある建物だったので、いい機会だからストリートビューでそれをながめてみよう。

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ここで肝心なのは、イスラムの国のトルコが、異教徒であるキリスト教の聖地を大切に保存していることだ。

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写真が撮れなかったものはもうひとつあって、このあと寄った「アルテミスの神殿」もそうだった。
ここには石の柱が立っていて、そのてっぺんでコウノトリが抱卵していたのを双眼鏡でながめただけだったけど、ストリートビューで見ると、いまでもやはりコウノトリの巣があるようだ。

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船が出てしまわないように慌ててもどったセローは、出航は夜の9時に変更になりましといわれ、時間があるのでイズミールの街をぶらぶらすることにした。
ここにはムスタファ・ケマル・アタチェルクの家があるという。
彼は例のガリッポリの戦闘で、連合軍をくいとめたトルコ救国の英雄であり、いまでもトルコでは国父とされていて、トルコの団体ツアーではガイドさんからイヤっというほどその功績を聞かされる。
聞かされただけで、わたしのツアーでは家まで立ち寄らなかったから、わたしはそれを見たいと思った。
なんでも海からちかい各国の領事館が集まった一角にあるらしいので、そのへんをストリートビューで探して、ほどなく見つけた。
わたしも目標を見つけるのが上手になったものだ。
これがアタチェルクの家。

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2021年3月24日 (水)

チャーハン

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夜中に起きてチャーハンを食べる。
そんじょそこいらの、ましてレトルトのチャーハンではない。
じつは今月はわたしの誕生日の月だというので、知り合いのおばさんがひと足早い食事会に誘ってくれたのだ。
某高級中華レストランにおけるひとり4000円のセットコースに、紹興酒とビールつき。

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美味しかったけど、わたしもおばさんも少食だから、とても全部は食べきれなかった。
残ったチャーハンを容器に詰めてもらって、ほろ酔い加減で帰宅して、ベッドにばったり。
夜中に起き出してそれを食べてるというわけ。
おかげでブログに穴があいちゃったけど、いいんだ、こんな泡沫ブログ。

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2021年3月22日 (月)

これっきり

ナニ、書こうかな。
YouTubeに、とうとうブルガリアの女の子まで参入だ。
いまそのカワイ子ちゃんに見とれて、自分のブログなんかどうでもいいやって感じ。
今日の更新はおそらくこれっきりだ。

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2021年3月21日 (日)

カイロ三部作

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ポール・セローの地中海紀行に引用されていたナギーズ・マフフーズの「カイロ三部作」について書く。
三部作に分かれた大作なので、お終いのほうではめっちゃ駆け足の読書になってしまったから、あらかじめいっておくけど、これは書評じゃない。
 
いきなり第一部を読み始めて、そこに出てくる父親の暴君ぶりにたまげて、これはいったいいつごろの物語なのかと思った。
この父親は女房に向かって、オレに反抗するな、口答えは禁止だ、おまえは家でじっとしてろと宣告し、そのくせ自分は外で酒を飲んだり、女遊びばかりしているのだ。
奥さんのほうはハイハイとすこぶる従順である。
いくらエジプトでも、いまどきこんな暴君の亭主がいるだろうか。
あとがきを読んでみたら、この小説は第一次世界大戦から第二次世界大戦のころを背景にした大河小説ということだった。
日本なら大正時代からスタートするようなものだから、似たような専制亭主は日本にもいたかもしれないし、向こうはイスラムという特殊国家だから、こういう家庭はフツーだったのかもしれない。
 
父親は暴君だけど、日本でいえば中小企業の社長さんていどの階級らしく、一家を養うだけの経済力はあり、はじめのうちは専制亭主の三人の息子、ふたりの娘、女中などのいる当たり前の家庭が描かれる。
大河小説というから、ラクダに乗ってアカバ要塞を急襲するアラビアのロレンスのように、ちょくせつ歴史に身を投じ、それに翻弄される人間を描いたものかと思ったけど、そんなたいそうなものではなかった。
専制亭主の家族には、それぞれ結婚だとか失恋だとか家庭不和、息子の放蕩、出産と死産だとか、どこにでもあるような平凡な問題がつぎつぎと起きる。
 
上流階級の家の母親が押しかけてきて、ここんちの娘をうちの息子の嫁にすることに決めたよと、勝手に宣言する場面がある。
若い娘が、結婚相手は自分で決めるわなんてゴタクを言い始めたのは、人間の長い歴史からみればまだほんの最近のことなので、イスラムも例外でないことにホッとする。
親父が若い娘をめかけにすると、息子がそれに手を出して、親子どんぶりみたいになる愛憎劇さえあり、とても禁欲的なイスラム国家とは思えない。
まあ、あれもダメこれもダメというのはたてまえで、こういうことは人類の普遍の法則といっていいものだからこそ、作者はノーベル文学賞をもらったのだろう。
じつはわたしはノーベル文学賞と平和賞(ついでに最近のアカデミー賞と芥川賞)はあまり信用してないので、これをもって作家や作品を評価しようって気はないんだけど、マフフーズの受賞は1988年というから、この賞もまだそんなに堕落してなかったかもしれない。
わたしは歴史好きだし、イスラム国家の市民生活がどんなものかという関心も人一倍つよいほうなので、そういうことを知るためにはなかなか有益な本である。
 
物語はおおむね時系列にそって進行するので、わかりやすいけれど、ほとんど上記の家族とその関係者の対話だけしかない。
世はまさにエジプトが国家として独立するさなかであり、デモに参加して射殺されるとか、危険な反体制派と思われて逮捕されたりといった、歴史に関わる事件がたまに起こるけれど、そういうことは世間のうわさ話のようにあっさりと触れられるだけである。
だからけしからんというわけじゃない。
小説の内容や構成に決まった方程式があるわけじゃないし、おもしろければわたしはたいていのことを受け入れてしまうのだ。
でも、トルストイの「戦争と平和」や、五味川純平の「人間の条件」みたいな大河小説とは違うねえ。
 
