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2021年4月

2021年4月30日 (金)

ペテルブルグのバレリーナ

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ポール・セローの地中海が一段落して(まだ終わったわけじゃないけど)やっと「ペテルブルグのバレリーナ」という本のことが書ける。
あんまり固っ苦しいことを書くつもりはないから安心してチョーダイ。
ペテルブルグというのは、ロシアの古都サンクト・ペテルブルクのことで、この本はロシアのバレリーナ、マチルダ・クシェシンスカヤの自伝である。
とはいうものの、わたしはこの人の名前を、この本を読むまでぜんぜん知らなかった。
自伝というのは本人が書いた(とされる)ものだから、きれいごとに終始しているのが普通だけど、またネットでいろいろ調べながら読むと、べつの視点での彼女のことがわかっておもしろい。
じっさいのマチルダはどんな人だったのだろう。

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彼女は1872年の生まれで、40代のころにロシア革命を体験した世代だから、古い古い、歴史上の人物といっていい人である。
ロシアのバレリーナとして、はじめて最高位のプリマにのぼりつめた人なので、当時(日本の明治時代)の人としてはめずらしいくらい写真がたくさん残っている。
まさか映像までは残ってないよねということで、念のためYouTubeに当たってみたら、ロシアのドキュメンタリーが見つかった。

https://www.youtube.com/watch?v=7lFCjyRGqfo

この中にクシェシンスカヤ(らしきダンサー)が踊るシーンが、いくつか出てくる。
ほかにもバレエ・リュスやイサドラ・ダンカンの映像もあるので、これはお宝映像といえる。

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以前読んだマイヤ・プリセツカヤの自伝と同じように、これはヒロインがバレリーナとして頭角をあらわしていく物語かと思ったら、最初のほうはうぶな少女の恋物語といったほうがふさわしかった。
恋の相手は、日本にやってきて暴漢に切られたこともある、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世である。
ニコライの父親のアレクサンドル3世は、結婚まえの息子のために愛人をあてがってやろうと考え、たまたま美女バレリーナとして売り出し中のマチルダに白羽の矢を立てたのだ。
日本にもこういう親切な親父は、歌舞伎の名門や大店の旦那によくいたもので、息子が童貞のまま、つまり世間知らずのまま結婚したのでは具合がわるいと考えたのだろう。
最高の美女は最高権力者の愛人になるのが当然という時代だったし、現代でもあこがれの大スターのまえに出ると、それだけでぼぅーっとなる娘はいるものだから、マチルダが皇帝のせがれに一目惚れしても不思議じゃない。
彼女は庶民だったから正式の妃にはなれなかったけれど、彼女のニコライに対する敬愛は終生変わることがなかった。

ニコライ2世はロシア革命で家族もろとも処刑された悲劇の皇帝である。
わたしがこの本でまず興味を持ったのは、かっての愛人であり、パトロンでもあった皇帝の死を、マチルダはどこで知ったのかということだった。
マチルダは皇帝の寵愛を受けた女性であり、ニコライがべつの女性と結婚したあとも、生活基盤ははなやかな貴族制度とともにあったから、ロシア革命では当然ながらブルジョワ階級に分類され、他人の命の心配をするどころではなかった。
彼女はまだ貴族制度がそれなりの重みを持っていたフランスに、命からがら亡命することになるんだけど、亡命先でようやく皇帝一家が処刑されたというニュースが伝わってくる。

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ニコライの死についてはウィキペディアに、わざわざ別項が設けてあるくらい詳しいけど、ほとんど虐殺といえるくらいむごたらしいものだったようだ。
革命派からすれば、殺されても仕方がない皇帝のそれまでの贅沢な生活ぶりだけど、親が憎けりゃ子供も憎いというわけで、ニコライの1男4女の子供たちまで惨殺されている。
これはニコライと妃のアレクサンドラ、子供たち。
マチルダの生きた時代はロシアが激流にもまれ、さまざまな人々の運命が反転したころで、自伝のこのあたりでは「ドクトル・ジバゴ」のような、ドラマチックな歴史小説を読んでいるような気分になる。

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当時のヨーロッパには、亡命してきたロシア人ばかりではなく、アンナ・パブロワやイサドラ・ダンカン、バレエ・リュスのディアギレフのような、以前からのマチルダの知り合いがたくさんいた。
彼女は亡命したときすでに四十代の後半にさしかかっていたけど、こうした人々と交際して、生活ぶりはあいかわらず派手だった。
本国ではとうに貴族制度は崩壊しているのに、彼らがまだロシアにいたとき使っていた“大公”などという尊称を呼びあっているのをみると、いい気なもんだと思ってしまうけど、そんな派手な生活を支えるために、彼女はバレエの教師をしてお金を稼ぐことにする。
こういうときロシアで最高のバレリーナという肩書きがものをいった。
彼女にレッスンしてもらいたいという生徒があとを断たず、経済的には不自由しなかった。
彼女が教えた生徒のうち有名なところでは、英国ロイヤル・バレエの創始者だったアリシア・マルコワや、のちに一世を風靡するマーゴ・フォンテインなどがいる。

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やがてドイツでナチスが台頭して、戦雲がヨーロッパをおおった。
革命とニコライの死に次いでわたしが関心をもったのは、第二次世界大戦のあいだマチルダは、どこでなにをしていたのだろうということだった。
ナチスはユダヤ人に対するのと同じくらいロシア人に過酷だったのだ。

マチルダは大戦のあいだもずっとパリにいてバレエ教師をしていたけど、ドイツ軍がフランスに進駐すると、40歳ほどになっていた彼女の息子もいちじ収容所に入れられてしまう。
息子を溺愛していたマチルダは慌てふためくけど、さいわいなことに収容所の所長が理解のある人物で、大事には至らなかった。
自伝には書いてないけど、この所長もマチルダが高名なバレリーナであることを知っていた、ドイツ貴族の出身だったのかもしれない。
ドイツ人は野蛮なこともたくさんしたけど、パリを燃やせというヒトラーの命令にしたがわなかった軍人のように、高潔な人物もけっこういたのである。

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若いころのマチルダの男性遍歴があまりはなやかなので、彼女は淫ランな人であるという噂が立ったことがある。
彼女は皇帝と別れたあと、アンドレイという王族のひとりと結婚するんだけど、その子供をはらんだとき、正式の亭主のほかにパトロンだったイワン大公という相手がいて、子供の父親は大公であろうという噂が流布したという。
おそらく彼女自身にもほんとうのところはわからなかったんじゃないか。
自伝のなかに、大公は自分の子供ではないことを確信していらっしゃったという文章があるけど、“確信して”ってのはナンダ。
身に覚えがなければそんなことを書くはずはないから、彼らに肉体関係があったことは間違いがない。

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マチルダ・クシェシンスカヤの生きた時代は、動乱の時代であったと同時に、あいつの女房はオレもの、オレの女房はあいつの・・・・という、乱れた男女関係があたりまえの時代だった。
ロシアの小説から不倫という言葉を省略したら、なにも残らないくらいだ(日本の源氏物語もそういう傾向があるから、貴族っていうのはよっぽどほかにやることがなかったんだね)。
そんな上流社会で育った彼女は、ただ無心のまま、そういう風潮に忠実であっただけなのだろう。
わたしは日本の平民としてロシア貴族の豪奢な生活に反感を持つと同時に、「ドクトル・ジバゴ」や「山猫」などの映画に描かれた、落日貴族の物語にロマンを感じる部分もないわけじゃないので、いろいろ複雑なのだ。
どう? 固っ苦しくないでしょ。

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2021年4月29日 (木)

運転免許証

なんかテレビで変な番組を放映しているなと思ったら、今日は祭日だそうだ。
そうか、ゴールデンウィークが始まったのかとようやく気がついたけど、けっしてわたしがボケたわけじゃない。
ただでさえ毎日メリハリのない生活をしている年寄りだし、今年はコロナで外出自粛だもんだから、これさいわいと、いちにち部屋で本を読んだり、パソコンをにらんでいた。
これでは時間の概念はますます縁遠いものになる。
わたしが特別におかしいってわけじゃないゾ。
でもいま急に、今日は何日ですか、今日は何曜日ですかなんて、高齢者の適性検査をされたらきっと迷うだろうな。

そんなことを考えているうち、もう1年ちかく使ってないわたしの運転免許証が心配になってきた。
ふつうなら有効期限が近づくと、警察のほうから連絡があるはずだけど、わたしは去年住所が変更になったから、もしやなにかの間違いで・・・・
確認してみたら、有効期限は平成34年の誕生日になっていた。
え、今年は平成何年なのさ?
これってまだ切れてないよね?

