ペテルブルグのバレリーナ
ポール・セローの地中海が一段落して(まだ終わったわけじゃないけど)やっと「ペテルブルグのバレリーナ」という本のことが書ける。
あんまり固っ苦しいことを書くつもりはないから安心してチョーダイ。
ペテルブルグというのは、ロシアの古都サンクト・ペテルブルクのことで、この本はロシアのバレリーナ、マチルダ・クシェシンスカヤの自伝である。
とはいうものの、わたしはこの人の名前を、この本を読むまでぜんぜん知らなかった。
自伝というのは本人が書いた(とされる)ものだから、きれいごとに終始しているのが普通だけど、またネットでいろいろ調べながら読むと、べつの視点での彼女のことがわかっておもしろい。
じっさいのマチルダはどんな人だったのだろう。
彼女は1872年の生まれで、40代のころにロシア革命を体験した世代だから、古い古い、歴史上の人物といっていい人である。
ロシアのバレリーナとして、はじめて最高位のプリマにのぼりつめた人なので、当時(日本の明治時代)の人としてはめずらしいくらい写真がたくさん残っている。
まさか映像までは残ってないよねということで、念のためYouTubeに当たってみたら、ロシアのドキュメンタリーが見つかった。
https://www.youtube.com/watch?v=7lFCjyRGqfo
この中にクシェシンスカヤ(らしきダンサー)が踊るシーンが、いくつか出てくる。
ほかにもバレエ・リュスやイサドラ・ダンカンの映像もあるので、これはお宝映像といえる。
以前読んだマイヤ・プリセツカヤの自伝と同じように、これはヒロインがバレリーナとして頭角をあらわしていく物語かと思ったら、最初のほうはうぶな少女の恋物語といったほうがふさわしかった。
恋の相手は、日本にやってきて暴漢に切られたこともある、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世である。
ニコライの父親のアレクサンドル3世は、結婚まえの息子のために愛人をあてがってやろうと考え、たまたま美女バレリーナとして売り出し中のマチルダに白羽の矢を立てたのだ。
日本にもこういう親切な親父は、歌舞伎の名門や大店の旦那によくいたもので、息子が童貞のまま、つまり世間知らずのまま結婚したのでは具合がわるいと考えたのだろう。
最高の美女は最高権力者の愛人になるのが当然という時代だったし、現代でもあこがれの大スターのまえに出ると、それだけでぼぅーっとなる娘はいるものだから、マチルダが皇帝のせがれに一目惚れしても不思議じゃない。
彼女は庶民だったから正式の妃にはなれなかったけれど、彼女のニコライに対する敬愛は終生変わることがなかった。
ニコライ2世はロシア革命で家族もろとも処刑された悲劇の皇帝である。
わたしがこの本でまず興味を持ったのは、かっての愛人であり、パトロンでもあった皇帝の死を、マチルダはどこで知ったのかということだった。
マチルダは皇帝の寵愛を受けた女性であり、ニコライがべつの女性と結婚したあとも、生活基盤ははなやかな貴族制度とともにあったから、ロシア革命では当然ながらブルジョワ階級に分類され、他人の命の心配をするどころではなかった。
彼女はまだ貴族制度がそれなりの重みを持っていたフランスに、命からがら亡命することになるんだけど、亡命先でようやく皇帝一家が処刑されたというニュースが伝わってくる。
ニコライの死についてはウィキペディアに、わざわざ別項が設けてあるくらい詳しいけど、ほとんど虐殺といえるくらいむごたらしいものだったようだ。
革命派からすれば、殺されても仕方がない皇帝のそれまでの贅沢な生活ぶりだけど、親が憎けりゃ子供も憎いというわけで、ニコライの1男4女の子供たちまで惨殺されている。
これはニコライと妃のアレクサンドラ、子供たち。
マチルダの生きた時代はロシアが激流にもまれ、さまざまな人々の運命が反転したころで、自伝のこのあたりでは「ドクトル・ジバゴ」のような、ドラマチックな歴史小説を読んでいるような気分になる。
当時のヨーロッパには、亡命してきたロシア人ばかりではなく、アンナ・パブロワやイサドラ・ダンカン、バレエ・リュスのディアギレフのような、以前からのマチルダの知り合いがたくさんいた。
彼女は亡命したときすでに四十代の後半にさしかかっていたけど、こうした人々と交際して、生活ぶりはあいかわらず派手だった。
本国ではとうに貴族制度は崩壊しているのに、彼らがまだロシアにいたとき使っていた“大公”などという尊称を呼びあっているのをみると、いい気なもんだと思ってしまうけど、そんな派手な生活を支えるために、彼女はバレエの教師をしてお金を稼ぐことにする。
こういうときロシアで最高のバレリーナという肩書きがものをいった。
彼女にレッスンしてもらいたいという生徒があとを断たず、経済的には不自由しなかった。
彼女が教えた生徒のうち有名なところでは、英国ロイヤル・バレエの創始者だったアリシア・マルコワや、のちに一世を風靡するマーゴ・フォンテインなどがいる。
やがてドイツでナチスが台頭して、戦雲がヨーロッパをおおった。
革命とニコライの死に次いでわたしが関心をもったのは、第二次世界大戦のあいだマチルダは、どこでなにをしていたのだろうということだった。
ナチスはユダヤ人に対するのと同じくらいロシア人に過酷だったのだ。
マチルダは大戦のあいだもずっとパリにいてバレエ教師をしていたけど、ドイツ軍がフランスに進駐すると、40歳ほどになっていた彼女の息子もいちじ収容所に入れられてしまう。
息子を溺愛していたマチルダは慌てふためくけど、さいわいなことに収容所の所長が理解のある人物で、大事には至らなかった。
自伝には書いてないけど、この所長もマチルダが高名なバレリーナであることを知っていた、ドイツ貴族の出身だったのかもしれない。
ドイツ人は野蛮なこともたくさんしたけど、パリを燃やせというヒトラーの命令にしたがわなかった軍人のように、高潔な人物もけっこういたのである。
若いころのマチルダの男性遍歴があまりはなやかなので、彼女は淫ランな人であるという噂が立ったことがある。
彼女は皇帝と別れたあと、アンドレイという王族のひとりと結婚するんだけど、その子供をはらんだとき、正式の亭主のほかにパトロンだったイワン大公という相手がいて、子供の父親は大公であろうという噂が流布したという。
おそらく彼女自身にもほんとうのところはわからなかったんじゃないか。
自伝のなかに、大公は自分の子供ではないことを確信していらっしゃったという文章があるけど、“確信して”ってのはナンダ。
身に覚えがなければそんなことを書くはずはないから、彼らに肉体関係があったことは間違いがない。
マチルダ・クシェシンスカヤの生きた時代は、動乱の時代であったと同時に、あいつの女房はオレもの、オレの女房はあいつの・・・・という、乱れた男女関係があたりまえの時代だった。
ロシアの小説から不倫という言葉を省略したら、なにも残らないくらいだ(日本の源氏物語もそういう傾向があるから、貴族っていうのはよっぽどほかにやることがなかったんだね)。
そんな上流社会で育った彼女は、ただ無心のまま、そういう風潮に忠実であっただけなのだろう。
わたしは日本の平民としてロシア貴族の豪奢な生活に反感を持つと同時に、「ドクトル・ジバゴ」や「山猫」などの映画に描かれた、落日貴族の物語にロマンを感じる部分もないわけじゃないので、いろいろ複雑なのだ。
どう? 固っ苦しくないでしょ。
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