著者のマフフーズはイスラムの原理主義者に襲われて重傷を負うことになるけど、その原因になったのは彼の「街角の子供たち」という小説で、これは日本では翻訳されてないらしく、本屋にも図書館にも、ヤフー・オークションにも見つからなかった。
サルマン・ラシュディの一件があって、出版社もビビっちゃったのか(「悪魔の詩」の日本人翻訳者は、はるばる中東から出張してきたテロリストに殺害された)。
ポール・セローは、著者を襲撃したテロリストも、マフフーズの本を発禁にした中東の各国政府も同罪だといってるけど、日本の場合は政府が発禁にしたわけではなく、あくまで民間の出版社の自主規制なので、判断がむずかしい。
イスラムの国に生まれた作家が不運だったのかもしれない。
 
この本についてこれ以上書かない。
そもそもポール・セローの紀行記の参考になればと思って読み始めた本だし、エジプトの歴史やイスラムに深く立ち入っているときりがない。
わたしはエジプト人の生活の一端がのぞけただけで満足だし、どんな文学でも読める自由のありがたさについては、おとなりの韓国を顧みて、よくごたごたと発言しているので。
 
話が関係ない方向にそれるけど、この本を読んで感じたわたし自身の心痛について書いておこう。
「カイロ三部作」の最後では、やがて暴君の父親も年老いて死に、従順なその妻も死をむかえる。
それでも最後まで家族のきずなが途切れることはない。
わたしは家族のきずなというと、つい余計なことを考えてしまう屈折した人間なので、この小説に描かれたような大家族制度は、現在のエジプトでも大切に守られているだろうかと思う。
日本もかっては一軒の家に3代の家族が普通だった時代があるし、家族制度の本家のような中国でもそれはいびつなかたちで崩壊しつつある。
こんなふうになんにでも疑問と不信感を持ってしまうので、ただいまのわたしは親戚中から村八分だけど、しかしこれは考え方が先走りしすぎたということではないか。
そのうち田舎でももう盛大な冠婚葬祭は行われなくなり、それに参加する義務もなくなり、だれもが現在のわたしのように自分の生活を優先させるようになる。
べつにわたしがそうしてくれと願ったわけじゃないけど、家族のきずなというものが、アナログ時計のように古くさいものになっていくことは間違いがないようだ。
わたしは核家族が極限まで行った未来を見ることなく、時代の境目でこの世からオサラバすることになるのかも。

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2021年3月20日 (土)

スミレ

ああ、もう時間がない。
というときは、またお手軽に俳句かなんかでごまかす。

  アスファルト ようやく抜きし すみれかな

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とっても小さいスミレ。
近所の道路のアスファルトのすきまから顔を出していた。
スミレの種類は多いので、名前を調べるのは大変。
ヒメスミレというやつかもしれないけど、小さいのは栄養失調かもしれないし、やっぱり俳句でも作るほうが簡単。

この俳句の文言は変わるかもしれません。
さっきまでもっといい言葉を思いついていたのに、ブログに載せる段になって、それをけろりと忘れた。

病的なわたしゆえ、1カ月ぐらいしてから文言を変えました。

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2021年3月19日 (金)

メタモルフォーゼ

やれやれ。
どこかのバイク乗りのおっさんが、顔面変形アプリを使って美女に変身して、世間をおどろかせたとかなんとか。
わたしもそのアプリ使用前と使用後の画像を見たけど、信じられない。
おっさんは、そのままでは50男のバイク乗りなんて誰も見てくれないからといってるそうだけど、わたしもやってみようかしら。
ちっとはわたしのブログのアクセスも増えるかも。

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2021年3月18日 (木)

カタクリ

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近所にある水の流れない川、その空堀川にそって下っていくと、右側に清瀬中里緑地保全地域という雑木林がある。
見たとたん、こういうところにはカタクリが咲くものだと思った。
自転車をおりて林のなかへ分け入ると、案の定、いまの季節はカタクリの花が点々と。
ほんと、わが家の近所は自然がゆたかで楽しいところだなあと思う。

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と、今日もどうでもいいようなブログ・ネタ。
ええ、まだマフフーズの本読んでますよ。

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2021年3月17日 (水)

体内時計

わたしの体内時計の正確なこと。
毎日夕方に食事とともに一杯飲む。
すると眠くなってころりと寝る。
2時間ぐらいするとばっちり目覚める(かならず夜の9時ごろだ)。
ああ、ブログのネタがないよって慌てるのも毎日のこと。
まだマフフーズの本読んでます。

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2021年3月16日 (火)

いいわけ

1年まえのこのブログを読み返してみた。
いまの季節は散歩道にいちめんに菜の花が咲いていて、それを摘んできておしたしにした、たくさん摘んできて冷蔵庫にストックしておいたなんて記事がある。
あの菜の花は野川の河川敷に雑草状態だったから、摘んでも文句をいう人はいなかった。
しかし現在の場所に引っ越してきて、このあたりで雑草のごとく菜の花が咲いているところが見当たらない。
畑にみごとに咲き誇っている菜の花もないわけじゃないけど、それは農家がわさわざ育てているもので、他人が摘めばれっきとした泥棒だ。

ああ、あのほろ苦い春の香りの菜の花のおしたし!
いささかオーバーだけど、今日は近所の無人販売所で菜の花をゲットした。
またしても消費税こみで100円ぽっきりだ。
ワンコイン・ベジタリアニズム、つぎはどんな野菜が出まわるか楽しみだ。

あいかわらずしようもないことを書いているけど、じつはいまポール・セローの地中海旅行にくっついて、ストリートビューで行先の景色をながめていこうという試みをしてるんだけど、それがトルコからエジプトにさしかかった。
彼の紀行記のなかにしょっちゅう他の作家の文章が引用されるので、それをわたしも可能なかぎり読んでみようと思う。
エジプトではダレルの「アレキサンドリア四重奏」と、マフフーズの「カイロ三部作」という本が出てきた。
ダレルのほうは(わたしには)どうでもよかったけど、マフフーズのほうは、図書館でパラパラとめくってみたらなかなかおもしろい。
それで借りてきたものの、タイトルからわかるように、これは3冊に分かれて1冊平均が440ページもある本で、えらいものに鼻をつっこんでしまったという感じ。

どっちにしてもこれを読んでしまわないうちは地中海のほうにとりかかれない。
わたしにはほかにも、野菜の無人販売所をまわったり、今月は赤字でないかと家計簿をにらんだり、メシを食ったり、風呂に入ったり、ウンコをしたり、いろいろと忙しい用事かあるのだ。
ブログが簡単でつまらない話題ばかりになるのはそういうこと。
ホント、短歌や俳句でもひねっているほうがなんぼか楽ヨ。

