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2021年6月

2021年6月30日 (水)

旬のトウモロコシ

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スーパーに行ったら、いまが旬のトウモロコシを売っていた。
子供のころを思い出して、まだ葉でくるまれているそれを買ってみた。
こういう採れたてのトウモロコシって、考えて見たら最近ほとんど買った記憶がないね。
2本で288円だから高くはない。

家に帰って考えた。
わたしの子供のころというと、トウモロコシの食べ方は焼くか茹でるかのどちらかだった。
焦げ目がつくのは苦手だからって、今回は茹でることにした。
茹でるにしても何分くらい熱湯につければいいのか。
先日買ったヤングコーンは、そのまま生でかじって美味しかったことを思い出し、ほんの数分、ゆがく程度にしておいた。
これが正解。
甘くてやわらかくて、あまりの美味しさに舌先がとろけそう。
おそらく今日のトウモロコシも、その気になれば生で食べられたんじゃないか。
トウモロコシも日々進化する。
日本の農民はたかがトウモロコシを、果物といっていいくらい異次元のものに進化させていたのだ。

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2021年6月29日 (火)

わからん

わからんなあ。
あ、ニフティのアクセス・カウンターのこと。
どういう仕掛けなんだと訊けば、そりゃコンピューターを利用した自動集計ですといわれそう。
まあ、いまどき人間が手動で集計しているわけないだろうけど、それにしても理解に苦しむね。
自分ごとになるからはっきりいいにくいんだけど、人気ブログの中にはアクセスが億単位というものがあるのに、わたしのブログはいまだに1日平均100も行けばいいほうだ。
もちろん自分のブログがそんなに素晴らしいとは思ってないけど、その億単位のブログを読んでも、生真面目すぎたり、むやみに張り切って日本の政治をけなしたり、わたしがからかいの対象にしたくなるようなものばかりで、どこがおもしろいのかさっぱりわからない。

毎日数字をにらんでいると自動集計にしてはおかしいと思える点も目立ってくる。
たとえばある記事を書いたあと、アクセスがぴんと跳ね上がったとする。
跳ね上がるということはその記事が読者の興味をひいたということだろう。
ところが翌日になると、またがっくり下がる。
記事がおもしろくないから下がったといわれりゃそのとおりかもしれないけど、おもしろいかおもしろくないか、アクセスしなきゃわからんだろう。
今日はネタ不足だから適当に短い文章でお茶をにごしとけなんてことをすると、てきめんにアクセスが下がる。
短いか長いかだって、アクセスしてみなきゃわからんのとちがうか。
ブログのカウンターって、一般読者にはわざわざアクセスしなくても内容が予想できる仕組みでもあるのだろうか。
べつにアクセス数にこだわっていないけど、せっかくの労作があまり読まれてないと思うのもカナシイし、できるだけ公平で客観的なものであってほしいやね。

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2021年6月28日 (月)

アフリカ/ハルツーム

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この連載をはじめて少したったころ(6月17日)、わたしがよく読むネット掲示板「海外の万国反応記」に、なんでも聞いてくれというスーダン人のスレッドが立った(この画像は本人確認のパスポート写真つき)。
このブログのアフリカ紀行にも参考になるやりとりがあるので、そのいくつかをピックアップすると
 Q=スーダンと南スーダンの間では何が起きてるんだ A=特になにも起きてないよ
 Q=スーダンの状況ってどんな感じなの A=多分エジプトと変わらない
 Q=外国人が知らないスーダンのことを教えてくれ A=アラブ諸国の中でいちばん差別的だ
 Q=スーダン人は自分をアラブ人だと思ってんのか A=スーダンは多民族国家だぞ
 Q=どうして東アフリカの人は、オレたちは西アフリカほど肌は黒くないと主張したがるんだい A=本当のことだからさ
 Q=スーダンに移住したいけど、そっちの暮らしはどうなんだ A=こっちには来るな! 行くならチュニジアかモロッコのほうがいい
自分の国をけなす人間はどこにでもいるけど、どうも観光で行こうって気になれない国みたいだねえ。

ビザが下りたのでセローはスーダンへ向かった。
といっても国境は閉鎖されてたから、列車やバスは使えず、彼は首都のハルツームまで飛行機で飛んだのである。
出発まえに念のため、彼はアメリカ国防省が公開している渡航情報を読んでみた。
彼が行ったころのスーダンの治安状況は、この情報に尽きる。
『アメリカ人はスーダンの治安部隊に拘束されるおそれがあります』
『予測不可能な現地の運転作法、道路封鎖、継続する内戦に加え、大雨が降ってスーダン全土が洪水中です』
『マラリア、腸チフス、胃腸炎など、なま水に注意してください』
セローがスーダンに行くまえには、世界の警察を自任するアメリカが、ハルツームの工業地帯に爆弾を落としていた。
やっぱりアメリカ人のセローにはそうとうに物騒なところみたいだ。

飛行機のなかでセローは美しい黒人女性を見た。
となりに座っていた男が、いい女だ、ああいうのはきっと割礼をしてるに違いないという。
日本人はあまり知らないけど、世界には女性が割礼(FGM)をする国がたくさんある。
わたしはその風習のことも、それが危険だということで国際的に問題になっていることも多少は知っていた。
だから中国新疆のトルファンに行ったとき、ホテルの目のまえのレストランで男の子の割礼祝いをしているのを見て、あれえ、割礼って女がするもんじゃないのかと驚いたのである。
じつは割礼は男もするし、日本では包茎手術といって、これはまあ、けっこう多いと聞く。

問題は女のほうで、割礼をすませると、女性は感度がよくなって淫蕩になるという説と、逆に感度がにぶくなって貞淑になるという見方があるらしい。
セローの本を読んでもそのへんのところはわからない。
ただセローはハルツームに到着したあとも、街で出会った黒人女性の美しさに見とれているから、彼には黒人フェチのようなちょっと変わった趣味があったのかもしれない。
それで思いついて調べてみたら、彼は1993年に、26年間も連れそった妻と別れてアジア系の女性と再婚していた。
やっぱりマイノリティのほうが性に合うみたいだ。
そういうアメリカ人はおうおうにいるもので、俳優で白人のマーロン・ブランドやニコラス・ケイジも、相手に不自由しないはずなのに、見つけてくるのは異人種の女性ばかりだった。
なんかのコンプレックスをかかえていたのかもしれない。

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すぐに脱線するな、このブログ。
首都ハルツームはこの写真にあるような、アフリカの大都会である(ずんぐりした鉛筆みたいな建物は、この街のランドマーク・タワーであるコリンティア・ホテル)。
内紛で国が南北に分裂しなければ、スーダンの領土はアフリカで最大だったという。
わたしはハルツームという名前を聞いてチャールトン・ヘストンのことを思い出した。
ハリウッドの大作専門俳優とハルツームになんの関係があるのか。
セローの本によると、ここは英国の植民地だったころ、土地の部族の反乱に遇って、チャールズ・ゴードン将軍が戦死したところだそうだ。

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それで思い出したけど、ハルツームは英語で Khartoum だから、わたしが若いころ観た「カーツーム」という映画の舞台がここじゃないか。
その映画の主人公が、たしかヘストン演じるゴードン将軍で、最後に反乱軍のまえで立派な演説でもぶつかと思ったら、槍を投げられてあっけなく死んでしまうというつまらない映画だった。

この映画には後日談があって、ゴードン将軍の甥にあたる軍人が、叔父の仇だとばかり復讐戦に乗り出して、スーダン人の大殺戮をしたそうである。
このあたりを推察すると、英国にはアフリカの土人ごときになめられてたまるかという差別意識があったみたいで、もしもこのあとに日本という国が台頭しなかったら、MBLの大谷翔平が登場するまで、ほんとうに世界は白人至上主義で固まっていたかもしれない。
歴史をくわしく調べてみれば、日本軍の南京事変がカワイイくらい、英国の植民地は血で塗りたくられているのである。

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街へ出て(ネット上でということである)、わたしも美しいスーダン女性を探してみた。
一般的なスーダン人のフアッションはこういうものだ。
はだかの黒人が腰ミノひとつで槍を持って走りまわっていると思う人はいないだろうけど(それはポリネシアやミクロネシア)、男女ともこんなふうなぞろりとした布を巻きつけているスタイルが多い。
と思っていたけど、ネットで探してみると、ハルツームにかぎれば、じつはいちばん多いのは洋風のシャツにズボンで、この国もとっくにグローバル化の餌食になっていた。
若者たちはもちろん、メイド・イン・チャイナのジーンズにTシャツだ。

セローが旅をしたのは2001年で、その10年後にスーダンは南北に分裂した。
分裂にいたる歴史を要領よく説明するのは至難のわざなんだけど、しいていえば北部はイスラムを信じ、それを信じない南部の勢力との対立という、よくある図式が基本にあると思えばいいんじゃないか。

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セローはあとでこの国の重要な政治家であるサディク・アル=マフディーに招かれて、彼の自宅で対談する。
マフディーは前述のチャールトン・ヘストン、いやチャールズ・ゴードン将軍を殺した反乱軍の親分のひい孫で、80年代の末に首相を務めた人物だったけど、このころは政権を失って引退同様の生活を送っていた。
当事国の政治家をまえにして、その国の政治についてゴタゴタいうほどセローも野暮ではないから、対談は相手のご高説を引用するぐらいで終わっている。
この政治家は2020年にコロナ・ウイルスで亡くなったそうである。

