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2021年5月

2021年5月31日 (月)

床屋

今日は床屋に入ってきた。
月曜日だから床屋は休みじゃないかと、ほかのヤボ用で出かけたんだけど、行きつけの店をのぞいてみたらちゃんと営業していた。
それはまあいいんだけど、やってると思わなかったからタブレットを持参するのを忘れた。
わたしはタブレットさえあれば時間つぶしに苦労しない男である。
列車や病院で順番を待つときも、ブログのネタでもひねくっていれば、アッという間に30分や1時間ぐらい過ぎるものだ。
逆にいえば、タブレットがないとわずかな時間も千秋のように長く感じてしまう。
先客は3人しかいなかったけど、今日の床屋はヒジョーに苦痛だった。

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2021年5月30日 (日)

泰山

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また中国の知り合いからの写真。
今回は道教の五大聖山とされる泰山というところの写真だそうだ。
まえに紹介した威海から近いから、同じ旅行で撮影したものだろう。
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中国の山は(南方以外は)樹木の少ないところが多いから、深山幽谷という感じじゃないけど、禿げ山がほとんどの蘭州出身の中国人には魅力的なところに写ったようだ。
上高地を筆頭に、美しい山景色にこと欠かない日本人には、それほどすばらしい景色には思えないんだけど。
最近やたらに多いロシアや、その他の国の来日娘たちはどう思うだろう。

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2021年5月28日 (金)

ぼんやり

頭がすっきりしないねえ。
ひと眠りして起きると、そのあとすっきりすることもあるけど、いまは眠くもないし。

ぼんやりした頭で本を読んでいる。
ポール・セローの地中海紀行、そのなかで引用されているポール・ボウルズという作家の「シェルタリング・スカイ」という本だけど、文庫本のくせにやけにぶ厚いから読み通すのに時間がかかりそうだ。
参考のために借りた本なので、ぜったいに読みたいという目的や熱意があるわけじゃないし、こういう本を相手にするときはどう対処すればいいだろう。

わたしはまずあとがきを読んで、おおざっぱに全体を把握しようとした。
するとそこにヒロインが砂漠で強姦されるという説明があったので、なにはともあれ、その場面から読み始めることにした。
どうして彼女は犯されることになったのか、彼女はどういう理由で砂漠にやってきたのか、彼女はいったいどんな人物なのかと、興味のわいた部分を順繰りに過去へ遡っていけば、いつか完読できるんじゃないか。
ヘタな小説ならとちゅうで放り出せばいいし。

ところがなんとなくおもしろいような、そうでないような。
ああ、眠いような、そうでないような。
天気までいいような、わるいような。
なにもかも煮え切らない日だねえ、今日って日は。
わたしの認知症も着実に進行中してるみたいだ、はあ・・・・

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2021年5月27日 (木)

地中海/チュニジア

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歴史にくわしい人ならだれでもカルタゴの名将ハンニバルのことを知ってるだろう。
彼は紀元前200年ごろ、大国ローマを相手に闘いをいどみ、相手を攻めるのに象を連れてアルプス越えをしたという軍人だ。
わたしは彼がてっきりヨーロッパのどこか、まだ野蛮人が割拠していたガリア地方あたりの武将だと思っていた。
じつはカルタゴはアフリカの一部(現在のチュニジア)の都市だということを知ったのはだいぶあとのことである。
誤解していた原因は、映画なんかで見ると、彼が白人として描かれていたからだ。
アフリカ=黒人 むかしのわたしもステレオタイプな考えにとらわれていたのよね。

しかし、ということは彼が連れていた象はアフリカ象だったのか。
アフリカ象は飼いならすのがむずかしいというし、それともわざわざインドから輸入したのだろうか。
だとしたらたくさんの象を乗せるほど大きな船があったのか、それともパキスタン、イラン、イラクの砂漠を陸路で連れてきたのだろうか。
どうものっけからムズカシイ問題で恐縮だけど、このブログの主旨とは関係ないから、これ以上この問題に触れないことにしよう。

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ポール・セローがチュニジアにやってきたコースははっきりしている
彼が地中海沿岸の旅をしていたころ、チュニジアのとなりのアルジェリアでは、過激派のイスラム教徒が猛威をふるっており、反対どなりのリビアには反米の闘士カダフィが健在で、欧米人が安全にチュニジアに入国するには、海路でちょくせつ入るしかなかった。
というわけで彼はシチリアからフェリーで、チュニジアの首都チュニスに上陸した。

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これがチュニス港と市街地である。

地図を見ないで頭だけで考えた場合、ちょっと想像しにくいけど、イタリア半島のつまさきにあるシチリア島からチュニジアまでは、東京から静岡の先ぐらいの距離でしかない。
地中海をまたにかけたギリシャ人やローマ人にすれば、充分に自分たちの勢力圏といっていいところで、ハンニバルが白人であってもぜんぜん不思議ではないのである。

チュニスは快楽の都として、日本人にもちょっとだけ有名だ。
「カスバの女」という歌に “明日はチュニスかモロッコか” という、娼婦のなげきをうたった歌詞がある。
チュニジアはフランスの植民地だった期間が長く、租界だった中国の上海をみてもわかるように、フランス人は植民地を自分たちの退廃的な遊び場として最大限に活用したのだ。
チュニスは地中海をはさんで、フランスのすぐ向かいなのである。

セローにいわせると、チュニジアが旅の分岐点だったそうで、これまで比較的順調だった彼の旅は、この先不運につきまとわれることになる。
チュニスで、まず口のうまいベルベル人の絨毯売りにひっかかって店内に連れこまれてしまう。
ベルベル人というのはこの地方に古くから住む砂漠の民で、ウィキペディアあたりを参考にしてもらうと勉強になるけど、わたしのブログでは説明しているヒマがない。

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ここに載せたのはベルベル人の見本で、こんな顔をした背の高い人々らしい。

絨毯売りはわたしにも経験がある。
トルコのイスタンブールに行ったとき、あそこの絨毯売りもしつこかった。
イスタンブル・カルト(トルコのSUICA)を売ってるところ知らないかと尋ねたら、知ってる知ってると、連れていかれたのが絨毯屋だったこともある。
わたしの場合、買わないというより、買っても置くところがないという事情があったので、彼らの期待には応じられなかった。

続いてセローをおそったのは悪質の風邪で、これもわたしは経験があるけど、外国をひとり旅しているとき、病気になるのはとてもツライことである。
セローは複数の外国語に堪能だからいいけど、そうでないわたしはよろよろと起き上がって、近所の薬局で得体のしれない薬を買うしかなかった。

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意外なことにチュニジアにはかなり完備した鉄道があった。
とくに目的のないセローが、どこかおもしろいところはないですかと聞いてまわると、◯◯がいいよとか△△がおもしろいよという人はいたけど、スファックスだけは行かないほうがいいといわれることが多かった。
それじゃスファックスに行ってみようと速断するのだから、ひねくれもここまでくると立派なものだ。
わたしもまともな観光地は行く気がしないほうだから、どんなつまらない町なのか、ひとつこの町をのぞいてみることにした。

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これがスファックスで、欧米人が自由に入国できる国では、ストリートビューもOKの場合が多いようだ。
じっさいに何もないところだったけど(セローによると)、ふらふら歩きまわるには旧市街もあるし、静かで車も走ってないから、ホテルで病気休養をするつもりの彼にはこのほうが都合がよかった。

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病気が治りかけると、いろいろ思案したあげく、まったくあてもないのに、今度はスファックスの目のまえにあるカルカナ諸島へ行く。
ここはストリートビューがカバーしてないようなので、ネットで見つけたその写真を紹介しておくけど、リゾートの雰囲気と同時に素朴な人間の生活もあるようで、こんなところならわたしもじっくり滞在したい。

