地中海/デルフォイとアテネ
ギリシャ神話を読んでいると、あちこちに「デルフォイの神託」という言葉が出てくる。
なにか問題が生じた場合など、ギリシャ人はここへ行って神さまのご神託をうかがうのだそうだ。
ポリスという小さな都市国家の集まりであったギリシャでは、国家間の揉めごとがあった場合など、ここへ行って神託を聞き、双方がその内容を尊重したというから、国連やWTOみたいな役割も果たしていたらしい。
有名なところでは父を殺し、母と結婚するという大罪のオイディプスが、ここで自分の未来を暗示する神託を聞いたというエピソードがある。
アテネの高台には有名なパルテノンの遺跡があるから、わたしはデルフォイというのはこの神殿の御宣託部門かなと思っていた。
じつはぜんぜん別のところにあった。
ポール・セローの乗った「海の精霊」号がギリシャにやってきて、最初に寄ったのが、細長いコリントス湾の奥にあるガラクシディオンという村だった。
デルフォイというのはこの村から20キロほど北に行ったパルナッソス山という山のふもとにある。
それはいいんだけど、グーグルマップを拡大してもガラクシディオンという村が見つからない。
セローたちはここからバスでデルフォイに向かったとあるから、おそらく国道が走っているイテアという街のあたりだろうと見当をつけて、ここからストリートビューをスタートさせることにした。
わたしも名前ばかりで知っていたデルフォイが、どんなところなのか見てみたい。
最初はイテアの港とそこからデルフォイに向かう街道で、まわりはこんな感じ。
デルフォイに到着すると、道路っぱたにバスを止め、この場所から観光客はぞろぞろと歩いて遺跡に分け入る。
遺跡は険しい山の中腹にあって、アポロン神を祀る神殿の跡だけではなく、半円形のコロシアムもある。
考古学やギリシャ神話に興味のある人には貴重だけど、売店も自動販売機も、ましてエスカレーターもなさそうだから、年寄りには辛そう。
最後の写真はデルフォイから、はるかに海をながめたところ。
紀元前490年、ペルシアの大軍がギリシャに攻め寄せてきたとき、ポリスの代表たちはここで断固戦うべしというお告げを聞くのである。
デルフォイにはいまでも、日本でいえば青森県の恐山のような、神さまの御宣託をする巫女さんがいるらしい。
恐山の観光客のなかにはひとのわるいのがいて、マリリン・モンローを呼び出してくれなんていって巫女さんをからかうのがいるらしいけど、ギリシャでもアメリカ人観光客は率直というか、馬鹿であって、もったいぶった言い方をする巫女さんが理解できない。
なんで最初からはっきり結論をいわないのかしらとガイドに訊く。
御宣託というのはそういうものですとガイドは答えるけど、さすがに、いや、あれはただのショーですとはいえない。
セローも無神論者で、そんなお告げは信じないほうだから、ここではかなり不真面目で、ガイドが熱心に説明しているかたわらで、競走馬のオーナーである同行者と競馬の話なんぞを始めてしまう。
「海の精霊」号はデルフォイのあと、首都のアテネに向かうけど、コリントス湾をそのまま行ければ近道だ。
ところがアテネのある大陸側と、タコのようなかたちで海にはりだしたペロポネソス半島は、細い陸地でつながっていて船は通過することができない。
この陸地は幅がせいぜい6キロぐらいしかないから、日本なら掘削して運河を作ってしまうところだ。
そう考えて地図を拡大してみたら、ギリシャ人も同じことを考えたらしく、ここにはコリントス水路という運河があることがわかった。
ただしこの写真にあるようなえらい細い運河なので、むろん大型タンカーなどは通れず、「海の精霊」号が通過するときも、おそらくタグボートに曳航されたか、両側の岸までつっかえ棒でもしながらそろそろと進んだものだろう。
こうしてアテネに着いたものの、どういうわけかこの本を書いたころのセローは、何かギリシャに恨みでもあったのか、このあと訪れるトルコに比べると書きようはかなり辛辣だ。