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セローはオムドゥルマンという、ハルツームの旧市街にあたる場所でダルウィーシュを見物する。
ダルウィーシュというのは、わたしがイスタンブールで見たことのある、メヴレヴィー教団のセマーのような宗教儀式らしい。
鐘や太鼓で歌い踊り狂い、神さまに身もこころも従属することで陶酔感を得るという、わたしみたいな無神論者からすればカルトとしか思えない儀式である。
そういえば以前テレビで観た米国のゴスペル教会も、牧師さんやコーラス部隊が同じようないでたちで、興がのると失神者まで出るほどの熱狂ぶりになっていた。
あれってルーツはスーダンにあったのか。

オムドゥルマンの市場は、行商人や旅人、大道芸人、詐欺師、スーツの都会人、民俗服のアフリカ人が一堂に会するところだと、セローがえらく感心しているから、最後にまた市場を見てみよう。

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残念ながら大道芸人や詐欺師の写真は見つからなかった。

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2021年6月27日 (日)

委縮

なにを書こうかな。
今度すばらしいブログとしてピックアップコーナーで紹介されるとかされないとか、それを考えたら恥ずかしいことは書けないってんで、ぜんぜん筆が進まないや。

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2021年6月26日 (土)

アフリカ/王家の谷間

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アスワンの町はナイル川クルーズの起点のひとつで、エジプトに観光旅行で行くと、ここから船に乗り降りすることが多いらしい。
わたしはエジプトに行ったことがないので、行ったつもりになって、それがどんなものかじっくり眺めてみよう。

セローはここからフィラエ号(フィラエというのはエジプトの古代王朝が栄えた土地の名前)というクルーズ船に乗った。
名前が違うだけで、同じかたちの船がたくさん就航しているらしいから、彼が乗った船もこんなものだったろう。
この船は乗員数が100人で、甲板に小さいながらプールまで備えている。
これでナイル川のほとりにある町や遺跡を、食事つき、ガイドつき、ひなたぼっこをしながらめぐるのはたいそう優雅なものだった。
セローにしてみれば、これからアフリカ縦断という冒険の旅が始まって、ヘタすれば途中で強盗にあって砂漠の露と消える可能性もないわけじゃないのだから、そのまえにのんびり贅沢をするのもいいと考えたのだろう。

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こんなふうに船で行ったり来たりするのがエジプト旅行のトレンドで、船はコム・オンボやエドフ、エスナなどの町に寄りながら川を上下する。
船上から見られる景色は、多くの遺跡が存在し、三角帆のファルーカが往来し、ヤシの木の植えられたリゾート設備も完備して、セローの記述によると風光が明媚ですばらしいらしい。
写真を拾うだけであるていどの様子はわかるけれど、残念ながらストリートビューはこのあたり景色をぜんぜんカバーしていないのだ。
そういうわけでネット上からさしさわりのなさそうな写真を集めてみた。

景色よりも大きな見ものは、古代エジプト文明の真髄をきわめたような壮大な遺跡群である。
セローはナセル湖のなかにある、有名なイシス神殿のある島へ行ってみることにした。
ここで注意しないといけないのは、この島まで行くにはとうぜんダムを越えなければいけないけど、ダムはじつは二つある。

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以前からあったものはアスワン・ロウ(低い)・ダムで、新しいほうがハイ(高い)・ダムだ。
イシス神殿はこの新旧二つのダムにはさまれたナセル湖の小さな島にあるらしいけど、ストリートビューで “イシス神殿” と検索すると二つの島がヒットした。
セローの文章に出てくるのはどっちだろう。
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ストリートビューと衛星写真をじっとにらんで、どうやらアギルキア島と呼ばれる島のほうらしいということがわかった。
美術誌などに出てくる、神殿の壁画(レリーフ)があるのはこの島である。
以前クレオパトラについてこのブログに書いたとき、そのころのエジプト女性は、まだ幼い少女のようなプロポーションがひじょうに魅力的と書いたのは、ここのレリーフによるところが大なのだ。

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このブログではセローが、飛行機が欠航して行けなかったとぼやいていた「アブ・シンベル神殿」も紹介してしまう。
くわしいことはまたウィキペディアを参照してもらうとして、東大寺の大仏に匹敵するような巨大な4基の石像が並んでいるようすは、誰でも写真や図版でいちどは見たことがあるはず。
エジプト観光では、ピラミットとならんで絶対に無視できない遺跡なのだ。
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じつはこの神殿はアスワン・ハイ・ダムの完成で水没するところだったけど、人類の貴重な世界遺産を失わせるわけにはいかないと、ユネスコが中心になって全体をばらばらに分解し、大工事のすえに石像を救ったという話もよく知られている。
セローが船で遺跡をまわっているとき、あんなでかいものをどうやって移動させたんだというのが、おおかたの観光客の疑問だったそうだ。
その疑問にはこの写真が答えてくれる。
こんな大きなものを作った王朝というのは・・・・と、ここで時空を超える壮大な空想もピークをむかえるけど、わたしはページ数がかぎられているので、あまり寄り道してるわけにいかない。

アスワンとナセル湖のあたりを観光したあと、セローはアスワンから船で200キロほど離れた下流のルクソールまで、ふたたび遺跡を眺めながらの優雅な船旅をする。
ルクソールは古代王朝の時代にテーベと呼ばれ、ここにも有名な「王家の谷」などの遺跡がある。
歴史だの学術的価値だのというムズカシイことはウィキペディアにおまかせして(調べればわかることは自分で調べろがこのブログのモットー)、いちおうそのあたりの写真を。
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お国柄とはいえ、エジプトの王さまたちは、乾いてほこりっぽいところばかりを墓所に選んだものだ。
カイロ美術館で見たツタンカーメンのマスクが、奇跡的に無傷で発見されたのもここである。
「ハムナプトラ」というエジプトを舞台にしたホラー映画があったけど、欧米人は日本人がシルクロードにあこがれるように、歴史上のエジプトが好きらしい。

ルクソールで一泊したあと、セローを含む観光団は、警察に護衛されながら紅海の沿岸にあるポート・サファガへ向かった。
護衛はものものしいもので、というのはこのころエジプトでは外国人を狙ったテロが続発していて、セローが滞在していたすこしまえにもルクソールで大規模な襲撃があり、観光客や警察官など60人が殺されたばかりだったのだ。
あちらのテロリストはすぐにAK-47なんかを持ち出すから、いきおい警察の警備も軍隊なみにならざるを得ないのである。

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セローはとうとう紅海まで出た。
おいおい、どこまで行くんだ、また地中海をなぞる気かといいたくなるけど、ハルダガという町で彼はサール・ハシーンというホテルにチェックインする。
名前がわかっているからどんなホテルなのかと調べてみたら、へんてこなかたちのホテルで、場所も街の中心からはずれたリゾート地にあった。
セローの好みに合いそうもないホテルだから、団体ツアーに参加した彼は、とくに注文もつけずにあてがわれたホテルに泊まったのだろう。
いちおうストリートビューでハルゴダの町をのぞいてみたけど、べつだん変わったところではなかった。
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海はさすがにきれいである。
紅海は子供のころ見た「沈黙の世界」という記録映画の舞台にもなったところで、ああ、思えばあの映画あたりがわたしの博物学への興味の始まりだったなあとしみじみ。
セローにいわせると、この町はロシア人の保養地みたいなところらしい。 
わたしがロシアで長距離バスに乗ったとき、運転手が地中海のロゴの入った赤いパーカーを着ていたけど、彼もここへ来たことがあったのだろう。

ここに泊まっているとき、ようやくスーダンのビザが下りましたという連絡がくる。
彼のアフリカの旅はこれからが本番だ。

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2021年6月25日 (金)

明日は

あー、もう少しだね。
次回分のアフリカ紀行が完成するのは。
でも今日中には更新できそうもないから、なんかほかのネタでお茶をにごそう。
ホントは録画したオペラについて書きたいのに、そんなもの観ている時間がない。

ネットニュースでアメリカ人が、米国のワクチン接種の早さに驚いていて、どうして日本でもそうしたことができないのかとつぶやいていた。
読んでみるとあちらでは、スーパーのとなりの薬局でも接種ができたらしい。
接種を希望したら、薬局の店員がスーパーのカートにワクチンを載せてきたそうだ。

こういうテキトーな国といっしょにするのが間違っているのだ。
日本ではひとつでも事故が発生したら、噛みつこうという手合いがごろごろしているのだ。
これはもう、どっちがいいかという問題じゃないね。

明日はアフリカ紀行で更新します。

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2021年6月24日 (木)