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カルカナ諸島の「グランド・ホテル」は、オフシーズンの旅だったせいもあるけど、セローはたったひとりの客だった。
何もないのが気に入って、彼は長期滞在をする気になり、島内をあちこち歩きまわったり、バードウォッチングをしたりして時間をつぶす。
でっかい鳥がいたと書いているけど、それはアオサギのことで、そんなものは日本にもいくらでもいる鳥である。
壺はタコツボで、カルカナ諸島はタコも有名らしい。
チュニジアもこのへんまで来ると、事件も紛争も歴史もないところだから、今回ばかりはセローも書くことに窮したようで、どうでもいい話題ばっかりだ。

このあとチュニスにもどったセローは、場末のカフェでサッカーのアフリカ・カップ戦をテレビ観戦したり、たまたまやっていた「カルタゴ映画祭」で、パレスチナやボスニア製の、アフリカではあまり重要でなさそうな映画を観る。
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ホントかウソか、チュニジアの映画祭は百年まえからあるらしいけど、これまでのところ、セローは文学ほどには映画に関心があるとは思えない人だ。
わたしの経験では、こんなふうにどうでもいいことで時間をつぶしているときは、たいてい行き場がなくなって、もうやけっぱちになっているときである。
そういえばセローのこの旅も、もうあと残すところ1章だけというところまで来た。

そんなわけでポール・セローの地中海紀行も、最後は平穏無事に、ネタ不足のまま終わりそうだけど、じつはもっとあとなら書くことはたくさんあったのだ。
2010年にチュニジアで勃発したジャスミン革命は、国の体制を崩壊させ、周辺国に飛び火し、すぐとなりのリビアでは最高権力者のカダフィが殺された。
セローが旅をしたのは1995年ごろだったから、そんなことは知るよしもない。
ぐっすり寝て元気を回復した彼は、いよいよ最後の目的地モロッコを目指すのだけど、まだまだ不運は続いていた。

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2021年5月25日 (火)

なんなんだよ

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いや、ひどいもんだね。
うわさには聞いていたけど、行政の闇の深淵をのぞいたような気がするよ。
うちの地域じゃ昨日がコロナウイルスのワクチン接種の予約開始だった。
指定病院は団地の建物から徒歩1〜2分だから、朝っぱらからサンダルをつっかけて偵察に行ってみた。
するとすでにじいさんばあさんの行列が4〜50人(写真参照のこと)。
1日や2日遅れたって、そのあいだに死ぬわけじゃあるまい。
行列に並ぶのはキライだし、年寄りといっしょにされるのもキライ。
そう考えて、昨日は予約をせずに、今日出直してみたんだけどね。

もくろみが的中して、今日はひとりも並んでない。
にんまりとほくそ笑んで、受付に行ってみたら、ワクチンの予約は終了しましただって。
なんだよ、なんだよ、なんなんだよ。
べつに今日接種してくれっていってるわけじゃないんだよ。
予約だけして、実際に注射打つのはそちらの指定日でいつでもOKですっていうのに、予約が終了?
聞いたところではワクチンの割り当て本数が決まっていて、この病院では昨日のうちにすべて予約済みになったんだそうだ。

とほほと帰って、このことを知り合いに話したら、なんでネット予約をしないんだとのこと。
そうか、病院がすぐ近くなのでぜんぜん考えたこともなかったけど、どうしてわたしのようなパソコン老人がそのことを思いつかなかったのか。

というわけでネット予約をした。
ところが今度は予約フォームってやつが、何度やっても、申し込み番号と生年月日が一致しませんだと。
怒り狂って市役所に苦情メールを出した。
明日返事が来るかどうか定かじゃない。
だからネットは嫌いなんだよな。
地域の有力者が優先的にワクチンを接種して問題になってるけど、つまりこういうことだったのか
行政の闇は深い。

えー、このネタにつきましては、ボケ老人のわたしの些細なミスであることが判明しました。
ボケのくせにせっかちだからいけないのよね。
ご心配なく。

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2021年5月24日 (月)

モミジバゼラニウム

おお、いつのまにかわたしのブログ、カウンターが40万を突破したね。
こつこつと続けること14年、ちりも積もれば山みたいなものだからイバれたものじゃないけど、まあ、そのあいだに政権与党の交代だとか、東日本大震災だとか、いろんなことがあったな。
もっと国内の時事問題や事件に触れていれば、これは世相をうつす鑑になり、後世のための記録文学になったかもしれないのに残念だ。
わたしが死んだらあっという間に人々の記憶から消えちまうだろうねえ、この泡沫ブログ。

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そんなことはどうでもいいけど、これは団地の建物の入口にずっと置きっぱなしだった植物。
冬のあいだも特徴のある葉がなかなかきれいだったから、てっきり観葉植物だと思っていたけど、今日見たら紅い花が咲いていた。
気になってなんという植物なのかと調べてみたら「モミジバゼラニウム」というらしい。
モミジバは葉が紅いところからの連想だろうけど、いわゆるゼラニウムとは花も葉もだいぶイメージが異なる。
わたしが知らなかったのは、当然というべきだ(威張っている)。

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2021年5月23日 (日)

地中海/海のハーモニー

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ぐるっと地中海をめぐってきたポール・セローの旅もぼちぼちゴールに近づいた。
シリアのダマスカスから彼はイスラエルに抜け、ハイファ港で船をつかまえてギリシャにもどることにした。
セローはギリシャがきらいだけど、そこまで行けば、とにもかくにも自由主義国であって、あとはどこへでも行けるのである。
ところがハイファまで最短コースで行けば車で2、3時間のところ、あいだにはさまるレバノンが危険すぎて通れない。
やむを得ず彼はぐるっと迂回して、ヨルダンからイスラエルに抜け、すこしまえに見たばかりのエルサレムを経由してハイファに行くことにした。
これで行っても、朝シリアを出発すれば、夕方にはもう船に乗ることも可能だそうである。
ずいぶんせまい範囲にごたごたと揉める世界の縮図があるなあとセローの感慨。
もうひとつ、このあたりの道路はアメリカよりよっぽどいいじゃないかと。

このコースだとまたイスラエルの国境を越えなければならない。
まえに入国したときは、たまたま彼の本を読んだことのある係官(女性だ)がいて、すんなり通過できたけど、今度はそうはいかなかった。
なんでトルコへ行ったのか、だれか知り合いがいるのか、どこに泊まったのかと、係官にねちねちいびられる。
セローにいわせると、イスラエルは被害妄想の国だそうだ。

セローはすこしまえに見たばかりのエルサレムに一泊して、もういちど旧市街を見てまわる。
あっちこっちで住人のトラブルが発生しており、反目しあう雰囲気、安らぎのない町、つくづく困ったもんだなと、セローはどっちかというとパレスチナに同情的なアメリカ人なのである。
まえにいちど紹介したイスラエルの景色をまた紹介するのもナンだから、ここでは最近の状況と、イスラエル軍のきれいどころでごまかしておこう。

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イスラエルとパレスチナはしょっちゅうドンパチをしているけど、現在ならセローもガザ自治区とその周辺に飛び交うミサイルに首をすくめていたはず。
もっともなんでもネタにする紀行作家にとって、めったに体験できないことだし、この戦争って脚本があるんじゃないのかと、わたしが感じるのと同じ疑問を、彼もあらかじめ予告された爆撃をホテルでながめながら抱いたかもしれない。

ハイファ港でセローがつかまえた船は「海のハーモニー」号という。
まえに乗った豪華客船の「海のスピリット」号と名前が似ているけど、どっちかというとその後に乗った「アクデニズ」号と同じような船で、一般庶民が地中海の往来に使うフェリーだった。
例によってその船を探してみたら、同じ名前の船がふたつ見つかった。

