アフリカ/インシャラー
ポール・セローにいわせると、エジプトは大むかしから観光地だったそうである。
なんでも紀元前400年ごろ、ヘロドトスというギリシャ人がエジプトの観光ガイドを書いていて、そこでピラミッドにも触れているらしい。
これはクレオパトラよりずっとむかしのことだから、そんなころからピラミッドってあったのかと疑問をもつ人がいるかもしれない。
もちろんあったのだ。
ヘロドトスがガイドブックに載せた時点で、すでにキゼーのピラミッドには2000年という歴史があったそうだ。
エジプト文明の悠久さを証明するような話で、有名観光地に興味のないセローも、エジプトに来てピラミッドを見ないわけにはいかないと、おとなしく観光に出かけた。
するとたちまちエジプト人がわさわさと群がってきた。
わたしも経験があるけど、ロシアで日露戦争の遺物である軍艦を見学に行ったときのこと。
遠くからわたしを見つけて、艦のそばにいた古風ないでたちの男女が、カモが来たぞと身がまえたのがわかった。
彼らはならんで写真を撮らせる(そして金をとる)モデルさんで、そんなふたりが待っているとわかって、イヤ気がさしたわたしは軍艦の見学をやめてしまった。
現地の観光ガイドや物売りやもの乞いなどもそうだけど、若いころならいざ知らず、歳をとるとこういう手合いを相手にするだけで膨大なエネルギーをくう。
わたしが最近海外旅行に行かない理由のひとつがこれだ。
セローは馬に乗ってピラミッドを見てまわった。
この馬というのは富士山の五合目などにもいる、足に自信のない観光客用のもので、外国で利用するときは注意が必要だ。
わたしは中国を旅しているころ、いっぱしの馬賊になったつもりで、則天武后の乾陵や新疆の天池で馬に乗ったことがある。
馬上から下界を見下ろしていい気分になっていたら、両方とも目的地の手前で降ろされてしまった。
これ以上行くなら別料金なんだそうだ。
こういうことがあるから、観光地で馬やラクダに乗るときは、あらかじめ目的地をしっかり決めておかなければいけない。
近代になると各国の作家や画家たちも競ってエジプトを訪れている。
博識のセローは「トム・ソーヤの冒険」のマーク・トウェインや、「ポヴァリー夫人」のフローベール、あんまり聞いたことのない画家のデヴィド・ロバーツやドミニク・ドゥノン、作家のマクシム・デュ・カン、ジェフリー・ウォール、詩人のホイス・ボルヘスなどを持ち出して、ごたごたとピラミッドの講釈をたれているけど、もちろんそんなものに興味をもつ人はいるわけないから、ここではその個々の事情については触れない。
それでも上記の画家ふたりの描いたスフィンクスの絵を載せておこう。
セローは両方とも実物に似てないと書いているけど、あなたはどう思う?
ちょっとおもしろいと思ったのは、幕末に日本のサムライ御一行様までやってきて、スフィンクスのまえで記念写真を撮っていたことである。
なんの用事でエジプトくんだりまで出かけたのかというと、じつは鎖国政策についてフランスと交渉するために欧州へ行き、その帰りに寄ったんだけど、本来の目的は失敗だったそうだから、スフィンクスの下で切腹なんかしないでよかった。
日本人はいまもむかしも神仏を大切にするから問題はなかっただろうけど、エジプト周辺には偶像崇拝を禁じるイスラム教徒も多くて、スフィンクスは鼻が欠けている。
つぎの写真は鼻なしと、オリジナルのスフィンクスのレプリカ。
ピラミッドの写真は個人旅行者が撮影したものがたくさんネットに上がっているし、ストリートビューも充実しているから、このブログに掲載する写真には事欠かない。
ここではセローが、たそがれ時のピラミッドが素敵だと書いているから、わたしもそんな時間帯の写真を探してみた。
もちろん他人の写真を使うのは著作権違反である。
しかしわたしは最近考えを変えたのだ。
ネットというのは情報の宝庫であり、この情報化時代にそれをだれでも自由に使えないというなら、弊害のほうがはるかに大きいだろう。
それにネット上にはタダで使ってもそれほど問題にならない写真もたくさんある。
たとえば旅行会社のパンフレットに使われているような写真なら、タダで宣伝してやってるんだという弁解をあらかじめ用意できるではないか。