また日記形式

ああ、もう時間がないよ。
今日も日記形式でいくか。
でも今日はホウレンソウも買いに行かないし、スーパーにも行ってない。
アクティブなことをなにひとつしてないのに、なにを書けっていうのさ。
他人からみたらわたしって、世の中に害を撒き散らすひきこもり老人にしか見えないだろうな。
でもいっとくけど、これがいまのトレンドなのだ。
小さな子供たちさえ将来の目標にするユーチューバーという職業、あれだって撮影以外はひたすら部屋にこもって編集作業にちがいない。
あのしにせのユーチューバーであるロシア人美女の〇〇も、東大卒美女の◯◯も、いつのまにか日本人と結婚して子供までつくっていた絶世の美女の◯◯も、とにかくしょっちゅう更新をしているユーチューバーなんてのは、みんなひきこもりとたいして変わらない生活に決まってるんだ。
ざまみろ(と、うれしがる必要はないんだけど)。

こんな記事を読まされるほうも迷惑だよね。
日記形式のブログが人気がないのも道理。
ニフティから、やっぱりピックアップ・コーナーへの推挙は止めましたってメールが来ないか心配だ。

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2021年6月23日 (水)

日記形式

日記形式のブログなんて誰も読まないそうである。
いま不定期に連載中の紀行記はそうではなくて、あれを更新するとぐんとアクセスが跳ね上がる。
しかし、だからといって紀行記ばかり書いてはいられない。
あれはけっこう手間がかかるのだ。
そういうわけで今日はアクセスのにぶい日記形式の更新だ。

わたしはホウレンソウのおしたしが好きで、近所に野菜の無人販売所がたくさんあるから、それをついぞ切らしたことがない。
よく買い物に行くスーパーの手前にも販売所があって、ここは畑のわきにほったて小屋を建てた、形式としては無人販売所なんだけど、いつも畑の持ち主の若い人妻が店番をしているから無人というわけではない。
ただ困ったことにこの販売所は営業が不定期で、行ってみないことには店が開いているかどうかわからない。
営業日はどうなっているんですかと聞こうとしたら、同じ質問をしょっちゅうされているとみえて、小屋の壁に「うちは営業日が決まっていません」と書いた紙が貼ってあった。

今日もスーパーに行こうとしたら、おお、その販売所に品物が並んでいるではないか。
さいわいなことにホウレンソウがひとつだけ売れ残っていた。
値段は、このあたりの無人販売所の協定価格というか、ひと束100円である。
ただ、残っているのがひと束だけだから、売り切れたら大変だ。
帰りに寄りますから取っておいてくださいと、前金で百円を払っておいてスーパーに行く。
スーパーのホウレンソウは148円だった。
今日は運がいいとほくそ笑みつつ、帰りに人妻の待つ販売所に寄る。
すると倉庫にストックしてあったものを出してきたのか、ホウレンソウがたくさん並んでいた・・・・

これだけの話だから、日記形式のブログに人気がないというのもうなずける。

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2021年6月22日 (火)

アフリカ/アスワン

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ピンクフロイドに「ナイルの歌」という曲がある。
これは「モア」という映画のサントラ盤に入っていた曲で、聴いてみると、べつにナイルでなくても、セーヌ川でも隅田川でもさしつかえなさそうな歌だった。
でもタイトルから受けるイメージでは、なんとなくここで引用したくなる。

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ビザの発行を待つあいだ、セローはナイル川の観光に行くことにした。
カイロから800キロほど上流に行ったアスワンという町から、ナイル観光のクルーズ船が出ている。
出発するまえにそのあたりの地図を頭に入れておこう。
この地図では上が河口で、ナイルは下から上に流れている。
アスワンという町は、ナセル湖を出現させることになった巨大なアスワン・ハイ・ダムがあるところで、ダム建設当時、付近にあるアブ・シンベル遺跡が水没してしまうと話題になり、日本でもよく知られているところだ。

「地中海大旅行」では、料金向こう持ちの豪華客船以外には贅沢をしなかったセローだけど、ここアフリカではカイロからアスワンまで、夜行の一等寝台に乗った。
わたしも中国では同じような贅沢をしたけど、料金は日本と比べようもないほど安かった(4人用の個室があるだけで、赤の他人とごちゃまぜ、日本のレベルでは二等寝台)。
そんな贅沢をセローができたのは、先進国の人間が途上国の列車を使うという万国不変の優位法則があったからだ。

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列車が発車したカイロの駅はラムセス1世駅といって、古代ローマとイスラム建築を融合させた由緒ある建物だというんだけど、なんかだいぶ物騒な駅みたいである。

カイロをはずれると、いよいよストリートビューはあてにならなくなる。
セローの文章によると、車窓から見える景色はひじょうに魅力的なものだったそうで、わたしも見たかったけど、残念ながらほとんどの場所はストリートビューがカバーしていなかった。
これから先どうしようかと考えて、わたしのテレビ番組の録画コレクションをひっかきまわしてみたら、けっこうアフリカを扱った番組があることに気がついた。
「赤道直下4000キロ」、「米食う人々」、「秘境×鉄道」、そしてグレイト・ネイチャー・シリーズには「アフリカ7000キロをゆく」という番組があるし、単発番組でも「ナイル源流をゆく」、「ケープ半島」、ジブチの出てくる「アファール三角地帯」、「ナイル源流ウガンダ」なんてものがあり、ほかにもアフリカの野生動物を扱った番組のなかに、現地の町や村がちらりと出てくるものがある。
なかでも「アフリカ縦断114日の旅」という番組は、各国から集まった観光客がバスでアフリカを縦断するもので、コースはセローの旅と重複する部分が多い。
この番組の画面をキャプチャーすれば、まったく同じ場所でなくても、こんな感じのところだと、おおよその景色はわかるんじゃないか。
どうせストリートビューの画像もきれいじゃないんだから、画質に難点があるのは仕方がない。

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というわけで、いろいろ奔走して集めてみた鉄道沿線の景色はこんな感じ。
鉄道もほとんどナイル川にそって走っているから、ちょっと奥地に入ったナイルの写真をならべれば間に合ってしまう。
大半の景色は砂漠だけど、流れにそって農地やナツメヤシの緑地があり、車窓からのどかな農民の生活ものぞめるのである。
でもホントは夜行列車だったから、なにも見えなかったかもしれない。

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アスワンに到着すると、最初はアスワンの町、つぎは駅、セローは駅から近くて、ナイル川の河岸にあるホテルに宿をとったとある。
名前は書いてないものの、この旅では積極的な節約旅行をするつもりのないセローが泊まったのは、たぶんこのアスワン・プラザ・ホテルのことだと思われる。
大量の観光客を受け入れる俗っぽいホテルのようだけど、ベランダからはすぐ下にナイルがのぞめるというし、無用の気遣いもいらないので、わたしもこういうホテルはきらいではない。
この先のセローはほとんど団体にまじって名所旧跡を見てまわるから、ホテルのオプション・ツアーに参加したのだろう。

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アスワンの町にもバザールがあるから、それをのぞいてみよう。
どこでも、中国でさえ、市場で売られている品物は同じようなものである。
最後は香辛料で、中には肉桂のようにわたしが新疆ウイグル自治区で見たものもある。

プラザ・ホテルに泊まっているあいだにセローは、尋常ではないものを見聞きした。
アスワンはヌビア人という部族が住んでいた土地だけど、アスワン・ハイ・ダムが出来て彼らの多くの故郷は水に沈んだ。
彼らは押し寄せる外国人観光客のためのガイドをして生計を立てるようになる。
ガイドがいけないのか、観光客のほうがわるいのか、そのうち彼らは客の性的欲求にも応えるようになった。
ヌビア人ガイドは観光客に、ヌビアのバナナ見たくないですかと誘いかけ、夜になると女性観光客とともにそのへんの暗がりに消える者がいるという。
この場合のバナナは男性の一物のことで、つまりガイドがホストクラブのホストを勤めるわけだけど、欧米人観光客のおばさんお姉さんの中にはこれが目的の者がけっこういるらしいのだ。
しかしこんなことは驚くことではない。
人間がいれば当然ありうる話だし、わたしが世間のカタブツを見るとついからかってみたくなるのも、そういうことをよく心得ているからである。
ま、余計なことを書いて、日本のおばさんたちに、わたしも行きたいなんていいだされても困るから、バナナの話はこれくらいにして、ヌビア人について勉強してみよう。

ヌビア人は、オレたちこそ生粋のエジプト人だといってるそうである。
現在のエジプトは、どっちかというとアラブ系の国のようだけど、アフリカ人という定義を厳格にするなら、ヌビア人がその場所にすわってもおかしくない。

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これは土産物屋で売られているヌビア人のフィギュアで、なるほど、これがそのまま生身の人間とすれば、クレオパトラの子孫で通用するくらい美しい。
男のほうはよくわからないけど、バナナはわたしなんぞより立派そうだ。

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アスワンの町の目のまえにエレファンティネ島という島が横たわっており、この島のなかにはヌビア博物館や遺跡があるので、ある日セローはファルーカという三角帆の小型船に乗って見物に行ってみた。
この船の船頭もヌビアのバナナ見たくないですかと聞いてきたけど、客が男の場合は、ヌビア人のオンナの子が、あたしのパパイヤ見たくないですかといわなければいけないのではないか(写真の女の子は文章と関係ありません)。
あ、また余計なことを。

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この島はかって統治国であった英国の将軍が、砂漠の島を植物園に変えたところだそうで、眺めはこんな感じ。
ここにはカトリックの教会があって、イスラム教徒に迫害されているイタリア人司祭さんがいたものの、聖職者ギライのセローはひとことふたこと会話しただけで、あまり関心を持たなかった。
最後の画像はこの島にある神殿の遺跡と、そこで発見されたファラオのレリーフ。