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2021年3月15日 (月)

大きなペット

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今夜は長い文章を書いているほど時間がなさそうなので、昼間見かけた変わったペットの写真を載せてお茶をにごす。
昼間、小平霊園をサイクリングしていたら、でっかいペットを連れたご婦人を見かけた。
犬としたらセントバーナードか、ひょっとしたら小型馬のポニーかと思ったくらい。
近くへ行ってみたらヤギだった。

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褐色のまだら模様があって、わたしが子供時分にはまず見たことのない種類である。
日本もいろんなペットが増えてきて、以前松本に行ったときにはブタを散歩させている人を見たことがある。
個人で飼うには手がかかりそうなので、最初はハムにでもするつもりで飼い始めたのが、可愛いものだから、ついついそのままペットになったのかもしれない。
ベトナム人にでも盗まれなければいいが。

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2021年3月14日 (日)

俳諧的人生

わたしはベジタリアンでも、ましてビーガンでもないけど、野菜は好きだ。
先日食べた春菊のほろ苦さが、思い出すといてもたってもいられないくらい恋しくなって、それでもスーパーで高い金は出したくないと、今日は自転車で近所の無人販売所をぐるっとまわってみた。

最初の販売所が品物を並べてなかったので、あれえ、今日は日曜日だから農家も休みかなと思ったけど、つぎのところで無事にゲット。
まだポリ袋のなかで汗をかいてる採れたばかりの新鮮な野菜だ。
日本人の生活はこういう農家の不断の労働が支えているのだと感謝しつつ、さらにもう一カ所でホウレンソウも仕入れて、両方で消費税こみ200円ぽっきりというのを、帰宅してすぐに茹でておしたしにした。
これだけで、炊いたばかりの白米があれば、おかずはそれで間に合ってしまう。
年寄りには健康的な食事だと思うけど、これでは仙人か、難民キャンプの悲惨な食事みたいでちと申し訳ないから、生卵をそえて卵かけご飯にするとしよう。
ああ、なんて飄々とした俳諧的人生!
また一句といいたいけど、図に乗りすぎだといわれたくないから、今日は作りません。
作ろうと思えば(そして下手でよけりゃ)俳句なんざいくらでも作れるんだけどね。

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2021年3月13日 (土)

春雷

おー、ますます図に乗っちゃうな。
また一句。

  春雷とほく 辛夷の雨を 切り裂きて

たったいまピカリと光ったところ。
なんかいい写真がないかと古いアルバムをあさってます。

いい写真が見つからず、そのかわりにずっとまえに引用した田中冬二の「鷽鳥」という詩を思い出した。
時期的にもふさわしいので、もういちどそれを思い出してもらおう。

 雨降れ 雨降れ と
 山で鷽が雨をよんでゐる
   山は雨になる
 峠の雪が消えはじめる
   その雪の中に かたくりの花が咲いてゐる
   雨降れ 雨降れ と
   里へ来てまた鷽が雨をよんでゐる
   里は雨になる
   雨に障子をとざしている家
   軒下で鶏があそんでゐる
   あんずの花がさいてゐる
   その花が鯉を飼ってゐる池の面にうつってゐる
   麦は八九寸にのびてゐる
   あんずの花の中で鷽がないてゐる

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2021年3月12日 (金)

コブシ吸う鳥

わが家は東京の郊外にあって、まわりにまだ専業農家が多い。
だから散歩をしていると、あっちこっちに野菜の無人販売所がある。
先日知り合いのおばさんと散歩をしていたら、そういう販売所をのぞいた彼女が、ああ、春菊が100円なら安いわあという。
わたしは野菜が好きだからよく買うけど、いちいち値段なんか気にしなかったので、おばさんが帰ったあと、スーパーまで調査に行ってみた。
わが家からいちばん近い店で春菊は150円以上した。
スーパーではこれに消費税がかかるから、差はさらに大きい。
まえにはわざわざ自転車で取れたてのユズを買いに行ったことがあるけど、そのときは取れたての新鮮なものが5個で100円だった。
ホント、わが家の近所は季節の野菜に不自由しないところだ。

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わたしが食堂で、いや、そんな大邸宅じゃない、3畳の部屋でメシを食ってると、窓からコブシの花が咲いているのが見える。
そのコブシにヒヨドリがやってきて、しきりに花に頭をつっこんでいる。
花の蜜を吸っているらしい。
サクラの季節になると、こいつはサクラの花弁を散らす鳥でもある。
やたらに風雅に見えるこの光景を見て、また一句。

  ひよどりの 辛夷散らすや 午後の2時

ここんところ歌だの俳句だのに凝っていて、うん、自分の才能に溺れてしまいそう。

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2021年3月11日 (木)

あの日

早いねえ、あれから10年か。
その後の節目節目でも何度か書いてきたけど、東日本大震災。
そのときわたしは何をしていたか。
震災発生時は部屋でブログ・ネタをひねくっていた。
揺れにおどろいてベランダに出ると、階下に住むロシア人の若いのが、はだしで庭に飛び出していた(彼は原発事故あと、しばらく関西のほうに雲隠れした)。

わたしは1カ月半ほどして現地の惨状を見に行った。
いろいろ思うことはあったけど、無神論がますます強固になっただけだった。
災害や死は人を選ばない。
信心深い人もそうでない人も、金持ちも貧乏人も、若い人も年寄りも、男も女も、まったく関係なくランダムに死神に迎えられる。
いったい人間というのはなんなのか、生きるということはどういうことなのか、という疑問は10年経っても解決していない。

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2021年3月10日 (水)

花の季節

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始まった、始まった、花の季節が。
またヘタな句を。

 ぼんぼりのごとく匂うや んめのはな

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あとのふたつは近所を散歩して見つけたコブシの花。
幼いころの北関東の思い出の景色のよう、谷内六郎さんの見た郷愁の風景のよう。

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2021年3月 9日 (火)

