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2021年3月 7日 (日)

地中海/エーゲ海のおまけ

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エーゲ海というと、ロードス島とかサントリー二島、ミコノス島など、日本人にも人気のある島がたくさんある。
日本のツアー会社のパンフレットにはおいしそうな写真がたくさん載っていて、わたしも白亜の民家がびっしりならんでいるサントリーニの写真なんぞを見せられ、身もだえするくらい行きたいと思ったことがある。
しかしセローの豪華客船の旅は、このあとトルコとギリシャの、たいしておもしろくもない2カ所のポイントに寄ったくらいで、もう終わったようなものだ。
わたしは旅への愛着のつよい人間なので、名前のわかる場所があれば、それがどんなところか見てみたい。
それでおまけのつもりで、そのおもしろくないポイントというのをストリートビューで覗いて行こう。

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最初に寄ったのがトルコのボドゥルムだ。
港のかたわらに聖ペテロ城という古城があるけど、さすがにもう遺跡は見飽きた。
「マウソロス霊廟」というお墓の遺跡もあったけど、塀にかこまれていて、ストリートビューでは内側が見えんかった。
花がいっぱいでステキだなと思ったところはホテルの中庭だった。
でも近くには熱気球を飛ばす観光ポイントがあるから、ここは日本人が知らないだけで、けっこう欧州では知られたリゾートなのかもしれない。
市内や海に近いあたりを見たかぎりでは、まあ、健全なリゾートといった感じ。
この街でセローは雨に降りこめられてしまう。
半数の乗客は船にとどまったけど、紀行作家が部屋でくすぶっているわけにもいかず、無理に上陸して街の食堂で飯を食った彼が、あとで聞いたら船に残っていたほうがキャビア食い放題の上等の食事にありつけたそうだ。
まあ、トルコの港町の食堂より、14日間で290万円の船のほうが食事が上等なのは当然だ。

雨はつぎの寄港地レスボス島でも降り続いていた。
この島はトルコの沿岸から指呼の間にあるけど、ギリシャ領である。
オスマントルコが崩壊して外国軍隊がトルコを占領したとき、島しょ関係はおおむねギリシャ領ということで手打ちをしたのかもしれない。

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この島で「海の精霊」号が寄ったのはミティリーニという町で・・・・おお、ここにも古城がある!
遺跡めぐりはもうたくさんだ、ということはセローも書いている。
わたしはなにかおもしろいところはないかと、市内をストリートビューで手当たり次第に精査してみた。

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緑地があったから覗いてみると、路上駐車の車ばかりが目立ち、どうもトルコに比べるといくぶんすさんだ感じの町である。
ペットショップがあるというので、変わったペットでもいないかと覗いてみようとしたけど、どれが店なのかわからんかった。
ヤケッパチで郊外の山の上まで行ってみたけど、べつにおもしろくもなんともなかった。
そのうちたまたま発見したのがこれ。
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港の近くに立つなにやらの像と、撮影中のストリートビュー車だ(2枚の写真を合成してある)。
これまでさんざんストリートビューのお世話になってきたけど、こういう車が世界中を走りまわっているのだというタネ明かし。

レスボス島を出ると、つぎの目的地はイスタンブールで、セローはそこで「海の精霊」号とはお別れである。
このころにはセローも豪華な待遇にどっぷりつかっていて、わが家のようになった船を降りるのがツライなどと書く。
わたしも経験がある。
むかし海上自衛隊にいたころ、上陸しているうち海が大荒れになって、内火艇で命からがら艦にもどったことがあり、あのときほど乗りなれた艦が、コンクリートのマンションのように頼もしく思えたことはなかった。
だから船が自分の家のようだというセローの気持ちも(少しだけ)わかるのである。

「海の精霊」号の船内でジャック・グリーンウォルド氏がデザートを作ってみせる。
べつに感動するほど美味しくもなかったようだけど、彼は俗物ばかりの乗客のなかで、その博識と、ちょっとバンカラなユーモア感覚で、セローをうならせたたったひとりの乗客だった。
イスタンブールで別れることになったとき、彼はセローにネクタイをプレゼントする。
このネクタイは近衛連隊のもので、英国とその連邦国では一目置かれるはずのものだったけど、いやあ、じつは自分は近衛連隊となんの関係もないんだと、彼はネクタイのからくりを暴露する。
セローはいっぱい喰わされていたのだ。

「海の精霊」号はダーダネルス海峡に入って、ガッリポリという古戦場を見ながら行く。

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これはチャナッカレの殉教者記念碑と、そこから見たダーダネルス海峡の入口、そしてガリッポリの古戦場のあたり。
ガリッポリという地名も、知識だけはあるのにどこにあるのか、これまで考えたこともなかった土地のひとつだ。
アイザック・アシモフの本で知ったのだけど、英国の科学者ヘンリー・モーズリーが死んだのがこの場所だった。
彼は原子の周期律表という、科学の世界できわめて重要な発見をしたにもかかわらず、戦死してしまったのでノーベル賞をもらえなかった。
死んじまったものは仕方がない、しかし科学の名誉のために、いまからでもそれをモーズリーに与えるべしというのがアシモフの本の主旨だった。
そんなことを知っていたおかげで、ダーダネルス海峡を通過するとき、わたしもいくらか感傷的な気分になった。

「地中海沿岸にはあまりにも多くの墓地があった」
これはセローの文章だけど、わたしはそれに「あまりにも多くの遺跡があった」とつけ加えて、豪華船でのクルーズを締めくくる。
しかしセローの旅はまだまだ続くのだ。

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