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2021年6月21日 (月)

YouTube

最近の YouTubeはサギみたいなのが多い。
ずらり並んだサムネイルの中から、これはと思う映像をクリックするんだけど、じっさいに見てみると、サムネイルにあったような場面はぜんぜん出てこないということがある。
つまり視聴者を増やすために釣りの画像をどこかから引っ張ってきたか、わざわざ作って、看板として載せているわけだ。
このあいだも(とくに名を秘すけど)女の子が逆立ちをしているサムネイルがあったから、どおれとのぞいてみたら、そんな映像はひとつも出てこなかった。
YouTube
もすでに天下の公器といっていいのだから、こんなサギ商法を放置しておくことは許されない。
これからは映像の一部をキャプチャーしたもの以外は、サムネイルに使えないよう内部規定で定めてほしい。

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2021年6月20日 (日)

ネコを食べる

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ネットニュースを読んでいたら、トルコでネコを捕まえて食べていた日本人が逮捕され、国外追放になるとかなったとか。
わたしも愛猫家だし、たいていの動物は好きだから、ネコを食べようって気にはなれないけど、それを抱っこして太もものあたりをこちょこちょしていると、柔らかいねえ、食べたら美味しそうと思うことは、この歳まで1回か2回はあった。
しかし食べるためには相手に死んでもらわなければならない。
それを実行に移しちゃいけない。

このニュースについて、日本にはネコを食う文化があると思われてしまうではないか、けしからん、帰国したらそいつを死刑にしてしまえなどという非難の声が高い。
そういう読者のやりとりのなかに、日本人だってネコは食うぞ、吾輩は猫であるを読んでみろという声があった。
わたしは漱石の愛読者で、もちろん「吾輩は猫である」も読んでいる、丸暗記するくらい読んでいる。
で、そんなことを書いた箇所があったっけと考えてみた。
「猫」のファンならだれでも思い当たるだろうけど、あるんだよね、日本人がネコを食うエピソードが。
主人公の苦沙弥先生の家によく遊びにくる多々良クンという九州男児が、先生の家のネコに目をつけて、もらっていって食べていいですかという。
どうやら明治時代にはネコを食う日本人もいたらしいのである。
もっとも先生の奥さんも、ええっ、ネコを食べるのと驚いているから、文化とまではいえなかっただろう。
ネコの場合は、紫式部や清少納言のころからペットとしての地位を確立していたし、徳川時代には虐待すると人間のほうが死刑になったくらいだから、これを食べるというのはそうとう特殊な人々の特殊な嗜好であったのだ。

わたしは日本をおとしめたり、どこかの国の犬食文化を擁護するためにこんなことを書いているわけじゃない。
他人を責めるときにはつねに自分たちの欠点も理解しておこうというだけであり、こころやさしいわたしは、おかげで最近はベジタリアン傾向がますます強いのだ。
最近近所の野菜販売所で見つけてきたヤングコーンという早摘みトウモロコシ、これ生でかじるとミルクみたいで美味しい(ヒゲまで食べられる)。

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2021年6月19日 (土)

ワクチン接種

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ワクチン打ってきました。1回目。
午後4時からってことだったけど、会場に行ってみたら300人ぐらいが体育館のまわりにとぐろを巻いていた。
しかもまだあとからあとからやってくる人まで。
たかが注射1本打つのに、なんだかんだで、家を出てから帰宅するまで2時間かかった。
みんな命が惜しいんだよねえ。
家に帰ってからぐったりと疲労感におそわれて、ひと眠りして、いま起きたとこ。
副作用でなければいいけど。

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2021年6月18日 (金)

アフリカ/インシャラー

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ポール・セローにいわせると、エジプトは大むかしから観光地だったそうである。
なんでも紀元前400年ごろ、ヘロドトスというギリシャ人がエジプトの観光ガイドを書いていて、そこでピラミッドにも触れているらしい。
これはクレオパトラよりずっとむかしのことだから、そんなころからピラミッドってあったのかと疑問をもつ人がいるかもしれない。
もちろんあったのだ。
ヘロドトスがガイドブックに載せた時点で、すでにキゼーのピラミッドには2000年という歴史があったそうだ。
エジプト文明の悠久さを証明するような話で、有名観光地に興味のないセローも、エジプトに来てピラミッドを見ないわけにはいかないと、おとなしく観光に出かけた。
するとたちまちエジプト人がわさわさと群がってきた。

わたしも経験があるけど、ロシアで日露戦争の遺物である軍艦を見学に行ったときのこと。
遠くからわたしを見つけて、艦のそばにいた古風ないでたちの男女が、カモが来たぞと身がまえたのがわかった。
彼らはならんで写真を撮らせる(そして金をとる)モデルさんで、そんなふたりが待っているとわかって、イヤ気がさしたわたしは軍艦の見学をやめてしまった。
現地の観光ガイドや物売りやもの乞いなどもそうだけど、若いころならいざ知らず、歳をとるとこういう手合いを相手にするだけで膨大なエネルギーをくう。
わたしが最近海外旅行に行かない理由のひとつがこれだ。

セローは馬に乗ってピラミッドを見てまわった。
この馬というのは富士山の五合目などにもいる、足に自信のない観光客用のもので、外国で利用するときは注意が必要だ。
わたしは中国を旅しているころ、いっぱしの馬賊になったつもりで、則天武后の乾陵や新疆の天池で馬に乗ったことがある。
馬上から下界を見下ろしていい気分になっていたら、両方とも目的地の手前で降ろされてしまった。
これ以上行くなら別料金なんだそうだ。
こういうことがあるから、観光地で馬やラクダに乗るときは、あらかじめ目的地をしっかり決めておかなければいけない。

近代になると各国の作家や画家たちも競ってエジプトを訪れている。
博識のセローは「トム・ソーヤの冒険」のマーク・トウェインや、「ポヴァリー夫人」のフローベール、あんまり聞いたことのない画家のデヴィド・ロバーツやドミニク・ドゥノン、作家のマクシム・デュ・カン、ジェフリー・ウォール、詩人のホイス・ボルヘスなどを持ち出して、ごたごたとピラミッドの講釈をたれているけど、もちろんそんなものに興味をもつ人はいるわけないから、ここではその個々の事情については触れない。

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それでも上記の画家ふたりの描いたスフィンクスの絵を載せておこう。
セローは両方とも実物に似てないと書いているけど、あなたはどう思う?

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ちょっとおもしろいと思ったのは、幕末に日本のサムライ御一行様までやってきて、スフィンクスのまえで記念写真を撮っていたことである。
なんの用事でエジプトくんだりまで出かけたのかというと、じつは鎖国政策についてフランスと交渉するために欧州へ行き、その帰りに寄ったんだけど、本来の目的は失敗だったそうだから、スフィンクスの下で切腹なんかしないでよかった。
日本人はいまもむかしも神仏を大切にするから問題はなかっただろうけど、エジプト周辺には偶像崇拝を禁じるイスラム教徒も多くて、スフィンクスは鼻が欠けている。
つぎの写真は鼻なしと、オリジナルのスフィンクスのレプリカ。

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ピラミッドの写真は個人旅行者が撮影したものがたくさんネットに上がっているし、ストリートビューも充実しているから、このブログに掲載する写真には事欠かない。
ここではセローが、たそがれ時のピラミッドが素敵だと書いているから、わたしもそんな時間帯の写真を探してみた。
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もちろん他人の写真を使うのは著作権違反である。
しかしわたしは最近考えを変えたのだ。
ネットというのは情報の宝庫であり、この情報化時代にそれをだれでも自由に使えないというなら、弊害のほうがはるかに大きいだろう。
それにネット上にはタダで使ってもそれほど問題にならない写真もたくさんある。
たとえば旅行会社のパンフレットに使われているような写真なら、タダで宣伝してやってるんだという弁解をあらかじめ用意できるではないか。
ちと苦しいけどまだあるぞ。
わたしのブログにもわたしが外国で撮った写真がたくさんアップされているけど、それをどこのだれが二次利用しようとかまわない、というかそんなものをいちいち追求しているほどわたしはヒマじゃない。
だれかがわたしの写真で大儲けでもすれば、分け前をチョーダイぐらいのことはいうかもしれないけど、たぶんそんなことはないだろう。
つまりネットにはだれでも勝手に使える写真と、はじめから売っていくらかにでもなればという写真が混在しているのだから、できるだけさしさわりのない写真を使えばいいのである。
まちがってもコピー防止用の透かしやサインの入った写真は使うべきじゃない。

ポール・セローの「大地中海旅行」にくっついて歩いているとき、わたしはエジプトのカイロについてあまり詳しく触れなかった。
セロー自身も作家のマフフーズに会うことを優先させて、あまり街については書いてなかったせいだけど、いい機会だからこの街についてウィキペディアを引用すると『カイロはエジプトの首都であり、アラブ世界と中東を代表する大都市である』(だそうだ)。
近代的な部分を紹介しても仕方がないので、ここではバザールの写真を少々。

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オンナの人が付随した写真が多いのは、たまたまの偶然である。

