旅人よ
ポール・セローの「大地中海旅行」にくっついて歩くわたしのブログ紀行がようやく終わった。
開始したのが去年の師走の3日だから、飛び石連載だとしても、なんだかんだで完結まで半年もかかったわけだ。
手間はかかったけど、旅行好きのわたしにとってこんな楽しい道楽はなかった。
旅行や登山のようなアクティヴな趣味は、だれでも歳をとると出来なくなる。
しかし山岳紀行家の深田久弥は、山に登れなくなった年寄りでも、山に興味を持っているかぎり登山家の資格があるといっているから、このデンで行けばわたしなんかいくつになっても旅行家だ。
いったい旅行というのはなんだろう。
行った先の美味しいものを食べるとか、ブランド商品を本場で安く買うとか、むかしはこれが半分以上を占めていたらしいけど、男なら女を安く買うとか。
あいにくわたしは偏食で、胃袋も小さいから、食べ物に関しての欲求は強くない。
ブランド商品にはまったく興味がない。
女にはおおいに興味があるほうだけど、もうじいさんだから役に立たないなんてことはどうでもいいことで、それじゃあいったいなんのために旅行がしたいのか。
ズバリ、行ったことのない、めずらしい景色を見たいんだよね。
つまり好奇心というやつで、わたしの場合それが社会的常識を無視するくらい強かったのだ。
さらに突き詰めれば、これは現実逃避というトラウマにまで行きつくけど、ここではそこまで踏み込まない。
現在ではインターネットという便利なものがあって、たいていの外国は、日本にいたまま机に座っているだけで調べられる。
足腰が弱ってもはや自分の足で歩けない場所の景色でも、ストリートビューで見たいと思えば見ることができるのだ。
わたしみたいな年寄りにとって、これは新次元の楽しみではないか。
見るということに重点を絞り、脳みそのどの部分で感じるかということになったら、現実に見ることと、パソコンのモニターで見ることになんか違いがあるだろう。
大違いだ、という人は想像力の欠如した人に違いない。
もともとわたしの旅行は、外国に行っても、現実の世界から刺激を受けて、空想の世界をただよっているようなものなのだ。
お金はかからない、体力は使わない、それで本物の旅行と変わらない楽しみを得られるんだからたまらない。
またなにかいいネタがないかと、いま旅行記などを漁っているんだけどね。
ただストリートビューで景色を見るだけでは想像力への刺激が足りないので、ここはポール・セローのような、文章による描写も必要だ。
そういう条件のそろった紀行記というものはなかなかないものだ。
今度はひとつ、椎名誠さんの本をたどって、シベリアからモスクワまで旅してみるか。
| 固定リンク | 0
« 地中海/モロッコ | トップページ | 音楽の友 »
コメント