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2021年6月15日 (火)

アフリカ/まえおき

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椎名誠の「シベリア追跡」を、またストリートビューやネットで集めた画像で紹介しようと思ったけど、この企画はボツになった。
彼のそれは写真つきの本やテレビ番組がすでにあるので、いまさら旅のようすをビジュアルで紹介しても仕方がない。
なんかこうっと、ストリートビューや写真で紹介するのに都合のよい、文章だけの紀行記がないだろうか。
ただし条件がある。
この仕事はけっこう手間のかかるものなので、目的地がわたしが興味を持つようなところでないと、とちゅうで放り出すかもしれない。
パリやローマや、その他たいていの有名観光地は、やはり写真や映像があふれているし、女の子好みの軟弱な場所が多いのでダメである。

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ひとつ、以前から目をつけていた本があって、これは「大地中海旅行」と同じポール・セローが書いた「ダーク・スター・サファリ」という本だ。
エジプトのカイロから南アフリカのケープタウンまで、アフリカ大陸を北から南へ縦断した紀行記である。
写真を見ればわかるけど、この本は土方の弁当箱みたいにぶ厚くて、ページ数はなんと683ページもあり、活字ギライにとって、外から見ただけでめまいがしそうな本である。
でも心配はいらない。
そういう人のためにわたしは本のエキスを要約して、写真つきのわかりやすい文章で紹介しようと思っているのだから。
活字ギライだけではなく、忙しくて読んでいられないという人も寄っといで。

アフリカというとライオンやゾウやキリンのいるところと思っている人がいるかもしれないけど、現在のアフリカは大半の場所がグローバル化されており、ゾウなんかいちども見たことがないというアフリカ人も増えていて、その発展ぶりはわたしたちの想像を絶するところが多いのだ。
わたしにかぎれば、現代のアメリカより、アフリカのほうがよっぽど興味があるところなので、これならとちゅうで放り出すこともないだろう。

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セローも書いているように、アフリカというと、あんな危険なところへとけげんな顔をする人が多い。
セローがこの旅をしたのは、地中海からもどって5年ほどあとの、2001年の2月から5カ月ほどの期間である。
この行程のとちゅうには内戦で南北に分裂したスーダンもあるし、エチオピアはエリトリアと戦争中だったし、ルワンダはご存知のように部族同士で殺しあっていたし、ケニアはエイズが蔓延中、米国が介入してけっきょく撤退することになったソマリアや、内戦の地雷があちこちに残っているモザンビーク、白人から強引に土地を取り上げるジンバブエ、さらに白人支配が崩壊した南アフリカもあるし、とにかく外国人がうろつくには危険な国が多かった。
そんなところへのこのこ出かけようというセローも勇気があるけど、じつは彼にとってアフリカは人生を回顧するのに避けては通れない場所だったのだ。

彼の経歴を調べてみると、セローははまだ20代のころ、アフリカのマラウイやウガンダで援助ボランティアや英語教師をしたことがあるそうで、この本のなかには彼が教鞭をとった学校を訪ねるくだりもある。
彼が教師をしたのは1960年代から1970年代にかけてのころだったから、世界の注目は東南アジアのベトナムのほうにあり、まだアフリカは現在のように荒れ狂ったところではなかった。
しかしその後のアフリカは暴力と死、民族間、部族間の憎しみが爆発する世界になってゆく。
彼はそれを自分の目で確認したかった。
この本に書かれた旅をしたとき、彼はちょうど60歳で、人間ならだれでも自分の過去をふりかえってみたくなるころだし、もういちどアフリカを旅するなら、年令的にも最後の機会だと思ったことだろう。

じつは彼には、想い出の土地を訪ねるという以外にも理由があった。
当時の彼は仕事や家事にマンネリをかかえ、もう電話も手紙も届かないところに失踪したい、なにもかも放り出してひとりになりたいという欲求が強くなっていたらしい。
セローは著名な作家で、ひじょうに社交性のある男であるから、こういう人間が世捨て人になるとは考えにくいけれど、地中海を旅しているころ感じたように、彼には進歩した文明を嫌悪する厭世家の面もある。
神さまが頼りになるなら世をはかなむ人がいるはずがないから、厭世家と無神論者は密接につながっている。
わたしもこういう部分ではセローに似たところがあるので、彼の心境の変化をたどることはとても興味のあるところなのだ。

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この本をまえに置いていささか調べてみた。
わたしのブログ紀行でいちばんの問題は、行き先々の土地をストリートビューがカバーしているかどうかということ。
「大地中海旅行」でも書いたけど、国によっては外国人を受け入れないところもあるし、全方位カメラを積んだ車なんか走らせると、飛んで火にいる夏の虫ってわけで、拉致されて首を切断されることもある。
写真がなければ文章だけになり、これでは活字ギライを折伏しようというわたしの意志も頓挫する。

それで目的地がどれほどストリートビューでカバーされているか、あらかじめ調べてみようとした。
しかし、なんといっても683ページだ。
くまなく調べていたら、文章をスタートさせるまえにわたしは老衰で死んでしまうだろう。
それでもうぶっつけ本番で行くことにした。
わたしの文章のなかには、前後が一貫してない部分があるかもしれないけど、それはこういう理由である。
止めて止まらぬ李白さんというわけで、誰がなんといおうと、わたしはセローとともに、彼が教師をしたころ、この旅をしたころ、そして現在のアフリカを見てみたいのだ。

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