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2021年4月28日 (水)

やりかえせ

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中国の報道官が葛飾北斎の版画をもじって、日本の原発処理水の放出を皮肉ったそうだ。
こういうやり方はなかなか気が利いている。
ストレートに反論するのはおとなげない。
日本も中国発祥のコロナを、水墨画かなんかでパロってやろうという人はいないのか。

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2021年4月27日 (火)

伝統行事

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テレビを観ていたら、韓国の伝統行事「春香祭」という番組をやっていた。
へえ、韓国にも伝統があるんだと考えたのは、わたしの浅学を証明するものかもしれない。
しかしなんでこの時期に、とは思わない。
NHKのこういう番組は再放送のことが多く、初回放送はずっとむかしだったということがよくあるからだ。
じっさいにそのとおりで、これが最初に放映されたのは2002年だという。
ということは、日本にわりあい融和的な姿勢をみせた金大中さんが大統領だったころだから、番組がわきあいあいとした雰囲気なのも不思議じゃない。

わきあいあいとして楽しそうなら、他人がゴチャゴチャいうことじゃないけど、韓国の歴史をいくらかこころえているわたしには、李氏朝鮮時代にそんな一般庶民が楽しめる祭りがあっただろうかと、いくらか違和感がある。
番組を注視していたら、祭りの起源の説明があり、それによると1931年に、当時韓国を併合していた日本の肝いりで始まった祭りだそうだ。
韓国には、日本にある祇園祭や三社祭のような、庶民が参加できる祭りがないのを不憫に思った日本政府が、いろいろ韓国の伝説などを調べて、両班にこういう悲恋の物語があるということを知り、祭りに取り入れたのだろう。
敗戦で日本が半島から撤退したあとも、わきあいあいとしたものを無理に廃止する必要もないわけだから、韓国人の手で連綿と引き継がれてきたのではないか。

これも日本がやった善政のひとつだと思うんだけど、反日に異様な執念をもやす現在の文政権下では、日帝の積弊だといわれて、祭りそのものがボイコットされてもおかしくない。
まあ、大事にしなさいと韓国の人たちにいっておく。
たれが始めたかはともかく、あきらかに日本の祭りとはちがっていて、これは韓国の伝統だと誇れる貴重な祭りなのだから。

ところでよその国にばかり意見しちゃいられんね。
今日はコイノボリの写真でも撮ろうと出かけたのに、古い農家や田地田畑の多いうちの近所に、そんなものひとつも上がっていなかった。
まさかコロナのせいで自粛勧告は出てないよね。
古きよき端午の節句の伝統はいまいずこ。
冒頭に載せたのは去年まで住んでいた大沢村のコイノボリ。

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2021年4月26日 (月)

地中海/キプロス

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世界に分断国家は少なくないけど、地中海のキプロスもそのひとつ。
位置的にはこんな感じだ。
大きさは日本の四国の半分ぐらいで、人口は120万人ほどの小さな島なんだけど、いちおう独立した共和国ということになっている。
住人はむかしからギリシャ系とトルコ系が混在していて、数の多いギリシャ系がトルコ系を圧迫したことがあった。
怒ったトルコが軍隊を派遣して、現在のところ南部はギリシャ系が統治するキプロス共和国のまま、北部はトルコが支援する北キプロス共和国になっている。
こういう分裂騒ぎのとき血を見るのも当然のことで、国連平和維持軍があいだに割って入っているものの、これが火種になった国境紛争は現在でもくすぶった状態だ。
ギリシャとトルコは仲がわるいということは、このブログでも触れていて、となり同士の国はそういうものかなと書いたことがある。

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ポール・セローはイスラエルからキプロス島にやってきた。
といっても乗船していたアクデニズ号はトルコ船籍の船なので、彼が上陸したのはトルコが認めている北キプロスの、ガジマゴサという港である。
彼は同じ船に乗っていた3人のトルコ人と町をぶらついた。
3人というのは、かってトルコ空軍のパイロットだった退役軍人、熱狂的な聖書愛好家の若者、47歳にして独身のネクラな放射線専門医だ。

ガジマゴサには港の近くに、ヴェネチア人の築いた古い城壁がある。
せっかくだからその城壁もちっと紹介しておこう。

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町はトルコの支配下にあったから、町のなかのニコラス大聖堂は尖塔をつぎ足され、なんとかいうモスクに変えられていたそうだ。
この写真は城壁と、なんとかいうモスク。

ガジマゴサは、町の食堂のほうが安っぽいアクデニズ号の食事よりもさらにまずいという悲惨なところで、セローたちはさっさと100キロほど離れたギルネという町に移動することにした。

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最初はタクシーのつもりだったけど、運転手と3人のトルコ人で料金が折り合わず、バスに乗った。
バスだとニコシア(セローの本ではトルコ読みのレフコサにしてあるけど、ギリシャ読みのニコシアのほうがよく知られているので、このブログではニコシアを使う)の街で乗り換えなければならない。
乗り換えを待つあいだ、こんどはニコシアをぶらついてみた。
ここは以前はキプロスの首都だったところで、現在は街そのものも、かってのベルリンのようにまっ二つに分断されている。
グーグルの地図とストリートビューをながめてみよう(このページのトップにかかげた写真はニコシア)。

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この街にも古い城郭都市の名残りがあって、水色の◯で囲ったのがそれ、クレパスでひいた赤のラインはそれをまっ二つにした境界線だ。
エルサレムのガザ地区では境界線は立ち入り禁止、ストリートビューでも見ることができなかったけど、ここでは見ることができた。

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この写真が(トルコ側から見た)境界線近くの風景で、ネットや壁で仕切られ、もちろん越境は禁止である。
境界線の上に、運わるく建物ごと分断されてしまった「シナン・カフェ」という気のドクな喫茶店があった。
店主がウチの二階ならあっち側が見えますよという。

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このカフェの場所はわからなかったけど、写真の左に見える2本の旗はもう境界だから、まん中の派手派手な建物がそのカフェかもしれない。
ちょっとギリシャ側に行ってみたいんだけどと、セローは監視の国連軍兵士に頼んでみた。
ダメですと、にべもない。
シナン・カフェの店主も、同じ建物のギリシャ側には行けないというから不条理な話だ。

キプロスで紛争がぼっ発して、トルコがキプロスに軍隊を派遣したのは1974年のことである。
当時のギリシャはクーデターや政治の腐敗で、軍隊を効果的に動かすことが出来ず、トルコはたちまち制空権を把握した。
もとパイロットの退役軍人はそのころの話をセローに聞かせる。
だらしないギリシャ軍に比べると、トルコ軍は錬磨されていて、トルコの爆撃機が出動すると目標にはなにも残らなかったそうだ。
ジェット機のエンジンのアフターバーナーを使って、民家のガラス窓をみんな割ってやったよと得意そうに話すから、ギリシャの民家だけですかと聞くと、両方だよ、片方の民家だけってわけにはいかないさという。
まだ巡航ミサイルのないころだから、そりゃそうだ。

ようやくバスを乗り換えて、セローの一行は島の北の海岸にあるギルネの町に行く。
トルコ軍はここから上陸したと退役軍人はいう。
町は荒廃しており、いちばん大きなホテルからでさえ、セローはハワイにいる奥さんに電話をすることができなかった。
町にも住むトルコ人は、自分たちは見放されているとぼやく。
紛争地では経済発展の見込みもなく、トルコも軍隊の派遣以上の支援はしにくいのだろう。
これ以上長居をしても見るものもないようなので、彼らはガジマゴサのアクデニズ号にもどった。

じつはセローはこのあとシリアへ行き、その帰りにギリシャ側のキプロス共和国にも寄るのである。
両側からキプロスを見ようという研究熱心だけど、もともとギリシャに好意的でないセローには感心するようなものはなく、こちら側ではあちらの悪口をいい、あちら側ではこちら側の悪口をいうのを確認しただけだった。

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その帰り道でキプロスに寄ったときのこと、セローはリマソルという港町の英国ふうパブでイッパイひっかける(写真はリマソル港の地図と写真)。
トルコ側に比べるとギリシャ側は観光業がまあまあ盛んで、いくらか活気があるなという印象だったそうである。