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 一方は豪華客船で、もう一つはサビの浮き出たボロ船だから、これは一目瞭然だ。
この船だという確証はないけれど、キブロス島やロード島あたりをうろうろしているというから、たぶんこれに間違いないんじゃないか。

この船の食事は刑務所並みだったそうで、厨房で働いていたのはビルマ人とインド人だった。
これだけの事実から、セローは地中海に存在する第三世界の問題、貧富の差、階級制度、移民などについて長々とゴタクをひねくっちゃう。
国際的作家というのはこういうもので、作家志望の人がいたら真似してみい。

こんどの船はギリシャ船籍なので、ギリシャ領のキプロス島や、アポロン神の巨像で知られるロードス島を経由していく。
キプロス島の項で、帰りにギリシャが統治する南キプロス(キプロス共和国)へ寄ったと書いたのはこのときのことである。

船はキプロス共和国のリマソルに入港した。
まえに紹介しそこなったからこの町も見てみよう。

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郊外に新しい工場団地があるようだけど、ランダムに町をながめると、あまりいい雰囲気ではなかった。
上陸してセローがたまたま知り合ったギリシャ人の女性は、北キプロスのガジマゴサに住んでいたのだが、トルコ軍が上陸してくると、家をすてて身ひとつで南に逃げてきたのだという。
ギリシャぎらいのセローにとっては返事のしように困る問題だ。
概して、ギリシャぎらいのセローはこの町について冷ややかである。

セローは「海のハーモニー」号でひとりの女性と知り合った。
メルヴァというオーストラリア人で、別れた亭主のストーカー行為に悩まされ、ほとぼりをさますために海外旅行をしているという。
ストーカー行為に悩まされるということは美人でなければならないし、海外に脱出できるということは、それなり財力もあるということになる。
もっとも財力のほうは、貧乏旅行らしいからあてにならないけど。
彼女はセローにクラッピー・ジョーというトランプゲームを教えてくれて、彼らはギリシャに着くまでしょっちゅうそれをしていたから、セローもまんざらではなかったようだ。
彼女の年齢は、セローの文章からすると、50代半ばといったところか。
このときセローも50代だったから、しぶい熟年同士の恋ということになる。
しかし「大地中海旅行」はメロドラマではないから、彼らがベッドを共にしたというような記述はない。
つまらないことを考察してるようだけど、わたしはそういうことを想像するのが大好きなのだ。

セローが船で知り合ったのはうば桜ばかりではなく、ゲイで独身の音楽家や、イヌを連れた歯のない禿げの下品な男もいた。
こんなふうにだれにでもやたらに話しかける彼の能力は、わたしみたいなひきこもりにはうらやましいくらいだけど、ときどきそれが度を越して、リマソルの英国式パブで知り合った英国人のように、なんであんたは人に質問ばかりしてるんだと怒り出す人もいる。

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キプロスのつぎに船はロードス島に寄った。
この島にはお台場のガンダムに匹敵するような巨大なアポロン像が建っていたそうだけど、それが作られたのが紀元前3世紀ごろで、その65年後にはもう崩壊していたというから、セローの記述もあっけない。
しかしこのブログでロードス島に寄るのは初めてだから、すこし念入りに見ていこう。

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わたしは若いころ「ロード島の要塞」という映画を観た記憶がある。
ローマ時代を背景にしたイタリア製の歴史スペクタクルで、たしか港の入口に巨大な銅像が仁王立ちしていて、まだ純真な若者だったわたしはすなおに感心したものだった。
もちろんいま港のあたりをストリートビューでのぞいても、そんなものは残ってない。

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あったのは公園のなかのこの小さな像で、ふざけてんのかといいたくなる。

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巨像はなかったけど、そのかわり港のすぐ目のまえに、「ロードス騎士団のグランド マスターの宮殿」という、要塞にふさわしい城壁が連なっていた。

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ほかにも、町はいかにもリゾートのようであるし、地中海らしい水のきれいな海水浴場もあって、ポール・セローが辛辣であっても、わたしはこの島が気に入った。
セローもいちおうその美しさを認めてはいて、しかし自分に興味があるのは景色や遺跡ではなく、オーストリア人女性の離婚話や、ストーカーをするその旦那についての話題のほうであるという。
いったい自分はなんのために旅行をするのか。
自分は歴史家ではない、地理学者でもない、政治に興味があるわけでもないのに、なぜ旅をするのかと彼は考える。
この考察は旅好きのわたしにもおおいに興味のあるところだ。
セローの結論は、旅の目的は自分の人生を生きること、自分の好みにあった生き方を見つけることということで、わたしももろ手をあげて賛成である。

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2021年5月22日 (土)

カニとヘビ

うわっ、わたしがまちがっていた。
キムチが出るんじゃないかという全日本人の期待を裏切って、文サンにカニの食事がふるまわれたそうだ。
ハンバーガーよりカニのほうが高級だ。
これはつまり、つまり米国は日本よりも韓国のほうを尊重しているわけね。
そうか、そうか。
そういうことならもはや遠慮はいらない。
おちぶれた米国の傘に入れてもらう必要はない。
金もあり、科学技術でも最先端をいく日本は、これからはステルス戦闘機、潜水艦、巡航ミサイル、ICBM、核兵器、すべて自前で開発してもかまわんというお墨付きをもらったようなもの(もちろん日本にはそれだけの力がある)。
時代はかんぜんに転換期だ。
わたしの世代が死に絶えると同時に、世界の新秩序が始まるのだ。
うん、知らんよ、この先どうなるのか。
マンガやゲームばかりやっている若いモンが勝手に考えな。

ところで逃げたヘビ、見つかったんだってね。
かわいそうに、さぞかし心細かったらだろうね、ひもじかっただろうねえ。
よかった、よかった、冬が来るまえに見つかって。

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2021年5月21日 (金)

野生動物管理会社

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最近よく見るYouTubeは動物に関するもの。
ロシア娘はいささかマンネリだ。
動物に関するもので、あまりショッキングなものもアカン。
以前はヘビがカエルを呑む映像にはまったことがあるけど、そうするとつぎからは頼みもしないのに、カエルを呑み込むヘビの映像がわさわさ。
これではカエルも気のドクだし、わたしの精神の安定も保てないし、いまはまっているのはもっとほんわかしたものだ。

たとえばアメリカには野生動物を駆除する会社というものがあるらしい。
日本だってシロアリやスズメバチを駆除する会社はあるけど、あちらはもうすこし大物だ。
キツネやアライグマやオポッサムなんて動物が、勝手に家のまわりや天井裏なんかで子育てを始めて、困った住人が業者に駆除をお願いする。
相手はたいていかわいい動物だから、動物に危害を加えないでというこころやさしい依頼も多いらしく、業者はつまんでポイすればいいというものではない。

とりあえず屋根裏から追い出せばいいわけだから、子供をつかまえて箱に収納する。
その箱をおもてに出しておくと、親がやってきて、1匹ずつくわえて別の場所に運んでいく。
これでは棲み場所が変わるだけで、いつになっても苦情はなくならないように思うけど、見ているぶんにはほんわかして楽しい。
YouTubeにはこの手の映像もたくさんあるので、当分はこれに専念。

Mother Fox Returns For Her Babies | Never Seen Before Footage!! - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=rE0Aa0-3A3c&t=124s

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2021年5月20日 (木)

