地中海/エルサレム
セローはつぎにバスでエルサレムを目指す。
ここは聖書にちなむ遺跡が多く、それはまた映画の舞台になったところでもある。
映画が全盛だったころ、神さまといえはキリスト教が当然だった米国では、敬虔なプロデューサーたちが、退廃世界の代表であるハリウッドで荒稼ぎしようと、競って大金をかけたスペクタクル史劇を製作し、そのために聖書を題材にすることが多かった。
「十戒」「ベン・ハー」「偉大な生涯の物語」「天地創造」「ソドムとゴモラ」「ソロモンとシバの女王」などみんなそうで、じつをいうとわたしの聖書の知識はそういう映画から得たものも多いのだ。
勘違いしないでほしいのは、ユダヤ人というとかならずしも日本人が想像するような人ばかりじゃないということだ。
セローはエルサレムの市内で、エチオピアのアディス・アベバから移住してきた黒人に出会う。
彼はヤルムルクはかぶらないけど、自分はユダヤ人だという(ここに載せたのはハシッド派という厳格な信者の黒服と、ヤルムルクという帽子)。
同じユダヤ教徒でも、身もこころも神さまに捧げちゃっている人もいれば、身だけ、あるいはこころだけという人もいるのである。
セローはハイフォにいるとき、ここにはシナゴーグ(ユダヤ教会)よりも、キリスト教や正教の教会のほうが多いと書いているくらいだから、イスラエルには、まあ、いろんな信者がいるらしい。
わたしは高校生のころ、「白鯨」という小説に引用されていた聖書の語句が気にいって、意味もわからず暗唱していたことがある。
荒海のうずまく彼方
いろも濃き緑のいろに
うるわしの野は広がれり
ヨルダンの谷は騒げど
なつかしのカナーンは見ゆれ
たしか阿部知二訳のこんな文章で、エジプトを追われたユダヤ人が、モーゼに率いられて、ようよう現在のカナーン(神の約束した土地 = イスラエル)にたどりついた気持ちをうたったものだそうだ。
イスラエルにいすわったユダヤ人国家が、その後周囲ともめごとばかり引き起こしていることを考えると、神さまも無責任な約束をしたものである。
自分の国家を持たない民族の悲劇を、ナチスのホロコーストなどでいやっというほど味わったユダヤ人にとって、神の約束した土地にイスラエルを建国することは悲願ともいうべきものだった。
ただ問題は、キリスト教の聖地であるエルサレムは、同時にユダヤ教、イスラム教、ギリシャ正教、アルメニア正教などの聖地でもあるということだ。
いったいぜんたい、なんでこんなに一ヶ所に聖地が集まってしまったのか。
そのへんをじっくり考えてみた。
考えればわかると思うのがわたしのだいそれた性分で、これは知っている人も多いと思うけど、それぞれの宗教の根っこは同じものであるということで、大天使ガブリエルは、キリスト教のバイブルでもイスラムのコーランでも重要な登場人物なのだ。
もうひとつの原因は、たったひとつの教えとファッションではつまらないという、人間の多様性に原因がありそう。
無責任なわたしの発言が、本家争いを煽ることになっても困るので、考えるのはこのくらいにしておこう。
名所旧跡にあまり関心のないわたしだけど、映画や絵画に描かれたロマンに満ちた歴史のなかを、ぼうっとさまようのは好きである。
だからここではすなおに、エルサレムにある遺跡の見物をすることにする。
これが各宗教の聖地であるエルサレムだ。
赤いラインで囲ったのが聖地が密集した旧市街地で、縦横がせいぜい1キロちょいしかないせまい区域である。
セローにいわせると、エルサレムは「これまで見てきた地中海地方のなかでも指折りの美しさ」であるそうだ。
彼はアメリカ・ナイズされた近代都市には興味がないようだから、これは旧市街のことをいってるんだろうけど、ストリートビューで見ると、もうせまくてゴタゴタしたところである。
作家の司馬遼太郎も中国の蘇州で、どぶ川みたいな運河に感動していたから、文豪や芸術家の感覚は常人にはうかがい知れないようだ。
旧市街に入るためにセローは、8つある門(ひとつは閉鎖中)のうちのヤッフォ門から入る。
これがストリートビューで見たヤッフォ門で、最初は城壁の外からのながめ、つぎは内部から見たところ。
城内はいろんな宗教が地権者になっている関係で、区画整理が進んでないから、まだ古い建物がそのままで、メインストリートの地下なんか、イスタンブールのグラン・バザールみたいな土産物屋になっていた。
ここに「嘆きの壁」というユダヤ教の聖地がある。
詳しい来歴はまたウィキペディアを読んでもらうとして、いまでもこの壁のまえで大勢の信者が泣き叫んでいるのを見ると、麻原彰晃サンの御影をあがめたてまつっている信者のようで、無神論者のわたしにはあまり気持ちのいい景色じゃない。
しかしそんなわたしでも、もしもこの世に宗教というものがなかったら、世界にゴマンといる信者たちは、なにをこころの支えにして生きていけばいいのかと愕然としてしまう。
まさか全員に、競馬やパチンコを支えにして生きなさいとはいえないし、まあ、壁に向かって泣くぐらいは罪がないからいいか。
「墳墓教会」は、ここがイエス・キリストが磔になった場所だという。
ご本尊さまが磔になったのだから、基本的にキリスト教の聖地だけど、アルメニアやギリシャの正教会もお参りにくるらしい。
金ピカのタマネギ屋根がよくめだつ「岩のドーム」というものもあって、これは由来を調べるとイスラムの聖地だけど、まちがってキリスト教徒がまよいこんできてもおかしくない。
とにかくみんな500メートルぐらいの範囲内に軒を接しているので、もう日本人にはなにがなんだかわからない。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の舞台もここにあって、それは城壁の南へ200メートルほど行ったところにある建物の食堂だそうだ。
これがそうだけど、入場料は取ってないみたいだから、どこかの宗教のメシの種ってわけでもなさそう。
このすこし先にオスカー・シンドラーなる人の墓があった。
これってアレじゃん。
スピルバーグの映画ファンにとっての聖地かもしれない。
エルサレムを見学したセローは、「ライオン門」から旧市街を抜けて、オリーブ山に行ってみた。
これは内側と外側から見たライオン門。
オリーブ山はこの門から1キロぐらいで、標高は800メートルの、丘に毛が生えたていどの山だけど、エルサレムが起伏のある街という証明になる。
街からここへ行く道路は1本、すこしまわり道をする気になっても2本しかないから、セローはそのどちらかの道を行ったものだろう。
ストリートビューで見ると墓地のなかの道路という感じで、夜中に歩くのはちょっとコワイ。
セローはパレスチナ人が押し込められているガザ地区との境界を見たいと思う。
わたしも見たかったけど、旅行者が見物するのは危険ということで立入禁止になっていて、ストリートビューもカバーしてないようだった。
しかし写真でよければ、ネット上にはたくさん上がっているから、それで我慢してもらおう。
もっとも、たいていはこんなものばかりだけど。
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