これで終わりではおもしろくないので、わたしのブログではキプロスにある二つの世界遺産を紹介しとこう。

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「ヨーロッパの美しい村30選」に選ばれた、とても美しいとされるレフカラ村(最初の4枚)と、景色が絶景とされるトロードス山(あとの5枚)なんだけど、日本の信州や上高地に行ったほうがずっとマシな気がする。
ユネスコを信用するのは危険だという証明かも。

キプロスを出航して、また4人組になったセローたちは、船内でいろいろ話をする。
ちょっとトルコ人に質問するには微妙な問題だけど、セローはアルメニア人についてどう思うと訊いてみた。
トルコとアルメニアの関係は、日本と韓国の関係に似たところがあって、どちらもかっての過ちを相手にねちねちといわれ続けている。
トルコがアルメニア人の大虐殺をしたとされるのは、第1次世界大戦のころで、このころの世界史をみれば(おもてに出てこないだけで)血で塗られているといっていいくらい、世界中に虐殺やジェノサイドがあふれていた。
だからいいというわけじゃないけど、いつまでもそんなものに拘れば、かえって憎しみを増長させる場合もあるように思う。
歴史を忘れないことは重要だけど、前進することはさらに大切だ。
セローと3人のトルコ人の会話も月並みなもので終わっている。
アルメニア人もギリシャ人も、ふつうに付き合う分にはいい連中なんですけどねと。

イスタンブールにもどったポール・セローは、このあとシリアへ向かう。
ここはいまでも激しい内戦が続いているところで、ああん、わたしもいいかげん疲れた。

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2021年4月25日 (日)

報告だけ

図書館へ、借りている「大地中海旅行」の返却を延長してもらいに行ったら、つぎの人の予約が入ってますといわれてしまった。
仕方がないから返したけど、手ぶらで帰ってくるのもシャクだから、館内を一巡して、たまたま目についた「ペテルブルグのバレリーナ」という本を借りてきた。
じつはこの本を読むまでぜんぜん知らなかった人なんだけど、これはマチルダ・クシェシンスカヤというロシアのバレリーナの自伝だった。
帰宅してその経歴を調べてみたら、彼女は戦前の、というか第一次世界大戦のまえから活躍していたものすごく古いバレリーナだった。
ロシア最後の皇帝ニコライの愛人だったことがあるといえば、歴史に詳しい人なら日露戦争を思い浮かべるかもしれない。

それでもわたしが知っている人物、たとえばマリウス・プティパ、バレエ・リュスのディアギレフ、イサドラ・ダンカン、アンナ・パヴロワなどの名前が随所に出てくるから、なんか参考になることでもありやしないかと読み進んだ。
そのうち肝心のバレエのことよりロシア革命のことが興味深くて、ついついその部分に熱中してしまった。
うーん、これはなにか書けそうである。

というわけで、頭をひねってるんだけど、ほんとうはそのまえに「地中海」の続きも書かなくちゃいけないし、本はそのあい間に読まなくちゃいけないし、原稿のたまっている売れっ子作家になったような心境なのだ。
考えてばかりいるとまたブログに穴があきそうだから、今日のところはちゃんと生きてますという報告だけ。

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2021年4月23日 (金)

エリカさん

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わたしの好きな米国のジャズバンド「チューバ・スキニー」だけど、美貌のボーカリスト、エリカさんが今年になってせんぜん出てこないから、子育て中心の生活になって、歌手は引退したのかなと思っていた。
それがひさしぶりにスキニーといっしょに歌っているライブ映像を発見した。
ただし、注意しないと、スキニーの演奏はファンが勝手に撮影し、勝手にYouTubeに上げたもので、今年公開されたからといって、かならずしも今年の映像とは限らないことがある。

発見した映像2021年の4月10日にアップされており、これは間違いなく今年のもののようだ。
エリカさんは左足を捻挫か骨折したらしく、ギプスをはめ、あいかわらずなにがおもしろいのかという仏頂面で太鼓を叩いている。
妊娠してお腹がポンポコリンのエリカさんは見たことがあるけど、足を骨折した彼女を見たのは初めてだから、これは今年の映像ではないか。

調べてみたら、彼女は去年の暮れになんか喉の病気の手術をしたらしく、しばらく見なかったのはそれが原因らしい。
手術がすんだら今度は足にギプスだなんて、ホント、彼女は愉快な人である。
ホント、わたしはひとのわるい男だけど。

「悲痛」な話題から「ノーテンキ」な話題で、自分でも分裂症じゃないかと思えてきました。

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2021年4月22日 (木)

悲痛ということ

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釈迢空のことはこのブログでも何度か触れているけど、彼の歌集に「硫黄噴く島」というものがある。
これは太平洋戦争のおりに、自分の息子も含めた日本軍が、硫黄島で玉砕していくさまを歌った悲痛な鎮魂の歌集だ。
最近短歌に凝っているわたしは、天気がよくて樹木の緑が美しいこの季節に、ふと飯能まで行きたくなった。
天気がいいと、あるいは緑が美しいと、なんで飯能に行きたくなるのか。

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世間にさしさわりがあるので詳しく触れないけど、飯能はわたしの知り合いのSという男の墓標が立つところである。
墓標はあくまで象徴的なもので、具体的な石碑の類があるわけじゃないけれど、彼については忸怩たる思いがあるので、その追悼の意味もあって、ひとりでついふらりと出かけたくなったわけだ。
ということで、以下の歌は悲痛ということを知ってる人たちへ。

  あの店も記憶にありし飯能の
       Sとながめた街並みかなし
  この道を歩みつSに聞いたこと
        のこる余命は半年たらず!
  飯能の道祖神にも祈りおり
      甲斐なきことをSは知るらめ
  ここでいい、ここにしようと決めた場に
          十六羅漢はいまもあるなり
  Sの骨こやしにしたかシャガの花
         その純白に疑念ぬぐえず
  Sはいま天覧山のヤマツツジ
        花とならむや葉となりたるや
  ウグイスの声さえ聞けばおもほゆる
         Sのあの声あのしぐさをも


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釈迢空に伍してとエラそうなことは言わないまま、最後に自らを自嘲した1首。

  もうすでに分裂症かこのブログ
       きのうネットできょう短歌とは

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2021年4月21日 (水)

脳内オフィシャル

車について一席ぶつ。
運転の大嫌いなわたしだけど、脳内オフィシャル(最近のネット用語らしく、いちど使ってみたかったんだよね)として、カー・レースや、車にまつわる社会の動きなどにも、興味を失ったわけじゃないのだ。

トヨタがついに電気自動車(EV)を発表した。
大手のマスコミがほとんど取り上げないから気がつかなかったけど(念のためヤフー・ニュースを確認して、ニュース面にないから経済面まで確認したのに出ていなかった)、すでに YouTube にはメーカーの公式ビデオが出まわっているので、ガセではないだろう。
まだコンセプトカーの段階だとしても、事実だとすれば衝撃的なニュースのはずなのに、マスコミが取り上げないのはなぜだろう。
現代は広告のためのグッズとして、若者には
YouTube が圧倒的なので、もはや新聞もテレビも広報媒体としてはメーカーに見放されたのかもしれない。

テスラや他のメーカーが鳴りもの入りで騒いでいたEVカーの世界で、じっと無言をつらぬいていたあのトヨタが、満を辞して発表した車である。
他のメーカーなら許されてもトヨタには許されないことがある。
テスラは先日事故を起こしてドライバーを死なせたけど、トヨタに同じことがあれば、また欠陥車だと大きな社会問題になり、莫大な慰謝料を請求されるに決まっているのだ。
そんなトヨタが発表したということは、完成度はそうとうに高いはずであり、ひょっとすると並み居る競合メーカーを瞬殺するかもしれない。
じっさいの販売開始は今年の下半期だという。
うん、わたしもまだ生きているうちにこれが走るのを見られそうだな。

ところで「脳内オフィシャル」という言葉は韓国で流行りだした言葉らしいけど、それを「脳内妄想」という意味に使ったのは合ってるかしら?