セローはカイロにいるあいだにスーダン大使館に行く。
エジプトのあと、彼はさらにアフリカ大陸を南下する予定だから、各国のビザが必要なのである。
しかし日本とちがってだらしない国が多いから、なかなかビザは下りない。
いらいらした彼は、ここで “インシャラー” という言葉を教わる。
これは「神の御心のままに」という意味のアラビア語だけど、かならずしもイスラムだけではなく、ユダヤ人も使う言葉だからややこしい。
わたしが学生のころ、アダモの歌で「インシャラー」というポピュラー・ナンバーがすこしヒットしたことがあり、これは戦死したイスラエル兵士を追悼する歌だそうだ。
おいおいわかってくるけど、時と場合によって意味が変化する言葉なので、このブログ記事の終わりまでおぼえておいてほしい。

なかなか下りないビザを待つあいだ、セローはカイロ博物館に行ってみた。
彼の展示物に対する説明はくわしくて、読んでいるだけで興味をひかれてしまうので、わたしもできるだけ具体的にビジュアル化してみよう。

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この赤い建物が博物館で、あまり考古学に興味のなかったわたしにも、巨大な石像や棺のなかのミイラ、そしていろんな動物をモチーフにしたおびただしい石像が目をひく。
エジプトの石像というと、やたらに巨大であることが多いけど、この美術館の中にも天井まで届くような人体像がある。

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大きすぎてそれまでの建物では収まりがつかなくなって、2021年現在、カイロに新しい博物館が近々オープンだそうだ(これは完成予想図)。
博物館というと中国(中国がしょっちゅう出てくるけど、わたしがいちばん頻繁に訪れた国が中国なのだ)の上海にあるものが、やはりわたしをひきつけた。
歴史のある国では、古いネコが猫又になるように、歴史上の文物が神格をおびる場合もあるのかなと思ったことがある。

まだスーダンのビザは下りない。
セローはヒマつぶしに旧知の作家マフフーズのサロンに顔を出して、当地の文化人たちと会話したりする。
マフフーズとは地中海旅行のときにも会っており、そのときこのアラブ世界で最初のノーベル賞作家は、テロリストに襲われて重傷を負ったばかりだった。
やぁやぁ、傷はもう大丈夫ですかなんて旧交を温めているうち、サロン参加者にマフフーズ以外の作家がノーベル賞をもらえないのは欧米の陰謀だなんて言い出す者がいて、たまたまそこにいたセローは欧米の代表にされてしまった。

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まだスーダンのビザは下りない。
そのあいだにウガンダやエチオピアのビザも申請してみたけど、大使や領事は愛想がよくて、かならずお国自慢をするくせに、事務の仕事はどこもさっぱりはかどらない。
そのうちセローは“インシャラー”という言葉が、「いつかは」という意味になり、さらに「祈りなさい」、「絶対にダメ」というふうに活用することを知るのである。
しびれを切らした彼は、ビザが下りるまでのあいだ、ナイル川を見物してくることにした。

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2021年6月17日 (木)

あと少し

わたしんところへニフティからメールが来たヨ。
『ココログ・ポータルサイトのトップページでは、ココログの中から素晴らしいブログを毎日2つずつ紹介しているピックアップコーナーがあります』
『貴ブログを拝見させていただき、ぜひ紹介させていただきたく、ピックアップブログとして選定いたしました』だって。
遅いんだよな、紹介するのが。
ニブいんだよな。良さを理解するのが。

とりあえずそのコーナーに載せる写真を送ってくれって。
送っていただけない場合は、『お客様のブログよりココログスタッフにて作成して(勝手に)掲載いたします』だって。
おいおいおい。
そりゃかまわんけど、いま連載している紀行記の写真なんか使われたら大変だ。
あれはストリートビューやネットから見つけた写真がほとんどで、著作権に抵触する可能性が高いんだよ。

いま問題なさそうな写真を選別中。
ああ、苦節14年。わたしのブログがメジャーになるまであと少し。

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2021年6月16日 (水)

母親

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昨日テレビで放映された「市民ケーン」、観たかなあ。
観るわけないよね、いまどきの若いモンが。
ほんとうに映画の好きな人なら、わたしが広報しなくてもとっくに観ているはずだし。

何度も観ているくせに、いや、それだからこそ、ストーリーがわかっているからこそ、もう冒頭のケーンがバラのつぼみとつぶやいて往生する場面で、涙腺がじっとり。
トシとったせいか、わたしも子供のころがなつかしい。
親父・おふくろと過ごした貧乏家庭がなつかしい。
わたしがおふくろにできる孝行といったら、できるだけ家に近づかないことしかなかった。
そんなできそこないの息子のこころのうちを、はたしておふくろは理解してくれていただろうか。

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2021年6月15日 (火)

アフリカ/まえおき

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椎名誠の「シベリア追跡」を、またストリートビューやネットで集めた画像で紹介しようと思ったけど、この企画はボツになった。
彼のそれは写真つきの本やテレビ番組がすでにあるので、いまさら旅のようすをビジュアルで紹介しても仕方がない。
なんかこうっと、ストリートビューや写真で紹介するのに都合のよい、文章だけの紀行記がないだろうか。
ただし条件がある。
この仕事はけっこう手間のかかるものなので、目的地がわたしが興味を持つようなところでないと、とちゅうで放り出すかもしれない。
パリやローマや、その他たいていの有名観光地は、やはり写真や映像があふれているし、女の子好みの軟弱な場所が多いのでダメである。

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ひとつ、以前から目をつけていた本があって、これは「大地中海旅行」と同じポール・セローが書いた「ダーク・スター・サファリ」という本だ。
エジプトのカイロから南アフリカのケープタウンまで、アフリカ大陸を北から南へ縦断した紀行記である。
写真を見ればわかるけど、この本は土方の弁当箱みたいにぶ厚くて、ページ数はなんと683ページもあり、活字ギライにとって、外から見ただけでめまいがしそうな本である。
でも心配はいらない。
そういう人のためにわたしは本のエキスを要約して、写真つきのわかりやすい文章で紹介しようと思っているのだから。
活字ギライだけではなく、忙しくて読んでいられないという人も寄っといで。

アフリカというとライオンやゾウやキリンのいるところと思っている人がいるかもしれないけど、現在のアフリカは大半の場所がグローバル化されており、ゾウなんかいちども見たことがないというアフリカ人も増えていて、その発展ぶりはわたしたちの想像を絶するところが多いのだ。
わたしにかぎれば、現代のアメリカより、アフリカのほうがよっぽど興味があるところなので、これならとちゅうで放り出すこともないだろう。

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セローも書いているように、アフリカというと、あんな危険なところへとけげんな顔をする人が多い。
セローがこの旅をしたのは、地中海からもどって5年ほどあとの、2001年の2月から5カ月ほどの期間である。
この行程のとちゅうには内戦で南北に分裂したスーダンもあるし、エチオピアはエリトリアと戦争中だったし、ルワンダはご存知のように部族同士で殺しあっていたし、ケニアはエイズが蔓延中、米国が介入してけっきょく撤退することになったソマリアや、内戦の地雷があちこちに残っているモザンビーク、白人から強引に土地を取り上げるジンバブエ、さらに白人支配が崩壊した南アフリカもあるし、とにかく外国人がうろつくには危険な国が多かった。
そんなところへのこのこ出かけようというセローも勇気があるけど、じつは彼にとってアフリカは人生を回顧するのに避けては通れない場所だったのだ。

彼の経歴を調べてみると、セローははまだ20代のころ、アフリカのマラウイやウガンダで援助ボランティアや英語教師をしたことがあるそうで、この本のなかには彼が教鞭をとった学校を訪ねるくだりもある。
彼が教師をしたのは1960年代から1970年代にかけてのころだったから、世界の注目は東南アジアのベトナムのほうにあり、まだアフリカは現在のように荒れ狂ったところではなかった。
しかしその後のアフリカは暴力と死、民族間、部族間の憎しみが爆発する世界になってゆく。
彼はそれを自分の目で確認したかった。
この本に書かれた旅をしたとき、彼はちょうど60歳で、人間ならだれでも自分の過去をふりかえってみたくなるころだし、もういちどアフリカを旅するなら、年令的にも最後の機会だと思ったことだろう。

じつは彼には、想い出の土地を訪ねるという以外にも理由があった。
当時の彼は仕事や家事にマンネリをかかえ、もう電話も手紙も届かないところに失踪したい、なにもかも放り出してひとりになりたいという欲求が強くなっていたらしい。
セローは著名な作家で、ひじょうに社交性のある男であるから、こういう人間が世捨て人になるとは考えにくいけれど、地中海を旅しているころ感じたように、彼には進歩した文明を嫌悪する厭世家の面もある。
神さまが頼りになるなら世をはかなむ人がいるはずがないから、厭世家と無神論者は密接につながっている。
わたしもこういう部分ではセローに似たところがあるので、彼の心境の変化をたどることはとても興味のあるところなのだ。

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この本をまえに置いていささか調べてみた。
わたしのブログ紀行でいちばんの問題は、行き先々の土地をストリートビューがカバーしているかどうかということ。
「大地中海旅行」でも書いたけど、国によっては外国人を受け入れないところもあるし、全方位カメラを積んだ車なんか走らせると、飛んで火にいる夏の虫ってわけで、拉致されて首を切断されることもある。
写真がなければ文章だけになり、これでは活字ギライを折伏しようというわたしの意志も頓挫する。

