アフリカ/王家の谷間
アスワンの町はナイル川クルーズの起点のひとつで、エジプトに観光旅行で行くと、ここから船に乗り降りすることが多いらしい。
わたしはエジプトに行ったことがないので、行ったつもりになって、それがどんなものかじっくり眺めてみよう。
セローはここからフィラエ号(フィラエというのはエジプトの古代王朝が栄えた土地の名前)というクルーズ船に乗った。
名前が違うだけで、同じかたちの船がたくさん就航しているらしいから、彼が乗った船もこんなものだったろう。
この船は乗員数が100人で、甲板に小さいながらプールまで備えている。
これでナイル川のほとりにある町や遺跡を、食事つき、ガイドつき、ひなたぼっこをしながらめぐるのはたいそう優雅なものだった。
セローにしてみれば、これからアフリカ縦断という冒険の旅が始まって、ヘタすれば途中で強盗にあって砂漠の露と消える可能性もないわけじゃないのだから、そのまえにのんびり贅沢をするのもいいと考えたのだろう。
こんなふうに船で行ったり来たりするのがエジプト旅行のトレンドで、船はコム・オンボやエドフ、エスナなどの町に寄りながら川を上下する。
船上から見られる景色は、多くの遺跡が存在し、三角帆のファルーカが往来し、ヤシの木の植えられたリゾート設備も完備して、セローの記述によると風光が明媚ですばらしいらしい。
写真を拾うだけであるていどの様子はわかるけれど、残念ながらストリートビューはこのあたり景色をぜんぜんカバーしていないのだ。
そういうわけでネット上からさしさわりのなさそうな写真を集めてみた。
景色よりも大きな見ものは、古代エジプト文明の真髄をきわめたような壮大な遺跡群である。
セローはナセル湖のなかにある、有名なイシス神殿のある島へ行ってみることにした。
ここで注意しないといけないのは、この島まで行くにはとうぜんダムを越えなければいけないけど、ダムはじつは二つある。
以前からあったものはアスワン・ロウ(低い)・ダムで、新しいほうがハイ(高い)・ダムだ。
イシス神殿はこの新旧二つのダムにはさまれたナセル湖の小さな島にあるらしいけど、ストリートビューで “イシス神殿” と検索すると二つの島がヒットした。
セローの文章に出てくるのはどっちだろう。
ストリートビューと衛星写真をじっとにらんで、どうやらアギルキア島と呼ばれる島のほうらしいということがわかった。
美術誌などに出てくる、神殿の壁画(レリーフ)があるのはこの島である。
以前クレオパトラについてこのブログに書いたとき、そのころのエジプト女性は、まだ幼い少女のようなプロポーションがひじょうに魅力的と書いたのは、ここのレリーフによるところが大なのだ。
このブログではセローが、飛行機が欠航して行けなかったとぼやいていた「アブ・シンベル神殿」も紹介してしまう。
くわしいことはまたウィキペディアを参照してもらうとして、東大寺の大仏に匹敵するような巨大な4基の石像が並んでいるようすは、誰でも写真や図版でいちどは見たことがあるはず。
エジプト観光では、ピラミットとならんで絶対に無視できない遺跡なのだ。
じつはこの神殿はアスワン・ハイ・ダムの完成で水没するところだったけど、人類の貴重な世界遺産を失わせるわけにはいかないと、ユネスコが中心になって全体をばらばらに分解し、大工事のすえに石像を救ったという話もよく知られている。
セローが船で遺跡をまわっているとき、あんなでかいものをどうやって移動させたんだというのが、おおかたの観光客の疑問だったそうだ。
その疑問にはこの写真が答えてくれる。
こんな大きなものを作った王朝というのは・・・・と、ここで時空を超える壮大な空想もピークをむかえるけど、わたしはページ数がかぎられているので、あまり寄り道してるわけにいかない。
アスワンとナセル湖のあたりを観光したあと、セローはアスワンから船で200キロほど離れた下流のルクソールまで、ふたたび遺跡を眺めながらの優雅な船旅をする。
ルクソールは古代王朝の時代にテーベと呼ばれ、ここにも有名な「王家の谷」などの遺跡がある。
歴史だの学術的価値だのというムズカシイことはウィキペディアにおまかせして(調べればわかることは自分で調べろがこのブログのモットー)、いちおうそのあたりの写真を。
お国柄とはいえ、エジプトの王さまたちは、乾いてほこりっぽいところばかりを墓所に選んだものだ。
カイロ美術館で見たツタンカーメンのマスクが、奇跡的に無傷で発見されたのもここである。
「ハムナプトラ」というエジプトを舞台にしたホラー映画があったけど、欧米人は日本人がシルクロードにあこがれるように、歴史上のエジプトが好きらしい。
ルクソールで一泊したあと、セローを含む観光団は、警察に護衛されながら紅海の沿岸にあるポート・サファガへ向かった。
護衛はものものしいもので、というのはこのころエジプトでは外国人を狙ったテロが続発していて、セローが滞在していたすこしまえにもルクソールで大規模な襲撃があり、観光客や警察官など60人が殺されたばかりだったのだ。
あちらのテロリストはすぐにAK-47なんかを持ち出すから、いきおい警察の警備も軍隊なみにならざるを得ないのである。
セローはとうとう紅海まで出た。
おいおい、どこまで行くんだ、また地中海をなぞる気かといいたくなるけど、ハルダガという町で彼はサール・ハシーンというホテルにチェックインする。
名前がわかっているからどんなホテルなのかと調べてみたら、へんてこなかたちのホテルで、場所も街の中心からはずれたリゾート地にあった。
セローの好みに合いそうもないホテルだから、団体ツアーに参加した彼は、とくに注文もつけずにあてがわれたホテルに泊まったのだろう。
いちおうストリートビューでハルゴダの町をのぞいてみたけど、べつだん変わったところではなかった。
海はさすがにきれいである。
紅海は子供のころ見た「沈黙の世界」という記録映画の舞台にもなったところで、ああ、思えばあの映画あたりがわたしの博物学への興味の始まりだったなあとしみじみ。
セローにいわせると、この町はロシア人の保養地みたいなところらしい。
わたしがロシアで長距離バスに乗ったとき、運転手が地中海のロゴの入った赤いパーカーを着ていたけど、彼もここへ来たことがあったのだろう。
ここに泊まっているとき、ようやくスーダンのビザが下りましたという連絡がくる。
彼のアフリカの旅はこれからが本番だ。
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