原因は本を読み進むと、あるていど理解できる。
セローが旅をした1994年ごろというと、表現の自由も欧米諸国なみにあり、国内にキリスト教徒さえ共存していた世俗主義のトルコにひきかえ、ギリシャはすこしまえまで軍事クーデターを歓迎し、乱脈な経済運営で国内はガタガタ、年寄りの首相は妻を捨ててスチュワーデスといっしょになったというていたらく。
品行方正なセローにはそのへんが気にいらなかったらしいから、スチュワーデスと結婚したのはどの首相かと調べてみた。
これは1985年から首相をつとめたアンドレアス・パパンドレウさんのことらしかった。
しかしセローはきらっても国内的にはなかなか人気のある人だったらしく、パパンドレウさんはあとで首相に復帰しているし、息子も首相になっている。
人気の原因は公務員らに対するバラまきにあったようで、そんな行き当たりバッタリな政治をしていたのでは、セローがきらうのももっともだ。
そういう理由でセローはアテネにはほとんどふれず、有名なアクロポリスも市の職員のストで閉まっていたという。
こういう職員にムダ飯を食わせていたギリシャが、EUからまじめにやれと是正勧告をされるのは2010年ごろのことである。
背に腹は代えられないと公務員の削減に着手して、緊縮政策に反対な国民の大規模なストライキになり、わたしから緊縮しないで経済がなりたつなら、安倍クンに教えてやらなくちゃと冷やかされたのは2015年の1月のことだ。
セローはふれなくても、ギリシャに来てアクロポリスやバルテノンを紹介しないのは片手落ちだから、ストリートビューでのぞいてみた。
パルテノンは写真で見ると、のっぺらぼうの丘のてっべんにあるけど、じっさいにはアクロポリスの丘は中腹までこんな灌木におおわれているようだ。
若いころのわたしはギリシャ神話の官能的な部分に魅了されて、だいぶ青春のエネルギーを浪費した。
そのおかげでギリシャの神さまについては、まあまあ詳しい。
パルテノン神殿はアテネの守護神であるアテーナー女神を祀った社である。
この女神はトロイ戦争の発端となった3人の女神の、美女コンテストに選抜されたくらいだから、すごい美人だった(そうである)。
ちなみにあとの2人は、オリュンポスの神々に君臨するゼウス大神の奥さんへーラーと、愛と官能の女神アプロディーテーだ。
へーラーは最高尊厳の奥さんであるから忖度による名誉ノミネートだったろうけど、アプロディーテは美貌に加えて、フリーセックスを信条とする愛の女神だったから、結婚をしないカタブツのアテーナーは彼女に優勝をさらわれて、その恨みからトロイアを滅ぼすに至ったとされている。
甲冑をかぶって生まれてきたというから、アテーナー神はひょっとすると、いま流行りのトランスジェンダーだったのかもしれない。
これはアテーナー女神のポートレートで、たしかにトランスジェンダーといわれても納得できるようなりりしさがある。
ギリシャ神話にかぶれたおかげで、ギリシャはわたしがとくに行ってみたい国のひとつだったけど、よく考えると観たいものがそんなにたくさんあるわけじゃない。
ミロのヴィーナスもサマトラケのニケもルーブル美術館だし、パルテノンの彫刻や壁画だって大英博物館のほうが多いかもしれない。
ギリシャというと、彫刻やレリーフに見られるような素晴らしいプロポーションの人体を思い浮かべてしまうけど、あんな理想的な肉体美のギリシャ人は、現代のギリシャにいそうもないし、はたしてそのころのギリシャ人と現在のギリシャ人が同じ人種だったかどうかもわからない。
となりのトルコだって、トルコ人が居座ったのは11世紀ごろということもある。
ありし日のパルテノン全体を見たいと思ったら、柱しか残ってないギリシャより、米国のナッシュビルに行ったほうが早いや。
そこには実物大のパルテノンのレプリカがあり、失われた高さ13メートル、金ピカのアテーナー像も復元されているという。
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