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2021年4月20日 (火)

4月20日

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部屋のまわりに、前項で紹介したイベリス以外に、2種類の白い花が咲いている。
色も大きさもかたちもよく似ているので間違えやすいけど、茎が枝分かれしているのが「オオアマナ(大甘菜)」、ひょろひょろと長い茎の先に花をつけるのが「ハナニラ(花韮)」だ。
べつにめずらしい花じゃない。

  花にあけ花にくれゆくわが家かな
     ふと気がつけばまた去年(こぞ)の花


季節がきっちり一巡した。
わたしがこの団地に引っ越ししたのが去年の4月20日だ。
あれから1年、夏の暑さも冬の寒さも経験し、こうやって団地暮らしをした場合の経費もおおよそ見当がついた。
現在のような切り詰めた生活をしていれば、年金と貯金であと30年ぐらい生きていけそうだ。
これは病気や不測の事態まで計算に入ってないから、そういうものがあったらあっという間に生ポ(ネット・スラングで生活保護)ということもあり得るけど、そうなったらさっさと首を吊るのだ。
ま、心配しなくても、あと30年なんかとても生きていられないよ、わたし。
さあ、今日も元気で生きよう。

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2021年4月19日 (月)

イベリス(トキワナズナ)

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  イベリスを雪の名残と思ふらむ
        足とめ見つつひとの行くかも

おお、いっぱしの歌人みたいな顔しちゃってと、外野からヤジを飛ばされそうだけど、金なし、家なし、家族なしのわたしとしては、歌でも詠むくらいしかタダでできるひまつぶしは思い当たらないもんね。
最近自分の天分に目覚めたというとオーバーだけど、わたしもずっとまえに朝日歌壇に投稿していたホームレス歌人を目指してみるか。
いや、いつも朝日新聞の悪口ばかりいってるから無理だよな。
産経に投稿してもあまりハクがつきそうもないし。

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いまわが家の花壇ではピンクのシバザクラと、もうひとつの白い花が激しい陣取り合戦のまっ最中。
いや、合戦ではなく、おだやかな禅譲なのかもしれないけど、目下のところ優勢なのは白い花のほう。
ぜんたい、なんてえ花なんだいと調べてみたら、「イベリス」っていうらしい。
そんなキザったらしい名前じゃなく、和名はないのか、和名は。
和名がなければ、まだ新しい侵略性外来種かもしれない。
そう思ってさらに調べてみたら、「トキワナズナ」という和名があるようだった。
ナズナ・・・・・?
ペンペングサって雰囲気じゃないけど、ま、小さい花が集まったところは、ぜんぜん似てないわけでもないね。
おぽえとこう。

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2021年4月18日 (日)

地中海/エルサレム

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セローはつぎにバスでエルサレムを目指す。
ここは聖書にちなむ遺跡が多く、それはまた映画の舞台になったところでもある。
映画が全盛だったころ、神さまといえはキリスト教が当然だった米国では、敬虔なプロデューサーたちが、退廃世界の代表であるハリウッドで荒稼ぎしようと、競って大金をかけたスペクタクル史劇を製作し、そのために聖書を題材にすることが多かった。
「十戒」「ベン・ハー」「偉大な生涯の物語」「天地創造」「ソドムとゴモラ」「ソロモンとシバの女王」などみんなそうで、じつをいうとわたしの聖書の知識はそういう映画から得たものも多いのだ。

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勘違いしないでほしいのは、ユダヤ人というとかならずしも日本人が想像するような人ばかりじゃないということだ。
セローはエルサレムの市内で、エチオピアのアディス・アベバから移住してきた黒人に出会う。
彼はヤルムルクはかぶらないけど、自分はユダヤ人だという(ここに載せたのはハシッド派という厳格な信者の黒服と、ヤルムルクという帽子)。
同じユダヤ教徒でも、身もこころも神さまに捧げちゃっている人もいれば、身だけ、あるいはこころだけという人もいるのである。
セローはハイフォにいるとき、ここにはシナゴーグ(ユダヤ教会)よりも、キリスト教や正教の教会のほうが多いと書いているくらいだから、イスラエルには、まあ、いろんな信者がいるらしい。

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わたしは高校生のころ、「白鯨」という小説に引用されていた聖書の語句が気にいって、意味もわからず暗唱していたことがある。
  荒海のうずまく彼方
  いろも濃き緑のいろに
  うるわしの野は広がれり
  ヨルダンの谷は騒げど
  なつかしのカナーンは見ゆれ
たしか阿部知二訳のこんな文章で、エジプトを追われたユダヤ人が、モーゼに率いられて、ようよう現在のカナーン(神の約束した土地 = イスラエル)にたどりついた気持ちをうたったものだそうだ。
イスラエルにいすわったユダヤ人国家が、その後周囲ともめごとばかり引き起こしていることを考えると、神さまも無責任な約束をしたものである。

自分の国家を持たない民族の悲劇を、ナチスのホロコーストなどでいやっというほど味わったユダヤ人にとって、神の約束した土地にイスラエルを建国することは悲願ともいうべきものだった。
ただ問題は、キリスト教の聖地であるエルサレムは、同時にユダヤ教、イスラム教、ギリシャ正教、アルメニア正教などの聖地でもあるということだ。
いったいぜんたい、なんでこんなに一ヶ所に聖地が集まってしまったのか。
そのへんをじっくり考えてみた。
考えればわかると思うのがわたしのだいそれた性分で、これは知っている人も多いと思うけど、それぞれの宗教の根っこは同じものであるということで、大天使ガブリエルは、キリスト教のバイブルでもイスラムのコーランでも重要な登場人物なのだ。
もうひとつの原因は、たったひとつの教えとファッションではつまらないという、人間の多様性に原因がありそう。
無責任なわたしの発言が、本家争いを煽ることになっても困るので、考えるのはこのくらいにしておこう。

名所旧跡にあまり関心のないわたしだけど、映画や絵画に描かれたロマンに満ちた歴史のなかを、ぼうっとさまようのは好きである。
だからここではすなおに、エルサレムにある遺跡の見物をすることにする。

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これが各宗教の聖地であるエルサレムだ。
赤いラインで囲ったのが聖地が密集した旧市街地で、縦横がせいぜい1キロちょいしかないせまい区域である。
セローにいわせると、エルサレムは「これまで見てきた地中海地方のなかでも指折りの美しさ」であるそうだ。
彼はアメリカ・ナイズされた近代都市には興味がないようだから、これは旧市街のことをいってるんだろうけど、ストリートビューで見ると、もうせまくてゴタゴタしたところである。
作家の司馬遼太郎も中国の蘇州で、どぶ川みたいな運河に感動していたから、文豪や芸術家の感覚は常人にはうかがい知れないようだ。

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旧市街に入るためにセローは、8つある門(ひとつは閉鎖中)のうちのヤッフォ門から入る。
これがストリートビューで見たヤッフォ門で、最初は城壁の外からのながめ、つぎは内部から見たところ。

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城内はいろんな宗教が地権者になっている関係で、区画整理が進んでないから、まだ古い建物がそのままで、メインストリートの地下なんか、イスタンブールのグラン・バザールみたいな土産物屋になっていた。

ここに「嘆きの壁」というユダヤ教の聖地がある。

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詳しい来歴はまたウィキペディアを読んでもらうとして、いまでもこの壁のまえで大勢の信者が泣き叫んでいるのを見ると、麻原彰晃サンの御影をあがめたてまつっている信者のようで、無神論者のわたしにはあまり気持ちのいい景色じゃない。
しかしそんなわたしでも、もしもこの世に宗教というものがなかったら、世界にゴマンといる信者たちは、なにをこころの支えにして生きていけばいいのかと愕然としてしまう。
まさか全員に、競馬やパチンコを支えにして生きなさいとはいえないし、まあ、壁に向かって泣くぐらいは罪がないからいいか。

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「墳墓教会」は、ここがイエス・キリストが磔になった場所だという。
ご本尊さまが磔になったのだから、基本的にキリスト教の聖地だけど、アルメニアやギリシャの正教会もお参りにくるらしい。
金ピカのタマネギ屋根がよくめだつ「岩のドーム」というものもあって、これは由来を調べるとイスラムの聖地だけど、まちがってキリスト教徒がまよいこんできてもおかしくない。
とにかくみんな500メートルぐらいの範囲内に軒を接しているので、もう日本人にはなにがなんだかわからない。

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レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の舞台もここにあって、それは城壁の南へ200メートルほど行ったところにある建物の食堂だそうだ。
これがそうだけど、入場料は取ってないみたいだから、どこかの宗教のメシの種ってわけでもなさそう。
このすこし先にオスカー・シンドラーなる人の墓があった。

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これってアレじゃん。
スピルバーグの映画ファンにとっての聖地かもしれない。