すばらしき文化

韓国のソ・ギョンドク教授といえば慰安婦や徴用工問題で反日の先頭に立つ韓国の名物教授だ。
その彼が例のキムチ論争で、中国から盛大な攻撃メールにさらされ、いいかげんにしてくれと叫んでいるらしい。
日本には関係ない話だから日本人は微笑むだけでいいけど、眺めている分にはこれぞブーメランという感じでなかなかおもしろい。

ソ教授にいわせると、中国は人口が多いから攻撃メールもハンパじゃないようで、日本の右翼なんかよりよっぽど大量に送られてくるという。
まあ、日本人は冷静だし、嫌韓だってけっして国をあげての運動になっているわけじゃないということの証明なんだろう。
ソ教授はこんなこともいう。
「わたしに対して割く時間があるなら、中国独自の素晴らしい文化を探してほしい」
「中国独自の文化を継承・発展させることに時間を割いてほしい」
これを読んで、はてね、韓国になにかよそに誇れるような素晴らしい文化があったっけと思った。
ひょっとするとキムチのことをいっているのかもしれないけど、うん、あれは素晴らしい文化?に数えてもいいかもしれない。
ハングル?
うん、あれは韓国人以外はだれにも読めないから、不便であるけど、まあ文化といっていいかもしれない。
作られてから500年か600年で文化なら、世界中のあらゆる言語が文化だけど、そんなことはどうでもいいかもしれない。

中国は文化大革命で、それまでの伝統・文化をことごとく破壊した。
古い文化を破壊することに意義を見出していたのだから、もともとは豊富な文化をかかえていた中国が、いっぺんに悲惨な状態になったのも当然だ。
しかし最近では中国も、失われたものの重大さに気づき、大あわてでそれを取り戻そうとしているように見える。
元号や宮中の行事などはいまさらどうにもならないけど、古い宮殿や庭園、廃仏毀釈でいちじ破壊された寺院などがあちこちで修復されているし、細かいことをいえば、始皇帝の陵墓もかってのものより荘厳に復旧し、満州鉄道の奉天駅やアジア号の保存、パンダを始めとした野生動物の保護など、彼らがやっていることはグローバルな視点からもまっとうなものといえる。

これに比べると、韓国はまさしく中国の雛形で、やっていることは日本人から見れば中国とまったく同じ。
日帝残滓だといって、そのまま置いておけば文化遺産になり得る古い建築物をかたっぱしから破壊し、そうかといって過去の伝統建築を復活させるでもない。
歴史のなかにありもしないカラフルな韓服を、日本の和服に対抗させるためにでっちあげる。
いったい韓国の素晴らしい文化というのは、ほかになにがあるのだろう。
そんなに誇る伝統があるなら、山の気をそぐために日本軍が打ち込んだという鉄棒をせんぶ引っこ抜いて、またうるわしい迷信を復活させてみるか。

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2021年3月 8日 (月)

あしき言葉

口はわざわいのもと。
ネットに韓国の女流歌人のニュースが出ていた。
きれいな人で、なんでも短歌にあこがれ、その作品が日本のなんとかいう賞を受賞したんだそうだ。
短歌という形式は日本にしかないから、いまのご時世を考えるとめずらしい人かもしれない。

興味があったのでその歌に目を通してみたら、五七五七七のわくに収まらない破調の歌で、古い人間のわたしにはちょっと理解しにくい歌だった。
こういう歌を好むのは角川にちがいないと、よくながめたら受賞したのはやっぱり「角川短歌賞」だった。
わたしもたまにこのブログで短歌を作ってるけど、ついこのまえも角川の出資した「ところざわサクラタウン」の悪口をいったばかりだから、受賞の可能性はありそうもない。
朝日新聞の悪口もしょっちゅういってるから「朝日短歌時評」にも選ばれそうにない。

    しみじみと冬の深夜に身に沁むる
         悪しきことのはわざわいのもと

短歌というものが抒情ではなく、機知やその場のおもしろさをねらったものになりかねない危うさを感じるけど、わたしもつい一首。

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2021年3月 7日 (日)

地中海/エーゲ海のおまけ

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エーゲ海というと、ロードス島とかサントリー二島、ミコノス島など、日本人にも人気のある島がたくさんある。
日本のツアー会社のパンフレットにはおいしそうな写真がたくさん載っていて、わたしも白亜の民家がびっしりならんでいるサントリーニの写真なんぞを見せられ、身もだえするくらい行きたいと思ったことがある。
しかしセローの豪華客船の旅は、このあとトルコとギリシャの、たいしておもしろくもない2カ所のポイントに寄ったくらいで、もう終わったようなものだ。
わたしは旅への愛着のつよい人間なので、名前のわかる場所があれば、それがどんなところか見てみたい。
それでおまけのつもりで、そのおもしろくないポイントというのをストリートビューで覗いて行こう。

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最初に寄ったのがトルコのボドゥルムだ。
港のかたわらに聖ペテロ城という古城があるけど、さすがにもう遺跡は見飽きた。
「マウソロス霊廟」というお墓の遺跡もあったけど、塀にかこまれていて、ストリートビューでは内側が見えんかった。
花がいっぱいでステキだなと思ったところはホテルの中庭だった。
でも近くには熱気球を飛ばす観光ポイントがあるから、ここは日本人が知らないだけで、けっこう欧州では知られたリゾートなのかもしれない。
市内や海に近いあたりを見たかぎりでは、まあ、健全なリゾートといった感じ。
この街でセローは雨に降りこめられてしまう。
半数の乗客は船にとどまったけど、紀行作家が部屋でくすぶっているわけにもいかず、無理に上陸して街の食堂で飯を食った彼が、あとで聞いたら船に残っていたほうがキャビア食い放題の上等の食事にありつけたそうだ。
まあ、トルコの港町の食堂より、14日間で290万円の船のほうが食事が上等なのは当然だ。

雨はつぎの寄港地レスボス島でも降り続いていた。
この島はトルコの沿岸から指呼の間にあるけど、ギリシャ領である。
オスマントルコが崩壊して外国軍隊がトルコを占領したとき、島しょ関係はおおむねギリシャ領ということで手打ちをしたのかもしれない。

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この島で「海の精霊」号が寄ったのはミティリーニという町で・・・・おお、ここにも古城がある!
遺跡めぐりはもうたくさんだ、ということはセローも書いている。
わたしはなにかおもしろいところはないかと、市内をストリートビューで手当たり次第に精査してみた。

