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2021年6月 1日 (火)

地中海/モロッコ

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地中海には「ルヴァンテ」という気象現象があるという。
地形に関係あるのかどうか知らないけど、これはせまいジブラルタル海峡から地中海に向けて吹く強風で、ひどいときには船舶の航行の妨げになる場合もあるそうである。
たまたまそのもっともひどいものに遭遇したのがポール・セローだった。
チュニジアから旅の最終目的地のモロッコ(まさにジブラルタル海峡の入口にある)へ行こうとした彼は、おそろしい荒天にぶつかってしまい、フェリーで行くつもりの当初のもくろみは、船がドックに入ってしまって破綻した。

金と時間に不自由していない彼のこと、チュニジアからシチリアを経てイタリアにもどり、さらに列車でフランスまでもどれば、マルセイユあたりからモロッコ行きのフェリーがあるんじゃないか。
ちょうどいいや、往路で見逃したナポリ、ローマ、リヴォルノ、マッサ、ジェノヴァなどをながめるのにいい機会だと、このへんまではまだまだ余裕である。
わたしも見逃した海岸を紹介しておこう。
セローは絶壁が美しいと書いているけど、おそらくマッサからジェノバまでの海岸線のことをいってるのだろう(このときの彼は列車だから海から海岸をながめたわけじゃない)。

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しかしマルセイユにはモロッコ行きの船はなかった。
セローはさらに列車を乗り継いで、延々とスペインまで移動する。
つまりこの旅の前半でたどってきたコースのほとんどを、逆向きにたどったことになるわけだ。

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セローはそれでもいいけど、わたしのほうはどうしよう。
まえに載せた写真をそのまままた載せれば楽でいいけど、それでは熱烈なわたしのブログのファンから(そういう奇特な人がいればの話だけど)苦情が殺到してしまう。
やけっぱちで、沿線ぞいの土地に住む美女の写真でも収集しながらいくか。
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スペインのマラガでようやくセローはモロッコ行きのフェリーをつかまえた。
マラガといったらもうジブラルタルやモロッコのすぐ近くで、しかも船は「シウダー・デ・バダホス」という五階建てビルみたいなでっかいフェリーだったから、いくらなんでも強風ぐらいでたじろぐことはないだろう。
セローはルヴァンテをまだあまく見すぎていたのだ。

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これは、例によってネットで見つけたフェリー「シウダー・デ・バダホス」。

でっかいフェリーは強風にもみくちゃにされ、船内は嘔吐大会になり、ついに目的地までの航海をあきらめてマラガに引き返すことになる。
船酔いくらい平気な顔をしていたセローも、ほっとしたと書いているくらいだから、ポセイドン・アドベンチャーになりかねない航海だったらしい。

ルヴァンテはいったん吹き始めると、しばらく止まないと聞いて、セローはついに列車でアルヘシラスまで行くことにする。
ここは英領ジブラルタルのすぐとなりにあるスペインの港だから、彼はとうとう出発点までもどってきてしまったわけだ。
ここまで来るとモロッコのセウタまで、海をへだてて30キロもないし、フェリーの数も多いはずである。
つぎの画像はアルヘシラスとセウタまでの地図、そして天気がいいい日のアルヘシラス港で、沖合に見える岩山はジブラルタルだ。

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ここまで来ればと思ったものの、この港町でもルヴァンテは大暴れ。
木々をなぎ倒し、看板を路上に叩き落とし、電線を切断して町中を停電にし、もちろんフェリーは軒並み欠航だった。
この年のルヴアンテは数十年にいちどという記録的なもので、セローは足止めをくらった大勢のツーリストとともに、安宿にくすぶることになる。

