地中海/アレキサンドリア
アレキサンドリアという都市がある。
ローマの執政官をくどき落とし、その庇護によって政権を維持してきたクレオパトラが、最後に頼りにしたアントニウスがローマに敗戦したことによって、もはやこれまでと、毒をあおいで死んだのがこの街である。
ということで、歴史好きのわたしはこの街の名前をよく知っていた。
ところがポール・セローの「大地中海旅行」を、アレキサンドリアまで読み進んできて、ちょっと頭が混乱した。
歴史に目がいって、ついエジプトの首都はアレキサンドリアであると漠然と思ってしまい、すぐに、いや、カイロだったよなと思い出したのである。
カイロもアレキサンドリアもナイル河の河口にある大都市のはずだけど、この両者の位置関係はどうなっていたっけ?
わからないときはネットで調べる。
これがその位置関係で、緑色に見えるのがナイル・デルタ、つまりナイル河が運んだ土によってできた扇状地で、ひじょうに肥沃な土地とされる。
アレキサンドリアは海に面しているけど、カイロはすこし内陸に引っ込んでいて、ナイルのデルタが始まる部分、ちょうど扇のかなめの位置にあった。
飛行機で行く場合はカイロまで直通で行けるけど、セローのように船で行く場合は、やはり最初にアレキサンドリアに入港することになる。
近づいてくる街をながめると、ここはオランダよりも低地にあって、海面と同じ高さにあるように見えるとセローは書いている。
なにしろ街の背後には、延々三千キロ彼方まで山らしい山がないというから、山ばかりの国に住む日本人にはめずらしい景色ではないか。
どこか具体的に、それがはっきりわかる場所はないかと思ったけど、そんなものを探すより、ギゼーのピラミッドを見物に行けばいいだけということに気がついた。
たしかあそこはいちめんの砂漠で、ピラミッドとスフィンクスがなければ、起伏というものがまったくなさそうである。
クレオパトラは映画で見ればいいとして、アレキサンドリアで有名なのはギリシャ時代からローマ時代にかけて存在した図書館だ。
ここへ来るまえにセローがのぞいてみたエフェソスでも、いちばん立派な遺跡は図書館の建物だったから、このころの人たちの知識への欲求はハンパじゃなかったようだ。
ここに載せたのは古い時代のアレキサンドリアの地図だけど、かっての図書館は○印のあたりにあったものと思われる。
日本人も、そして代表的日本人のわたしも、図書館や古本屋が好きだ。
そんなことはどうでもいいけど、アレキサンドリア図書館の蔵書は50万巻もしくは70万巻といわれており、まだ紙が発明されていない時代だから、これはぜんぶパピルスだ(パピルスについてはウィキペディアを読め)。
この図書館で働く美しい女性がいた。
彼女はヒュパティといって、よく知られた科学者でもあったから、才色兼備の滝川クリステルのような人だったらしい。
しかし科学を信じないカルト宗教の信者たちに襲われて、貝の殻で肉をはがされて惨殺されたそうで、彼女の死がこの図書館の衰退の始まりだった、ということをなにかの本で読んだけど、とにかくアレキサンドリアに当時の知識の集大成のような偉大な図書館があったことだけは事実のようである。
この図書館の伝統を受け継ぐべく、最近になってユネスコ公認のもと、現代のアレキサンドリア図書館が復活されたそうである。
むかしのそれに比べれば、中身はたいしたことがないだろうけど、いちおう話のタネに見ていくことにした。
図書館のあたりはかんぜんに近代化され、その建物もなかなかモダーンである。
ここでセローはアレキサンドリアについて、さすがに世界的作家だなと思わせる華麗な文章で、長々と解説をする。
そこにロレンス・ダレルの「アレキサンドリア四重奏」が引用されていたけど、あまり読みたくなる本ではなかったから、わたしは触れない。
とにかく街を見て歩こう。
こういう歴史のある街でおもしろいのは、古い街並み、つまりこれまでさんざん見てきた旧市街というところである。
