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2021年5月13日 (木)

地中海/シリアA

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キプロス島を見てまわったあと、ポール・セローはつぎの目的地シリアへ向かう。
セローが行ったのは1995年ごろだけど、そのころの地中海沿岸国家のなかには、観光客が歩きまわるには危険な場所がいくつもあった。
旧ユーゴやキプロスは紛争継続地だったし、シリアもそのひとつで、この国は彼が訪問したあと、つい最近まで激しい内戦状態だったところだ。

セローはイスタンブールから長距離バスに乗るけど、トルコ東部からシリアにかけては、クルド族の武装勢力なんてのが見張っていて、外国人とみれば有無をいわせず拉致したりしていた。
彼の乗ったバスはエアコンはろくに効かず、乗客は喫煙者ばかりだったから、タバコを吸わない彼はニコチンまみれの旅になり、クルド人がタバコを吸わないなら、拉致されたほうがいいやとボヤいている。
冒頭に載せた画像はこのバスの車窓の景色で、セローが旅をしたころもこんな立派な道路があったかどうかは保証のかぎりじゃない。

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バスのコースはこの地図にあるとおりで、◯を矢印でつなげればよい。
トルコ中央部はアナトリアというロマンチックな名称の土地で、バスはトルコの首都のアンカラや、月光に照らされたトゥズ湖のほとりを通ったとある。
このあたりセローの描写はひじょうにこまやかだから、ぜひ車窓の景色を観たかったけど、ストリートビューがカバーしている場所は多くなかった。

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ここに載せた画像は、経由したトゥズ湖のあたりで見つけたもので、日本の北海道のように人口密度が少なく、湖はいちおう観光地化されているようである。

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つぎの地図はアレッポのあたりの国境を拡大したもので、セローはトルコ側の国境の町アンタキヤに一泊してからアレッポに向かう。
彼はアンタキヤについてもページを費やしているけど、あまりそこにこだわると、いつになってもシリアに到達しないから、わたしのブログでは長居をせずにちょっとだけこの町の名物を紹介しておこう。
この画像はアンタキヤの町と、近郊にある「モーゼの木」という古木で、杖でたたいて泉をわかせた弘法大師みたいな伝説があるそうである。
しかし古い銘木の多い日本人がそんなものに感心するかどうか。

地中海の沿岸をめぐるという旅の主旨からして、最初セローはアレッポではなく、ラタキアという海辺の町へ直行するつもりだった。
しかしひらいている国境がかぎられていて、アレッポ経由でないと入国できないことがわかったので、彼は数百キロも大まわりをすることにした。
シリアの入国審査は厳しかったけど、アメリカ人をことさら警戒するようすはなく、シリア人の密輸業者がとっちめられていて時間を喰ってしまう。

アレッポという町の名前は、国際情勢にくわしい人ならたいてい聞いたことがあるはずだ。
ここは首都のダマスカスをしのぐ、シリア最大の都市といわれ、シリア内戦でも最大規模の戦闘が行われたところである。
さいわいなことにセローは内戦が激化するまえにこの町に入った。
だから彼の第一印象では、「アレッポは雑然とした温かい雰囲気の町」だったそうである。
しかしこの内戦は2016年まで続き、いまストリートビューでながめても、見つかるのはこんな写真が多い。

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町を知るにつれてセローの印象も変わっていき、「美しく古い建物と醜く新しい建物をならべて、上からふるいで土をかけたような感じの町」となり、かなり埃っぽい町だったようである。
現在ではそれをさらにこなごなに粉砕した町といったらいいか。

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シリアの大統領はバッシャール・アル=アサドという人物で、この写真のなかに彼の肖像画が写っているものがある。
この国では大統領が神聖にして犯すべからずの存在であり、いたるところに秘密警察が目を光らせていて、セローもうかつにその名前を口にできない特殊な国であることがわかった。
この国はアルバニアや北朝鮮と同じ、国民を強権で弾圧する独裁国家だったのだ。

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アレッポでよく知られた名所に、古い城塞と、スークと呼ばれるバザールがある。
城塞は砲弾とびかう戦場になったし、スークもとうぜん影響を受けただろう。
しかし穴だらけになっても城塞はまだそこにあり、スークのほうも市民にとって日常に必要不可欠なものだから、内乱が終結するとたちまち復旧したようだ。

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写真に写っているのは、あまり日常生活に必要のない貴金属や食器ばかりじゃないかといわれそうだけど、観光客がバザールで撮りたがるのは、肉や野菜よりも土産にふさわしいものが多いので、ネット上でスークの写真を探そうとすると、どうしてもそういうものばかりになってしまうのだ。

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セローはアサド大統領について、首が異常に長く、退屈そうな微笑みを浮かべているとか、いかにも悪党づらをしていて、風刺漫画のようだったとか、あまりいいことは書いてないないけど、これにはちょっとべつの見方も出来そうである。
アサド大統領はもともと医学を志していたのに、大統領だった父親の引退と、あと継ぎとされた兄貴が事故死したため、きゅうきょ後継者としてかつぎ出された人である。
最初のうちは自分は大統領になりたいわけじゃないと殊勝なことをいってたけど、なってみたらこんな大変な仕事はないということに気がついた。
シリアという国はアラブ国家の例にもれず、無数の部族の寄りあい社会で、さまざまな勢力が拮抗し、しかも日本とちがって、そのほとんとが機関銃やミサイルをそなえたわからず屋ばかりだ。
まあまあ民主的に、話し合いでなんていっていたら、いつになっても何も決まらない。
こういう国では、大統領が望むと望まないとにかかわらず、飛行機や戦車や化学兵器まで使って、反対派を抑え込むしかなかったのではないか。
民主主義が機能している日本は、やっぱり世界のガラパゴスなのだ。

考えてみると北朝鮮の正恩クンも、アサド大統領と同じかもしれない。
自分が権力を引き継がなければ、一族すべてが水に落ちたイヌで、過去にさかのぼって先祖の墓まであばかれ、ヘタすりゃ自分もしばり首だ。
やむを得ず最高尊厳を引き受ければ、まわりはみんな同じ特権をむさぼろうという輩ばかりで、政策の変更も改革もできやしない。
がんじがらめのしがらみに縛られて、そのくせ責任だけはぜんぶ自分持ち、こうなると不安をごまかすために食う飲むしかないということになる。
独裁者というのは喜び組のきれいどころを独占できることばかりじゃないのだ。

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シリアの内戦が本格的になったのは、チュニジアから広がった「ジャスミン革命」以降で、これは2011年だったからセローの旅よりずっとあとである。
アサド大統領にとって最大の危機は、国内の反政府勢力が勢いを増した2006年ごろで、このころ政府側の支配地域は国内の1/3というところまで追いつめられていた。
ところが反政府軍側に、ISISのような残忍無比で、反アメリカ的な組織が参加して風向きが変わった。
米国はもともと反政府軍を支援していたのだけど、こういう連中がいたのでは支援できないということになり、政権支持のロシアの空爆などもあって、アサド大統領は劣勢を挽回することができたのである。

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