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緑地があったから覗いてみると、路上駐車の車ばかりが目立ち、どうもトルコに比べるといくぶんすさんだ感じの町である。
ペットショップがあるというので、変わったペットでもいないかと覗いてみようとしたけど、どれが店なのかわからんかった。
ヤケッパチで郊外の山の上まで行ってみたけど、べつにおもしろくもなんともなかった。
そのうちたまたま発見したのがこれ。
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港の近くに立つなにやらの像と、撮影中のストリートビュー車だ(2枚の写真を合成してある)。
これまでさんざんストリートビューのお世話になってきたけど、こういう車が世界中を走りまわっているのだというタネ明かし。

レスボス島を出ると、つぎの目的地はイスタンブールで、セローはそこで「海の精霊」号とはお別れである。
このころにはセローも豪華な待遇にどっぷりつかっていて、わが家のようになった船を降りるのがツライなどと書く。
わたしも経験がある。
むかし海上自衛隊にいたころ、上陸しているうち海が大荒れになって、内火艇で命からがら艦にもどったことがあり、あのときほど乗りなれた艦が、コンクリートのマンションのように頼もしく思えたことはなかった。
だから船が自分の家のようだというセローの気持ちも(少しだけ)わかるのである。

「海の精霊」号の船内でジャック・グリーンウォルド氏がデザートを作ってみせる。
べつに感動するほど美味しくもなかったようだけど、彼は俗物ばかりの乗客のなかで、その博識と、ちょっとバンカラなユーモア感覚で、セローをうならせたたったひとりの乗客だった。
イスタンブールで別れることになったとき、彼はセローにネクタイをプレゼントする。
このネクタイは近衛連隊のもので、英国とその連邦国では一目置かれるはずのものだったけど、いやあ、じつは自分は近衛連隊となんの関係もないんだと、彼はネクタイのからくりを暴露する。
セローはいっぱい喰わされていたのだ。

「海の精霊」号はダーダネルス海峡に入って、ガッリポリという古戦場を見ながら行く。

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これはチャナッカレの殉教者記念碑と、そこから見たダーダネルス海峡の入口、そしてガリッポリの古戦場のあたり。
ガリッポリという地名も、知識だけはあるのにどこにあるのか、これまで考えたこともなかった土地のひとつだ。
アイザック・アシモフの本で知ったのだけど、英国の科学者ヘンリー・モーズリーが死んだのがこの場所だった。
彼は原子の周期律表という、科学の世界できわめて重要な発見をしたにもかかわらず、戦死してしまったのでノーベル賞をもらえなかった。
死んじまったものは仕方がない、しかし科学の名誉のために、いまからでもそれをモーズリーに与えるべしというのがアシモフの本の主旨だった。
そんなことを知っていたおかげで、ダーダネルス海峡を通過するとき、わたしもいくらか感傷的な気分になった。

「地中海沿岸にはあまりにも多くの墓地があった」
これはセローの文章だけど、わたしはそれに「あまりにも多くの遺跡があった」とつけ加えて、豪華船でのクルーズを締めくくる。
しかしセローの旅はまだまだ続くのだ。

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2021年3月 6日 (土)

サクラタウン

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今日は足の運動と、サクラの季節の下見をかねて、「ところざわサクラタウン」というところまで自転車で出かけた。
なんでもKADOKAWA(かっての角川書店)が出資した、美術館や図書館の入った複合施設だそうたけど、それこそかっての角川映画を彷彿とさせるハッタリ満点の施設だった。
でっかいだだけで中身はロクなもんではないというやつ。
巨大なコンクリートの建物のまわりに、自然というものがぜんぜん感じられないので、わたしのような年寄りは神経をさかなでされるような気がする。
入ってもみずにそうそうに引き上げてきたけど、片道30分~40分で運動にもなりゃしない。

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2021年3月 5日 (金)

え、モリゾウ君

ネットに「レクサスに直撃弾」というニュース。
なんのことかと思ったら、韓国政府が無公害車普及という名目で、ハイブリッドをエコカーから除外するかもしれないという。
韓国で売れているレクサスはほとんどがハイブリッドだから、エコカーの優遇政策から除外されると売れなくなる。
韓国のメーカーはすでに電気自動車にシフトしているから、打撃はそれほどでもない。
だからトヨタだけの直撃弾だというんだけど、トヨタは韓国だけで売ってるわけじゃないから、韓国人が期待するほどのダメージはないだろう。
しかし、しかしだ。

日本人の大部分が笑うだろうけど、ヒュンダイの努力はあなどれない。
ラリー選手権ではトヨタといい勝負をしているし、大衆車であることを武器にして、それなりの販売数を確保している国もある。
いたずらに馬鹿にする日本人を見ていると、むかし日本車をあざ笑った欧州のメーカーの顔がちらついてしまう。
まあ、日本のメーカーはあとからスタートしてもたちまち先頭に立つだろうという考えもあるし、わたしもそれを信じているけど、油断は禁物だ。
ここでひとつソニーの失敗を思い出してほしい。
ウォークマンで世界をリードしていたソニーは、その優位なポジションを維持することに汲々として、新時代の改革に乗り遅れた。
カメラ・メーカーのニコンにも似た状況があった。
トップに立つメーカーほど改革におよび腰になるもので、それが凋落の始まりになる場合もある。
トヨタも、せっかくハイブリッドで世界をリードしてるんだからという安易な考えは棄てて、いざとなったらいつでもそれをばっさり切り捨てる覚悟を持つべきだ。
えっ、聞こえてる? モリゾウ君。

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地中海/ミュケナイとクレタ

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アテネから「海の精霊」号はミュケナイ(ミケーネ)に行く。
この都市の名前もギリシャ神話にはしょっちゅう出てくるけど、これはペロポネソス半島にあって、ペロポネソス半島といえば日本人にもよく知られている都市国家スパルタがあったところだ。
だんだんわかってきたけど、地中海のクルーズというと、たいていギリシャがメインになるらしい。
イタリアやスペインは車でも行けるけど、ギリシャはエーゲ海という多島海をしたがえているので、観光をするにも船でなければ不便ということなんだろう。