それで目的地がどれほどストリートビューでカバーされているか、あらかじめ調べてみようとした。
しかし、なんといっても683ページだ。
くまなく調べていたら、文章をスタートさせるまえにわたしは老衰で死んでしまうだろう。
それでもうぶっつけ本番で行くことにした。
わたしの文章のなかには、前後が一貫してない部分があるかもしれないけど、それはこういう理由である。
止めて止まらぬ李白さんというわけで、誰がなんといおうと、わたしはセローとともに、彼が教師をしたころ、この旅をしたころ、そして現在のアフリカを見てみたいのだ。

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2021年6月14日 (月)

市民ケーン

なんか楽しい話題でもないかなと思っていたら、明日のテレビ番組表に「市民ケーン」が放映されるという記事。
余計なおせっかいであることはわかっているけど、ヒマな人は観てごらんなさいな。
「ハリポタ」や「007」や「スターウォーズ」、「鬼滅の刃」なんかと、まるっきり次元の異なる名作だ。
と力説したってムダだろうねえ。
こういう映画に興味を持たない若い人たちを、あとに残してあの世に行くと思ったら、死んでも死にきれんよ。
そのうち他人の気持ちを思んばかることもない、もっともっと情け容赦のない世界がキミらを待っているんだよ、きっと。

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2021年6月13日 (日)

いまの中国

なんとか国際標準に合わせようとしているのに、こっちがエラくなろうとすると、みんなで足を引っ張る。
え、オレたちがなんか悪いことしたの?
オレたちはアメリカや日本みたいな国になりたいだけなんだけど。
そりゃ共産党が嫌われているのはわかってます。
でもいちどに自由化したら、かってのソ連みたいに国ががたがたになるだけだし、慎重すぎるくらい慎重に、ゆっくりと国を発展させているだけなんだけどねえ。
香港の周庭ちゃんだって、拷問も洗脳もされてないでしょ。
少数民族にだってちゃんと繁栄の分け前は与えているし、コロナがなければ、外国人だっていくらでも受け入れていたのにさ。
歴史を知っている人たちに尋ねたいけど、オレたち、なんかルール違反をしてる?

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2021年6月12日 (土)

積みすぎた箱舟

いまつぎの企画の準備に大忙しというところだけど、そのまえに読んでおきたい本があって、今日図書館で借りてきたのは、ヨーロッパの動物園に頼まれて、アフリカでめずらしい動物を捕獲することに “命をかけた” ジェラルド・ダレルという動物学者の「積みすぎた箱舟」という本。
彼がアフリカに出かけたのは1947年というから、おお、だれかさんの生まれた年じゃないか。
そんなことはどうでもいいけど、半分ぐらい読んだ感想をいうと、これは日本でいえばムツゴロウこと畑正憲さんの動物記や、ハドソンの「ラ・プラタの博物学者」のような、そういう分野に興味のある人には楽しい本だった。
ひところはわたしもこういう本を熱心に読んだもんである。

このころはまだ西欧でもアフリカの情報がいまほど十分ではなく、ヘミングウェイのような作家が、ライオンやゾウなどの動物をやたらにぶっ殺していた。
ダレルは動物学者だから、そんな残酷なことはしない。
彼はどっちかというと小動物専門で、密林に分け入ってヘビやネズミや小型のサルなど、まだヨーロッパではめずらしかった動物を捉まえていた。
しかし現在の基準でみると、命をかけたという言葉がオーバーでないくらいムチャなことをしている。
ヘビやコウモリなどの小動物を捕まえるのに、ワナや網を使ったとしても、最終的にはほとんど素手で扱ったようだ。
おかげで体中、噛み傷やすり傷だらけだったというんだけど、医療設備も万全でなかった第二次世界大戦直後のアフリカから、よく生きて帰れたなと思ってしまう。
コウモリに食べられちゃうことはないにしても、野生動物は狂犬病のような病原菌を持っていることが多いので、噛まれれば傷口が感染症の原因にはなることはあるのだ。
現在のコロナウイルスの蔓延をみて、つくづく危険なことをしたものだなと思ってしまった。

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2021年6月11日 (金)

ミャンマー2007

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またわたしの中国人の知り合いの写真。
もとはカラーだったけど、なんだか古い写真を無理やり加工したみたいで、画質がおかしいから、わたしの一存でドキュメンタリー写真に改造した。
場所は2007年のミャンマーだそうだ。

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この写真を見て思ったのは、中国人がミャンマーの素朴な生活に感心していること。
ちょうどわたしが1992年にはじめて中国に行って感心したことを、現在は中国人がミャンマーに対して感心しているわけだ。
当時の日本と中国の差のほうがずっと大きかったけど。

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2021年6月10日 (木)

大津事件

最近韓国がおとなしいと書いたばかりだけど、先日韓国の裁判官が、徴用工の賠償を請求する権利は韓国にないという判決を下したら、またここぞとばかりの大合唱だ。
今度の件は日本に直接被害はないものの、なにがなんでも金づるを、あるいは選挙で叩けば目に見えて効果のある相手を逃したくないということで、国民一体となって上げる声のでかいこと。
寄ってたかって異論を封殺しようというのはあの国のお家芸だ。
日本の裁判官はそうじゃなかったですよ。
有名なのは、たとえば明治時代にロシア皇太子への刃傷沙汰を裁いた日本人の裁判官だ。

この事件は「大津事件」と呼ばれるけど、当時は日本とロシアの関係が微妙なときで、ヘタすれば大国ロシアが怒って日本に攻めて来るんじゃないかと、日本中が恐れおののいた。
日本政府は直ちに天皇陛下がじきじきに詫びを入れ、日本政府も犯人を厳罰に処して、なんとかロシアにゴメンなさいを表明しようと考えた。
日本のある地方では、今後犯人と同じ名前は許可しないと、役場の条例で決めたところもあるくらいだ。
つまり、日本中がいまの韓国と同じように、声をそろえてひとりの人間を糾弾したわけだ。

しかしこの事件を裁いた裁判官の児島惟謙は違っていた。
彼は、優先するのは法であって、国民の声ではないということを明確にし、これは現在でも三権分立の好見本とされる。
お願いだから、若い人たちはこういう歴史を肝に銘じてくれる?
日本は親分のご威光で、判決がどっちにでも転ぶ途上国じゃないんだということを。

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2021年6月 9日 (水)

日本のやり方

ワクチン接種の予約が無事に完了した。
わたしの接種日はこの19日だそうだ。
最初からネットでやればよかった。
市役所からお知らせが来て、うちから徒歩1〜2分の病院で予約できますなんて書いてあったものだから、ネットよりそっちのほうが確実だろうと、ちょくせつ予約に行って失敗した顛末はもう書いた。

日本のワクチン接種については、じつにさまざまな野次馬が、遅いだの手ぬるいだのとゴタゴタいったけど、どうやらなにごとに関しても慎重な日本人のやり方が、文句をいわれる原因だったような気がする。
国民の生活に支障が出るのを覚悟のうえでロックダウンをしたり、そのへんの薬局でも注射がぶてるようにすれば、もっとスピーディな接種も可能だっただろうけど、日本は万にひとつの事故も出さないというスタンスだ。
これまでも日本政府は、国民の命を守るだけではなく、同時に経済もまわそうという、ぎりぎりで対立する政策の綱渡りをしてきた。
人の命がかかっているときに、そんな呑気なことでいいのかという意見もあるだろうけど、政策の結果であるウイルスの死者数も、諸外国にくらべてけっして多くはない。
文句をいわれることはあっても、間違っていると批難されるようなものじゃないだろう。
手筈をきちんと整えてしまえば、これからは外国人もうらやむくらい順調に行くのではないか。

日本の政治家はむかしからお医者さんには頭が上がらないから、ひょっとすると医療従事者のほうに配慮した結果かなと思うことはある。
早いことばかりを追求すればお医者さんや看護師にしわ寄せが行く。
オレたちを過労死させる気かといわれて、いえいえ、決してそんなことはいたしません、そちらのペースに合わせますんでなにとぞヨロシクなんて。
だとしてもやっぱり批難されるようなものじゃないだろう。
医療崩壊もされちゃ困る問題だからだ。

気のドクなのは、ワクチンが軌道に乗るまえにコロナで死んだわたしの知り合いだ。
接種があと半年早けりゃ死なずに済んだかもしれないのに。
でも彼の場合、好き好んで嵐の海に乗り出したみたいなところがあったからねえ。

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2021年6月 8日 (火)

反日種族主義

予約が多すぎて手元に届くまで時間がかかった「反日種族主義」という本、まさに一気呵成という勢いで読み終えた。
つくづく思うのは、この本は韓国人からみたら、日本政府や右翼からいくらかもらってるんだろうといいたくなる本だということ。
そのくらい内容は日本人にとって胸がすくような本である。
これを読んでわたしは、三国志のなかで諸葛孔明が、なみいる敵方の軍師を立板に水で論破していくさまを思い浮かべた。
あまり引用されている資料や統計が多いので、メンドくさくなって飛ばし読みをしたけど、韓国人も文句をいうなら、本人が言ってるから間違いないとか、韓国の裁判所が(国際法では通用しなくても)認めているからという言い分ばかりではなく、読むほうがメンドくさくなるような証拠をそろえた反論をしてもらいたいものである。
わたしが読みたいのは、韓国側のきちんと証拠をそろえた反論で、それをしないから、けっきょくこういう本が出てきてしまうんじゃないか。