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エルサレムを見学したセローは、「ライオン門」から旧市街を抜けて、オリーブ山に行ってみた。
これは内側と外側から見たライオン門。

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オリーブ山はこの門から1キロぐらいで、標高は800メートルの、丘に毛が生えたていどの山だけど、エルサレムが起伏のある街という証明になる。
街からここへ行く道路は1本、すこしまわり道をする気になっても2本しかないから、セローはそのどちらかの道を行ったものだろう。
ストリートビューで見ると墓地のなかの道路という感じで、夜中に歩くのはちょっとコワイ。

セローはパレスチナ人が押し込められているガザ地区との境界を見たいと思う。
わたしも見たかったけど、旅行者が見物するのは危険ということで立入禁止になっていて、ストリートビューもカバーしてないようだった。
しかし写真でよければ、ネット上にはたくさん上がっているから、それで我慢してもらおう。
もっとも、たいていはこんなものばかりだけど。

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2021年4月17日 (土)

ご忠告

金持ちが自分はエライと勘違いをして、自分よりエラくなりそうな人をおとしめる。
自分より強くなりそうな相手は、仲間を集めて集団でいじめる。
こんなことがあったらだれでも理不尽だと思う。
いまのアメリカがそれで、中国が将来自分たちを追い越すとではないかと疑心暗鬼にかられて、日本を仲間に引き入れ、なんとか相手の成長を阻止しようとする。
日本は、本心ではそんなアメリカがキライだけど、なんといっても自主性を維持した全方位外交こそ、この国の行くべき道と信じているから、バイデンさんには同調し(するような姿勢を見せておき)、王毅さんには、うん、わかってんでしょ、日本の立場はという。

このくらいのことをいってくれないと、中国は意固地になって米国に対抗せざるを得ないから、ミャンマーでも頑なになるばかりだ。
ここは常識の通じる国になろうとしている中国をおだてて、ミャンマーの軍部に鉄槌を振り下ろさせ、あの国の国民を救済するべきだと思う。
中国が常識の通じる国になろうとしているなんて、とんだお笑い草だという人が、ネトウヨ界隈にたくさんいそうだけど、好き嫌いだけで判断するのは韓国にまかせておきなされ。
おごれるもの久しからず、かっての大英帝国が衰えたように、世界の主権は変わりつつあるのだ。
アメリカの未来と中国の未来を比べれば、輝いているのは中国のように思えて仕方がない。

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2021年4月16日 (金)

ジシバリ

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かってライ病患者の隔離施設だった全生園の歴史を知っていれば、そこになにかしらの寂しさを感ずることは否定できない。
その寂しさを愛する人はほかにもいるみたいで、散歩に行くと平日でもぽつりぽつりと散歩している人を見かける。
わたしもそのクチで、この地で亡くなった無数の人たちの運命を思うと、その静けさがなんともいえずに胸にしみる。
サクラはとっくに終わったけど、その根元にいまジシバリ(イワニガナ)が咲き乱れている。

  地の塩のごとくありてよ黄なる花
       名もなき塚の名を記せよかし

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2021年4月15日 (木)

藤の花の下で

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コブシとサクラに続く花の下シリーズの第3弾は藤の花。
団地の自転車置き場のわきにある小さな公園にて。
子供のころはこれにクマンバチが飛び交っていたのをよく見たけど、東京の、都会のかたすみではそんなもの1匹も見ないや。

  熊蜂の 羽音もなくて さがり藤

熊蜂は、ゆっくりと、“クマンバチ”と読んでね。

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2021年4月14日 (水)

地中海/イスラエル

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エジプトでノーベル賞作家アフフーズを見舞ったあと、アクデニズ号にもどったポール・セローは、つぎの目的地イスラエルに向かう。
冒頭の写真は、このあと訪問することになるテレアビブの夜景。

イスラエルに上陸するまえに、セローは入国審査にひっかかってしまった。
船に乗っていたのはほとんどがトルコ人だったのに、彼はたったひとりの米国人だったので、これじゃ不審人物と思われて当然だ。
なんでアメリカ人が乗ってるんだ、おおきなお世話でしょうとやりあってるところへ、美しい(とは書いてないけど)女性係官があらわれて、彼女はセローの本を読んだことがあり、おかげで無事放免された。

わたしにも似た経験がある。
むかし中国の青海省にあるデリンハという街にホテルをとったときのこと。
そんなことは知らなかったんだけど、この街は外国人立ち入り禁止に指定されているところで、すぐに3人の警察官がやってきた。
そのなかにきりりとした顔立ちの美しい女性警察官がいた。
なんでこんな田舎にあなたのような美しい警察官がいるんだと、中国語でどういえばいいかと思案しているうち、まあ、ノーテンキな顔をしてるから問題ないだろうと、無事放免された。
おかげでその日いちにちホテルに缶詰だったけど。

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セローはイスラエルのハイフォという港に上陸する。
これがその街だ。
ハイフォは中東にあって中東らしからぬ、どこかアメリカ・ナイズされた都市である。
それは米国が膨大な支援をしているからで、あそこに見えるビルも、オレの税金が使われているにちがいないと、米国人のセローは思う。

イスラエルというと、その認知度のわりには日本人とあまり縁のない国だ。
紛争地帯という報道がらみか、聖書にちなむという宗教がらみでもないと、わざわざここへ行きたいと思う人はいないんじゃないか。
そういうわけでわたしもイスラエルについてはサッパリ。
「ガザ地区」や「ゴラン高原」や「ヨルダン川西岸」などという地名はよく聞くけど、具体的にそれがイスラエルのどのへんにあるのかということも知らなかった。
いい機会だから、セローの本を読んだついでに勉強しよう。

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イスラエルの大きさからいくと、変則的なかたちをしているので比較しにくいものの、面積だけでいえば秋田県や長野県とほぼ同じくらいである。
縦にほそ長い国なので、できるだけ横長の写真を使うことにしているこのブログに載せにくいから、まずおおざっぱに地中海とイスラエルの関係がどうなっているかを示し、つぎに拡大した地図は90度時計まわりに転倒させてしまう。
転倒した地図では上が地中海で、イスラエルとガザ地区、ゴラン高原、ヨルダン川西岸の位置関係はこんな具合だ。
本来ならヨルダン川西岸もイスラエルの領土ということにしてしまったほうがすっきりするし、イスラエルもそう望んでいるんだろうけど、そこはそれ、いろいろと国際的にムズカシイ問題があるらしい。

セローはハイフォで、飯がうまい、本屋の品揃えがいい、劇場も充実している、交通網が完備している(エジプトのカイロ、ヨルダンのアンマン行きのバスまであったそうだ)、ようするにどこもかしこもアメリカに似ているということを確認して、そんな街を見物しても仕方がないと思ったか、列車でさっさとテレアビブに向かうことにした。

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これは古いハイフォの駅と現在の同じ駅。

列車のなかには物騒なものがあふれていた。
イスラエルが紛争真っ只中で、軍人が多かったということもあるけど、セローが数えてみたら、彼が乗った車両だけで、ライフル、拳銃とりまぜて10人は銃で武装していたそうである。
ライフルかかえた兵士は車内でうたた寝をしていて、へたすると寝ぼけて引き金を引くんじゃないかと、セローははらはらしながらの道中だった。

列車のなかでこの国の歴史をかんたんにおさらいしてみると、まず建国は第二次世界大戦のあとの1948年で、二枚舌を使う狡猾な英国の植民地政策の結果といえる。
ほんとうに英国の植民地政策というのは、その後の歴史に禍根を残すことばかりだ。
それに比べたら戦争の罪はみんな認めて、戦争中は同じ枢軸国側だった韓国にまで賠償する日本のなんて生まじめなこと。
そんなことはさておいて、建国をきらう周辺のアラブ諸国との、第1次から4次までの中東戦争をへて、ダントツの軍事力を保持するイスラエルは、この地にしっかりした足場を築いたというところ。

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テレアビブに行く列車は開けた海岸を通る。
見通しがいいのは、テロリストが深夜にボートで侵入するのを防ぐためではないかとセローも書いている。
彼が滞在していたあいだにも、あっちこっちでユダヤ人とパレスチナ人の衝突、テロ攻撃と報復の攻撃、報復の報復の攻撃が続いていた。
そんなドンパチはともかく、これは鉄道沿線の海岸線だ。
すべてが見通しのいい海岸というわけではなく、風光明媚で、イスラエルのリヴィエラというリゾートもあるらしい。