ところでミュケナイには観光ポイントがなにかあるのか。
古代の遺跡から黄金の仮面や腕輪が発掘されているらしいけど、そういうものはアテネの博物館の収蔵品だ。
アテネはすでに見てしまったセローは、バス・ツアーに参加せず、船が寄港したナフプリオンという街のすぐ裏にある、パラミティという要塞を見物することにした。

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これはナフプリオン港と、港から見上げたパラミティ要塞。
この要塞は難攻不落という建前だったけど、1715年にトルコ軍によってあっけなく陥落し、ギリシャはえらい大恥をかいた。
なるほどと、わたしは奇縁というべきものに思い当たる。
セローがギリシャを嫌う理由は、たとえば彼は地中海のまえに鉄道でアジアへ旅行しており、そのさいトルコにも寄って、トルコ人の作家などと親しく懇談しているけど、ギリシャ人はすぐに感情をむきだしにし、自分たちのあいだでも反目しあっているので、外国人とうまくやるのはむずかしそうだからとのこと。
こういうところは日本のとなりの国によく似ているし、そのうえトルコを目の仇にして、トルコのEU加盟に反対し続けているのがギリシャだそうだ。
そういえばギリシャはギリシャ文字という、ほかではあまり使われない文字を使うし、ギリシャとトルコの関係は、ハングルを使う韓国と日本の関係によく似ている。
となり同士は仲がわるいのがフツーと、日本もあきらめたほうがいいかも。

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要塞パラミティは、千段の階段を登った岩山の上にあり、ここからの眺めはなかなかいい。
船に乗りっぱなしだとどうしても足が弱るから、セローは運動のために登っただけのようで、とくに重要なことは書いてない。
たまたま出会ったイタリア婦人は、ここは汚いところでしょうという。
彼女に同調したセローは、ギリシャに対する不満をいっきにぶちまけたみいたで、ゴミだらけだの、汚染されているだの、はては歴史を売りものにしたテーマパークみたいな国だのと散々なことをいう。

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ほんとうにそんな汚いところなのか、美しい地中海というイメージのわたしが検証してみたら、ほんとうに汚かった。
郊外の鉄道線路のある景色をながめると、どこか東南アジアの雰囲気さえする。

ペロポネソス半島も、はるかな古代からさまざまな国家や民族の興亡がめまぐるしかったところで、考古学に興味のある人にはおもしろいけど、わたしのブログでそのうんちくを述べて仕方がない。
セローはバラミディ要塞を見ただけで満足してしまったので、わたしのほうはもうすこし内陸まで行って、せめてミュケナイの遺跡ぐらい見ていこう。

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ミュケナイへの道はオリーブ畑のある素朴な農道で、トレッキングやバードウォッチングのほうが楽しめそうなところだ。
「アトラウスの宝庫」という遺跡があったのでストリートビューでのぞいてみたものの、もちろん宝物が残っているわけもない。
なにかおもしろいものはないかと、ミュケナイのあたりを衛星写真をながめてみたら、日本や中国なら田んぼや畑といったふうな区切られた農地が見えたけど、ストリートビューで地上からながめるとすべてオリーブや柑橘類の果樹園だった。

ミュケナイのあと、「海の精霊」号はエーゲ海にうかぶクレタ島に行く。

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これはアギオス・ニコラウスという港にある牛にまたがった少女の像、じゃない、少女がまたがった牛の像である。
ギリシャ神話を知っていればピンとくるけど、女たらしのゼウス神が牛に化けて、海岸で遊んでいた少女を誘拐するところだから、主役はあくまで牛のほうなのだ。
この少女の名前はエウロパで、これは “ヨーロッパ” の名前の由来であると同時に、ジュピター(ギリシャ語のゼウス=木星)の衛星エウロパの由来でもある。
少女はいまでもゼウスにがっちりつかまれたまま、彼のまわりを回り続けているのだ。

クレタ島はギリシャ神話の神々の頂点に位置する、最高尊厳のゼウスが幼いころを過ごした土地として知られている(現住所はオリュンポス山のほう)。
彼は父親の地位を奪うと予言されていたため、生まれてすぐに未来を案ずる父親に呑み込まれてしまうところを(父親というのもエライ神さまである)、見かねた母神の機転で、クレタ島にあるディクテオンという洞窟にかくまわれ、そこで成長したのだそうである。
それでその洞窟ぐらい見ておくことにした。

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クレタ島にまつわる神話で、もうひとつ有名なのは牛頭人身の怪物ミノタウロスだ。
この怪物の誕生秘話は、たぶん興味をもつ人がたくさんいると思うので、説明しよう。
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むかしクレタ島クノッソスの王さまが、お祭りのいけにえにするつもりで、海神ポセイドーンの牛を譲り受けることにしたんだけど、牛があまり立派だったので、つぶすのが惜しくなってべつの牛でごまかした。
もちろんそんなインチキはすぐにばれて、怒ったポセイドーンは王さまのお妃に、この牛を狂おしく欲するという呪いをかけた。
いてもたってもいられないくらい牛に劣情をもよおした王妃は、大工のダイダロスに相談する。
ダイダロスというのは、たしかイカロスにハングライダーを設計してやった人だと思ったけど、なかなか器用な人で、牛のはりぼてを作ってその内部に王妃をひそませた。
はりぼてを見て発情した牛は、バックから(牛だから)生殖行為におよび、王妃はめでたく本懐を遂げることができた。
しかし原因と結果はつねにワンセットだ。
十月十日ののち、王妃は牛頭人身の怪物を出産したというのが、ミノタウロスの誕生秘話だけど、ほんと、ギリシャ神話ってのは、純愛、不倫、強姦、和姦、男色、同性愛、ナルシシズム、近親相姦、獣姦となんでもありだよな。

脱線が長くなった。
このあとセローはレンタ・サイクルで、島の反対側にあるイエラペトラという街まで走る。
わたしも中国の無錫に行ったとき、自転車を借りて田舎ばかり見てまわったことがあるから、彼の性格はわたしと似ているところがあるようだ。
いちおうイエラペトラもストリートビューでながめておこう。

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アギオス・ニコラウスを出てまもなくの海岸には、いかにもリゾートらしい素敵な海岸もあるけど、こちら側からあちら側まで行くのだから山越えで、とちゅうの景色はこんな感じ。
そしてイエラペトラはこんな街だ。