じつはこの本に対して韓国内からいくつか反論はあったようで、あのタマネギ男で知られている曹国もと法相なども、部分的にいちゃもんをつけているようだ。
しかし重箱のすみをほじくって、一方的に相手をののしるだけの反論だったので、たちまち一蹴された。
そしてこうした反論にこたえるかたちの「反日種族主義との闘争」という本がまた出版されていて、そっちのほうは予約か少ないというので、わたしは図書館で借りて、とっくに読んでしまっていた。
書物に対する反論と、それに対する反論というのは、ふつうはボクシングの試合みたいでなかなかおもしろいものだ。
しかしこの試合は、中身で勝負しようという相手と、声の大きさで勝負しようという相手の対戦なので、ジャッジするにも最初から結果がわかっていてつまらない。

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2021年6月 7日 (月)

忘れられた本

図書館から電話があった。
おかしいねえ。
図書館はおおいに利用しているほうだけど、目下のところ、予約した本も返却を忘れている本もないし。

こっちから電話してみたら、予約した本が届いてますって。
いったいなんてえ本ですかと訊いてみたら、「反日種族主義」という嫌韓本ですと、そこまでいわなかったけど、もうだいぶまえに予約して、けろりと忘れていた本だった。
困るんだよな、こういう本て、ふつふつと湧き上がる怒りがピークのときに読まないといけないのに、最近のあの国は、なんか一時の熱気がさめたみたいで、独島が、竹島がという声にもどうも元気がない。
今日もあの国では、徴用工では日本に請求できませんなんて判決が、これはまだ地裁だけど、出ちゃうし、しかもそれを日本のマスコミは、まだやってんのかというつまらない扱いだし。
おかげで無理に読みたい本でもなくなっちゃったけど、借りたものは無理して読まなくちゃいかん。
今夜はまた長風呂で、湯につかり、汗を流しながら読むのだ。

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2021年6月 6日 (日)

カシュガル

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おお、わたしの知り合いが張り切って写真を送ってくるぞ。
相手はむかし中国の西域に派遣されて、ロバで砂漠をうろうろしたってオンナの人だから、新疆の写真がたくさんあるらしい。
これは2016年のウイグル自治区カシュガルだそうだ。
カシュガルはわたしも2000年の6月に行ったことがある(この写真は、最初のものが相手が送ってきたもので、4枚をひとつにまとめたのはわたしの撮ったもの)。
あいだに16年の歳月がはさまっているけど、わたしが行ったころのカシュガルは砂漠のなかの町という感じで、まだ高層ビルなんかひとつもなく、町の中心にあるモスクの広場では、ウイグル人たちがヒツジ肉にむしゃぶりつき、骨を屋台のまわりに積み上げていた。

どうやらカシュガルも、いまでは中国のほかの都市と同じように発展をしているらしい。
と書いたところで思考がストップ。
このあと現在の国際状況を持ち出して中国弁護の論陣を張るか、いやいや、そこまでする義理はないと、さわらぬ神にたたりなしをつらぬくか。
これからメシを食うので、たぶん今日の更新はこれっきりになりそう。

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2021年6月 5日 (土)

アジサイ

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いまの季節の花。
見慣れたアングルではつまらないので、今回はちと変わった視点から。

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2021年6月 4日 (金)

またユーチューバー

雨後のタケノコのような外国人ユーチューバー(女性)。
そんなに乱立したら自分で自分の首を絞めるだけだろうと思うんだけど、たしかにたったひとりで、資本もいらずに、お手軽に始められるんだから、訪日したばかりの女の子の当座の生活費稼ぎと考えたら、こんなに気楽な商売はないかもしれない。
その人気のほとんどは、ピチピチした(たいていは美人の)本人の魅力によっているだけで、映像が素晴らしいからではないということに気がついているんだろうか。

内容はどれも似たりよったりで、例を挙げると、彼女らのほとんどが、日本は食事がおいしいとほめる。
それはいいけど、コンビニで買ってきた寿司弁当をほめられても嬉しくない。
ここはやはり銀座の寿司幸やすきやばし次郎やさわ田(わたしは行ったことがないけど)の寿司をほめるようでないと、日本の寿司がミシュランの三つ星であることを世界に納得させることはできない。
しかし彼女らは意外と金がないのか、そういう店の寿司をほめているのを見たことがない。
女性の経済観念が発達していることは洋の東西を問わないから、銀座の店でもコンビニでもほめるのはいっしょで、反応もいっしょだとコスパ優先で考えているのか。
神戸や松坂などの高級和牛なら、たまに食べているのを見ることがある。
牛は欧米人にもなじみのある食べものなので、うまい不味いもハッキリしていて紹介しやすいのだろう。
日本人がふだん食べているラーメン、牛丼、カレーライスなどををほめられると、彼女たちは本国ではいったい何を食べていたんだといいたくなる。
日本は治安がいいとか、道路がきれいだ、鉄道が正確だなんていわれても、いったいどんな途上国に住んでいたんだと疑問を感じるばかりだ。

先日YouTubeを見たら、これはわりあい有名なユーチューバーの外国人女性だけど、テレビゲームにはまってると話していた。
彼女はもう30代だと思うけど、そのあまりの低能ぶりにあきれた。
いや、ゲームがいけないといってるわけじゃないけどネ。
いいトシしたおばさんが、肉体は老いていくのに、精神は子供のままである事実を、わたしはなかなか受け入れられないタチなのだ。
もうちっと高尚な話題、たとえば性教育(今夜のNHKネタドリって番組でちょうどやっていた)について取り上げるようなYouTubeを観てみたいや。

今日はちとネタ不足なので、こころにもないことにいちゃもんをつけてみました。

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2021年6月 3日 (木)

音楽の友

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今日は借りている本の返却に図書館へ行ってきた。
帰りがけに見ると、玄関先に雑誌が並べてあって、ご自由にお持ち帰り下さいとある。
賞味期限の切れた雑誌をそうやってリサイクルしているらしい。
おおかたは料理や園芸、囲碁などの月刊誌で、わたしの興味の対象外だったけど、そのなかに「音楽の友」というクラシックの専門誌があった。
これまで本屋で買ったことはいちどもないけれど、わたしはクラシックならぜんぜん興味がないわけじゃない。
ヒマつぶしにはなるんじゃないかと、そいつを頂いてきた。

帰宅してさらりと一瞥してみた。
本気で読もうという気にはなれないけど、ヒマつぶしなら目の離せない記事がたくさんあって、とくに音楽家の生い立ちやウラ話のようなもの、歴史に関わるものはおもしろかった。

そんな中に画家のクリムトと、ベートーベンの関係について論じた記事があって、そこで「ベートーベン・フリーズ」という絵が紹介されていた。
これってアレじゃん。
わたしが上野の美術館で観たことのあるでっかい壁画じゃないか。
そのとき美術館にあったものは実物大のレプリカだったけど、このブログでマンガみたいな絵だなと、ほめたのかけなしたのかわからん批評(私評?)をしたことがある。
そういえば頂いてきた本は、ナンバーを確認したら2年まえのものだった。

添付した画像は、クリムトと関連してもうひとりのグスタフである音楽家のマーラーについて書かれた記事があり、マーラーの奥さんは魔性のオンナであると書いてあったので、どんな顔をしてるのかと検索してみたもの。
グスタフ・クリムトもグスタフ・マーラーも、50代になったばかりで死んだのに、彼女は85まで生きて、男をとっかえひっかえ数々の浮名を流したという。
まえにロシアのバレリーナ、マチルダ・クシェシンスカヤのときにも書いたけど、この時代の上流階級のオンナの人って、そういうものだったのよね。

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2021年6月 2日 (水)

旅人よ

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ポール・セローの「大地中海旅行」にくっついて歩くわたしのブログ紀行がようやく終わった。
開始したのが去年の師走の3日だから、飛び石連載だとしても、なんだかんだで完結まで半年もかかったわけだ。
手間はかかったけど、旅行好きのわたしにとってこんな楽しい道楽はなかった。
旅行や登山のようなアクティヴな趣味は、だれでも歳をとると出来なくなる。
しかし山岳紀行家の深田久弥は、山に登れなくなった年寄りでも、山に興味を持っているかぎり登山家の資格があるといっているから、このデンで行けばわたしなんかいくつになっても旅行家だ。

いったい旅行というのはなんだろう。
行った先の美味しいものを食べるとか、ブランド商品を本場で安く買うとか、むかしはこれが半分以上を占めていたらしいけど、男なら女を安く買うとか。
あいにくわたしは偏食で、胃袋も小さいから、食べ物に関しての欲求は強くない。
ブランド商品にはまったく興味がない。
女にはおおいに興味があるほうだけど、もうじいさんだから役に立たないなんてことはどうでもいいことで、それじゃあいったいなんのために旅行がしたいのか。
ズバリ、行ったことのない、めずらしい景色を見たいんだよね。
つまり好奇心というやつで、わたしの場合それが社会的常識を無視するくらい強かったのだ。
さらに突き詰めれば、これは現実逃避というトラウマにまで行きつくけど、ここではそこまで踏み込まない。