トルコとギリシャの関係では、セローはトルコの肩をもった。
ここイスラエルでは、はっきりいわないけど、イスラエルに圧迫されるパレスチナに同情的だ。
米国はイスラエルの支援をしてきたから、国の政策としてはイスラエル寄りといっていいけれど、このへんは自由にものをいえる中道左派の作家の良心といっていい。
これは日本人の総意とも合致していて、たいていの日本人はパレスチナに同情的である。
理由はイスラエルが強すぎて、つい弱いほうに味方する判官びいきということもあるだろう。

さて、テレアビブだ。
イスラエルはエルサレムを首都にしたがっているけど、やり方が強引すぎるということで、国際社会が認めている首都はテレアビブということになっている。

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これはテレアビブの駅。

テレアビブについて、中東というよりやっぱりアメリカの都市に似てるなとセローは書く。
フロリダのどこかを参考にしたんじゃないかという文章もあるけど、わたしはフロリダへ行ったことがないからわからない。

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とりあえずどんな街なのか紹介してしまう。

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ここにはヤッファという旧市街があるので、海側からながめたその遠望と、つぎに街のようすをと思ったけど、ここは区画整理がされたあとのようで、ストリートビューでながめてもあまりおもしろくなかった。

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テレアビブでセローは美術館に寄る。
彼はヒマがあるとクラシックの演奏会などにも立ち寄って、だれそれの演奏会がよかったなどとゴタクを述べているから、なかなか優雅な旅行である。
この美術館ではパメラ・リーヴィという女性画家の絵に関心を持った。
セローが関心を持つ絵というのはどんなものかと、わたしも関心を持って調べてみた。

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これが彼女の絵で、セローの文章のなかに出てくる「レイプ」という絵である。
セローがほめるほどいい絵とは思えないけど、そこからなにを感じるかは個人の自由だから、絵とタイトルと、そしてイスラエルは日本よりずっと緊迫感を持って生きなければならない国であることだけを説明して、あとの判断は観る人におまかせ。

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2021年4月13日 (火)

小室サン

小室圭サンという人、そんなに眞子ちゃんが好きなのか。
タコみたいにひっついて、なにがなんでも彼女と結婚したいらしいけど、わたしならさっさと別のオンナに乗り換えてるな。
そりゃ相手はほかに男を知る機会の少ないお姫さまだから、棄てられたら狂おしく悩むかもしれないけど、初恋はそもそも成就しないというのが相場だし、そうやって人間はおとなになっていくんだよね。
彼女が苦しんでもキミに責任があるわけじゃなし、どうしてそんなに皇室と結婚したいのか、わからん!

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2021年4月12日 (月)

ウイグル問題

わたしは平和愛好者である。
しかるに最近では国家間や民族間の対立をあおるような風潮が蔓延しているようで、先の短い年寄りとしてもあまり楽しくない。
とくに最近はアメリカが、トランプさん以降、中国を口をきわめて罵っている。
英国を筆頭に、西側先進国の(ま、ほんの少しの国だけど)がこれに便乗して大声をあげている。
日本でもここぞとばかりに、中国ギライという人たちが張りきっているけど、わたしはたまたまイスラエルの作家エミール・ハビビの小説を読んだばかりだ。
ハビビはパレスチナ人でありながら、イスラエル国籍を持つという複雑な境遇を受け入れた人であって、こんなことを言っている。
現代は協調の時代であって、不平不満をあおって、民族間の対立をあおるような意見はつつしむべきだ。

わたしは最近、インターネットで、中国におけるウイグル人の大虐殺はまちがいないという説を発見した。
これは東大教授のHさんという人が発表した論文だけど、新疆のウイグル人の人口が、2017年から2018年にかけて著しく激減していて、これぞジェノサイドの動かぬ証拠だという。
これは中国政府が公式に発表した「中国統計年鑑」というもののデータだから、日本側が捏造したわけではないとHさんは主張する。
どうもこの人の文章はあまりにも白黒がはっきりしていて、わたしなんかこれだけで極論だなと思えてしまうんだけど、この意見は正しいだろうか。

わたしもその統計年鑑に目を通してみた。
ウイグルの人口がそのころに164万人も減少していることはまちがいがない。
ただ、これにはいくつか疑問がある。
ほんとうに160万人規模のジェノサイドがあったのなら、なんでそんなはっきりわかるような数字を中国政府は統計に載せたのか。
ここに張ったリンクの先にあるグラフは中国の統計をもとにHさんが作ったものだけど、どうして人口減少がほんの1年ほどのあいだに集中しているのか。

わたしは数字をにらんで考えた。
中国政府が正直な数字を統計に載せた理由は、このHさんの論文のなかにヒントがありそうだ。
彼の論文のなかに、「とりわけ新疆ウイグル自治区においては、IT・AI独裁の極みである『一体化聯合作戦プラットフォーム』が運用されており、強制収容所収容者の生死に関する情報もまた厳格に管理され、国家・自治区の公安情報データに反映されているはずである」という文言がある。
このプラットフォームのおかげで少数民族の人口を把握しやすくなり、それを中国は不注意にも統計に載せてしまったのだろう、つまりオウンゴールというわけだとHさんはいう。
しかしそんなヘボ・サッカーみたいなことを、いくらなんでも中国が公式の統計でするだろうか。

これにはべつの考えもできる。
たとえば、プラットフォームが完成するまでは、広い砂漠に分かれて暮らすウイグルの人口は正確に把握できていなかった。
コンピューターを利用したプラットフォームのおかげで、正確な人口を把握してみたら、それ以前に知られていたよりも、ウイグルの人口は存外少なかったということはないだろうか。
プラットフォームが導入されたのが2017年ごろとすれば、2018年だけ人口がガクンと減って、それ以降はあまり変化がなくてもおかしくない。
この考えは中国統計局の発表をもとにした結果だから、まちがっているというなら、そもそものHさんの考えもおかしいということになる。

まだ疑問がある。
ジェノサイドが本当にあったのなら、たくさんの難民が出現するはずだけど、2017年から2018年にかけてそうした現象はあっただろうか(最近のジェノサイドとして有名なユーゴやルアンダの内戦では膨大な数の難民が発生した)。
砂漠の国だからすべて中国政府が闇に葬ったというのは詭弁だ。
中国は周辺のイスラム国とも地続きであり、その気になればもともと砂漠の民のウイグル人は、徒歩で天山山脈を越えることも可能だったはずである。

Hさんの文章にかぎらず、だれがどんな考えを持とうと他人がとやかくいうことではない。
しかしいろんな情報が錯綜する現代において、若い人たちがこういう偏った意見を信じてしまうのは問題だ。
大切なのは、相手がえらい先生だからと鵜呑みにするのではなく、どんなことでも自分の頭で考えることだ。
そして特定の民族ではなく、相手がこれこれこういう民族だったらどうかと、できるだけ公平で客観的なものの考え方をすることだ。
先の短いわたしは、どうしてもこのくらいのことをいっておきたい。

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2021年4月11日 (日)

今日も

前々項の「悲楽観屋サイード」に頭を使い過ぎて、ただでさえボケぎみの頭が疲弊ぎみ。
今日の更新もこれだけにしときます。

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2021年4月10日 (土)

お詫び

前項の「悲楽観屋サイード」に頭を使い過ぎて、ただでさえボケぎみの頭が疲弊ぎみ。
今日の更新はこれだけにしときます。

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2021年4月 9日 (金)

悲楽観屋サイード

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「悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事」というのはイスラエルの作家エミール・ハビビの小説だ。
このおかしなタイトルは誤植じゃない。
それはこういうことであると、主人公が物語のはじめに説明している。
たとえば彼の兄貴は港の作業中に、ウインチもろとも海に落ちて死んだけど、泣き叫ぶ新婚まもない嫁さんのまえで母親は、死ななければ女房に浮気されていたかもしれないから、そうされなかったのは幸運ともいえるではないかという。
こうなると楽観的というよりモンスターだけど、自分はこういう家族の血を引いているのだから、悲観的でもあるし、楽観的でもあると彼はいうのである。