ちと苦しいけどまだあるぞ。
わたしのブログにもわたしが外国で撮った写真がたくさんアップされているけど、それをどこのだれが二次利用しようとかまわない、というかそんなものをいちいち追求しているほどわたしはヒマじゃない。
だれかがわたしの写真で大儲けでもすれば、分け前をチョーダイぐらいのことはいうかもしれないけど、たぶんそんなことはないだろう。
つまりネットにはだれでも勝手に使える写真と、はじめから売っていくらかにでもなればという写真が混在しているのだから、できるだけさしさわりのない写真を使えばいいのである。
まちがってもコピー防止用の透かしやサインの入った写真は使うべきじゃない。
ポール・セローの「大地中海旅行」にくっついて歩いているとき、わたしはエジプトのカイロについてあまり詳しく触れなかった。
セロー自身も作家のマフフーズに会うことを優先させて、あまり街については書いてなかったせいだけど、いい機会だからこの街についてウィキペディアを引用すると『カイロはエジプトの首都であり、アラブ世界と中東を代表する大都市である』(だそうだ)。
近代的な部分を紹介しても仕方がないので、ここではバザールの写真を少々。
セローはカイロにいるあいだにスーダン大使館に行く。
エジプトのあと、彼はさらにアフリカ大陸を南下する予定だから、各国のビザが必要なのである。
しかし日本とちがってだらしない国が多いから、なかなかビザは下りない。
いらいらした彼は、ここで “インシャラー” という言葉を教わる。
これは「神の御心のままに」という意味のアラビア語だけど、かならずしもイスラムだけではなく、ユダヤ人も使う言葉だからややこしい。
わたしが学生のころ、アダモの歌で「インシャラー」というポピュラー・ナンバーがすこしヒットしたことがあり、これは戦死したイスラエル兵士を追悼する歌だそうだ。
おいおいわかってくるけど、時と場合によって意味が変化する言葉なので、このブログ記事の終わりまでおぼえておいてほしい。
なかなか下りないビザを待つあいだ、セローはカイロ博物館に行ってみた。
彼の展示物に対する説明はくわしくて、読んでいるだけで興味をひかれてしまうので、わたしもできるだけ具体的にビジュアル化してみよう。
この赤い建物が博物館で、あまり考古学に興味のなかったわたしにも、巨大な石像や棺のなかのミイラ、そしていろんな動物をモチーフにしたおびただしい石像が目をひく。
エジプトの石像というと、やたらに巨大であることが多いけど、この美術館の中にも天井まで届くような人体像がある。
大きすぎてそれまでの建物では収まりがつかなくなって、2021年現在、カイロに新しい博物館が近々オープンだそうだ(これは完成予想図)。
博物館というと中国(中国がしょっちゅう出てくるけど、わたしがいちばん頻繁に訪れた国が中国なのだ)の上海にあるものが、やはりわたしをひきつけた。
歴史のある国では、古いネコが猫又になるように、歴史上の文物が神格をおびる場合もあるのかなと思ったことがある。
まだスーダンのビザは下りない。
セローはヒマつぶしに旧知の作家マフフーズのサロンに顔を出して、当地の文化人たちと会話したりする。
マフフーズとは地中海旅行のときにも会っており、そのときこのアラブ世界で最初のノーベル賞作家は、テロリストに襲われて重傷を負ったばかりだった。
やぁやぁ、傷はもう大丈夫ですかなんて旧交を温めているうち、サロン参加者にマフフーズ以外の作家がノーベル賞をもらえないのは欧米の陰謀だなんて言い出す者がいて、たまたまそこにいたセローは欧米の代表にされてしまった。
まだスーダンのビザは下りない。
そのあいだにウガンダやエチオピアのビザも申請してみたけど、大使や領事は愛想がよくて、かならずお国自慢をするくせに、事務の仕事はどこもさっぱりはかどらない。
そのうちセローは“インシャラー”という言葉が、「いつかは」という意味になり、さらに「祈りなさい」、「絶対にダメ」というふうに活用することを知るのである。
しびれを切らした彼は、ビザが下りるまでのあいだ、ナイル川を見物してくることにした。
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