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ここにはワイキキという名前の海岸や、リッツという高級ホテルの代名詞みたいな宿があったそうで、冗談だろうとセローに皮肉られていたから、現在はどうなっているのかと探してみた。
現在ではワイキキは、水着のカワイ子ちゃんがいるまんざらでもないビーチになっているし、リッツは誇大広告だってことでつぶれたらしい。

ギリシャにイスラム教徒はいないそうだけど、セローの文章によると、ここにはミナレット(突塔)のあるモスクがひとつだけ残っていたとある。

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へえと、わたしもあちこち探して、ストリートビューで見つけたのがこの建物だ。
ひとつだけということは、これがセローが見たモスクにまちがいない。
ギリシャはイスラムを排斥しており、モスクはキリスト教の教会になったり、市民ホールになったり、ほかの建物に改造されていたらしい。
トルコも似たようなことをしているけど、それでもキリスト教徒と共存もしているではないかと、セローはギリシャ人の民度を疑ってしまうのだ。

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2021年3月 4日 (木)

ワルツNo.2

YouTubeでショスタコーヴィチの「ワルツNo.2」という曲を聴くのにはまっている。
なにかのきっかけで聴き始めたんだけど、どんな曲なのか聴くまでぜんぜんわからなかった。
聴いてはじめて、あ、この曲かと思い当たった。
おそらく音楽に無知な人でもどこかで聴いたことのある曲ではないか。
これはタイトルが味気ないからいけないので、「アムール河の波」や「満州の丘」のようにおぼえやすいタイトルにしてくれたらいいのに。
なじみはなくても、有名な曲なので、YouTubeにはたくさんの演奏が上がっているから、それをひとつづつ拾い出しているだけで、冬の夜も退屈しない。

ところでこの曲、わたしにはもうひとつ、どこかで聴いたおぼえがある。
はて、どこだっけと、ウィキペディアに当たってみたら、キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」のテーマに使われていたことがわかった。
映画はなんども観ているくせに、そのときは曲名を知らなかったのだ。
キューブリックは「2001年宇宙の旅」で、映画音楽の大御所たちを敵にまわしてしまったから、こういう既存の音楽を使うしかなかったのかもしれないけど、彼はわたしの好みの曲を見つけてくるのがうまいので、むしろ感謝しているくらいだ。
彼が見つけてきた曲には「2001」や「アイズ」以外にも、「博士の異常な愛情」のヴェラ・リンの歌、「シャイニング」のナツメロ・ポピュラーナンバー、「バリー・リンドン」のシューベルトなど、いまでもしょっちゅう聴く音楽があって、映画と同時に音楽も楽しめるのだ。

まだわからないという人のために、「ワルツNo.2」にリンクを張っておこう。
Eyes Wide Shut Theme by Dmitri Shostakovich - YouTube

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2021年3月 3日 (水)

だからさあ

わからんもんだねえ。
幸せを絵に描いたみたいで、貞女の鑑みたく思われていた愛ちゃんまで不倫のうわさが。
まあ、他人のことはどうでもいいけど、これは、つまり、結婚というものがいかにつまらないものであるかの証明だな。
若気のいたりで結婚したものの、どんな夫婦でもつまらないなと思う時期がかならず来る。
むかしと違って、不倫と離婚がライフスタイルになっている昨今だ。
あいだにはさまれた子供が不憫であるとこころにもないことをいって、やっぱり独身をつらぬいたわたしの考えは正しかったと、晩めしを食いながらしみじみ思う。

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2021年3月 2日 (火)

地中海/デルフォイとアテネ

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ギリシャ神話を読んでいると、あちこちに「デルフォイの神託」という言葉が出てくる。
なにか問題が生じた場合など、ギリシャ人はここへ行って神さまのご神託をうかがうのだそうだ。
ポリスという小さな都市国家の集まりであったギリシャでは、国家間の揉めごとがあった場合など、ここへ行って神託を聞き、双方がその内容を尊重したというから、国連やWTOみたいな役割も果たしていたらしい。
有名なところでは父を殺し、母と結婚するという大罪のオイディプスが、ここで自分の未来を暗示する神託を聞いたというエピソードがある。
アテネの高台には有名なパルテノンの遺跡があるから、わたしはデルフォイというのはこの神殿の御宣託部門かなと思っていた。
じつはぜんぜん別のところにあった。

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ポール・セローの乗った「海の精霊」号がギリシャにやってきて、最初に寄ったのが、細長いコリントス湾の奥にあるガラクシディオンという村だった。
デルフォイというのはこの村から20キロほど北に行ったパルナッソス山という山のふもとにある。
それはいいんだけど、グーグルマップを拡大してもガラクシディオンという村が見つからない。
セローたちはここからバスでデルフォイに向かったとあるから、おそらく国道が走っているイテアという街のあたりだろうと見当をつけて、ここからストリートビューをスタートさせることにした。
わたしも名前ばかりで知っていたデルフォイが、どんなところなのか見てみたい。

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最初はイテアの港とそこからデルフォイに向かう街道で、まわりはこんな感じ。

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デルフォイに到着すると、道路っぱたにバスを止め、この場所から観光客はぞろぞろと歩いて遺跡に分け入る。
遺跡は険しい山の中腹にあって、アポロン神を祀る神殿の跡だけではなく、半円形のコロシアムもある。
考古学やギリシャ神話に興味のある人には貴重だけど、売店も自動販売機も、ましてエスカレーターもなさそうだから、年寄りには辛そう。

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最後の写真はデルフォイから、はるかに海をながめたところ。
紀元前490年、ペルシアの大軍がギリシャに攻め寄せてきたとき、ポリスの代表たちはここで断固戦うべしというお告げを聞くのである。

デルフォイにはいまでも、日本でいえば青森県の恐山のような、神さまの御宣託をする巫女さんがいるらしい。
恐山の観光客のなかにはひとのわるいのがいて、マリリン・モンローを呼び出してくれなんていって巫女さんをからかうのがいるらしいけど、ギリシャでもアメリカ人観光客は率直というか、馬鹿であって、もったいぶった言い方をする巫女さんが理解できない。
なんで最初からはっきり結論をいわないのかしらとガイドに訊く。
御宣託というのはそういうものですとガイドは答えるけど、さすがに、いや、あれはただのショーですとはいえない。
セローも無神論者で、そんなお告げは信じないほうだから、ここではかなり不真面目で、ガイドが熱心に説明しているかたわらで、競走馬のオーナーである同行者と競馬の話なんぞを始めてしまう。