この本の主人公はサイードという、ちょっと気の弱い、お調子者のパレスチナ人で、彼は同時にイスラエル人でもアラブ人でもあるという、日本人からするとどこにルーツがあるのかわからない人物だ。
わたしはこの本を読むまで、イスラエルという国について、漠然としたイメージしか持っていなかった。
イスラエルは世界中から逃れてきたユダヤ人によって建国された国であり、もともとそこに住んでいたパレスチナ人(大半はアラブ人)は、ユダヤ人が定めた自治区の中に押し込められている。
押し込まれて抑圧に苦しむパレスチナ人は、PLOのような抵抗組織をつくってユダヤ人に抵抗し、それが今日でもミサイルや自爆のテロを産む原因になっているというのがそのイメージだ。

ところがこの小説によると、これ以外の第三の勢力が登場するというのが、おどろきの新知識。
イスラエルに逆らわず、正規のイスラエル国籍を持ち、ユダヤ人のあいだで暮らしているパレスチナ人もけっこういるというのである(イスラエルの人口の2割ぐらいだそうだ)。
その大半はやむを得ない事情から、イスラエルに組み込まれてしまった人々で、立場としてはイスラエル、アラブの双方から警戒されたり、軽蔑されるという屈辱的な地位に置かれている。
作家のハビビもそうしたパレスチナ人のひとりであって、「悲楽観屋のサイード」は、そういう宙ぶらりんのパレスチナ人の悲哀を、ほろ苦いユーモアで描いた小説なのだ。

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サイードには学生時代に知り合った初恋の人ユアードがいた。
ユアードとの恋はトントン拍子で、やがて夫婦になる約束をするんだけど、その後活動家を捜索するイスラエル軍によって、結婚まえに彼らは引き裂かれてしまう。
こんな具合に悲観的な人生と楽天的な人生が交互にあらわれるから、サイードが不幸なのか幸運な男なのかわかりにくい。
もっともこういうことは誰にでも(わたしにも)起こることだから、わたしだって悲楽観屋のはしくれといえる。
この写真は彼と彼女の初恋の街アッカ。

時代はイスラエルが独立宣言をして、まわりのアラブ諸国からフルボッコにされた、と思いきや、とちゅうから逆襲をしてドローに持ち込んだ第1次中東戦争のころから、イスラエルがゴラン高原、シナイ半島を占領した第4次中東戦争のころまでで、多くのパレスチナ人が砂漠で路頭にまよっていたころだ。
サイードは初恋の人と離れ離れになったまま、イスラエル軍司令官に取り入ったり、パレスチナ労働者同盟のリーダーにかつぎあげられたり、刑務所に叩っこまれたり、そこでタレコミ屋をさせられたり、ようやく釈放されたりと、運命にもみくちゃにされたまま20年が経過した。

彼はバーキヤという新しい娘を見つけて結婚し、ひとり息子をもうける。
このままおさまれば彼の人生もまあまあというところだけど、彼の息子は成長すると過激派パレスチナ人になって、イスラエルへの抵抗運動に身を投じてしまう。
しかし武運つたなく、息子はイスラエル軍に包囲されて地下室に立てこもった。
イスラエル軍は息子の母親、つまりサイードの妻のバーキヤを呼んで、息子が抵抗を止めるよう説得させるんだけど、ここで息子は、この小説のハイライトともいうべき、全パレスチナ人の本音を代表するような言葉を吐いて、降伏を拒絶し、母親もろともイスラエル軍の攻撃で死んでしまう。
父親のサイードはなすすべもなくこれを見守るだけだった。

女房と息子に死なれたサイードは、海岸で孤独な釣りに明け暮れる。
彼がぼそぼそと独り言をいってると、そのへんにいたユダヤ人の子供が、おじさん、何語で話してるのと聞く。
アラビア語さと答えると、子供は、魚ってヘブライ語もわかる?と聞く。
わかるとも、海には国境がないし、世界とつながっているから魚はどんな言葉も理解するんだよ。
やれやれ。
上記の章のタイトルは「最後の物語 —— あらゆる言語を解する魚の話」というんだけど、この文章から惻惻とした心情だけではなく、詩を感じるのはわたしだけかしら。

年老いたサイードは初恋の人ユアードと再会するけど、じつはユアードと思ったのは彼女によく似たその娘だった。
彼はもうろうとした頭で、目のまえの娘の正体を信じられないまま・・・・・
というか、このあとの結末はいささかわかりにくい。
主人公は階段から落ちて死んだともいえるし、もうすこし生きながらえたようでもある。
サイードはいつのまにかハーズークという処刑用の塔のうえで述懐しており、彼の目のまえに初恋の人や死んだ女房と息子など、かっての知り合いがつぎつぎと現れる。
「歴史と真実によせて」という最後の章を読むと、これはすべて精神病院に収容されたサイードの幻想だったともいえる。
これはいったいどういうことなのか。

わたしにわかったのは、この小説はほらふき男爵の話のようでありながら、ところによってはひじょうに悲痛なものであることぐらいだ。
おそらく作家のハビビは、パレスチナ人の運命を象徴するような深い意味を持たせたのだろうけど、わたしはたまたまポール・セローの本に誘発されてこれを読んだだけで、イスラエルやパレスチナについてごたごたいうほどの知識も資格もない。
だからわたしはまた適当にこの本の感想を打ち切ることにする。
ずるいといわれそうだけど、この本を読む終えるのにずいぶん時間をとられたし、わたしには早くつぎの仕事に取り掛かりたいという事情もあるのだ。

むずかしい理屈をさておけば、この本にはいくつかの新知識があった。
第1次から4次にかけての中東戦争をなぞって、イスラエルとパレスチナの紛争の歴史をかなり具体的に知ったし、イスラエルにはユダヤ人と共存の道を選んだパレスチナ人もたくさん住んでいること、浮気なんかしたら鼻をそがれるか石打ちの刑にされるはずのアラブ社会が、けっこう自由放埒なものであったこと、イスラエルが建国されたとき、すでにユダヤ人によるアラブ人の大量殺戮が行われていて、第1次中東戦争はそれが原因ともいえることなどだ。

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おしまいに、これはハビビが晩年をすごしたナザレの街。
ポール・セローは彼の家を訪ねるんだけど、坂の上にある作家の家といえばわかるといわれて、当然のように道に迷う。
わたしも坂の上ということだけを頼りに探してみたけど、とてもじゃないけど無理だった。

ハビビは、たとえ不愉快であっても、ユダヤ人と共存するしか選択肢はないという現実を見つめた。
唐突に話が飛ぶけど、いまの世界にはパレスチナ人以外に、同じような境遇の民族が、しかも日本からそれほど遠くないところにいる。
その国の国民の大半は、ハビビと同じ心境じゃないだろうか。

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2021年4月 8日 (木)

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最近はヒマさえあると自転車で野菜の無人販売所をまわっているな。
冬のあいだは野菜に不自由しなかったけど、春になって菜の花や春菊が終わったら、なんとなく商品がさびしくなった。
一年を通していろいろな野菜が食えると思ったけど、販売所にも景気のいい季節とよくない季節があるみたいだ。
やっぱりスーパーの便利さにはおよばないね。

今日は行きつけの無人販売所でホウレンソウを買った。
すぐ近くにスーパーがあって、そこで近所の農家の委託ホウレンソウが100円程度で売られているから、この販売所では対抗上80円だ。
80円というと、いちいちお釣りが面倒だ。
店番のおばあちゃんを呼び出してちょくせつお釣りをもらう。
20円ぐらいもらわなくてもいいんだけど、それではこの販売所まで来たかいがない。

見ると販売棚のすぐわきに鶏小屋があって、数羽の茶色いニワトリが飼われていた。
販売棚には茶色の卵も並んでいる。
おばあちゃん、これ、このニワトリが生んだの?と訊くと、そうだよという。
それでたちまち今日の夕飯は卵かけご飯ということになった。
1コだけ混じっている白いのは、以前に買ったスーパーの卵だ(もう賞味期限は切れているかも)。

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2021年4月 7日 (水)

チンピラ国家

またひとつチンピラ国家が現れたな。
気に入らない相手がいると、それ不買だ(でもゲームは代替えがきかないからOKだ)と、じっさいには効果がないばかりか、自分とこの損害も大きいのに、ただもう行け行けドンドンで押してしまう。
今度はアメリカが北京オリンピックをボイコットだって。
こういうことは実力の劣る国が、まともにやってはかなわない相手にすることだぜ。
かってロシア五輪のボイコットって騒ぎがあったけど、お互いメンツを張り合っただけで、迷惑したのは選手だけってことをもう忘れたのかい。
五輪に政治を持ち込むなって崇高な憲章を、なんでアメリカが率先して破るのよ。
もうちっと大人になってくんないかねえ。

