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2021年5月17日 (月)

地中海/シリアB

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ふり返るとアレッポはホモの多い町だった。
そんなことはセローの文章に書いてないけど、知り合ったシリア人にホモがいて、まつ毛をパチパチさせる彼に勧められて、セローは今度は列車でラタキアという町へ向かう。
最初の写真はシリア鉄道と、この途中にあるなんとかいう町で、緑がほとんどない、まだいかにも砂漠の町という感じ。

しかし砂漠地帯から海岸に出ると、景色は一転して、この鉄道沿線の風景は地中海地方でもっとも美しいとセローは書く。
「ここはのどかな緑の谷、石造りの家、庭、羊飼い、小麦畑、オリーヴの木立、果物の木がある」
「ずんぐりした農夫がロバといっしょに歩いていたり、どの村のまわりにも耕された畑があり、井戸や市場やモスクがあった」
さすがは世界的な紀行作家で、こうした魅惑的な風景描写がつぎからつぎへとあらわれるので、わたしはなんとかそれを見たかったけど、残念ながらやはりこのあたりも、ストリートビューはほとんどカバーしていないのだ。

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この写真はネットで見つけたラタキアの海岸風景と、ラタキア駅。
海岸風景には整然と耕作された、ものなりのよさそうな農地が見えて、たしかにアレッポのような砂漠の町という印象ではない。
続いてラタキア市内の写真をぞろぞろと。

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この町はアサド大統領の生まれ故郷だそうで、ここにも大統領の肖像画や銅像がいたるところにあった。
まだ生きている政治家の銅像がひとつ以上立っている国は、やがて苦難の道をたどることになると、これはセローの警句。

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セローはここで近くにあるウガリットの遺跡を見に行くことにした。
この遺跡からは五千年以上まえの、最古のアルファベットが刻まれた粘土板が発見されたそうである。
そういうすばらしい文字が考案された国なのに、国民の半分は読み書きできないと、セローはシリアを皮肉る。

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それでもシリアにとっては光栄の遺跡らしく、出土品はシリアの紙幣にも描かれている(このくさび文字が最古のアルファベットかどうかわたしにはわからない)。

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ラタキアからセローは首都のダマスカスへ向かうことにし、またバスに乗ってタルトゥスという町に寄る。
ここは町も海も徹底的に汚いだけで、見るべきものはなにもなかった。
彼はタクシーでさっさと出発するけど、この町を出てすぐに「夢のように美しい城」が見えたという記述がある。
“夢のように美しい” というのはどんなものか気になるので、「タルトゥスから車で30分少々」、「海岸を一望できる高台にある」というヒントから、その城を探してみた(わたしのブログは文章で描かれたものを、想像力のとぼしい人のために視覚化することを使命としているのだ)。

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この Castle roeというのがそれらしい。
わざわざ城まで寄りはしなかったけど、シリアには十字軍も来たことがあるらしく、セローはくだくだとうんちくを述べる。
セローの本を読むとその博識におどろいてしまう。
それが世界的作家というものだといわれそうだけど、歴史から科学、宗教、人間の本質等について、日本の若手作家がとても太刀打ちできるものではない。
日本にも、たとえば司馬遼太郎の歴史紀行のように、博識に富んだおもしろい読み物はあるけど、最近の芥川賞や直木賞作家にそういうものはまったく期待できない。
これは仲間同士でもけなしあっている切磋琢磨の業界と、ほめあってばかりのなれ合い業界の差かもしれない。

ダマスカスに着いたセローがまず気がついたのは、丘の上にそびえる空港のターミナルビルのような巨大な建造物で、これはアサド大統領の宮殿だそうだ。
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宮殿というからお妃も住んでいるわけで、上はアサド大統領夫妻。
わたしがストリートビューで異国を見てまわるように、現在では地表にあるものはどこからでも眺められる時代だから、つぎのモノクロ写真はイスラエルのスパイ衛星によるアサド宮殿の写真。
おそらく地下壕もあって、対地ミサイルや核爆弾でも耐えられるような造りになっているんじゃないか。
独裁者の屋敷というのはたいていそういうものである。

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シリアにも近代建築や新市街があるけど、このブログでは徹底的に旧市街のほうを見てまわる。
ダマスカスは歴史のある街なのである。
なんでも旧約聖書の「創世記」にその名前が出てくるくらいで、といっても聖書をまじめに読んだことのない日本人には、それだけではどのくらい古いのかわからない。
エルサレムも旧約聖書に名前が出てくるけど、それは「ヨシュア記」で、ダマスカスのほうが古い(とセローは書いている)。
やっぱりわからないけど、これって聖書からの説明でしょ、イスラムの国でそんなもの利用していいのかしら。

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旧市街で有名なのはウマイヤド・モスクという古刹だ。
ダマスカスはアサド大統領の支持基盤が強固で、内乱の影響はあまりなかったから、モスクは古いまんまで残っている。
洗礼者ヨハネの首はこのモスクに葬られた(とこれもセローが書いている)。
サディスティックな美少女サロメが首を所望したために、ヨハネは現在のイスラエルのどこかで斬首され、わざわざダマスカスで葬られたらしい。
ホントかウソか知らないけど、日本にも「将門塚」なんてものがあるな、それも千代田区大手町という東京の中心といっていいところに。

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ウマイヤド・モスクのまわりにもちろんスーク(バザール)があり、周辺国からも買い出しが来るほどにぎわうという。
二番煎じになるから詳しい紹介はしないけど、このバザールではトルコと同じようなモチモチしたアイスクリームが名物のようだ。

セローは地中海沿岸をめぐるという旅の主旨から、ダマスカスのあとはレバノンの首都ベイルートに行くつもりだった。
ただこのころシリアとイスラエルの関係がこじれて(毎度のことだけど)、いろいろ物騒なうわさが飛び交っていたので、彼は情報を仕入れるためにアメリカ大使館に出向くことにした。
すると、なにしろ世界的作家のことだから、ちょうど大使館でやっていたコンサートに招待されてしまう。

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この写真は、爆弾テロにも屈しないトーチカのような米国大使館と、カウボーイ・ハットのおじさんはこのときのコンサートの出演者で、ミンゴ・サルディバーというアコーディオン奏者だ。
そんな芸人のことまで紹介しなくていいという人がいるかもしれないけど、このブログは想像力欠如の人のために、なんでもかんでも視覚化してしまうブログなのだ。
あ、最後の写真はおまけ。

大使からじかに説明を受けたところによると、ベイルートは危険すぎるから行くべきではないとのことである。
2021年現在のベイルートは、ごたごたが沈静化しているものの、このあいだ港で硝酸アンモニウムの大爆発があったように、このあたりの安全基準は日本と同じではないから、旅行して映像を YouTubeに上げようという人などは要注意だ。
セローはベイルートを断念せざるを得なかった。

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