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「海の精霊」号はデルフォイのあと、首都のアテネに向かうけど、コリントス湾をそのまま行ければ近道だ。
ところがアテネのある大陸側と、タコのようなかたちで海にはりだしたペロポネソス半島は、細い陸地でつながっていて船は通過することができない。
この陸地は幅がせいぜい6キロぐらいしかないから、日本なら掘削して運河を作ってしまうところだ。
そう考えて地図を拡大してみたら、ギリシャ人も同じことを考えたらしく、ここにはコリントス水路という運河があることがわかった。

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ただしこの写真にあるようなえらい細い運河なので、むろん大型タンカーなどは通れず、「海の精霊」号が通過するときも、おそらくタグボートに曳航されたか、両側の岸までつっかえ棒でもしながらそろそろと進んだものだろう。

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こうしてアテネに着いたものの、どういうわけかこの本を書いたころのセローは、何かギリシャに恨みでもあったのか、このあと訪れるトルコに比べると書きようはかなり辛辣だ。
原因は本を読み進むと、あるていど理解できる。
セローが旅をした1994年ごろというと、表現の自由も欧米諸国なみにあり、国内にキリスト教徒さえ共存していた世俗主義のトルコにひきかえ、ギリシャはすこしまえまで軍事クーデターを歓迎し、乱脈な経済運営で国内はガタガタ、年寄りの首相は妻を捨ててスチュワーデスといっしょになったというていたらく。
品行方正なセローにはそのへんが気にいらなかったらしいから、スチュワーデスと結婚したのはどの首相かと調べてみた。
これは1985年から首相をつとめたアンドレアス・パパンドレウさんのことらしかった。
しかしセローはきらっても国内的にはなかなか人気のある人だったらしく、パパンドレウさんはあとで首相に復帰しているし、息子も首相になっている。
人気の原因は公務員らに対するバラまきにあったようで、そんな行き当たりバッタリな政治をしていたのでは、セローがきらうのももっともだ。

そういう理由でセローはアテネにはほとんどふれず、有名なアクロポリスも市の職員のストで閉まっていたという。
こういう職員にムダ飯を食わせていたギリシャが、EUからまじめにやれと是正勧告をされるのは2010年ごろのことである。
背に腹は代えられないと公務員の削減に着手して、緊縮政策に反対な国民の大規模なストライキになり、わたしから緊縮しないで経済がなりたつなら、安倍クンに教えてやらなくちゃと冷やかされたのは2015年の1月のことだ。
セローはふれなくても、ギリシャに来てアクロポリスやバルテノンを紹介しないのは片手落ちだから、ストリートビューでのぞいてみた。

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パルテノンは写真で見ると、のっぺらぼうの丘のてっべんにあるけど、じっさいにはアクロポリスの丘は中腹までこんな灌木におおわれているようだ。

若いころのわたしはギリシャ神話の官能的な部分に魅了されて、だいぶ青春のエネルギーを浪費した。
そのおかげでギリシャの神さまについては、まあまあ詳しい。
パルテノン神殿はアテネの守護神であるアテーナー女神を祀った社である。
この女神はトロイ戦争の発端となった3人の女神の、美女コンテストに選抜されたくらいだから、すごい美人だった(そうである)。
ちなみにあとの2人は、オリュンポスの神々に君臨するゼウス大神の奥さんへーラーと、愛と官能の女神アプロディーテーだ。
へーラーは最高尊厳の奥さんであるから忖度による名誉ノミネートだったろうけど、アプロディーテは美貌に加えて、フリーセックスを信条とする愛の女神だったから、結婚をしないカタブツのアテーナーは彼女に優勝をさらわれて、その恨みからトロイアを滅ぼすに至ったとされている。

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甲冑をかぶって生まれてきたというから、アテーナー神はひょっとすると、いま流行りのトランスジェンダーだったのかもしれない。
これはアテーナー女神のポートレートで、たしかにトランスジェンダーといわれても納得できるようなりりしさがある。

ギリシャ神話にかぶれたおかげで、ギリシャはわたしがとくに行ってみたい国のひとつだったけど、よく考えると観たいものがそんなにたくさんあるわけじゃない。
ミロのヴィーナスもサマトラケのニケもルーブル美術館だし、パルテノンの彫刻や壁画だって大英博物館のほうが多いかもしれない。
ギリシャというと、彫刻やレリーフに見られるような素晴らしいプロポーションの人体を思い浮かべてしまうけど、あんな理想的な肉体美のギリシャ人は、現代のギリシャにいそうもないし、はたしてそのころのギリシャ人と現在のギリシャ人が同じ人種だったかどうかもわからない。
となりのトルコだって、トルコ人が居座ったのは11世紀ごろということもある。

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ありし日のパルテノン全体を見たいと思ったら、柱しか残ってないギリシャより、米国のナッシュビルに行ったほうが早いや。
そこには実物大のパルテノンのレプリカがあり、失われた高さ13メートル、金ピカのアテーナー像も復元されているという。

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2021年3月 1日 (月)

ホタテ飯

あ、もう3月だよ。
去年のいまごろは引っ越し先が決まって、そろそろ準備にとりかかっていたころだ。
この1年にもいろんなことがあったなあということは、わたしのブログを読み返すとわかる。
去年のいまごろは日本にもコロナが侵入してきて、大型クルーズ船の乗客が、隔離されるとかされたとか騒いでいたっけねえ。

今夜はこれからホタテの炊き込みご飯を作るところ。
むずかしくない。
スーパーに行けば「ホタテ飯のもと」というものを売っているから、それを混ぜ込んで、ふつうにご飯を炊くだけだ。
じつは以前にも1回やってみたんだけと、スーパーで売っているものは、ゴボウやニンジンのような野菜が多く、肝心のホタテの分量が少ない。
それで今回は、べつに買ってきたホタテの刺身を出し汁に一晩漬けておき、それを混ぜ込んだ。
ああ、あいかわらず優雅ですよ、わたしの晩餐て。

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