ロレンスの足跡
いまブログで、ポール・セローの地中海旅行をなぞるという連載をしてるところだけど、それが地中海を半周してシリアまでやってきた。
ここでセローはダマスカスという街に寄る。
この街の名前を聞いて、映画「アラビアのロレンス」のことを思い出した。
あの映画では、アラブを独立させようという大義に燃えたロレンスが、最後にダマスカスで諸部族を集めて円卓会議を催すものの、けんけんがくがく、けっしてまとまらないアラブの現実に絶望して、失意のうちにアラビアを去るという結末になっていた。
映画を漫然と観て、カッコいいなと感心するばかりで、考えてみるとわたしはロレンスが活躍した場所についてほとんど知らないことに気がついた。
ひと口に中東といっても、西はエジプトの一部から、シナイ半島、アラビア半島のサウジアラビア、イエメン、オマーン、さらにレバノン、シリア、イラク、そしてイランも含めると、範囲はひじょうに広い。
いったいロレンスが活躍したのはどのへんなのだろう。
興味がわいてきたので調べてみた。
英国将校だったロレンスが、まず最初に派遣されたのは中東のどのへんだったのか。
映画の冒頭にファイサル王子のところへ行けといわれ、王子はいまどこにいるんですかと問い返すと、わからんけどメディナから半径480キロ以内にいるはずだといわれるシーンがある。
この○の中のどこかに、あの有名なシーン、かげろうの燃える地平線から、ラクダに乗った黒ずくめのアラブ人が現れる場所があるわけだ。
このあとロレンスは幕営地でファイサル王子と会うけど、それもこの○の中のはず。
ファイサル王子と意気投合したロレンスは(このあたりちょっと安直な気がしないでもないけど)、アラブの独立に手を貸して、それを近代化させようと決意する。
ロレンスが活躍したのは第一次世界大戦のころだから、地理も国境もいまとは大きく異なっていて、このころアラブの広範な地域がオスマントルコの支配下にあった。
ただ、その支配のタガもそろそろゆるんできていて、各地でアラブ人の反乱が勃発していたころだ。
このへんの国際関係はここで説明できるほど簡単じゃないけど、英国は欧州の戦争で敵側のオスマントルコを背後から牽制すべく、ロレンスを使ってアラブの反乱を支援しようとしていたのである。
大戦が終わったあと、英国とフランスはアラブを分割してそれぞれの領土にしようという密約を結んでいたから、なにも知らないロレンスはたんなる走狗にしか過ぎなかったわけだ。
ロレンスはアラブ人を率いて、トルコの要塞のあるアカバという町を、義経のヒヨドリ越えのように背後から急襲する。
これが映画前半の山場だけど、さて、アカバというのはどのへんにあるのだろう。
この地図がアカバの所在地である(ふたつ目は1枚目を拡大したもの)。
アラビア半島とアフリカ大陸にはさまれた紅海は、いちばん奥でYの字に分かれており、左がスエズ湾、右のほうがアカバ湾で、アカバはそのとっつきにある。
大砲を備えた強固な要塞だったけど、まさか背後の砂漠から攻撃されるとは思っておらず、砲塔はむなしく海に向かっていた。
アカバの勝利を伝えるために、ロレンスは英軍の駐屯していたエジプトのカイロまで、シナイ半島を横断することにする。
カイロの手前には英国の占領地であるスエズ運河があり、そこまでの距離はおよそ200キロ。
映画ではひじょうに苦労して、ぼろぼろになってたどり着いたように描いてあるけど、これは映画的な誇張のような気がする。
シナイ半島のこの部分はアカバとエジプトの直結路であり、交通はけっこうひんぱんだったろうし、映画の中でも砂漠の民ベドウィンは1日に100キロ移動するといってるくらいだから、それなら2日、のんびり行っても3、4日の行程じゃないか。
映画の後半では、ロレンスはゲリラ活動でオスマントルコを苦しめる。
ロレンスに何度も待ち伏せ攻撃されるのがヒジャーズ鉄道で、爆破されて脱線し、派手に横転する列車が後半の山場のひとつだ。
これはダマスカスや地中海沿岸から、イスラムの聖地メッカまでを結ぼうとして、オスマントルコが敷設した鉄道だけど、その路線図は下図のような感じ。
かってNHKが放映した「シルクロード激動の大地をゆく」という番組では、現在でもロレンスによって破壊された汽車の残骸が砂漠に転がっていた。
ゲリラ活動のあい間にロレンスはダルアーという町に潜入し、トルコ兵によって屈辱的な扱いを受ける。
ヒーローを描いた映画らしくないけど、ようするにホモの軍人におかまを掘られちゃったということで、このことは彼の自伝「知恵の七柱」に正直に書いてあるらしい。
彼が自尊心をズタズタにされたダルアーという町は現在のシリアとヨルダンの国境近くにある。
オスマントルコを駆逐した英国は、重要拠点のダマスカスに軍を進めようとするけれど、アラブの独立が悲願のロレンスは、アラブ人だけで先にダマスカスを占領してしまう。
そしてアラブ人による円卓会議が開かれるんだけど、ここで前述したように、砂のようにけっしてまとまらないアラブの欠点が露出して、けっきょくロレンスはアラビアを去ることになるのである。
悲劇の主人公であるロレンスの活躍した場所を知ることで、映画の立体感はいや増すものだ。
それは現在のサウジアラビアの西方から、シリア、ヨルダン、エジプトにかけての一帯で、地図に赤いマーカーを引いたあたりということがわかった。
もちろん映画はぜんぜん別の場所で撮られたということもあるから、これはあくまで、実在したロレンスの足跡ということである。
でも、わたしがこんなに苦労して説明しても、だいたいいまの若いモンはこんな名画さえ、砂漠のしんきろうのように忘却の彼方てことになっているんじゃないか。
| 固定リンク | 4
「壮絶の映画人生」カテゴリの記事
- 浮雲と放浪記(2024.09.21)
- ケイン号の叛乱(2024.04.28)
- 復讐の荒野(2023.12.10)
- エルマー・ガントリー(2022.09.24)
- 地獄の黙示録(2022.09.21)
コメント