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2021年4月22日 (木)

悲痛ということ

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釈迢空のことはこのブログでも何度か触れているけど、彼の歌集に「硫黄噴く島」というものがある。
これは太平洋戦争のおりに、自分の息子も含めた日本軍が、硫黄島で玉砕していくさまを歌った悲痛な鎮魂の歌集だ。
最近短歌に凝っているわたしは、天気がよくて樹木の緑が美しいこの季節に、ふと飯能まで行きたくなった。
天気がいいと、あるいは緑が美しいと、なんで飯能に行きたくなるのか。

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世間にさしさわりがあるので詳しく触れないけど、飯能はわたしの知り合いのSという男の墓標が立つところである。
墓標はあくまで象徴的なもので、具体的な石碑の類があるわけじゃないけれど、彼については忸怩たる思いがあるので、その追悼の意味もあって、ひとりでついふらりと出かけたくなったわけだ。
ということで、以下の歌は悲痛ということを知ってる人たちへ。

  あの店も記憶にありし飯能の
       Sとながめた街並みかなし
  この道を歩みつSに聞いたこと
        のこる余命は半年たらず!
  飯能の道祖神にも祈りおり
      甲斐なきことをSは知るらめ
  ここでいい、ここにしようと決めた場に
          十六羅漢はいまもあるなり
  Sの骨こやしにしたかシャガの花
         その純白に疑念ぬぐえず
  Sはいま天覧山のヤマツツジ
        花とならむや葉となりたるや
  ウグイスの声さえ聞けばおもほゆる
         Sのあの声あのしぐさをも


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釈迢空に伍してとエラそうなことは言わないまま、最後に自らを自嘲した1首。

  もうすでに分裂症かこのブログ
       きのうネットできょう短歌とは

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