タノシミ

おお、もう明日かい、米韓首脳会談。
韓国のノーテンキ大統領が、米韓首脳会談では、食事はハンバーガーにしないでほしい、つきましてはウチの好物はこれこれしかじかと、もうあつかましいというか、空気が読めないというか、そんな注文を出したという。
ひとしきり話題になったものの、その後ヤフー・ニュースなんでは削除されちゃったから、ひょっとするとフェイクかもしれないけど。
米国がこれについて反応を見せないのは、あまりにもにぶい相手に、思いきりお灸をすえてやろうとしているんだろうと、わたしは考えているんだけどね。
だいたいバイデンさんが、就任して最初の首脳会談の相手に菅首相を選んだのはなぜだと思ってんだろう。
食事がハンバーガーだったのはべつに理由があってのことで、韓国の大統領に対して、ここで日本の首相以上の歓待はできないことがわからんかね。

晩餐会で韓国大統領になにが出るか、あー、タノシミ。

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2021年5月19日 (水)

遺品

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亡くなった知り合いの家のあとかたづけに行って、遺品を頂いてきた。
故人はこのブログに何度か登場したおじいさんで、身分不相応なくらい趣味に贅を尽くした人だから、遺品もうらやましいようなものばかりである。
部屋に置いてあったテレビなんか55インチだ。
こんなでっかいテレビは、わたしは家電量販店の店頭にあるものしか見たことがない。
そんな巨大なものをもらっても困るので、それは遺族が引き取ることになった。

故人の趣味はビデオ映画をつくることだったので、わたしとよく話が合った。
そんなわたしと彼の関係を遺族もよく知っていて、ビデオカメラを持っていっていいという。
ビデオカメラは2台あって、そのひとつはソニーの4Kハンディカム。
アマチュアが使うにはじゅうぶんな製品だけど、それよりわたしが欲しかったのは、アクションカムという小さなビデオカメラだ。
まえからGoProが欲しかったんだけど、これならその代用になる。
じつは以前このブログで「札幌雪祭り」のことを書いたことがあるけど、そのとき持参したビデオカメラが、故人から借り出したこのカメラで、わたしはその実力をよく知っていたのだ。

というわけで、頂いてきたのは小さな白いアクションカムのほう。
ビデオの好きだった故人のためにも、これをおおいに活用して、大傑作を作ってやるといきまいてきた。
問題はわたしの寿命がいつまで続くかってことだ。
あ、今日も頭がぐらぐらする。

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2021年5月18日 (火)

四苦八苦

先日亡くなった知り合いの部屋の片付けに来てるけど、知り合いもパソコンをよくした人だから、パソコンの中身を確認するのに四苦八苦。
お願い。
とつぜん死ぬ予定の人は、パソコンのパスワードをどこかわかるところに書いておいてね。

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2021年5月17日 (月)

アフリカ!

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ポール・セローの地中海旅行をなぞる連載はまだ終わったわけじゃないけど、それがあまりおもしろかったので、図書館に行って彼のほかの本を探してみた。
すると「ダーク・スター・サファリ」という本が見つかった。
これは地中海のあとで、彼がエジプトのカイロから南アフリカのケープタウンまで、アフリカ大陸を縦断した紀行記だ。
写真を見ればわかるとおり、683ページもある弁当箱のような本で、(地図以外には)写真やイラストはひとつもない。
ここはやっぱり想像力欠如の人のために、文章を視覚化するわたしの出番ではないか。

セローが旅したのは2001年だから、もちろんライオンやゾウや原住民をかきわけつつ行くような旅ではないけど、わたしは現代のアフリカにも興味があるので、また地中海と同じように、ストリートビューを駆使したネット旅行ができないかなと思案した。
しかし、なにしろアフリカだ。
猛獣に食われる心配はないとしても、やっぱりストリートビューがカバーしている場所は多くないだろう。
なにかいい方法はないかしらと考えつつ、地中海のほうも片付けなくちゃいけない。
あ、また売れっ子作家になったような気分。

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地中海/シリアB

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ふり返るとアレッポはホモの多い町だった。
そんなことはセローの文章に書いてないけど、知り合ったシリア人にホモがいて、まつ毛をパチパチさせる彼に勧められて、セローは今度は列車でラタキアという町へ向かう。
最初の写真はシリア鉄道と、この途中にあるなんとかいう町で、緑がほとんどない、まだいかにも砂漠の町という感じ。

しかし砂漠地帯から海岸に出ると、景色は一転して、この鉄道沿線の風景は地中海地方でもっとも美しいとセローは書く。
「ここはのどかな緑の谷、石造りの家、庭、羊飼い、小麦畑、オリーヴの木立、果物の木がある」
「ずんぐりした農夫がロバといっしょに歩いていたり、どの村のまわりにも耕された畑があり、井戸や市場やモスクがあった」
さすがは世界的な紀行作家で、こうした魅惑的な風景描写がつぎからつぎへとあらわれるので、わたしはなんとかそれを見たかったけど、残念ながらやはりこのあたりも、ストリートビューはほとんどカバーしていないのだ。

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この写真はネットで見つけたラタキアの海岸風景と、ラタキア駅。
海岸風景には整然と耕作された、ものなりのよさそうな農地が見えて、たしかにアレッポのような砂漠の町という印象ではない。
続いてラタキア市内の写真をぞろぞろと。

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この町はアサド大統領の生まれ故郷だそうで、ここにも大統領の肖像画や銅像がいたるところにあった。
まだ生きている政治家の銅像がひとつ以上立っている国は、やがて苦難の道をたどることになると、これはセローの警句。

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セローはここで近くにあるウガリットの遺跡を見に行くことにした。
この遺跡からは五千年以上まえの、最古のアルファベットが刻まれた粘土板が発見されたそうである。
そういうすばらしい文字が考案された国なのに、国民の半分は読み書きできないと、セローはシリアを皮肉る。

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それでもシリアにとっては光栄の遺跡らしく、出土品はシリアの紙幣にも描かれている(このくさび文字が最古のアルファベットかどうかわたしにはわからない)。

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ラタキアからセローは首都のダマスカスへ向かうことにし、またバスに乗ってタルトゥスという町に寄る。
ここは町も海も徹底的に汚いだけで、見るべきものはなにもなかった。
彼はタクシーでさっさと出発するけど、この町を出てすぐに「夢のように美しい城」が見えたという記述がある。
“夢のように美しい” というのはどんなものか気になるので、「タルトゥスから車で30分少々」、「海岸を一望できる高台にある」というヒントから、その城を探してみた(わたしのブログは文章で描かれたものを、想像力のとぼしい人のために視覚化することを使命としているのだ)。

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この Castle roeというのがそれらしい。
わざわざ城まで寄りはしなかったけど、シリアには十字軍も来たことがあるらしく、セローはくだくだとうんちくを述べる。
セローの本を読むとその博識におどろいてしまう。
それが世界的作家というものだといわれそうだけど、歴史から科学、宗教、人間の本質等について、日本の若手作家がとても太刀打ちできるものではない。
日本にも、たとえば司馬遼太郎の歴史紀行のように、博識に富んだおもしろい読み物はあるけど、最近の芥川賞や直木賞作家にそういうものはまったく期待できない。
これは仲間同士でもけなしあっている切磋琢磨の業界と、ほめあってばかりのなれ合い業界の差かもしれない。

ダマスカスに着いたセローがまず気がついたのは、丘の上にそびえる空港のターミナルビルのような巨大な建造物で、これはアサド大統領の宮殿だそうだ。
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宮殿というからお妃も住んでいるわけで、上はアサド大統領夫妻。
わたしがストリートビューで異国を見てまわるように、現在では地表にあるものはどこからでも眺められる時代だから、つぎのモノクロ写真はイスラエルのスパイ衛星によるアサド宮殿の写真。
おそらく地下壕もあって、対地ミサイルや核爆弾でも耐えられるような造りになっているんじゃないか。
独裁者の屋敷というのはたいていそういうものである。