それは市内のどのへんにあるのか。
セローの本に「列車まで時間があるから街の西にある旧市外を見ていこう」という文章があるので、たぶんこの地図上の◯で囲ったあたりではないか。
これが旧市街の景色だけど、ボロい、くすんだビルを観て、真っ先にキューバの古都ハバナを思い浮かべた。
古いキャデラックやオールズモービル、ビュイック、ポンティアックなどを配置すれば、もろに映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」だ。
もっともキューバに似てるといわれて喜ぶ市民はあまりいないだろう。
残念ながら古い建物は残っていても、街全体は区画整理が進んで、ゴミゴミした場所は少なくなっているようで、ここに載せたのはストリートビューでようやく発見した旧市街らしき景色。
期待はずれだったけど、セローにはもうひとつエジプトに行く理由があった。
彼がアレキサンドリアに行くちょっとまえに、テロにあって瀕死の重傷を負ったエジプト人の作家ナギーブ・マフフーズを見舞うというのがその理由だけど、彼の本についてはとくべつに別項をもうけて、すでに書いたからここでは触れない。
それでもマフフーズが入院していたのはカイロの病院だから、そこまでは行かなくてはならない。
カイロに行くのはいいけど問題もあった。
セローが旅をしたころ、エジプトではイスラムの過激派が暴れていて、手当たり次第に欧米からの観光客を襲っていた。
駅で列車の切符を買うのにセローはうーむと考える。
一等車は観光客や金持が多いから真っ先に狙われるだろう。
三等車は、テロリストというのは貧乏人が多いから、やつらはそこに乗り、たまたま同じ車両に外国人がいることがわかれば、ついでにこいつを殺していこうと考えないともかぎらない。
思案したセローは二等車で行くことにした。
これはアレキサンドリア駅だ。
わたしはエジプトに行ったことがないけど、セローの紀行記では、このあとアレキサンドリアからカイロまでののどかな鉄道沿線の描写が続く。
<綿花畑、ブドウ畑、小麦畑、水田、デルタは隅々まで耕され、平たんな土地はすべて区画に分けられ、菜園や畑になっていた>
<運河は舟が往来しているとは思えないほどヒヤシンスやパピルスで埋まっていた>
これ、これこそがわたしの見たい風景だったのだ。
ところが実際にはそうはいかなかった。
エジプトのあたりで米国の看板をぶら下げたストリートビュー車を走らせるには危険すぎるということなのか、それがカバーしているのは大都市の近辺だけで、肝心のデルタ地帯の画像がほとんど出てこないのである。
中国の江南地方やベトナムのメコン・デルタのような、牧歌的ともいえる田園地帯を期待していた当方には残念だけど、何かこのあたりをながめる方法はないだろうか。
わたしのテレビ番組の録画コレクションを調べてみたけど、「世界ふれあい街歩き」シリーズにエジプトを取り上げたものはひとつもなく、「アフリカ縦断114日」という番組があったけと、これはカイロをスタートしてアフリカ大陸を南下するもので、ナイル・デルタはぜんぜん出てこない。
「コメ食う人々」というシリーズにアフリカの大河を扱ったものがあったけど、これは方角違いのニジェール川だった。
どこかにナイル・デルタの映像、画像がないかなと探していたら、ちょうどこれを書いているときテレビで「妹を憎んだクレオパトラ」という番組が放映されて、そのなかにほんのちょっとだけデルタの農村風景が出てきた。
ここに載せたのはテレビからキャプチャーした画像だけど、たぶんこんな感じだと思う。
セローもカイロについはマフフーズを見舞っただけで、街の見物もしてないから、わたしの紀行記もカイロは紹介しない。
観光の見ものとしては郊外にあるピラミッドが有名だけど、それはネット上に写真があふれているし、カイロがつまらない大都会のようなので。
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