大統領が人気を得たいとか、国内の不満をあっちにそらそうというときなど、政治家の信念がころころ変わる見本のようだ。
最近ではアメリカより中国のほうがよっぽど大人に見えますワ。
まだ本気かガセかわからないし、本気ならアメリカ国内からも馬鹿なことはやめろの声が高くなることは必至だから、この件については心配してないものの、こういう国について行こうっていう日本の将来が心配だわさ。

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2021年4月 6日 (火)

赤色エレジー

「日本人なら中国の1/3ですむ」というネットニュースの見出しが目についた。
アニメの制作費のことらしかったけど、ふつうなら逆じゃないかと思うのが相場で、最初は意味がわからなかった。
よく読んでみたら、そもそも鑑賞人口のずっと多い中国のことで、最近ではアニメーターも中国のほうが日本より収入が多くなり、日本人のアニメーターが中国にスカウトされるんだそうだ。

だいたい日本のほうがひどすぎるのだ。
わたしが若いころ読んだ「赤色エレジー」というマンガに登場する貧しい恋人同士、あれもたしか仕事はアニメーターで、当時から(もう半世紀もまえだぞ)日本のアニメーターが底辺であるということはほとんど変わってないらしい。
わたしもその底辺のひとりだったことがあり、自分を冷静にふりかえってみればあまりエラそうなこともいえないけど、その一方で日本のアニメの評判だけはいい。
評判はいいのに、アニメーターには恩恵が行き渡らない。
そのへんの経済構造もちっとは知っているつもりだけど、日本だけにまかせておいたのでは、半世紀もそのままだったくらいだから、改善はおぼつかないだろう。
中国のアニメ会社が日本に進出してきて、そのパワーが日本のアニメーターの救済につながるならけっこうなことではないか。

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2021年4月 5日 (月)

ミャンマーの闘い

さっきまで昨夜放映されたミャンマーの民主化運動デモの特番を観ていた。
ミャンマーでは民主化を求める市民に、軍隊が無差別に発砲しているところ。
ホント、途上国の軍隊って暴力団と変わらないね。
ミャンマーの場合、スーチーさんの民主的な政権ができたとしても、たぶん利権構造がこちらからあちらに移るだけだろうというのはわたしの見立てだけど、それでも現在の軍のやり方はひどすぎる。
はやく国際社会が市民の支援のために乗り出してほしい。

この騒動では軍は信じがたい捏造をやらかした。
騒乱のさなかに銃撃で死んだ若い娘の死体を墓から掘り出して、その場で彼女の遺体を検死し、彼女が死んだのは軍の発砲が原因ではないと言い出したのである。
これに対して市民側は、最近ではだれでもスマホを持っているから、デモを撮影した映像を集められるだけ集め、それを時系列どおりにならべて分析し、彼女が軍の発砲で亡くなったことを証明してしまった。
この分析作業はひじょうに興味深い。
銃の発砲音の分析なんて市民の手には負えないけど、これには日本のNHKも協力している。
腕力を過信する途上国の軍隊(のトップ)には、そこまで考えが及ばなかっただろう。

市民たちは政府によって遮断されたネット網をかいくぐって、さまざまな対抗策を考え出す。
また世界中からインターネットを使って、ミャンマー市民に支援の手が差し伸べられる。
まだまだ曲折はあるだろうけど、これは国家の弾圧に、デジタル市民たちがどうやって抵抗するかという実験のようなものだ。
先のみじかいわたしに、つぎからつぎへと、結末を見届けたい事件が起きるねえ。
これじゃあっさりとは死に切れんよ。

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2021年4月 4日 (日)

シャチとクジラ

コワイもんだねえ。
いま「ダーウィンが来た!」って番組を観てたけど、海のシャチがほかのクジラを追いかけて食べちまう内容。
海のなかのことだから人間はあまり気がつかないものの、まさにアフリカでライオンがほかの動物を狩るのと変わらない。
今日の番組では世界最大の動物であるシロナガスクジラを襲っていた。
ライオンが象を襲うようなものだ。
そんなでっかい相手を襲わなくても、だいたいクジラ類というのは小食だから、ゴンドウクジラのような小型のクジラでもお腹がいっぱいになるんじゃないか。
と思ったら、シャチが苦手にしてるのがゴンドウクジラらしい。
アフリカでもライオンがハイエナごときに獲物を横取りされることがしょっちゅうあるけど、腕力ばかりがモノをいうわけじゃないという弱肉強食の図式は、海のなかでもそっくりそのまま続いているようだ。

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人間世界ではあいかわらず飢餓がなくならない。
すこしは人間のために鯨肉を取っておいてくれないかしら、え、シャチの旦那。
人間は小さいくせに大食いだから、そんなこといってたら、ほんとにクジラが絶滅してしまうと、WWFあたりから文句が来るかしら。

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2021年4月 3日 (土)

今日の記事

最近アメリカの扇動によって、ここぞとばかり中国を攻撃して喜んでいるポピュリストが、けっこう著名人のなかにもいるけど、ナニ考えているのかねえ。
アメリカが中国にいつまで難クセをつけていると思ってんのか。
ひとつ解説しておくけど、バイデンさんは大統領になるのに薄氷の勝利だった。
そんな彼が国の分裂をふせぐには、トランプさんの政策を全部いっぺんにひっくり返すのはまずいと考えるのは当然だ。
パリ協定やオバマケアのような、自らの支持者に約束した政策はただちにやらなければならないけど、どうでもいい中国叩きは(どうせ戦争までする気はどちらにもないのだから)トランプさん支持者をつなぎとめる目玉として、しばらくはそのまま持続させようと考えたのだろう。

それぞれの大国がもたれあっているグローバル社会で、アメリカだっていつまでケンカごしではいられない。
ついこのあいだまで、中国が中東からのテロリストの浸透をふせぐ防波堤になっているとほめていた関係じゃないか。
ひょっとすると扇動も大国同士で納得しあったナアナアの談合かもしれないし、うちのアップルやテスラをよろしくお願いしますと、いつまた米中が仲直りしても不思議じゃない。
そうなったときの言い訳でも考えておいたほうがいいワ、えっ、すぐ扇動にのるポピュリスト諸君は。

今日は足の運動をしようと、昼間3時間半も歩いて、疲れて、気が立ってるんだ。
メシもまだ食ってないし。

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2021年4月 2日 (金)

季節の一巡

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近所の果樹園で、白いナシの花が満開中。

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いまの団地に越してほぼ季節が一巡した。
はじめてこの団地を見たときは、建物のまわりが花でいっぱいで、なんて素晴らしいところに来たものかと狂喜したもんだけど、それから1年。
シバザクラは年間を通して、途切れることなく咲いていることがわかった。
冬のあいだもしぶとく咲いていたものが、春になると元気づいて、いっせいに我が世の春を謳歌し始める。
いまがその季節だ。
しかし花に埋もれるのはわたしの住む建物だけと思うと、これはボランティアで花壇の手入れをしている6号棟さんのおかげにちがいない。
感謝のつもりで、そのうちなんか手土産でも持っていこう。

  花好きのわれならずともこの季節
        その西行のこころこそ知れ

また歌を追加しました。

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2021年4月 1日 (木)

新装の図書館

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改修工事が終わって今日オープンした、東久留米市の中央図書館に行ってきた。
わたしが去年まで住んでいた武蔵野市には、武蔵境の駅前に武蔵野プレイスというひじょうに近代的かつ充実した図書館があったから、あんな感じになっていればなあと期待していたんだけど、そういう点ではちと残念。
まあ、東京でもはずれの行政には、予算がいくらでもあるわけじゃないんだろうと納得しておく。

ただ月刊誌のコーナーに、「ナショナル・ジオグラフィック」と「CAR GRAPHIC」があったのはよかった。
東久留米市の図書館利用カードは清瀬市と東村山市の図書館でも使えるので、東久留米の図書館が工事中のあいだは、もっぱら清瀬と東村山の図書館を利用していたんだけど、そのどちらもこのふたつの本は置いてなかったのだ。

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カウンターに若い女の子がたくさんいたから、うれしがって写真を撮ったら怒られてしまった。
ほんと、最近はどこにいってもそういわれるよな。
え、この写真が公開されると、彼女らの操に危機が及ぶと考える人います?

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