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シリアにも近代建築や新市街があるけど、このブログでは徹底的に旧市街のほうを見てまわる。
ダマスカスは歴史のある街なのである。
なんでも旧約聖書の「創世記」にその名前が出てくるくらいで、といっても聖書をまじめに読んだことのない日本人には、それだけではどのくらい古いのかわからない。
エルサレムも旧約聖書に名前が出てくるけど、それは「ヨシュア記」で、ダマスカスのほうが古い(とセローは書いている)。
やっぱりわからないけど、これって聖書からの説明でしょ、イスラムの国でそんなもの利用していいのかしら。

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旧市街で有名なのはウマイヤド・モスクという古刹だ。
ダマスカスはアサド大統領の支持基盤が強固で、内乱の影響はあまりなかったから、モスクは古いまんまで残っている。
洗礼者ヨハネの首はこのモスクに葬られた(とこれもセローが書いている)。
サディスティックな美少女サロメが首を所望したために、ヨハネは現在のイスラエルのどこかで斬首され、わざわざダマスカスで葬られたらしい。
ホントかウソか知らないけど、日本にも「将門塚」なんてものがあるな、それも千代田区大手町という東京の中心といっていいところに。

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ウマイヤド・モスクのまわりにもちろんスーク(バザール)があり、周辺国からも買い出しが来るほどにぎわうという。
二番煎じになるから詳しい紹介はしないけど、このバザールではトルコと同じようなモチモチしたアイスクリームが名物のようだ。

セローは地中海沿岸をめぐるという旅の主旨から、ダマスカスのあとはレバノンの首都ベイルートに行くつもりだった。
ただこのころシリアとイスラエルの関係がこじれて(毎度のことだけど)、いろいろ物騒なうわさが飛び交っていたので、彼は情報を仕入れるためにアメリカ大使館に出向くことにした。
すると、なにしろ世界的作家のことだから、ちょうど大使館でやっていたコンサートに招待されてしまう。

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この写真は、爆弾テロにも屈しないトーチカのような米国大使館と、カウボーイ・ハットのおじさんはこのときのコンサートの出演者で、ミンゴ・サルディバーというアコーディオン奏者だ。
そんな芸人のことまで紹介しなくていいという人がいるかもしれないけど、このブログは想像力欠如の人のために、なんでもかんでも視覚化してしまうブログなのだ。
あ、最後の写真はおまけ。

大使からじかに説明を受けたところによると、ベイルートは危険すぎるから行くべきではないとのことである。
2021年現在のベイルートは、ごたごたが沈静化しているものの、このあいだ港で硝酸アンモニウムの大爆発があったように、このあたりの安全基準は日本と同じではないから、旅行して映像を YouTubeに上げようという人などは要注意だ。
セローはベイルートを断念せざるを得なかった。

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2021年5月16日 (日)

コロナ?

なんか頭がぐらぐらするね。
今日は先日亡くなった知り合いの焼香に行く予定だったけど、あかん!
ひとりで部屋で寝てすごして様子を見ることにした。
寝ながら考える。
人にはツキというものがあって、ついてない人は生きていたいと願っても死ぬだろうし、どうでもイイと考えているのに死なない人もいるだろう。
わたしの場合どっちなのか。
いま夜の7時をまわった。
まだぐらぐらしているけど、特別に悪化したわけでもなさそう。

だいたいコロナだとしてもどうすればいいのか。
近所の病院に出かけて待合室に並ぶのも迷惑だし、いまの段階で救急車ってわけにもいくまい。
苦しくなければもういつ死んだっていいけど、体験者の話を読んでみると、コロナもけっこう苦しいらしい。
かりに死なずに済んだとしても、コロナの免疫がついてしまって、まだまだこのいまわしい人生が続くのかもしれない。
あー、どっちしてもろくなもんじゃないね。

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2021年5月15日 (土)

苦し紛れ

わたしは「弥助」なんていう歴史上の人物のことを、このトシまでぜんぜん知らなかった。
彼を知ったのは最近のアニメのせいで、しかも外国からの影響による。
いや、すごいもんだね、日本のアニメって。
いやいや、これもインターネットのせいだろう。
世界中のあらゆる情報が瞬時に世界をかけめぐる。
わたしの知らないアニメを、外国人のほうがとっくに知っている。
こういう時代が来るだろうということは、ネット創世記からいわれていたけど、わたしはいまそれを目の当たりにしているわけだ。
そして未来の入り口でそろそろあの世に行くわけだ。
ま、惜しいとは思わないね。
人間はその生きた時代にあわせた生きものだから、縄文時代や、惑星間旅行が可能な未来に生きたいと思わないのだ(少なくてもわたしは)。

いま晩飯も食わずにブログのネタをひねっていたけど、こんな苦し紛れの話題しかないや。
さっきまでぼんやり、弥助がどうのこうのというりテレビを観ていて、これから遅い晩メシにするつもりだから、今日の更新はこれだけ。

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2021年5月14日 (金)

コロナ戦争

コロナ防疫の遅れが目立つ日本。
わたしの住む街では24日からワクチン接種の予約が開始だそうだ。
接種じゃなくて “予約がだからね。
どたばたのキライなわたしは、すこし遅れて行くつもりだけど、そのあいだに感染して死んだらどうするのか。
あのアメリカでさえ、日本より先行してコロナ戦争に勝利を収めつつあるとか。
でも、ここがまじめな国といいかげんな国の違いかも。
アメリカじゃそのへんの薬局でも、ワクチンを注射してかまわないそうだ。
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人や200人ぐらい、まちがって死んだって、コロナが抑え込めればいいっていうスタンス。
これじゃ早いのも当然だ。
朝日や毎日はなぜそうしろと主張せんのだ。
先日亡くなったわたしの知り合いも、アメリカ式なら間に合ったかも知れないのに。

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2021年5月13日 (木)

地中海/シリアA

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キプロス島を見てまわったあと、ポール・セローはつぎの目的地シリアへ向かう。
セローが行ったのは1995年ごろだけど、そのころの地中海沿岸国家のなかには、観光客が歩きまわるには危険な場所がいくつもあった。
旧ユーゴやキプロスは紛争継続地だったし、シリアもそのひとつで、この国は彼が訪問したあと、つい最近まで激しい内戦状態だったところだ。

セローはイスタンブールから長距離バスに乗るけど、トルコ東部からシリアにかけては、クルド族の武装勢力なんてのが見張っていて、外国人とみれば有無をいわせず拉致したりしていた。
彼の乗ったバスはエアコンはろくに効かず、乗客は喫煙者ばかりだったから、タバコを吸わない彼はニコチンまみれの旅になり、クルド人がタバコを吸わないなら、拉致されたほうがいいやとボヤいている。
冒頭に載せた画像はこのバスの車窓の景色で、セローが旅をしたころもこんな立派な道路があったかどうかは保証のかぎりじゃない。

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バスのコースはこの地図にあるとおりで、◯を矢印でつなげればよい。
トルコ中央部はアナトリアというロマンチックな名称の土地で、バスはトルコの首都のアンカラや、月光に照らされたトゥズ湖のほとりを通ったとある。
このあたりセローの描写はひじょうにこまやかだから、ぜひ車窓の景色を観たかったけど、ストリートビューがカバーしている場所は多くなかった。

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ここに載せた画像は、経由したトゥズ湖のあたりで見つけたもので、日本の北海道のように人口密度が少なく、湖はいちおう観光地化されているようである。

