アフリカ/アスワン
ピンクフロイドに「ナイルの歌」という曲がある。
これは「モア」という映画のサントラ盤に入っていた曲で、聴いてみると、べつにナイルでなくても、セーヌ川でも隅田川でもさしつかえなさそうな歌だった。
でもタイトルから受けるイメージでは、なんとなくここで引用したくなる。
ビザの発行を待つあいだ、セローはナイル川の観光に行くことにした。
カイロから800キロほど上流に行ったアスワンという町から、ナイル観光のクルーズ船が出ている。
出発するまえにそのあたりの地図を頭に入れておこう。
この地図では上が河口で、ナイルは下から上に流れている。
アスワンという町は、ナセル湖を出現させることになった巨大なアスワン・ハイ・ダムがあるところで、ダム建設当時、付近にあるアブ・シンベル遺跡が水没してしまうと話題になり、日本でもよく知られているところだ。
「地中海大旅行」では、料金向こう持ちの豪華客船以外には贅沢をしなかったセローだけど、ここアフリカではカイロからアスワンまで、夜行の一等寝台に乗った。
わたしも中国では同じような贅沢をしたけど、料金は日本と比べようもないほど安かった(4人用の個室があるだけで、赤の他人とごちゃまぜ、日本のレベルでは二等寝台)。
そんな贅沢をセローができたのは、先進国の人間が途上国の列車を使うという万国不変の優位法則があったからだ。
列車が発車したカイロの駅はラムセス1世駅といって、古代ローマとイスラム建築を融合させた由緒ある建物だというんだけど、なんかだいぶ物騒な駅みたいである。
カイロをはずれると、いよいよストリートビューはあてにならなくなる。
セローの文章によると、車窓から見える景色はひじょうに魅力的なものだったそうで、わたしも見たかったけど、残念ながらほとんどの場所はストリートビューがカバーしていなかった。
これから先どうしようかと考えて、わたしのテレビ番組の録画コレクションをひっかきまわしてみたら、けっこうアフリカを扱った番組があることに気がついた。
「赤道直下4000キロ」、「米食う人々」、「秘境×鉄道」、そしてグレイト・ネイチャー・シリーズには「アフリカ7000キロをゆく」という番組があるし、単発番組でも「ナイル源流をゆく」、「ケープ半島」、ジブチの出てくる「アファール三角地帯」、「ナイル源流ウガンダ」なんてものがあり、ほかにもアフリカの野生動物を扱った番組のなかに、現地の町や村がちらりと出てくるものがある。
なかでも「アフリカ縦断114日の旅」という番組は、各国から集まった観光客がバスでアフリカを縦断するもので、コースはセローの旅と重複する部分が多い。
この番組の画面をキャプチャーすれば、まったく同じ場所でなくても、こんな感じのところだと、おおよその景色はわかるんじゃないか。
どうせストリートビューの画像もきれいじゃないんだから、画質に難点があるのは仕方がない。
というわけで、いろいろ奔走して集めてみた鉄道沿線の景色はこんな感じ。
鉄道もほとんどナイル川にそって走っているから、ちょっと奥地に入ったナイルの写真をならべれば間に合ってしまう。
大半の景色は砂漠だけど、流れにそって農地やナツメヤシの緑地があり、車窓からのどかな農民の生活ものぞめるのである。
でもホントは夜行列車だったから、なにも見えなかったかもしれない。
アスワンに到着すると、最初はアスワンの町、つぎは駅、セローは駅から近くて、ナイル川の河岸にあるホテルに宿をとったとある。
名前は書いてないものの、この旅では積極的な節約旅行をするつもりのないセローが泊まったのは、たぶんこのアスワン・プラザ・ホテルのことだと思われる。
大量の観光客を受け入れる俗っぽいホテルのようだけど、ベランダからはすぐ下にナイルがのぞめるというし、無用の気遣いもいらないので、わたしもこういうホテルはきらいではない。
この先のセローはほとんど団体にまじって名所旧跡を見てまわるから、ホテルのオプション・ツアーに参加したのだろう。
アスワンの町にもバザールがあるから、それをのぞいてみよう。
どこでも、中国でさえ、市場で売られている品物は同じようなものである。
最後は香辛料で、中には肉桂のようにわたしが新疆ウイグル自治区で見たものもある。
プラザ・ホテルに泊まっているあいだにセローは、尋常ではないものを見聞きした。
アスワンはヌビア人という部族が住んでいた土地だけど、アスワン・ハイ・ダムが出来て彼らの多くの故郷は水に沈んだ。
彼らは押し寄せる外国人観光客のためのガイドをして生計を立てるようになる。
ガイドがいけないのか、観光客のほうがわるいのか、そのうち彼らは客の性的欲求にも応えるようになった。
ヌビア人ガイドは観光客に、ヌビアのバナナ見たくないですかと誘いかけ、夜になると女性観光客とともにそのへんの暗がりに消える者がいるという。
この場合のバナナは男性の一物のことで、つまりガイドがホストクラブのホストを勤めるわけだけど、欧米人観光客のおばさんお姉さんの中にはこれが目的の者がけっこういるらしいのだ。
しかしこんなことは驚くことではない。
人間がいれば当然ありうる話だし、わたしが世間のカタブツを見るとついからかってみたくなるのも、そういうことをよく心得ているからである。
ま、余計なことを書いて、日本のおばさんたちに、わたしも行きたいなんていいだされても困るから、バナナの話はこれくらいにして、ヌビア人について勉強してみよう。
ヌビア人は、オレたちこそ生粋のエジプト人だといってるそうである。
現在のエジプトは、どっちかというとアラブ系の国のようだけど、アフリカ人という定義を厳格にするなら、ヌビア人がその場所にすわってもおかしくない。
これは土産物屋で売られているヌビア人のフィギュアで、なるほど、これがそのまま生身の人間とすれば、クレオパトラの子孫で通用するくらい美しい。
男のほうはよくわからないけど、バナナはわたしなんぞより立派そうだ。
アスワンの町の目のまえにエレファンティネ島という島が横たわっており、この島のなかにはヌビア博物館や遺跡があるので、ある日セローはファルーカという三角帆の小型船に乗って見物に行ってみた。
この船の船頭もヌビアのバナナ見たくないですかと聞いてきたけど、客が男の場合は、ヌビア人のオンナの子が、あたしのパパイヤ見たくないですかといわなければいけないのではないか(写真の女の子は文章と関係ありません)。
あ、また余計なことを。
この島はかって統治国であった英国の将軍が、砂漠の島を植物園に変えたところだそうで、眺めはこんな感じ。
ここにはカトリックの教会があって、イスラム教徒に迫害されているイタリア人司祭さんがいたものの、聖職者ギライのセローはひとことふたこと会話しただけで、あまり関心を持たなかった。
最後の画像はこの島にある神殿の遺跡と、そこで発見されたファラオのレリーフ。
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