現在ではインターネットという便利なものがあって、たいていの外国は、日本にいたまま机に座っているだけで調べられる。
足腰が弱ってもはや自分の足で歩けない場所の景色でも、ストリートビューで見たいと思えば見ることができるのだ。
わたしみたいな年寄りにとって、これは新次元の楽しみではないか。
見るということに重点を絞り、脳みそのどの部分で感じるかということになったら、現実に見ることと、パソコンのモニターで見ることになんか違いがあるだろう。
大違いだ、という人は想像力の欠如した人に違いない。
もともとわたしの旅行は、外国に行っても、現実の世界から刺激を受けて、空想の世界をただよっているようなものなのだ。

お金はかからない、体力は使わない、それで本物の旅行と変わらない楽しみを得られるんだからたまらない。
またなにかいいネタがないかと、いま旅行記などを漁っているんだけどね。
ただストリートビューで景色を見るだけでは想像力への刺激が足りないので、ここはポール・セローのような、文章による描写も必要だ。
そういう条件のそろった紀行記というものはなかなかないものだ。
今度はひとつ、椎名誠さんの本をたどって、シベリアからモスクワまで旅してみるか。

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2021年6月 1日 (火)

地中海/モロッコ

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地中海には「ルヴァンテ」という気象現象があるという。
地形に関係あるのかどうか知らないけど、これはせまいジブラルタル海峡から地中海に向けて吹く強風で、ひどいときには船舶の航行の妨げになる場合もあるそうである。
たまたまそのもっともひどいものに遭遇したのがポール・セローだった。
チュニジアから旅の最終目的地のモロッコ(まさにジブラルタル海峡の入口にある)へ行こうとした彼は、おそろしい荒天にぶつかってしまい、フェリーで行くつもりの当初のもくろみは、船がドックに入ってしまって破綻した。

金と時間に不自由していない彼のこと、チュニジアからシチリアを経てイタリアにもどり、さらに列車でフランスまでもどれば、マルセイユあたりからモロッコ行きのフェリーがあるんじゃないか。
ちょうどいいや、往路で見逃したナポリ、ローマ、リヴォルノ、マッサ、ジェノヴァなどをながめるのにいい機会だと、このへんまではまだまだ余裕である。
わたしも見逃した海岸を紹介しておこう。
セローは絶壁が美しいと書いているけど、おそらくマッサからジェノバまでの海岸線のことをいってるのだろう(このときの彼は列車だから海から海岸をながめたわけじゃない)。

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しかしマルセイユにはモロッコ行きの船はなかった。
セローはさらに列車を乗り継いで、延々とスペインまで移動する。
つまりこの旅の前半でたどってきたコースのほとんどを、逆向きにたどったことになるわけだ。

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セローはそれでもいいけど、わたしのほうはどうしよう。
まえに載せた写真をそのまままた載せれば楽でいいけど、それでは熱烈なわたしのブログのファンから(そういう奇特な人がいればの話だけど)苦情が殺到してしまう。
やけっぱちで、沿線ぞいの土地に住む美女の写真でも収集しながらいくか。
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スペインのマラガでようやくセローはモロッコ行きのフェリーをつかまえた。
マラガといったらもうジブラルタルやモロッコのすぐ近くで、しかも船は「シウダー・デ・バダホス」という五階建てビルみたいなでっかいフェリーだったから、いくらなんでも強風ぐらいでたじろぐことはないだろう。
セローはルヴァンテをまだあまく見すぎていたのだ。

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これは、例によってネットで見つけたフェリー「シウダー・デ・バダホス」。

でっかいフェリーは強風にもみくちゃにされ、船内は嘔吐大会になり、ついに目的地までの航海をあきらめてマラガに引き返すことになる。
船酔いくらい平気な顔をしていたセローも、ほっとしたと書いているくらいだから、ポセイドン・アドベンチャーになりかねない航海だったらしい。

ルヴァンテはいったん吹き始めると、しばらく止まないと聞いて、セローはついに列車でアルヘシラスまで行くことにする。
ここは英領ジブラルタルのすぐとなりにあるスペインの港だから、彼はとうとう出発点までもどってきてしまったわけだ。
ここまで来るとモロッコのセウタまで、海をへだてて30キロもないし、フェリーの数も多いはずである。
つぎの画像はアルヘシラスとセウタまでの地図、そして天気がいいい日のアルヘシラス港で、沖合に見える岩山はジブラルタルだ。

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ここまで来ればと思ったものの、この港町でもルヴァンテは大暴れ。
木々をなぎ倒し、看板を路上に叩き落とし、電線を切断して町中を停電にし、もちろんフェリーは軒並み欠航だった。
この年のルヴアンテは数十年にいちどという記録的なもので、セローは足止めをくらった大勢のツーリストとともに、安宿にくすぶることになる。

わたしも当然くすぶることになるけど、それも益のない話だから、ここはひとつ旅の先まわりをして時間をつぶそう。
セローはモロッコに行って、そこに住む米国人の作家と対談する予定でいた。
彼はこれまで、コルシカ島でドロシー・キャリントン、エジプトではナギーブ・マフフーズ、ほかにも生死を問わなければ、行く先々で著名な作家の足跡をたどっているけど、そうした作家のしんがりがモロッコ・タンジールで隠遁生活を送る米国人作家のポール・ボウルズだった(下の写真は若いときのもので、セローが会ったとき彼は80代なかば)。

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参考のためにわたしもこの作家の本を読んでみた。
「シェルタリング・スカイ」といって、図書館で借りてみたら新潮文庫だった。
おもしろければ一気呵成にというわたしだけど、本の内容は、ひと組の夫婦と男友達の3人がモロッコあたりを旅するうちに、三角関係になって、なにが不満なのかヒロインはひとりで砂漠に迷い出て、アラブ人に強姦され、その屋敷でめかけのひとりにされ、命からがら脱出するという、わけのわからないものだった。
亭主はべつに同性愛者でもないし、女も亭主に飽きがくるほど倦怠期とも思えないし、間男になる友人の男はイヤらしいばかりだ。
3人がいずれも有閑階級であることも、貧乏階級のひとりであるわたしには、その心理を理解しにくいのかも。
彼らが人生に倦怠や虚無を感じて実存主義的に悩むというならわからないでもないけど、亭主はモロッコで娼婦を買い、女は亭主の友人と不倫して、これで退屈する人生というのはどんなものなのか。

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これは書評じゃないので、本のことはこのくらいにしておこう。
ようやくルヴァンテのあい間を見つけて、セローは船でセウタまで渡り、そこからバスでタンジールに行く。
これはタンジールの街で、白亜の建物が美しいけれど、わたしのブログではやはり旧市街のメディナを重点的に紹介することにする。
セローはここで城壁都市のメディナと、城塞という意味のカスバとの違いを説明するけど、興味のある人は本を読めばよい。

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セローはなんとか隠遁作家の家を探し当て、彼と対談しているうち、マリファナを勧められる。
品行方正なセローらしくないけど、思いもかけず歓待されて、それをぶっこわすほど非人情ではないから、いっしょになって吸ったと書いてある。
このさいのセローの態度を見ると、あこがれのスターに会って感激するミーハーというより、当地の著名人にインタビューするジャーナリスト精神が強かったようである。

首尾よく隠遁作家へのインタビューに成功した彼は、とあるバーで書き溜めたメモを整理することにした。
わたしはポール・ボウルズのことを、セローがこの旅で会った文学者のしんがりと書いてしまったけど、じつはこのバーでおまけみたいにもうひとりの作家と出会うのだ。

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それはボウルズの知人のモハメド・チュークリという作家で、セローにいわせると大学教授ふうの男だそうだから、ネットで見つけたこの写真が彼だろう。

こちらの作家は貧しい階層のベルベル人で、セローは彼の口を借りて、ボウルズはニヒリストだったんだよというような、隠遁作家のべつの面を語ろうとしたんじゃないか。
この大学教授ふうの言葉に、タンジールは謎の町で、ここを去るのはその謎がわかったときだというのがある。
カッコいいセリフなので、モロッコを去るときに船の上で使おうと、セローが特別におぼえていた言葉なんだけど、記憶のいいはずの彼は翌日にはもう忘れていた。

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これでポール・セローにくっついてまわるわたしの紀行記も終わりである。
イヤ、ホント、ひとりで文章をひねりくり出し、資料や画像の収集、加工まで全部やっつけなければいけないのは、好きでやってるにしても、“ヘラクレスの難行” に匹敵するたいへんな仕事だったんだから。
ヘラクレスといえば、もちろんギリシャ神話中の英雄の名前で、唐突にこの言葉が飛び出したのは、セローがこの紀行記のなかで使いたいと考えて、とうとうその機会がなかったとぼやいていたから、わたしが代わりに使うことにしたのである。
「大地中海旅行」の原題は “ヘラクレスの柱” で、これはジブラルタル海峡の両岸にそびえる岩山をいう。

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