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つぎの地図はアレッポのあたりの国境を拡大したもので、セローはトルコ側の国境の町アンタキヤに一泊してからアレッポに向かう。
彼はアンタキヤについてもページを費やしているけど、あまりそこにこだわると、いつになってもシリアに到達しないから、わたしのブログでは長居をせずにちょっとだけこの町の名物を紹介しておこう。
この画像はアンタキヤの町と、近郊にある「モーゼの木」という古木で、杖でたたいて泉をわかせた弘法大師みたいな伝説があるそうである。
しかし古い銘木の多い日本人がそんなものに感心するかどうか。

地中海の沿岸をめぐるという旅の主旨からして、最初セローはアレッポではなく、ラタキアという海辺の町へ直行するつもりだった。
しかしひらいている国境がかぎられていて、アレッポ経由でないと入国できないことがわかったので、彼は数百キロも大まわりをすることにした。
シリアの入国審査は厳しかったけど、アメリカ人をことさら警戒するようすはなく、シリア人の密輸業者がとっちめられていて時間を喰ってしまう。

アレッポという町の名前は、国際情勢にくわしい人ならたいてい聞いたことがあるはずだ。
ここは首都のダマスカスをしのぐ、シリア最大の都市といわれ、シリア内戦でも最大規模の戦闘が行われたところである。
さいわいなことにセローは内戦が激化するまえにこの町に入った。
だから彼の第一印象では、「アレッポは雑然とした温かい雰囲気の町」だったそうである。
しかしこの内戦は2016年まで続き、いまストリートビューでながめても、見つかるのはこんな写真が多い。

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町を知るにつれてセローの印象も変わっていき、「美しく古い建物と醜く新しい建物をならべて、上からふるいで土をかけたような感じの町」となり、かなり埃っぽい町だったようである。
現在ではそれをさらにこなごなに粉砕した町といったらいいか。

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シリアの大統領はバッシャール・アル=アサドという人物で、この写真のなかに彼の肖像画が写っているものがある。
この国では大統領が神聖にして犯すべからずの存在であり、いたるところに秘密警察が目を光らせていて、セローもうかつにその名前を口にできない特殊な国であることがわかった。
この国はアルバニアや北朝鮮と同じ、国民を強権で弾圧する独裁国家だったのだ。

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アレッポでよく知られた名所に、古い城塞と、スークと呼ばれるバザールがある。
城塞は砲弾とびかう戦場になったし、スークもとうぜん影響を受けただろう。
しかし穴だらけになっても城塞はまだそこにあり、スークのほうも市民にとって日常に必要不可欠なものだから、内乱が終結するとたちまち復旧したようだ。

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写真に写っているのは、あまり日常生活に必要のない貴金属や食器ばかりじゃないかといわれそうだけど、観光客がバザールで撮りたがるのは、肉や野菜よりも土産にふさわしいものが多いので、ネット上でスークの写真を探そうとすると、どうしてもそういうものばかりになってしまうのだ。

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セローはアサド大統領について、首が異常に長く、退屈そうな微笑みを浮かべているとか、いかにも悪党づらをしていて、風刺漫画のようだったとか、あまりいいことは書いてないないけど、これにはちょっとべつの見方も出来そうである。
アサド大統領はもともと医学を志していたのに、大統領だった父親の引退と、あと継ぎとされた兄貴が事故死したため、きゅうきょ後継者としてかつぎ出された人である。
最初のうちは自分は大統領になりたいわけじゃないと殊勝なことをいってたけど、なってみたらこんな大変な仕事はないということに気がついた。
シリアという国はアラブ国家の例にもれず、無数の部族の寄りあい社会で、さまざまな勢力が拮抗し、しかも日本とちがって、そのほとんとが機関銃やミサイルをそなえたわからず屋ばかりだ。
まあまあ民主的に、話し合いでなんていっていたら、いつになっても何も決まらない。
こういう国では、大統領が望むと望まないとにかかわらず、飛行機や戦車や化学兵器まで使って、反対派を抑え込むしかなかったのではないか。
民主主義が機能している日本は、やっぱり世界のガラパゴスなのだ。

考えてみると北朝鮮の正恩クンも、アサド大統領と同じかもしれない。
自分が権力を引き継がなければ、一族すべてが水に落ちたイヌで、過去にさかのぼって先祖の墓まであばかれ、ヘタすりゃ自分もしばり首だ。
やむを得ず最高尊厳を引き受ければ、まわりはみんな同じ特権をむさぼろうという輩ばかりで、政策の変更も改革もできやしない。
がんじがらめのしがらみに縛られて、そのくせ責任だけはぜんぶ自分持ち、こうなると不安をごまかすために食う飲むしかないということになる。
独裁者というのは喜び組のきれいどころを独占できることばかりじゃないのだ。

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シリアの内戦が本格的になったのは、チュニジアから広がった「ジャスミン革命」以降で、これは2011年だったからセローの旅よりずっとあとである。
アサド大統領にとって最大の危機は、国内の反政府勢力が勢いを増した2006年ごろで、このころ政府側の支配地域は国内の1/3というところまで追いつめられていた。
ところが反政府軍側に、ISISのような残忍無比で、反アメリカ的な組織が参加して風向きが変わった。
米国はもともと反政府軍を支援していたのだけど、こういう連中がいたのでは支援できないということになり、政権支持のロシアの空爆などもあって、アサド大統領は劣勢を挽回することができたのである。

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2021年5月12日 (水)

今日のできごと

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おっおっおっ。
ずいぶん時期遅れじゃないかというそしりはあえて受けます。
ヒマつぶしに自転車でふらふらしていたら、子供の日のまえに探しに行ってひとつも見つけられなかったコイノボリが、とある住宅街にひらひら。
頼りないコイノボリだけど、来年からはここへ写真を撮りにこよう。

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もうひとつ、今年はじめて見たもの。
じゃぶじゃぶと川を渡っていくヘビと、うちの子供に近づかないでーっというカルガモのお母さん。

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2021年5月11日 (火)

クサフジ

人はいつかかならず死ぬ。
わたしの場合ひどい評判だけがあとに残りそうで、いささか憮然としているところだけど、死んでしまえばそんなことは気にしていられない。
ただ黙々とその日その日を送るだけ。

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いまこつこつとポール・セローの「大地中海旅行」のブログ化という大仕事にとりかかっているんだけど、先日図書館で同じ作家のアフリカ紀行を借りてきたら、これもまたおもしろくて、つまり肝心の地中海のほうを片づけている時間がない。
今日の更新に穴があかないように、また手間のかからない花のネタ。
近所の水の流れない空堀川の川岸に繁茂するクサフジ。
数が多すぎて、きれいだとかみごとだとかとほめる気にもなれないけど、マメ科だから根っこに根粒があって、長い目でみれば土壌改良の効果がありそう。
雑草でもわたしよりは価値ある一生を送ってんじゃないか。

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2021年5月10日 (月)

追悼のうた

冷静になろうよ、なろうよ。
死んだ知り合いのじいさんのこと。
どうせわたしも遠くない。
また追悼のうたでもつくってなぐさめるか。
あ、わたし自身を、この寂寞としたこころを。

  またともに終夜語らんおなじ趣味
       パソコンのことビデオのことを
  こころみにスマホのキーを押してみて
        ただむなしきや呼び出しの音
  いまちょっと遅く生まれりゃよかったと
        ぐちこぼしあう仲間たりしが
  年老いて覚悟の自殺のさまがあり
        コロナさなかに仕事するとは
  五月風よせてはかえす木の間より
        飛びゆく鳥の白きかげ見ゆ

わたしもさっさとリタイヤしたいワ。

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2021年5月 9日 (日)