わたしも当然くすぶることになるけど、それも益のない話だから、ここはひとつ旅の先まわりをして時間をつぶそう。
セローはモロッコに行って、そこに住む米国人の作家と対談する予定でいた。
彼はこれまで、コルシカ島でドロシー・キャリントン、エジプトではナギーブ・マフフーズ、ほかにも生死を問わなければ、行く先々で著名な作家の足跡をたどっているけど、そうした作家のしんがりがモロッコ・タンジールで隠遁生活を送る米国人作家のポール・ボウルズだった(下の写真は若いときのもので、セローが会ったとき彼は80代なかば)。

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参考のためにわたしもこの作家の本を読んでみた。
「シェルタリング・スカイ」といって、図書館で借りてみたら新潮文庫だった。
おもしろければ一気呵成にというわたしだけど、本の内容は、ひと組の夫婦と男友達の3人がモロッコあたりを旅するうちに、三角関係になって、なにが不満なのかヒロインはひとりで砂漠に迷い出て、アラブ人に強姦され、その屋敷でめかけのひとりにされ、命からがら脱出するという、わけのわからないものだった。
亭主はべつに同性愛者でもないし、女も亭主に飽きがくるほど倦怠期とも思えないし、間男になる友人の男はイヤらしいばかりだ。
3人がいずれも有閑階級であることも、貧乏階級のひとりであるわたしには、その心理を理解しにくいのかも。
彼らが人生に倦怠や虚無を感じて実存主義的に悩むというならわからないでもないけど、亭主はモロッコで娼婦を買い、女は亭主の友人と不倫して、これで退屈する人生というのはどんなものなのか。

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これは書評じゃないので、本のことはこのくらいにしておこう。
ようやくルヴァンテのあい間を見つけて、セローは船でセウタまで渡り、そこからバスでタンジールに行く。
これはタンジールの街で、白亜の建物が美しいけれど、わたしのブログではやはり旧市街のメディナを重点的に紹介することにする。
セローはここで城壁都市のメディナと、城塞という意味のカスバとの違いを説明するけど、興味のある人は本を読めばよい。

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セローはなんとか隠遁作家の家を探し当て、彼と対談しているうち、マリファナを勧められる。
品行方正なセローらしくないけど、思いもかけず歓待されて、それをぶっこわすほど非人情ではないから、いっしょになって吸ったと書いてある。
このさいのセローの態度を見ると、あこがれのスターに会って感激するミーハーというより、当地の著名人にインタビューするジャーナリスト精神が強かったようである。

首尾よく隠遁作家へのインタビューに成功した彼は、とあるバーで書き溜めたメモを整理することにした。
わたしはポール・ボウルズのことを、セローがこの旅で会った文学者のしんがりと書いてしまったけど、じつはこのバーでおまけみたいにもうひとりの作家と出会うのだ。

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それはボウルズの知人のモハメド・チュークリという作家で、セローにいわせると大学教授ふうの男だそうだから、ネットで見つけたこの写真が彼だろう。

こちらの作家は貧しい階層のベルベル人で、セローは彼の口を借りて、ボウルズはニヒリストだったんだよというような、隠遁作家のべつの面を語ろうとしたんじゃないか。
この大学教授ふうの言葉に、タンジールは謎の町で、ここを去るのはその謎がわかったときだというのがある。
カッコいいセリフなので、モロッコを去るときに船の上で使おうと、セローが特別におぼえていた言葉なんだけど、記憶のいいはずの彼は翌日にはもう忘れていた。

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これでポール・セローにくっついてまわるわたしの紀行記も終わりである。
イヤ、ホント、ひとりで文章をひねりくり出し、資料や画像の収集、加工まで全部やっつけなければいけないのは、好きでやってるにしても、“ヘラクレスの難行” に匹敵するたいへんな仕事だったんだから。
ヘラクレスといえば、もちろんギリシャ神話中の英雄の名前で、唐突にこの言葉が飛び出したのは、セローがこの紀行記のなかで使いたいと考えて、とうとうその機会がなかったとぼやいていたから、わたしが代わりに使うことにしたのである。
「大地中海旅行」の原題は “ヘラクレスの柱” で、これはジブラルタル海峡の両岸にそびえる岩山をいう。

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