コロナがすぐそばに

訃報がひとつ。
このブログにも何回か登場したことのある知り合いのじいさん。
コロナだそうだ。
やれやれ。
わたしのまわりは年寄りが多いから、いつか出るんじゃないかと思っていたけど、とうとう犠牲者が出てしまったか。
これまでずっと他所ごとだったのに、死神がついにドアのすぐ外にまでやってきた感じ。
わたしもけっして若いわけじゃないからね。
ワクチンの予約は、わたしんところでは24日から。
それまでなんとかしのげるか。

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威海

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忘れたころに中国人の知り合いが写真を送ってくる。
今度は威海というところに行ってきたのだそうだ。
地図でみると、黄海をはさんで韓国のすぐ向かいだ。

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街は空中回廊まであって、かなり大きそう。

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送ってきた写真のなかに、「定遠」という船の写真があった。
これってアレじゃん。
むかし自衛隊にいたころ、よく軍歌をうたわされたけど、そんななかに“まだ沈まずや、定遠は”という歌詞があったのをおぼえていた。
たしか日清戦争のとき日本軍に沈められた中国の軍艦の名前じゃないか。

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その船が復元され、威海で博物館になっているらしい。
甲午戦争博物館と書いてあるけど、甲午戦争というのは日清戦争のことである。
日帝の侵略を忘れないためにというなら迷惑な話だけど、これはまあ、明治時代のことだし、中国は韓国ほどしつこくない。
日本でも軍艦三笠が横須賀で博物館になっているから、同じようなもんか。

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つぎの写真は、威海市の劉公島というところにある軍人らしき人物の像だけど、はて、劉公ってだれだろう。
調べてみたら、日本に留学したこともある中国人で、孫文らとともに辛亥革命にも参加した人らしい。
ただ像はあまりカッコよすぎて、この劉公かどうか確証がない。

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2021年5月 8日 (土)

ああ・・・・

録画しておいたNHKの「小さな旅」というシリーズを観た。
今回は宗谷本線がテーマで、まだ雪の残る最果ての鉄道というから、わたしも若いころ乗ったことがあるなあと、ついなつかしい気分で観た。
それは個人的なことだから、他人に感傷を押しつけようってわけじゃない。

へんなところに感心したのは、列車が宗谷本線の小さな駅に停車すると、これはいわゆる撮り鉄というものなのか、窓からカメラをつきだす人が多かったことだ。
そうやって北海道くんだりまで行って、撮影した映像をYouTubeに載せるのだろう。
ご苦労さんなことだけど、金儲けが目的ならダメである。
いまどき普通のおっさんがユーチューバーになっても、見てくれる人なんかいない。
いま日本中、いや世界中に、旅をして、その映像をネットに上げようという人がどれだけいると思ってんのか。
若い女の子ならとちゅうでかならず温泉に入るとか、野蛮人なら人跡まれなほんとうの秘境を旅する手もあるけど、日本の宗谷本線ぐらいで興味をもつ人はいない。
こうしているあいだにもわたしのブログは、その他大勢の、どうでもいいブログの下に埋もれていくのだ、ああ・・・・

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2021年5月 7日 (金)

ロレンスの足跡

いまブログで、ポール・セローの地中海旅行をなぞるという連載をしてるところだけど、それが地中海を半周してシリアまでやってきた。
ここでセローはダマスカスという街に寄る。
この街の名前を聞いて、映画「アラビアのロレンス」のことを思い出した。
あの映画では、アラブを独立させようという大義に燃えたロレンスが、最後にダマスカスで諸部族を集めて円卓会議を催すものの、けんけんがくがく、けっしてまとまらないアラブの現実に絶望して、失意のうちにアラビアを去るという結末になっていた。

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映画を漫然と観て、カッコいいなと感心するばかりで、考えてみるとわたしはロレンスが活躍した場所についてほとんど知らないことに気がついた。
ひと口に中東といっても、西はエジプトの一部から、シナイ半島、アラビア半島のサウジアラビア、イエメン、オマーン、さらにレバノン、シリア、イラク、そしてイランも含めると、範囲はひじょうに広い。
いったいロレンスが活躍したのはどのへんなのだろう。

興味がわいてきたので調べてみた。
英国将校だったロレンスが、まず最初に派遣されたのは中東のどのへんだったのか。
映画の冒頭にファイサル王子のところへ行けといわれ、王子はいまどこにいるんですかと問い返すと、わからんけどメディナから半径480キロ以内にいるはずだといわれるシーンがある。

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つまりこの地図上の○印の内側ということになる。

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この○の中のどこかに、あの有名なシーン、かげろうの燃える地平線から、ラクダに乗った黒ずくめのアラブ人が現れる場所があるわけだ。
このあとロレンスは幕営地でファイサル王子と会うけど、それもこの○の中のはず。
ファイサル王子と意気投合したロレンスは(このあたりちょっと安直な気がしないでもないけど)、アラブの独立に手を貸して、それを近代化させようと決意する。

ロレンスが活躍したのは第一次世界大戦のころだから、地理も国境もいまとは大きく異なっていて、このころアラブの広範な地域がオスマントルコの支配下にあった。
ただ、その支配のタガもそろそろゆるんできていて、各地でアラブ人の反乱が勃発していたころだ。
このへんの国際関係はここで説明できるほど簡単じゃないけど、英国は欧州の戦争で敵側のオスマントルコを背後から牽制すべく、ロレンスを使ってアラブの反乱を支援しようとしていたのである。
大戦が終わったあと、英国とフランスはアラブを分割してそれぞれの領土にしようという密約を結んでいたから、なにも知らないロレンスはたんなる走狗にしか過ぎなかったわけだ。

ロレンスはアラブ人を率いて、トルコの要塞のあるアカバという町を、義経のヒヨドリ越えのように背後から急襲する。
これが映画前半の山場だけど、さて、アカバというのはどのへんにあるのだろう。

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この地図がアカバの所在地である(ふたつ目は1枚目を拡大したもの)。
アラビア半島とアフリカ大陸にはさまれた紅海は、いちばん奥でYの字に分かれており、左がスエズ湾、右のほうがアカバ湾で、アカバはそのとっつきにある。
大砲を備えた強固な要塞だったけど、まさか背後の砂漠から攻撃されるとは思っておらず、砲塔はむなしく海に向かっていた。

アカバの勝利を伝えるために、ロレンスは英軍の駐屯していたエジプトのカイロまで、シナイ半島を横断することにする。
カイロの手前には英国の占領地であるスエズ運河があり、そこまでの距離はおよそ200キロ。
映画ではひじょうに苦労して、ぼろぼろになってたどり着いたように描いてあるけど、これは映画的な誇張のような気がする。
シナイ半島のこの部分はアカバとエジプトの直結路であり、交通はけっこうひんぱんだったろうし、映画の中でも砂漠の民ベドウィンは1日に100キロ移動するといってるくらいだから、それなら2日、のんびり行っても3、4日の行程じゃないか。

映画の後半では、ロレンスはゲリラ活動でオスマントルコを苦しめる。
ロレンスに何度も待ち伏せ攻撃されるのがヒジャーズ鉄道で、爆破されて脱線し、派手に横転する列車が後半の山場のひとつだ。

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これはダマスカスや地中海沿岸から、イスラムの聖地メッカまでを結ぼうとして、オスマントルコが敷設した鉄道だけど、その路線図は下図のような感じ。
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かってNHKが放映した「シルクロード激動の大地をゆく」という番組では、現在でもロレンスによって破壊された汽車の残骸が砂漠に転がっていた。

ゲリラ活動のあい間にロレンスはダルアーという町に潜入し、トルコ兵によって屈辱的な扱いを受ける。
ヒーローを描いた映画らしくないけど、ようするにホモの軍人におかまを掘られちゃったということで、このことは彼の自伝「知恵の七柱」に正直に書いてあるらしい。

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彼が自尊心をズタズタにされたダルアーという町は現在のシリアとヨルダンの国境近くにある。

オスマントルコを駆逐した英国は、重要拠点のダマスカスに軍を進めようとするけれど、アラブの独立が悲願のロレンスは、アラブ人だけで先にダマスカスを占領してしまう。
そしてアラブ人による円卓会議が開かれるんだけど、ここで前述したように、砂のようにけっしてまとまらないアラブの欠点が露出して、けっきょくロレンスはアラビアを去ることになるのである。

悲劇の主人公であるロレンスの活躍した場所を知ることで、映画の立体感はいや増すものだ。

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それは現在のサウジアラビアの西方から、シリア、ヨルダン、エジプトにかけての一帯で、地図に赤いマーカーを引いたあたりということがわかった。
もちろん映画はぜんぜん別の場所で撮られたということもあるから、これはあくまで、実在したロレンスの足跡ということである。
でも、わたしがこんなに苦労して説明しても、だいたいいまの若いモンはこんな名画さえ、砂漠のしんきろうのように忘却の彼方てことになっているんじゃないか。

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2021年5月 6日 (木)

平均寿命

わたしのまわりでもどんどん人が死んでいく。
まわりに年寄りが多いんだから死ぬのは当たり前だ。
わたしだってもう日本人の平均寿命くらいは生きたんじゃないか、いったい日本の男の平均寿命っていくつなのさ。
そう思って調べてみたら、なんと81歳だそうだ。
ウソでしょ!
ていうことは、わたしが81になったとき、まだわたしと同じ歳の日本人が半分は生きているってことか。
えっ、えっ、えっ?
そんなのアリィ?
平均寿命ってどうやって出すんだっけ。 
ああ、わからん、やっぱりボケか(泣く)。

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2021年5月 5日 (水)

花の総括

この団地に引っ越ししてまる1年が経過したから、うちの花壇の年間の総括。

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2021年5月 4日 (火)

期待

わたしのブログはあいかわらず人気がない。
このあいだ読んだネット記事には、無名のしろうとの日記形式のブログなんてだれも読まないとあった。
わたしのブログもどっちかというと日記みたいなもので、しかもわたしは無名のしろうとだ。
こんなわかりやすい三段論法もないね。

自分のブログをひきあいに出すのもナンだから、YouTubeをたとえにすると、つまり裾野が広がりすぎたんだよな。
だれでもかんたんに映像をネットに上げられるようになり、しかも YouTubeは儲かるなんて噂が世間に流布して、いまや子供のなりたい職業の第一がユーチューバーという時代だ。
われもわれもと YouTubeに参加してくれば、そりゃよっぽどおもしろい映像でも作らないかぎり、いや、おもしろいものを作ったって、人の目につきにくくなるのは当たりまえだ。
ロシア人美女も増えすぎてマンネリだし、カワウソやヘビやアメリカウシガエルを飼ってみたり、温泉入浴やヨガや下着のご開帳にかこつけて、エロを売りものにする若い女の子も多いけど、思ったより人気が出ないとぼやいている人がほとんどじゃないか。
ユーチューバーの数がかぎられていたころならいざ知らず、現在は世界中の何億という映像の中から抜きん出なければならないのだ。
そのへんのじいさんの映像なんて、ほうっておいてもどんどん砂に埋もれる砂漠の家みたいなもの。

わたしのブログの人気がないのも、つまりそういうことなんだろう。
ま、それでもかまわんさと、なかば負けおしみになるけど、だいたいお金儲けを目的にして、ブログや YouTubeを始めるのがそもそものマチガイなのだ。
わたしを見よ。
儲けなんか最初から度外視して、好きなことをほざいていればそれで満足という見上げたこころざし。
ブログやるのに費用は微々たるものだし、認知症の予防にはなるし、自分はいまでも生きてますという安否情報にはなるし、そうやって無欲恬淡の精神でやっていれば、そのうちバカ当たりするかもしれないという期待もある。
まあ、そんなことはありえないと思うけど、もしかしたらというさもしさもあるのだ。
あまり本音をいいたくないけど、炎上するなら早くしてくれないと、わたし老衰死してしまうではないか。

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2021年5月 3日 (月)

ヒマつぶし

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月曜日だねえ。
天気も不穏で出かける気にもなれないし、なにしようかねえ。
カメラのWI-FIでも使ってみるかというわけで、部屋の外へ出る。
団地の建物にひっついて1センチもない白い花が咲いていた。
これはトキワツユクサといって、よく生物の学習で顕微鏡の教材になるムラサキツユクサの仲間だ。
ムラサキのほうはそれなり大きいから通常のカメラでも撮れるけど、1センチにも満たないとなるとこれはマクロの出番だ。
しかしマクロとなると今度は手ぶれがコワイ。
そこで三脚にカメラを載せてWI-FIで遠隔操作だ。
おお、これはいいぞというので、マクロの拡大率を上げてみた。
上げすぎると被写界深度がますますせまくなり、目標をしぼりにくいけど、団子状に連なったおしべの毛がかろうじてわかる(写真の上でクリックするともっと大きな写真になります)。

うんというわけで、これで30分ぐらいのヒマつぶしにはなった。

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2021年5月 2日 (日)

キウイ・カッター

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いつだったかCool Japanというテレビ番組で、日本の便利な台所用品というテーマを取り上げていた。
出演していたニュージーランド人が、こういうものがあると、得意そうに吹聴していたのがキウイ・カッターなる製品。
製品なんていうほど大げさなものではなくて、プラスチックと針金のおもちゃみたいな品である。
それを半分に切ったキウイの実にざくりと差し込んで、ぐるりと回転させると、皮と実の部分がきれいに離れる。
わたしもキウイは好きだけど、皮をむくのがメンドくさかった。
かんたんそうに思えるけど、キウイというのは、皮をむこうとして力を入れると実がつぶれてしまうという欠点がある。
番組に出演していたニュージーランド人は、以前は皮をむかずに食べるといっていたのが、これを発見してからは、国にいる母親や親戚にまで買って送ってやったそうだ。

先日、ホームセンターに行ったさい、このことを思い出して、わたしもキウイ・カッターを買ってみた(745円)。
帰宅して使ってみると、なれないうちは扱いにくいが、なれるとこれは便利、というよりおもしろい。
それ以来うちの冷蔵庫にキウイを欠かしたことがないくらい。

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2021年5月 1日 (土)

ニセアカシア

わが家のベランダや窓からは、コブシ、サクラ、フジなど、四季おりおりにいろんな花が見える。
洗濯をしていたら、いまはちょうどニセアカシア(ハリエンジュ)が、フジに似た白い花をたくさんつけているのに気がついた。
気がついたっていうのはウカツな話だ。
じつはちょっとけしからん話で、こいつはベランダのすぐ目のまえに木が植わっているんだけど、なぜかわたしの目の高さあたりだけ花がちらほら。
それより上にいくとどばーって具合で、無神経に洗濯なんかしていたんでは、花が葉にかくれて気がつきにくいのだ。
今日たまたま気がついてよく眺めたら、上のほう、あるいはほかの木には、咲くほどにこうべを垂れるハリエンジュかなって具合に満開になっていた。
で、またヒマつぶしの一句。
  よくみれば 葉かげにたわわ ハリエンジュ

これも幼いころの郷愁の花だ。
そのむかし、わが家は中学校の土手ぎわにあって、土手にはニセアカシアの並木があり、いまの季節にはうっとりするような芳香をただよわせ、クマンバチが、おっと、これは都会では絶滅危惧種か。
花の写真はあした撮影に行きますんで、いいのが撮れたら載せます。

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いいのが撮れなかったので、むかし撮った写真でごまかします。
わたしんところには過去20年分ぐらいの花の写真がストックしてあるので。

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